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ルカーニのこと

 ニルフは教会に捨てられていた子供。

 だから親が誰かなんて知らない。


「子供達は大事な労働力になる。生かさず殺さず育てるんだ。分かっているね、助祭ニルフ君」


「心得ております。ミザロワ神父。大事に育てます」


「期待しておるよ。この教会の利益を産むことを。ふぉふぉふぉ」


※教会では、教皇を頂点に、枢機卿、大司教、司教、司祭、助祭の階層がある。司祭 は神父と同義で、一般的に教区で信徒を指導し、ミサや儀式を執り行う。助祭は司祭を補佐する者。





 ニルフは教会で育ち、その美しさと知性ゆえに助祭に引き立てられた。

 雪降る寒い冬の夜に教会のシスターに発見された彼は、そのまま亡くなると思われた。けれども奇跡的に命は繋がれ、成長したのである。


 それはシスターである、ルカーニ(当時13才)のお陰でもあった。

 既に泣くこともなく、死を待つように冷たくなっていたニルフを抱きしめ、彼女は祈った。


「親もなく生きるのは辛いこと。このまま神に召される方が幸せかもしれません。けれど、私は貴方と出会ってしまいました。恨んでも良いから、どうか生き延びて下さいね」



 ルカーニは治癒の力が使えた。

 その力で、今にも消えてしまいそうなニルフに、生命の息吹を吹き込んだのだ。


「オギャー、オギャー、オギャー、オギャー……」


 そうしてニルフはこの世に残ったわけである。

 名付けもルカーニがした。

 自分の名を分け与えるように。





◇◇◇

 現在33才のルカーニは、貴族として生まれた。

(この後は、ずっと若かり日のルカーニの話が続きます)


 けれども実母が死に、後妻に入った義母は実母より高位の貴族であった為、実父も父方の祖父母達も義母の味方となり、ルカーニを除け者にした。


 先妻とルカーニに仕えていた使用人達は、ルカーニを庇う者からクビにされ、とうとう誰も居なくなった。


 義母の子供が生まれるとそれはさらに顕著となり、家族からも使用人からも、まるで居ない者のように扱われた。窓さえない、物置である地下室が彼女の部屋になった。


 失敗を繰り返しながらも、身のまわりのことは自分で行えるようになった彼女だが、僅かながら与えられていた食事さえ、新しく入った使用人達から忘れられ、ひもじさから屋敷に続く階段を登った。


 その時に偶然に廊下で出会った義弟が、彼女を見てこう言ったのだ。


「何だ、この乞食は。僕の家に入り込んだのか、汚ならしい。今すぐに、外に出せ!」


 この時、義弟であるリファイン(4才)は、彼女のことを知らなかった。義母フランベーナはルカーニのことを隠していた。異母姉に興味を示さないように、存在そのものを。


 だからこの時、本当に彼は乞食だと思ったのだ。

 貴族家に、そのような者が入り込めるはずがないのに。



 さすがにルカーニのことを知る、使用人は躊躇した。

 けれども普段からルカーニへ満足に食事を与えず、餓死させようとしたのだと思った彼らは、彼女に価値を見出だせず、リファインの指示に従った。


「ほら、出ていくんだ。リファイン様の命令なのだから」


 絶望の表情を浮かべるも、すぐに諦めて頷くルカーニ。

「あ、そんな……。はい…………」


「ふんっ、早く行け。憲兵を呼ばぬだけ温情と思え」




 腕を組んで不機嫌にするリファインに怖じ気付いて、ルカーニは玄関の門を潜る。振り返ることもせずに、トボトボとクラビット伯爵家に背を向けて。





 その後、夕暮れの町を俯いてふらつきながら歩く彼女(ルカーニ)に声を掛けたのが、チャンドラー司教である。彼女を捨て子だと思い、自分の馬車に乗せて、担当する教区にある教会を目指すのだった。


「私は司教のチャンドラーです。王都には用事で来ていたのですが、これから田舎に戻ります。

 貴方は困っているのではないですか? 

