三月少女の劇中劇
私がその真っ白なウサギを見たのは、いつも通り本を読みながら木陰に座っている時だった。六年ばかり前のことだったか。私は刺激のない生活に飽き飽きしていた。毎日学校に行き口うるさい教師と共に書き物や編み物を学ぶ。何とも退屈な毎日だ。
そんな憂鬱な時間から逃れたいときには決まって私は本を持って森に赴く。森の中は少し歩くと暖かい木漏れ日が差し、少しばかりの心地よい風が吹く場所に着く。そこで私は本を広げ空想の世界に入り込むのだ。
ある日、普段通り森に行き、お気に入りの本を読んでいた時のことだ。その日はいつもより森が静かだった。何かがおかしい。御伽噺に出てくる元素の森に出てくるエルフでも無ければ、眠る姫の目覚めの手助けをする妖精でも無い。
だが、私は少しの違和感と気味の悪さを感じていた。こういう森には魔女や狼が出てくるものだ。
もう帰ろうか、そう思い本を閉じた私の視界の端で白いウサギが通り過ぎて行くのが見えた。「急がないと、急がないと」息を切らせがら走っているそれをウサギだと気付くまでには、しばらく時間がかかった。少し遠かったこともあるし、ましてやウサギが言葉を話すだなんて思いもしない。右手に懐中時計を持ち、立派なスーツに小さい蝶ネクタイをした奇妙なものをウサギという動物に結びつけることは、急には出来なかったのだ。
普段なら、ウサギを追いかけるなんてことはしない。しかし、そのときの私は魅せられるかのようにウサギを追いかけた。
「ねえ、ウサギさん。どこへ行かれるの?なぜ、そんなに急いでいるの?」と尋ねるが、ウサギには聞こえていない様子だった。二つ目の低木を抜けたところだったか。前を走っていたはずのウサギの姿は忽然と消えていた。諦めて引き返そうとうしろに歩きだしたその瞬間、私の身体が浮いた。正しくは落ちているのだ。つい、先程走ってきた道に、人ひとり入るぐらいの底の見えない穴が開いていたのだ。驚きで声を出すこともなく私の意識は沈んでいった。
目が覚めたら白いウサギが目の前に居た。間違いない、森に居た二足歩行で服を着た人間の言葉を話すあのウサギだ。綿菓子のようなフォルムに英国紳士が着るようなスーツがアンバランスでとてつもない違和感を醸し出している(蝶ネクタイだけなら可愛らしいのに)。知らない場所に居るのにも関わらず、そんなことを考えてしまうぐらい、愛玩動物が人間のように歩き、口を利くことの異様さに気を取られてしまっていた。
「君、大丈夫かい」とウサギがうさの空の私に尋ねた。
「ええ」と私は答える。ウサギはそう聞くと安心したように「そうかい。良かった」と言った。
「こんなところでどうして寝ていたんだい?」
「わからないの……穴に落ちたらここに来てしまったみたい」と聞いた途端ウサギは黙ったまま俯いてしまった。
何とも言えない不安に襲われた私は間髪入れずに続ける。
「ここはどこなの?」
「ここはワンダーランド。君が来た世界とは違う世界だよ」
「なぜ、ウサギさんはしゃべれるの?」
「ワンダーランドではウサギもネコもカエルでもしべることが出来るのさ」
「なぜ、ウサギさんは私の世界に居たの?」
「女王様御所望の品を取りに行くためだよ」
「じゃあ、どうしたら私は元の世界に帰ることが出来る?」
ウサギは小気味良く返答してくれたが、また考え込むように俯いてしまった。気まずい沈黙が訪れる。居心地が悪くこの場から逃げてしまいたいぐらいだが、見知らぬ土地で迷子になることだけは避けたかった私はウサギの答えを待つほかなかった。ウサギがこちらの顔色を伺いながら言いにくそうに口を開く。
