青の憂鬱
お待たせしました、続編です!
直接の絡みを楽しみにしていた方には物足りないかもしれませんが、
どうしても入れておきたかったので書かせてもらいました。
個人的にはこの語り手は気に入っています。
裏にいる子の裏から見た世界観になっていますが、
楽しんでいただければ幸いです。
あ、主人公の名前が出ます!
ボクの従妹は頼もしい。
文武両道、頭脳明晰、眉目秀麗。頼もしすぎて男より女にモテるのが欠点。
確かにちょっと性格が悪……歪ん……素直じゃない、けど、他の誰が否定してもボクが保証するよ。
彼女は素敵なひとだ。
こんなボクのところにも、暇を見付けては見舞いに来てくれるんだからね。
自己紹介をしよう。
ボクの名前は青柳瑠依。
青柳は藍原と親戚で――あ、藍原燐っていうのが従姉妹の名前なんだけど――藍原、ましてや紫崎ほどじゃないけどそれなりに大きなグループを牽引している。
ボクはその青柳の長女ってワケ。年は燐の二つ上。
とは言えボクは学校には通っていない。
生れつき心臓が悪くてね、基本的には病院が家なんだ。
お父さんの嘆きようは凄かったらしいよ。ボクは小さくて覚えてないんだけど。今はお父さんと会うのなんて一年に一回あるかないかだし。
何せ最初の子供だからねぇ、跡を継がせられないんじゃ、そりゃ邪魔にもなるよね。
しかも入院費ばっかり食う役立たず。
お母さんは一応心配はしてくれるけど、五つ下の弟がいればいいんじゃないかな。所詮義理だよ、義理。
家族の愛? 何それおいしいの? ってくらいには冷めた家族かな。心配も同情もいらないよ、悲しくないからね。
というワケで、特に弟が生まれてからは両親が見舞いに来る回数は極端に減った。来てもらっても困るけど、ここまであからさまにやるのも頭悪いよね、と思ったのは余談。
むしろ今は医者とか看護師とかと仲良し。ここ藍原系列の病院だから、いいひとが揃ってるんだよね。さすが湊さん、大学生で社長に収まるだけある。どんな化け物だよ、と今話題らしいって看護師が誇らしげだった。
燐は湊さんの妹で、彼女も笑えるくらい有能だ。
その、ボクの数少ない友人である燐が、今から見舞いに来てくれる。
病院のベッドから動けないボクの楽しみは燐が話す外の出来事を聞くことだからね。
でも今日はちょっと心配。
卒業入学シーズンで燐は忙しかったから一ヶ月くらい会ってなかったけど、昔からの懸念がもし当たっていたら、きっと燐の学校生活は平穏にはいかないから。
もし、もし『紫崎姫華』という少女が転入してきていたら、ね。
「瑠依ー? 入るわよ」
「いらっしゃい」
普段は知らないけど、病室に来る時燐は服装を意識して明るい色にしている。
だからカーテンの向こうから現れた彼女を見た時、思わず絶句してしまった。
白いシャツに黒のジャケット、暗い色合いのジーンズ、藍色のネクタイ。
固まったボクに気付いて、燐は苦笑いを浮かべた。
「ごめんね。今ちょっと学校でいろいろあって、パステルカラーの気分じゃなかったのよ」
「ボクは気にしないけど、何があったの? 随分疲れてるように見える」
「さすが瑠依ね、一発でバレるとは。とりあえず、はいこれお土産」
渡されたケーキの箱を開けると、大人気で開店から二十分で売り切れるというフルーツタルトが入っていた。
「ありがとう、並んだでしょ?」
「それはもう」
「今のはそうでもないよーって言うとこじゃないの?」
「瑠依相手に取り繕ってどうするのよ」
勝手知ったるとばかりに皿とフォークを出してきて、タルトを一つずつ乗せる。
どうぞと出されたので遠慮なく口に運んだ。
「――おいしい」
「あらほんとね」
甘すぎず、フルーツの爽やかな酸味がクリームの甘さをうまく引き立てている。クッキー生地もサクサクしていて文句なしだ。
「ここ数日の疲れが取れる気がするわ」
