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リ=ヴァース・ファンタジア  作者: 白雨 蒼
一章『カーニ=ヴァル・ベル』
6/34

Act5:怪奇の幕開け

 ――ごぽり……


 水の中から空気が噴き出すような音が聞こえたような気がして、その影法師は振り返った。

 しかし背後には何もなく、視界を捉えたのは、僅かに白み始めた夜と朝の狭間の空だ。

それは夜明けの象徴。

 昇り始めた朝日の色に染め上げられ始めた夜の残滓を見上げつつ、影法師は不敵に微笑んで踵を返した。


 その瞬間――その影法師の背中に向けて突如鋭利な五つの爪が道角から強襲した。


 が、件の影法師はまるでそれを予測していたかのように僅かに身体を左にずらしてその奇襲を回避し――

「――残念」

 嘲りと共に、その黒衣の下から二丁の拳銃を取り出し、振り向き様に銃爪を引いた。

 眉間と左胸。

 突然の襲撃者の、人であればそれだけで即死する箇所に銃弾を叩き込み、影法師は限りなく白に近い銀髪を揺らしながら、真紅の双眸を冷徹なまでに細めた。


 ――異形。


 白の仮面を携えた、鋭利な爪の生えた五指を持つ、黒く染まった人型。

 二発の銃弾を叩き込まれたその異形は、その身体を僅かに身震いさせた後、まるで風船が破裂するかのような音と共に弾け飛び、石畳の地面に黒い水溜まりを残して存在を消滅させた。

「ほう……」

 影法師――ヒュンケルは、その異形の消失の仕方を見て、興味深げに地面を汚す水たまりを見下ろした。

 この〈ファンタズマゴリア〉において、人やモンスターがHPをゼロにしたり、破壊可能建造物(オブジェ)が損壊して消滅する場合、それらは等しくポリゴンの欠片となって四散するようにプログラム上で設定されている。

 しかし、今しがたヒュンケルが射殺した異形は、本来のシステム規定を無視した消失の仕方をしたばかりか、その死後を促すような水溜りを残して死滅している。

 不死系のモンスターであるのならば、一定時間経過による再生のシンボルとして残骸が残るのも致し方ないが、どう見てもあの異形はそのような種族モンスターではなかったとヒュンケルは推測した。


(――ならば、こいつは何だ?)


 そもそもに、あのような形状と性質を持ったモンスターは、ヒュンケルの中にある〈ファンタズマゴリア〉の知識には存在しない。

 それ以前に、今ヒュンケルのいる場所はモンスターとのエンカウントが発生しない安全地帯である《都市エリア》。そのような場所でエンカウントが発生するのは、《戦争》系か《侵略》系のクエスト発生時以外ではあり得ない。

 しかし、現状このユングフィでは《戦争》が起きているわけでもなく、モンスターによる《侵略》を受けているわけでもない。


 ――では、何故?


 そんな疑問を考察するよりも早く、びちゃり……と水音が耳朶を叩き、ヒュンケルは即座にその音の下方向に向けて二丁の銃を構えた。

 そして僅かにその赤い目を見開くと、酷く億劫そうに嘆息一つ。

「――まったく。人海戦術というのはこれだから」

 呟きながら、ヒュンケルは無造作に銃爪を引いた。左右で交互に連続する発砲音と共に、排莢された薬莢が鈍い金属音を響かせて足元に転がる。

 奇妙な黒い人型が、銃弾を浴びるたびに風船の割れるような音を残して破裂する。

 しかし、倒しても倒しても、その後ろから次々と湧き出てくる様に、ヒュンケルは僅かに嫌悪感を覚えた。

「……確か、いたな。ジブリ映画にこんな奴」

 かなりどうでもいいことのように、某大作映画を幾つも輩出した、日本を代表する名高いアニメ映画会社の名を口にしながら、ヒュンケルは右の銃の弾奏(マガジン)を取り変え、左の銃を構え脳裏に表示したスキルウィンドウから一つを選択し、銃爪を引く。

 拳銃(ハンドガン)上位アーツ・スキル、《フォルテシモ》。

 青いライトエフィクトと共に射出された一発の弾丸が、銃口の先に現出した幾何学的魔術陣を通過する。すると光を帯びた銃弾はその輝きをより大きなものへと変え、突如炸裂したかのように無数の光芒となって異形の群れへと文字通り弾雨となって飛来した。

 被弾した異形は、しかして何の変化もなく僅かにその場で佇立した後、何事もなかったかのようにヒュンケルへと躍りかかる。

 一斉に振るわれた、十にものぼる腕の指突。

 が、しかし――


「――凍て、爆ぜろ」


 ヒュンケルがその言葉を口にした刹那、彼に襲いかかろうとした異形たちの体内から、一聖に巨大な氷柱が現出し、その身体を内側から貫き爆散させる。

 拳銃高位アーツ・スキル、《フォルテシモ》は、撃ち出した弾丸を銃口前に描かれた魔術陣の効果により、冷気を内蔵した爆弾へと変化させ、それを任意のタイミングで発動させて被弾した対象にダメージを負わせることのできるスキルだ。習得条件として拳銃のスキルレベルと、結構な数値の知力パラメータが要求される一風変わったアーツ・スキルだが、謎のクラス――全ての武器スキルレベルを同時に上昇させることのできるというクラス、トリックスターとなっているヒュンケルにとって、知力パラメータの要求される数値はさしたる問題ではない。

 目の前で氷柱に飲み込まれた異形を見据えながら、ヒュンケルは弾奏の交換を終えた右の銃を構えて、

退()け」

 言葉少なに己の意を告げて、銃爪を引く。

 小気味よい破砕音と共に氷塊が粉砕され、氷柱に呑まれていた異形の人型たちは例外なく消滅する。

 ぼたぼたと大量の黒い雨の中、ヒュンケルはアイテムウィンドウを開き両手の銃を収納すると、返す手の平でアイテム覧をスクロールさせ、別の武器を選択し、それを瞬時に具現させる。

 光の粒子が手の中でポリゴンを描き、武器の形を形成――オブジェクト化する。大型の刃に、掌に納まる程度の短い柄を握り締めると、柄の柄から腰のベルトに繋がった鎖がじゃらりと鳴った。

 両手に握られたのは、どす黒いを通り越していっそ毒々しい不気味な――濁った紫色の、重圧な刃を持った投擲斧(トマホーク)

 それが二本。それぞれを左右の手に納め、見た目相応な重みを手に感じながら、ヒュンケルはその禍々しい刃を無造作に投げ放つ。


 ヒュンケルの正面から迫ってきた人型の首が、いっそ清々しいまでに綺麗な放物線を描いて宙に舞った。


 そして――まるで時間が一瞬静止したかのような静寂の後、随分と遅れてその首の飛んだ人型の身体が虚しく爆ぜる。

 腰から伸びる鎖がじゃらじゃらと鳴る。

ヒュンケルはその鎖を摑んで軽く手首を左右に振ると、そのはるか先に繋がった投擲斧はまるで意思を持ったかのように無秩序な起動を描き、機械製造のように排出され、次々と湧き出てくる異形の首をポンポンと刎ねて行く。

 罪人を断罪する断頭台の刃さながらに――飛び交い、蛇の如くのたまう黒い斧刃は一方的な猛威を振るって――


 毒々しく禍々しい二つの斧は、ただひたすらに異形たちの命を蹂躙する。


 それは最早、戦いと呼べるものではなかった。

 あまりに一方的で、あまりにも暴力的な情景。

 蹂躙。

 殺戮。

 虐殺。

 ヒュンケルと異形の、〈ファンタズマゴリア〉の仕様にあるまじき謎のモンスターの対峙は、そういった単語で言うに尽くせる有り様だったのだ。

 別段、ヒュンケルが強い――というわけではない。確かにヒュンケルのステータス値は高い。しかし、その数値というのは他の追随を許さないものなのか? と問われれば、十人中十人、百人中百人が、等しく「否」と答えるだろう。

 そもそも〈ファンタズマゴリア〉は経験値を一定量貯めればレベルが上がり、ステータスのパラメータが全体的に上昇するレベル制のMMORPGではなく、そのほとんどがスキル制のゲームだった。

 ステータスは様々な行動によって上昇こそするが、それは極めて微々たるものであり、一つのパラメータの数値はシステム上四桁の数値設定はされているが、実際は五〇〇を超えることすら珍しいとすら言われる成長速度でしかない。

