前兆
「随分と苛立ってますね。」
赤と黒が入り混じった気味の悪い空、その下に広がる荒廃した街並み。
もはや、綺麗だった頃の面影など無い、荒れ果てた街の中央、高く聳える塔のような高層ビル。
その最上階の一室、広がる街並みを眼下に、目を細め微笑む白髪の白衣の青年がそう言った。
「…別に、苛立ってなど居ない…。」
自らの心情を的確に貫いた男性の発言に、更に苛立ちながらも静かにそう答える凛とした少女の声。
長い長い水色の髪を撫で、担いだ鎌を部屋の隅は静かに置いたヘラは、小柄な体からは想像もつかない程の重苦しい音と共に、部屋の中央にあるソファーに体を落とした。
「今日も調子良かったじゃないですか。何をそんなに。」
そこまで口にして男性は言葉を止め、微笑みを意地悪い笑みに変え、何かに気付いたように声を漏らした。
そこから告げられる言葉が想像できたのか、無表情に近い少女の顔が苛立ちを露わにする。
「さっきの少年ですね?成る程成る程…。」
そう呟くと、青年は口元を手で覆い、静かに肩を揺らして笑い出した。
「…その顔、搔っ捌くぞ、レヴィ…。」
苛立ちも相まって低い声は更に低くなり、それだけで背筋が凍りそうなほど、少女は威圧感を放ちながら言った。
しかし、青年は笑いを止めない。
少女のことなど御構い無しに静かに笑いながらその反応を楽しんでいる。
放たれている威圧感など心地よいと言わんばかりに、その笑みは崩れない。
「いいじゃないですか、保護者としては喜ばしい。」
そう言いながらソファーに沈む少女へと歩み寄っていく。
意地悪い笑みは消え、いつの間にか優しい微笑みに変わって青年は、不服そうに眉間に皺を寄せたヘラの頭をそっと撫でる。
「“人間”に、興味を持ちましたか?」
青年の行動を特に制することもなく受け入れたヘラ、その言葉には返事をせず、そっと目を流す。
興味、と言っていいものか。
身の丈に合わない、ほとんど何も知らないあの少年の真っ直ぐな瞳がヘラの頭から離れない。
その瞳が鬱陶しく纏わり付き、反吐が出る程なのに、何故こうも残っているのか。
ヘラ自身にも捉えきれない心情が胸の奥にある。
いとも容易く見抜いてきた青年の言葉より、真っ直ぐに己の目的を目指す少年の瞳より、なにより自身の得体の知れない感情に腹が立っている。
「また出てくる。優璃に伝えておいてくれ。出たら通信を入れる。」
青年の手が頭から離れたのを察知すると、ヘラは颯爽と立ち上がり、部屋を出ていく。
金具が軋む音を奏で、扉がゆっくりと閉まっていく。
「分かりましたよ。次は“手ぶら”とも伝えておきましょう。」
部屋の隅に置かれた鎌を見つめながら、クスリと笑って青年は呟く。
狭間に存在する数少ない拠点、その街並みを見下ろし、青年は笑みを消し、真剣な表情を浮かべた。
「そろそろ、“百鬼夜行”の時期ですね。空気が騒ついています。」
準備はしておきますか、そう呟いて青年も部屋を出る。
静寂の残された部屋の窓、そこから見える空はどす黒く染まり、赤みを失っていった。