「いったい何があったのさ? 燐をそこまで疲れさせるなんて」
湊さんには及ばないまでも超人といって過言でない、燐を。
軽い気持ちで訊いたのに、燐は殊の外重い溜息をついて、フォークを置いた。
「そもそも中学卒業式の三日前から話さなきゃいけないのだけど」
迷惑な転入生がいて、そいつに千里を泣かされたのだと、燐は言った。
「見た目はいいわ。見た目だけはね。千里には遠く及ばないけど」
ちぃちゃんのことはボクも知ってる。燐が惚れ込むのも納得できる優しいいい子だ。
それはいい。別に今はどうでもいい。
ボクはただ、燐が語った学校での出来事に衝撃を受けただけなんだ。
だって、それはまるで、
「Colorそっくりじゃないか……」
こんな見事に懸念が当たらなくても、いいと思うんだ。
「瑠依、何か言った?」
「ううん、何でもない」
心配そうな燐に笑いかける。
悟られちゃいけない。これは、この記憶は燐には必要ないものだ。
「それよりその、紫崎姫華だっけ、どうしたの? 燐が野放しにするとは思えない」
「澪に好意があるフリをさせてるわ。もうすぐフラせるつもり」
とりあえず一回痛い目を見ればいいのよ、と燐は綺麗に笑う。
それでも確か、藍原燐は失敗するはずだ。白塚澪の裏切りにあって。
ボクは燐が傷付くのは見たくなかった。だけど忠告もできなかった。
だから笑い返して、「頑張ってね」と言うに留めたんだ。
次に来る時、燐は泣いてるかもしれない。
そう思ったら、ひどく胸が痛んだんだけど。
「紫崎姫華は来年には転校させようと思って手を回してるよ。どうかした?」
燐が来た三日後、久々に顔を見せた湊さんは紫崎のことを尋ねたボクにそう答えた。
相変わらず燐とよく似た綺麗な笑顔で、いや燐が湊さんに似てるのかな?
「来年? 湊さんならすぐにでも転校させられそうなのに」
「まぁムラサキを一部解体していいならできるけど、世界のパワーバランスが崩れちゃうからね。あそこの会長は潰すにはちょっともったいないし」
驚いた。湊さんがそこまで言うひとは珍しい。
でも確かに紫崎姫華の父親は社長だった。会長は出てこなかったのかな、確か。
それにしても見事にボクの知る流れから外れていくなぁ。藍原はトップが倒れてからは業績が転落するはずだったし、藍原燐は両親を亡くし兄の八つ当たり気味の溺愛で歪んじゃうはずだったし、藍原湊に至っては紫崎に仁義を持って潰されるはずだったし。紫崎は横暴な藍原を潰して吸収した救世主みたいな立場だった気がする。
藍原燐は家でも学校でも居場所がなくて白塚澪が唯一のよりどころなんだけど、彼にも裏切られちゃって絶望して、そこを紫崎姫華に救われるんだっけかな。
実際の彼女を知ってると笑えるくらい有り得ない筋書だよね。話に聞く頭のネジが緩んだ阿呆が燐を救う? 無理に決まってる。
黄橋千里と紅嶋日向については……まぁいいや。
「何より燐が殺る気だからね。一年くらいはいるかなと思って」
「やる、の字が違いません?」
「気のせいだよ」
にこやかな微笑みでボクを黙らせて、腕時計を確認した湊さんは優雅に立ち上がった。何をやっても様になる男だ。
「それにしても、あんな女のどこに惹かれるんだろうね。私には理解できないが」
補正かかってるからじゃないですか。
「………、んー、美少女だからじゃないですか」
喉元まで出かかった台詞を飲み込んで、そう答える。
あの燐が、付いたのは「遠く及ばない」とはいえちぃちゃんを引き合いに出したんだから、実際かなりの美少女と見ていい。ことちぃちゃんに関しては偏り過ぎた天秤の持ち主だから、燐は。
「そうかい? 写真は見たけど燐の方が可愛いと思うよ」
「そもそもタイプが違いますよ、燐と紫崎姫華は」
そういえば湊さんも燐に偏った天秤をお持ちでした、はい。燐を綺麗ではなく可愛いと評すのは湊さんくらいだ。
