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リ=ヴァース・ファンタジア  作者: 白雨 蒼
一章『カーニ=ヴァル・ベル』
8/34

Act7:ハンティング

 後にも先にも、古都ユングフィの夜がこれほど騒がしかったことはないだろう。草木も眠る丑三つ時――にはしばし早いが、それでも現実であれ異世界である〈ファンタズマゴリア〉であれ、ほとんどの住人が夜の帳に抱かれて眠る時間。

 しかし、この日だけは違っていた。

深夜の時刻も疾うに過ぎたというのに、未だこの都市は喧騒の直中にあった。古の王国が栄えた時代から顕在し続ける城壁の中で、夜の闇を切り裂くような閃光があちこちで炸裂する。

もしこの都市を上空から見ることが出来たのなら、いっそ戦時の空襲さながらの情景が目に映っただろう。

 なにせそれを思わせるだけの発光の大きさと、耳を(つんざ)く炸裂音が辺り一帯に響き渡っているのだ。これが現実世界であったなら、近所迷惑を通り越して警察の機動隊や自衛隊が出動して鎮圧に動くだろう――それほどまでに激しい乱戦状態。

 都市の各所で無差別に、けたたましく轟く音と閃光の正体は、言うまでもなく《来訪者(ビジター)》たちのアーツ・スキル及びバースト・スキルである。都市各所を縦横無尽に駆け回る彼らが、行く先々で遭遇した正体不明のモンスターを掃討しているのだ。

 最少で三人一組。大きいものは十人での小隊規模で動く集団の群れが、都市内部を東奔西走しながら闊歩する。

 その最中――


「……恐ろしいものだな」


 彼ら《来訪者》を先導した当の本人であるヒュンケルは、まるで他人事のようにそう呟きを漏らした。それを耳にし、片膝をついた姿勢で索敵するリューグはくつくつと忍び笑いをする。

「よく言うよ。こうなることように、彼らを煽ったくせに」

「何のことか分からないな。流れた情報の真偽を決めたのは彼らだ。俺の責任ではあるまい」

 しれっと、責任を都市内を縦横無尽に奔走する同胞へと押しつけるヒュンケルの言に、リューグは肩を竦めた。この都市内を闊歩する《来訪者》たちの原因は、間違いなくこの男にある。昼間の内に冒険者協会やユングフィ内にある中堅以上のギルドに対して「先日より続くユングフィの異変究明のための助力求む」という短い一文を送りつけ、成功報酬に多額の金銭とレアリティAAを超えるアイテムを提示したのである。

 そしてその結果は言うまでもなく。眼窩で広がる闘争がその証。

 この依頼、依頼者がヒュンケルでなければ誰も受けなかったであろう。しかしこうにも不幸にもヒュンケルの名はゲーム時代から《十二音律》の一角として知れ渡り、重度のレアウェポンホルダーとしても有名だった。

 その彼が提示した物品がAAランクのアイテム。現時点では市場でも中々に出回らない高ランクの武具となれば、否が応にも飛び付かざるを得ない中堅の《来訪者》事情を知った上でやるのだからこの男は性質が悪い。

「君、来世では相当の悪党になれるよ」

「ならばお前もそうなるな」

 軽口を返しながら、しかして両者は決して互いに目をくれることはない。ヒュンケルはウィンドウを、リューグは夜闇の中に向け凝視する。

 最中に、


「――北東、三番通り付近、標的遭遇」


 ヒュンケルがそう短く、そして簡潔に告げると、リューグはその言葉に従って方向を見定め、索敵(サーチング)スキルを発動させる。同瞬、不可視の――しかしてリューグにだけ視認することのできる波紋が彼を中心に放たれる。水面に一滴が零されたかのような鮮やかな円状の光がソナーさながらに大地を、そして虚空を掛けて、求めるただ一つを探してユングフィを駆け抜けた。

 わずかの沈黙がその場に佇み、僅かにリューグが舌打ちを漏らす。


「――外れた」


 飄々とした彼にしては珍しく、悔しげに表情を顰める。

「なかなかに尻尾を摑ませてくれないな……」

「そう易々と摑ませてくれるのなら、最初からこんなまどろっこしい手段は取るまい」

 カタカタとタッチパネルを叩き、送られてくる幾つものメールに目を通しながら、ヒュンケルが冷淡に応じた。同時にリューグが溜息と共に肩を上下させる。

「だとしても、このままじゃあ消耗戦は免れない」

「それは確かにそうだな」

 リューグの言葉を肯定しながら、ヒュンケルは新たに繋がった一対一(パーソナル)チャットに短い返信を返した。そして、返しながら僅かにその眉間にしわを寄せる。


(――確かに、このまま続けば……よろしくはない状況になるだろうな)


 予想以上に、敵の数が多いのだ。作戦開始から一時間もしないうちに、すでにヒュンケル一人で対応できる限界にまで状況は差し迫っている。最短記録は一分の間に三件もの遭遇。長くても五分に一回は一対一チャットの呼び出し(コール)が飛んでくる始末だ。


「――流石に失敗したか?」


 自分が提案した作戦に、ヒュンケルはそう評価を口にする。といっても、もともと作戦と呼ぶにはあまりにも杜撰な計画だったのは自負している。

 ヒュンケルが提案した作戦というのはしごく単純なもので、ギルド『ガーディアン』を巻き込んでの大掛かりな捕り物である。

 遊び心で言えば『鬼ごっこ』――という遊びに近いとすらヒュンケルは思っている。探すのも追われるのも自分たちというのは滑稽と思えるが、ヒュンケルがやろうとしたことは、要約するとつまりはそういうことになるのだ。


 一、最低三人一組のパーティを組み、謎のモンスターを探す。

 

 二、遭遇し次第、遭遇したパーティは司令塔(ヒュンケル)に連絡を寄こした後に討伐。


 三、遭遇の報を受け次第、高レベル索敵スキル保持者による索敵。


 その索敵の結果、この事態の元凶である大元を発見できれば御の字――などという軽い気持ちで試してみたのが、ギルド『ガーディアン』を巻き込んでの大捕りものである。

 無限湧出するモンスターたちには魔祓師(エクソシスト)の《聖浄術》や、光属性の攻撃が有効という話もあり、サクヤを始めとした鍛冶師(ブラックスミス)クラスの職人たちに頼み、光属性付与の効果を持った装飾品(アクセサリー)を資金に物を言わせて可能な限り用意させ、それを『ガーディアン』に譲渡し、その上でことの次第を伝え協力を依頼し、結果百人近い《来訪者》を動かすことにも成功した。最前線で戦う攻略組級の戦力は望まずも、一撃叩きこめば沈黙する相手にならば中堅である『ガーディアン』であっても対応できると判断した上でのこの大捕りもの。