 この〈ファンタズマゴリア〉で成長させる必要があるのは、それこそ種類が数千と存在するスキルの熟練度であり、そうやって成長させたスキルを如何に上手く、緻密且つ正確に戦闘の最中に使いこなすことが出来るかを要求されるゲームだった。

 そしてゲームであり、同時にもう一つの現実と化した現状では、それがさらに顕著となっているに過ぎない。

『如何にスキルを使いこなすか』というのが、『如何に上手く戦えるか』という究極の形になったと言っていい。

 モンスターを相手にする胆力。

緊張の連続である戦闘中にどれだけ正確に立ちまわり、最適のスキルを選択する判断力。

敵の攻撃を正確に見切って対処する冷静さ。

 最低でもその三つは必要不可欠な要素。ヒュンケルにとって、その三つの要素を満たすのは大して問題ではなかった。


 元々、ヒュンケルにとって現実と虚構(ゲーム)の境界というのは酷く曖昧だった。


 現実の彼――吾妻向吾にとって、『世界』というのはほとんど外光から遮断されている生活空間である家と、時折検査のために訪れる研究機関だけであり、それ以外の外界は、パソコンの画面越しに見る映像から齎される視覚情報で構成されている。

 故に、彼が〈ファンタズマゴリア〉というゲームに魅入られたのは、ある種の必然といっても良かった。

 EVDを通してではあるが、自らの目で人と邂逅し、空を仰ぎ、太陽を黙視し、時に雨風に曝され、鍛えた技術を以て何かを成し遂げ、時に戦いすらせねばならないこの世界は、吾妻向吾とってもう一つの現実といって良かった。

プレイヤーの多くがゲームという遊びとして〈ファンタズマゴリア〉をプレイしている中で、ヒュンケルは常に真剣だった。HPがゼロになっても死にはしない。だから死んでも大丈夫――そんな考えは、ゲーム時代からヒュンケルには存在しなかった。

 戦闘の最中、EVDが齎す視覚と聴覚から様々な状況の変化を過敏に分析し、脳で即時情報化すると、そこから導き出される現状状況と自分の状況を照らし合わせる。

 そして今自分の成すべきことを微細に計算し、それを行動へ直結させ次の手段へと繋げる。


 如何に自分が負傷をせず、如何に相手に手傷を負わせることができるか。


 自分の身体の動きを微細に把握し、且つ相手の動きを正確に先読みできるか。


 ただそればかりを考える場所、それが〈ファンタズマゴリア〉における戦闘。

 ヒュンケルにとって、〈ファンタズマゴリア〉はゲームであった時から生死を問われる世界だった。その身に宿る病がために、僅かな外出すら適わぬ我が身では到底味わうことが出来ない緊張と興奮を齎してくれるこの世界(ゲーム)は、あらゆる意味で彼の生きる場所だった。

 だから――


 だから、〈ファンタズマゴリア〉というゲームが異世界と化し、自身はプレイキャラクターとなり、死ねば蘇ることができなくなった現状など、ヒュンケルにとっては端から問題ではなかった。

 ただコントローラで操作していたのが、自身の五感と脳で行うということに変化しただけ――むしろコントローラのボタン操作がなくなって楽になった程度にしか考えていないのだ。

 だから彼はモンスターに対して恐れることなく挑むことが出来る。

 その一瞬一瞬に命を掛けて戦える。

 ヒュンケルにとって〈ファンタズマゴリア〉はそういう場所なのだから。

 だが――


「――解せんな」


 不意に、そう一言吐き出すと、彼は投げ放った時と同じように、酷く無造作に二振りの投擲斧を手元に引き戻してアイテム欄に収納し、

「タウン内部でのモンスターエンカウントというのは構わんが、システムを超えた……仕様を逸脱したモンスターというのは――」

 すっ……と伸ばした手に、オブジェクト化された一振りの槍を握り締めた。

 黒塗りの長い握りを持つ、大きな真紅の宝石と、その周囲に施される意匠の凝らされた金色の刃身に、黒く染め上げられた刃の槍――《貫く王の雷槍(グングニール)》。

 ヒュンケルの保持する伝説級武具、その一つ。彼はそれを手にすると、感触や感覚を確かめるように、一、二度無造作に素振りをすると、その口元ににんまりとした笑みを浮かべる。

「――正直、看過し難い」

 刹那、雷鳴が轟いた。

 ヒュンケルの手に握られる投擲槍が、眩い稲光と共に雷音を響かせて辺りを呑みこむ。バチバチという音と共に、目が眩むほどのスパークがヒュンケルの周囲に爆ぜ、彼に歩み寄ろうとする異形たちの足並みが、僅かだが竦んでいた。

「ほう……」

 その様子に、ヒュンケルは感心したように声を漏らす。

「知性はなさそうだが……僅かばかりの恐怖心はあるか……いや、違うな。獣じみた行動しか取れないからこその、動物的本能から生じる危機感知といったところか」

 冷淡な眼差しで、まるで研究対象を観察するかのようにそう分析を口にしたヒュンケルは、そこで一人納得した様子で大仰に首肯して、

「だが、それだけか――つまらん」

 そう、断言した。

 そしてその言葉と共に、ヒュンケルは槍を――《貫く王の雷槍》を握る手を大きく振り上げ、


「もう用はない――失せろ」


 宣告と共に、渾身の力で(いかずち)の槍を投げ放つ。

 放たれた槍は、纏う稲妻を肥大化させて巨大な雷柱を成し、その巨大な熱エネルギーの塊が丸ごと一本の槍と化した。

そしてその巨大な熱と閃光の塊は、立ち竦む多数の人型を容赦なく呑み込み、一瞬の抵抗も許さず灰燼へと帰す。

 一切の容赦なき殲滅の下、ヒュンケルは影も形も失った異形の残滓たる黒い水溜まりを一瞥し――

「無駄な労力だった」

 にべもなくそう言い捨て、揺れる銀髪と身を包み隠すほどの黒衣を翻して、静かにその場を後にした。


      ◆     ◆      ◆


「なあ、ユウ」

「なによ、フューリア」

 ユウはその手に複雑かつ美麗な意匠の凝らされた大鎌を手に、毅然とした態度の下、冷めた視線で周囲を瞠目しながら背後の声に 応じた。

 そのユウと背中合わせのような立ち位置で、大型の短剣をそれぞれ逆手に構えながら言う。

「こいつらは何だ。私は見たことないぞ」

「奇遇ね。私も同じ――こんなモンスターは初めて見た」

 答えながら、ユウは禍々しい爪の宿る手甲に覆われた左手を持ち上げて、僅かに詠唱の文を囁き、呪葬鎌使(デスサイズの扱える魔術――《呪術》を放つ。

 掲げた左手の先に生じる闇色の光。現出した紫と黒の入り混じった光芒が走り、幾つもの呪言で形成された魔術陣。そこに宿った輝きが僅かに肥大化し、千々に弾けると同時に下位バースト・アーツ、《ゴースト・バインド》が発動する。

 術の発動と同時に、対峙する異形の化け物――黒に染まった全身に、純白の仮面を被る人型の足下から薄らと青みがかった、半透明の腕手が無数に顕現し、人型の異形たちの動きを束縛する。

 それを黙視すると同時に、ユウは地を蹴って異形たちへと肉薄する。

 強烈な踏み込みからのスタートダッシュ。歩数にすれば僅か一歩でトップスピードに上ったユウと異形の間合いは瞬時に詰まり、眼前に標的と捉えると同時に、彼女はその巨大な鎌を薙ぎ払う。

 軽々と振るわれた――しかして切り捨てる全てを死に至らしめる死神の鎌の如く、ユウの薙いだ鎌の刃に触れた人型たちは真一文字に両断され、一瞬の間を置いてその身体を大量の液体状と化して四散させた。

 地に、大きな水溜まりが残る。その上に、ぱしゃりという音を立てて脚甲に覆われた小さな足で優雅に着地し、ユウは再び地面を蹴って跳躍すると、そのまま大きく身を翻し一回転――その手に握られた大鎌が、巨大な円を描き、その刃の間合いに捉えた化け物たちを惨殺する。


