甘いお菓子はお好き?
ボルシュ王国の東側には、隣国を挟む形でクルッツェンと呼ばれる森が広がっている。そこは別名『不可侵の森』と呼ばれており、誰も立ち入ることができない魔の森として有名だった。
曰く、気づいたら元いた場所に戻っている。
曰く、元いた場所に戻ると同時に、採取したものもなくなってしまっている。
曰く、その森があるおかげで攻め入ろうとした隣国の人間たちを退けることができた……などなど。他にも様々な逸話を持つ不気味な森として、周囲に広まっていた。
しかしその中には、不思議なことを言う人間もいる。それは決まって、森に迷い込み行き倒れていた人たちだった。
彼らは言う。
「森の奥底には、ぬばたまの髪と漆黒の瞳を持った魔女がいる」と。
その魔女はとても美しい見目をしているらしい。白磁の肌と赤々とした唇が艶かしい絶世の美女だったと、見た者は興奮した様子で語っていたとか。いつもつややかな黒のドレスを身にまとっており、全身真っ黒の姿から黒の魔女という呼び名がついたほどだ。
そしてその魔女は、彼らが目を覚ますと決まってこう口にするのだ。
『あら、起きたの? なら――』
お茶の時間にいたしましょう――と。
*
アルベルティーネがクルッツェンの森に住み始めたのは、二百年ほど前からだった。
彼女の役目は、『この森に誰も入れないこと』。もっと詳しく言えば、『何人たりともこの森を抜けさせないこと』だ。
しかしその中にも例外がある。
それが、『生き倒れた人』だった。
別段気にすることでもないし、瞬間的に森の外に転移させてしまえば問題ない。のだが。
以前その人間が熊に食われたとかそのまま干からびて死んでしまったとかいう話を小鳥たちから聞いてから、アルベルティーネはそういった人間たちを介抱してから外に放り出すことにしたのだ。
理由は単純明快、後味が悪いからだ。だから意識がしっかりある人間だけを放り出すことにしている。
最初のうちはそんな罪悪感から始めた行為だったが、純粋な娯楽としてなかなか楽しいことに気づいた。
実際、客をもてなすのは楽しい。
始めのうちは薬草茶や簡素な食事だけを振る舞っていたアルベルティーネだったが、凝り始めるとなかなか奥が深く彼女はすっかり料理や菓子作りの魅力にハマってしまった。
特に楽しいのは、行き倒れていた人が目覚めたときに茶と菓子を振る舞ったときだ。
そのときの様子ときたら。
皆一様に警戒した表情を見せた後、菓子を一口口にした瞬間目を丸くしてがっつき始めるのだ。
それはずっと続けている役目の合間に起きる些細なことだったけれど、アルベルティーネのいい暇つぶしになってくれていた。
――そして今日もどうやら一人、行き倒れがいるようだ。
アルベルティーネはその人間を連れ帰りベッドに寝かせ、鼻歌を歌いながらお菓子を作り始めた。
*
「あら起きたの? なら、お茶の時間にいたしましょう」
今日も今日とて、アルベルティーネは同じ言葉を起きてきた人間に言った。
今回の人間はとても珍しい。なんせ、十歳いくかいかないかくらいの男の子だったからだ。
金髪碧眼の少年だが、随分と質の良い服を着ているし手入れの行き届いた美しい見目をしている。
明らかに良いところのお坊ちゃんという感じだったが、アルベルティーネには些細な問題だった。二百歳を超える魔女にとって、この森の外で形成される身分制度など、どうでもいいものだったからだ。
だから今回のことは、なかなか予想外だった。
――アルベルティーネの腹に、短剣が突き刺さっている。
突き刺したのは目の前にいる少年だった。
少年はぜいぜいと息を切らせながら叫ぶ。
「やった! この国を巣食う悪い魔女をやっつけた! これで父上もお喜びになるはずっっ!」
アルベルティーネは目をぱちくりさせた。そして気づく。
――ああ、この少年、もしかして……
「あなた、王族?」
「ッッ! な、何故それを……⁉︎」
「ああ、やっぱりそうなのね」
アルベルティーネはそう呟きながら、腹部に刺さった短剣を引き抜いた。
そこには傷一つなく、ドレスに穴すらない。
「な、な、なっ……」
少年が口をわななかせ声にならない言葉を喉の奥から絞り出している中、アルベルティーネはお茶のためにセットした椅子に腰かけ、テーブルの上で頬杖をついた。
「どうぞ座って? わたくし、是非ともお話を聞きたいわ。わたくしがここに来てから二百年も経つけれど、王族が来たことは初めてなの」
「……は?」
「ねえねえ、この国はどうなっているの? 平和? それとも戦争でもしている? 王家は今何代目? わたくしがこの森に入る前はエッゲルト王朝だったけれど、今は別なのかしら」
声を弾ませて質問責めにしてしまったことがまずかったのか、少年はすっかり困惑しきっている。
――あらやだ。わたくしとしたことが、ついうっかり興奮してしまったわ。
アルベルティーネは口に手を当て、肩をすくめる。
