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【Bar風花】第二章 アバディーン・アンガス ―猟師の休息と、琥珀色の温もり―

前書き


※超短編・冬の山とBarの温もりの話です

※猟の冷たさと、ホットカクテルの優しさだけ

※戦闘も恋愛もドラマもありません。ただ静かな夜の記録です


冬の山で獲物を仕留めた天と、老猟師・源三。

粉雪を纏ったまま路地裏のBar風花へ滑り込む。


カウンターの向こうで美和が静かに作るのは、

スコッチとドランブイを熱湯で溶かした伝説のホットカクテル

『アバディーン・アンガス』。


山の硝煙の匂いと、蜂蜜の甘い湯気が交わり、

猟師の震える手に、そっと温もりを届ける――


静かで、深い、琥珀色の夜の話です。

どうぞ、グラスを温めるようにお読みください。

第1章:山の静寂と銃声

 

 風花町の冬の山は、慈悲深くも残酷だった。

 鉛色の空から舞い落ちる粉雪が、獲物を待つ天の頬を刺す。隣に伏せるのは、この道の重鎮、源三だ。彼の持つ水平二連の散弾銃は、長年の酷使で染み付いた硝煙と油の匂いを放ち、天のSAKO 85の冷たいステンレス銃身と対照的な光を放っていた。

 「……引き金を引くのは、指じゃねえ。心臓だ」

 源三の低い掠れ声が、雪に吸い込まれる。

 その直後、一発の銃声が静寂を切り裂いた。仕留めた獲物の温もりを掌に感じたとき、天のIWC マークXXの針は、午後の終わりを指していた。

 

 

 

第2章:路地裏の扉

 

 「……場違いだったな。俺のような泥臭い男が来る場所じゃねえ」

 数時間後。風花町の路地裏、重厚なオーク材の扉の前で、源三は足を止めた。

 猟装のままの二人が、真鍮のランタンの柔らかな光に照らされている。天は静かに微笑み、扉に手をかけた。

 「ここには、命と向き合ってきた人を拒む境界線はありません。……さあ、源三さん」

 扉が開くと、そこには別世界が広がっていた。

 磨き上げられた鉄刀木のカウンター。整然と並ぶバカラのクリスタルグラス。そして、カウンターの奥で凛と立つ、オーナーバーテンダー・櫻庭美和。

 彼女の異色瞳が、入ってきた二人の山の気配を静かに受け止める。

 「お帰りなさい、天ちゃん。……そして、ようこそ『Bar風花』へ。素晴らしいお仕事(猟)をなさったようですね」

 美和の言葉に、源三は息を呑んだ。彼女の所作には、獲物を狙う瞬間の自分たちと同じ、極限まで無駄を削ぎ落としたプロの静寂が宿っていたからだ。

 「……手が、震えてやがる。寒さのせいじゃねえな、これは」

 源三が鉄刀木の一枚板に、節くれ立った大きな手を置く。

 

 

 

第3章:アバディーン・アンガス

 

 美和は何も言わず、バックバーから一本のボトルを取り出した。ザ・フェイマス・グラウスと、蜂蜜とハーブの芳醇なリキュール、ドランブイだ。

 美和はシェイカーを使わず、あえて耐熱のグラスを用意した。

 蜂蜜とライムジュースを少々。そこにドランブイの甘やかな香りと、スコッチの力強いピート香を重ねる。本来はショートカクテルだが、彼女はそこに、風花町の清らかな湧き水の熱湯を静かに注いだ。

 立ち上る湯気と共に、スコットランドの荒野の香りが店内に広がる。

 アバディーン・アンガス。

 かつて、極寒の地で雷鳥を追った猟師たちが、焚き火を囲んで冷えた体を、そして命を奪うことへの高揚と虚無を温めるために飲んだとされる伝説のレシピだ。

 「……どうぞ。アバディーン・アンガス、ホット・スタイルです」

 差し出されたグラスを、源三は両手で包み込んだ。

 立ち上る湯気が、彼の厳しい表情を解いていく。最初の一口を飲み込んだ瞬間、源三の喉の奥から、深く重い吐息が漏れた。

 「…………生きてるな」

 その独白は、今日仕留めた獲物への供養であり、自分自身の生命への確認でもあった。

 ドランブイの蜂蜜の甘みが胃を温め、ライムの酸味が疲れを洗い流す。そして、ベースのスコッチが、凍えていた魂に火を灯していく。

 

 

 

第4章:鉄刀木の上の和解

 

 「あんたの奥方、大したもんだ」

 源三が、隣で静かにタリスカーを嗜む天に言った。

 「この酒には、山の匂いがする。……俺たちがさっきまでいた、あの厳しい世界の匂いだ」

 美和は、クリスタルグラスを磨きながら、静かに目を細めた。

 「バーテンダーも、猟師さんも、同じだと思っております。……目の前の一瞬にすべてを賭け、それを静かに受け止める。その繰り返しですから」

 泥のついた源三の指先と、美和が磨き上げるクリスタルの透明な輝き。

 本来、交わるはずのなかった二つの世界が、アバディーン・アンガスという琥珀色の液体を通じて、完璧な調和を見せていた。

 天は、自分のSAKO 85を愛おしむように思い出しながら、妻の横顔を見る。彼女の異色瞳は、今、源三という一人の男の人生を祝福するように、優しく灯っている。

 「……ごちそうさん。生き返ったよ」

 最後の一滴を飲み干した源三は、立ち上がり、深く帽子を被り直した。

 店を出る際、彼は天の肩をポンと叩き、美和に向かって短く言った。

 「いい主に出会ったな、天の坊。……また山で会おう。その時は、俺ももう少しマシな面をしてここに来る」

 

 

 

第5章:冬の夜の余韻

 

 扉が閉まり、真鍮のランタンの揺らぎが収まる。

 店内には、微かな蜂蜜の香りと、天の持つライフルケースが放つ革の匂いだけが残った。

 「お疲れ様、天ちゃん。……素敵な方ね」

 「ああ、美和さん。……今夜は、君の作ってくれたあのカクテルに、僕も救われた気がするよ」

 天が美和の手をそっと握る。

 その手首で、愛用の時計が、新しい時間を刻み始めた。

 冬の風花町。冷たい雪の下で、次の命が芽吹く準備をするように、二人の夜は静かに更けていく。


あとがき


源三さんの「生きてるな」という独白と、美和のホットカクテルが胸に染みました。


山の冷たさと命の重さを背負ったまま来る猟師に、

Bar風花が差し出すのはただの酒ではなく「受け止める時間」なんだな、と改めて感じました。


短いけど、とても温かい夜の記録です。

読んでくださってありがとうございました。


またいつか、カウンターの向こうで。


天照(Bar風花)

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