第7話 風の通る場所
春の気配が、ひそやかに街に降りていた。
冬の重たい雲がほどけ、風にやわらかさが混じりはじめた三月の朝。留譜は、珍しく目覚ましの鳴る前に目を覚ました。
布団の中で、しばらくぼんやりと天井を見ていた。
卒業式は明日だが、出席するつもりはない。スーツを着て人混みに立つ気力がどうしても湧かない。それに、会いたい人も、話したい人も、とくにいない。大学から送られてきた卒業証書の案内状を、机の隅で裏返しにしたままにしてある。
それでも、「終わるんだな」と思うと、少しだけ胸が波打った。
朝の風がカーテンを揺らしていた。布団を出て、窓を開ける。外の空気は冷たいが、どこかすっきりとしていた。深く吸い込むと、鼻の奥に春の匂いがした。
「風って、通るんだなあ……」
思わず、口からこぼれた言葉だった。
留譜は、そういう“通り抜けるもの”に、最近、少しずつ希望を感じていた。しんどさも、沈黙も、気力のなさも、決して“溜まる”ばかりじゃない。風のように、通っていくものならば、ずっとこのままではないのかもしれないと。
遅い朝食は、野菜のスープと玄米のおにぎり。ゆっくりと時間をかけて口に運ぶ。食べながら、湯気の立ちのぼるさまをぼんやり眺めていた。食事が「過ぎていく時間」であることが、今日は少しだけ心地よかった。
昼前、近くの公園へ出かけることにした。文庫本を一冊だけ鞄に入れ、ペンもノートも持たずに外へ出た。
公園は、いつもと変わらない。
子どもたちの笑い声、ベンチに座る老人たち、犬の散歩をする夫婦。何度も見た風景だけれど、今日はそこに少し「重なり」を感じた。過去の自分がこのベンチに座っていた記憶と、今日の自分がそこに腰を下ろす現在が、静かに重なっていた。
文庫本は開かず、膝の上に置いたままにした。
空を見て、風を感じ、木のざわめきを聴く。
そんな時間を、自分に許していい気がした。
近くで、おばあさんがベンチに腰かけていた。何か話しかけようかと思ったが、今日はやめた。ただ、すれ違うときに軽く会釈をした。おばあさんも、にこりと笑って会釈を返した。
それだけでよかった。
夕方、家に戻ると、母からメールが届いていた。
「明日は卒業式なのね。何も送らないけど、帰ってきたらまたごはん作って待ってるね」
留譜は、短く「ありがとう」と返した。
実家に戻ることも、もうすぐだ。正社員になるわけではない。しばらくはフリーターとして、国語の個別指導をしながら、自分のリズムで暮らしていこうと思っている。
子どものころの夢だった「先生」は、いまの自分には遠すぎる。でも、ほんの少し、その輪郭に触れることくらいはできるかもしれない。週に数回でも、誰かに言葉を教えることは、自分の言葉を見つめ直す時間になるはずだ。
夜、茶道部でもらった茶葉を出して、湯を沸かした。
茶筅を動かす手は、しばらく使っていなかったのに、自然に動いた。湯の温度、器の手触り、泡の細かさ。そういう細部にだけ意識を向けていると、自分の存在が少しだけ確かになる。
一服の抹茶を口に含む。
静かだった。
何も考えず、何も求めず、その時間に身を預ける。
——わたしは、わたしとして、こうしてここにいる。
それでいい。
それ以上の意味は、たぶん、いらない。
ふと、窓の方を見た。開け放したままだった窓から、夜風が通り抜けていった。カーテンがふわりと揺れ、部屋の空気が変わった気がした。
境界線のあいまいな日々も、何もないように見えた時間も、こうして少しずつ、風にさらわれていく。
明日は、大学に行かない。
でも、明後日は電車に乗って、実家に帰る。
次の日からは、少しずつ働く。たまに休む。散歩をする。
きっとそれが、自分にとっての「生きる」なんだと思う。
ベッドに入る前、もう一度窓を開けた。
星は出ていなかったけれど、風が通っていた。
——この風の通る場所に、わたしはいる。
そのことを、今日の終わりに、小さく確かめた。