 優雅で、無駄のない一挙手一投足はまさしく舞――死神の演舞。

 死を司る神の刃を振るう舞の下に、異形たちは何一つ抵抗も出来ぬままに死滅を余儀なくされた。

 しかもそれは、なるべくしてそうなった――そう思わせる、一種の必然性を見せつけられたような、そんな雰囲気すら纏っているのだから空恐ろしい。

 その瞬く間に敵を殲滅するユウの戦いぶりに感嘆の声を漏らすフューリアはもまた、優に負けず劣らずの戦いぶりだった。

 ユウのような優雅さも、演舞を彷彿させる完成された立ち回りもない。


 ――だが、彼女はひたすらに早かった。


 ユウの初動の疾駆もさることながら、フューリアの疾走はその比ではなかった。

 クラス隠刀士(スカウト)盗賊(シーフ)からクラスチェンジすることの出来る二つの上位クラスのうちの一つ。

 もう一つの上位クラスである暗殺者(アサシン)には攻撃力では遠く及ばないが、より隠蔽スキルや索敵スキルに特化し、何より〈ファンタズマゴリア〉にある戦闘クラスの中では最高の敏捷度ボーナスを得られる隠刀士のフューリアは、その隠刀士の中でも随一のAGL数値を持ち、それは彼女の最大の武器となっている強みだ。

 ゲームであった頃の〈ファンタズマゴリア〉において、敏捷度は移動速度や回避率に強い影響を及ぼすステータス値であり、この数値の高さによっては、回避スキルと掛け合わせることで強敵の攻撃すら連続回避することも出来るほど重要視されていた。

 そして現在――即ち異世界と化した現状では、敏捷度――AGLの数値が高ければ高いほど移動速度が高まるだけではなく、動体視力や反射神経に強い影響を及ぼすことが分かっている。

ゲームの時のようなシステム判定で回避するということは不可能になったが、自身の高まった動体視力で見切り、強化された反射神経と高い移動速度を以てすれば、ゲーム時代のような完全回避も不可能ではない。

 そしてその考えに重きを置く人間も少なくなく、フューリアはその『自身の身体能力で敵の攻撃を回避に徹する』ことを選択した《来訪者》の一人だ。

 フューリアはその険のある視線で眼前の人型を見上げた。迫り来る黒い五本の爪を凝視し、それが自分を今まさに貫こうとしているのを睥睨し――その爪が自らの身体を捉えようとした瞬間、半歩前に歩み、身体を右にずらすように急転させた。

 瞬きの半分の、更に半分。それくらいの一瞬にして、フューリアは自分にもたらされるはずだった脅威を難なく回避すると、爪を放った姿勢のままの化け物の身体に向かって短剣を振るい、


 瞬間――四つの軌跡が異形の身体を駆け抜けた。


 一瞬の四閃――左右の短剣を交互に二回振るい、人型の身体を切り刻む。

 斬撃を叩き込まれた人型は、一瞬の停滞ののちにフューリアの倒した人型と同じように、黒い液状と化して四散し、地面に黒塗りの水溜まりを残していく最中、フューリアは地を蹴って疾走した。

 眼前の倒した人型――それが爆ぜて地面に落ちていく大量の液状の壁を突き抜け、青みを帯びた長い銀髪を靡かせながら、少女は倒した人型の背後に立ち並んでいた同種の異形たちの間を縫うようにして駆け抜け、その横をすり抜けながら容赦なく短剣を叩き込む。

 背後に水風船の破裂するような音を複数耳にしながら、しかしてフューリアは振り返ることはせず、自分に向かってその腕爪を振るう異形たちの腹をすり抜け様に切り裂き、跳躍と共に脇下から首に向かって斬り上げ、着地様にその頭をかち割った。

 切った数はすでに三〇を超えただろうか。時間にすればほんの五分足らずの間に、それだけの異形を屠ったことなど、フューリアの過去にはなかった。

 もちろん、この謎のモンスターたちが一撃与えるだけで倒すことのできる程度の雑魚だからこそ可能となった所業だが――


「……キリがないな」


 自然と、フューリアはそんな言葉を口にした。奇しくも、それはフューリアたちがこの人型と遭遇する数日前にリューグが口にしたのと同じ言葉だったが、無論彼女がそんなことを知っているわけなどない。

 無限に等しく湧き続ける、〈ファンタズマゴリア〉の仕様には存在しないはずの、謎のモンシター。

どれだけ弱くとも、切り伏せた矢先に同じ形状の増援が現れて、延々と同じ作業を繰り返されれば、体力よりも先に精神のほうが参るのは必須だった。

 足元で現出し出した異形の仮面に覆われた頭部を蹴打で破壊し、その反動を利用して大きく宙に飛び上がり、周囲の建造物を足場にして再度跳躍し、フューリアはふつふつと湧く人型たちと距離を取ってユウの傍らに舞い戻る。

 ユウもフューリアと同じように、新たに出現する人型を鎌の一閃で屠り、バックステップを踏んで再びフューリアと背中合わせになるように立ち、相手を牽制するように鎌を水平に構えた。

 同時に左手を鎌の柄から放し、鋼鉄の爪に覆われた指を交えて弾く。

 一定の音程(リズム)で弾かれる指は、かちんかちんと金属の擦れる音を周囲に響かせた。そして、音が鳴るたびに、その響きが増すごとに、彼女の眼前の空間が徐々に歪みを帯び、それに合わせて右手に握る大鎌を頭上で回転させると、より顕著となった歪みは鋼の音律と大鎌の風切音に導かれるように形を変えて、大きな円陣を描き――幾つもの黒炎を現出させた。

《呪術》の中でも非常に高い攻撃力を持つ高位バースト・スキル、《ディアボロス・ブレンネン》。

描かれた魔術陣から繰り出された巨大な闇の炎は、ユウとフューリアを中心に螺旋を描き、やがて巨大な炎の渦と化してユウたちに迫り寄る人型たちを呑みこんで焼き払っていく。

 上位のバースト・スキルを発動させるには長々とした詠唱が必要不可欠のはずだが、ユウはそれ唱えることなくこの強力な術を発動させたのを見て、フューリアは少しの間怪訝な顔をして宙空を眺めた後、納得した様子で視線だけで友人を振り返った。

「そういえば……使えたんだったな。《音鳴詠唱(サウンドキャスト)》」

 その問いにユウは僅かに口元に笑みを浮かべ、鼻を鳴らして肯定する。

「最近、ようやくモノに出来るようになったわ」

 そう意気揚々と答えながら、ユウは自慢げに手甲に覆われた指をかちりと鳴らして見せた。


 ユウが行使したスキルは、《音鳴詠唱》と呼ばれる魔術の詠唱を別の動作で代替するスキルである。

ゲーム時代、操作スティックとボタンを設定された順に入力することで詠唱時間を短縮するという効果を持った《音鳴詠唱》スキルは、〈ファンタズマゴリア〉が異世界と化した現状において、自身が『一定の音程を様々な行動で行う』という形になり、更に効果が《詠唱短縮》から《詠唱代替》へと変化していた。

 スキルの内容がゲーム時代とは異なる形で存在しているものは、《音鳴詠唱》以外にも複数存在し、そのスキルを使用していた元プレイヤーたちの間では一時混乱を齎したが、それは発覚した当初のみで、時間が経過するとその変化は結局『ゲーム時代と大差がない』という判断と実際に使用した《来訪者》たちの言の下に風化していったのである。

 ユウの行使した《音鳴詠唱》もその例にもれず、『結局リズムを取ることに変わりはない』と案外簡単に受け入れられてしまったのだ。

 むしろ《詠唱短縮》から《詠唱代替》という効果の変化は非常に重要視され、このスキルの使用者はゲーム時代より格段に増えたと言っていいだろう。

 そのスキルの力を以てして、ユウは上位のバースト・アーツを無詠唱で発動させたのである。上位ともなれば、口頭詠唱で十秒近くの時間を要するそれを、左の手甲を弾く音と、鎌を振るい、自らが舞うことで三つのリズムを成し、その上で不協和音とならぬように意図して組み合わせるのは相当の修練が必要のはずだが、少女はそれを平然とこなして見せたのである。