多分同レベルくらい、もしくは男受けの点で考えると紫崎姫華の方が大分上だろう。燐はどちらかと言うと女受けする容姿だし。
ははは、と軽い笑い声を立てて、カーテンに手をかけた湊さんは、
「ところで君は何を知っているの?」
のんびりとした口調でそう言った。
背筋がひやりと冷たくなる。
(参ったな、燐にもバレてないのに……)
振り向いてない湊さんにそれでも笑顔を向けて、いつも通りの声で答える。
「ボクが知ってることなんて病院のことくらいなのは、湊さんも知ってるでしょ」
「シラを切るのかい?」
「だーかーら、何のことですかってば」
「……まぁいい、質問を変えようか。君の一番は、誰?」
なんだそんなこと、とボクは笑う。
くすりと漏れた笑声に、湊さんの背中から威圧感が消えた。
「ボクの一番は燐ですよ。あの時からずっと、ね」
あまりにも当たり前過ぎて、改めて考えることもないけれど。
だからボクは、燐の不利益になるようなことは絶対にしない。
「心配する必要はないですよ、湊さん」
湊さんはふっと笑うと、また来ると言い置いて帰っていった。
ボクは足音が聞こえなくなるのを確認して、さらに一分待って、心の底から叫んだ。
「――このシスコンがっ!!」
知ってたけど。本当は湊さんに会う前から知ってたけど。
この世界のことを、ボクは知ってたけど。
ベッドから離れられないボクは、巻き込まれフラグすら立たない本物の傍観者。
精々がアドバイザーのボクに、神さまは何を望んだんだろう?
こんないらない前世の記憶を押し付けた神さまが、
――――ボクは大嫌いだ。
結論から言うと、今度のボクの懸念は杞憂だった。白塚澪は藍原燐を裏切らなかったんだ。
「次はどうしようかなって思ってるのよね。千里だけじゃなくて彼氏を奪われた子はたくさんいるし、あんまり性急に事を進めるとその辺に無理がきそうじゃない?」
勝ち気な笑みを浮かべて、燐は楽しそうにノートに書き込んでいる。
ボクはそれに相槌を打ちながら、はた迷惑極まりない記憶を辿った。
燐のためになるなら使わない手はない。
でもボクが知ってるシナリオからはズレてるから、そこまで役に立つかはわからないんだけどね。
今は四月の終わり。なら次のイベントは、あれだ。
「生徒会選挙」
「やっぱり瑠依もそう思う?」
くるりとペンを回して、燐は座り直すと話をする体勢になった。
「うちの生徒会選挙はちょっと特殊じゃない?」
「そうだね。会長は指名制、教師推薦が一人、会長推薦が一人、残り四人は人気投票……だっけ?」
「人気投票とは言え立候補は必要だし、ある程度の成績もないといけないわ。学生の本分はあくまで勉強、生徒会の仕事を理由に成績が下がっても困るもの」
「へぇ、そうなんだ。会長ってもう決まってるんでしょ?」
「えぇ、冬夜先輩――白銀冬夜が今年の会長よ」
「大丈夫なの? そのひとは」
「冬夜先輩は間違いなく有能だから大丈夫。指名も先代生徒会満場一致」
「てか知り合い?」
「えぇ。パーティーで会って以来意気投合して仲良くさせてもらってるわ」
「じゃあ会長推薦枠って、もしかして」
「一応私の予定よ。この間そのつもりだからって言われたわ」
ほら、またシナリオからズレた。
本当なら会長推薦枠は紫崎姫華のはずなんだ。一目惚れした会長の策略。
実はこの記憶ってボクの妄想の産物に過ぎなかったりして……それはちょっと、嫌だなぁ。
「ただ教師推薦枠は紫崎になりそうなのよ」
「うわぁ、カオスだね」
ちなみにシナリオ通りなら教師推薦枠は白塚澪。人気投票は二年生以上から出ることが多いから、推薦枠は一年生のことが多いんだよね。
燐が入ったからどうなるかはわからないけど、紫崎姫華以外は皆男だった気がする。
そういえば生徒会が仕事してる描写ってなかったな……というかそんな暇あった? 主人公の気を引くことに貴重な時間を費やしてた気がするんだけど。
