第一話「スキルも、剣術も、召喚も…」
心臓が、ゆっくりと止まっていくのが分かった。
脳の奥で、ぶちぶちと糸が切れていく音が響いていた。
「……ああ、もう……無理だな」
村上永和は、机に突っ伏したまま、最期の意識でそう呟いた。
――あずま高校。自称進学校のその名のとおり、授業は詰め込み、補習は無限にあり、教師の口癖は「国公立が全てだ」。
毎日、三時間睡眠。昼休みはセンターのマーク模試の自己採点。夜は二十二時に学校を出てからの、塾。
それを三年間、真面目にこなしてきた。
それでも、第一志望に落ち、第二志望にも届かず、滑り止めの私立は親に許されなかった。
「国公立以外は進学と認めん。金の無駄だ」
父親の言葉を思い出しながら、永和は最後の一枚の英語長文問題を見つめていた。
そして、落ちた。
目の前が、すとんと暗くなる。
まるで、深い井戸に落ちていくように。
静かで、冷たい――死だった。
◇
目が覚めたとき、永和は自分が裸で、どこかの泉に浮かんでいるのを知った。
肌は温かい湯に包まれ、空は青く、森のざわめきが耳に届いてくる。
「……え?」
戸惑い、立ち上がる。湯の中から出た体は、なぜか痛みも疲れもなかった。
鏡のような水面に映る自分の顔は、そのままの十八歳の姿。死ぬ前と変わらない。だが、確かにあのとき、自分は――
「死んだんじゃなかったのか……?」
すると、頭の中に、誰かの声が響いた。
『ようこそ、転生者よ』
反射的に後ずさったが、周囲には誰もいない。
『お前は死に、選ばれし存在として、我が世界に転生した。代償として、能力は一切与えられない。ただし――』
「……ただし?」
『お前には、ただひとつ、“魔力”を与えよう。常人の千倍、万倍の、計測不能な魔力をな』
「……いや、それ、使い道ないと意味なくね?」
永和は思わず、突っ込んでいた。
スキルも、剣術も、召喚も、何もない。
魔力だけあっても、それを使う術がなければ、意味がないではないか。
『ふむ……それは己で見出すが良い。我が世界で、生きよ』
声はそれきり、消えた。
「……マジかよ」
泉のそばには、なぜか服と靴と、水筒、そして謎の果物の入った袋が置いてあった。
永和はそれらを身に付けながら、静かに呟いた。
「……異世界、ってことだよな」
頭のどこかで、「ラノベっぽいな」というツッコミが浮かんだが、すぐに現実感に押し流される。
空の青さ、森のざわめき、肌を刺す風の冷たさ。夢ではない。
永和は、一歩、森の中へと踏み出した。
◇
森は深かった。道らしい道もなく、獣の鳴き声と、不穏な気配ばかりが漂っていた。
空腹がじわじわと胃を締め付ける。
朝も昼も何も食べていない。転生してから時間の感覚が曖昧だが、腹の音がすべてを物語っていた。
「……あの果物、食っとくんだった」
後悔しても遅い。もう森の奥まで来てしまった。
そんな時だった。
木々の向こうで、何かが動いた。
カサ……という音とともに、低く唸るような声が響く。
「……っ」
狼だった。
灰色の体毛に、血の滲む牙。三匹いる。その目は、確実に永和を「獲物」として見ていた。
足が、震えた。
逃げても無駄だと直感する。
目の前の狼は、狩り慣れていた。素人の動きなど見透かしている。
死ぬ。
また死ぬ――
「やだ……やだ……!」
永和は無意識に叫んだ。
その瞬間だった。
空気が震えた。
体の奥底から、溢れ出すような熱が、一気に弾け飛んだ。
眩い光が爆発する。
風が巻き、森がうなり、狼たちはその場で動きを止めた。
次の瞬間――
ズドンッ!!
轟音と共に、光が狼を焼き払っていた。
焼け焦げた匂いと、熱気と、震える木々。
そして、永和の手は、なおも蒼く輝いていた。
「……な、なに、今の……」
呼吸が荒い。だが、確かに「使えた」。
スキルではない。呪文でもない。
ただ、死にたくないと願った時、魔力が暴発し、敵を焼いた。
「魔力……か」
その力を、使えるということだけは、分かった。
そしてその時、背後から、足音がした。
ぱさり――と落ち葉を踏む、軽やかなそれ。
「……やりすぎよ」
女の声だった。
振り返ると、そこに立っていたのは、一人の少女。
金色の長髪に、黒いフードをかぶっていた。
けれど、永和はすぐに気づいた。
彼女の耳が、なかった。
いや、正確には――引き千切られたように、両耳が欠けていた。
昔につけられた傷のようだったが、ひどい傷跡である。
「あなた、転生者?」
少女の目は、澄んでいて、どこか冷たい。
「え……いや、あの、そう……なのかな」
動揺する永和に、少女は近づいてきて、彼の手のひらに触れた。
そこにはまだ、魔力の痕が淡く残っていた。
「……すごい量の魔力。だけど、制御がまるでできてない」
「まあ、今初めて使ったから……」
少女はふっと笑った。
だがその笑みは、どこか寂しげだった。
「あなたみたいな子、初めてじゃない。だけど、長くは生きられないわ。そのままだと、いずれ暴走して、死ぬ」
「……っ」
少女の手が、永和の額に触れた。
「名前は?」
「村上永和……むらかみ、とおわ」
「そう……私はユーニス」
彼女はそう名乗ると、フードを外した。
耳のないエルフ――その正体を、はっきりと見せるように。
「ついてきなさい。まずは、魔力の扱い方を教える。死なせたくないから」
「なんで、そんな……」
少女――ユーニスは、背を向けながら呟いた。
「昔、助けられなかった子がいるの。……あなたには、間に合うかもしれないから」
その背中に永和は知らず知らず、異世界の森の中、足を踏み出していた。
第一話をお読みいただき、ありがとうございます!!
これからどんどん話が盛り上がっていくので、是非たくさん読んで欲しいです!!