 いや、「ようやくモノに出来るようになった」という言葉を汲めば、相当量の修練を積んだのかもしれない。

 しかし、それをおくびも感じさせないあたり、やはりこの呪葬鎌使の少女の情熱は常軌を逸しているとフューリアは思う。

 何故なら――


「――これくらい出来ないと、ヒュンケルの隣に立つなんておこがましいわ」


 そう、臆面もなく恥ずかしいことを言ってのけるのだから。

 ユウの何処となく喜々した様子から発せられた言葉に、フューリアは呆れたように溜息を一つ漏らす。

(……あんな引きこもりの何処がいいんだか)

 友人の恋情に口を出すつもりはないが、その相手のことを脳裏に思い浮かべて、フューリアは誰にともなくそう胸中で言葉を漏らした。


 ヒュンケル。ヒュンケル・ヴォーパール。

 それがフューリアの友人、ユウの恋慕する男の名。

 限りなく白に近い白銀の腰まで届く長髪に、全身を覆う黒衣に身を包んだ魔道師のような風貌をした、様々な武具を自在に操る――彼の《十二音律》に名を連ねる《賢人(ワイズマン)》。

 そして、日々のほとんどをカビ臭い自宅の中で過ごし、ひたすらに書物を読み解くことだけに没頭する異常者。

 それがフューリアの知るヒュンケルという男だ。

 口調こそ慇懃ではあるが、言っていることのほとんどが無礼にして非礼。無愛想で冷めた視線で周囲を常に観察している目で見られると、まるで自分がモルモットにでもなったような錯覚を覚えるような気味の悪い人物というのが、フューリアの中にあるヒュンケルの印象である。

(悪い奴ではないんだろうけど……)

 過去に彼によって窮地を救われたことがあるし、その時の彼の言葉は何処となく共感したのは覚えている。

 だが、それでも受け入れられるかと言われたら微妙というのが正直なところだ。

 何度かユウに連れ添って彼の家に赴いたことはあるが、その時のヒュンケルのユウに対する態度というのは、傍から見ていても好意的でなければ友好的でもなかった。

 ほとんど相手にされていないと言っても過言ではないだろう。『完全に』ではなく『ほとんど』という部分が辛うじて救いかもしれないが、その言葉にどれほどの差があるのかと問われれば、フューリアが答えに詰まるのは間違いない。

(まるで眼中にないんだよね。多分……)


 ――眼中にない。


 きっとそれが、ヒュンケルのユウに対する態度を明確に示す言葉なのかもしれない。

 ……それが分かっている上でアプローチを繰り返すユウも、大概ではあるが。

 フューリアは短剣を構え直しながら溜息を洩らした。果たして背後に立つ友人の恋がどんな結末になるのか想像もつかないが、今はそんなことにかま掛けている場合ではない。

 思考を切り替え、フューリアは徐々に歩み寄ってくる人型を見据えた。

 全長にして二メートルばかりの体躯を持った化け物たち。行動は単調で、距離を詰めてその鋭い爪を宿した腕を振るだけの攻撃手段しか持たず、一撃叩きこめばそれだけで倒すことが出来る雑魚中の雑魚だが、数の上では二人のほうが圧倒的に不利だった。

「ユウ。あの爪の威力は?」

「まだ無傷(ノーダメ)だから分からない。貴女は?」

「同じく。なんか怖いからね、あれ」

 応答しながら、フューリアは脳裏に描いたスキルウィンドウからスキルを選択し、両の短剣が翠緑色のライトエフィクトに覆われるのを確認しながら、屈むように体制を低くしてから一歩大きく前に飛び出し、斬撃を放った。

 風の魔術属性を宿した飛刃――短剣中位アーツ・スキル、《風塵斬舞》。物理・魔術攻撃力両方の攻撃補正を受ける斬風が、一瞬にして街路に密集する異形たちを突き抜ける。

 翠緑の斬撃波によって滅殺され、広くもなく狭くもない道を塞いでいた化け物たちを一掃すると同時に、フューリアは低い姿勢のままに地を蹴って駆け出した。


「ユウ、一気に抜けるぞ!」


「了解」


 フューリアの声に、言葉少なに応じたユウもその後に続く。

 終わりの見えない戦いを続けるだけ不毛――そもそも相手は未知数の、自分たち《来訪者》の認識の外にある謎のモンスターだ。ほとんど情報もなく戦い続けていい相手ではないし、今はまだ無傷の状態を保っているが、あのまま戦い続けて手傷を負わない保証はなかったし、なにより戦い続けることに得があるとは思えない。

 あの謎のモンスターが状態異常(バッドステータス)――特に無防備状態になる《麻痺》を引き起こすような攻撃手段を持っている可能性も捨てきれない以上、それを治すことの出来る回復役(ヒーラー)がいない二人の現状は不利と言っても過言ではない。

 何より――

「くそ、もう湧いてきたか!」

 フューリアが舌打ちする。彼女の走り抜ける先――前方十メートルばかり先の角に見える、壁に手を掛けるようにして覗くのは、異形たちの黒い爪だ。

 そこからもあの人型が湧き出してきているのだろう。そう思考が判断するのと同時に、のっそりとした酷く鈍重な動きで件の白い仮面が姿を現し――

「鬱陶しい!」

 走り抜けながら、フューリアはその仮面を横一文字に断つ。

「無限湧きにしても――これは流石に異常ね」

 フューリアが異形を屠る姿を見ながら、ユウは僅かに目を細めてそう呟き――そしてふとあることに気づいた。

「フューリア」

「なんだ?」

「AINたちの姿――見た?」

「なに?」

 ユウの問いに、フューリアは走りながら目を丸くする。そして数瞬後、その言葉の意味を理解したフューリアは、粟を食った様子で周囲に視線を巡らせ――そして背後に追随するユウへと答えを返す。


「――いないぞ! 何処にも見当たらない!」


 AIN。即ちAI-NPC。この世界に住まう、この世界に生きる住人たち。ユウやフューリアのような《来訪者》とは異なる、真の意味でこの〈ファンタズマゴリア〉に生きる人間たちの姿が――何処にもない。

 ユウもフューリアも、ほとんど同時に眼前にシステムウィンドウを開いて現在時刻を確認する。

 表示される時刻は【06:11】。

すでに日の出を過ぎ、朝を知らせる時計塔の鐘の音と共にユングフィの住人たちが起き出す時間――しかし、その道並みには人影一つ見当たらない。

確かに、二人のいる道路は居住区からは少し離れた場所だ。だが、それを鑑みたとしてもこの人の姿のなさは異様だった。いや、それどころか――


「――人の気配が……しない?」


 ユウは、半ば無意識にそう呟いた。そして、それはフューリアも感じ始めていた違和感でもあった。

 音もなく、それどころか姿を見せないだけではない。昨日まであったはずの人々の営みも活気も、生活の匂いすら断絶していた。

 まるで一夜にして無人街(ゴーストタウン)になったような錯覚を覚える、とても寒々しい雰囲気と気配を以て、ユウとフューリアの周辺からはこのユングフィに住んでいた住人たちの『生』の気配が絶えていた。

「……一体、どうなっているんだ?」

「さあ、私に聞かれても」

 困惑した様子のフューリアの言葉に、ユウは大分投げやり気味にそう言葉を返したが、それはフューリアの疑問に答えたというよりも、自分の中に生じた疑念に対して、気にする必要はないという判断を下すために呟いたようでもあった。

「今は安全な場所に退避するのが先決でしょう?」

「いや、まあ……そうなんだろうだけど」

 ユウの言葉に、フューリアは僅かに目線を彷徨わせて逡巡したのち、苦笑しながらユウを振り返る。

「何処に行けば、安全なんだ?」

「そんなの、私が知るわけないでしょう」

 迷いなく、ユウはそう断言した。臆面もなく言い切ったその表情を見て、フューリアはぽかーんとした様子であんぐりと口を開いたまま硬直し、

「……お前に聞いた私が間違いだった」

「その通りね」

 にべもなく、ユウはフューリアの言葉を肯定しながら地を蹴って宙に舞う。空中にありながら器用に身体を捻らせて前後を反転させ、ユウは背後に連なる異形たちを睥睨した。

 数にして十八。それがユウの視界が捉えた人型の数だった。しかも――

(……増えてる)

 追ってくる異形たちの最後尾。そこに見える影のような泉から水疱が湧くと共に、ぬぅ……という擬音が聞こえそうな様子で腕が生え、続いて白い仮面が這い出て、そして異様に長い体躯が現れ――そして足が水の滴りと共に飛び出すと、出現した人型は前を走る同胞たちに連なるようにして走り出す。

(無限湧きの《門》が――追跡して来てる?)

