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見放されていた教区

 ニルフは20才、ルカーニは33才になった。


 ハルジャーが司教となった教区は今、領民の幸福度は上がっているが、チャンドラーが就任する以前は違っていた。





◇◇◇

 まだチャンドラーが司教だった時。

 ミザロワ神父が犯罪を告発した際、恐らく司教の責任も問われると思われたが、国王ユハネは貧しい教区で奮闘するチャンドラーに、責任は問えないと不問にしたことがある。


 実はチャンドラーはユハネの従弟だった。

 ユハネは彼の境遇に心を痛め援助をしたかったが、周囲を固める側近貴族がそれを阻んでいたのだ。





 ミザロワ神父は王都から離れたこの地域で、身分を悪用して人身売買等を行い、私腹を肥やしていた。


「こんな田舎では、取り締まる警らもいない。

 どうせ金も食料もなく、今日死ぬか明日死ぬかばかりの者ばかりなのだ。

 ある意味、人助けになるだろう。

 ふひひひっ」


 秘密裏な調査中、そんなことを呟く彼の勝手な理由に反吐が出たニルフ。

 ミザロワ神父せいで、人権を奪われ奴隷のように売られた人達がどれくらい居たのだろう?


 今も彼らは生きているのだろうか?

 その後の捜索でも行方が知れぬ者が多く、足どりのなさから既に死んでいると思われている者もいた。


 そして美しいニルフも、その被害者(えじき)になっていた可能性が多分にある。


 それでも以前はそれが目立たないほどの、余裕なんて微塵もない、生きるだけで精一杯の辛い場所だった。



 そんな(ミザロワ神父)を裁く為に数年を費やし、チャンドラー、ハルジャー、ニルフ、他にも善良な神父達が協力して悪事を摘発していった。


 そこに辿り着くまでには、少しずつ有能な人材を集め、時には育てるまして機会を待っていた。

 

 問題が山積みでも決して諦めず、少しでも教区の被害が減るように、巡回や調査を続けていたチャンドラーとハルジャーの思いは、時を経て報われたのだった。





◇◇◇

 チャンドラーは、元は次期大司教と言われるほど優秀で敬虔な、将来の枢機卿候補だった。

 だが不正を嫌う彼の生き方は、権力で腐敗した教会総本部、ひいては高位貴族達に嫌厭された。


 ファブルア公爵家の三男で身分もある彼だったが、大司教の策略により奸淫したと罪を着せられ、現在の教区に流されたのである。


 ハルジャーは当時から、チャンドラー直属の部下だった。本来彼は、国王ユハネの諜報役の任務も兼ねてチャンドラーに付いていたが、真っ直ぐすぎる彼を気に入り心配もしていた。

 時に危害が加えられそうな時は、彼を影ながらに守ってもいたほどだ。


 その為複数の司祭仲間と無実を訴えたのだが、被害にあったと言う女性の証言が有効とされ、覆ることはなかった。

 彼の調査で女性は金で雇われたことは分かっていたが、その女性が自殺に見せかけて殺害されたことで証拠が消されてしまった。

 さらにはその女性が、自分のせいでチャンドラーが左遷されると悩んでいたと言う噂まで拡散されたのだ。



 生家のファブルア公爵家には、秘密裏に教会総本部から大金が積まれたことで、醜聞となったチャンドラーを守らず廃嫡にした。元々拝金主義の彼の父親は、あっさり彼を捨てたのだ。


 彼の荷物を馬車に積み込み、「もう帰ってくることは許さない」と、父公爵は一言だけ述べて邸に戻っていく。


 母親は泣きながら「助けてあげられなくてごめんなさい。でも……何とか生き抜いて、ふっ、ぐすっ……」と、謝りながら、自分のペンダントを首から外して彼の手に握らせた。困ったらお金に代えなさいと言いながら。


 それは父公爵に見られないように渡された、母親の数少ない祖母から送られた装飾品だった。父公爵は妻を蔑ろにし愛人に貢ぐ男だったから、宝飾品が殆どなかった。彼も子供の頃からそれを知っていた。


 その刹那、彼を強く抱きしめて囁く母親。


「許さなくて良いから。絶対に死なないで…………」

「あ、ありがとうございました。

 母上もお元気で……あぁ」


 頭を深く下げて彼も涙を堪えらぬまま、乗り込んだ馬車は走り出した。

 それが母親との生涯の別れになった。




◇◇◇

 チャンドラーは左遷扱いで、王都から程遠くの教区へ移動となり、王都との違いに愕然としたのだった。


 王都の周辺は気候も良く、冬季になっても肌寒いだけで一年中農作物が収穫され、王城の後方にある銀鉱山は含有量が多く確認され、加工された商品はこの国の特産品になっている。


