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INTO

作者: 東広

 幼少時代から天才と呼ばれる少年は世間から期待の眼差しを受ける。

 少年が天才と呼ばれた由縁は、言葉を話せるようになったのが異常に早かったこと。驚くことに泣きながらであるが、生まれてすぐに言葉らしい言葉を一度だけ発した。それだけでなく、幼稚園に上がるころには、完璧に言葉使いやその意味を理解していた。

 そして、天才児として歩む一方、不思議な言動も多かった。

 独り言が多かったり、無駄な買い物を勝手にしたりと両親を悩ませた。

 しかし、それには彼にしかわからない理由があった。天才と結び付く理由。

 彼の中にはもう一人の人間がいた。

 当時、姿形はわからなかったが、彼は彼女の存在だけを知った。

 彼女は彼の中に最初からいた。天才となるきっかけ彼女が教えていたものだった。

 彼は自分の中に誰かいると何度も訴えたが、当然誰も信じなかった。

 ならば、もう誰にも信じてほしいなど言わない。

 彼の中……僕の中に確かに存在するマヤのことを。


 僕は目を閉じた。暗闇の中、聴覚だけが周りの情報を教えてくれる。シャープペンシルが机を滑り、時計の秒針がカチカチと一定のリズムを刻む。

 もっと深く。もっと。

 意識を落とす寸前に、暗闇は光りに溢れる。

 白い空間に白いソファー。そこに足を組み座るこれまた白いワンピースを着た一人の女性。それがマヤ。歳にして恐らく二十歳前後。

 僕はいつの間にかマヤと意識的に接触できるようになっていた。

「なんの用? 天才君」

 マヤは僕をニヤニヤしながら見ると、ソファーを軋ませ、背もたれに身を任せる。

「用がわかっているのに天才をつけるとは、相変わらずいい性格だねえ」

 僕が見たもの聞いたこと、それは全てマヤにも伝わる。色々な意味で不便で仕方がない。

「もうあんたにわかんないことは知らないんだから、少しは記憶しなさいよ」

「頼むよ。暇だろ? 僕の知識から我田引水の意味を引き出してくれよ。いやー、そこまで出かかっているんだけど、いざ説明しろとなるとなかなか……」

 現在テストの真っ最中。こういった具合で、僕は天才を継続している。

 僕のどこかに眠る知識は僕の中にいるマヤには引き出すことが出来る。小学生、中学生の時、マヤは面白半分、優越感で聞かずともマヤ自身の知識で教えてくれた。でも高校生となった今は違う。どうやら高校生の問題は曖昧らしい。

 ならば、僕が天才を維持するには、天才になるしかなかった。そうして溜め込んだ膨大な知識を僕が記憶出来るはずも無かった。ところが、マヤは僕の記憶を整理してくれた。マヤにとっての情報は僕から入るものだけなので、喜んでその作業をしてくれた。それくらい、僕の中でのマヤは自由なのだ。おかげでマヤ自身の知識も格段に上がっている。