 胸中で呟いたそれに、ユウは僅かな間を置いてその意味を悟り――そして戦慄した。ぞわりと、服の下の肌を冷たい何かが撫でるような感覚に襲われ、その柳眉を釣り上げた。


(――有り得ない!?)


 有り得ない。

 それはきっと、今〈ファンタズマゴリア〉にいるであろうすべての《来訪者》が同じことを叫ぶだろう。

 ユウの目の前で起きているその現象は、〈ファンタズマゴリア〉にはあってはならない事象だった。

先程から安全圏内であるユングフィでのエンカウントも然り。仕様外のモンスターに然り。MMORPG〈ファンタズマゴリア〉の既存の仕様を逸脱した現象は幾つも発生しているが、今ユウの視線の先で起きているそれは、そのいずれの追随を許さぬほどの規格外だった。

 モンスター召喚用の《門》というのは、元来位置固定と設定されている。それが無限湧き仕様であるならばなおのことだ。その《門》が、逃走したプレイヤー――即ち《来訪者》たちを追跡し、モンスターを増幅させて追撃の手を増幅するというのは、あらゆる認識に置いて有り得ない。まさに《来訪者》の認知を逸脱した存在と言っていいだろう。

「まったく……鬱陶しい!」

 いらだちを吐き出すように、ユウはその言葉と共に手にする大鎌を両手で構えると、そのまま大きく振り上げてスキルを選択する。

 美麗な装飾と意匠の施された大鎌(デスサイズ)が禍々しいオーラを纏い、周囲の空間をその血のような赤いライトエフィクトで染め上げた。

「――せやっ!」

 気合の一声に乗せ、着地と共にその三日月刃を石畳の地面へと叩きつける。

 同時に、二人を追いかけてきた人型たちの戦闘がユウへと迫り、彼女に向かって鋭い爪を振り上げ――それと同時に、その身体を無数の刃が貫通した。

 ユウの振り下ろした鎌の先で、地面から無数に生える刃の群衆が、ユウへ躍りかかろうとしていた十体近くの異形たちを等しくその刃が補足し、穿ち――そして切り裂いていく。

 大鎌上位アーツ・スキル、《刃の茨道(ギ・リーズヴィレ)》。

 大鎌のアーツ・スキルは総じて攻撃範囲が広く設定されており、《刃の茨道》は前方に向けて撃ち出される範囲攻撃である。

 物理攻撃・魔術攻撃共々高い補正を得られる大鎌は、その攻撃手段も形質様々存在し、《刃の茨道》はその非現実的な攻撃形の一つ。

 大鎌の刃を地面に突き立てることで、前方に無数の刃を足元から発生させて貫く――攻撃にも、とっさの迎撃手段としても上位アーツ・スキルの中でも重視される技だ。

 数多の刃に囚われた異形たちは、小さな呻きと共にその全身を震わせ――直後、やはり先の例に漏れず風船の割れるような音と共に大量の水塊と化し、黒塗りの水溜まりを地面に残して消滅――だが、


 ――ごぽり……


 音が、鳴った。

「っ!?」

 ユウの眼前、今まさに殲滅した異形たちの末路の黒い溜まりから泡立ち――刹那、そこから黒い、漆黒の一閃がユウの顔面目掛けて放たれた。

 同時に、ユウが飛び退きながら首を傾げ――その強襲を辛うじて回避。同時にバックステップを踏んで水面から距離を取る。

 脚甲に覆われたブーツの底が石畳と擦れて火花を散らした。耳障りな摩擦音を耳にしながら、ユウは地面を滑りながら顔を上げて、敵を見据える。

 ――びちゃり。

 その音と共に、異形は再び現世へと出で生じる。

 一、二、三……もっと多く。ユウの目の前で、黒い人型は次々と地面の水溜まりからゆっくりとその姿を現していく。

(……早い)

 その様子を見やりながら、ユウは胸中でそう呟いた。そして、それは決してユウの身間違いでも、勘違いではない。

 明らかに、異形たちの出現速度が増していた。しかも先ほどまでのような、倒したら倒した分増援されていくのではない。倒した敵の末路からも、新たな敵が湧いてきている増援ではない。これは増殖だった。

 更に――

「ちぃ……」

 ユウは急速に距離を詰めてきた人型を輪切りにしながら飛びすさる。

しかし、両断し、上下二つに別たれ、後は破裂して黒い水の塊になるはずの異形が――唐突に変異し出したのを見て、その銀色の双眸が見開かれる。

 両断したはずの異形。その上半身と下半身それぞれの断面が突如泡立つと、次の瞬間――そこから今まさに切り離されたはずの下半身と上半身が急速に生えてきたのである。


 再生した!?


 ユウも、そしてフューリアも、その現象を見て驚愕の一色に顔色を染める。ユウの大鎌の一撃で確かな即死状態にまで持ち込んだはずのモンスターが、再生し――しかも二つに分裂してその数を増した現象は、彼女たちの度肝を抜くには十分な衝撃だった。

 確かに、〈ファンタズマゴリア〉のモンスターの中には、《分裂》という特性を持ったモンスターは存在する。しかし、それは不定形モンスター……つまりはスライム系特有のものであり、しかもその特性が発揮されるのはモンスター自体が生きている場合――即ちHPが残っている場合のみに、一定の条件下――即ち『《分裂》の準備状態にあるモンスターを攻撃する』ことで発動する場合のみである。

 しかし、目前にいるこの人型がそのカテゴリーに含まれるかといえば、それは断じて否である。


 ――にもかかわらず、この人型はその固定概念を悉く無視していた。


「忌々しい……!」

 言葉通りの思いで、憎々しげに迫る異形たちを睨みつけた。しかしその鋭い眼光も臆することなく、人型の化け物たちは一斉にユウへとその腕爪を振るう。

 対し、ユウも手にする大鎌を両手で握り――白刃一閃。

十にも昇るであろう漆黒の槍を彷彿させる爪を、大鎌の薙ぎで弾き飛ばし、あるいはその腕を斬断する。

「――ふっ」

 更に返す刀でもう一閃。横一文字に薙ぎ払われた鎌刃が巨大な弧を描いて人型たちの胴体を切り裂いた。

 しかし先ほどまでとは異なり、やはり異形たちはその形を保ったまま、斬撃の威力によって吹き飛ばされて、両者の間に距離が開くだけ。

「耐久力が……上がってるのか?」

「そんな生易しいものならマシよ」

 ユウの後ろで様子を見ていたフューリアの呟きに、ユウは油断なく鎌を構えたまま苦笑と共にそう答えた。

(物理耐性が備わった――そんな簡単なものではない。これはむしろ――)

 その言葉の続きは、

 二人のはるか後方から――


「――まるで進化、だな」


 言葉と共に、大気を切り裂き、大地をも震わすほどの轟音と共に、眩い――極色彩の輝きの閃光が二人のすぐ傍を通過し、異形たちを襲った。

 それは――稲妻だった。

 巨大な、極太の雷光。まるで巨大なSF映画にでも出てくるレーザー砲のような一撃が、一瞬にして数えるのも億劫になるほど増殖していた人型たちを際限なく呑み込み、そしてその眩い雷の熱で焼き尽くす。

 次いで衝撃が爆発し、すぐ目の前にいたユウも、その傍らに立っていたフューリアも爆風に煽られて思わず目を覆う。そして、爆発の勢いが収まったのを見計らって顔を守るように翳していた手をのけて見れば、寸前まで跋扈していたあの黒い群衆は跡形もなくその姿を消していた。

「……すごい」

 どちらともなくそんな言葉を漏らし――そして呆然と目の前の情景を見ていた目が驚愕に見開かれる。

 衝撃によって舞い上がった粉塵の一部が晴れたその先――そこに見えた黒い水溜まりから泡立つ音と、水音を引き連れて再び出てこようとしている異形の腕が見えた瞬間、ユウは鎌を構えて、フューリアは二刀を手に飛び出そうとしたが、

