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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「そして」短編諸々

12‐9.5.墓穴

作者: ユキノト

「そして君は前を向く」12-9と12-10の幕間

 翌朝、いつものように早起きしたフィルは、アレックスを起こさないようにそろそろと洗面に向かう。

 最も夜の長い日は過ぎたが、未だ日の出は遅く、ようやく東の空の裾がほのかに白み始めたところだ。

(今日は久しぶりに綺麗な青空が見れるかもしれないな)

 雲のない地平線を見、フィルは微笑む――今日起きるだろうことからのしばしの逃避に。


「ええと、これとこれ……? あとは、どれだっけ……?」

(……いきなり分からない)

 鏡の前に持ち込んだ椅子、そこに座って悩むフィルの目の前には、昨日メアリーから渡された小箱。その中にはさらに小さな箱がいっぱい詰まっていて、そのそれぞれに色々入っている。

 だが、生憎とどれが何で、どこに塗るべきものなのかさっぱりだ。

 仕方がないので一つ一つ開けて、色を確認する。その色と昨日メアリーがやってくれた後に顔についていた色、それから街中の女の人たちの顔の色を思い出して比べれば何とかなる……と思いたい。


「これは赤だから口かな? これは顔全体? ……皮膚と同じ色をなんでまた塗るんだろう。このピンク色の粉は……ああ、そういえば頬にそんな色をつけてる人もいるっけ? となると、この緑とか青とかは目かも。そういえば、まつげにつける奴もあるって言ってたっけ」

(これ全部、どこにどう塗るか、覚えてるのか……)

 世の中の女性たちは天才かもしれない――半ば真剣にそう思いながら、フィルは今日起きてからだけでもう数えるのも億劫になったため息をつく。

 なんだか始める前に疲れてしまって、逃げるようにふと目に付いた小さな筒を手に取れば、そこからわらわらとこれまた小さな筆が出てきた。

「お絵描き……そして、私の顔がキャンバス……」

 自慢じゃないがフィルは、ナイフより小さな道具を上手く扱える自信はない。

(やっぱりあの細い指は、そういう繊細な動きが出来るようになっているんだろうか……) 

 なんだろう、遠い目になった。


(は……っ、こんなことをしている場合じゃない。攫われた子たちのためじゃないか……っ)

 フィルは小さな筆を握りしめる。

『フィルなら違う形で彼女たちを助けることもできる。慣れないことを無理にする必要もないだろうと思ったんだが……』

 そう心配していた昨日のアレックスを思い出す。

『それにわざわざ他の男の目を寄せるようなことをさせたくはない。フィルを綺麗だと知っているのは俺だけでいい』

 続きの言葉には赤くなってしまったけれど(本当、ああいうの、真顔で言うの、やめて欲しい……)、それでもフィルが『やる』と言い張ったら、アレックスは困ったように息を吐き出した後、『何かあったら言うんだぞ?』と言って、いつもの仕草で頭をぽんぽんと叩いてくれた。

 ああいうところ、相変わらず優しいなあと思う。

 昔からだ。アレク、アレックスはフィルがしたいと思うことを自由にさせてくれて、しかも上手く行かない時には助けてさえくれる。


「よし」

 鏡の中の自分を見つめて、フィルは意識してきりっとした顔を作った。

(その彼の期待に応えるためにも、ここは一つ、気合を入れなくては……っ)

 フィルは心情そのままに、手にした小さな筆にべったりたっぷり青色を取った。



 * * *



 明け方。緩く浮上した意識の中で、アレックスは傍らにいるはずのフィルを抱き寄せようと、いつものように腕を伸ばす。

「……?」

 だが、空を切ってしまって、ひどい寒さを覚えた。

「……」

 まだ重い瞼を開ければ、いつもすぐに視界に入る金の髪も白い肌も自分を見て端を緩ませる美しい緑の瞳も見当たらない。

「フィル……?」

 名を呼んでみたのに、返事が聞こえない。

「……」

 ついに耐え切れなくなって、アレックスは身を起こした。その拍子に、冬の朝そのものの空気が、温まった体を包む。思わず眉根を寄せた。

(茶の香りも湯の沸く音もしない……洗面室か)

 そう思い至って、アレックスは小さくあくびをしながらベッドから足を下ろし、そちらへと踏み出した。



「何かが違う。のはわかるけど、何が違ってたのかがわからない……」

「フィ……」

 半分寝ぼけたまま、ドアに甲を当てようとすれば、内から響いてきたのは、フィルの不思議そうな声。それに眠気が吹っ飛んだ。

「……」

 フィルの声、はいいが、問題はその内容だ。

 アレックスは、かつて王太子、ひいては王の補佐にと叩き込まれた、そして既に騎士団随一と呼び声高い思考力を最大限に活かして、扉一枚を隔てたフィルの現況に思いを巡らす。