「分からないんだ」
「分からない……」と私はウサギの言葉をそのまま繰り返した。
「でも、僕はこれから赤の女王のお城でティーパーティーに参加するんだ。赤の女王なら君を元の世界に戻す方法が分かるはず」慌ててウサギが励ますように言う。
「ご一緒してもよろしいかしら?」と私が聞くとウサギは「もちろんだとも」と快く受け入れてくれた。
「そういえば、名乗るのを忘れていたね。僕は白ウサギだ。これからよろしくたのむよ
「私はアリスよ。こちらこそよろしく」白ウサギが手を差し出してきたため握手する。
「そうか君が例の……」小さくウサギが呟いた言葉は私には聞こえなかった。
解決の糸口を見出せた今、先程のような不安は薄れていた。赤の女王の城はここから水晶池にかかる一本橋を通り、豆の木を右に曲がる。そこから突き当りまでまっすぐ進むと鏡の城にあるレッドゴールドが印象的なアンティークミラーの中を潜り、大きい町に出る。そこから少し坂を上ると赤の女王の城に行くことが出来る。そこにある赤と白の薔薇に囲まれた庭でティーパーティーを行うらしい。
歩きながらウサギはこの愉快なワンダーランドについて様々なことを教えてくれた。ワンダーランドは元居た私の世界とは全く原理が違うらしい。食べると大きくなるケーキに若返りの薬、お菓子の家など本に出てくるような魔法の食べ物があるらしい。未知の食べ物の数々に私は胸を躍らせた。
町に着くとそこは変わった風貌の人々でにぎわっていた。イタチにパピーに鳥獣とウサギのほかにも人間と同じように暮らしている光景に目が慣れない。人間も変わった服装でまるでハロウィンの仮装大会に居るのかと錯覚するぐらいだ。町並みを見ながら歩くと一つの店に人だかりが出来ているのが見えた。ウサギが言うには町でも有名な煎り豆の店らしい。ここの煎り豆はおいしいのは勿論、稀に腹に芽を宿すらしい。怯えている私の顔を見て、ウサギは「僕の知り合いには一人しかいないから大丈夫だ」と笑っていた。
気が引けつつも、客が口を揃えて絶品だと言うので中に入りカウンターに向かい店主の多分髭面であろう男に注文する。多分、というのも男の顔がどうしても顔が見えないのだ。目がかすんだように顔だけが認識できない。周りの客も体型や服装など大まかな特徴が掴めるぐらいしか見えないのだ。私は底気味悪さを感じたため逃げるように店を出た。
坂を上るにつれ、建物は少なくなり、豪華な門の前に出た。門の前にはハートとダイヤのマークが特徴的なトランプ兵が立っていた。白ウサギが「招待状をトランプ兵に見せてくるから少し待っていて」と言いトランプ兵に駆け寄る。ハートのクイーンが描かれたトランプに『ティーパーティーにご招待します』と書かれた招待状を見せ中に入る。
門の中に入ると、「そういえば」と白ウサギが何か思い出したかのように小さく囁く。
「決して赤の女王の機嫌を損ねてはならないよ」
ウサギが言うには、赤の女王はとても気性が荒く、横暴で自分のルールに従わない人間を誰彼構わず処刑してしまうらしい――そういった重要なことは早く言ってくれ。そう思ったが声に出してはいけない。門をくぐってから嫌な予感をひしひしと感じていた。女王に忠誠を誓った兵士たちに聞かれてしまったら一発で処刑台に上がることになるだろう。下手な真似は出来ないと子供ながらに思った。
