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32杯目 神戸ドライブ -桜の下で-前編

【Bar風花】神戸ドライブ -桜の下で-


※お酒・クラシックカー・桜・墓参り・再会・ほんのり涙が好きな方向け

※戦闘もバトルも派手な展開もありません。日常の延長のような、ゆったりしたドライブと想い出話です。ご注意ください。


 春の桜が満開の季節。


 Bar風花の閉店間際、美和さんが「今週末、神戸に行きませんか?」と声をかけてきた。


 行き先は師匠・岸本さんの眠るお寺。


 目的は墓参りと、約束した神戸の路地を歩くこと。


 そして、特別な相棒は、美和さんがおばあちゃんから譲られた鮮やかな赤のフェラーリ・ディーノ246GT。


 助手席にはいつもの煙草とライター。


 運転席には、淡いピンクのスカーフを巻いた美和さん。


 九州道を北上し、めかりPAで海を眺め、宮島SAで瀬戸内の味を楽しみ、関門橋を渡って本州へ。


 エンジンの「フォン! クォン!」という甲高い咆哮が、旅のリズムを刻む。


神戸のお寺で待っていたのは、師匠の墓石と、意外な再会。


 何も起こらないはずのドライブが、静かな感動を運んでくる。


 Bar風花のカウンターを離れた、美和さんのもう一つの顔。


 Bar風花へようこそ。


 今日はカウンターじゃなくて、ディーノの助手席から、桜の景色をお届けします。


 どうぞ、ゆったりとお付き合いください。

風花町・Bar風花の閉店間際(金曜夜)


 春の夜風がBar風花の窓を優しく叩き、かすかな桜の香りを店内に運んでいた。


 風花町の細い路地にひっそりと佇むこのバーでは、いつもジャズのメロディーが静かに流れ、カウンターの照明が柔らかく客の顔を照らす。


 閉店間際の今夜、常連の彼さんはいつもの席に残り、ルビー色のカクテルの入ったロックグラスを眺めていた。


 外の路地では、満開の桜が街灯に照らされ、夜風に花びらが舞い落ちていた。


 美和さんはカウンターの照明を落とし、最後のグラスを拭き終えて、ゆっくりと息を吐いた。


 彼女の動きはいつも通り丁寧で、カウンターの木目が照明に映えて温かみを帯びている。


「彼さん……ちょっと、話があるんです……」


 美和さんの声は、いつもより少し柔らかく、どこか緊張を帯びていた。


 彼女はカウンターに両手を置き、目を合わせた。


 ジャズの最後の音色が、静かに店内に溶けていく。


 彼はグラスを置いて、彼女の顔を見上げた。


「ん? どうしました、美和さん?」


 美和さんはゆっくりと言葉を紡いだ。


 外の路地から、桜の花びらが舞い込む音が、かすかに聞こえる。


 「今週末……土曜日の朝から、神戸に行こうと思ってるんです」


 彼の目が少し丸くなる。


 「神戸? 急ですね?」


 「うん。……岸本さんの命日が、ちょうど桜が満開の頃なんです。毎年、この時期に墓参りに行ってるんですけど……今年は、桜の下で誰かと一緒にいたいと思ったんです……」


 彼女は視線を少し落とし、指先でカウンターの木目をなぞった。


 桜の花びらが一枚、開いた窓から舞い込んで、カウンターにそっと落ちた。


 店内の空気が、ほんの少し重く、でも温かく感じられた。


 「彼さん、前に約束しましたよね。いつか一緒に神戸に行って、岸本さんがいた路地を歩いて、神戸の水でハイボール作って、って。……桜が綺麗な時期に、連れて行けたらって、ずっと思ってたんです……」


 彼は静かに頷いた。あの冬の夜の冷えたグラスの感触が、今は春の温かさに変わって、手のひらに蘇る。


 Bar風花での何気ない会話が、今、こんな旅のきっかけになるとは思っていなかった。


 「覚えてますよ。……もちろん、行く、行くきますよ、俺も。桜の下で岸本さんに挨拶したい」


 美和さんの目が、ぱっと明るくなった。


 頰がほんのり桜色に染まり、照れくさそうに笑って、手で顔を軽く覆った。


 「じゃあ、決まりですね。土曜日の朝、早めに出発しましょう。車で桜並木の高速をゆっくり走って……私の車で、神戸までドライブ」


 彼はグラスを掲げ、残っていた最後のカクテルを飲み干した。


 ルビー色の液体が喉を通り、ウィスキーの甘みが広がる。


 「楽しみにしてます。神戸の桜と神戸ハイボール、美和さんと……」


 美和さんは小さく頷き、Bar風花の入口の鍵を閉め始めた。


 彼女の指先が鍵を回す音が、静かな路地裏に響く。


 「じゃあ、金曜の夜は早めに閉めて、準備しておきますね。……ありがとう、彼さん」


 店の外灯が消え、二人は並んで路地を歩いた。


 満開の桜が街灯に照らされ、夜の風に花びらが舞い、二人の肩に優しく降り積もった。


 風花町の夜空は星が少なく、代わりに桜の淡いピンクが世界を優しく染めていた。


 二人はほとんど言葉を交わさず、ただ並んで歩き、旅の予感を胸に秘めた。



 