 もし手助けが必要ならば、一緒に行きませんか?」


 もう初老となるチャンドラーは、薄毛の好好爺の風情だ。実際に高潔な人格者である。


 それでも、初めて会う人物に警戒するのは当然のことで。

 でも…………。


 ルカーニはその手を取った、泣きながら。

「助けて下さい。家を追い出され、行き場がないのです。それにとってもお腹がすいて、いるの……」


 空腹で何時間も歩き続けていた彼女の精魂は尽き果て、安堵した瞬間に意識を手放した。




「ああ、大丈夫ですか? 取りあえず馬車に乗せましょう。ハルジャーよ。この子を馬車に」


「ですが、チャンドラー様。刺客と言う可能性もあります。危険です」


「ホッホッ。私の僅かな寿命の心配より、この子の方がよほど尊いです。ですから、ね」



 チャンドラーを心配する神父のハルジャーだが、そう言われては断れず、指示に従う。

 よく見るとその女の子は、骨が浮くほど痩せており、服もブカブカだ。けれどスカートの丈は短く、チグハグに見える。

 顔も腕も薄汚れていて、ずいぶんと風呂どころか拭かれてもいないようだ。



「……親が死んだのでしょうか?」

「分かりませんねえ。でもこの服の生地は、良い物のようです。訳ありでしょうかねえ?」


「そんな子供を連れて行かれて、大丈夫ですか? 反対派閥がチャンドラー様を攻撃する材料になりますよ」

「……ハルジャー。私達は神に仕える者ですよ。何の為にこの地位を得たのか。間違ってはいけません」


「は、はい。申し訳ありません。つい、保身に走りました」

「いいえ、私の心配をしてくれたんですよね。ありがとう。

 でもね、ハルジャー。この子は不思議な感じがするんですよ。うちに秘めるような魔力を。

 ここで会ったのは、神の思し召しと思えるほどにね」


 微笑むチャンドラーに、ハルジャーも頷いた。

 

 たまたま王都に来て、帰郷する道で出会ったのだ。

 ほんの数分違えば、すれ違っていただろう。


「そうですね、きっと。この出会いは必然です」



 ルカーニが寝息をたてる音が車内に響く。

 毛布を掛けて暖を取り、彼女を膝枕するチャンドラーと、窓から星々を眺めるハルジャー。



 穏やかな寝息は、二人の心を和ませた。





◇◇◇

 6才で教会に来たルカーニは、周囲の人々に指導を受け、チャンドラーが直轄する区のシスターになった。本来なら孤児院に入るところだが、自分である程度のことが出来る為に、特例で教会入りになったのだ。