「――動くな」

 そんな一言と共に真横を駆け抜けて行った白銀の長髪と黒衣の姿に、二人は今にも飛び出そうとしていた足を止めてその背を見送る。

 声の主は、ユウの横を抜けると同時に強く地面を蹴って大きく跳躍した。十メートル近い跳躍をして見せたその人物――ヒュンケルは、その手に握る黒金の投擲槍――《貫く王の雷槍》を逆手に構えて、今まさに世界に這い出ようとしている人型と、その人型が出てくる黒い水溜まり――《門》を見下し冷徹に笑んだ。

「上から見たら、まるでゴキブリみたいだ――お前らは」

 バチリ……とスパークする音と共に、ヒュンケルの手にする槍が稲光る。スパークの音は連続し、徐々にその音を大きくするに伴って、黒金の槍もまた眩い光を纏って白熱する。

 ぬるり……と上半身を這い出した人型が、その白い面を上げて頭上に舞い、槍を構えるヒュンケルを見上げた。

 対して、

「俺はゴキブリが嫌いでね。だから――」

 ヒュンケルもまた、その見上げてきた異形を不敵な笑みと共に見下ろす。


「――害虫は駆除しなきゃ……なあ?」


 嘲笑うように紡がれたその言葉。同時に、異形はヒュンケルの発する圧倒的に敵意に反応したのか、その黒く染まった爪を思い切り振り上げた。

 本来その一彼では決して届かないであろう腕の一撃は、しかして腕が伸びるというまたも先ほどまでにはなかった変化を以てヒュンケルへと伸びていく。だが、ユウもフューリアも、本来なら十分脅威となるであろうその変異が、最早なんの脅威にもならないことをおのずと理解していた。

 勿論、自分に向かって伸びてくる腕槍を見下ろすヒュンケルも――また同じく。

 彼は重力の手に引かれ自由落下を始めた状態のまま、すでに全身を包むほど肥大化し、白熱し発光する投擲槍を構え、


「――貫け《貫く王の雷槍》」


 その言葉と同時に、彼は渾身の力でその槍を地面目掛けて投擲する。ヒュンケルの手を離れた《貫く王の雷槍》は、放たれると同時にその全身に眩い閃光を纏って一片の揺るぎもなく標的目掛けて大気を切り裂き――


 刹那――ズドオォォォンという巨大な衝撃と共に、文字通り雷鳴が轟いた。


 ヒュンケルを狙って放たれた腕槍を豆腐の如く両断し、そのまま推進した稲妻を纏う槍は異形の仮面を貫き、更にその奥にある黒い泉を――異形たちを輩出する《門》を穿った。

 槍の穂先と《門》を守る障壁が僅かに衝突して火花を散らすが――それも一瞬のこと。僅かな抵抗の後、槍は《門》を守る障壁すらも容赦なく穿ち貫き、《門》を直々にそのあらゆるものを穿つと謳われた刃で捉えると、その槍全体から発せられる巨大な雷が指向性を持って槍に追随するように《門》を穿った。

 閃光が爆ぜ、衝撃が地面を震わせる。

 貫くもの――その名を冠した王の槍が、その名を体現するかのように黒い水溜まりの中央を射抜く。

 そして雷鳴と衝撃波の轟音の最中に、ガシャーンという甲高い破砕音が、様子を見守る三人の耳朶を確かに叩いた。

 ユウとフューリアが目を剥く只中に、ヒュンケルは軽やかな身のこなしで地に着地すると、自らの放った《貫く王の雷槍》の放つ巨大な雷光を瞠目する。

 眩く、すべてを呑みこまんばかりの極光の中で、無数のポリゴンが四散し霧散していくのを見て、ヒュンケルは半眼のままに溜息を洩らした。

 彼はその場で手を翳し、目の前に幾つものシステムウィンドウを表示し、そのいくつかをしげしげと見比べ、何かを納得した様子でひとり頷いた後、何事もなかったようにウィンドウを消して振り返り――

「……ちっ」

 小さく、だが確かに聞こえるように舌打ちをしたのを聞いたフューリアは、その反応に思わず目を剥いた。

 更に、

「……あんな雑魚を相手に逃げ回るしか出来ずにいたとは……この先思いやられるな。とても生き延び続けることができるとは思えない。上位クラスになったところで、所詮は猫の手程度の実力というわけか……情けない」

「ちょっと待てっ!」

 そう一人ごちるように呟いた彼の、文字通りの余計な一言は、フューリアの沸点を突破するには十分な効力を発揮した。

「どうしてお前にそこまで言われねばならないんだ!」

「どうしてもなにも――」

 ヒュンケルは銀髪を掻き上げながら、この上なく面倒臭げに顔を顰め、

「あの程度のモンスターに手間取っているようでは、そう言わざるを得ないと、俺は思うのだが?」

「奴らは普通のモンスターとは違うんだぞ!」

「それが?」

 フューリアの言葉を、ヒュンケルは何処までも冷めた視線で彼女を見返しながらそう言葉を返す。

「それが――って……」

「俺から言わせれば、それがどうした、の一言に尽きるな。確かにあのモンスターは〈ファンタズマゴリア〉の仕様には存在しない俺たち《来訪者》の認知する域を超えた――即ち規格外(イレギュラー)な存在だとしても……それがどうしたというのだ?」

「ぬぅ……」

「お前らが奴ら相手に手間取ったのは、お前たちが未熟である――ただそれだけのことだろう」

「お前、言っていることが大分無茶苦茶だぞ」

 ヒュンケルの言に、フューリアは怒ることも忘れて呆れ果てたように肩を竦める。しかし、ヒュンケルはそれを容易に否定した。

「阿呆が。無茶もあるものか、此処はそういう世界だ。たかがイレギュラーが起きたからといって、やるべきことは変わらないだろう。

 だから――無茶も無謀もやってから諦めを口にしろ。倒しても倒しても増える、復活するというのなら、増えなくなるまで、復活しなくなるまで倒し続ければいい。ひたすらに殲滅しろ。根気勝負だ。奴らが戦いに音を上げるまで戦い続ければいい。それで勝てるだろうが。それが出来ないのなら、誰にでもいいからヘルプ要請くらいすればいい――猛省しろ」

 何処までも億劫そうに、そして一方的に告げ、彼はそれ以上の言葉を噤んだ。

 フューリアは困惑する。

 つまり、これはどういうことなのだろうかと――フューリアは言葉少なに投げられた彼の言葉を頭の中で反芻するが……結局彼が何を言いたいのか分からず首を傾げた所で、隣に立っていたユウが失笑しながら告げた。


「つまり――手が必要なら助けを呼べ……そういうことかしら? ヒュンケル」


「知るか。人に答えを求めるな。自分で考えろ」


 可愛らしく小首を傾げるユウに対し、ヒュンケルは振り返ることもせずにただただ辛口に切り返すのみだった。

 その背中を見て、ユウが酷く意地の悪い微笑を口元に浮かべているのを見て――ようやくフューリアも合点がいった。

(……なるほど、な)

 つまりは、ユウの言う通りなのだろう。

 先ほどの長々と、こちらが口を挟む暇すら与えぬほどの言葉の真意は、結局最後の一文がための言葉だった――そういうことなのだろうと、フューリアは呆れ半分に苦笑した。

 が、それも束の間のこと。

「それにしても――結局あのモンスターは何だったんだ?」

「さあ……ヒュンケル、分かる?」

「知らん」

 にべもなく、彼はそう断じた。ユウとフューリアがすかさず不満気に顔を顰めると、ヒュンケルはようやく視線を二人のほうに向けて吐息を漏らし、

「俺も、お前たちと合流する少し前に、奴らと初めて遭遇したのだ。仔細は知らん。ただ、特殊な《門》から出現する規格外のモンスター……としか言えんな」

 簡潔明瞭の文のように彼は告げた。そこに嘘偽りはない。そもそも、嘘を教える意味はこれっぽっちもないのだ。現状の〈ファンタズマゴリア〉において、情報の共有は最大の生命線。それを隠すような真似はヒュンケルとてしない。

「問題なのは――奴らに変異が見られてることだ。まだ遭遇したのが二回だから確信はないが――」

「――進化してるわ。間違いなく、しかもかなり短い間隔で」

 ユウの言葉に、三者は自然と神妙な面持ちで言葉を噤む。

 それは三人が先ほど目にした異形の変異。最初は一撃見舞うだけで倒せたはずの敵が、唐突に倒せなくなり、それどころか再生したり、分裂という規格外の技までやってのけていたのは、二人は勿論のこと、顔には出さないがヒュンケルも動揺を禁じ得なかった。