土曜朝・風花町の駐車場(朝5時半〜6時)


 土曜日の朝、Bar風花の近くにある小さな共同駐車場は、朝霧が薄く残る静かな場所だった。


 山の麓から吹き下ろす風が、桜の花びらを優しく運んでくる。


 彼はベンチに腰を下ろし、缶コーヒーのプルタブを引いた音が、朝の静けさに小さく響いた。


 黒のダウンジャケットにデニム、肩に小さなバックパックをかけ、ゆっくりと空を見上げている。


 時計は5時半を少し回ったところ。


 「美和さん、今日は本当に早いな……」と呟きながら、スマホをちらりと確認した。


 その瞬間、駐車場の入り口から、甲高く吠えるようなエンジン音が近づいてきた。


 音は滑らかで、どこか懐かしく、朝の霧を切り裂くように響く。


 彼の視線が自然にそちらへ向く。


 滑り込んできたのは、鮮やかな赤のフェラーリ・ディーノ246GT。


 1969〜1974年に生産されたディーノシリーズの最終型で、ピニンファリーナによるエレガントなデザイン。


 コンパクトなボディに、長く優雅なエンジンフードとスムーズに流れるルーフラインが特徴。


 ボディカラーはロッソ・キアロ(明るい赤)で、朝の薄い光を浴びて深みのあるメタリックな輝きを放っている。


 フロントは丸みを帯びたノーズに小型のフラッシュマウントヘッドライト4灯、中央の低いグリルにクロームの縁取り。


 サイドは5本のルーバーが並ぶエンジンフード、ドア下のキャラクターラインが優雅にリアへ続き、14インチの5スポークマグネシウムホイールがクラシックな印象を強調。


 リアは丸いテールにクワッドエキゾーストが控えめに飛び出し、小さなコンビランプが並ぶ。


 派手さはないのに、どこから見ても一目で「ディーノ246GT」とわかる、時代を超えた美しい造形だ。


 エンジンが静かに止まると、駐車場の空気が一瞬、張り詰めたような静けさに変わった。


 246GTの赤いボディは、朝の光の中で静かに息づき、長年待っていた旅の再開を喜んでいるように輝いていた。


 風花町の朝霧が、ボディの曲線を優しく撫でるように立ち込めていた。


 運転席のドアがスッと開き、美和さんが降りてくる。


 今日は黒の薄手タートルネックニットに、ベージュのテーパードチノパン。


 裾を少し短めに仕上げたパンツが、アンクル丈で足首を軽やかに見せている。


 肩にはライトベージュの薄手ロングカーディガンを羽織り、首元に淡いピンクのシルクスカーフをゆるく巻いて、桜の花びらを思わせる柔らかなアクセントを加えていた。


 足元は黒のシンプルなローファー。


 墓参りの場でも敬意を失わないよう、全体を抑えめで上品にまとめながら、ディーノの鮮やかな赤と並んだ姿は、春の朝にぴったりな洗練された大人のエレガンスを放っている。


 髪は軽く後ろでまとめ、シンプルなパールのイヤリングだけが、朝の光に控えめに輝いていた。


 彼女はドアを閉め、軽く髪を払って彼の方を見た。


 朝の霧が彼女のシルエットを柔らかくぼかしている。


 「おはよう、彼さん。待たせちゃいました?」


 彼は缶コーヒーを手に立ち上がり、目を丸くしたまま、ゆっくりと近づく。


 246GTの存在感に圧倒されながらも、ボディの曲線を自然と目で追っていた。


 「……美和さん、これ……246GT?」


 美和さんは車のボンネットを軽く撫でて、照れくさそうに笑った。


 彼女の指先がボンネットの滑らかな表面をなぞる様子が、愛おしげだ。


 「うん。この子……おばあちゃんが昨年の暮れ頃、急に送りつけてきたんです……」


 彼は少し首をかしげた。


 おばあちゃん、という言葉が意外で、朝の霧のようにぼんやりとした疑問が浮かぶ。


 「おばあちゃん?」


