1-1 ミュウ先生
この世界で最も歴史のある王家、ケニヒヴルグ家が治める唯一の大国『オルダナン』。
そしてオルダナンの城が位置する中央区『セントヴルグ』と、それぞれ東西南北に広がる領土、東区『オストヴルグ』、西区『ヴエスヴルグ』、南区『ズュードヴルグ』、北区『ノルドヴルグ』。
曰く、600年以上も前にこの地に訪れた初代ケニヒヴルグ王は100人以上の臣下を引き連れ、当時はただの荒れ地だった現在の各区を発展させるよう臣下たちに命じ、恐るべき早さで領土を広げ、大国と呼ばれる基礎を作り上げたといわれている。
当時の各区の長にはそれぞれの区の名が与えられ、以来その区をまとめる領主としての役割が与えられた。
以来オルダナンは文字通り全ての区の人間が一つとなって敵国と戦い、その様から数ある国の中でも唯一大国と呼ばれるようになった。
そして現在では彼らの血を受け継ぐ世界最大の魔法騎士団がこの国の矢となり盾となり王と国民を守護し続けている。
「さて…ここまで何か質問はある?フィル」
本を机に置きながらミュウ先生がこちらに問いかける。
「いえ、特にはないです。と言うか、歴史書は自分でも読んでるのでわざわざ聞かせてもらわなくても結構ですって何度も言いましたよね?」
子供は善悪の区別がつく8歳まで魔法にかかわってはならない法がある。
わざとジトリと恨めしそうな目でミュウ先生を見る。…が。
「ワガママはダメよフィル?質問がないなら続けるからね。えっと…中でも」
「中でも5つある魔法騎士団の長5人には爵位が与えられ、後世の為に優秀な世継ぎを育成するための支援を惜しまないことを約束されている。…ですよね?」
目を閉じて本の続きを暗唱し、再び目を開けるとミュウ先生は若干青がかった目を丸くしてこちらを見ていた。そしてため息を一つついて「仕方ないわね」と呟いた。
「見てなさいフィル」
ミュウ先生はそう言って持っていた本をパタンと音を立てて閉じた。すると部屋を照らしていた壁の燭台が風もないのに一斉にフッと消える。
「わ…」
急に暗闇に包まれたことでついあっけに取られ情けない声が出てしまった。
「まだよ…一つ」
ミュウ先生が手をパンと鳴らす。するとその音に合わせるように燭台の1つが再び灯をともした。
「二つ…三つ」
パンと音が鳴るたびに部屋に明るさが戻ってくる。音が鳴り止んだ頃には部屋は灯が消える前と変わらない明るさに戻っていた。
まるで何も起こらなかったかのように。
「すごい…」
まるで魔法のような、いや魔法そのものなのだが。幻想的な現象に子供らしくない気の利いたセリフなんか出てくるはずもなかった。
「大丈夫よフィル。貴方もすぐにできるようになる。だってその為に私がここに来て……あ」
急にミュウ先生がハッと気づいたように口を手で覆った。
「えっ?」
「ごめんなさいフィル…貴方にはできないかも」
「えっ?」
いきなり突き付けられた落第宣言。まだ何一つとして魔法を教わっていないというのに何で…?
「だってこの家は風の魔法専門だものね。十年ぶり?くらいだったからすっかり忘れてたわ。もううっかり」
「えっ?」
「いや、さっきの魔法は風と火の魔法だったからね。貴方には蝋燭を消すことはできても、また火をつけられないって意味で…」
「えっ、あっ…はい?えっと…そういうものなんですね。良かった…」
落第宣言ではなかったことにホッと胸を撫でおろしたことには気づかず、ミュウ先生は「続き続き」と再び歴史書を開き始めていた。
ミュウ先生。彼女はエルフ……らしい。僕はエルフという種族を全く知らないし聞いたこともないが本人曰く自分はエルフとのことだ。
エルフについて詳しく聞いてみると、エルフはとても長命で、3000歳を越えるエルフも珍しくはないと言う。
ミュウ先生以外のエルフはどこにいるのか訪ねたが、どこかの森で暮らしていたけど今はどこにいるのか、まだ生き残っているのかもわからないとしか答えてくれなかった。
見た目はとても綺麗なおば……お姉さんで、青が混じった薄い黄色の腰まである長い髪と、同じく青がかった眼、これ以外は僕たち人間と何も変わらない。しかしそれが決定的で、この世界の人間は茶色、赤色、もしくはそれらが混じった色の髪色であり、眼の色も緑色に近い色をしている。
ミュウ先生は「私みたいなのをキンパツヘキガンって言うのよ」なんて言っていたがよく分からなかった。
初めてミュウ先生に会ったのは2年前、突然家に訪ねてきたと思ったらキョロキョロ辺りを見回して僕の方にズンズンと近づいてくるとコホンと咳払いしてから力いっぱい抱きしめられた。
「貴方がフィリップね。初めまして、ミュウよ。これから7年よろしくね」
見た目は母さんよりも少し上だったしすごい地味なローブだったので、「おばさん誰?」と聞いたら、私はエルフでは若い方だの、人間基準で言えばまだ何歳だの、いきなりすごいわめきだした。それでも人間基準で母さんより年上だったので素直にそう言ったらゲンコツが飛んできた。
生まれて初めての経験だった。
父さんは腹を抱えて大笑いし、ミュウ先生に顔を殴られて吹き飛ばされていた。母さんは「これも女心の勉強よ」と頭をなでながら泣きじゃくる僕を諭してくれた。
一体どれくらい生きているのか恐る恐る訪ねてみると、代わりに父さんが「ミュウ先生はこの家ができた頃から跡取りの子供の教育係を務めてくれているんだ。我が家専属の顧問魔法使いなんだぞ」と何故か誇らしげに答えてくれた。
「じゃあ父さんもおじい様も、ミュウ先生に魔法を教わったの?」
「ああそうだよ。だからフィルもミュウ先生に教われば立派な魔法使いになれるとも」
そう言って頭をわしゃわしゃされたのが何だか嬉しくなって顔を上げると、頬が腫れ上がった父がとても良い笑顔をしていて、それがとても気持ち悪くて僕はまた泣いた。
それ以来、ミュウ先生に年齢のことは1度も聞いていない。