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織田信長のナイツオブザリビングデッド

作者: 三日天下

天正十年六月二日


 満月の中、数千もの兵たちが、炎に包まれ崩れ落ち行く本能寺を見つめていた。

 天を突くほど燃え盛る炎。それはエモノを絞め殺さんとする大蛇のように、本能寺に巻きついていた。

 最早その炎を止めることは誰にも出来ない。半刻後には全てが灰燼となるだろう。

 死灰に埋もれ行く本能寺の中、一人の男が最後の時を迎えようとしていた。

 男はその国を半ば手中に治め、自身を頂点とした中央集権を確立し、天下統一のため上洛を果たそうとしていた。

 だがその野望も今潰えようとしていた。

 外から剣撃音と怒声が響く。それは滅びゆく男に仕える部下たちの、迫る終局への絶望的な抵抗。

 忠義なる部下たちは男を逃がそうと最後の時まで戦い続けた。

 取り囲む敵は数千。味方は僅か数十人。

 彼らにもこの戦が勝てない戦であることは分かっていた。それでも彼らは命ある限り戦い続ける。

 男の為に戦い、そして死ぬ。それが自身の役割であり、護るべき自負心であったからだ。

 終焉の刻を前に男は忠義な部下たちに感謝した。

 『感謝』それは傲慢な性格の男にとっては極めて珍しい感情であった。

 剣撃の音が近づいてくる。敵が迫って来ているのだ。

 忠節な部下たちも、一人、また一人とその命を散らしてゆく。

 この部屋に敵が流れ込んでくるのも時間の問題だ。

 彼らが命を投げて護ってくれている貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。

 彼らの命を懸けた働きに、男も応えなければならない。それが主君の務めであった。 

 自害の刀刃を男は腹にあてた。

 炎に包まれた室内で刃は氷のように冷たかった。

 我が命は裏切り者共に奪われるものにあらず、忠義なる部下たちへの褒賞と捧げるものである。

 この裏切りが明智光秀によるものなのは誰の目にも明白であった。だが……

 聡明な男は知っていた。この裏切りの本当の黒幕が……

 氷の刃が男の腹に滑り込む。燃え盛る炎よりも紅い血潮が飛び散った。

 そして……全てを灰燼とする巨大な炎蛇が本能寺と男の野望を飲みこんでいった。

 男の名は織田信長。 


 月明かりの中、信長は目覚めた。

 体は泥の固まりのように感じた。手足の感覚はない。意識は朦朧とし、視界は霧がかかったかのように薄ぼんやりとしていた。

 どれほどの時間そうしていただろうか。アスファルトに身を横たえたまま信長は少しづつ覚醒した。

 ……妙だ。我は確かに死んだ。たしか……炎……炎の中……炎に包まれた……いったどこだったのだろうか。

 ……ここはもしかして死後の世界、極楽というところか?

 油の切れた機械のようにぎこちない動きで身を起こし周囲を見渡す。

 アスファルトで固められた道路は荒涼とし、周囲の建物は等間隔で整然と並んではいたが生き物の気配を感じないように思えた。

 ……どうやら極楽ではないようだ。

 ……当然だな。幾千もの命を奪い続けた我が極楽になど行ける筈もない。だが地獄というには些か違うような……

 信長には理解できなかったが,それらは現代の都心に乱立する高層ビル群だった。

 そう。本能寺で死んだ信長が現代に蘇ったのだ。とにかく蘇った。

 信長はふらつく体でノロノロ歩きながら考えた。いったいここはどこだ? 何故我はこんな所にいる? いったい我が身にナニが起きた?

