第四話「震え」
夜だった。
同じ部屋、同じベッド、同じ布団。
永和は仰向けで天井を見つめながら、心臓の音を数えていた。
(ユーニスに……今夜、一つだけ頼みたいことがあるの……)
夕方、あんなふうに言われて――。
(いやいやいや、まさかな? いや、でもそれっぽくなかった? 言い方……間が……)
思春期男子の脳は、異世界でも容赦なく暴走していた。
だが、現実は――
「……この剣、お願い」
「……はい?」
差し出されたのは、一本の長剣だった。
黒と赤の金属で構成された、美しくも禍々しいデザイン。刃の根元に赤い宝石が埋め込まれていて、そこから微かに魔力の波動が漂っている。
「“魔剣〈ヴェルザリオ〉”。魔力を込めて使用する特別な剣よ。元々込めてた魔力が切れかけてるから、あなたの魔力を少し分けてほしいの」
「あ、ああ……なるほど……」
完全に拍子抜けした。
でも、別に、がっかりとか、そういうわけじゃない。
正直、助かった感もある。
(うん、そりゃそうだよな……)
ユーニスが使っている武器、ずっと気になっていたけど、近くで見るとやっぱりすごい。
装飾も造りも、ただの武器じゃない。
「この剣……もしかして、かなり高価なんじゃ」
「そうね。私の家族の形見。特別製の“魔導鋳造剣”。通常は魔力を消費して使うけど、これは、あらかじめ魔力を“込めておける”」
「つまり、使う時に自分の魔力を消費しないで済む……ってことか」
「そう。だから、旅を続けるには便利なの。魔力量が少ない者でも強力な魔術を扱える」
それって、相当レアなのでは――そう思いながら、永和は剣に手をかざした。
そっと集中する。いつものように、内側から湧き上がる熱を、ゆっくりと――
「うおっ、待って、それは多い!」
「え、マジ?」
「剣が焼ける!」
「ご、ごめん!」
反射的に魔力を引っ込めた。
再チャレンジ。少しだけ、少しずつ。
今度は、赤い宝石がゆっくりと光り、魔剣の刃がぼうっと淡い紅色を灯す。
「……うん、これで十分」
「お、おう。よかった」
安心した表情を見せたユーニスは、剣を大切そうに布に包み、椅子の背に掛けた。
「助かった。ありがとう」
「いや、こっちこそ……頼られるの、ちょっと嬉しいかも」
思わず照れくさいことを言ってしまったが、ユーニスはさらっと流した。
「じゃあ、消灯するわよ。明日、冒険者ギルドに行くから、朝は早いわ」
「了解」
部屋のランプの明かりが消され、静かな夜が訪れた。
だけど――
(……眠れない)
永和は天井を見たまま、眠気が来るのをひたすら待っていた。
異世界で過ごす夜は、まだ二回目。
街の喧騒は聞こえない。けれど、静かすぎる。布団の匂いも、空気の温度も、自分の世界のものとは違っていた。
(……落ち着かないな)
そう思っていた、その時だった。
隣の布団で、ユーニスが寝返りを打った。
「……ぅ……」
その声は、弱く、苦しげだった。
永和は思わず、顔を向ける。
ユーニスの額には汗が浮かび、握りしめた手は布団をぐしゃりと掴んでいた。
「う……や……めて……っ……」
(え……)
かすかな声。
それは、ただの寝言じゃない。
まるで、何かに苦しめられているかのようだった。
「ユーニス……!?」
声をかけようか迷いながら、そっと背中に手を伸ばし、ゆっくりと摩る。
細い肩が、びくんと震えた。
「……大丈夫、大丈夫だから……ユーニス……」
そのまま、ゆっくりと手のひらを動かす。
魔力は込めない。ただ、落ち着くように。
すると、少しずつ彼女の呼吸が静かになり、力が抜けていく。
やがて、薄く目を開けて、ユーニスがぽつりと呟いた。
「……ありがとう」
「……ううん。大丈夫?」
ユーニスはしばらく黙っていたが、小さく頷いた。
「……明日、早いから……寝たほうがいい。……ごめんね」
「いや、気にしないで……おやすみ」
それきり、ユーニスはもう一言も発さず、また眠りに落ちた。
けれど――
(すごく、苦しそうだった……)
あの表情、あの汗、あの掴んだ布団。
何か酷い悪夢を見ていたのは間違いない。
(……大丈夫かな)
そう思いながらも、永和はそっと目を閉じた。
心に一抹の不安を残したまま。
◇
翌朝――
「起きて」
ユーニスの声で目を覚ました永和は、瞬時に昨夜のことを思い出した。
だが――
「おはよ。そろそろ行くわよ。冒険者ギルド」
ユーニスは、普段通りの調子で言った。
寝癖もなく、服も整っていて、何より表情が晴れている。
昨夜の苦しげな様子は、微塵も感じられなかった。
「……うん、おはよ」
永和は、あえて聞かないことにした。
本人が言わないなら、今はそれでいい。
無理に踏み込むのは、優しさじゃない。
「さ、行こう」
「……はいっ!」
気持ちを切り替え、大きく返事をする。
そして二人は、宿の部屋を出た。