「……とりあえず、食べましょう? どれも自慢のお菓子だから」
アルベルティーネの提案に、少年は恐る恐る頷いた。
席につきテーブルを見た少年は、そこで初めてテーブルの上に置かれた菓子たちの存在に気づいたらしい。その瞳は年相応にキラキラ光り、今にもこぼれ落ちてしまいそうだった。
それもそのはず。久々の来客だったので、アルベルティーネが張り切りかなりの量の菓子を作ってしまったからだ。
グラネルドベリーとヘスベリーのタルトにゲゼル牛の乳で作ったクリームチーズを使ったベイクドチーズケーキ、アーレンスアップルを使ったパイ、バウアーカカオから作った濃厚チョコレートケーキ。どれもこの森で採れた果物や住んでいる動物たちを使って作った、とっておきのお菓子たちだ。
もちろん、しょっぱいものも用意してある。ビアラス鳥の卵とブゼ豚のベーコンで作ったキッシュ、同じ豚から作ったハムとゲゼル牛のチーズを挟んだサンドイッチなどだ。
少年はためらうことなく、サンドイッチにかぶりついた。
「!! お、美味しい!」
「あらそう、良かった。ほら、これも食べなさいな。あーん」
「あむ。んっ! な、なんだこのチーズケーキ、濃厚なのにさっぱりした後味をしていて、とろける……」
「ふふふ。そうでしょう? ほらほらほらほら、食べなさーい」
少年はアルベルティーネが勧めるまでもなく、他の菓子にも手を伸ばした。
その反応があまりにも愛らしくて、アルベルティーネはにこにこしてしまう。
――やだ。本当に可愛い。
母性などもたない根っからの魔女だが、母親とかペットとかを飼う人の気持ちが少しばかり分かった気がする。確かにこれは可愛い。思わず愛でたくなってしまうほどに可愛い。
その間に質問をすると、少年はぺらぺらといとも簡単に答えてくれた。
――どうやらその少年は、シルヴィオという名前の第四王子らしい。こっそり城を抜け出し、一人でこの森にやって来たとのことだ。
どうしてそんなことをしたのかというと、国王がクルッツェンの森をどうするか頭を抱えていたから。そして、父親に構ってもらいたかったから。
「僕は一番下の王子だから、誰からも期待されていないんだ。だから見返してやろうと思って」
「ふうん。だから、わたくしを殺しに来たの?」
「う……だ、だって……」
少しばかりからかってやろうと思いそう言うと、シルヴィオは口をもごつかせながら下を向いた。しかし王子という位のせいか素直に謝れないらしく、話を無理矢理変えてくる。
「っていうか、どうして傷一つ付いてないのさ! おかしいじゃないか!」
「あら、何もおかしくなんかないわ。だってわたくし、生粋の魔女ですもの」
「……普通の魔女と何が違うわけ?」
「そうね。簡単に言えば……わたくし、種族的に『魔女』なの」
シルヴィオの反応が良くなかったので、アルベルティーネはくすくすと笑いながら説明をする。
「魔女になるのにはね、それ相応の努力が必要なのよ。最低でも、世界そのものの法則を作り変えることができる、魔法って呼ばれる力が使えないといけないの」
「え」
「で、わたくしの場合『魔女族』だから、生まれながらにして魔法を使うことができるっていうわけ。どう? すごいでしょう?」
ふふん、と鼻を鳴らし自慢すると、シルヴィオはぐっと言葉を詰まらせる。
だけれど何を思ったのか勢い良く立ち上がり、ビシッと人差し指を突きつけてきた。
「ま、魔女族がなんだ! 僕は王族だ! 国で一番偉い一族なんだぞ!」
そう言い放つと、シルヴィオは腕を組みふんぞり返る。
アルベルティーネは思わず、言葉を失った。
それから少しして、腹を抱えて笑い始める。
――自分で誰からも期待されていない第四王子だって言っておきながら、まさか王族を理由にして反論してくるなんて。
誰の邪魔も入らずこの森までやってこれたということは、本当に期待されていないのだろう。なのにどうしてここまでふんぞり返れるのだろうか。意味が分からなすぎておかしい。おかしすぎる。
アルベルティーネは、今まで生きてきた中で一番と言っていいほど大きな声で笑った。
「あは、あはは! おっかしい! もういやだ、あなた面白いわね!」
「な、何がだよ!」
「何もかも!」
シルヴィオが顔を真っ赤にして怒ってきたが、それでも笑いは止まらない。
アルベルティーネは涙目になりつつ口を開いた。
「そんなあなたの面白さに免じて、今回は森の外じゃなく王城まで飛ばしてあげるわ」
「はっ!?」
「だって、帰るのだって疲れちゃうでしょう? そして今度はもっと強くなって、わたくしを殺せるくらいになってからいらしてね?」
そう言い、指を一振り。
瞬間、シルヴィオはその場から消え去った。
今頃、王城のどこかにでもいるだろう。
王城の場所こそ分かるが内部構造までは分からないのであらぬところに飛ばしてしまったかもしれないが、まあそれはご愛嬌というやつだ。
「また来たときは、今日よりももっと素敵なおもてなしをしないとね」