 ちなみに、国政を考えるより、戦場で布陣を引くより、フィルの行動を予想する方がはるかに難しい(不可能でないとすれば)と思っているのは、ここだけの話だ。


(昨日の騎士団でのやりとり、メアリーとヘンリック、フィルが話していた内容、手にしていた物……)

「……」

 不吉な予感にアレックスは、遠く、朝日にきらめき始めた窓の外の緑を見遣る。

(どうやら、俺は今日も試練を迎えるらしい……)

 そう覚悟をして、アレックスがドアをノックすると、中からは案の定――「う゛ぐ」というフィルの呻き声が返ってきた。


「は、入っちゃだめですっ」

「……何かあったら言うと約束しただろう?」

 それでさらなる呻き声を上げたフィルに、『……やはり失敗したんだな』と確信する。ちなみに失敗するだろうなと思っていたことは、フィルには口が裂けても言えない。

「うぅー……、どうぞ……」

 それでも数秒後に観念するあたりは律儀なフィルらしいが、と思って少し笑いながら、扉を開く。

「……」

 そして、予想をはるかに上回る衝撃に固ま――

「……アレックス……」

 ――りそうになったのを全力で抑えた。目の前で、フィルがまた泣きそうな顔をしている。


「お、は、よう、フィル」

 今度は笑い出しそうになるのを、全身全霊をかけて抑える。挨拶が途切れ途切れになったことぐらいは見逃して欲しい。

 ここで笑ったら、昨日の今日だ。いくらフィルでもきっと手がつけられないくらい拗ねる。

 そう分かっているのに、勝手に口元が緩み、気管が震えそうになって慌てて、顔をフィルから背けた。次いで右手を口元にやって、目線を彼女から逸らす。

 だが、努力むなしく……

「無理しなくていいです、自覚はあるんです……」

 と、がくりと肩を落としたフィルに結局耐え切れなくなって、大笑いしてしまった。


「……く、く……一回、落として」

「まだ笑ってる!!」

 目の周りを真っ青、頬を真っ赤にしたフィルが、恨みがましい視線を残して、じゃばじゃばと顔を洗い始める。

 アレックスは気管を震わせながら、自らのシャツに目を落とした。

 先ほど「もう嫌だ……」と珍しく愚痴を零していじけ始めたフィルが可愛くて、つい抱きしめてしまった結果、シャツの胸部分は赤やら青やらでべったり染まってしまっている。

 それを脱ぎ捨てて、アレックスはフィルの傍ら、洗面台へと近寄った。

(本当に興味がなかったんだろうな、フィルらしいが……)

 そこに散らかっている化粧道具を見てアレックスは笑みを零し、それからその一つ一つを手に取った。


「……アレックス?」

 いつもの顔に戻ったフィルが、「ああ、清々した」と書いてある顔で、ついた雫をタオルでぬぐい、こちらに視線を向けた。その瞬間赤くなる。

「今更照れることもないだろう?」

「う……そ、そういう問題じゃないです」

 新しいシャツを差し出してきながら、こちらを睨んでくる猫目はくっきりとした二重で、濃い緑の瞳の色とあわせてその存在感は十分。艶と張りのある肌は、白くてみずみずしい。睫だって余計な装いが不要だと断言できる程度には長いし、密度もある。艶を放つ唇も淡くて可愛らしい。頬だって健康的に色づいていて……

(そのままで十分すぎるくらいだと思うんだが)

 アレックスは肩を竦めると、言われるままにシャツを身に纏い、フィルに傍らの椅子に座るよう声をかけた。

(簡単なのでいいか……)

 そして白粉を左に、大き目のブラシを右手に取る。

「おお、やってくれるんですか?」

「まあな」

 昨日、自分の打算と周囲の無神経さのせいで、当初の予想以上に傷つけたようだから、今日同じ目に遭わせるのは絶対に避けなくてはいけない。

「すごいですね、こんなことまで知ってるんですね」

「……まあな」

 にこにこ笑って椅子に腰掛けるフィルに、「なぜ知ってるんですか?」とだけは聞いてこないで欲しいと切に祈りながら、アレックスは筆を落とした。

 せっかく裸を見て赤くなってくれるところまで漕ぎ着けたんだ――昔両親と兄に女装させられた時、ついでに化粧もさせられていたから、とは死んでもフィルにはばれたくない。


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