第二話「耳の無いエルフ」
「こっち」
ユーニスの声は、風に消えそうなほど小さいのに、不思議と耳に届いた。
その背中を追いながら、永和は森の中を歩いていた。
相変わらず森は深く、木々の間から洩れる光も少ない。さっき狼に襲われたばかりなのに、ユーニスはまるで恐れを知らないようだった。
「なあ、ユーニスって……エルフなんだよな?」
「だったわ。今はもう違うけど」
彼女はそう言って、ちらりと振り返った。
その横顔は、淡い月光に照らされて美しかったが、耳のあたりには、やはり痛ましい傷跡が残っていた。
エルフの象徴ともいえる長耳を、引き千切られた――そう思うと、永和は言葉を飲み込んだ。
「……ごめん、変なこと聞いたかも」
「いいのよ。別に隠してるわけじゃないから」
そう言ってユーニスはまた前を向く。
「その代わり、あなたのことも教えて。何者なの? “転生者”ってことで間違いない?」
「うん、多分。高校生だったけど……過労死した」
「かろうし?」
「えっと、勉強とか、進学とかで……追い込まれて……まあ、死んだ」
ユーニスは一度足を止めて、永和を見つめた。
「バカね」
「だよなあ。ほんと、バカだった」
ふたりは微かに笑って、また歩き出す。
やがて森が開け、小さな丘のような場所に出た。見晴らしがよく、空が開けていて、夕日が沈みかけていた。
草が柔らかく風に揺れ、鳥の鳴き声が響く。
「ここなら安全。魔物も少ないし、結界も張れる」
そう言ってユーニスは腰を下ろし、何やらポーチから石のようなものを取り出した。
「よし、じゃあ少しだけ、魔術の基礎を教えるわ。あなた、魔力だけはとんでもない量があるみたいだし」
「うん、でも……正直、さっきのも、自分でどうやったのか分かんないんだよな」
「本能的な暴発だったのよ。下手したら、自分も吹っ飛んでたわね」
「えっ、マジで?」
「本気で」
ユーニスは真顔だった。
「じゃあ、まずは“放出”からやってみましょう。何か形にしようとせず、ただ“出す”だけ。感覚的には、息を吐くように」
「息を……吐くように……」
永和は目を閉じて、両手を前に出す。
集中する。
体の奥に、もやもやとした、熱のようなものがある。それを外に出すイメージ。
「――はっ」
掌から、青白い光が放たれる。
その瞬間、ドンッ!という空気の破裂音とともに、前方の地面がえぐれた。
土煙が舞い、草が焼け焦げ、虫が逃げていく。
「……出すだけ、だよね?」
「……ええ、たぶん、それだけよね?」
ユーニスも呆れたように目を細める。
ただ魔力を放出しただけで、地面に爆発的な穴が空いた。
「簡易魔術しかできないっていうか……放出しかできない……」
「うん、でもまあ、それなりに強いな」
永和は笑った。
ユーニスも苦笑いしていた。
「基礎魔術すら使えないのに、その破壊力。あなた、ある意味いちばん面倒なタイプよ」
「うん、なんとなく分かってきた。俺、どうやら“魔術師”じゃなくて“爆破師”だな」
「はは……ははは」
ふたりはしばらく笑った。
夕日が完全に沈むころには、笑い声は風に溶けて消えていた。
◇
「今日はここで寝るわよ。夜に動くのは危険」
「了解」
ユーニスは手際よく、結界石を四隅に配置し、簡易的な防護魔法を発動した。
淡い光が四角く空間を包み込み、虫の鳴き声すら遮られる静けさが広がった。
永和はその場に腰を下ろし、袋から果物を取り出した。
「これ、食べられるやつ?」
「うん。ユルベの実っていうの。甘くて水分も多いわ」
一口かじると、梨に似た爽やかな甘さが口に広がる。
「うまい……」
「水もあるわ。泉の近くで汲んできたもの」
「なんか……転生してからの方が、健康的な生活してる気がする」
「前の世界、そんなにひどかったの?」
「うん……ひどかった。いや、俺が弱かっただけかもだけど」
空を見上げる。
星が、びっしりと瞬いていた。
地球の空とは違う、冗談みたいな数の星。どこか幻想的で、美しかった。
「この世界って、どんな感じなんだ?」
永和の問いに、ユーニスは静かに答える。
「大陸は三つある。私たちがいるのは〈テオルナ〉っていう大陸。その中でも今は辺境の〈レインノス森林域〉よ」
「国家とかあるの?」
「あるわ。いくつも。でも、統一されてるわけじゃない。争いも多いし、魔族や魔物もまだまだいる」
「魔族……か」
ラノベの設定そのまんまだ。
でも、それが現実だった。
「ちなみに、転生者ってよくいるのか?」
「そうね……年に一人いるかどうか。あなたで……私が知ってる限り、七人目」
「へえ……結構レアだな」
「ええ。そして、だいたい全員、派手に死んでる」
「えっ」
「異常な魔力量、異質な精神性、そして何より……この世界に合わない“考え方”。それが、早死にの理由」
「……なるほど」
永和は、自分の胸に手を置いた。
確かに、さっきの爆破だけでも、自分がどれだけ危なかったかが分かる。
「だから、教えるわ。できる範囲で。あなたが死なないように」
「ありがとう」
そう言うと、ユーニスは少し照れたように肩をすくめた。
「別に、あんたのことが特別ってわけじゃない。ただ、似てる子がいたからよ」
「似てる?」
「ええ。前にいたの。あなたみたいに、魔力だけは多くて、でも制御できなくて……」
言葉を濁したユーニスの瞳には、少しだけ哀しみがにじんでいた。
それ以上は聞かなかった。
夜風が吹く。
冷たくて、澄んでいて、どこか懐かしい風。
「じゃあ、今日はもう寝る? 明日からまた、練習しないと」
「うん、そうする」
二人は草の上に並んで寝転び、ユーニスは小さな光の魔法を灯した。
暖かい光が周囲を包む。
眠気が、ゆっくりと永和を包み込んでいく。
「……なんか、不思議だな」
「何が?」
「転生してすぐなのに……なんか、ちょっと落ち着いてる気がする。ユーニスがいてくれるからかも」
「……調子いいこと言って」
ユーニスはそう言ったが、少しだけ笑っていた。
その夜、永和はぐっすりと眠った。
異世界で迎える、最初の夜だった。