 「そう。『家に置いといても埃被るだけだから』って。 『一番似合いそうな美和にやる』って、手紙一枚と一緒に、積載車で運ばれてきたんですよ。

 おばあちゃん曰く、『長く一緒に居た愛車だけど、もう乗らないし、お前なら大切走らせてくれるだろう』って」


 美和さんはボンネットに視線を落とし、指先で埃一つない表面をそっとなぞった。


 朝の光が赤いボディを反射し、彼女の顔を優しく照らす。


 「私も最初はびっくりしましたけど……乗ってみたら、なんか懐かしい感じがして。だから、今日はABARTHじゃ無く特別にこの子を引っ張り出してきたの」


 彼は車に近づき、ボディの曲線を眺めながら、感嘆の息を漏らす。


 クラシックなデザインが、風花町の朝霧に溶け込み、どこか夢のような存在感を放っている。


 「すごい……こんなクラシックなフェラーリ、初めて生で見た。美和さんが運転してるって、なんか……ぴったりですね」


 美和さんは助手席のドアを開けながらふっと笑った。


 彼女の動きはいつも通り自然で、246GTのドアがスッと開く音が朝の静けさに響く。


 「ちなみに、おばあちゃん、今でも超元気なんですよ。

皇グループの会長やってるんだけど、『女帝』って呼ばれてるくらい、現場をバリバリ回してる人。

 去年の冬にこの車を送りつけてきた手紙にも、『この車、埃被らせてる位なら、若いもんのあんたがバリバリ走らせてあげなさい!』って、びしっと書いてあったわ。

 電話で『美和、ちゃんとオイル交換した? タイヤの空気圧は?』って、しょっちゅうチェック入れてくるの。

 もう80超えてるのに、会社でも会議室で部下をビシバシ叱ってるらしいんです」


 彼は思わず笑ってしまった。


 皇グループという名前が、風花町の小さな駐車場で不思議に聞こえる。


 「皇グループ……って、あの皇グループ? 建設とかホテルとか、銀行とかいろいろやってる大手の……?

 美和さんのおばあちゃんが会長って、マジで?」


 美和さんは肩をすくめて、照れくさそうに頷いた。


 彼女の目が、朝の光に少し輝く。


 「はい。表向きは『皇産業ホールディングス』だけど、昔から『皇グループ』って呼ばれてるんです。

 おばあちゃん、若い頃は男社会で叩き上げられて、今じゃ誰も逆らえないらしい。

 私にこのディーノを譲ったのも、『お前みたいな繊細な子が乗ってると、車も喜ぶ』って本気で言ってました」


 彼は助手席に滑り込みながら、革シートの感触に改めて驚いた。


 古いのに柔らかく、手入れの行き届いた内装が、旅の始まりを予感させる。


 「じゃあ、この車……おばあちゃんの若い頃の愛車だったんだ。今でも毎日連絡くるって、愛情深いですね」


 美和さんは運転席に座り、キーを回した。


 246GTのV6が一瞬「ゴロゴロ……」と低く喉を鳴らした後、すぐに回転が上がり、排気音が「フォンッ!」と甲高く鋭く切り裂くように響いた。


 クラシックフェラーリ特有の、金属を叩くような高音の咆哮——低回転では重厚にうなりながらも、少し踏み込むだけで「クォン!」と耳に突き刺さる鋭いサウンドが尾を引く。


 彼は助手席で思わず息を呑んだ。


 「この音……ディーノの排気音こんなに鋭いんだ」


 美和さんは微笑んでアクセルを優しく踏み、246GTがゆっくり動き出した。


 「でしょ?おばあちゃんが『この音を聞くと血が騒ぐ』って言ってました。

 低回転のゴロゴロから、高回転で『フォン!』って吹き上がるんですよ」


 朝の光が赤いボディを照らし、二人の旅が静かに始まった。


 246GTの排気音が、風花町の坂道を下りながら「クォン……フォン!」と短く鋭く響き、山の麓に広がる桜並木を抜けていく。


 花びらが246GTのボディに優しく落ち、旅の始まりを祝福するように舞う。



 

九州道北上〜めかりPA(朝6時〜9時)


