【SS】第4話 レガシー依存症
閲覧ありがとうございます。
起承転結の短さと、伏線回収までの短さに悪戦苦闘しながらも、読みやすさの魅力に魅かれて執筆しています。
「ここはこうした方がいい」等、次作の参考にさせていただきますので、コメントいただけると嬉しいです。
タイムマシンが完成した現代で流行っているのは、過去へのタイムリープだ。
現代には無いレガシーなテクノロジーを楽しむため、人々はこぞって過去への旅を楽しんでいる。
端から見ると楽しんでいるかのように見えるが、過去に依存しているのだ。
何故そんなことが分かるのかって…。例に洩れず、俺自身もその一員だからである。
だが、過去に遡るタイミング程度の頻度が、ちょうどいいのだ。
過去へ遡った俺は、早速、手紙の投函を楽しむことにした。
投函する手紙には、自分の日常の出来事、思考、感情などを書く。
この手紙は、不特定多数に送ることができ、それはまるで、
自分の存在を世界中の人々に知らせる事ができる、ビーコンのようなものだ。
自己肯定感の高まりを感じるために、この時代に来ていると言っても過言ではない。
この手紙は、自分だけではなく他者のものも受け取ることができる。
他の人々が書いた手紙を読むことで、新たな視点や知識、感動を得ることができる。
自分の想像を超えるような体験談や、妄想の類を叶えた体験談など、
自分には無いもの、他者にはないもの、その両方を相互に補完してくれるのだ。
俺のような現代人には、レガシーに感じられるこのテクノロジーでも、
過去の人たちにとっては、日常生活に利便性を与えてくれる、画期的なテクノロジーなのである。
人々は暇さえあれば、いいや、暇ではなくとも手紙を投函した。
そういえば、現代にこのテクノロジーが継承されなかった理由について、話していなかったな。
このレガシーなテクノロジーには、気をつけなければならないことがある。
それは、日常の瞬間を切り取っているにすぎない、という面だ。
手紙を通じて人々の人生を覗き見ることはできるが、全ての瞬間を捉えることはできない。
一部の成功や美しさを強調するために、手紙を投函する人が、あまりにも増えすぎた。
理由はいたってシンプルだ。強調された自己主張は、過度なリアクションを提供し、お手軽にドーパミンを生成してくれる。
情報の悪用、人間関係の希薄化、他者との比較。
使用頻度が過度になり、承認を求める強迫観念を生み出すことで、依存症を引き起こす。
利便性が高ければ高いほど、それらから離れることが難しくなり、生活の質が低下することもある。
俺が生まれる前にはすでに衰退し、物心つく頃には全世界で使用禁止となっていた。
俺の居る現代では手紙と言っているが、過去では何という名前だったかな…。