53「出発進行」
――この一年は、それまで十五年よりも、ずっとずっと中身の濃い時間だった。そう、断言できる。
ボタンダウンのシャツの上にシングル三つ釦のブレザーを羽織り、足元にはコインローファーを履いた稔と、シャープなショートカットにミニスカートの明美が、発車前の急行列車の前で立ち並んでいる。
「それじゃあ、明美ちゃん。気を付けて帰りなさい。節子にも、よろしく」
稔が名残惜しそうに言うと、明美は努めて笑顔を振りまきながら言う。
「はい。ちゃんと渡しておきますね。一年間、お世話になりました。ありがとうございます」
明美が稔に向かって深々とお辞儀をすると、稔は明美の両腕に軽く手を添え、あたかも転車台の汽車を扱うかのようにくるりと百八十度方向転換させ、背中を押して客車に乗せながら、明美の背中越しに言う。
「もうすぐ出発だから。来たくなったら、また、盆休みにでも来なさい。今度は、客人として迎えるよ」
「わっ、はい。今度は、ちゃんと私から連絡します。――また、お会いしましょう」
明美は、車内の通路脇に柳行李を置くと、稔のほうを振り向いて言った。稔は、何も言わないまま、不器用に微笑みつつ、右手を軽く額の横にあてて敬礼した。すろと、耳を劈くような汽笛の音とともにドアが閉まり、列車は、ゆっくりと進み始める。
――伯父さんったら、私服でも駅長の癖が抜けないんだから。……まぁ、いっか。これからのことを考えよう。この先に何が待っているのか、ちょっぴり不安だけど、楽しみになってきた。
明美は、ドアの窓辺から離れると、柳行李を持ち直し、座席のほうへと歩いていった。