 そう王国は裕福であり、その恩恵は中央の貴族と王都周辺の民だけに分配されていたのだった。



 帳簿上ではこの教区にも予算は配分されているはずだが、実際にはここまで来るのに護衛代や運送代金が酷く上乗せで搾取され、ほぼこの地までは届かないようだった。


 ここは王領だが、最果ての地には代官も寄り付かず、ただただ税金を納めるようにと、司教に連絡が届くだけだと言う。



 おまけに畑となる土地は痩せ、大きな山々には猛獣や魔獣が闊歩する最悪の場所だった。

 さらに一年の半分は、雪に覆われる寒い場所なのだから。

 ここに住むのは流れて来た、訳ありの者が大半だった。

 辛うじて成り立っていたのが、冒険者が立ち寄る宿屋と酒場。その経営は引退した冒険者が行い、孤児院の子供に手伝いを依頼し、労働力は孤児院に渡す善意の経営で。

 僅かでもこの地が潤うように願い、儲かることを念頭としない人が集まっていた。


 

 冒険者の中で、村の惨状を憐れみ物資を提供する者や、逆に警らのいないこの地でたがを外して暴れる者とに分かれていた。それでも外貨を落とすのは、殆ど冒険者だけなので、乱暴な者の受け入れも拒否は出来ない状態だった。



 チャンドラーは持ち込んだ私財をすべて換金し、6つの教区に分配した。臨時な資金なので、熟慮して使って欲しいと伝えながら。


 その姿勢に冒険者や宿屋や酒場の人間は、少しずつ期待していた。この地が変われることを願って。


 まずは食べることと考え、宿屋の女将や旦那に手伝って貰いながら、炊き出しを始めていく。

 泣きながら暖かな茶碗を握りしめた者は、今でもそれを忘れていない。


 援助を十分に出来ず、歯がゆい思いをしていた者もまた、目元が緩んだ日だった。




◇◇◇

 けれど、貧しくても悪い奴はどこにでもいて……。


 届いた僅かな補助金を使い込む、やる気のない神父や助祭達は、村人達を端金で召し使いや娼婦のように扱っていた。

 およそ到底神に仕える者とは呼べないクズ。


 それでも雇われる方の同意があれば、チャンドラーが諫言しても無駄なことが多かった。

 悪いことだけ頭がまわり、契約書を盾にしてくるのだから。


 それだけ貧しい生活は、格差を生んでいったのだ。

 正義だけでは解決しないことは多すぎて…………。



 でも諦める訳にはいかないと、強く誓うチャンドラーとハルジャー。




◇◇◇

 ニルフやカインが教区に捨てられた頃、同時期に幼い子供や赤ん坊が捨てられていた。


 そもそも貧しい地で赤ん坊が生まれることは殆どない。

 もし仮に妊娠しても山に生えている堕胎草で流すか、そもそも栄養不良で生理が止まっているからだ。

 それでなくとも、そのような行為の前には妾のような者は、避妊薬の茶を飲んで予防に心がけているのだ。


 明日をも知れない地で、満足に子を育てることが出来ないと知っているからだ。



 妊娠を継続して暢気に生んで捨てるのは、王都で優雅に浮気をする貴族夫人くらいだ。

 子が生まれてから、肌色や髪色が違うと捨てることもあったとか。

 時には若い貴族が婚約前に妊娠し、相談できずに堕胎できず子の処置に困ったこともあるだろう。


 教会の教えにより生まれた子を殺すのを躊躇い、遠く王都の教区から離れた、最果てからそれに近い教区に移すのは、身ばれを防ぐ為か未練を切り捨てる為か。


 裕福な王都の孤児院でなら、生きることだけなら難しくはないだろうに。

 貴族達の汚点となる子供達だけは、裕福ではない地に送られてしまう。



 けれど貴族や王族には、魔力を保有する者が多い。

 ニルフはまあ、特殊な例だ。

 一般に魔国と呼ばれる遠いブランケルン王国から、ベリーとアストラに連れて来られたのだから。


 ちなみにカインは、チャンドラー教区のミザロワ神父の元に捨てられていた。

 貴族の侍従は少しでも裕福そうな教会を探して預けたのだろうが、それは子供達を売ったお金で整備されたものだったから、誤った選択であった。


 偶然にアストラに引き取られたから良かったものの、魔力目当てで買われた子供も、以前にはいたことだろう。

 

 


◇◇◇

 ルカーニの母ララナの生家である子爵家では、ルカーニが追い出された後に、チャンドラーの教区に寄付を開始している。


 前子爵の息子である、ララナの兄ルヴァンの子は二人いる。

 一人はジャック(妻はルカーニの友人ベルナ)

 もう一人はジャックの弟、ニックである。

 


 彼らは元々小さな商会を持っていて、隣国とも食品の取り引きをしていた。

 ルヴァンの妻ルビーナは平民だが、父親は王国では大きな部類に当たる商人だったので、ルビーナも結婚後それを真似たのだ。

 愛娘のやることに父親は快く力添えをして、順当に利益を出していたから、ルカーニのことを知った彼女も黙ってはいられなかった。


 それはルカーニの祖父母もルヴァンも、ジャックとニックも同様だった。

 特にジャックは母親譲りの美しさを持ち、武術に心得があることで、王宮の近衛騎士にもスカウトが来るのではと囁かれていた。

 後に見目の良い彼は、側妃達に愛人候補として狙われていたことが判明した。


 後に事実を知った彼からすれば、「うえぇ~、気持ち悪い」の一択である。

 結論から言えば彼は冒険者となり、即チャンドラー教区の役に立ちたいと考え家を飛び出した。


 それには可哀想なルカーニの役に立ちたい、様子を見たいと言う気持ちが強かったようだ。

 

