理屈・継続・コミュニケーション
「はぁ・・はぁ・・・」
私の視界には青く澄んだ空がどこまでも広がっていた。
「おいしっかりしろ。ダメだ、止血しろ」
誰かが叫んでいる。そして女性の嗚咽にも似た言葉にならない声。
ああ、ちょうど私が居合わせてよかった。
彼女はどうやら無事のようだった。
体は不思議となにも痛みを感じなかった。本当にもうダメな時、脳と神経は分断されるのかもしれない。薄らいでゆく記憶の中で、私は不思議と幸せを感じていた。
―――
目の前には受付の男が立っていた。
「いや、なかなか惜しい人生でしたね、オオヤマさん。お疲れさまでした。次はver11からの世界になります。すぐに移行してもよろしいですか?」
いや、それは困る。私は受付の男に首を振ってから答えた。
「ちょっと待ってください。私はもう一度ver10の世界でやり直したいと思っています。新しい世界にいくことを望んでいません」
「そう言われましても、世界は未来へ進み、いづれ終了する決まりになっています。ですから…」
「それならなおさら先に進む必要なんてないでしょ。ずっと私はver10の世界がいいですよ」
私にとってこれはどうしても譲ることのできない事だった。
私と受付の男が言い合っているところに、別の男がやってきた。
「すみません。ちょっとよろしいですか?オオヤマさんですよね?」
男は頭を掻きながら私を見ていた。とても優しい目をした青年だった。
「前回ご一緒させてもらった者です。あ、申し遅れました。スガといいます」
「えっと」
前回といわれても思い当たる節がない。
「ほら、あの暴漢がでたときに居合せた者です。私はそれからの人生50年ほどずっとあなたの事が気になっていたのです。どうして彼女のために犠牲となり、彼女のために尽くしたのですか?」
「いえ、私は・・」
「しかも、あなたは彼女となんら深い関係もない。失礼ですがちょっと異常にも感じられる」
「すみません」
「いや、責めるつもりじゃないんです。ただひたすら、あなたのストイックで純粋な行為に感動しただけなんです。私もそのおかげで早期終了せずにすみました。大変感謝しているのです」
そうこうしていると、次々に直近のダイブから戻ってきた人々がロビーで溢れかえる。よくみた顔がそこにはいた。こちらを見ながら手を振っている奴がいる。タケミだ。こちらに駆け足でやってきて言った。
「おつかれさま。あれ?どうしたの?」
タケミはあまりみない男がいたので戸惑ったようだった。私は簡単に現在の状況を説明してあげた。
「そういうことですか。俺こいつの昔からの親友なんですよ。タケミっていいます。こいつはストイックなんてものじゃないですよ。彼は何十回、何百回と同じことをしている。しかも同じ相手に」
スガさんは驚いて言った。「なぜそのようなことを?なにか、実際に彼女とコミュニケーションをとらないことに対して大きな意義を感じているとか?」
タケミは笑って答えた。
「勇気がないだけなんですよ、彼は。それでずっと影で彼女のために尽くしているんです。まぁ、それがこいつのいいところでもありますがね」
人のことをよくもペラペラとしゃべるやつだ。それに俺の考えだってある。
「それでもいつかは伝わる」
そういうとタケミとスガさんは声を合わせて言った。
「無いよ、無い」「無いですね」
私たちのやりとりを聞いていて、受付の男が言った。
「あ、思い出した。またあなたでしたか。前にもそんなことを言う方がいらっしゃったなと思ったのです、オオヤマさん。」
「よく名前までご存じで」と私が答えると、受付の男は言った。
「まぁ、たかだか数千人ですからね。これやってるの。何百回何千回と繰り返していたらそのうち覚えますよ」
タケミが言った。
「ま、君の目標が達成されることを祈っているさ。ただ、同じVer10を彼女が選ぶかどうかは知らないぞ。Ver11もリリースされたことだし」
確かに彼のいうことも頷けた。
「君がそれとなく調査しておいてくれないか?」
「え?俺が?うーん。考えておくよ」
――ホテルにて
私とタケミは熱いコーヒーを飲みながら前回の体験について振り返っていた。
「そろそろ何千年何億年につづくこの生活も終わりにしたいものだ」とタケミが言った。
「おわってどうするんだ?」
「知らないよ。次のバージョンに移行するんだ」
「勘弁してくれよ」
「ところで、調べてきたよ。彼女はまたver10にするそうだ。2000年の日本、大阪府指定だそうだ」