 彼女のいる教会では、病が治癒すると密かに噂が流れ、信者が増えていた。

 全快ではなく、何となく気分が良くなる程度の者もいたが、雰囲気が良くて足を運ぶ者が増えると、お布施も比例するように増えていった。


 チャンドラーはその収入で炊き出しをしたり、刺繍糸を購入し、寄付された古着を使ってバザーで売る物を作成する為、指示を数人の神父達に出した。


 孤児院にシスターを派遣し、孤児に刺繍を教えながら共に作り上げたり、炊き出しの調理にも孤児の手を借りて、報酬の一部を孤児院に入れた。


 それを繰り返すことで、教会も孤児院も少しだけ潤っていく。


 手に職をつけた孤児は、関連した職種に就いていった。服飾、調理、八百屋や肉屋など、たくさんの関わった人達との伝手も心強い。


 生家では使われなかったルカーニの力は、教会で花開いたのだ。


 教会の兄姉である神父とシスターに暖かく迎えられ、感謝して生きる彼女は辛い気持ちを癒された。

 クラビット伯爵家では得られなかった愛情は、厳しい筈の教会で与えられたのだ。


「神様、いつもありがとうございます。今日も私は幸せです」


 女神像に跪き祈る彼女は、今日も孤児院へ行き幼い弟妹達の面倒を見る。彼女は自分の力のことを知らない。   

 ただ人々を慈しむだけだ。



「シスター、えほん読んで」

「字を教えてよ」

「サッカーやろうよ」


 年近いルカーニに、親しげに駆け寄る孤児達。本来ならルカーニもここに入るはずだった。

 けれどルカーニは、実母が生きている時に最低限の教育を身に付けていたので、教会で働きたいと望んだのだ。


「私は読み書きが出来ますし、掃除も行えます。ですから仕事をさせて下さい。お願いします」


 チャンドラーとハルジャーは、顔を見合わせた。

 多分彼女は、助けてくれた自分達と離れたくないのだろうと思い。

 それでもまだ、働くべき年齢ではないのに…………。


 だから二人は、暫く様子をみることにした。


「分かったよ、ルカーニ。少し働きぶりを見せて貰うよ。ここにいるシスター達の許可が得られれば、ここにいて貰うし、不足なら近くの孤児達へ移って貰うからね。良いね?」


「はい、勿論です。チャンドラー様。私、頑張ります」



 そんな形で、見習いルカーニが誕生したのだ。





◇◇◇

 彼女は伯爵家のメイドが行っていた仕事を思い出しながら、それをなぞる。


  まだ実母が生きていた時は、侍女やメイドが優しく彼女に寄り添ってくれた。

 義母が嫁いだ後、彼女の味方であった使用人達は解雇されてしまったが、それまでは体の弱い母の代わりにいろいろな事を教えてくれたのだった。


 お茶の入れ方や、簡単な挨拶の仕方、時にはおやつを一緒に作ったり、洗濯をしてシャボン玉で遊んだりして。


 そもそも実母は、お飾りの妻のはずだったそう。

 ある目的の為に、望まれて伯爵家に嫁いで来たのだ。


 ルカーニの父、ガラナルは、元々恋人がいて結婚するはずだったそうだ。けれどある時重病となり、婚約は白紙に戻った。


 起き上がれず唸る息子が憐れで、少しでも楽になるようにと望まれたのが、実母ララナだった。

 最初は治癒師として望まれ屋敷に通ったのだが、目に見えるように病状が回復した。

 ある日とうとう、治癒した時には、前伯爵夫妻は多いに感謝し、生家に多くの謝礼をしたのだ。


 それで終わりのはずだった。


 けれどガラナルは再発の恐怖に怯え、そのことでララナとの結婚を強く望んだ。

 強すぎる能力ゆえか体の弱いララナは、家の役に立てるならとこの結婚に応じたのだ。

 彼女の両親である子爵夫妻は、いくらお飾りでも結婚などと言う負担がかかることは止めるように説得するも、彼女はそれに応じなかった。


 そもそも伯爵家に望まれ、拒否できる訳がなかった。


 今回の治癒だとて、断りきれずイヤイヤ受けた依頼だったのに。

 身分が低いだけで高位貴族に使い潰される国に、子爵夫妻は絶望した。



「お父様、お母様。本来ならウエディングドレスなんて着れなかったのですから、たくさん褒めて下さいな。綺麗だと褒めて……。大丈夫ですよ。それなりに幸せになって見せますから、ねっ」


「そうね、幸せになってね」

「いつでも遊びにおいで。待ってるからね」


 結婚式は穏やかに行われ、たくさんの祝福を受けたララナ。


「本当にごめんなさいね。なるべく貴女に負担はかけないから」

「感謝するよ、ララナさん。本当なら家督は弟の子供に渡そうとしていたんだ。

 ガラナルが生きていてくれるだけで満足だったのに、貴女を巻き込んでしまった。

 大病を患い子は出来ないそうだから、養子を貰ってゆっくり暮らしてくれれば良いから」


 

 ガラナルの両親からも労いの声を掛けられ、和やかな式が終わった。勿論初夜もなく、ガラナルは再び王宮に出勤する日々となる。


 多くの者は彼の回復を喜んだが、悪友であるサルアンだけは舌打ちした。

(せっかくフランベーナが俺に靡いてきたのに、全く邪魔な奴だ)


 ガラナルは、サルアンを親友だと信じていた。

 だからこそ、酔った際に秘密を打ち明けたのだ。


「実は俺、病気で子が出来ないらしいんだ。何れは養子を貰う予定なんだ」

「ま、マジか? それじゃあ、ララナさんは不満なんじゃないか?」


「いや、彼女は体が弱いんだ。だから寝室も別なんだよ」

「へえ。でも本当に子が出来ないのか、試してみても良いんじゃないか? 

 せっかく結婚したのに。もし子が出来れば嬉しいことだし、出来なきゃ愛人を持っても子の心配もいらないし。試してみれば良いだろ? 綺麗な人だったよな、ララナさん」



 したり顔で囁く声に抗えず、彼は約束を破った。


 仮にも夫からの求めに、ララナから拒否は出来なかった。

 彼女の負担が頭に過るガラナルだったが、欲に負けて止められず閨を共にする日々は続いた。


 元から愛などないお飾り結婚のはずだったのに、ララナは身籠った。彼女自身、両親に過剰に守られ、そんな未来は予測していなかったのに。


「私が母親に。嘘みたいね、こんな未来があるなんて」

「お嬢様、本当にお産みになるのですか?」

「お体に障ります。あの男、契約を破りおって!」

 