 そのとき向かいの建物の扉が開き、中から女が出てきた。今まで一度も見たことの無いほど肌の露出の多い服装の女だ。

 ……妙な服装の女だ。遊女か? しかたない。ひとまずこの女と話をするしかないようだ。

 信長は女に近づこうとした。だが自身の足は鉛の固まりのように重く、遅々として前へと進まない。

 ……何故こんなに体が重い。どこか身体を痛めたのだろうか。

 このとき、信長はまだ自身の体の変化に気づいていなかった。

 近づく者の気配に気付いたのだろう。女が振り向いた。そして信長の姿を確認した。

 その瞬間、それまで温和な表情だった女の顔が凍りつく。

 ついで驚愕の形相を浮かべ、ヒステリックな金きり声を上げ逃げ去ってゆく。

 ……こ、この信長を前になんと無礼な女! 鳴かぬなら殺してしまおうホトトギス。

 憤慨しながらも信長は自身の体を見た。そして女が逃げ出した理由を知った。

 幾多の戦場を駆け抜け、鍛え上げられた信長のたくましい体はそこに無かった。

 黒く汚れた腐肉に包まれた肉体、それが信長の身体であった。

 腹は破れ内臓がはみ出ている。左腕は肘から先がなく骨が飛び出し、右足は歪に曲がっている。

 そしてこれほどの重傷にも係わらず少しも痛みを感じない。

「こ、これは! いったい! 我はどうなったのだ!」

 無機質なアスファルトの上、信長が叫ぶ。自身になにが起きたのか理解できない。

 そう、本能寺で死んだ信長はゾンビとなって現代に蘇ったのだ。とにかくゾンビになったのだ。

「ウケケケケケケケ!」

 そのとき空からけたたましく不快な笑い声が響いた。

 そこにはコウモリのような翼を背中から生やした男が満月を背に浮かんでいた。

 男は歪な笑みのまま信長を見落ろした。その顔を信長は知っていた。

「貴様は……家康! 徳川家康!」

「そうだ腐った脳みそでよく覚えていたな信長。ほめてやろうケケケ」

 そこにいたの信長のよく知る男、三河の大名、徳川家康だった。

「ウケケケケ、妙な気配がして見に来てみたら、まさかお前が蘇ったとはな。たいした執念じゃ。ウケケ」

「家康、これはいったいどういうことだ? 我はどうなったのだ?」

「ウケケ、覚えていないのか。いいだろう暇つぶしに教えてやろう。本能寺で貴様が死んでからの世界をな」

「本能寺…だと」

 本能寺……その言葉を聞いた瞬間、天恵のような閃きが信長の脳裏に輝いた。そして全てを思い出した。

 燃え盛る本能寺の中、光秀の裏切りによって自害する自身。そして光秀の後ろにいる本当の黒幕の存在。

「ウケケ、驚くがいい。貴様を殺したのは光秀だが、その光秀を唆し貴様を殺させたのはワシじゃ、ワシなのじゃ。ワシがお前を殺したのじゃ」

「……くっ、やはりそうか。やはり貴様だったか」

 そう、信長は知っていた。燃え盛る本能寺の中、光秀の背後にいる本当の裏切り者の正体が家康であることを。

「ほう気付いていたか。さすがじゃな」

 夜月を背に空を舞う家康が醜悪な笑みを浮かべる。

「おのれ、家康め。油断ならない奴だとは思っていたが……。あのような卑劣な手段を行うほど腐りきっておるとは思わんかったわ!」

「リアルに腐っとるお前にだけは言われたくないわ!」

 ここぞとばかりに家康が吼える。実際信長の身体は腐っていた。腐りきっていた。

「光秀を唆し、貴様を殺させ、貴様の後をついだ秀吉を毒殺してワシはこの国の頂点についた」

「な、秀吉を毒殺だと?」

 家康の言葉に、信長は人懐っこい笑顔を浮かべた秀吉を思い浮かべた。

 あの自分に最も忠実だった秀吉を家康は毒殺したというのか。

 しかし秀吉は用心深い男。簡単に毒殺などされるようにも思えなかった。

 信長の疑問の気配を察したのか、醜悪な笑みを浮かべたまま家康が吠える。

「ウケケ、ワシがどうやってあの小心者の秀吉を毒殺したか知りたいか! 知りたいだろ! 知りたいはずだ! 知りたいに決まってる! 知りたいと言え!」

「……知りたい」

 信長は空気を読んだ。

「ウケケ、いいだろう。特別に教えてやろう。ウケケケケケケケケ」

 心底嬉しそうな声を上げた家康は語りだした。

「ケケケ、人並み外れて小心者の秀吉を毒殺するのは容易なことではなかった。だが、ワシは殺った。殺ったのじゃ! すごいだろ! あの秀吉を毒殺したのじゃ! それも誰一人不審に思うことなく完璧に! 一切証拠を残さず完璧に! ワシ天才! 天才すぎる! 500年経ってもばれない完全犯罪達成! すごいじゃろ! すごすぎるワシ!」