「早急に手を打たねばなるまいな……」

 暫しの沈黙を打ち破るように呟かれたヒュンケルの言に、二人もまた同意するように言葉なく首肯する。

 二人の返答に、ヒュンケルは「よし」とでもいう風に微かに首を上下させ――そしてゆっくりと視線を周囲に巡らせて、小さく息を吐いた。


「どうやら……もう安全らしいな」


 ヒュンケルの唐突な呟きに、ユウとフューリアは意味を理解出来ずに目を瞬かせる。ヒュンケルは視線だけで二人に周囲を見るように促し、二人はそれに倣って辺りを見回し、ようやくその意味を理解し――自然と力んでいた肩から力を抜いた。

 数は少ないが、ちらほらと都市の住人たちの姿が垣間見えて始めている。

「AINたちが姿を見せたということは、もう安全と考えていいだろう。奴らが現れていた時、彼らは一様に姿を消していたからな」

「かくれんぼが上手なのね」

「そういう問題なのか、それって」

 ヒュンケルの説明に、ユウはくつくつと笑い、フューリアは憮然とした様子で腕組みをした。

「まあ……何れにせよ、此処にいても仕方があるまい」

 呟きと共に、ヒュンケルはその場を後にするべく歩き始めた。その後ろを二人は慌てて追いかける。

「何処に行くのかしら?」

「何処でもいいだろう。お前らには関係ない」

 ユウの言葉に、ヒュンケルは辛辣に返し、歩きながらウィンドウを開く。

「それは?」

一対一(パーソナル)チャット」

 指定した相手に対してのみメッセージを送るシステム。DM(ダイレクトメール)を送るよりも、こちらのほうが圧倒的に早い。ただし――それは相手が即座に対応できる状態にあればの話である。

「……出ない」

 暫し呼び出し(コール)するのだが、相手は一向に反応を見せなかった。

「誰が?」

「リューグ」

 ほとんど単語による短な会話の応酬である。

「寝てるんじゃないかしら?」

「おおいに有り得るから困るな」

 ユウの推測に、ヒュンケルは溜め息交じりに肯定した。そして仕方がないという風にチャット用のメッセージウィンドウを閉じ、別のウィンドウをオープンして表示されたキーボードパネルを片手間に叩き――数行の文章を打ち込んで送信した。

「寝ぼすけが」

「この時間に起きてる人間のほうが少ないだろう」

 舌打ちと共に呟かれたヒュンケルの言に、フューリアは同じくシステムウィンドウを表示しながらそう答えた。彼女のウィンドウの片隅――アナログが示す現在時刻には【06:27】と表示されている。

 その時刻表示に、ヒュンケルは眉間にしわを寄せながら、

「もう起きてもいい時刻だろう? 朝飯時じゃあないか」

「あの男が、そんな早い時間に起きるの?」

「……ないな」

 フューリアの問いに、ヒュンケルは呻くように答えた。何処となく元鳴りとしているように見えるのは、おそらくフューリアの気のせいではない。

「所でヒュンケル」

「何だ?」

 ヒュンケルの隣を並走していたユウが、彼の全身を覆う黒衣の端を摑んでくいっと引っ張りながら見上げて、服を引っ張られたヒュンケルは煩わしげに彼女を見下ろしながら尋ね返す。

「お腹が減った気がしないかしら」

「そういえば、朝飯時だったな」

 ユウの言葉に、フューリアは意地の悪い笑みと共にその発言に乗っかってヒュンケルに視線を向けた。

「知るか」

 無論、彼はそう切り捨てるのだが、

「自分で言ったでしょう、朝飯時って。貴方も当然そのはずでしょう?」

 ヒュンケルの表情が険しいものになる。対して、ユウはにやりと口角を吊り上げた。

「私たちもそうだし、一緒にどうかしら? ちなみに拒否権はなし」

「ほんの一瞬前の前文についていた疑問符は何処に消えた?」

「知らないわ」

 ヒュンケルのいらだった質問にも、飄々とした態度でユウはしらを切った。そして彼の外套をしっかりと握りしめながらフューリアを振り返り、あくどい笑みを浮かべる。

「フューリア。ヒュンケルが朝食を奢ってくれるらしいわ」

「それはありがたいね」

「何故そうなる!?」

 二人の会話に、ついにヒュンケルが歯を剥き出しにして恫喝するが――二人は彼の言葉を軽やかに無視して、しかし決して彼を逃がさぬように拘束しながら、

「このあたりで高そうな朝食が出る店はあっただろうか?」

「少し距離はあるけど、丁度いいのが表通りにあったはずよ」

「ならそこにしよう」

「人の話を聞け!」

 そんな会話を繰り広げ、二人は財布係(ヒュンケル)を強引に引き摺って歩みを進めるのだった。


      ◆     ◆      ◆


「姐さんも、アレと遭遇したんですか?」

「うむ」

 リューグの言葉に、サクヤはカウンターに肘を突き立て、手の平の上に顎を乗っけたまま相槌を打った。

 時刻は昼過ぎ。場所は相も変わらずサクヤの経営する鍛冶屋である。カウンター越しに顔を突き合わせた二人以外の客はおらず、二人は茶飲み話をするかのように――実際湯のみが二つ並んでいる――此処数日にかけて頻繁に起きているの異変について言葉を交えていた。

 そして件の話をすると、サクヤもまた今朝方に、幾日前にリューグの遭遇した謎のモンスターと相対峙していたという話を聞かされたのである。

 しかし、当の本人は酷くあっけらかんとした様子で茶を啜りながら、

「流石にあんな面妖な奴らを相手にしては、これでも豪胆なほうだと思っていた私も度肝を抜かれたわい」

「その程度の感想で済んでいるなら、やっぱり姐さんは十分豪胆な人だと、僕は思いますがね」

 呆れたように肩を竦めて、リューグはそう言葉を返す。

「よくあの化け物相手に一人で対処しましたね?」

「一人ではないぞ。此処は『ガーディアン』の本部から近い。奴らも異常に気づいて対処していたのだよ。それに便乗させてもらっただけだ」

 その説明に、リューグはなるほどと納得する。

 ギルド『ガーディアン』はこのユングフィの治安維持を目的としている連中である。大方朝の警邏の際にあのモンスターに遭遇した――そんなところだろう。

「彼らなら常に複数でパーティを組んでますし、それなら《門》への対処する手段を持った術者の一人はいるでしょう」

「うむ。神官(クレリック)が一人いて、そいつの光属性の魔術でどうにかしていたよ」

 そこでいったん言葉を切り、サクヤは茶に口をつけながら「それにしても……」と言葉を続けた。

「一体何がどうなっているのだ? 安全圏であるはずの都市内部でエンカウントが発生するだけではなく、未知のモンスターが現れるなど、これまでなかったことだ」

 彼女の言葉に、リューグは無言で首を縦に振った。

「しかも数が尋常じゃない。聞いた話だけで、此処数日の間にアレと遭遇した《来訪者》の数は二桁を超えてる――おそらく、実際はもっと数が多いだろう」

「その、話に上がらない《来訪者》たちは?」

「分かりません」

 苦々しげに表情を苦渋に染めながら、リューグはかぶりを振った。

「現段階で分かっているのは、奴らは《門》を介して現れること。そして《門》を破壊しない限り無限に湧き続けること。そして急速に成長を遂げていること。そして、《来訪者》のみを狙っている――それくらいです」