 ララナの侍女達は密かに怒りを滾らせていたが、それを彼女は宥めた。


「私は出産後、体力が落ちるかもしれないから、この子をお願いね。きっと守ってね」


 そう言ってまだ見ぬ子を思う彼女は微笑み、それに否と言えない侍女達は、仕方ないとばかりに頷くのだった。




 無事にルカーニを出産したララナだが、幼い時から医者に言われていた通り、体はさらに衰弱していた。普通に暮らすだけでやっとの体力だったのだ。


 強い治癒の力は、反作用するかのように体の機能を低下させていたのだ。おまけに自分には治癒の術はかけられない。かけても効かないのだ。



 それでも我が子を腕に抱き、愛らしいその顔を見れば後悔はなかった。出産後はガラナルも「頑張ったね。ありがとう」と涙ぐんで抱きしめてくれた。


 各々の両親達も同様に、「よくやったね。可愛い子だね」と労ってくれたのだ。


 ずっとそんな日が、続くと思っていたのに…………。





◇◇◇

 跡継ぎが出来たことで安心したガラナルの両親は、完全に爵位を彼に渡し、領地へ戻ることにした。


「今までは人を雇っていたんだ。でも孫も出来たことだし、我々も領地を発展させる為に頑張るよ」

「ララナさんは無理せず、ゆっくり養生してね。出産なんて無理をさせて、本当にごめんなさいね。

 でもでも嬉しいの。本当にありがとうね。うっ」


 ララナに感謝し、伯爵邸を後にしたのだ。




 ララナの両親は時々伯爵家に来て、孫であるルカーニの世話をしていた。ララナの兄夫婦の子は既に生まれ、7才になっていた。領地が遠いので、何度か来てくれただけだが、兄夫婦もその息子もルカーニを可愛がってくれた。


 相変わらずララナは臥床していることが多かったが、新たな家族を歓迎してくれて、愛しい我が子が元気で嬉しさが溢れてくる。



 けれど病気も治り、生殖能力もあることで、ガラナルの人気は急上昇したのだ。


 元々が青磁色の艶やかな髪と、金色の神秘的な瞳の美しい彼は、公爵令嬢フランベーナから望まれて婚約していた。


 なのに病気になった途端に彼女からは捨てられ、死を待つだけだった(ガラナル)

 反してララナは身を挺して彼を救い、子も授けてくれた女性だ。


 けれど彼と長く婚約していたフランベーナは、婚約解消後に誰とも婚約をしていなかった。

 既に目ぼしい令息は婚約しており、残っている令息は訳ありか、彼女から見るとアホ、もしくは美しくなかったのだ。


 相手の爵位は低くても、公爵家の保有爵位があるので問題はないのだが、気に入る美形がいなかった。

 選んでいるうちに彼女も年を経ていくので、イライラが増していく。隣国まで物色していた時に耳にした、ガラナルの第一子出産の報告だった。


「ちょっと、何なのよ。噂じゃあ、種なしだから不良品だと言われていたのに。

 仕事も真面目で、爵位も継いで病気も治って。

 子供だって出来てるじゃないの。

 元々私の婚約者だったのに、悔しい!」



 騒ぐフランベーナや、美しい伯爵の愛人を狙う女達に周囲を囲まれ、最初は困惑していたガラナルも、気が大きくなっていた。


 彼の種なしの噂を流したサルアンだが、実際にガラナルに子が出来たことで、フランベーナは彼から離れていった。


 彼は女性馴れして顔も良いが、ギャンブル狂いで借金があった。彼女の親である公爵もそれがネックで、婚約はさせていなかったのだ。

 彼はガラナルの弱味を露にすることで、フランベーナに自分を(子が作れると)アピールするつもりだったのに、それさえも覆されたのだった。


「あいつ、嘘を吐いたのか? いや、あいつは単純だから本音だったはずだ。クソッ、裏目に出ちまったぜ」


 それだけで済んでいれば、誰も傷つかなかったのに。




◇◇◇

 フランベーナはガラナルと既成事実を作り、後からララナと離婚させようと近づいた。


 一度は愛を誓った二人だから、フランベーナに迫られると、拒めなかった。


「私はずっと貴方が心配だったのよ。でも父には逆らえずに婚約は解消になって、お見舞いにも行けなくて。辛い時に支えられず、ごめんなさいね。でも愛しているのよ。うっ、うっ、今さら、無理よね」