「………………」

 あれ? こいつほんとに家康だっけ? と信長は思った。

 あまりにも長い年月が過ぎてしまったせいか、家康の性格は信長の知っているものと大分変わっていたのだ。 

「ワシは秀吉の為に日本一の料理人推挙した。そして毎日やつの為に豪勢な食事を用意させた。派手好きのあの馬鹿め、なんの疑問も感じず毎日その料理を食らい続けおったわ」

「ま、まさかその料理に毒を混ぜていたのか?」

「ケケケ、その通り! 毎日やつの為、味の濃い脂っこい豪華な食事を用意させ続けた。その上、食後には必ず激甘激ウマスイーツも用意させた」

「………………」

「あの馬鹿め! 栄養バランスも考えずに毎日毎日うまい、うまいと言いながらむさぼり続けたわ」

「………………?」

「そして十年後、やつは塩分と糖分の取りすぎで、糖尿病と動脈硬化の合併症で死におったわ!」

「………………? ? ?」

「ウケケケケケ、ホントに馬鹿な奴じゃわ。粗食こそが健康の基本だと知らずにワシの策謀に面白いように嵌りおったわ。健康万歳!」

「…………それはホントに毒殺か?」

「毒殺じゃ!」

「……そうか」

 ……秀吉の死の真相は判った。聡明な信長はこれ以上この話を続けてもダラダラするだけだと判断してやめた。

「ケケケ、奴の死後、ワシは天下を取った。そして世界中のあらゆる呪術と魔術を駆使し、不老不死のヴァンパイアとなったのじゃ!」

「なっ! ふ、不老不死だと?」

 不老不死。

 信長は愕然とした。

 それは生前の信長が密かに追い続けた究極の夢、いや野望だった。

 誰も反抗できない圧倒的なまでの力を元に国中の全ての財力、情報力を駆使して手に入れるべき野望。

 その為に幾つもの死線を潜り抜け、泥を啜るような思いをし続けた。

 その野望を……

 自身を殺した張本人である家康は手に入れたのだ。

 信長の身体に怒りが津波となって押し寄せる。

「そしてワシは歴史の表舞台からは姿を隠し、時の支配者たちを下僕としてこの国を操り続けたのじゃ!」

「な、なんだと!」

「ケケ、悔しいか信長。悔しいだろ! 悔しいはずだ! 悔しいに決まってる! 悔しいと言え! 貴様が基礎を築いたこの国の礎をワシは奪い取って、全てを手に入れたのじゃ!」

「き、貴様!!!」

「ウケケケ、悔しいようだな! 腐っててよく判らないがいい表情じゃ! だいたいワシは昔からお前のこと大大大大大大大嫌いじゃったのじゃ! バーカ! バーカ! ウンコ! ウンコ! ウンコオオオォォォッ! ウケケケケケケケケケケ!!!」

「………………く、くくぅ……」

 小学生のような家康の耳障りな嘲笑が闇夜を切り裂く。

 信長は震えていた。それは恐怖へ震えではない、圧倒的なまでの怒りの震えだ。

 醜く腐った身体から蒼い怒気が陽炎のようにたちのぼる。

 自身を殺し、全てを奪ったこの男。

 生涯をかけて追い続けた不老不死の野望までも奪い取った男。

 徳川家康、この男は、

 この男だけは、

 絶対に許すわけにはいかない!


「家康うううううぅぅぅっ!!!」

 信長の腐敗した口から絶叫が爆ぜる。それは憤怒の津波。アスファルトの大地を揺らし、怒りが噴火する。

「ケケ、やる気か。面白い、暇つぶしにもう一度貴様を殺してやろう」

 家康のシルエットが歪む。両目が膨れあがり、両腕は研ぎ澄まされた大鎌へと変わり、全身が強固な外殻へ覆われる。それは巨大な蟷螂のようだった。

「貴様を殺すために我は蘇えった!」

 仇し野のように無機質で生命を感じられないアスファルトの上、二匹の化け物の戦いが始まった。

 月だけがその戦いを見ていた。


 家康の大鎌が信長の両腕を切り落とした。

 家康の大鎌が信長の両足を切り落とした。

 家康の大鎌が信長の頭を切り落とした。


 ……少し考えてみれば判る。

 家康は究極の怪物、不老不死のヴァンパイア。魔物の王と呼んでもよいほどの圧倒的な存在。

 それに対し、信長は腐ったゾンビ。見た目が不気味なだけで、まともに動くことすら難しい存在なのだ。

 勝負になるわけがない。

 大人と子供以上の戦力差がそこにあった。まさに決して越えられない壁。

 信長がどれほど怒りに震えようと、その壁を壊すことは出来ない。

 俊敏な家康の攻撃に、信長は何の抵抗も出来ず、あっという間に全身バラバラに引きちぎられてしまった。もっとも既に死んでるので、それ以上死ぬこと自体は無かった。

 しかしバラバラにされた体ではどうすることもできず、哀れ信長は翌日、清掃作業員の手によって不燃物として回収され夢の島埋立地へと送られることとなった。 

 かくして500年越しの信長の復讐はあっさりと終わった。


 ……最後に余談ではあるが。

 信長は根気強くバラバラになった体を集め、紐で縫い固めたフランケンシュタインにクラスチェンジを果たし、家康に再び戦いを挑むが敗れてしまう。

 それからまた更に時間をかけ、全身を包帯で固めたミイラ男にクラスチェンジして再度戦いを挑むが、やはり敗れてしまう。

 それからまた更に更に時間をかけ、肉が完全に腐り落ちた骨だけの存在、スケルトンにクラスチェンジしてしつこく戦いを挑むが、予定どおり敗れてしまう。

 所詮、天下人一歩手前の信長では本物の天下人である家康には勝てないということなのだろうか。

 

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