30/『鮮血のハイエナ』
がたごとと揺れる馬車の中で、エルフィがルーナに本の読み聞かせをしている。
「――『こうしてたくさんの怪物を生み出した『黒の大母』は、神器を操る弓使いによって封じられたのでした。めでたしめでたし』」
「弓使いが解決したのね! カイみたいな人間ってこと?」
「そうですね。まさにその通りです」
エルフィが言うとルーナは「それなら納得ね!」となぜかうんうん頷いていた。
エルフィが読み聞かせている本の内容は、『ラルグリスの弓』にまつわる逸話の一つだ。
数十年前に出現した怪物、『黒の大母』。
『黒のサイクロプス』、『黒のレイス』など、数々の凶悪な魔物を生み出した大元だ。
世界を揺るがしかねないその怪物は、子供ともどもすでに撃破、あるいは封印されている。
厳密には『黒の大母』と子供の何体かは倒せていないらしいけど、厳重に封じられているので、まあ討伐されたのと同じことだろう。
そしてそれを成し遂げたのが、当時の『ラルグリスの弓』の担い手らしい。
……ちなみにそのあたりのことも、エルフィが教えてくれるまで知らなかったわけなんだけど。
(……今更だけど、僕が担い手になった原因って結局何なんだろう?)
『ラルグリスの弓』は世界の危機に応じて担い手を呼ぶ。
僕が選ばれた以上は何かしらの危機が迫っているのかもしれないけど……今のところそんな様子はまったくない。
おかげで僕のほうにもいまいち実感がない。
いつか僕も『黒の大母』のような怪物と戦う時が来るのだろうか。
……怖すぎる。できるなら関わりたくない。
けど、神器をばっちり活用させてもらってるし、知らん顔もできないよなあ……。
そんなことを考える僕の向かいの席では、エルフィが読んでいた本をルーナに手渡していた。
「では、今度はルーナちゃんが読んでみてください。間違っていたらその都度教えますから」
「わかったわ! えっと……『数々のきょうぼうなまものを生み出した『黒の大母』は――』」
たどたどしい発音でルーナが本を読み上げていく。
彼女たちが何をしているかと言うと、ルーナに人間の文字を教えているのだ。
僕たちがいた街から、魔物学者がいるという王都まで馬車で数日。
せっかく時間があるのでルーナが文字を覚える訓練の時間に充てているのだった。
ちなみに本の内容が『ラルグリスの弓』関連なのは、あの本が教会から拝借してきたものだからだ。
教会はたまに読み書きや算術の教室を開いているんだけど、そういう時は神様に関する記録を教科書代わりにするそうだ。
ルーナは物覚えがいいのか、何回か読んだだけでかなり文字の読み方を覚えてきている。
このぶんなら普通に書き取りができるようになる日も近いだろう。
そんな感じでのんびりとした馬車での移動を満喫していると――
ドスッ、という音がして客車の壁から矢の先端が飛び出してきた。
……え? 何これ? 何で壁から矢が生えてるの?
「ヒャッハァアアアアアア! 盗賊団『鮮血のハイエナ』のお通りだァ! 命が惜しけりゃ馬車を停めて金目のもんと女を差し出すんだなあ!」
「「「イヤッハァアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」
後方から野太い男の大合唱が響いてくる。伴って、大量の馬が追いかけてくるような蹄の音も。
「ま、まずいですよお客さん! 盗賊どもに嗅ぎつけられました!」
御者が馬を必死に操りながらそんなことを伝えてくる。
「盗賊ですか……数はどれくらいかわかりますか?」
「正確にはわかりませんが、おそらく三十人近いかと……」
三十人。また随分な大所帯だ。
「仕方ありません。応戦します。絶対に馬車を止めないでください」
「え? 応戦って――」
今は遠くから矢で攻撃されているだけだけど、接近されたら厄介なことになる。距離があるうちに迎撃してしまおう。
僕は窓に身を乗り出し、そのまま客車の屋根に上る。
背後を見ると、確かに三十人近い盗賊たちがこちらに向かってきていた。
まあ、このくらいなら何とかなるだろう。
しかし敵はそれですべてではなかった。
「来た来た来たァァァァァァァ! 飛んで火に入る夏の虫だぜぇえええええええええ!」
「「「ひゃっはぁああああああああああ!」」」
「――、前からもか!」
今度は馬車の前方から声が響く。
視線を向けると、馬車の通り道を塞ぐように盗賊たちが立ちふさがっていた。
人数は十五人ほどだけど足止めされると厄介だ。