「で、燐は選挙で何するつもり?」
「とりあえず女子候補の擁立かしら。並行して脅迫材料も探し始めるつもりよ」
「最近は何かやらかした?」
「学食が使えないって女子から苦情が来た」
「男子とパーティーでもしてるの?」
「あながち間違ってないわ」
一応進学校だったと記憶してるんだけど、と燐は肩をすくめる。一瞬滲んだ嘲笑はすぐに拭い去られた。
「千里がね、言うのよ」
「ちぃちゃん?」
「この学校を元に戻そうって。騒がしくて対抗心豊富で平和とは言い難いけど、明るくて楽しかった学校が好きだから、って、言うの」
「ちぃちゃんらしいね」
「そう、千里らしいわ。だから考えてみたのよ。紫崎は多分学園を自分の王国にしたいんだと思う。紫崎が王女様で、侍らせる王子と仕える侍従、いらない女子は下働きのメイドってとこかしら」
「社長が王様ってこと? すぐ消えそうな国だね」
「……まぁそうなんだけど。そうなってほしくないっていうのが千里の願いで、紫崎を懲らしめたいのが私の望み。よく考えると利害もばっちりだし、社会的制裁は何度もやると効果が薄れるし、一番効果的に紫崎をやり込めるチャンスになるわ。何より紫崎の邪魔は楽しそうじゃない?」
だからとことん邪魔してやるわ、と言った燐は、他にも何か考えていそうだった。
再びノートを開いて、何やら書き付けていく。
覗き込んでみると、
①紫崎の邪魔
②屈服させられた哀れな男子たちの救出
③騙された愚かな男子どもへの制裁
④社長兼理事長のリストラ又は左遷
⑤潰す
と書いてあった。②と③が微妙に違うのが燐らしい。そして⑤だけ妙に筆圧が濃い。字が綺麗なだけに怖い。
「澪の件で紫崎の注意は私に向いたはずよ」
「次に警戒すべきはイジメだね」
「証拠の宝庫だわ。――その間に、まずは日向をどうにかする」
「じゃあそんな燐に頼りになるイトコから一つアドバイス」
片目をつむって、ボクは燐の耳元に口を寄せる。
「緑と藤、緋。この三つに気をつけて」
情報源は内緒だけどね、と言うと、燐は耐性のあるボクですら惚れ惚れするような凛々しい笑みを浮かべた。
「訊かないわ。私が瑠依の言葉を疑うと思ってるの?」
あれはまだボクが外に出れた頃。
珍しく外出許可をもらって近場を散歩していたボクは、保護者として同行してくれていた藍原一家と公園にやってきていた。実の両親? 生まれたばかりの弟に首ったけだったよ。
遊具を駆け回っては湊さんに窘められ、手を泥だらけにしては燐に洗われるといったことを繰り返して、大はしゃぎしていた。思えばあれが思い切り遊んだ最後の記憶だ。
遊具の裏に潜り込んだ時に、ボクは黒ずくめのいかにも怪しい男にさらわれてしまって。
路地裏に放り投げられた時には悟ったけどね。あぁ、用済みになったら消されるんだなって。
やるかもしれないとは思ってたけど、ほんとにやるとは思わなかった。
『ボクをころすの?』
『悪いが仕事なんでね。恨むならお前の両親を恨め』
あぁやっぱり、予想通り。
――予想通り、なのに。
かくんと力が抜ける。膝が落ちる。見上げた空がひどく遠い。
懐から黒光りする無骨なものを取り出して、殺し屋は憐れむような視線をくれた。
『何か言い残すことは』
『……さっきまでボクがいっしょにいたひとたちに、ありがとうと』
『……、わかった』
唐突に悟る。
両親はボクが死んだ責任を藍原に押し付ける気なのだ。
ボクは、ボクは仕方ない。あんなんでも両親だから、彼らが望むならボクにはどうしようもない。入院費も馬鹿にできないから。
だけどそれは、それだけは許さない。
(『あいはら』にめいわくは、)
カシャンと無慈悲な音がして、銃口が顔を上げたボクの眉間に向けられる。表情の一切ないプロの顔。
許さないとどんなに強く思っても、所詮抗えない子供なボクは、あまりにも無力で。