 リューグの説明に、サクヤはしばし黙考し――口を開く。

「最後が、一番不可解だのう。何故、AINたちは不干渉で、我々《来訪者》のみが標的とされているのか……」

「その理由が分かれば、手を打つこともできるんですがね」

 リューグも同意するようにそう言葉を返し――二人揃って溜息を洩らす。

 その時、ポーンという不躾な電子音がリューグの意識下に響いた。

 サクヤに一言告げてから、即座にリューグはウィンドウを開き、送られてきたメッセージを表示する。

「ヒュンケルから?」

 今朝方に届いたメールはすでに確認済みだ。またその件についての話だろうかと訝しげにメッセージ文に目を通し――そして失笑する。


「――なるほど……そう来るか」


 呟くと共に、リューグはタッチパネルを叩いて返信し、ウィンドウを閉じてサクヤを振り返ると、

「姐さん、今日この後のご予定は?」

「特にないな。今日は脚注もないし、暇なものだよ。客の出入りも見ての通り、閑古鳥さ」

 店の中を見回して自嘲気味に告げられた言葉に、リューグはにっ……と笑って見せた。

「なら、今から注文する武具を急いで造ってもらえますか? 必要経費は僕が払いますから」

「それは構わないが――お前たち、今度は一体何をする気だ?」

 リューグの言葉に、サクヤはいぶかしむように眉を顰めて尋ねると、リューグは肩を竦めて苦笑する。

「酷い言い草ですね。それじゃあまるで、僕たちがいつも何か企んでいるように聞こえますけど?」

「お前さんとヒュンケルが組んで何かをしでかす時というのは、大抵ロクでもないことをおっぱじめるじゃあないか?」

「否定はしません」

 悪びれた様子もなく、リューグはサクヤの言葉を肯定した。その様子に、サクヤは苦笑しながら椅子を降りて腕をまくる。

「まあいいだろう。その仕事、引き受けよう」

「ありがとうございます」

 慇懃に礼を口にして頭を下げるリューグに、

「上客の頼みの一つや二つ、聞いてこその客商売だよ」

 サクヤは楽しげな笑みを浮かべて応じる。


 その時、カラン……と店の入り口にかけてあるベルが鳴り、サクヤとリューグの視線が店の入口へと向けられた。

「――あれ?」

 そして、来客の姿を見てまず口を開いたのは――リューグだった。

「ノーナ?」

 来客は、昨夜件のモンスターと遭遇した際に出会った黒髪の少女――拳聖バトルマスターのノーナだった。

「ん? リューグ?」

 向こうもまた、こちらの姿に気づいたらしくその蘇芳のような紫の瞳を僅かに丸くしていた。

「なんだ、知り合いか?」

 トコトコと店の中に入ってきた客を見ながら、サクヤは目を瞬かせているリューグの背に声を掛ける。

 唖然としていたリューグは、声を掛けてきたサクヤを振り返る。心なしか、僅かに困惑の色が窺えた。

「ああ……はい。先日――例のモンスターと遭遇した時に知り合った子です」

 簡潔に答えながら、リューグは歩み寄ってきたノーナに視線を戻す。サクヤもそれに続いてノーナを見やり、

「見ない顔だな。いらっしゃい。今日は何かお探しか?」

「違う。修理のお願い」

「ああ、そういうこと」

 ノーナの短い言葉に、リューグが納得した様子で首を縦に振ったのを見て、サクヤが逆に首を傾げた。

「何を一人納得しているのだ、リューグ」

「いえ、単に此処の宣伝をしただけですけど?」

「うん。された」

 リューグの答えに、ノーナが追随して頷くのを見て、サクヤは呆れた様子で半眼になる。

「まったく……余計なことを」

「客商売でしょう。顧客が増えるのは喜ばなきゃ」

 何処か面倒臭そうに呻くサクヤに苦笑し、リューグは肩を竦めた。対して、サクヤは不満気に柳眉を吊り上げるがそれ以上は何も言わず、仕方がないというように肩を落としてノーナを見た。

「待たせたな。それで、修理と言っていたが……その物自体は持ってきているか」

「うん」

 ノーナは首肯してテーブルの上に手を翳す。同時にその手の平の上に粒子が溢れ出し、次いで粒子が形を描き――そうしてオブジェクト化されたのは、一対の手甲。拳闘士クラスの愛用する武具――護拳(アームガード)

 ゴトッ……という重量を感じさせる音と共にテーブルの上に置かれた。それを見て、次いでサクヤを見上げ、ノーナは問う。

「これ、直せる?」

「どれ……拝見しよう」

 そう言って、サクヤはテーブルの上に置かれた手甲を見――指先でクリックする。ポップウィンドウが表示され、そこに武器の名称や性能、そして多くのRPGに見られるその武器の短い説明文が記されていた。

 そして、

「――なぬ?」

 浮かび上がったポップウィンドウを一瞥し、サクヤが目を丸くして素っ頓狂な声を上げたのを見て、リューグは怪訝に思い横からひょいとサクヤの見ているポップを覗きこんで――同じように目を丸くした。

 ポップウィンドウに表示されているのは以下の通り。


 カテゴリィ:《ナックル/ダブルハンド》。

 固有名称:《宝石獣の瞳甲(カーバンクル・アイズ)》。

 制作者名:なし。

 付与スキル:《精霊の加護》《剛健の楯》《マジックパリィ・改》


 リューグとサクヤが同時に互いの顔を見合せて、もう一度ポップを見直すが、やはり見間違いではないらしい。

「《宝石獣の瞳甲》…………初めて見た」

 半ば絶句しているサクヤの隣で、リューグは辛うじてそれだけの言葉を吐き出した。


 ――AAランク武具(ウェポン)《宝石獣の瞳甲》。


 βテスト時代から7年あまり。異世界と化してから一年と半年弱――その間に、リューグはこの武具を目にしたことは終ぞなかった。

 武器のランクこそAAではあるが、《宝石獣の瞳甲》は、その入手困難の度合いで言えばSSや伝説級武具にすら匹敵する超低確率のドロップアイテムである。

 武器自体の性能も高いだけではなく、付与スキルの《精霊の加護》は、あらゆる属性攻撃を三〇%軽減しするという高い性能を持ち、このスキルは数千数万存在する武具防具の中でも付与されている物は百にも満たないと言われる超レアスキルで、その性能の高さからもレア度からも欲するものは少なくない。

 この武具を手に入れるために、彼の武具収集ギルド『十種神宝』は、総勢三千人による大規模のカーバンクル狩りを一週間二十四時間交代で挑んだにも拘らず、ついに手に入れることが出来なかったという幻の武具の一つである。

 それがまさか、こんな形でお目にかかることになるとは思ってもいなかったため、長年〈ファンタズマゴリア〉をプレイし続けていたリューグは勿論のこと、武具職人であるサクヤにしてみれば眼球が零れ落ちてしまうような衝撃だっただろう。

 しかし、当の持ち主であるノーナはまるで気にした様子もなく言葉をなくす二人を見て小首を傾げた。

「直せる?」

「ぬ? あ、ああ! 無論、修理は可能だぞ」

 問われてようやく我に返ったらしいサクヤは、未だ興奮冷めやらぬとった様子で《宝石獣の瞳甲》を手に取り、

「少し待っておれ。すぐに研磨してこよう――リューグ、お前の依頼はその後でもかまわんな?」

 その問いに、リューグはにっこりと笑って快諾した。

「かまいませんよ。いいもの見せてもらいましたし、優先順位はそっちが先でいいです」

「ならばよし」という言葉を残し、サクヤはいそいそと工房の中の研磨石の下へと走っていくのを見送って、リューグはくすりと笑いを漏らす。

 その様子に、ノーナが首を傾げた。

「どうしたの?」

「うん? なに……随分と生き生きしているなと思ってね。やっぱり、あの人は生粋の職人だ」

「分かんない」

 むぅ……と、少女は眉を顰めてそう言った。昨夜見せた、凛々しく戦う様子からは考えられないような、酷く子供じみたその仕草に、リューグは目をパチクリと瞬かせて、そして笑った。

「まあ、分からなくて困るわけじゃないから、気にしなくていいよ」

「分かった」

 素直に首肯する少女の様子に微笑しながら、リューグはふとあることに思い至った。

「ノーナ」

 リューグは少女の名を呼んだ。いつの間にか店内に飾られている商品に目を向けていたノーナは、くるりと身を翻してリューグに向き直った。左右に括られた黒髪が揺れる。

「ん?」

「君に――手伝って欲しいことがあるんだ」

 尋ねるノーナに、リューグは簡潔に言った。

 少女が問う。

「――何を?」

 その言葉に、彼はにやりと口元に笑みを浮かべた。二十歳の青年が浮かべるにしては、酷く子供染みた――悪戯を思いついた悪童のような笑みと共に、彼は言葉を口にする。


「――化け物狩りさ」





 年内に更新が間に合ってほっとしてますが、結局目標であった一章の簡潔には間に合いませんでしたorz 

 誤字脱字は明日以降直しますが、それより早めに見つけたら直しますし、もし気づかれたらご一報を。

 では皆さまよい年末年始をノシ

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