 豊満美人な元婚約者に切なく愛を囁かれ、病弱なララナを抱けなくなったガラナルは、胸が高鳴った。それが愛か性欲かは分からないほどに。


「良いんだよ、そんなこと。君も辛かったんだね。それなのに、俺だけ幸せになって。

 でも俺は結婚したから…………。

 君も幸せになってよ、ねえ」


 フランベーナは彼に抱きつき、イヤイヤと首を横に振った。

「駄目なの、貴方じゃないと。結婚してなんて言わないから抱いて。ねえ、ガラナルお願い!」


「駄目だよ、そんなこと言っちゃ。もっと自分を大切にしろよ」

「貴方が好きなの。貴方だけが好き……。チュッ」

「ああぁ、フランベーナ。俺も本当は」


 その場では抱きしめて口づけだけだったが、ハードルが下がった二人はすぐに体の関係を持ってしまった。





◇◇◇

 ガラナルは命の恩人であるララナのことも突き放せず、勿論彼の両親にも打ち明けられなかった。


 邸内では良い夫を演じながら、焦れるフランベーナと付き合い続けた。そのうちに彼女の親である公爵からも、責任を取れと圧力を加えられる。


 徐々に弱っていくララナを心配しつつ、もし彼女が亡くなれば全てがうまくいくと暗い思いも過り出す。

 



 

 さすがにララナが亡くなる前の年には、伯爵家にも子爵家にも真実は告げられ、何れ再婚も視野に入れていることまで話がされた。


 子爵は怒りで倒れそうになり、夫人と護衛がそれを支えた。その場でルカーニを引き取ると息巻くが、ガラナルが過去に大病を患ったこともあり、前伯爵達は少し様子を見て欲しいと頭を下げた。

 

 彼らも今後、子が生まれる可能性は低いと思っているのだろう。どこまでも失礼な、子が出来ぬ時の保険として。


 ララナの侍女やメイドにもそれは伝えられ、陰で憤っていた。「恩知らずの最低野郎!」「女の敵!」「下半身腐れ!」等など……。



 悟られぬようにララナとルカーニには隠されていたが、本当にララナが気づいていなかったのかは分からない。きっとガラナルの態度で、何となく知っていただろう。


 


 ガラナルが生死の淵から生還した時の気持ちを、ガラナルも伯爵夫妻も忘れてしまったようだ。




◇◇◇

 ルカーニがリファインにより追い出されたことを知り、ガラナルは慌てた。あんなに酷い待遇でも、取りあえずは生かしているとの思いはあったのだろう。


 さすがに、見捨てるのは気が引けたのだ。


 けれどフランベーナは、「はぁ、今さら何言ってんの?」と吐き捨てた。

「どうせ出て行かなければ、餓死してたわよ」と、何の感情もなく言うのだから。


「な、何で餓死なんてするんだ? そんな訳ないだろ、貧しい訳でもないのに!?」

「与えなければ、食べられないでしょ? 図々しいのよ、あの女の子の癖に綺麗な顔をして。

 儚げで可哀想でしょって、私を責めてくるみたいで」


 急に怒り出すフランベーナに、ビクリと驚くガラナルは彼女の歪む表情にさらに怯えた。まるで羅刹のようだったからだ。


 そんな感じだったので追い出したことは内緒にし、ルカーニが勝手に出ていったことを伯爵夫妻と子爵夫妻には告げたのだった。


「まあ、良いんじゃない。餓死した姿を見せるより、希望も持てるでしょ? ははっ」


 ガラナルは冷笑するフランベーナに、背筋が寒くなるが、今さらもう逃げることは出来ないのだ。


 珍しく怒っている母親のそれを、ドアの前で聞いていたリファインは目の前が暗くなった。



「あれが僕の姉さんだったなんて。僕が、追い出した。どうしよう、だって、ああっ」


 リファインは己の罪に苛まれ、引きこもってしまった。




◇◇◇ 

 ガラナルの再婚後から、ルカーニと連絡が取れなくなった子爵家では、ルカーニの安否を心配していた。


 その為伯爵家周辺に気を配り、異変がないか様子を見ていたのだ。



 ある時伯爵家から「出ていけ!」と追い出された人物がいたと報告があった。

 フランベーナの怒りを買った使用人かと思ったが、薄暗くなっていてよく見えなかったが、ずいぶんと小さいような気がしたと付け加えられていた。


 まさかルカーニがと思ったが、いくらなんでもそこまで愚かではないと思いたかった。

 だが虫の知らせと言うものなのか、どうしても気になり、目撃した者に金を渡して話を聞いたのだ。


「なんかよぉ。間違って入ったのか知らんが、男の子供が使用人に命令していたんだよ。

 憲兵に突き出さないのをありがたく思えとか何とか言ってさ。商人の子供が置いていかれてたんなら、可哀想だなと思ったんだよ。

 大きい邸だしさあ。待ち時間に遊んでて、置いていかれたとか、よくあるだろ?