 九州自動車道へ入り、246GTはスムーズに加速していく。


 美和さんはハンドルを握り、エンジンのサウンドを楽しみながら走る。


 V6が低回転で「ゴロゴロ……」と重く唸っていたのが、

アクセルを軽く踏み込むと一気に「フォン! クォン!」と甲高く鋭く切り上がる。


 高速の風に混じって、乾いた高音の咆哮が車内に響き、

シフトアップのたびに「クォォン!」と尾を引くサウンドが心地よいリズムを刻む。


 彼は助手席から、美和さんの横顔をちらりと見る。


 淡いピンクのスカーフが風に揺れ、集中した表情が美しい。


 午前9時頃、めかりPA(上り線)に到着。


 九州最北端のPAで、関門海峡の絶景が望める展望スペースが広がっている。


 ディーノを駐車場の一角に停めると、エンジンを切った瞬間に「フォン……」という余韻の高音が静かに消えた。

二人は車を降り、展望デッキへ。


 展望デッキのベンチに並んで座る。


 246GTの赤いボディが背後に停まり、朝の光を反射して静かに輝いている。


 美和さんはミルクティーを一口含み、目を細めて海を眺めた。


 「めかりPA、朝は静かでいいですよね。ここから関門橋を渡って、本州へ……」


 彼は缶コーヒーを両手で包み、温かさを掌で感じながら頷く。


 美和さんはくすっと笑い、紙コップを軽く掲げた。


 「じゃあ、乾杯。神戸の桜と、二人の旅に♪」


 二人はカップを軽く合わせる。


 コツンと小さな音が響く。


 紙コップの湯気が桜の花びらと混じり、朝の海風に溶けていく。


 遠目に若いカップルが246GTを指さして写真を撮っているのが見えた。


 「え、あの赤い車……フェラーリじゃない?」


 「運転してる女性もおしゃれだね」


 と小さな声が聞こえてくる。


 彼は海の方を指さして言った。


 「向こう側、本州だね。目的地までもう少し……」


 美和さんは紅茶をもう一口飲み、静かに頷いた。


 「うん。ねえ、これからは彼さんの運転で、246GTの音と一緒に……神戸まで」


 二人はベンチに座ったまま、しばらく海と桜の景色を眺めていた。


 缶コーヒーの温かさが掌に残り、旅の続きを優しく後押しする。


 めかりPAの朝は、まだ静かで、関門海峡の向こうに本州が待っている。



 

運転交代〜関門橋で本州へ(めかりPA〜橋通過)


 休憩の終わり頃、美和さんが運転交代を提案。


 彼さんは遠慮がちに了承し、キーを受け取った。


 彼がキーを回すと、246GTのV6が一瞬「ゴロゴロ……」と低く喉を鳴らした後、すぐに回転が上がり、排気音が「フォンッ!」と甲高く鋭く切り裂くように響いた。


 クラシックフェラーリ特有の、金属を叩くような高音の咆哮——低回転では重厚にうなりながらも、アクセルを軽く踏み込むだけで「クォン! フォン!」と、耳に突き刺さるような鋭い甲高いサウンドが尾を引く。


 彼は思わずハンドルを握る手に力を入れ、息を呑んだ。


 「……この音、すごい。低回転のゴロゴロから、一気に高回転で『フォン!』って……心臓が跳ねるみたいだ」


 美和さんは助手席で目を細め、懐かしそうに微笑んだ。


 「でしょ?おばあちゃんが『この音を聞くと、血が騒ぐ』って言ってました。246GTのV6は、低音で唸って、高回転で鋭く切り裂く。アクセル優しく、でも遠慮せずに踏んであげてね。