(ごめん、りん)
引き金にかかった男の指に力がこもる。
ボクは全てを諦めて目を閉じた。
『そのじゅうをすてなさい』
覚悟した衝撃はなかなか襲ってこなかった。
ふいに横を吹き抜けた、風。
幼いのに有無を言わさぬ凛とした声が響く。
『もういちど言うわ。いますぐその手をおろしなさい』
瞼の奥が熱くなった。
だってその声は、聞き覚えのあるもので。
『けいこくにしたがわないなら、あいはらとてきたいするいしがあると見なします』
恐る恐る開いた目に、風になびく漆黒の髪が映る。
目の前の景色が滲んだ。
『退け。さもなくば殺す』
『どかないわ。るいはころさせない』
小さな身体でボクの前に立ちはだかって、守るように両手を広げる燐。
『お前のいらいぬしに伝えなさい。あいはらほんけの長女をころしてまでこの子をころしたいか、と』
『別にお前を殺さずとも、方法はある』
『いいえ、ないわ。るいがしんだらわたしもしぬもの』
ボクはぎょっとした。
涙を乱暴に拭って燐の服の裾を掴む。
気付いた燐は顔半分振り返って、大丈夫よという風に微笑んだ。
『あいはらをてきにまわしたいなら、これいじょうは止めないけど』
燐がそう言い切った直後、殺し屋が何かに気付いたように辺りを見回した。
たん、と軽い音がして、どこからか男が燐と殺し屋の間に降り立つ。
さらには後方からいくつかの足音。
『まにあったみたいね』
笑みを含んだ声に、殺し屋は舌打ちして銃をしまい、身を翻した。
男はそれを見届けると、燐に一礼してまるで空気に溶けるように消える。
多分、燐についている護衛だろう。
まだ信じられなくて呆然と座り込んでいたボクの手を、それまでの冷静さをどこかへ吹き飛ばしたような燐が掴んだ。
『るいっ、だいじょうぶ!?』
のろのろと首を動かして頷く。無事、何もされてない。燐のおかげ。でも。
『りんが、りんは、しんじゃだめだ』
燐は驚いたように目を瞠った後、憤怒の形相になってボクの頬を張り飛ばした。
あの痛みは今でもまだ覚えてる。後にも先にも多分あの一度きりの、本気のビンタ。
『こっちのせりふよこのばかっ! かんたんにっ、かんたんに生きることをあきらめるな!』
がくがくと肩を掴んで揺すぶって、泣くもんかと唇を噛み締めて。
『よべばいつでもそばに行くのに、一人でたえるひつようはないのに! るいはっ、』
悲痛な声で、燐は叫んだ。
『るいは一人じゃないのに!!』
俯いた燐の肩が震えているのを見て、ボクは自分がいかに馬鹿なことを仕出かしたか理解した。
お前なんかいらないと言った両親だけが、ボクの世界ではなくなっていたのだ。
『かってに、しなないでよ……。ばか』
こつんと額が肩に乗った。切ないくらい悲しくなる。また目頭が熱くなってボクは焦った。淡泊な子供だと言われ続けていたのに。
いつの間にか足音は途絶えていた。
『ごめん。ごめん、りん。ボクがわるかった』
『……るいがしんだら、るいのしってるわたしはしんじゃうんだからね』
『うん』
『れいこくむじひ、な、ふくしゅうしゃ、になってやるんだからね』
『それはいやだなぁ』
つっかえつっかえ難しい言葉を使って励ましてくれる燐が、好きだから。
『るいの言うことなんてきかない』
そうして、でもねと燐は顔をくしゃくしゃにして笑う。
『るいがしななければいいのよ』
涙でぐしゃぐしゃの燐にぎゅっと抱きしめられて、ボクは堪え切れずに一緒になって声を上げて泣いた。
駆け付けていた藍原夫妻と湊さんは(多分出るに出られずタイミングを窺っていた)、落ち着いた燐とボクを『無事でよかった』と抱きしめて、それから皆で病院に帰った。
翌日からボクは熱を出して三日間寝込み、熱が下がった頃にいらない前世の記憶思い出していた、というおまけ話もあったりするんだけど。
久しぶりに思い出した昔の記憶を反芻していると、視界の端に影が差した。
