レシピ6 よく煮えたら急接近を適量加えて……
「……ちょっと……イエーガー……?」
イエーガーの胸を押し返そうとしたシャルトリューズは、自分の手に伝わる動悸の速さに思わず手を止めた。
(――え!? なにこれ――5秒間で……13回……!?
……速すぎよね?
えーと、13×12=156/分……やっぱり、心拍数が速すぎるわ! 正常安静時の約1.5倍……!)
イエーガーは黙ったまま、シャルトリューズのことを離そうとしない。
(……ピッペリーが怖かったのかしら?
でも最初の威勢は良かったし、その可能性は低そうね……。
もしかして、さっきイエーガーがかけた瓶の中の成分に、混ぜることで心拍を亢進させてしまうものがあったのかしら? これは――分析が必要ね……)
イエーガーの腕の力がさらに強まり、シャルトリューズはついに身動きすらできなくなった。
仕方なくシャルトリューズは、ずっと我慢していた言葉を口にした。
「ごめんなさいイエーガー。臭いわ。凄まじく臭いの。離れてくれる?」
イエーガーは、パッとシャルトリューズを離した。
「……お……っ! お前だって十分臭えんだよ! よくも人のことを……あ! お前……っ、ケガは!?」
「してないわよ」
慌てるイエーガーとは対照的に、シャルトリューズはまったく普段と変わらない冷静な表情で、淡々と答えた。
イエーガーは怪訝な顔で睨みながら、シャルトリューズの腕を指差す。
「かじられてただろうが。傷見せてみろ」
「傷なんかないわよ。これ防牙・防爪素材だもの」
シャルトリューズが袖をまくると、まったく無傷な腕が現れた。
「……は? ……え?」
イエーガーは目を丸くして、シャルトリューズの顔と腕を交互に見比べている。
シャルトリューズの言っている意味が理解できないようだ。
「私の特殊レシピで抽出した溶液に衣服を漬け込むと、生地が硬化して防御力が2.5倍に上昇するの。
ちなみにレシピは機密事項だから。たとえ拷問されたって吐かないわよ」
ちなみにこの防牙・防爪素材の研究費が、どこの団体から提供されているのかは、シャルトリューズの父すら知らないのであった。
「するわけねえだろ拷問なんか。
……なら、怪我はないんだな? どこも痛くないんだな?」
「ええ。全く。ちっとも。まあ、あえて言わせてもらえば、私の最も負傷レベルの高い器官は鼻ね、鼻。
あんたがカバンの中身全部かぶって抱きついてくるから、嗅覚が完全にダウンしたわ。
それになに? 発情期野郎って。
私、あれは雌だって説明したわよね? 雌に向かって野郎呼ばわりするのは誤った呼称ではないかしら?」
「……だ……っ! 抱きついたんじゃねえよ! 庇ってやったんだろうが!
冷静にツッコんでんじゃねえよ! 雌でも雄でもなんだっていいだろ!
本当にかわいくねえ女だなあ! ……こっちは、死ぬほど心配したってのに!」
「あら? そんなに心配してくれたの? あんた、案外いいやつなのね。
私のことは大嫌いなんだと思ってたけど」
「――っ! なんで……そうなるんだよ」
イエーガーがシャルトリューズを睨んだ。
「だって、あんたって私を見るたびに『不愛想女』とか『無表情女』とか『ガンつけてんじゃねえよ』とか悪口言ってくるじゃない?
あとなんだっけ、『顔面プレートメイル』とか」
「……っそれは……!」
口を開きかけたイエーガーを無視して、シャルトリューズは言葉を続けた。
「でも私ね、思うんだけど……私の方からあんたを睨んだことなんて、たぶん一度もないと思うのよ。
あんたがいろいろ言ってくるから返事をしてたけど、私あんたのことなんか、正直眼中になかったし」
「……だから、お前のそういう一言がいちいちムカつくんだよ」
睨むイエーガーを意に介さず、シャルトリューズは肩をすくめた。
「ごめんなさい、悪気はないのよ。
でもまあ、今だったら……眼中に入った感じがするかも」
シャルトリューズは改めて、目の前のイエーガーをじっと見つめた。
「……は? ……な!? な、なに言ってんだよ!」
「あら? もしかして照れてるの? あんたって、もしかして実はかわいいところもあるのね」
「うるせえ! 照れてなんかねえよ!
お……お前の眼中に入ったくらいで喜ぶわけねえだろ! 身の程を知れ!」
イエーガーは赤くなった顔をシャルトリューズから隠すように立ち上がると、すぐに歩き出した。
「ほら! さっさと出発するぞ!」
シャルトリューズの中で、イエーガーの印象がまた少しだけ上向き修正された。