「すごい。どこで調べてきたんだ?この仕組みを作ってる人にでも聞いたのか?」
タケミはとにかくいろいろな情報源を持っている奴だった。私と違って交友関係がとても広い。
「ああ、あのシステムヲタクか。いつもブツブツいいながら炭酸飲料を太った腹に放り込んでいる。でも彼じゃない」
まぁ誰からの情報でもいい。タケミの情報は常々信用できるのだ。そうすると私には迷いはなかった。私も同じ2000年の日本、大阪府指定で始めるしかないのだ。
「それで、どうして君はそうしてでも、直接彼女と話そうとしないんだい?何百回繰り返してきた?それとあと未来に何千回繰り返す気だ?」
「うーん。なんかきかっけがないんだよね。あと自分に自信もない。いつもそうなるんだ」
――翌日
私はホテルの朝食バイキングでタケミと朝食をとっていた。やはりホテルで食べるクロワッサンはパン屋さんのそれとは違うように感じられる。どういうわけかとてもサクサクとしていて、濃厚なバターの香りがそそるのだ。
「おい、聞いたか。昨日あの後に情報が入ってきてさ、この仕組みを破棄するらしい。どうやら成果がなかなかあがらず、そのことでうちのボスがお怒りだそうだ。もうだいぶ歳だしな、老人になるとなにかと怒りやすくなる。ただ、よそとくらべて成果が1ポイントも低いのは確かだ。次の最後の一回やったらおしまいとのことだ」
「ver11の話はどうなった?」
「ああ、あれはお蔵入りさ。まぁ、結局その先は人類も収束して滅亡するだけだからね。特に面白味もないよ。もちろん、技術的な発展はとてもユニークなものであるけれど、だからといって楽しい体験になるかというとそうでもない。そもそも原始的で野蛮だった時代も、高度文明時代も幸福レベルはそう変わらない。慣れてしまえばみんな同じさ」
そこへ、スガさんがやってきた。タケミがみつけて声をかけた。
「やぁ、昨日はどうも。ご一緒にいかがですか?」
「どうも。ではお言葉に甘えて」
我々は3人で食事をとりながら今後の事を話し合った。
「システムがどうやらバグでおかしくなったみたいですね。始まるのは前回の途中からということです」
「どういうことだい?」タケミが尋ねる。
「システム担当者が今更ながらにバグを発見したらしいです。しかしもう予算が下りないから後一回分はもうこのまま強行して運用するとのことです」
私は言った。
「今度こそ最初からうまくやろうとおもったのだけれど。まぁ、そもそも記憶が持ち越せないのだけれど。結局このまま同じ結果になるだけかもしれないな…」
私は半ば絶望していた。途中からで、しかも後たった一回しかないんだって?どうにかなるとは到底思えない。少なくともあと100回くらいは繰り返したいのに。
私が言うなり、タケミはため息をついてから言った。
「君の覚悟は大いに結果に影響する。そんなことも知らないのか?腑抜けた運命論者か?体験的にわかっているはずだ。俺にこんな当たり前のことを言わせたいだけか?なんのために?」
「分かっているよ。そんなことは」
「とにかく、よく落ち着いて挑むことだ。『理屈・継続・コミュニケーション』だ。うちの社訓だろ?」
「ああ…」
私はもやもやした気持ちのまま、結局最後のダイブを行うことになった。
――最後のダイブ
私は気が付くと電車の中にいた。ああ、そうか、今日は高校生最後の日だ。卒業式の日だ。
3月23日金曜日 日本の大阪府 高等学校三年生卒業式の日。それにしてもどういうことだろうか。ちょっと記憶が残留している。これもシステム担当者が残したバグってことか。でも好都合だ。人生二回目並みに有利だ。しかし、今日が卒業式というのはいただけない。私は東京の大学への進学が決まっている。今日しかチャンスがない。だから今日を逃してはもう彼女と話す機会はないだろう。
朝から私は悶々としていた。うまく彼女に話しかけ、連絡の一つでも交換することができるだろうか。まだ時間はある。登校中、学校内、もしくは下校中。
私は自宅を出ていつもの7時50分発の電車に乗った。そうすると次の駅で彼女は前から4列目の車両に乗ってくる。ほら乗ってきた。でも彼女の友達がそこにはいる。話しかけることなんてできるわけがない。学校でなんとか彼女に話すことができるだろうか。しかしそれはとても困難だ。周囲の目が多すぎる。というか、そもそも他人の目を気にする必要はあるのか?今日が最後なのに・。それにしても数回しか話したことないのにどんなタイミングで何を話すんだ?
