レシピ5 味が薄いと思ったときは、もう少しピンチを加えましょう
ピッペリーとシャルトリューズの間で、静かに繰り広げられている死闘を、イエーガーは呆気にとられて眺めていた。
「どう? 臭いでしょ? 臭いわよね? あなたの嗅覚にこの臭気は相当なダメージのはずよ。
さあどうするの? 大人しく帰るなら許してあげる。でも素直に帰らないのであれば……あなたの風上に回り込むわよ! それでもいいの?」
ドダダダダダダ……!
ピッペリーは逃げ出した。
知能の高いピッペリーは、気づいたのかもしれない。
この人間の女には勝てないということに――。
ピッペリーの後ろ姿を見届けたシャルトリューズは、優雅に前髪をかきあげながらイエーガーをふりかえった。
「いかがかしら?」
基本的にシャルトリューズは無表情が標準仕様だが、今は勝利の興奮で目には力が宿っており、少しだけ口角が上がっている。
ちなみに、父がこの場にいたのであれば、今のシャルトリューズが超テンションMaxであることが判別できたであろう。
「『いかが?』じゃねえよ。なんだよその得意げな面は。
その勝ち方、本当にかっこいいって思ってるか?
そして今お前めちゃくちゃ臭い。すんごい臭い」
鼻をつまみながらイエーガーが文句を言う。
「私が調合した有蹄目シシーノ科撃退用香水よ。これを振りかければピッペリーの62.8%に対して忌避効果があることが実証されているわ。(シャルトリューズ調べ)
はい。だからあんたもかけて」
カバンから瓶を取り出したシャルトリューズが、イエーガーに手渡そうと近づく。
しかしイエーガーは、シャルトリューズが近づくのと同じだけ後ろに下がった。
「やめろ来るな。嫌に決まってんだろ。そんな臭いもの体につけられるかよ。しかも62.8%ってなんだよ、その微妙な効果は……」
「それはね……きゃあ!」
説明しかけたシャルトリューズが悲鳴をあげた。
またもやピッペリーが現れて、シャルトリューズに体当たりをしてきたのだ。
「大丈夫かシャルトリューズ!
やっぱりその臭いやつ、全然効いてねえじゃねえか!」
すぐに攻撃態勢に入ったイエーガーを、再びシャルトリューズが制した。
シャルトリューズは、自分のカバンをイエーガーの方へ放り投げる。
「ダメ! 殴っちゃダメよ!
私がさっき使ったピリリールは発情期の雌ピッペリーには効果が薄いの! そのカバンの中からペリリルアールを出して使って!
その臭気なら発情期の雌に対して78.3%の忌避効果が見られたわ!(もちろんシャルトリューズ調べ)」
「……これか!」
イエーガーが瓶のラベルを確認して自分にかけた。
つんと鼻を刺激する不快な臭気が漂う。
「ちょっと、それ違うわ! それはペリールアルカよ。ちゃんとラベル読んだの?
薬草成分に類似名称が多いのなんて常識でしょう? あんたそれでも薬草酒屋の息子なの?」
「う、うるせえっ! ……ってお前っ!
かじられてないか!? おいおい! 食われてるんじゃねえのか!?」
イエーガーの目に映るのは、ピッペリーに腕をガジガジされているシャルトリューズの姿だった。
「大丈夫よ。それよりペリリルアールは見つかったの? 最初の三文字で認識してはダメよ。
さっきも言ったけれど、薬草成分には類似名称が多いからちゃんとラベルの名称の末尾までよく読まないと……」
「うるせえっ! 黙ってろ! 人のことよりピンチならピンチらしくしてろっ!
……って、お前やっぱりかじられてんじゃねえかよ! なんでこんな時でもお前は無表情かつ冷静なんだよ! 状況にあったリアクションをしろよ!」
イエーガーはもはやラベルを確認することすらせず、瓶の中身を片っ端から自分にぶっかけた。
「どけっ! この発情期野郎っ!」
イエーガーはピッペリーとシャルトリューズの間に無理やり割って入った。
そして、シャルトリューズを地面に押し倒すと、庇うように覆いかぶさった。
ピッペリー(発情期の雌)は、あまりの悪臭に引き裂くような悲鳴を上げて逃げていく。
想定外の救助法を目の当たりにし、シャルトリューズはしばらく反応できなかった。
イエーガーの体温が伝わる距離。
イエーガーの大きな安堵のため息が、自分の髪をなでていく距離。
未だかつてない至近距離にイエーガーがいた。
「……ありがとう。助かった……わ!?」
再度の想定外がシャルトリューズを襲った。
ゆっくりと体を起こしたシャルトリューズのことを、イエーガーが強く抱きしめたからだ。