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かすかな絆

作者: 赤馬研

梅雨入り前の澄んだ晴れ間が広がる田舎町。

大半が二階建ての一戸建てがまばらに並ぶ住宅街。住宅の間には少し荒れた畑が点在している。その一角にひっそりと建つ、人気のない、築50年を超えた一軒家の中で老婆が電話越しに応えている。


「ああ、としひこか」


電話口の向こうで母はそう返答した。


俺の名前はまだ覚えてくれているようだ。

だが本当に俺だということを認識しているのだろうか?

俺が名前を言ったから、反復して応えただけかもしれなかった。そう思わざるをえないほど母の痴呆は進んでいるように感じていた。


やはり、その日のその電話でのそれ以降の母の話は支離滅裂だった。


自分ではしっかりしていると思い込んでいて、痴呆であることを指摘されるのを過度に嫌っている中での、その取り繕った支離滅裂な返答がとても悲しく、滑稽であった。

誰しも自分が痴呆である事を受け入れるのは難しく、辛いことであると思うが、母のそれは異常であるとも思えた。


母は、要介護2程度の、もしくはそれ以上の痴呆が進行している状況だと思われる。〔思われる?〕


ここのところ私は、自責の念に駆られてか、月に2、3度実家に1人で暮らす母に仕事の合間に電話をかけて、その進行度合いを確認している。


「大丈夫?ご飯食べてる?何してたの?」


「大丈夫だよ、今友達と買い物に行ってきたとこだ。これから親戚が来てご飯食べるとこだ。」


そんな事実はどこにもなかった。

俺の問いに対する母の応えは訳のわからないものばかりだった。


電話をかけるたびにそれはひどくなっているように思われた。


だが、医者に連れてって診断してもらったわけでもなく、少しでも気持ちが元気になってくれたらと孫を連れて帰省するでもなく。

世間から見れば最低の息子といった批判を受けてもしょうがないくらい見事に、重度の痴呆の母をほったらかしにしている。


ゆえに、〔思われる〕といった表現しか使えなくなってしまっている。母の置かれた実情は全く把握できていない。


父は随分と前に他界している。

現在母は、北関東の中途半端な田舎町に1人で暮らしている。過疎が進行してしている近隣の村を、幾つも統合して市になった典型的な田舎町で、1人で暮らしている。物理的には、俺の兄が実家の隣に居を構えて住んでいる。母の兄弟も近隣の統合される前の村々に住んでいる。

母の兄弟達もかなりの高齢となっていた。


母は1人で住んでいる。母の人生の最後に向かって、1人で住んでいる。


母は、1日の大半をひっそりとした、誰の声もしない、我々子供が独立した後、父が他界した後、1人で住むには大きすぎる一軒家の中で1人で過ごしている。


「たまには帰っておいで」


数年前までは、俺からの電話の度に母はそう言って、寂しいんだと訴えかけてきた。


だが、最近はそんな事を言わなくなった。


母は1人寂しく人生の終わりに向かって生きている。一生懸命に汗水流して育てた子供達(兄と俺)に見放されて。


自分の人生を犠牲にして、とにかく子供達のためと思って一生懸命に生きてきた最後がこのざまであった。


誰もこんな母の終わりを望んでなんかはいない。だが、何もしていない俺たち兄弟がいる。最低だおれたちは。そう思うが、何も出来ずにほったらかしている。俺たちは最低だ。


だが、もう一方では、仕方が無いと冷めた思いがある。母の自業自得だとの思いが。

世間から見れば俺たち兄弟が最低であると誰しも思うだろう。だが、俺たち家族は随分と前から問題を抱えてきていて、その元凶が母であるとの思いが蓄積されて今のこの最低な状況になっている。

母がこういった痴呆という状態になったから我々は最低だという評価になっているが、母が健常だった頃は、異常なまでの見栄っ張りで、頓珍漢に息子達を自慢し、様々な場面で大恥をかかされた。また、信じられないくらい傲慢で、弱い立場の相手に威張り散らす場面を何度も目にしているうちに、母に対する尊敬といったものが完全に消え失せてしまった。

何度も何度も話をし、指摘したが、最後まで伝わることはなく、年を重ねるごとに酷くなる一方であった。


「あの人の子供だと思うとぞっとすることがあるんだよ」


ある時兄が俺にボソッと言った。


「あの人の息子ということは、おれの(兄の)中にもあの人の様な嫌な部分が潜んでいて、いずれ同じ様な人間になるんじゃないかと、そう考えると余計にあの人が嫌いになってくるんだ」


それを聞いて、にわかに俺も不安になった。

すでに同じになりかけてやしないかと不安になった。


それでも、俺たち兄弟の今現在の対応は最低であることに変わりは無いのだと思うが。


「今年は何時帰ってくるんだ?」


毎年師走を迎える頃にどの家族でもやり取りされる会話ではと思う。


正月を挟んでの帰省をしなくなってから何年になるのか?