怒鳴らせるんじゃなくて、歌わせるエンジンだから」


 彼は遠慮がちにアクセルを踏み、クラッチを滑らかに繋いだ。


 246GTがゆっくりと動き出すと、排気音が「クォン……フォン!」と短く鋭く響き、すぐに高回転域で「フォン! フォン!」と連続して甲高く叫ぶように鳴り始めた。


 彼は回転を無理に上げず、穏やかにシフトを重ねていく。


 それでもエンジンは敏感に反応し、2速から3速へ上がる瞬間に「クォォン!」と鋭く伸びる高音が、春の高速道路に尾を引いた。


 めかりPAの駐車場を抜け、九州自動車道の北上ルートへ。


 そのまま九州自動車道へ入ると、関門橋が見えてきた。


 246GTのエンジンが少し高めの回転を刻み、「クォン! フォン!」と甲高い咆哮が潮風に混じって車内に流れ込む。


 彼は速度を抑え、低重心のボディを活かして緩やかなカーブを丁寧にトレースした。


 めかりPAから九州自動車道への上り坂を登りきると、視界が一気に開けた。


 眼下に広がる関門海峡の青い海面、遠くに浮かぶ下関の街並みと対岸の本州側・門司港。


 春の陽光が海をキラキラと照らし、桜の花びらが風に舞って橋の上を横切っていく。


 246GTの鮮やかな赤いボディが、橋のグレーと青い海に映えて、遠くから見ても一際目立つ。


 美和さんは窓を開け、潮風を頰に受けながら目を細めた。


 「綺麗……関門橋の上から見る海、いつもより広く感じる。九州から本州へ、橋を渡る瞬間って、なんか新しい旅が始まるみたい」


 彼はステアリングを握り直し、橋の中央部で少し速度を落とした。


 246GTのエンジンがアイドリングに戻り、低く「ゴロゴロ……」と喉を鳴らす。


 彼は助手席の美和さんを見て、静かに言った。


 「本当に特別だね。この車で、この橋を渡るなんて……さ、神戸までひと踏ん張りだ……」


 美和さんは小さく頷き、首元の淡いピンクのスカーフが風に揺れた。


 「うん。彼さんが運転してくれてるから、安心して景色を見ていられる。おばあちゃんもきっと今頃『美和、今ごろ関門橋渡ってるかな』ってニヤニヤしてると思います」


 彼は照れくさそうに笑い、アクセルを優しく踏み込んだ。


 246GTのV6が再び「クォン! フォン!」と甲高く咆哮し、橋の頂上を越えて下り坂へ。


 エンジン音が潮風に溶け、246GTは本州側へと滑り込んでいった。



 

宮島SAで休憩(午前11時頃)


 山陽自動車道を走り、宮島SAに到着。


 246GTを駐車場に停めると、エンジンを切った瞬間に「フォン……」という余韻の高音が静かに消えた。


 展望スペースへ向かうと、瀬戸内海と宮島の大鳥居が遠くにぼんやりと浮かぶ絶景ポイント。


 春の陽光が海面をキラキラと照らし、桜の花びらが風に舞ってデッキに降り積もる。


 美和さんは手すりに寄りかかり、静かに海を眺めた。


 「ここ……本当に綺麗ですね。瀬戸内の海って、穏やかで優しい色してる……」


 彼は隣に立ち、246GTの方を振り返って微笑んだ。


 「ディーノも、この景色に映えますね。みんなチラチラ見てくるけど……美和さんが隣にいるから、なんか特別な感じがする」


 美和さんはくすっと笑って、レストランエリアを指さした。


 「じゃあ、軽く何か食べましょうか。牡蠣フライとか、アナゴめし……瀬戸内の味、味わってから神戸まで行きましょう」


 二人はレストランに入り、カウンター席に座った。


 美和さんは牡蠣フライ定食を、彼はアナゴめしを注文。


 熱々の牡蠣フライが運ばれてくると、磯の香りがふわりと広がる。


 美和さんは一口食べて、目を細めた。


「美味しい……」


 彼はアナゴめしを頰張りながら、静かに頷いた。


 「うん。この味たまらない……」


 食事を終え、二人は展望デッキに戻って少しだけ海を眺めた。


 246GTの赤いボディが、遠くの海と桜のピンクに映えて、まるで絵画のよう。


 遠目に数人がスマホを構えているのが見えたが、二人はもう気にも留めず、静かに息を吐いた。


 美和さんは彼の腕に軽く触れて言った。


 「ありがとう、彼さん。運転、すごく安心する。あと少しで神戸ですね……」


 彼は優しく頷き、246GTの方へ視線を戻した。


 「うん。もう少し、頑張って神戸まで行こう」


 宮島SAの展望デッキで、瀬戸内海の穏やかな青と遠くに浮かぶ宮島のシルエットをしばらく眺めた後、二人は軽くストレッチをして246GTに戻った。


 午前11時半を少し回った頃。


 春の陽光が海面をキラキラと照らし、桜の花びらがデッキに優しく降り積もっている。


 彼は運転席に座り直し、キーを回した。


 246GTのV6が一瞬「ゴロゴロ……」と低く喉を鳴らした後、すぐに回転が上がり、排気音が「フォンッ!」と甲高く鋭く切り裂くように響いた。


 クラシックフェラーリ特有の、金属を叩くような高音の咆哮——低回転では重厚にうなりながらも、少し踏み込むだけで「クォン! フォン!」と、耳に突き刺さるような鋭い甲高いサウンドが尾を引く。


 彼はハンドルを握り直し、軽くアクセルを踏んでみた。


 エンジンが「クォン……フォン!」と短く鋭く応え246GTがゆっくりと動き出す。


 彼は遠慮がちに回転を上げ、穏やかにシフトを重ねていく。


 それでも高回転域に入ると「フォン! フォン!」と連続して甲高く叫ぶように鳴り、春の高速道路に乾いた高音が尾を引いた。


 美和さんは助手席でシートを少し倒し、窓の外の景色を眺めながら静かに言った。


 「この音、神戸に近づくにつれて、どんどん大きく聞こえてくるね。あと2時間くらいで着くかな……」


 彼は前を向いたまま、穏やかに答えた。


「うん。宮島SAの味も、景色も、素敵でしたね。神戸まで安全に走りますよ……」


 246GTは山陽自動車道を北上し続ける。


 広島を過ぎ、岡山方面へ。


 高速の直線区間では、彼がアクセルを軽く踏み込むたびに「クォォン!」と鋭く伸びる高音が風に混じり、246GTの赤いボディが春の陽光に輝きながら、車線を滑るように進む。