 しかし、結果は芳しくなかった。

 敵はいくらでも現れる。

 だがしかして、その大元は影も形も見当たらない始末である。

 ヒュンケルの記憶が正しければ、リューグは今ユングフィにいる《来訪者》の中でも随一の《索敵》スキル保持者だ。その熟練度は八〇〇を超えていたはず。広範囲であるという条件差し引いて鑑みても、その索敵にも引っかからないというのは常軌を逸している。

 せめてその片鱗くらいは摑めても可笑しくないと言うのに……ヒュンケルは胸中でそう悪態吐く。

 と同時に、ヒュンケルの脳裏にポーンという無機質な音が鳴った。一対一チャットの着信音。

 ヒュンケルは即座にチャットを繋げた。開かれたウィンドウに、送信者の名前と用件が記載されている。


(――次はサクヤとユーフィニアのパーティ……場所は――)


 読み解いている間にも、新たな着信音がヒュンケルの脳裏に届けられる。片頭痛が起きそうなほどの連続した情報量に、思わず渋面を浮かべながら、ヒュンケルはリューグへと告げる。


「――次、北北東。スラム手前。八番」


 夜宴の終わりは、まだ見えない。


      ◆     ◆      ◆


 スラムへ通じるそれほど広くもない通りに、二十人ほどの《来訪者》が陣を展開していた。そしてその彼らを囲うのは、それよりも遥かに数を上回った異形の群衆である。

 陣の最前で異形たちの攻撃を一身に受けているのは、見るからに重く分厚そうなプレートアーマーに全身を包み、身を隠すほど大きい楯を翳し、騎槍(ランス)斧矛(ハルバード)、長柄戦斧を構えた壁戦士(タンク)たちである。数十にも膨れ上がった黒身白面の異形が次々と振り回す腕の攻撃を、その鎧で、あるいは楯で受け止めて凌ぐ。

 ダメージはそれほど大きくはない。彼らが中堅の《来訪者》であっても、その被ダメージは微々たるものだ。

 しかし、それでも、敵が〈ファンタズマゴリア〉というゲームに本来なら存在しない、正体不明のモンスターである以上、何が起きても可笑しくないという考えの下による万全に万全を期しての布陣である。

 その壁戦士たちの間から抜けるようにして軽装の戦士たちが飛び出す。手には小回りの利く短剣や片手剣を握り、素早く剣を振り抜いてモンスターに打ち込む。そして異形の姿が崩壊するのを確認すると、彼らは飛ぶようにして後退し、壁戦士たちの背後へと身を隠す。徹底された一撃離脱(ヒットアンドウェイ)。わずかでもHPが減少するのなら、その瞬間に最後尾で控えている回復役(ヒーラー)が治癒魔術を行使する徹底ぶりである。

 無駄を省き、深追いはしない。まるで戦争(ウォー)クエストの集団(レイド)戦さながらのスイッチのように。

 異常にして異形。

 仕様外にして未知なる存在。

 それが目前に溢れ出すモンスターである。

 それくらい徹底しても、それでもまだ足りないとすら思える不明瞭なる存在。故に――彼らは守りからの一撃離脱という戦い方を徹底した。


 その中で――


 夜闇の中でもその女性の姿は燦然たる様だった。まるで夜を切り裂くような輝かしさを纏って、あたかも夜闇から切り離された光そのもののように剣を振るい、異形を屠る。

 純白の騎士服。それの各所を覆う軽鎧も眩く光り、流れる金髪と間から覗く碧眼が凛と異形を睨み据えた。

「たわいもない!」

 叫び、女性は剣を水平に構えて地を蹴った。ブーツのスパイクが石畳を咬み火花を散らす。

 呻きにも似た声ともつかない音を発する異形たちが、迫る女性目掛けて一斉に腕を振り下ろす。瞬間、漆黒の腕が形を変え、ある腕は剣に、ある腕は槍に――様々な武器へとその腕を変形させて女性を滅すがために猛威を振るう。

 しかし、女性はその無数の腕の間隙を縫うようにして地を滑るように移動し、すべてを躱す。幾重にも折り重なるように放たれた連撃をものともせず、女性は舞を演じるかのように間を抜けて――僅かに身を屈めて力をためると、そのまま剣を一閃させた。

 周囲の目を引くほど鮮やかな翠緑のライトエフィクトに包まれた、その剣を。

 片手剣中位アーツ・スキル、《スパイラル・ヴェールフ》。

 描くのは螺旋。

 自らを軸とし、舞い上がるようにして振るわれた剣閃が幾重もの弧を描き、鮮やかな螺旋の軌跡を生み出す。

 そして――連撃(チェイン)

 自分の周囲で固まっていたモンスターを屠ると同時、女性は新たに押し寄せてくる異形たちを見据え、続けざまに剣を逆手に握り直し、その身を重力の手に引かれるがままに落下すると、渾身の力で褐色のオーラに包まれた剣を地面に突き立てる。

 片手剣上位アーツ・スキル、《アース・ブレイカー》。

 突き立てられた剣から走る衝撃波が、彼女を中心にして全方位へと駆け抜けた。衝撃が抜けた地が震え、僅かの間を挟み――炸裂する。噴起する土塊(つちくれ)や石片が弾丸となり、槍となり、彼女に迫らんとした異形たちを容赦なく射抜く。

 その最中を、光矢の如く女性は突き抜けた。猛烈な刺突が、周囲の異形と比べて一回りほど大きい異形の中心を穿つ。

 悲鳴もなく、断末魔もないままに、まるで自身が穿たれたことに気づくこともなく、その異形が爆散する。

 ――僅かに、異形たちの間に戦慄めいたものが走り抜けた。そしてその白面を左右に彷徨わせ、まるで何かを求めるように震えを見せる。

 その反応を見る限り、あの一回り大きかった異形はこの群れの中枢だったのだろうと推測できた。

 同時に、これが好機であるとも。

 うろたえる異形たちを見据え、女性は大きく飛び退いて壁戦士たちの前に陣取る。

「――薙ぎ払え!」

 気合いの乗った声と共に、女性――ギルド『ガーディアン』のサブマスターたるユーフィニア・メーベは、魔力の宿る宝石――魔石をあしらった片手剣を優雅に、されど力強く振るった。白銀の刀身が一閃すると同時に、その剣に備わった魔石が一瞬、確かに煌めく。


 刹那――閃熱が彼女の前方を薙ぎ払った。


 クラス魔法剣士(ルーンナイト)の持つ固有戦闘スキル《魔法剣》――その中位スキル《フラウア・エクレール》。

彼女が剣を振るうと同時、その頭上に現出した赤光の塊から放たれた、弧を描く一条の輝跡。その閃熱の一撃によって、居並ぶ異形たちが一掃される。

「魔祓師! 浄化を急げ!」

 異形を殲滅すると同時にユーフィニアが叫ぶと、彼女の背後に立っていた幾人かが同時に術式を起動させた。描けれた《円陣》から放たれる閃光が、異形たちの溢れ出ていた《門》へと注がれ、一瞬の拮抗ののちに《門》は甲高い破砕音と共に霧散する。