「仕事の都合で、子供のイベントで、、、」


何かしら言い訳を作って帰省しなくなっていった。


俺は、何時から大晦日、実家で母と紅白歌合戦を見ていないのだろうか?幼少の頃から、大学に入り実家を出た後も、就職して東京で生活した時も、結婚した後も、子供が生まれた後も、暫くは大晦日には帰省して、母と、父が存命の頃は父も含めて、紅白歌合戦を見ていた。


一体何時から帰らなくなったのかはっきり覚えていない。

少なくとも父が癌で亡くなったあとからである事に違いはなかった。


父が癌で亡くなった後から俺の家族はおかしくなっていったように思う。正確には、更におかしくなったというべきかもしれない。父が生きている時も、俺の家族は、歪んでいた。


俺が中学の頃から、何か俺の家族は歪んでいたように感じていた。1番は、父と兄がしっくりいっておらず、反抗期といえばそれまでだが、今にして思うと、結局父が他界するまで兄と父の、その頃からの溝は埋まらないままだったように思う。

だが、父が他界した後にひとつ気づいたことがある。確かに父と兄との間には大きな溝があった。だが、その溝を作ったのは、埋められなかったのは、実は母が大きく関係していたのだと。


母は、父と兄の不仲が嫌で、誰しもそうだとは思うのだが、母のそれは対外的な面子を極度に気にしたものであり、それが父、兄、俺には透けて見えていた。母が考える家族像というものがあり、それとのギャップを何とか埋めようと必死に取り繕う母が、痛々しく滑稽だった。

やはり両親2人とも地元の小学校、中学校の教師であったことも大きく影響していたと思う。兄と俺が通う学校で、両親は教師として教壇に立っていたのである。母には、我々家族が誰もが羨む理想的な家族でなければならなかったのだろう。先生の家族とやらは、誰しもの見本となる家族でなければならなかったのだろう。

先生の家族だからと言って、必ずしも見本の家族である必要もないし、そんな理想的な家族などそうそういないのに。

そんな母の行動のもとになるのは、全て対外的な面子を気にしたものであり、形が大事だったのだ。相手がどう見ているかを気にし、とにかく取り繕うばかりであった。実際に俺たちが何を思い考えているかは二の次で、理想の家族を装うことに必死だった。


「うちの次男は東工大に入ったんです」


ある時母が、知り合いにこう言っていた。とんでもない間違いで、遥かにレベルの低い工業大学に俺は入っていた。恥ずかしいを通り越して、情けなかった。


そんな母がどうしようもなく嫌いだった。


そんな状態でも父が生きているうちは何とか家族の形態を保っていたのだと思う。その父が亡くなり、そのバランスが一気に崩れた我々家族は、崩壊した。


母は、以前にも増して取り繕い、装い、そして孤立していった。

どうにか修復せねばとは思ったが、誰ではない、母がそれを阻み、日々確実に俺の家族が壊れていった。


そんな俺自身も、他の家族との対比でしか、自分の家族の崩壊度合いを測る事が出来ていなかった。


そんな時、友人たちの家族を見ると胸が痛んだ。友人たちの家族は、少なくとも俺の家族より理想的な家族に映った。


同時にどうすることもできないでいた。


相変わらず、痴呆の進行度合いが気になり、たまに母に電話していた。


「何言ってるか自分で解ってる」


俺の問いに対して母は、


「大丈夫だよ、心配しなくて。今、孫たちが来てご飯食べさせてるとこだ」


孫など来ておらず、母は一人だった。


母は、自分が思い描いた、誰もが羨むような、孫に囲まれ、子供達が頻繁に訪れ、自分に感謝し、自分を大切にしてくれる、そんな場面をいつも求めていて、電話のたびにそういった状況を装っていた。


母の痴呆は確実に進行していた。


俺たちに対しては、親戚、近所からもろくでなしの息子たちとのレッテルが貼られ、最低の対応に対し、容赦ない批判が飛び交っていた。


当たり前だった。


頻繁に親戚から連絡が来るようになった。なぜ面倒を見ない、帰ってこないのか?いつまでも面倒は見切れない、と言った、当たり前の批判が頻繁に飛んでくるようになった。


母の兄弟、ご近所の方々には感謝の気持ちしかない。これは正直な気持ちでもある。


あんな状態の母の面倒を見てくれている。俺たち兄弟が情けないがゆえに、様々な人達に迷惑をかけている。


だが、どうにもできないでいる。


最低だ俺は。そう思うが、行動に繋がらなかった。


そうこうしているうちに、兄が独自に色々と調整を進めてくれていた。

いよいよ母が実家の近くの痴呆老人対応の介護施設に入ることになったと連絡を受けた。


正直驚いた。兄貴が調整してくれていた。


近々に兄を説得に帰省せねばと考えていた矢先の連絡だった。


近所、親戚には全て内緒でだ。


以前に一度、別の施設に入れた際に、母が、私はボケていない。こんなところに入れて、早く出せと、ご近所、親戚中を巻き込んで大騒ぎし、結果、我々兄弟を無視して親戚が母を施設から出してしまっていた。