赤と白の薔薇が生い茂った庭に出ると純白のテーブルクロスが敷かれた大きなリフェクトテーブルが見えた。トランプ兵がせっせと働いている中、私達はテーブルの端のほうに座らせていただく。給仕から小花の装飾が綺麗なティ-カップと薔薇のように赤いラズベリーパイが出された。
「しばらく席を立たせてもらうよ」白ウサギが徐に席を立ち城内に入って行った。
一人になってしまった。仕方ないのでパイをフォークで切り分けて口に運び、紅茶をすする。甘く煮詰まれたラズベリーパイの香ばしい香りと爽やかなアールグレイの香りが鼻に抜ける。心地良い余韻に浸っていると、変に甲高い声が話しかけてきた。
「お嬢ちゃん、見ない顔だね。どこから来たんだい?」
声のするほうに目を向けると、くねくねと身体を揺らすこげ茶色のウサギと変わった帽子をかぶった紳士が居た。
こげ茶色のウサギは三月ウサギ、紳士は帽子屋というらしい。三月ウサギは瞳孔を開きっぱなしだし、帽子屋は笑顔だが何とも胡散臭い。元の世界に居たら関わりのない類だなと思いつつも、仕様がないのでナプキンで口を拭い、二人に向き直る。
「違う世界からよ」と私は答える。
「へえ。そうなのか」と興味無さげに三月ウサギが返す。興味は他に移ったようだ。
「そうだ、お嬢ちゃんワインはいかが?」魔を置くことなく三月ウサギが続ける。
「ワインなんて見当たらないじゃない」
無いワインをどうやって寄越すというのだ。不思議そうな私の顔を覗き彼は吹き出した。
「ぎゃはは、そりゃあ、ワインなんてここには無いからねえ」三月のウサギはおかしそうに笑いながら言う。白い目を向ける私に気付くか否かウサギはまた口を開いた。
「そのクッキーおいしい?」
「ここにクッキーなんて無いわ。それに、人の顔を見て笑うだなんてぶしつけよ」
「それもそうだ」またケタケタと腹を抱えながら三月ウサギが言う。この狂った三月のウサギと話していると頭が痛くなってくる。そんなことを思っていると帽子屋は胡散臭い笑顔を張り付けながら切り出す。
「三月ウサギ、宝探しをしないか」
「いいね、僕もちょうど宝探しをしたかったんだ」と三月ウサギが声を弾ませながら言った。たった今、私をおちょくっていたくせに虫のいいやつだ。
「庭のどこかにハンカチを落としてしまったんだ。それを探し出してきてほしい。探し出せたら何かご褒美を上げよう」と言った。
「ようし、任せろ、俺がすぐに見つけ出してやる」と三月ウサギは駆けだしていく。やっと、この狂った三月ウサギから解放された。
「ありがとう、帽子屋さん」と私が言う。
「いいよ、あいつが悪いことをしたな」と帽子屋は申し訳なさそうに言った。
狂ったウサギが居なくなったため、また静かに茶を飲む。心労の原因が居なくなり、私は湖面のような心を取り戻した。向かいに帽子屋が座りながら真剣な面持ちで尋ねてきた。
「なあ、君にはこの世界がどのように見えている?」
私は質問の意図が見えず帽子屋を見返す。
「質問を変えよう。君はここに来るまでに誰と会った?まさか白ウサギだけじゃないだろう?」
「町で煎り豆のお店に行って店主の男性と会ったわ。他にもそのお店にいる女性とも話したの」
「じゃあ、その人たちの顔や特徴を言えるかい?」
「店主の男性は多分髭が生えてて……、えっと、女性は……」
思い出そうとするが、他の思考が邪魔をして考えることが出来ない。自分の脳のはずなのにうまく動かせないことに焦りを感じる。店主は髭が生えていたか……?まず、性別は何だっただろうか……?