「よし」

《門》の消滅を確認し、ユーフィニアが一息つくように声を漏らす。

「ユーフィニア」

 名を呼ばれ、ユーフィニアは背後を振り返る。視線の先では、刀を手にしたままのサクヤが駆けて来るところだった。

「サクヤ、貴女のほうは?」

「先ほど遭遇(エンカウント)したのは片をつけたぞ」

 血振るいし、納刀しながらサクヤが応じた。その返答を聞くや否や、ユーフィニアは満足げに首肯して集まる『ガーディアン』の面々へと号令を掛ける。

「この場の事態は収拾した! 次に行くぞ!」

その言葉に次ぐように、その場にいる屈強な戦士たちが一斉に『応っ!』と唱和する。


「総員散開! 各自三人一組で動け! エンカウントしたら即座に一対一チャット他のパーティへ繋げ! 猫の子一匹逃すなよ!」


 矢次に飛ぶ指令にも、彼らは一人として異を唱えることなく、また多くの言葉を交わすこともなく散り散りにその場を走り去っていく。だがしっかりとユーフィニアの言葉を耳に聞き、そこに込められた意志を酌んで動く――二十人余程度しかいなかったが、それでも彼らが一糸乱れぬ統率された足並みで動くのは、一重に彼らがユーフィニアのことを信頼しているからなのだろう。

 彼女の言葉を重く受け止め、彼女に従おうと思えるほどの信を彼女が得ているからこその動きだ。

サクヤは感心した様子でほくそ笑む。

(流石は、ギルド『ガーディアン』のサブマスター……と言ったところか)

 存在の有無すら不明瞭な『ガーディアン』のギルドマスターに代わって組織を束ねるユーフィニアの背は、確かな貫禄を宿している。『ガーディアン』の組織構成を知らぬ者から見れば、彼女がギルドマスターに見えても何ら不思議ではなかった。

「いっそお主がギルドマスターを務めればよいものを……」

 サクヤのからかい半分に口でした言葉に、ユーフィニアは苦笑と共に振り返ってかぶりを振った。

「もしマスターからそう言われたとしても、私は謹んで辞退するさ」

「それは何故だ?」

 当然の疑問である。サクヤのような傍から見ている者にしてみれば、その姿を見せず働くこともしないギルドマスターに比べれば、ユーフィニアがマスターを務めた方が絶対正しいとすら思えるくらいだ。

 しかし、ユーフィニアは微苦笑しながら答える。


「これ以上仕事が増えるのは御免だからだな。特に私は、机でする仕事が大嫌いだ」


「お主……」

 真顔で口から飛び出したユーフィニアの言に、サクヤは呆れて半眼になる。そのサクヤの反応に、ユーフィニアはくつくつと笑って見せた。

「冗談だ」

「私には本音に聞こえたぞ?」

「それは間違いなく気のせいだ」

 白々しく肩を竦めるユーフィニアに、サクヤはやれやれとかぶりを振った。そして気を取り直したように腰に差す刀の柄頭を軽く叩く。

「そろそろ私たちも移動しよう。時間は待ってくれぬからな」

 サクヤの言葉に、ユーフィニアは首肯して踵を返し、新たな異形を探し出すために駆け出そうとした。

 だが、それよりも早く――


「うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 絶叫が何処からともなく響き渡った。

 二人が駆け出そうとした足を止め、互いを見合う。そしてどちらともなく首肯し、言葉も介すことなく声の聞こえてきた方角へと向かって走り出した。

 しかし、それが必要のなかったことを、二人は即座に悟る。

 上がった悲鳴の理由。それを、二人は視認した。

 いや、正確には視認せざるを得なかったというのが正しいだろう。望む望まないに関係なく、それはただ悠然とそこに姿を現したのだから。

 影が集い、闇が束なるかの如く。

空間の各所に点在する《門》から排出される幾十幾百の人型。黒身の白面は、ただ一つへと化す様はおぞましく、その一部に《来訪者》が巻き込まれていることが、よりその情景の壮絶さを物語る。

 巨大な黒塊。サクヤたちの目前で巨大な一つの物体と化したそれは、不意にもぞり……と動き出す。

 ゆっくり、ゆっくりとその塊は形を成す。

 長い四肢を伸ばし、その胴長の体躯を持ち上げて――。

持ちあがった体躯の頂きに白い面を被り、それは僅かな身震いを伴って咆哮を上げた。

 耳を劈くような高音が響き渡る。

 至近距離にいたサクヤとユーフィニアが思わず耳を塞ぐ中で、


 その巨大な人型は、ユングフィにいるすべての《来訪者》たちの目をくぎ付けにした。



      ◆      ◆      ◆


「何だ……あれ?」

 と、リューグが乾いた笑いと共にそう言葉を漏らし、

「進化するとは分かっていたが……流石に想定外過ぎるな」

 と、ヒュンケルが苦笑と共に吐き捨て、

「おっきい……」

 と、ノーナが素直に思ったことを吐露した。

 のそり……と、都市の一角から姿を現した巨大な異形を見て、三者三様に唖然としながら言葉を口に出来ただけでも評価に値するだろう。ユングフィの各所で奮闘していた多くの《来訪者》たちは、その突如として姿を現した巨大な影を見上げ、ただただ茫然とするしかなかった。

 文字通り言葉もなく、その悠々と佇む巨大な異形を見上げて立ち尽くすばかりの者たち。そんな彼らを尻目に、リューグは数度目を瞬かせた後、頬をぽりぽりと掻いてヒュンケルを見やる。

「なぁ、ヒューゴ……あれ、なんだと思う?」

「リアルの名前で呼ぶな馬鹿者……そしてその質問はそっくりそのまま熨斗つけて返したい気分だよ……」

 長い銀髪を掻きむしりながら、ヒュンケルは苛立った様子でウィンドウのタッチ画面に指を走らせる。

「俺が二人の援護に行った際に出会ったあの化け物たちは、物理攻撃に対しての耐性をつけていた」

 言葉を紡ぎながら、ヒュンケルはコンタクトチャットを開き、作戦に参加しているギルドの主だった面々にメッセージを送る。

「他にも、《分裂》や再生するもの――聞いた分ならば合体するものまでいるらしい」

「なんだよそれ……聞いたことないぞ? 何処ぞの合体して王様なスライムになるわけでもあるまいし」

 日本の四大RPGの一角を担う、誰もが名前を知っているであろうあの某大作RPGに現れるモンスターの特徴を例に出しながら、リューグは駄目元でスキルウィンドウを開き、モンスターの情報を調べるべく《分析(アナライズ)》スキルを佇む巨大なモンスターを標的にして発動させる。

