優秀な婚約者だけでなんとかなるはずがない
「おまっ……それは絶対やめとけって!!」
王宮の執務室に、この国の宰相であるナロノー侯爵の絶叫が響き渡りました。
「えっ、そんなに?」
呆然と答えるのは、この国の現王であるリャボン陛下。国王と臣下の間柄ですが、幼馴染で長年の付き合いであり、二人きりのときはこうしてかつてのようにタメ口で話すほどの仲なのです。
「良いアイデアだと思ったんだけどなあ……」
「実現不可能ってことに目をつぶればな! もう一回ちゃんと考えろ!」
このところ、二人を悩ませているのはリャボン陛下の愛息子でありゆくゆくは後継ぎとなるラクボン王子殿下のことでした。
長年王妃との間に子が恵まれず、迎えた側妃からも娘しか生まれず、後継者問題に頭を悩ませていた中にようやく生まれた待望の王子。リャボン陛下の年齢的にもこれ以上の子作りは難しく、このまま行けばラクボン殿下こそ次代の王と目されるはずでしたが……。
「ああ、わかるよ。正室生まれの王子がいる中、側妃腹の王女を後継にするのは体面が悪いさ。でもリャボン、あの子はいくらなんでも……」
「だから、優秀だと評判の公爵令嬢を婚約者にしようと言ってるんじゃないか」
側室の娘という立場ながら聡明で、成人前から大人顔負けの頭脳で政治に参加しているジョイサ王女殿下に対し、ラクボン殿下はまだ五歳と幼いながらに『凡庸』……いや、むしろ『無能』の烙印を押されかけるほどに足りていない方でした。
勉強を嫌がって授業を抜け出し、剣術の稽古もふざけて遊んでばかり。婚約者や側近の候補となる同年代の令息令嬢と遊ばせれば、他の子供を虐めて笑う始末。叱られてもまるで理解せず、教育係は半ば匙を投げています。
「もちろんあの子も教育するさ。出来る限りの躾はする。それでも保険は必要だろう?」
リャボン陛下は悩みました。このままこの子を王太子にすれば、国が傾くこと間違いなし。かといって、側室生まれのジョイサ殿下を王太女にするのは現時点ではいささか無理筋。
そんな中、ちょうどラクボン殿下と同い年の公爵令嬢が、近年稀に見るほどの秀才であると噂されているのを耳にしたのです。
「噂の公爵令嬢は既に礼儀作法も完璧、早くも三ヶ国語を修めるほど勉強熱心だと聞く。彼女を婚約者に据え、ラクボンのサポートをしてもらえばいい」
「サポート、とは言うが、要するに尻拭いだろう? そんなことをして、その後どうなるか考えたのか?」
ナロノー侯爵の深いため息に、リャボン陛下はきょとんとした顔。
「怠け癖のあるラクボン殿下のことだ。『外交の時に相手国の言葉が話せなくても婚約者が代わりに会話をしてくれる』、『公務がさっぱりできなくとも婚約者が代わりに請け負ってくれる』……そんな状況になって、『婚約者の負担をなくすためにもっと努力しよう』と殊勝に考えると思うか?」
「む、むむ」
「『あいつがなんでもやってくれるから俺はやらなくていいや』、『あれはあいつの仕事だから俺は遊んでていいんだ』、そんな風に考えて、さらに遊び呆けるぞ。そして噂の真面目な公爵令嬢は、殿下が怠けた分さらに働く……」
後継を目される王子の婚約者とは、つまり未来の王妃。
もちろん、王妃は国王と同じくらい様々な公務に携わる多忙な仕事です。しかし、それよりもっと重要な仕事があります。
すなわち、国の未来を担う子を生すことです。
「令嬢が公務に忙殺されて夜を過ごすことができなくなり、それを良いことに『あいつは妃の職務を放棄している』などと吹聴し、愛妾や使用人に手を出して。しまいには平民を孕ませて『石女の妃なぞいらん、離婚だ!』なんて言い出す未来が見えないか?」
「むむむむむ……」
もちろん、ナロノー侯爵の主張はあくまで最悪な未来の想定でしかありません。
しかしリャボン陛下は、幼い息子が日々起こす大騒ぎを思い返し、『そんなことはありえない』と言うことができませんでした。
「あの公爵家は隣国とも関係の深い名家だ。令嬢を不当に使い潰して放逐したとなれば、下手すれば隣国との関係も悪化しかねん。国が滅ぶぞ、冗談抜きで!」
「ううう……」
どこの馬の骨ともしれない女を抱いて遊び呆け、国を潰した愚王。
終世笑い者にされる息子を想像し、リャボン陛下は頭を抱えました。
「……優秀な側近をできるだけ集めよう。ラクボンを諫め、道を正してくれるような人材で周りを固める」
「それもいいが、ジョイサ殿下が後継となれるような地固めも進めておけ。周りがどれだけ頑張っても、やらかす奴はやらかすんだ」
「ああ……」
リャボン陛下が愛息子の出来の悪さに肩を落とし、宰相の進言を聞き入れ方針を転換して、その十年後。
ラクボン殿下が王立学園で婚約破棄騒動を起こして廃嫡となり、ジョイサ殿下が立太子することになるのは、また別の話。
王子が成人前にわかりやすくやらかしてくれてむしろほっとした宰相