「やっぱり、思い出せないだろう」帽子屋は何か察した一方で、私は考えを巡らせていた。町から城までは歩いて30分足らずだったはずだ。その短い時間で人の顔を忘れることがあるだろうか。確かに言葉を交わしたはずなのに。帽子屋の言葉ひとつひとつが、雨粒のように次々と私の心に波紋を生み出していく。一気に忘れていた記憶が頭の中に入り込んでくる感覚が何とも気持ちが悪い。
「顔にモザイクがかかったように見えるんだろう?必死に思い出そうとしてもノイズでかき消される」と帽子屋は見透かしたように言う。青い顔をしている私を他所に帽子屋は顎に手を当てながら続ける。
「僕は一つ仮説を立てたんだ。この世界は一つの物語なのではないかと。そして、僕らは誰かのシナリオに沿って動くだけの演者でなのではないのかと。」
「僕も君と同じように一部の人間以外、霞がかかったように見えているんだ。なぜだかわかるかい?」
分かるわけがない人の顔に靄がかかることもその意味も。私はただただ、帽子屋の答えを待ちながら首を静かに降ることしか出来なかった。
「それはこのワンダーランドにとってエキストラでしかないからだ。役名の付かない、代替えが利く存在なんだ」
物語で脇役にフォーカスした作品はほぼ無いと言っても等しい。なぜなら、読者が無いからだ。求めていないから顔も名前も強制的に出さないだけ。単純明快な話だ。だが、当事者としては自分と関わる人間を他人に選ばれているようでとても良い気分ではない。
「それに君を一目見て確信したんだ、アリス。この世界は君のための世界で、僕らは助演なんだと」
所詮、僕に与えられた役は主役を翻弄する道化辺りだろうなと帽子屋は諦めたかのように笑う。
「この頃、とてつもない恐怖に苛まれる時があるんだ。まるで自分が自分で無くなるような、そういう恐怖だ。」
話し終えた後、帽子屋の取って付けたような笑顔はもうなかった。
一通り話し終わった後、ハンカチを口に咥えた三月ウサギを懐かしいものを見るような眼を向ける
「僕も最初はきちんとした名前があったはずだった。今では、帽子屋という珍妙な名前になってしまっているけれどね。あの狂っている三月ウサギにもまともな時期があったんだ。今ではああだけれど……」と話し始めた時だったか、突然、騒がしかった周りの声がしんと静まり返り、何かと思い周りを見渡す。お城から真っ赤なハイヒールをコツコツと鳴らしながら女性が入ってきた。あれが、赤の女王だろう。真紅に染められた絹に金色の細かい刺繍が施されたドレスを身に纏い、大振りのルビーをはめ込んだクラウンを頭に乗せ、右手にレイピアを持っておりこの国の絶対的な権力者であることが伺える。赤の女王のうしろにラッパを持った白ウサギが付いてきていた。
「Her Majesty the Red Queen has arrived!」
白ウサギが小さい体を目一杯膨らませ声を張り上げ赤の女王が会場に入ったことを知らせる。私は小さくカーテシーをし、女王へ挨拶をした。
ガシャン――――。突如、赤の女王が玉座を倒す音がした。息の詰まるような静寂が再び訪れる。
「この辛気臭い色を用意したのは誰かしら?」
しんと静まり返っている中、女王が再び黒い玉座を蹴り上げしびれを切らしたように言う。
「はあ?良い色だろう。あんたの血の色みたいな赤よりマシさ」という声がどこからともなく聞こえてきた。いや、目を凝らすと見えるのだ。女王の背後に2つの目玉と大きな口を持った生き物がカメレオンのように背景に擬態しているのが。
女王はそれが見えていないのか、レイピアを振り回しながら喚き散らす。
「うるさいわ!お前がいることは分かっているのよ!」
目玉は怒り狂う女王を気にしていないのか続ける。
「普段、ティーパーティーなんて陳腐なもの開かない姉が珍しくパーティーをすると言うんだ。少し様子を見に来ただけだろう?」
黄金の目玉をもった生き物と獣のような女王の争いを私は口を開けて見守るしかない。あの中に入ってしまったらそれこそ、獣の檻の中に入ってしまうのと同意義だろう。
赤の女王をせせら笑う猫がこちらを捉えると、なにかを察したかのように目を閉じる(目を閉じていると何も居ないかのように見える)
「まあ、ここに来てあんたが何を考えているのかはわかった。だが、この世界はあんたの物語では無い。無謀なことだと諦めるんだな」
女王が口を開いた後には、もうその虚空が目を開くことは無かった。