 しかし、当然の如く《分析》スキルは拒否さ(はじか)れ、リューグは眉を顰めた。

「駄目だ。情報不明(アンノウン)……」

「まあ、分かってはいたことだろうがな」

「本当に仕様外のモンスターか……面倒臭いことになった」

 手元のウィンドウで赤く点滅する《UNKNOWN》の文字を見据えて口元に手を当てる。

 そして、


「……こうなったら」


おもむろに、小さくリューグが呟くと同時に、彼は右手を翳し己が眼窩にウィンドウを開いてタッチパネルを叩く。

 目にも止まらぬ速さでキィが叩かれると、彼の周囲に次々と新しいウィンドウが姿を現し、そこには無数の記号の羅列が下から上へと流れていく。

 突然現出した無数のウィンドウを見て、リューグの傍に佇んでいたノーナが目を剥き、少し離れた所で立ったまま作業をしていたヒュンケルが呆れたように嘆息する。

「一応聞くが――何をしている?」

「ちょっとした小細工」

「それがその馬鹿みたいな情報量で構築されたプログラムか?」

「……ものの試しさ」

 その言葉を最後にリューグは沈黙する。代わりに彼の周囲に展開されるウィンドウに次々と走る電子演算式(プログラムコード)の乱打。組みたてられていく言葉(コード)の一つ一つ、即興なれど正確に、統率性を以て連ね形作る。


 この世界は不可思議だ。


 現実のようで、実際は異なる。現実ではあり得ない電脳の情報を操作して、僅かだが物質の情報を書き換えたり、生み出すことができる。

かつてゲーム時代の〈ファンタズマゴリア〉がそうであったように。

幾つもあるシステムウィンドウの一つ。プログラムを構築するためのソフトウェアを使用して式を構築し、それが正しく起動させることが出来れば、新たな――異世界化する寸前の〈ファンタズマゴリア〉には存在しなかった、既存外の存在(モノ)を誕生させることが出来る。

現実と電脳の入り混じった不安定な異界。それが現状(いま)の〈ファンタジマゴリア〉。

 無論それが可能だからと言って、実現できる人間はごくわずか。プログラミング技術に精通したものでしか成しえない、極限られた者のみが得られる権限であり特権である。

 そして幸か不幸か、リューグはその数少ない権利を保持する者だった。

 理論。

 法則。

 技術。

 それらを操り成し得る技術を、日口理宇(リューグ)は持っている。

 ましてや今やっているのは既存する(プログラム)に少しばかり付け足して、その効力を増幅させるだけの、ただそれだけの作業。

 ――決定(エンター)

 キィを叩く。

 リューグの周囲に展開されていた幾つものウィンドウが閉じる(クローズ)。同時に翳した手の平に光の粒子が彷彿し、ポリゴンが形状を成す。

 形状は球体の曼陀羅のように文字が刻まれた、既存の解析(アナライズ)アイテム。しかしその性能は既存のはるか上を行く、本来ならば解析不可能な存在の構築プログラムをも解析する機能を付随させた既存外の機能を宿した道具――即ち、不正なる情報解析(ハッキング)可能な解析アイテム。


「行け――」


 静かに、だが強い意志を込めてリューグがアイテムを起動させる。玉に刻まれた無数の文字が光を発し、球体の周囲を複数の光が躍る。そしてそれは帯となり、巨大な異形へと飛んでいく。

 閃光が異形を貫き、その身体を上から下へ波のように走り抜ける。

 同時、リューグの手元にウィンドウが開かれた。即座にその画面へと視線を走らせる。傍らに立っていたヒュンケルも、引き寄せられるようにその画面を覗き込んだ。

 そこには、本来解析スキルやアイテムを行使すれば表示されるはずのモンスターの名称や種族などが完全に文字化けし、HPやMPの数値すらも明確に表示されていなかった。

 それを覗きこんだヒュンケルは、僅かに目を細めて小さく零す。

「これは……バグ、か?」

「バグだったなら、よっぽど楽だっただろうね……」

 リューグが険しい表情でそう呟いた。同時に、解析されたデータの表示されたウィンドウを数度叩き、小さなウィンドウを開いて手元のタッチパネルを操作する。

 その作業の様子を見ながら、ヒュンケルは問う。

「それは、どういうことだ?」

「ここ……この部分のコード」

 ヒュンケルの問いに、リューグは答えの代わりに開いたウィンドウに表示された細かなプログラム文を指差した。だが、プログラムに関してはほとんど素人同然のヒュンケルが示唆されたところで理解できる訳もなく、彼は半眼でリューグを見据えた。

「リウ……」

「ごめん、意地悪した」

 即座にリューグが謝罪し、示したプログラムのコードを一瞥する。

「このコードだけじゃないんだ。このモンスターを構成するプログラムの構築に使われているものは……どれもこれも、今までの〈ファンタズマゴリア〉のシステムには組み込まれていないはずの、新しいプログラムコードでカスタマイズされてる」

 リューグの説明に、ヒュンケルは眉を顰めた。いや、おそらくヒュンケルでなくとも、頭上にクエスチョンマークを飛び交わせるだろう。プログラムに通じない者にとって、リューグの開いているウィンドウに描かれている言葉の列は宇宙語にも等しい未知の領分だ。

 リューグは僅かに吐息を漏らして、仕方なげに告げる。

――《来訪者》が苛まれている現状に置いて、あってはならない事実と共に。


「つまりは――〈ファンタズマゴリア〉が異世界化された後に、何者かが新しく創造し、アップデートしたモンスターのデータってことさ。しかも、ご丁寧にハッキング対策の防壁(ファイアウォール)付きときてる」


 瞬間、ヒュンケルの表情が驚愕に染まる。普段は微動だにしない不機嫌そうに細められている双眸が大きく見開く。

 ヒュンケルをそれほど驚愕させる事実が目も前に投げ落とされたのだ。無理もない。正直、リューグ自身も胸中穏やかではない。

 そう。それはあり得ないことだった。

 プログラムを組み立てて、既存の〈ファンタズマゴリア〉にはないまったく新しい物質を想像するというのは不可能ではない。だが、それには数十数百の制約が課せられ、生み出すことのできる物など今や消耗品のアイテムが限界であり、あるいは既存のアイテムを構築するプログラムを改竄して性能や効果を変異させるのが精一杯である。ゲーム時代にプログラムをアップロードすることで新しい魔術などを創造することや、今ある機能の開拓・拡張は、現状の〈ファンタズマゴリア〉は不可能だった。

 実際、リューグ自身も何度がプログラムをオープン(タイプ)でアップロードを試みたが、結果としてそれは失敗に終わっている。


 更に言えば、モンスターのアップロードなど、たとえプログラムを完成させたとしても不可能なのだ。


 本来ならば、完成させたモンスターデータをシステム管理側へと転送し、それを管理側が検証し、検討し、幾つもの審査を通り抜けた後、システム側が〈ファンタズマゴリア〉の定期アップデートに合わせて情報を公開する規定となっている。