「瑠依、私だ。先日から進めていた縁談の件だが」
聞こえてきた不愉快な声に眉をひそめる。
お互いに顔も見たくないから、こうしてカーテン越しに話すのが基本スタイルだ。
「相手の方が来てくださったから挨拶をしろ。お前なんかでいいと言ってくださったひとだ、くれぐれも失礼のないように」
返事もしていないのにつらつらと喋りたいことを喋るお父さんは、長ったらしい前置きの末にそんなことを言った。
そういえばそんな話もあった。いらない子供も政略結婚の道具にはするらしい。
相手の名前を思い出したボクは愉快な気持ちになって、珍しく上機嫌でお父さんに了承の返事を返してやった。
離れていった影と入れ代わりでカーテンを開けたのは、背の高い気弱そうな男性。
「はじめまして、僕は」
「挨拶はいりません。このお話はなかったことにさせていただきます」
挨拶をぶった切って淡々と告げる。
湊さんに協力を頼めば、うまいことやってくれるだろう。
目を白黒させた男性は、怒ったりせずに理由を尋ねてきた。
残念、ボクの両親にはもったいない程度にはいいひとらしい。でも、
「ボクは、あなたの家との政略結婚の道具にだけはなりたくない」
「お父上は……?」
「ボクは父を父と思っていません。それだけのことをされてきましたから。父の思惑通りの結婚は、まず論外です」
「僕個人としては見てもらえない、と?」
「あなたは思っていたよりいいひとでしたし、何より明日もわからないボクなんかの相手に名乗りを上げてくださった希少な方なので、少し残念ですが」
期待するように目を輝かせた男性に、ごめんなさいと微笑んで。
「ボクはあなたの従姉妹が嫌いなんですよ、紫宮晃さん」
沈黙。
(あぁまたお父さんに殴られるかな)
今に話が違うと騒ぎ出すかもしれない。非は明らかにこちらにある。騒がれたらお父さんにばれる。
だけど紫宮は、目を閉じて大きく息を吐くと「わかった」と頷いた。僕の方からも、進まないように働き掛ける、と。
あぁ本当に、もったいないようないいひとだ。
最後に一つだけ、と紫宮は言う。
「……その、従姉妹が誰なのか、訊いても?」
「――紫崎姫華」
心当たりがあるのか、紫宮の顔が歪んだ。
やっぱり、何の咎もない彼にはちょっと申し訳ないけど。でも。
藍との結び付きのためならまだしも、紫なんかと組んでたまるか。
この間の帰り際、ふと気になって訊いてみたことがある。
『そういえば燐、白塚とはどうなってるの?』
『どうって……? あ、最近は紫崎に張り付いてたからあまり喋ってなかったわ』
『いや、そうじゃなくて。実際に何か進展はなかったの?』
『? 具体的には?』
『白塚が燐に告ったとか』
『……あるわけないじゃない、そんなの! あはは、瑠依ってば何言ってるのよっ?』
一拍置いて吹き出した燐は涙目でばんばんとテーブルを叩いていた。あれは本気だ。
(白塚……前途多難だね、キミも)
かわいそうに、悪友くらいにしか思われてないんだろう。仕舞いには澪に彼女ができないと愚痴り出す始末。
心配してるのはわかるけど、ものすごい検討違いだよ、なんて言ってやらない。
燐が気付いてないなら、手助けをするつもりはないよ。あのいけ好かない男に取られるなんて考えただけでムカつくし。
――まぁ、気付いてすらもらえないような朴念仁に、燐をあげる気はないけどね。
〇青柳瑠依
主人公の従姉。病院が家の女の子。
燐を世界の何よりも大切にしている。
前世の記憶を持つが、いらないと割り切っている。
燐と悪だくみするのが大好き。
〇藍原湊
主人公の兄。無駄に優秀かつ無駄に美貌。
普通よりはわかりにくいけどシスコン。結構シスコン。
瑠依のこともわりと気に入っている。
……なんかこの話妙に愛が偏ったひとが多いですね(汗)
次は黄色サイドから生徒会選挙を書きたいなぁ。