 歩いて帰るのも大変だなぁくらいに思ってたんだけど、フラフラしてたから気になってさ。

 その後は分からないんだよ、済まないな」


「いいや。十分だよ、ありがとう。これはお礼だ。出来ればその話は内緒にしてくれないか? 商人の悪い評判になると可哀想だから」


「分かったよ。お貴族様に睨まれたら大変だもんな。あの子供だけなら、親のことは分からないだろうしな。余計なことは言わんよ。でもこんな情報なのに、お金までありがとうな」


「良いんだよ。俺の贔屓にしてる商人の話に似ていたから、確かめたかったんだよ。やっぱりあの子のことみたいだ」


「役立ったなら、良かったよ。親には注意しとかないとだな」

「ああ、本当だよ。ありがとうな」



 身分を隠し、酒場で目撃者から聞いていた子爵は、その後もルカーニの捜索を続けた。

 その後暫く数人で聞き込みし、チャンドラーのいる教区の、鷹の紋章がついた教会所属の馬車に乗っことが分かり安心したのだった。


 急いでルカーニの後を追い、チャンドラーと面会を果たした子爵夫妻だが、チャンドラーの言うことに深く頷くことになった。


「今伯爵家に戻れば、親権は親に戻るだろう。それならいっそのこと、1年くらい失踪したことにして、死亡届けを提出させた方が良い。

 そうすればもう、ルカーニに構うこともなくなるだろう。一度縁が切れることになる。

 その後にどうするか決めた方が安全だ」


「じゃあ、私達も会えないのか?」


「その方がお互いに良いだろう。もし会ってしまえば、相手にバレる可能性がある。ルカーニも一人で頑張れなくなるかもしれないしな。


 ……あの子と初めて会った時、腕が骨のように痩せていた。もし戻ったら、今度こそ死んでしまいかねない。今は無事だとだけ思って、我慢して下され。

 私が必ず守ると約束するから」


 チャンドラーのその言葉に、子爵と子爵夫人は安堵の涙を流した。


「ありがとうございます。あの子は娘の忘れ形見なんです。救って下さり、感謝致します」

「本当に……良かった。会いたいけれど、我慢しますわ。伯爵家が死亡届けを出したら、会いに来ます。

 あの子の安全が第一ですもの。よろしくお願いします」


 二人は頭を下げて、教会に寄付金を渡して領地に戻って行った。


「良かったです。ルカーニには愛する人がいたのですね。あの二人も、彼女の治癒能力のことは知らないようですが、そんなことは些事のようです。

 今日の夕食は、少しだけお肉を増やして貰いましょう。ルカーニのお陰ですね」


 ルカーニはそれを知らずも、「今日は具だくさんだね。やったね」と、小さな幸せを噛み締めていた。




◇◇◇

 子爵夫妻はルカーニの安否を心配する者に、ガラナルから話をされる前に状況を伝えていた。

 憤って喧嘩などをしないように。


 ガラナルの話に嘘があり、腹立たしさはあったけれど、生きていてくれて良かったと思って怒りを収めた。


 ガラナルやフランベーナは、子爵夫妻の反応が思っていたのと違い少し拍子抜けした。


「大変じゃあ、急いで探しに行かねば。ガラナル殿は何処まで探したんじゃ? まだ分かったばかりなのか? 

 なるほどな。至急で伝えてくれて助かったぞ。

 みんな、行くぞ」


「「「「はい、子爵様。聞き込みに行ってきます」」」」



 詰め寄られることもなく、伯爵邸を後にする彼らを見送るガラナルとフランベーナ。


「案外チョロいわね。それか貴方が信頼されているのかしら? もうとっくにのたれ死んでいるか、人買いに拐われているでしょうに。もう一月も前のことだもの。あはははっ」


「保護されているかも知れないだろ?」

「まさか! もしそうなら、帰って来てるわよ。甘いのねえ、貴方って」


「っ、そんなこと」

「もう良いわよ、こんなこと。辛気くさいのはやめて」


 事情を知るあの時の使用人と、ガラナル達の話を聞いて悟っている使用人は、口を(つぐ)む。

 伯爵家と公爵家を敵にまわせば、生きていけないからだ。


(きっと事実は闇に葬られるのだろう。逆らえば、次は自分も…………)