 故に、異世界と化した今は、最早プレイヤーもプログラマーも管理側もあったものではない〈ファンタズマゴリア〉において、新型のモンスターが出現することなどあり得ない。それだけでも現状は随分と常軌を逸している。

 だというのに――


「なんだよこれ……物凄いスピードでプログラムが書き変わってる」


 目の前に開かれたウィンドウの中に記されているプログラムコードは、すでに人間の知覚領域を優に超えた速度で次々と別なものへと書き変わっていた。

 形状。規模。性質。能力――つまるところ、このモンスターは現在も異常な速度で変異し続けているということだ。

 ステータスの数字は徐々に、だが確実に桁の数字を増やしていく。すでに全部の基礎ステータス値は四〇〇を超えていた。秒間に一ずつ。このままだと十分もしないうちに一〇〇〇を超える計算だ。しかもそこから更に数字を増やしていくだろう。

 最早その進化速度は違法改造(チート)レベルだった。

(……まったく、何処のどいつだ。こんなふざけたモンスター作りやがったのは)

 胸中で悪態を吐きながら、リューグはどうしたものかと目の前のウィンドウを眺めながら頭を悩ませる。

その背に、

「リューグ」

 ノーナが名を呼ぶ。リューグは振り向いて少女を見やれば、彼女はその細い腕のさらに細い人差し指を巨大な異形へと向けていた。

 見ろ――そう促されたような気がして、リューグは素直に視線をノーナの指差す巨大なる異形を振りむいて――そして絶句する。

 隣で、ヒュンケルもその両目を見開く。

 異形。

 白面を携えた巨大な人型。

 その白い面の下部――人で言うところの口が、大きく開かれていた。

 何処か粘着感のある奇妙な開き方。そこに乱立する黒い牙と血の如く赤い口膣内が覗く。そしてそこに見えたるは、小さな光の粒子。それが徐々に集束されていく様子。

 そして何よりも、その異形の向いている方向と角度は、どう鑑みてもリューグたちを直線状に捉えているではないか。

 誰ともなく、三人は揃って顔を見合わせる。そしてもう一度、視線を異形へと向けた。

 収束された光は徐々にその光を強くし、夜の闇を切り裂くような眩さを放ちその存在を知らしめて行く。

 つぅ……と、背中を嫌な汗が伝ったのを感じた刹那、リューグが叫ぶ。


「逃げろっ!」


 三人が屋根を蹴るのと、異形の口膣内に収束された光が、巨大な光線として放たれたのはほとんど同時だった。

 とっさに、三人は各々の得物を抜き、それを自身の前に楯とするように構えながら飛び退く。

 閃光が眼前を駆け抜け、衝撃が全身を、轟音が耳朶を叩く。

 文字通りの光線。怪獣映画さながらの破壊の光が寸前まで三人が立っていた建物を襲う。

耳を覆いたくなるようなスパークが弾ける。

建造物を構成するポリゴンが明滅し、貼り付けられたテクスチャが消滅するのではないかという錯覚すら覚えた。

 勿論、破壊不能建造物(オブジェ)である以上、たとえ建物を簡単に倒壊させることが可能な攻撃であろうと壊れることはない。光線が付き抜けた直線状に存在したあらゆる建物は、一切の傷を負うことなく形を残している。

 だが、それでもリューグたちの感じた恐怖は並みならぬものだ。

「くっ……!?」

 隣の屋根に身を屈めるようにして着地しながら、リューグは視線を異形へと走らせ、

「いいっ!?」

 その表情を凍らせる。

 見れば、その口膣内には再び光の粒子が集っていた。

「連撃……」

 見上げながら、ノーナが小さく声を漏らす。が、リューグは必死の形相で叫ぶ。

「言ってる場合か!? 逃げるよ!」

「もう逃げている」

 リューグの叫ぶ最中、ヒュンケルはしたり顔でさっさと遠くへと全力疾走していく。その背を負うことも忘れ、リューグはほんの僅かの間目を瞬かせて――視界の片隅で光が大きくなるのを垣間見ると同時に我に返る。

「ちゃっかりとあの男は……!」

 苦々しく声を漏らしながら、リューグも走るヒュンケルの背を追――おうとして急停止。

 振り返って黒髪の少女を見やれば、少女は腰を落として拳を構えようとしてた。その気概は買うが、流石にいろんな意味で分が悪すぎる。

リューグはその背に制止の声を掛けた。

「ノーナ、ダッシュ! 戦線離脱!」

「……分かった」

 語気に僅かの不満が宿っているような気もしたが、リューグはそこまで気を配って入られなかった。

 二人が駆け出す。そして、それを丸で待ち構えていたかのようなタイミングで巨大な異形が光線を放つ。

 大気を切り裂き、空間をも穿つかの勢いで放たれた光の帯を背にしながら、リューグとノーナは屋根から迷いなく飛び降りた。

 石畳の地面に着地し、勢いを殺すように滑る。ブーツのスパイクが火花を散らす。数メートル後退したところでようやく勢いが収まるや否や、リューグは剣を片手に肩を怒らせた。

「……なんだよ、あれ。何処の怪獣映画だ! 円谷プロか! 東宝か! ていうかゴジラか!」

 異形を睨み据えながら、何処か論点のずれた突っ込みを入れるリューグに、ヒュンケルは酷く複雑そうな表情でかぶりを振った。

「お前……またそんな最近の連中が知らないようなネタで突っ込みを」

「ごじらって、何?」

 その横で、ノーナが眉尻を下げながら首を傾げていた。ヒュンケルは小さく嘆息して答える。

現実(リアル)に帰ったら存分にネットで探せ。すぐにネットの海で拾えるからな」

「分かった」

「いい返事だな」

 言外に、現実への帰還を決意するその言葉に、ヒュンケルは僅かに感心した様子で返した。本人にその気はなかったのだろうが、ヒュンケルからすれば実に前向きな少女の意見には賛同の意を示した。

 その横で、リューグはどうしたものかと頭をひねらせていた矢先、ぽーんという機械音が響く。音声(ボイス)チャットの呼び出し(コール)音。リューグは即座にウィンドウを開き、応答を押すや否や、


『うおおぉぉぉいリュゥゥゥゥゥゥ――――』


 ブツッ……思わず、通信を遮断した。

 あまりの大声が脳に直接響き渡ったせいなのか、耳の奥がキンキンと音を鳴らしている。即座に着信拒否の設定に指を走らせようとするよりも早く、再び呼び出し音が鳴り渡り、リューグはあからさまに鬱陶しいと言いたげな表情で溜息を一つ吐き、再び応答。