「はあ、もう台無しだわ!今日はせっかくあの忌々しい女が居ない最高のパーティー日和だというのに!」
女王が吐き捨てるように言うと、トランプ兵が新しく赤い椅子を持ってきた。黒い玉座が素早く片付けられ、レイピアで穴の空いたテーブルクロスは取り替えられ、ティーパーティーは仕切り直しとなった。
この女王の圧倒的な求心力とはなんのだろうか。街に行った際、彼女を称えるような声を両手足で数えられないほど聞いた。だが、当の女王はおこりんぼで手の付けられない暴君だ。この女王のどこが良いのだろうと考える。
ふと、針で刺されるような鋭い視線を向けられていることに気付く。恐る恐るその視線の先を見ると思った通り、彼女だった。私の考えていたことが見抜かれたのだろうか。不敬罪で処刑されるのか。脳内まで監視されてしまうのなら、おちおち紅茶も飲むことなんて出来ない。
「おい、そこのお前」女王が苛立ちを含んだ声色で呼ぶ。彼女はビクリと震えた私の反応を待たず続ける。
「アリス、このワンダーランドに迷い込んだ小鳥だろう?お前が何を私に求めているかわかっている」無言のままでいる私の反応を肯定と取ったのか女王の口元が緩く弧を描く。私の脳内は警笛をうるさいほどに鳴らしていた。嫌な勘ほどあたるものである。青ざめている私をよそに女王は愉快そうな口ぶりで言う。
「答えはNoだ。お前にはこの世界で永遠にさまよい続けてもらう」
「な……なぜですか女王様」手と背中にじっとりと嫌な汗をかく。
「女王陛下」
「女王陛下……」
「フンッ、それはお前がこの世界に必要だからだ。お前がここにいる限りこの世界は永遠に続く。私が一生女王に君臨し続けることが出来るのだ」
「この世界と私が元の世界に戻ることに何の関係があるのですか」声が震える。
「ここはお前が作り出した幻想だからよ。そこの勘の良い男に教えられただろう?この世界は一つの演劇なのよ。このはお前のために用意されたお前のための世界だったのだ。だが、こうしてお前はこの世界に落ちてきた。脚本家はもう居ないということだ」混乱する私に畳み掛けるように言う。
「お前が目覚めてしまうとこの国は終わるんだ。国も民も何もかも全て」
「いやよ!私は帰るの!こんなおかしな世界に居るのなんてごめんだわ!」と聞いた瞬間、弧を描いていた女王の口元が歪む。私は罪人になったような気分だった。
「ほう、そうか。首を刎ねてしまえ!アリスの身体をこの世界に縛り付けるのだ!」
「最初からこうしておけばよかったな。最早、お前の意思など関係ない。トランプ兵!あいつを拘束しろ!お望み通り処刑台に立たせてやるのだ!」
金切り声で女王が命令すると一斉にトランプ兵が私目掛けてとんでくる。
「こんな世界、私の世界じゃない!」
私は思わず叫んだ。何が私のために用意された世界よ、女王に縛られ続ける世界なんて私の世界じゃない、女王の世界ではないか。この女王は助演だなんて枠に収まる器じゃない。
「うるさい!この世のすべては私のものよ!」
叫ぶ女王の声が頭の中で反響する。白ウサギも、帽子屋も、ケタケタと笑っている三月ウサギも皆が女王の意見に賛成しているようにこちらに視線を寄こしながら手を叩く。私は一刻もこの狂った世界から逃げ出すために走り出した。
もう嫌よ!早くお家に返して!そんなことを思っていた時、ふと来た時と同じ浮遊感を覚えた。これで助かる……赤の女王が遠くから喚き散らしながら追いかけてきているのを横目に見ながらアリスの意識は落ちた。
それから意識を戻した私はまた平凡な日常に元通りだ。
私が帰ってからあの国がどのような運命を辿ったのかは知らない。一度、不思議の国と繋がった穴があるのか見に行ったがそこにはもう何もなかった。赤の女王が言っていた通り私が作り出した幻想だったのだろう。
私にとっては壮大な一冊の本でも他人からしたらそれはただの妄想だ。話していたら三月ウサギのように気が狂ったのかと思われるかもしれない。そんなことをしたら私は今頃、夢想家なんて呼ばれているだろう。だから、私はその本を開くこともなければ物語を紡ぐこともページを捲ることさえもう無い。これは私の中での赤の女王に対する一種の意趣返しでもある。でも、彼女のことだから私を連れて行くために夢にでも出てきそうだなんて小さく笑う。
赤の女王が私の夢に出てきたらこう言ってやるのだ。
「私の世界なんだからなんだって思い通りよ」
ダーク姫『アリスと赤の女王の物語』創作コンテス
s40
ID:4001000000002438
ユーザー名:ちぇん