 暗い気持ちを抱えながら働く使用人は、毎日恐怖で顔が強ばる思いがする。

 給金は高いのに、入れ替わりで職員が辞めていくのには、訳があると言うことだ。

 金よりも緊張が上回った時、人は去って行く。


 いつしかそれも、社交界での暗黙の了解となり、姿が見えない先妻の長女にまで話は及んでいた。噂の中には後妻の悋気で、既に殺されたのではと言うものもあったそうだ。


 当然のように伯爵家の雰囲気は暗い。怒りっぽい伯爵夫人に、逆らえずその妻の顔色を窺う伯爵、引きこもりの伯爵令息。おまけに令嬢は行方不明のままだ。


 領地にいる前伯爵夫妻も手を尽くして捜索するも、子爵が口止めしているから、手がかり一つ手に入らないのだ。

 子爵夫妻は、後妻を迎える前にルカーニを渡してくれず、ルカーニとの面会の要請にも手助けしてくれなかった伯爵夫妻を敵と見なした。

 だからルカーニが生きていることを、知らせるつもりはないのだ。


「あの時は、息子夫婦に口を出せないと言って、一切無視を貫いたのだ。今後もそうすると良い。恩知らずな親子が!」

 

 許せない気持ちは未だ収まっていなかった。


「ああ、まさか。ルカーニは噂のようにフランベーナに殺されたのだろうか?」

「そんなことないですよ。きっと外に遊びに行って、事故にあったとかですわ」


「もう生きていないのかなぁ?」

「ララナに似て可愛い子でしたのに。せめて私達が引き取るべきでしたわ」


「そうだな。虐待されずとも、放置はされたんだろうから」

「寂しかったのかしら? あんなに人のいる場所で……。可哀想なことをしました」


「ああ、もし亡くなっていたら、大きいお墓を作ってあげような」

「ええ、ええ。そうですね。もうそれしか出来ませんし」


「ララナが命を縮めて生んだ子なのに……」

「もう諦めましょう。貴方……」


「ああ、そうだな。死ぬまで詫びよう」

「私もそうしますわ」


 