 しかし、それも最近サボりがちみたいだ。

「天才が聞いて呆れるわよね。そんなの私でも記憶しているわよ。わざわざあんたの面倒な知識箱を探す必要もないわ」

 上機嫌に足を組み直す。

「才子、才に倒れるってやつだよ」

「なに私の前で格好付けているの?」

 確かに見栄を張った。そんなことしても意味がないのに。

「すみませんでした。お願いしますよ」

 誠心誠意で謝る。そうしないといけないのが不便なところの一つでもある。

「仕方ないわね。教えてあげてもいいけど、そうねえ」

「次は何ですか?」

「話しがわかるようになったわね、じゃあ服が見たい。良いでしょ? 買うわけじゃないんだしさ」

「またかよ。レディースショップに男一人で入るのがどれだけ……」

「なんて言ったっけ? 腹立てるより――」

「義理立てよ……わかったよ」

「楽しみにしとくわ」

 口元を緩め、ニヤリと微笑みながら、背もたれに左肘を置き、拳で頬を支える姿が妙に様になっている。

「――我田引水、自分の利益になるようにことを運ぶことよ。自分の都合の良いように物事を考えること」

 その言葉を聞いて、僕も意味を思い出す。

「ああ、そうだった、そうだった。まるでマヤみたいだな」

「……あんたねえ」

 こういった理由で、僕は天才であり、変人となっていったわけだ。

「ありがと。じゃあ僕は戻る」

「はいはい。ああ、問三間違えているわよ。良く読めば間違えない問題だから直しておきなさい」

「えっ、まじで? 何から何まですみませんねえ、ほんと」

「いいのよ」

 空いている右手でひらひらと手を振るマヤを見ながら、僕は意識を取り戻した。


 我田引水の意味を書き終え、問三の問題に戻る。

 何が間違っているかわからない。問題文を舐めるように読み返しても間違っているとは思えない。かといってまたマヤに聞くことはさすがに出来ない。次は何を要求されることやら……。

 とりあえず後回しにして、他を終わらせると同時に終了を告げるチャイムが鳴る。

 一問確実に間違えていると考えると気が沈む。

「はあ……」

 思わず吐くため息に『あらあら、天才なのにねえ』と伝えて来るマヤ。

「うるせえ」囁くように伏せながら言う。

『まあ気を落とさないことね。私は答え、わかっていたけど』

「ケンカ売ってんのか!」

 苛立ちが募り、声を張り上げてしまうと、クラスメイトが僕に視線の雨を降らす。

「あっ、いや、何でもないですよー」

 ごまかしてみたものの、クラスメイトからしたら、「またか」みたいな感じなのかもしれない。


 家に帰り、一人になると落ち着く。一人といっても、実際は二人みたいなものなのだが。

 部屋に入るとまず始めにテレビをつける。これはもう何年も前からの習慣だ。見たいわけではない。ただ、マヤと話す時に都合がいい。独り言を呟くより、テレビの雑音があったほうがいいというだけだ。

 テレビに背を向け、机に座り、本を開いた途端にマヤが話しかけてきた。

『前から聞きたいことあったんだけど、いい?』

 いつになく寂し気な声が気になったが、本を閉じることで承諾した。

『えっとね……』

 何やら話しにくそうだったので、本の上に両手を置いて、意識をマヤの元へ持って行った。

 昼間とは打って変わり、ソファーにちょこんと座るマヤ。

「わざわざ来なくてもいいのに」

「聞きたいことって?」

「ずっと考えていた。私は誰なのか。なんでここにいるのか」

 やっぱり夢なのかな? と唇を噛みながら呟く。

 理由なんて死ぬほど考えた。もしかしたら夢の中にいるのかもしれないというのが一番濃厚なのだが……。

「どれだけ寝ているんだ。もう十七年になるぞ」

「どこかの病院で寝たきりとかさ」

 この言葉の意味をお互い理解している。

「……」

 これがもしマヤの夢なら、僕はマヤの幻であり、僕は存在しない。

「怖いのよ……」

 こんなにも弱々しいマヤは初めて見た。

「どんな状況でも今が全てなんじゃないか? こうやって対面している以上、僕らは互いに存在を認めている。それに僕がマヤの目覚めを遮っているかもしれない」

 今、確かに存在している僕はこうやってマヤの存在を肯定することしか出来ない。

「何それ……それじゃあんたが可哀相だよ」

 僕はその言葉に胸が締め付けられるような思いだった。

 自らの存在を認めると僕の存在を消してしまう。でも僕を否定したりはしない。ありえない思いを十七年も溜め込んでいた。

「マヤがいなかったら今の僕はいないよ。これがマヤの夢ならいつ目覚めてもいい。僕はマヤの中にいるから。でも今は、僕の存在が互いの存在証明だ。なんでここにいるかはいつかわかるさ」

 どっちの夢でもいいし、夢ではないかもしれない。それでもただ、僕は生きるだけだ。僕の中には確かに二つの命が存在しているわけだから。

「もし、私の夢でも――のことは忘れないよ」

 マヤは掠れた声で言った。生まれた時、僕が初めて言った言葉。

『まや』と。


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