 瞬間、

『うぉいこらリューグ! お前何いきなり通話切ってんだ!』

 またも耳を貫くような大音声が轟き、リューグは顔を顰める。

「いやー、なんていうのかな。あまりにも君の声がうるさかったから、つい」

『つい、で人との会話を拒否んな!』

 ウィンドウの向こうで、ウォルターが怒号する。

 本当にうるさい――と、リューグは心から思う。思わず耳を小指でほじりながら、リューグは慇懃に返答する。

「うるさい。君はいつものように路地の片隅で蕎麦でも打ってろ」

『そうしたかったのにそれをさせなかったのはお前だろう!』

「さて、なんのことだか?」

 いけしゃあしゃあとしらを切り、リューグは半眼に微笑んだ。相手が目の前にいるわけでもないのにそうしてしまうのは、相手がからかい甲斐のあるウォルター故だろう。

 そこでふと、視線を横に向けると、あからさまにげっそりとした表情でうなだれるヒュンケルが、ウィンドウ越しに誰かと問答している。

 十中八九ユウであろうと推測し、リューグは友の背中に向けて心の中だけで合掌した。

 だが、実際問題として、このまま時間つぶしに談笑――というわけにはいかない。

「ヒューゴ。愛の語らいはこの事態が収拾ついてからにして」

「お前後で殺すからな!」

 歯を剥き出しに怒りをあらわにするヒュンケルをよそに、リューグは遥か遠方へと伸びていく新たな光線を見上げた。

「あんなのが番兵みたく立たれてたら、探せるものも探せないよ」

『って、まだ見つかってないのか!?』

「なかなかに尻尾つかめないんだよ、これが」

 溜め息交じりにリューグが言うと、ウォルターは舌打ちしながら愚痴を零す。

『なのにあんなの出てきて中断とか、骨折り損ってレベルでじゃねーよ』

「――いいや、むしろ逆だ」

 会話に割り込んできたのは、ヒュンケルだった。リューグは振り返ってヒュンケルを一瞥すると、彼は無理矢理に通信を切ってリューグへと歩み寄る。

「あれだけデカイのが現れたってことは、相手側はそれだけこの状況を危惧していると考えられる。つまり――」

「今なら――尻尾を摑めるかもしれない?」

 言葉を引き継いだリューグに向けて、ヒュンケルは微笑と共に頷いた。

「そういうことだ」

「――だ、そうだ。聞こえてたかい、ウォルター」

 問うと、ウィンドウの向こうでウォルターが憮然とした声音で応じた。

『つーか、今ユウから今説明されたよ』

 姿は見えないが、明らかに彼が項垂れている姿が目に浮かび、リューグは思わず苦笑を洩らす。

「なら、いけるかい?」

『というか……やらないと駄目なんだろう?』

 ならやるよ、とウォルターは諦めたように言葉を締めくくる。リューグは失笑しながら首肯した。

 そして後ろで待機するヒュンケルを振り返り、視線だけで問う。どうするのか――と。

対して、ヒュンケルは僅かにその口角を吊り上げた。

「することは二つ」

 手を持ち上げ、指を二本立てて、彼は言う。

「その一つは単純だ」

 腕を下ろし、代わりに彼は視線をリューグから持ち上げて、はるか遠くへと向けた。彼の視線を追うように、リューグは振り返ってその先を追う。

 その先には――例の巨大な異形。

 今もステータスが成長を続ける、イレギュラーなる新型のモンスター。

 それを見上げたままに、銀髪なびかせた黒衣の賢人は悠々と言ってのけた。


「まずは――あのデカブツを倒すことだ」



      ◆     ◆      ◆


 もしもこれが現実であったなら、辺り一帯は火の海と化していただろう。各所へと吐き出され、注がれる高圧のエネルギー波。それは四方八方へ放たれては建物を貫き大地を穿つ。文字通りの無差別な破壊の光帯は、雨の如く都市へと染み渡っていく。

 その破壊の光が飛び交う古都の夜景。その中で――


 その人影は全身をすっぽりと包むローブに身を包み、引き摺るほどの裾を風にたなびかせていた。


 フーデットローブに身を包んだ人影は、彼の巨大な異形から大分離れた彼方の屋根の上で成り行きを見据えていた。

 決して当事者ではない。それは観測者――あるいは観察者の視線にして視点。

 巻き込まれることはなく、だが見逃すこともあり得ない安息の立場にして立ち位置。

 そこに悠然と佇みながら、その影法師は遥か彼方、街路を走る人の群れを睥睨する。

 彼らは手に手に武具を持ち、この地に召喚された巨身へと飛びかかり、剣を振るい、槍を投げ、斧を叩きつける。

 矢が飛び交い、銃弾が躍る。魔術によって生まれた炎弾が、氷槍が、風刃が、土流が一瞬の間隙すら生じぬ勢いで叩きこまれる。


「……あれに挑むとは。勇敢か、無謀か」


 走り、挑む無数の人影――《来訪者》と呼ばれるこの幻想創界(ファンタズマゴリア)にとっての異邦人たち。その中に、影法師は一人の人物を見つけた。そして、くすり……と笑いを漏らす。

 灰色の髪。

 全身を包む白銀のコート。

 首に巻かれた翠緑のマフラー。

 金色の長剣を片手に、全身を黒衣に包んだ長い銀髪の男と、長い黒髪を左右に括った小柄の少女を伴った剣士。

 三人の中で先頭を走っていた剣士が、猛然とした勢いで巨大な人型へと飛びかかった。烈火の如き赤光(しゃっこう)が剣から発せられると、彼はその剣を迷うことなく異形の巨躯へと叩きこむ。