 ルカーニは生きているけど、今までのことを振り返る為にも真実は明かされないのだった。もっと年数が経ち、夫妻が気にしていれば子爵から話はされるだろう。


 その時にはもう罪悪感が薄れ、忘れてしまっているかもしれないけどね。




◇◇◇  

 その数年後、とうとう伯爵家ではルカーニが見つからないことで、役所に彼女の死亡届けを提出した。

 それを聞いた前子爵となった夫妻は、分かったと頷いてガラナルの元を去っていった。


「まったく遅いぞ、あの男は。これでルカーニに選択肢を話せるぞ」

「そうですね。やっとですね」


 この頃にはもう、彼らはルカーニと時々会っていて、彼女を一人にしていたことを詫びた後だった。

 彼女も事情を聞いて納得したので、すぐに受け入れることが出来たのだ。


 今日も教会に訪問した前子爵夫妻は、ルカーニの休憩時間に話をしていた。



「お祖父様、お祖母様。チャンドラー司教に聞きました。いつも寄付金や衣類の寄付を、ありがとうございました。とっても助かっていましたよ」


「こんなこと何ともないよ。お前が居なくなった時の後悔に比べたら。本当にさっ、くっ」

「そうよ、ルカーニ。私達はもう欲しいものなんてないのよ。貴女が元気なら良いの。

 今日はね、今後貴女がどうしたいか聞こうと思って来たのよ。

 貴女は貴族に戻りたい? もしそうなら、この地域にももっと王都から離れた場所にも、親戚がいるから養女になれるわよ。考えて見て頂戴。

 私はさっき言った通りよ。元気なら、貴族でも平民でもどっちでも良いと思ってるからね」


 祖母が言った後、俺が言おうと思ったのにと、祖父がいじけていた。仲の良い夫婦である。


「ああ、ばあさんが言った通りだ。やっと伯爵家がお前の死亡届けを出したから、お前は自由だ。だから養女になっても、あいつらに籍はないから心配せんで良い。

 このままでも十分だと思うが、もし結婚したい相手が貴族なら、貴族にもなれるぞと伝えておこうと思ってな。

 もし私達が死んでも、ララナの兄ルヴァンがいるから大丈夫だぞ。

 あ、そう言えば、お前より7才上のルヴァンの息子がいただろ? あいつ出奔して、この近くの山で猛獣を狩ってるんじゃよ。

 もし猛獣の皮とか胆とかが欲しいなら、連絡してやるぞ。

 名前はジャックだ」


「え、ジャックさんだったら、知ってますよ。時々お肉の差し入れ貰いますから。シスターのベルナさんの彼氏です。

 あ、もしかして子爵を継ぐんですか? ベルナさん平民なのに」


「ああ、構わんよ。家は、あいつの弟が継ぐから。そもそも脳筋のジャックが継いだら、子爵家が潰れるわい」


「あ、そうなんですか? 良かったのかな?」


「良かったに決まってるじゃん。俺が貴族に見えるのかよ!」


「「「「見えない、無理だ!」」」」


「何だよ、みんなして。まあ、無理だけどよ。

 わはははっ」


 神父やシスターだけでなく、手伝いに来ていた孤児達にも突っ込みが入っていた。


 笑いながら登場のジャックは、前子爵夫妻に挨拶をした。

「そんな訳でそのうち結婚するからね。よろしく!」

「どんな訳だ。ああぁ、もう良い。ちゃんと招待状は寄越せよ。ルヴァンには言っとくから」


「ありがとうね。さすが爺ちゃん。気が利く!」

「だあ~、もう。もう少し言葉使いを何とかせい。爺を敬え!」

「結婚したらね。たぶん…………」

「ああ、もう良いわ。元気なら良いことにする。それよりお前はルカーニに挨拶したのか? 従兄ですとか、よろしくとか?」


「え、してないけど。だって言われる前からみんな友達だし。別に良くない? あ、狩りの肉とかは分けてたよ。  

 それじゃダメだった?」

「駄目じゃない。良い男だな、安心したぞ」

「? まあ良いや。あの山獣多くて、ちょっと危ないと思ってたんだけど、ルカーニが来てから里に降りてこなくなったんだよ。何か不思議な力でもあるのかな?」


「不思議な力とは?」

 ゴクリと息を飲む前子爵夫妻だが、ジャックの解答はアホだった。


「こいつ怒ると恐いから、闘気とか? 前もケツぶっ叩かれたんだぜ。ベルナにチュウしてたらさ、酷いよな」


「それは子供達の前だからですよ。ベルナさんだって、貴方の胸を叩いて抵抗していたでしょ? 何故分からんのよ?」

「だって可愛くて。デヘヘ」


「その後、照れたベルナさんの仕事が滅茶苦茶だったんですからね。まったく邪魔ですわ。休みの日にやっててくださいよ」

「休みの日だけじゃ足りんのよ。可愛過ぎて。ウヘヘッ」


 照れるベルナにルカーニが囁く。

「結婚相手、こいつで良いんですか? ちゃんと選んだ方が良いですよ」

「そうね。はずか死んだら、困るものね」


「ああっ。ベルナと結婚出来ないと、俺は生きていけない。他の奴を選んだら、きっと拐ってしまうよ。

 捨てないで~、ベルナ!」

「じ、じゃあ、人前で恥ずかしいことしないでね」

「はい。善処します」


「しょうがないね。今日はこのくらいにしてあげるわ」

「爺ちゃん、本当にルカーニは恐いんだよ。だから猛獣も……いや、何でもないよ! もう言わないから」


 どうやらルカーニに睨まれて、発言を止めたようだ。


「くふふっ、まあルカーニったら」

「あはははっ、ジャックが負けとる。愉快愉快!」



 そんな感じで、ルカーニの休憩時間は終わったのだ。

 みんなが笑顔のチャンドラー教区は、今日も楽しく時間が過ぎるのだった。




◇◇◇

 ちなみに。

 冒頭の「子供達は大事な労働力になる。生かさず殺さず育てるんだ。分かっているね、助祭ニルフ君」と言っていたミザロワ神父は、チャンドラー教区で横領をしていた為、その後憲兵に捕まっている。


 ニルフはチャンドラーの後を継いだハルジャーの手伝いをして、教会内の取り締まりをしているのだ。


 ニルフは18才、ルカーニは31才になっていた。

 チャンドラーは62才で隠居し、ルカーニのいる教会で庭掃除や告解をして過ごす。

 ハルジャーはチャンドラーの治めていた教区の司教となっている。




※告解:罪を神に告白し、許しを請う行為を指します。懺悔室が広く知られている。




 ニルフのことは次回で。


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