 追い越し車線を走る他の車が、246GTの後ろ姿に目を奪われ、「今の……フェラーリだ!」という小さな声が、風に運ばれて消えていった。


 美和さんは時折、地図アプリをちらりと見て


 「次は岡山を抜けて、兵庫に入るね。神戸西ICまで、もう少し」


 彼は頷き、246GTのエンジン音に耳を傾けながら、

ハンドルを優しく握り直した。


 エンジンが高回転で「フォン! クォン!」と甲高く咆哮するたびに、彼の胸に小さな高揚感が広がる。


 クラシックカーのサウンドが、旅の緊張と喜びを同時に運んでくるようだった。


 午後1時半頃、神戸市内へ近づくにつれ、高速の流れが少し混み始める。


 彼は速度を落とし、246GTの低重心を活かしてスムーズに車線変更。


 エンジンが低回転に戻ると「ゴロゴロ……」と重く唸り、再びアクセルを踏むと「クォン!」と鋭く切り上がる。


 神戸の街並みが遠くに見え始め、六甲の山並みが春の柔らかな緑に包まれている。


 美和さんは助手席で、首元の淡いピンクのスカーフを軽く直しながら言った。


 「神戸市内、もうすぐだね。まずは岸本さんの眠るお寺へ……今は桜も満開のはずです」


 彼は静かに頷き、246GTのエンジン音に合わせてアクセルを優しく踏んだ。


 「フォン……クォン!」という甲高いサウンドが、

神戸の街へ入る瞬間を、力強く、でも優しく告げていた。


 246GTの赤いボディは、神戸の高速を抜け、市街地へ向かって滑り込んでいく。


 春の桜が街路樹に咲き乱れ、旅のクライマックスが近づいていた。




 古い寺院の山門をくぐり、石段をゆっくり登りながら、美和は静かに語り始めた。


 寺院は六甲山の麓に佇む古刹で、苔むした石垣と風化した瓦屋根が、長い歴史を物語っていた。


 境内には満開の桜が枝を広げ、淡いピンクの花びらが風に舞い、地面を柔らかく覆う。


 遠くに聞こえる鐘の音が、静かな山寺の空気を震わせ、線香のほのかな香りが漂っていた。


 古い石段は苔むした部分が多く、足元が少し滑りやすい。空気には桜の甘い香りが混じり、遠くから聞こえる街の喧騒が、まるで別の世界のように感じられた。


 美和さんの声は穏やかだが、時折、懐かしさが滲むように震える。


 寺院の本堂が石段の上に見え隠れし、黄金の仏像が陽光に輝いていた。


 周囲の木々が風に揺れ、葉ずれの音が静寂を優しく破る。


 墓前に着くと、美和は持参した小さな花束—白い百合と淡いピンクの桜の枝を束ねたもの—と、ミニボトルのウイスキーをそっと置いた。


 墓地は寺院の裏手に広がり、古い墓石が並ぶ中、師匠のそれは小さな石碑で、周りを苔と野花が囲んでいた。


 寺の僧侶が遠くで読経する声が微かに響き、霊園全体に荘厳な雰囲気を添えていた。


 キャップを外し、地面に少しだけ注ぐ。


 琥珀色の液体が土に染み込み、かすかなアルコールの香りが周囲に広がった。


 「これ、師匠が最後に召し上がった銘柄と同じなんです……」


 静かな風が、木々の間を通り抜け、桜の花びらを数枚舞い落とした。


 花びらは墓石に優しく触れ、まるで師匠の霊が応えているかのように見えた。


 彼は美和の隣にしゃがみ、同じようにウイスキーを地面に落とした。


 液体が土に吸い込まれる音が、静寂の中で微かに響く。


 「初めまして。よろしくお願いします」


 美和がくすりと小さく笑った。


 「……ふふ、何だかご挨拶みたいですね」


 「だって、初めて会うんだから。美和さんのお師匠さんだからちゃんと挨拶したくて……」


 美和は目を細めて優しく微笑み、それから静かに手を合わせた。


 彼女の指先が軽く触れ合い、目を閉じる姿は、祈りの深さを物語っていた。


 しばらくの間、二人は言葉を交わさなかった。


 周囲の木々が風に揺れ、葉ずれの音だけが時を刻む。


 美和の表情には、師匠への感謝と、永遠の別れの寂しさが混在し、頰に一筋の涙が伝うのを彼はそっと見守った。


 寺院の鐘が再び鳴り、遠くの山並みに反響する。

  