 これほど距離が開いているにも拘らず、伝わってくる強い意志の力を感じ、影法師はフードに隠れた表情を僅かに嬉々させた。

 凄まじい――素直にそう思わせる、力強く、それでいて鋭く速い剣が、吸い込まれるように異形へと注がれる。

 無数の剣閃が叩き込まれる最中、追撃するかのように巨身を貫いたのは、眩く、思わず目をそむけたくなるような輝きを纏う巨大な雷光。

 神々(アスガルド)の王が振るいし、標的を必ず貫く力を宿した必中の槍――その名を冠する黒金の投擲槍の一撃が、剣士の斬撃を後押しするかのように異形を後退させた。

 予期せぬ怒涛の快進撃に、異形が(いか)ったかのように咆哮を上げた。

 巨身の周囲に展開していた数十人の《来訪者》たちが、その衝撃波にも似た怒号の雄叫びに耳を塞ぎ、うずくまる。

 動きを止めた《来訪者》たち目掛け、異形が再び攻撃に転じる。開かれる口顎。その中に収束する眩いまでのエネルギー。それが今まさに放たれようとしたその刹那――

 うずくまる《来訪者》。

 その中でただ一人、左右で揺れる黒い髪を引き連れた少女が異形へと飛びかかった。

 耳朶を貫き、脳を揺るがすほどの大音声を受けながら、しかしてその威力などまるで何処吹く風といった様子で少女は飛翔した。

 砲弾のように地面から飛び上がった少女の、純白の輝きを纏った拳がエネルギーを蓄積(チャージ)していた顎を打ち上げる。

 強烈なアッパーカットを受け、思わず閉じてしまったその口の中で、蓄積されたエネルギーが、閃熱と化して爆発した。

 破壊不能の設定を施されている建造物すら震撼させるほどの威力を宿した高圧のエネルギーが、異形の口の中で爆ぜる。

 これまでで、間違いなく一番のダメージ。自身の力で、己が口膣内を焼いた異形が絶叫する。

 悲痛漂う悲鳴が反響する最中で、新たな影が異形へと飛びかかった。

 銀髪をなびかせ、純白の衣装に身を包んだ少女。しかしその手に握られるのは、容姿に不釣り合いなほど物々しい、禍々しい三日月刃を備えた大鎌。

 ――白い死神。

 少女の姿を見て、思わずそんな印象を抱く。

 その死神の鎌が容赦なく一閃される。禍々しく、毒々しい黒と紫の巨大な斬撃波が異形を背後から強襲する。

 背後からの攻撃に気づかなかった異形は、突然の強襲に抵抗することも出来ずその巨大な体躯を揺らがせた。

 そこに――更なる追撃。

 青白い髪の、軽装の少女が異形の目前に突如姿を現し、その手に握る幾つもの投擲剣を投げ放つ。

 蒼氷の輝きを纏った刃が無数にその巨身へと突き刺さる。ダメージとしては微々たるものだろう。だが、彼女の目的が別の所にあることを、影法師は即座に悟った。

 ……なるほど。時間稼ぎか。

 見れば、あの咆哮で身を伏していた者たちが徐々に立ち上がって体勢を立て直しているところだった。それまでの戦闘でダメージを負っていた者たちは、総じて重装備で構えている壁戦士たちの後ろへと退去し、建物の裏で待機していた治癒術士(ヒーラー)の治療を受けている。

 ダメージの少ない者たちは、総じて攻撃へと転じていた。再び《来訪者》たちによる猛攻が異形を襲う。

 しかし、異形が動く。

 五指の爪――その先に、漆黒の光がぽつぽつと現出する。仄暗く、世の深淵の如く底深い闇の光玉。

 光を携えた爪を、腕を、異形が振り上げ――そして振り下ろす。

 その爪の先に宿っていた光玉が、爪先を離れて放たれる。

 同時に、誰かが叫んだ。


 回避しろ――と。


 その判断は正しい、そう影法師は賛同する。

 眼窩で、悲鳴が上がった。

 放たれた光玉。その一つが、槍を携えた鎧の戦士をかすめた。そうかすめただけ。それなのに、彼の纏っていた鎧はひしゃげ、槍を握っていた腕が人体としてあり得ない方向に曲がり、まるで風船で作る人形のように形容し難い有様と化していた。

 それを見て、影法師は僅かに感嘆の声を漏らした。

「驚いた……まさか、重力系統の魔術を行使するとは」

 つくづく、規格外の仕様だ――と、影法師は胸中で呟く。

 現状、〈ファンタズマゴリア〉には重力を操作してダメージを与える魔術は存在しない。否、それでは語弊がある。

 正確には、圧縮し、球体状に変形させて放つような重力操作魔術(バーストスキル)は存在しない――というのが正しい。

 現在存在する重力系の魔術は、標的を中心に一定範囲内にいる敵すべてを重力圧によって潰す、上位バースト・スキル《グラビティ》の一つだけだ。

 片手剣アーツ・スキル奥義の中に、自周囲に闇のオーラを展開して複数の敵を束縛し、そのオーラを圧縮して剣に纏わせ切り裂く《ウェルテクス・ヴォイド》も、重力に似た性質を持つがそれは例外と置けば、重力を操る術というのは《グラビティ》の一つしか存在しない。

 つまり、あの異形の、仕様外のモンスターが行使した重力の球体は、異形の持ちうる固有の(スキル)であるか、あるいは――


「今この瞬間に、創造者(クリエイター)が即興で作り上げたか――だ」


 影法師が呟く。

 その視線は、異形からはるか上空。空の彼方へと向けられていた。

 何も存在しない。誰の姿もありはしない、その虚空を眺め――


「まったく……悪趣味な」


 影法師は、誰にともなくそう呟いた。

 と同時に、轟音。

 此処ではない何処かへ意識を放逐していた影法師が、再び意識と視線を異形へと向ける。するとそこには見境なしに重力の玉を放ち、高エネルギーの閃光を口から吐き出す異形の姿があった。

 それを見て、

「……なんだい、あれは」

 自分へのダメージも顧みない、ただ周囲のすべてを屠ろうとする姿に、影法師の発する声に僅かな不満が孕んでいた。

「それは駄目だよ――実に、醜い」

 つぶやきが漏れると同時、影法師の手元にウィンドウが開かれる。片手の指が躍り、何かを叩く。

「醜態を晒すくらいならば――いっそ潰える方が、美しい」

 言葉と同時に、彼の指先が強くキィを叩き、同時にウィンドウが閉じる。同瞬――異形に変化が生じた。

 正確には異形の周辺。

 その空間に描かれたのは、少数の、だが巨大な、幾何学模様が施された魔術陣。

 そこから現出するのは、これまた巨大な黒い銛。

 陣から放たれた銛は、怒涛の勢いで異形の身体を貫き、地面へと縫い止める。

 戦場がざわめく。大きな驚愕と、僅かな困惑。突如として現れた魔術陣と、そこから放たれた巨大な銛によって動きを縛られた異形の在り様に、多くの《来訪者》が当惑する。

 だが、それも一瞬のこと。

 一部の《来訪者》たちが、これを好機とばかりに異形へと躍りかかる。

 白銀の軽鎧に身を包み、流麗な金髪をなびかせる女剣士が、その剣を振り翳して魔術陣を描いた。そこから現出するのは真紅の大剣。煉獄の業火を思わせる炎に包まれたその剣が、剣士の動きに合わせて異形を貫く。