 けれど影から見た彼女は懸命に頑張っており、笑顔でいることが多かった。それに下手に自分が手を出して、生家に知られると良くないと思ったのだ。


「追い出しても、探しもしないルカーニの家族だもの。

 見つかったらまた酷い目にあいそうな気がする」



 そういう感じでジャックは密かに教区全体に援助し、暮らしを助けたのである。

 教区で作った物をルビーナが買い取り、教区の現状を話して善意の人に購入して貰い、それを還元したのもルカーニには内緒にしていた。


 ルカーニの死亡届けが出され、除籍されるのをみんなが待ち望んでいたのである。


「これでもう、伯爵家は手が出せない」



 そんな背景があったのだ。





◇◇◇

 表向きチャンドラーは奸淫の罪と、相手の女性が自殺したと言う醜聞がある。

 だがここで暮らす者に、それを信じる者はいない。


 真面目すぎるチャンドラーは、女性との握手でも緊張する奥手なのだから。

 また真剣に教区を守ろうとする彼の姿勢は、虐げられた人々の心をも癒した。


「この方なら信じられる」


 辛い目にあって来た者達に、チャンドラーの真心が伝わったのだ。

 人間不振の彼らは、正しき心を持つチャンドラーを信じることで、少しずつ立ち直ることができたのだ。


 それは勿論、すぐにではない。

 長い年月をかけて、漸くとだった。




◇◇◇

 子爵家やルビーナは勿論、それに賛同する者も増えていくが、それはそれは秘密裏に動いていた。


 この最果ての地が潤ったと知れば、さらに高い税金だけが徴収されそうだからだ。




 その為にハルジャーは国王ユハネには、この地のことを内密にすることを打診した。


 それは真夜中の、ユハネの寝室でのことだった。


 ユハネは頷き、「勿論だよ。私が不甲斐ないばかりに済まないね」と謝罪し、「これを持って行って」とある種を彼に渡した。


「これは王国に保管されている世界樹の種だ。多くの洗練された魔力を与えないと発芽しないそうだ。

 まだこの国では見た者がいないから、世界樹とは分からないだろう。

 万能薬らしいから、育てて見てくれ。

 薬効はお前達の方が、私よりも詳しく学んだだろう?


 伝説だと思われているから、最果ての地が狙われる心配もないだろうから、持って行くと良い。

 たぶんこの腐敗した王都では、もう無理だから。

 もし花が咲いたら、種はお前の教区で保管して置いてくれ。



 私の力が及ばず、苦労をかけたね。

 ハルジャー、それにチャンドラーにも」


「ありがとうございます、ユハネ様。私の我が儘で、その身を離れたことを許して下さって。

 生涯感謝することはあれど、謝罪は必要ありません。


 本当に、ありがとうございました」


「うん、うん。あんなに尖っていたお前が、素直になって。大人になったねえ。

 そうだね、お互いに年を重ねたが正解か。

 良い顔をしているよ。

 今幸せなんだね」


「はい、とても……うっ」

「お前は私にとって弟のようだった。そのお前が幸せなら、こんなに嬉しいことはないよ。

 良かった」



 ユハネはハルジャーの背を撫で、微笑んで別れを告げた。

 ユハネの元には、教区で取れたブドウで作られたワインが10本残されていた。


 あの痩せた土地は何年も改良が続けられ、ブドウがなるまでに成長したのだ。


「聖職者の唯一の贅沢品を……ありがとうね。

 ハルジャー、チャンドラー。

 力になれなかった私の為に…………」


 国王ユハネは精一杯に、遠方の教区の生活改善を訴えたが、それに頷く議会ではなかった。

 自分達に損になることに応じるような者は、城にはいなかったのだ。


「驕れる者は身を滅ぼすだろう。

 力なき私のせいだな…………。


 もしかしたら、あの地が次の王都になるかもしれないね」




 王国に残された種は5つで、ハルジャーに渡されたのは3つ。

 きっと5つは、そのまま眠り続けるだろう。




 アストラと共に移動してきたハルジャーは、ユハネの部屋から再び転移で教区に戻った。


『世界樹の種』をお土産にして。



 ユハネの思惑通りなのか、この地には魔力溢れた子供達が多く、その力で魔獣を狩っていた。

 普通に、食べたり売る為に。

 この行為が知らぬ間に、魔力操作を身に付けることになったのだから面白い。


「こりゃ、世界樹の復活もあるかもな!」


 ハルジャーと、彼から話を聞いたチャンドラーは、開かれた大地と子供達を見て微笑んだ。


「医者がいなくて、病気は魔力頼みでしたからね。

 うまくいけば心強いですね」

「ええ、絶対大丈夫ですよ。チャンドラー様」



 今では飢える者がいなくなった教区では、楽しげな未来を夢見ることができる。


 それはチャンドラーが、長年夢見た願いだった。





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