 墓参りが終わり、二人は静かに石段を下り始めた。


 桜の花びらが足元に散らばり、六甲の風が優しく頰を撫でる。


 美和さんは紙袋を胸に抱え、少しだけ足取りを緩めた。


 彼女の瞳には、穏やかな光と、どこか切ない影が混じっていた。


 彼は隣で、246GTの待つ駐車場の方へ視線を向けながら、美和さんの横顔をそっと見守っていた。


 彼女の肩が、ほんの少し震えているように見えた。



 

 石段の途中、寺院の参道脇に小さなベンチがあるところで、数人の男女が立ち止まっていた。


 50代後半から60代前半くらいの、落ち着いた服装の人たち。


 男性はダークグレーのコートにマフラー、女性は春らしいベージュのトレンチコート。


 全員が墓地の方を振り返りながら、何かを静かに話している。


 美和さんの姿を見つけると、一番前に立っていた男性がぴくりと肩を動かし、声が震えた。


 「……美和ちゃん?」


 その声に、美和さんの足がぴたりと止まった。


 彼女の瞳が大きく見開かれ、次の瞬間、涙が溢れ出した。


 「……佐藤さん……?」


 声が震え、喉が詰まる。


 佐藤さんは、Bar岸本の常連で、岸本さんが亡くなった後も何度か連絡を取っていた人物だった。


 彼はゆっくりと近づき、声が詰まりながら、涙をこらえきれずに頰を伝わせた。


 「美和ちゃん……本当に、美和ちゃんなんだな……こんなところで……会えるなんて……」


 佐藤さんの声は震え、眼鏡の奥の目が赤く潤み、涙が一筋、ぽたりと落ちた。


 隣の女性が、ハンカチを口に当てて、声を抑えきれずに嗚咽を漏らした。


「美和ちゃん……!元気そうで……よかった……本当に、よかった……!」


 美和さんの唇が震え、涙が止まらなくなった。


 彼女は紙袋を強く抱きしめ、声を絞り出すように言った。


「……佐藤さん、皆さん……私……来ました。岸本さんに……会いに……」


 常連さんたちは一斉に美和さんを取り囲むように近づき、誰もが目を赤くして、言葉を詰まらせながら彼女を見つめた。


 佐藤さんが、震える手で美和さんの肩にそっと触れた。


 その手は温かく、でも震えていた。


 「毎年、この時期に集まって墓参りしてるんだ。岸本さんの命日だから……でも、今年は……美和ちゃんに会えるなんて……夢みたいだ……ずっと、ずっと心配してたんだよ……」


 女性の一人が、涙声で、声を詰まらせながら言った。


 「美和ちゃん……元気だった?東京に居るって聞いてたけど……私たち、ずっと……美和ちゃんのこと、忘れたことなかったのよ……岸本さんの味、ちゃんと継いでくれてるんでしょ?継いでくれてるよね……?」


 美和さんは涙を拭いながら、深く頷いた。


 声が震え、言葉が途切れ途切れになる。


 「はい……今は、風花町って、九州の片田舎の町でのんびりBarをやってます。小さな店で……カウンター7席の……毎日、岸本さんの教えを守って……グラスを磨いて……お客さんの話を聞いて……ハイボールを注いで……」


 彼女の声が詰まり、涙がまた溢れた。


 佐藤さんが、優しく美和さんの背中を叩いた。


 その手は、父のように、兄のように、温かかった。


 「風花町か……静かなところで、美和ちゃんらしいな。岸本さんも、きっと……安心してるよ。『美和はちゃんとやってる』って……笑ってるはずだ……俺たち、毎年ここに来ては『美和ちゃん、元気かな』って話してたんだ。今日、会えて……本当に、よかった……」


 常連の女性が、ハンカチで目を拭きながら、美和さんの手をそっと握った。


 その手は、母のように、姉のように、優しかった。


 「美和ちゃん……ここまで来てくれて、ありがとう。私たち、毎年ここに来ては『美和ちゃん、元気かな』って話してたの。今日、会えて……本当に、よかった……岸本さんも、きっと……天国で泣いてるわよ……嬉しくて……」


 美和さんは握られた手を強く握り返し、涙声で言った。


 「私も……皆さんに会えて、よかった。常連さんたち……みんな、岸本さんを大切に思ってくれてて……今日、皆さんがここにいるって知って、岸本さんも喜んでると思います……私……ひとりじゃ、こんなに泣けなかった……皆さんがいてくれて……本当に、ありがとう……」