時間は刻々と過ぎていった。卒業式の後、クラスルームで顔を合わせる。あっという間に帰り道。結局私に勇気などあるはずもない。
――よく考えろ
私は私自身に問いかけた。たとえば、私が彼女に声をかけたときと、かけなかった時はどちらが得なのだろうか、と。声をかけなかったら無下に断られることがなく傷つかない、しかし彼女とこの先コミュニケーションする機会はないだろう。それは大きな損失だ。
声をかけて無下にふられたらどうなる?とても傷つくじゃないか、それこそ世界が何千回と終わるくらいのダメージだ。とてもそんなことはできない。それにいまさら急に話しかけるなんて不自然だ。いやいや、そんなに不自然だろうか。よくあることじゃないか。卒業式に思いを打ちあけるっていうことはさ。それに、今回でこの世界も最後だと言っていた。本当の最後の最後っていうやつじゃないのか。
そもそも、私は考えた。そんなに傷つくことが悪い事なのか?人は傷ついて成長するのではないか?それはとってもお得なことかもしれない。この先の人生において。一つの区切りにもなる。そう考えてみると、声をかけることにデメリットはない。メリットしかないではないか。
だがどのタイミングで声をかける?
彼女が彼女の最寄り駅で降りたとき、つられて私も降りた。
――ちょっとまてよ?最寄駅まできて声かけるなんてちょっとおかしなやつじゃない?ストーカーかよ?だめだ、そんなことできない
彼女の背中が遠ざかっていく。
あーだめだ。いや、きっとそういう運命なんだ。
その時誰かが彼女に声をかけた、知らないやつだがどこかで見覚えのある顔だった。たぶん俺と同じことを考えていた奴がいたのだろう。先を越された。彼女はクラスでとても人気があるかというとそうでもないが、きっと彼女の魅力に気づいていた奴が他にもいたんだ。もうだめだ。結局この人生が最後だとわかっていてもそれでも私は彼女に声をかけることさえできなかった。
男と彼女はいくつかことばを交わした後、私のところへやってきた。
「どうしたの?オオヤマ君」
「え?」
なにがどうなっているのかはよく分からないが、彼女が私に話しかけているようだった。となりの男も私をみて答えをまっているようだった。
「えっと。そうだ。同窓会、同窓会するときのために連絡先、教えてくれないかなっていう話?」
とっさに思いついた事を口に出していた。
彼女はこたえた。「あ、そういうことなのね」
そういって、彼女はすんなりと連絡先を交換してくれた。
「オオヤマ君は東京の大学だったっけ?」
「え、ああ。そうだよ」
「みないろんなところに散っていくから寂しくなるよね」
「そうだね」
「じゃあ、またね」
彼女はそう言って、手を振って行ってしまった。
その場には私とよく知らない男の二人が残された。
「えっと、あなたは?」私は彼に尋ねた。
「菅原と言います。もとい、スガです。わたしですよ!」
少し頭をひねって考えた。そうか、つい先日わたしに話しかけてくれたスガさんだ。
「あなたの助けになりたくてね。この前は本当にお世話になりましたから」
「しかし・・」
「恩は返しておかないとね。本当は一つの一生の中でやるべきなんでしょうけど。まぁ持ち越すしかない場合もありますし。ただ、ここからはあなたの本気度がものをいうんです。大丈夫です。私はとことん付き合いますよ?」
どうやら私にはタケミに続いて、とても心強い友人ができたようだった。
おわり