 続くのは和装に身を包んだ黒髪の刀使い。

 瞬く間に距離を詰めるその速度はまさに雷速。稲妻のような踏みこみと共に放たれた渾身の刺突技が、異形の仮面の中心を穿った。

 絶叫が上がる。

 異形の仮面。その下方の顎が避けんばかりに開かれて形容し難い声を上げた。


「一気に押し切れー!」


 金髪の剣士が声高らかに叫んだ。その号令を皮切りに、鬨の声を上げた多数の《来訪者》たちが異形へと殺到する。

 無数のアーツ・スキルとバースト・スキルが雨あられと異形の身体へと叩きこまれてゆく。

 流石に、あれだけの勢いの超絨毯爆撃さながらの攻撃をされては、あの規格外にして仕様外のモンスターといえど抗う術はない。

 おそらくもう数分もしないうちに、この戦いは終息を迎えるだろう。彼ら《来訪者》の勝利という形で。

 故に、最早この場に留まる理由が影法師にはなかった。踵を返し、異形と《来訪者》の戦いに背を向け、この場を去ろうとした。

 しかし――


 それは目の前で肩を上下させ、乱れた息を整えながら金色の剣を構える青年によって阻まれる。


 ――いつの間に。フードの下で驚愕しながら、しかしすぐにその答えに辿り着いた影法師は失笑した。

「なるほど……さっきので見つけられたわけか」

 さっき――それが意味するものは一つ。あの銛が出現する魔術陣。あれを発動させるために要した十秒にも満たない時間。確かに影法師は無防備だった。

 そこを索敵された――あるいは、あの魔術を咄嗟に不正解析(ハッキング)して逆探知した。そういうことなのだろうと、影法師は悟る。

 そしてそれを肯定するかのように、目の前の白銀のコートに身を包んだ剣士は告げる。

「あの魔術が発動する間際に、ちょっとばかり探らせて貰った。おかげで、君を見つけられた」

「あの一瞬でハッキングからの逆探知とは……流石、と言ったところだね。リューグ・フランベルジュ。いや――」

 影法師は白銀の剣士――リューグを見据えながらそこで一旦言葉を区切り、人呼吸の間を置いてから、実に楽しげにその名を口にする。


「――日口理宇」


 影法師は楽しげに剣士(リューグ)にとって本当(リアル)の名を呼んだ。彼――リューグの顔が驚愕に彩られ、双眸が見開かれる。

「どうして……僕の名前を知っている」

「その問いに応える必要が、僕にはないよ」

 リューグの問いに、影法師はからかうような口調でそう答える。すると――


「秘密主義大いに結構。だがそれは、命を賭けてまで黙秘することなのか?」


 背後で、チャキ……っという鈍い金属音。同時に頭に突きつけられた硬い感触。

 影法師はフードの奥でにっと楽しげに笑った。

「ふむ――その脅し方は実に正しいと評するよ。ヒュンケル・ヴォーパール。いや――吾妻向吾君」

「ほう……俺の名前まで知っている、と。物知りなのだな」

 影法師の背後で、銀髪の賢人(ヒュンケル)は銃口をその後頭部突き付けながら冷淡に言葉を返した。

「これでも、君たちよりは世界を知っていると自負しているよ」

「ならば余計に、貴様に逃げられるのは避けねばな」

 返ってきた軽口に、ヒュンケルは淡々と応じる中で、リューグは剣を油断なく構えながら問うた。

「この一連の騒ぎ――君が元凶か?」

「否、と答えるよ。間接的に関わってはいるが、この事態を引き起こしているのは僕ではない。それだけは断言するよ」

「それを俺たちが信じるとでも?」

「その是非を判断するのは君たちだ。僕ではない」

 影法師は前後からの問いにもすらすらと答えた。このくらいの情報を彼らに提示したところで何ら問題はない。故の即答。

 すると、僅かの間を置いて、リューグが再び問いを投げかけた。

「なら、君は何をしたんだ」

「おや。これは穿った問いかけだ。返答に困るね」

 おどけた様子で、影法師は肩を竦めた。背後で僅かに殺気が漏れるのを感じるも、それは瑣末ごとと割り切り、少しばかり逡巡したのち、

「僕らはただ、きっかけを与えただけだ。それを何に用いるか。用い、何を成すかまでは、僕らは関与していないよ」

 結局、素直に応じることを選択した。別に隠しだてする必要もない。

「間接的に、この事態の要因を生んだことは否定しないが――ね」

「ならばその直接の原因となっている者は何処にいるのか、貴様は知っているのか?」

「もちろん」

 影法師は首肯した。

 そしてゆっくりと腕を持ち上げ、その指である方向を指差した。

 二人の視線が、その指す方向に向けられる。と同時に、影法師が動いた。

 ほんの一瞬の隙をついて、影法師はヒュンケルの銃口から逃れ、大きく跳び退く。同時に、ローブの下から両腕を閃かせ、二振りの剣を抜いた。

 左の剣がリューグの金色の刃を受け止め、右の剣が、ヒュンケルの銃口へ切先を込める。

 二人の表情が悔しげに歪むのが視界に映る。今日は実に良き夜だと、影法師は思った。


「それでは二人とも。また近いうちに会おう」


 にこりと口元を綻ばせると、彼はそのまま足場のない背後へと背中から飛び降り――同時に転移術式の施されているアイテム――転送石を掲げ、転移の光にその身を躍らせて夜の闇の中へと姿を消した。


      ◆     ◆      ◆


 眼窩を除けば、そこにはただ夜の闇にかげる建物と建物の狭間――狭い路地だけが存在していた。

「逃げられたか」

「みたいだね」

 ヒュンケルの悔しげなぼやきに、リューグは苦笑しながら肩を上下させた。

 鋭い視線で眼窩を見下ろすヒュンケルをよそに、リューグは背後を振り返る。

 見れば、あの異形がその姿を崩壊させていくところだった。予想はしていたが、〈ファンタズマゴリア〉既存のモンスターではないあの白面の巨体はポリゴン崩壊(ブレイク)することもなく、鉄が溶解するかのようなその形を崩していくのが見える。

 リューグはその様子を見ながら、そっと視線を異形から外し――ある方向へと向けた。

 あの全身を覆うローブに身を包んだ人物が指差した彼方。

そこに佇立する、その巨大な建造物を見上げる。

 リューグの見上げるそれは、この都市の象徴。

 古の栄華の証。今や主なき、訪れる者が失われた王の宮。


 ――古城ユングフィ。それが、フードの人物が指差した場所。


 あの異形をこの都市に放逐した者が居座り構えるというその古城を見上げ、


「……なんだかややこしいことになってきたな」


 剣を鞘に納めながら、そう言葉を漏らす。

 その呟きは、徐々に喧騒静まり返るユングフィの夜に吹く一陣の風に呑まれ――そして誰に聞かれることもなく消えていった。


 お待たせしました皆皆さま。どうも白雨です。何とかぎりぎり2週間以内に続きを更新できてちょっとほっとしております。大学のほうもレポートが終わり、テストも終わり、もはや春休み突入と言っても過言ではないこの時期。白雨は早々に昼夜逆転の生活を起こり始めていて大変ですww 来月は1週間ほどネットのない地元へ帰還するので、ちょっと早めに更新できるように筆を走らせようと思います。では次話『古き城の頂きへ』にてお会いしましょう。ノシ

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