 佐藤さんは少し離れたところに停まっている246GTに気づき、目を細めた。


 涙を拭きながら、笑みを浮かべた。


 「あの赤い車……美和ちゃんの?」


 美和さんは涙を拭い、軽く笑って頷いた。


 声がまだ震えていた。


 「はい。おばあちゃんから譲ってもらったんです。今日はこの子で、風花町から神戸まで来ました」


 常連さんたちが一斉に246GTの方を振り返る。「フェラーリ……?」「ディーノだ、246GT!」「美和ちゃんらしいわね……」小さな感嘆の声が上がり、皆の顔に笑みが広がった。


 佐藤さんは感心したように息を吐き、涙を拭った。


 「岸本さんも、クラシックカー好きだったからな……風花町でのんびりBarをやってる美和ちゃんが、こんな車に乗って遠くまで来てるなんて、きっと今頃、墓石の上でニヤニヤしてるよ。『美和、いい車に乗ってきてるじゃないか』って……」


 美和さんは涙を拭いながら、ふっと笑った。


 声が震えながらも、温かかった。


 「そうですね……岸本さん、きっと『美和、のんびりやってるようじゃないか』って、笑ってると思います……皆さん……本当に、ありがとう……」


 常連さんたちは少しの間、懐かしそうに笑い合った。


 涙と笑顔が混じり合い、桜の花びらが全員の周りを優しく回る。


 風がまた桜の枝を揺らし、皆の頰を優しく撫でた。


 佐藤さんが静かに、でも力強く言った。


 「美和ちゃん、今日は本当にありがとう。俺たちも、岸本さんに『美和ちゃんが九州の片田舎で、のんびりBarをやってる』って報告するよ。今度、Bar風花に遊びに行くから……その時は、岸本さんの味、改めて飲ませてくれ。みんなで、ゆっくり……岸本さんの話をして、飲もう」


 美和さんは深く頭を下げ、涙声で答えた。


 「はい……ぜひ。待ってます。風花町の夜、みんなでゆっくり飲みましょう……岸本さんの分まで……」


 常連さんたちと軽く言葉を交わし、別れの挨拶を交わす。


 皆が互いにハンカチで目を拭きながら、墓地の方へもう一度視線を向け、ゆっくりと石段を下りていった。


 美和さんと彼は、246GTの待つ駐車場へ向かう。


 桜の花びらが二人の足元に舞い、風が優しく背中を押すようだった。


 駐車場に着くと、彼は246GTのドアを開けながら、静かに言った。


 声が少し震えていた。


 「……美和さん、皆さん、泣いてたね。岸本さんの周りには、こんなに温かい人たちがいたんですね……」


 美和さんは助手席に座りながら、涙を拭い、頷いた。


 声が詰まりながらも、優しく微笑んだ。


 「うん……Bar岸本の常連さんたち……みんな、岸本さんを大切に思ってくれてて……私も、今日、会えて……本当に、よかった……ありがとう、彼さん。ここまで連れてきてくれて……皆さんにも会えて、岸本さんにもちゃんと報告できました……」


 彼女は深く息を吸い、涙を拭って前を向いた。


 瞳に残る涙が、春の光にきらめいた。


 彼は運転席に座り、キーを回した。


 246GTのV6が「ゴロゴロ……」から「クォン! フォン!」と甲高く咆哮し、神戸の街へ向かってゆっくりと動き出す。


 桜の花びらがボディに残り、旅の続きを優しく彩っていた。

あとがき


 神戸ドライブ、いかがでしたでしょうか。


 この話は、Bar風花の美和さんの過去を少しだけ掘り下げた閑話で、岸本さんの命日を軸に書いてみました。


 実際の神戸の桜や、クラシックカーのドライブをイメージしながら、旅の途中の景色や再会の温かさを、ゆったりと描きたかったんです。


 ディーノ246GTのエンジン音は、調べながら想像して書いたけど、きっと本物はもっと心に響くんでしょうね……


 あの再会のシーンは、Barの常連さんたちの絆が、時を超えて繋がる瞬間を描きたくて。


 涙あり、笑顔ありの、春らしい締めくくりになったと思います。


 Bar風花は、こんな風に、カウンターの向こう側にも物語が広がってるんですよね。


 ただ、彼らの神戸の旅はまだまだ続きます。


 この後はまだ執筆中でどうなるかは私にもぼんやりとしたビジョンしかありません……


 読みに来てくださってありがとうございました。


 また気が向いたら、こんな旅の閑話や、日常のエピソードを書きたいなと思っています。


 それでは、またいつかカウンターで、あるいはディーノの助手席で。


天照(Bar風花)

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