挟み撃ちか……これはまずい。さすがに『ラルグリスの弓』でもこの距離で挟まれると一度に応戦するのは難しい。
(……あのスキルを使うか? いや、でもなあ……)
頭に浮かぶのは大地虎を倒した時に解放された『ラルグリスの弓』の新スキル。
あれを使えば状況を打破できるかもしれないけど、色々と考え物だ。
あれはかなり使い勝手が悪いからなあ……。
なんて考えていると。
「あっ、ルーナちゃん!」
エルフィの制止するような声。
次いで、だんっ、という音とともにルーナが客車の上に登ってくる。
「カイだけじゃ大変でしょ! 手伝うわ!」
「気持ちは嬉しいけど……ルーナって遠距離攻撃の手段あるの?」
まさか斧でも投げるつもりだろうか。
「ふふん、カイってばあたしの正体忘れたの? あたしの氷魔術なら、あのくらいの数一瞬で吹っ飛ばせるわ!」
あ、そうだった。ルーナは単なる『重戦士』ではなく魔術を操る氷竜なのだ。
「人間の姿のまま魔術も使えるの?」
「やったことないけど、たぶんいけるわ!」
「よし、それじゃあ前のほうの盗賊をお願い」
「任せて!」
例によってルーナの正体は極力隠すという基本方針に従い、人間状態で応戦するよう頼んでおく。
「ま、待ってください! 本当にやるつもりですか!?」
御者が悲鳴のように叫んだ。
「さすがに無抵抗というわけにもいきませんからね」
「ですが、『鮮血のハイエナ』といえば、このあたりでは有名な盗賊どもです! 人数はもとより有名なのは首領と副首領の二人!
彼らは冒険者上がりでそれぞれレベル四十近いと言われているんですよ!? そんな相手に――」
「【アイシクル】!」
「「「ぎゃあああああああああああああああああ!?」」」
ルーナが放った氷柱の群れは前方の盗賊たちを見事に吹き飛ばした。
「なっ……『鮮血のハイエナ』たちが一撃で……!?」
凄まじい威力のルーナの魔術攻撃を見て御者が唖然とした呟きを漏らす。
まあ、ルーナの力ならあのくらい余裕だろう。
「それじゃあ僕も――【加速】【増殖】×四十、【絶対命中】」
「「「うぎゃあああああああああああああああああああああああっ!?」」」
こっちもこっちで後方の盗賊たちを処理しておく。
まだ距離を詰められていないこともあって完全にこっちが有利だった。
二、三回射撃を繰り返すと後方の盗賊たちを全滅させることができた。
「ば、馬鹿な……!? こんな一瞬で『鮮血のハイエナ』を壊滅させるなんて……あなた方一体どうなっているんですか!?」
御者が混乱したように頭を振り回して叫ぶ。できれば馬車の操縦に集中してほしいところだ。
「……(がたがたがた)」
「……ルーナ?」
あれ、何だかルーナの様子がおかしい。
よく見ると、がたがた震えているような……って何か顔色悪くない?
「ルーナ、どうしたの?」
「わ、わかんないわ。なんかすっごく寒い……」
耐えかねたのか、ルーナは熱を求めるように僕にぎゅうーっと抱き着いてきた。
って冷たい! 本当にルーナの体が冷たくなってる。どうしたんだろう?
考えられるとすればさっき盗賊に使った氷魔術だ。
けど、自分で使った氷魔術のせいで自分が凍えるなんてことがあるわけ――いや待てよ。
通常、『魔術師』は職業スキルで自分の魔術への耐性をつける。
対してルーナは魔術的な補正が一切ない『重戦士』。
それがこの症状の原因じゃないだろうか。
「ルーナ、これからは人間の姿で魔術は使わない方がいいかもしれない」
「そ、そうみたいね……」
本来の飛竜の姿であれば自分の氷魔力への耐性もあるんだろうけど、人間状態ではそうもいかないようだ。
氷魔術も使い放題の『重戦士』なんて、実現すれば凄いことだけどそううまくはいかないらしい。
その後僕たちは盗賊たちを縛り上げ、御者の魔晶石で近くの街の衛兵に通報。
衛兵が来るまでに盗賊たちの根城を聞き出し、残っていた者たちも無力化してから最初の連中ごと衛兵に引き渡した。
衛兵たちには感謝された。どうもこの盗賊たちは周辺を荒らす厄介者だったらしく、冒険者ギルドに討伐依頼まで出されていたそうだ。
その話を聞いてルーナが得意そうな顔をしていたのが印象的だった。
そんな感じで移動すること数日。
「見えてきましたよお客さん。あれが王都です」
「おー……」
「私たちがいた街より随分大きいですね」
「壁が高いわね! ……飛んで入ったら格好いいかしら?」
見えてきた光景に僕たちは思い思いの感想を言う。
僕たちは無事に目的地へとたどり着くことができたのだった。
……さて、目当ての魔物学者は一体どんな人物だろう?