当時も我が家に縁のない第三者の医師は要介護2レベル、重度の痴呆症だと診断していた。


親戚連中は、亡くなった父の教え子の医師を巻き込んで、違った形の診断書を準備して、母を施設から出してしまったのだった。


それ以降、俺たち兄弟と、親戚、近所の人たちとの間に埋まらない溝ができてしまった。


そんな経緯があったため、今回兄は、親戚、近所には一切秘密裏に施設に入れる準備を進めていたのである。私にも何の連絡もなかった。


母本人も施設に入ることを聞かされておらず、検査とか言う名目でなし崩し的に入れることになっていた。

母の痴呆はかなり進行しており、もはや自分の状況を始め、周りのことは全くわからない状態になってきている。多分俺のこともほぼわからなくなっていると思われる。正気なうちにしっかりと話しができていれば良かったが、本人がそれを認めない中、必要なこと、大事なことを話す事は出来ないままとなってしまった。

このまま痴呆は進行していくと思われ、高齢でもあり、もう、しっかりと我々家族のことを話すことも出来ないし、母の人生を総括し、最後、感謝の言葉を伝えることも出来ないと思われる。

父が癌に侵され亡くなった時もそうだった。

母にとっても、我々子供にとっても、最後にしっかりと人生を総括できない事はとても辛い事である。

母の人生の終わりかけのこの時、最後に母の頭の中には何が残っているのだろうか?

母の記憶の中で最高だった時の記憶が残っているのか?

俺や兄貴の最近の状況や、

孫たちの事や、

親父の最後や、

われわれ家族のここ何年かの状況などは全く認識できずに終わりを迎えるのだろう。

俺たちが誰か、顔を見てもわからず、事実が全く認識できない中で終わりを迎えるのだろう。


俺たちが小さい時から、俺たちのために必死に働き、必死に生き抜いてきたことも、俺たち子供が、思うような子供にならずに悲しんだことも、俺たちの結婚式に出て満面の笑みを浮かべて喜んだことも、孫ができて、心から孫達を思ったことも、親父の癌がわかって打ちひしがれたことも、親父が亡くなって、はたと一人になり言いようの無い寂しさにさらされたことも、楽しかったこと、

嬉しかったこと、

辛かったこと、

悔しかったこと、

寂しかったこと、

母は、自分のかけがえのない全ての思い出をゆっくり噛みしめることが一切出来なくなってしまった。


とても寂しく、辛い事である。八十数年間生きてきた、とにかく一生懸命生きてきた最後がこのザマである。こんな仕打ちが他にあるだろうか。やるせない気持ちでいっぱいである。どうにかできなかったかと今更思う。

正に今更である。こうなるには様々な要因が随分と前から絡み合い、今の状態になっており、どのタイミングからやり直せばこうならなかったか、俺にはわからない。俺が、兄が、父が、母が、それぞれ場面場面で判断してきた結果がこの状態を生み出しており、もはやどのタイミングのどの判断からやり直せばこうならなかったかなど誰にもわからない。

途中修正するタイミングもあったと思うが、それも出来ずに今にたどり着いている。家族にとって、こういった終わりは避けなければと今更ながら思う。

もっと暖かく、心が繋がった最後を迎える家族は星の数ほどあるだろう。

我々家族は違った。

途中の努力を怠った俺たち家族は、その代償を払う覚悟を決め、正面から受け止め今後の人生を生きていかねばならない。


まだ少しだけ母の人生は残っている。


今更何かを取り戻せるとは思えない。思ってはいない。


だが、何かをしないといけないという思いが押し寄せてくる。


何ができるのか、考えねばと。


誰のために?勿論母のために?


違う、俺自身のためにだ。


やはり、同じ血を引いている。


周りを気にして、結局のところ自分のために母に何かをせねばと考えているのでしかない。


「同じじゃねえかよ」


全く同じだった。あれほど嫌っていた母と。


それでも何か母のためにしなくては。


たとえ母が何も認識できないとしても。


俺たち家族にかすかに残る絆のために。



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― 新着の感想 ―
[良い点]  高齢化社会の大変さが伝わってきます。 [一言]  自分の非を認められるようになる、簡単なようでものすごく難しいことなのかもしれません。  
2016/08/27 14:55 退会済み
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