Act3:行く末は見えず
裏路地に連なる煉瓦造りの小さな家の玄関。そのドアをリューグはノックもなしに、無遠慮にくぐる。
玄関をくぐると、埃と若干のカビ臭さが鼻腔を刺激し、リューグは呆れたように顔を顰めながら廊下を歩く。
家の中の窓はすべて閉め切られていて、自然の光は一切遮断されていた。魔術によって発せられている僅かな人工の光のみが廊下を照らしていて、リューグはその光を頼りに薄暗い廊下を歩いてこの家の主を探す。
いくつかある部屋を覗いては通り過ぎ、除いては通り過ぎ――それを数度繰り返し、最奥の部屋へと至る。
ほどなくして、その主は見つかった。
家の一番奥の広い間取りの部屋。そこは四方の壁一面に巨大な本棚が並び、部屋の全体に大量の書物が散乱していた。積み重ねられた書籍は山となり、あるいは天井にまで届くような塔を作っている物まである。
その山の、あるいは塔の一つ一つが、この部屋の主が蓄積した知識の量を顕著とする。積み重なった分だけ彼はこれを読み解き、その記されている内容を己が知識へと変えている。
寝食の時間を惜しみ、ただ知識の探求を優先する賢人は、大きめの椅子に身を沈めるようにして座り、分厚い本に目を通していた。
腰辺りまで伸びた銀髪と、その全身を包む黒の法衣が床に垂れている姿は、良くて無造作、悪く言えば随分と自堕落な体たらく、と言ったところ。
「……リューグか」
部屋の中央に座す賢人は、腕の中の本から目を逸らすことなく侵入者の名を呼んだ。名を呼ばれたリューグは、自分には目もくれずに紙面に記された文字を括目する友人の様子に苦笑する。
「四日ぶりに覗いてみたが……もしかしなくとも、君は四日間その姿勢のままで本を延々と読んでいたのか?」
「そうだが」
彼は言葉少なにそう答えた。言外に「何か問題でもあるか?」と全身が訴えてくるような気がして、リューグは「いいや」とかぶりを振った。
「君の本に対しての貪欲さは今に始まったことじゃないからな。最早突っ込むだけ無駄なのは骨身に染みている」
部屋に入ってすぐの所に積み重なっている書籍の山の一番上に乗っている本を手に取り、中身をパラパラと捲って目を通す。
絵本、純文学、語学、神秘学、地学、法律、詩篇や伝記。そして魔道書……積み重なっている本の類に統一性はなかった。
伸ばした手の先にあった本を片っ端から読み漁り、読み終えた本を積み重ねたのだろう。読んでいる本人も、あれが読みたい――といった目的を持って読んでいるのではない。ただ知識を蓄えるために読んでいる。
だから読む本のジャンルは関係なく、読める物ならば何でも読む。
まさに読書の踊り食い――いや、ごた煮みたいなものだろう。必要なのは「何が書かれているか」ではなく「何について書かれているか」。
そこに彼の求めている情報のほんの断片――それを見つけるために、彼――ヒュンケルはひたすらに書籍を読み漁っている。
この部屋を埋める勢いで積み重なっている本の山は、情報への渇望による産物に過ぎない。ただし、成果があったかないかと言われれば、それは定かではないが……。
リューグは手に取った本を片手で閉じて、それを積み重なった本の山の上に置き――徐に椅子に座すヒュンケルに視線を戻す。
「それで、成果の程はどうなんだ。探していた情報は見つけられたのか?」
「いいや。まったく」
初めて、彼は本から顔を上げてリューグを見た。深紅の双眸を不快気に細め、僅かに嘆息してからかぶりを振って見せる。
「――何も。そう、何も見つからないさ。予想はしていたがな……」
パタン……と、手にしていた本を閉じて投げやり気味に彼は言う。
「どんな本を読んでも、俺たちの巻き込まれた現象に関する資料は……今のところない。そしておそらく、この先も見つからないだろうと、俺は漠然と予想している」
手にしていた本を、座る椅子の傍に積み重なった本塚の上に置くと、彼は小さく欠伸をし、顰め面になると、
「それで、お前のほうはどうだった? 何か収穫はあったか」
そう尋ねるヒュンケルの問いに、リューグは苦笑しながら肩を竦めて答える。
「こっちも、君に同じく――だ。東のレノンデム山脈にある深度五〇階層の遺跡……あそこの最深部まで探索してみたけど、結局何もなし。値の張りそうな宝物はあっても、僕ら《来訪者》の求めるものは欠片一つ見つからなかった」
「だろうな……」
リューグの答えに、ヒュンケルはさして驚いた様子もなく、小さく鼻を鳴らすだけで納得したように首を縦に振る。
「……手詰まりだな」
ぼそり、と呟かれたヒュンケルの言葉に、リューグは無言で頷いて見せる。
「俺たちがこの〈ファンタズマゴリア〉という異世界に取り込まれて優に一年と半年……攻略組が活動して一年。だが、未だに光明――即ち現実へ帰る手段は分からずじまいのまま……まったく、手づまり以外の何でもない状況だな」
「実際に、冒険者協会の掲示板にも、それらしい報告は一切なかった。攻略組も、やはりなんの成果も得られていないと考えるのが妥当だろう」
ヒュンケルの現状確認に、リューグが補足しながら肩を竦めた。
「攻略組は、現在どの辺りにいる?」
「確か西の大陸――第二大陸方面の南だ」
リューグの言に、ヒュンケルは苦虫を噛むように顔を顰めながら頭痛に悩まされているかのように眉間にしわを寄せた。
「つまりは、サービス開始から三年目の領域というわけか。先は長いな……」
ヒュンケルは過去のMMORPG〈ファンタズマゴリア〉のバージョンアップによる拡張と、現在の進行具合を照らし合わせながらそう呟く。
ゲームであった頃の〈ファンタズマゴリア〉は、毎日多くのプレイヤーの手によって公開され、事細かくアップされ続けたデータの増量に伴い、サービス開始時から数回、大がかりなバージョンアップが行われていた。
それに伴い、〈ファンタズマゴリア〉というゲームの世界は回を増すごとに拡大されていた。サービス開始当初は古都ユングフィを中心とし、四方に広がる草原、山脈、湿原、荒野の四つエリアのみが設けられていたのだが、第一回のバージョンアップによりそのマップフィールドは遥かに広大化し、十六のエリアが開設された。同時に製作可能アイテム幅の増大化や、自己開発プログラムのアップ容量の拡張など、プレイヤー側の自由度を追求する〈ファンタズマゴリア〉において、ゲームプレイヤーだけではなく、プログラマーや創作活動者などの活動をより快適にするための情報負荷の軽減システムの強化・導入も相まって、バージョンアップ後の〈ファンタズマゴリア〉ユーザーの並みならぬ反響を生んだ。
その後も不定期に行われたバージョンアップにより、当初は古都ユングフィとその周辺のみだった〈ファンタズマゴリア〉のフィールドは、今では海を跨いで四つの大陸が存在する状況にまで発展している。
ヒュンケルの言う三年目の領域というのは、そのバージョンアップに伴って開拓された新大陸の攻略度合いを示したものだ。
ゲーム時代、古都ユングフィを中心にした大陸――第一大陸全体をプレイヤーたちが踏破するにいたった歳月は優に二年と半年以上。その後、プレイヤーの半数以上が第一大陸の踏破を果たし始めたのに合わせてバージョンアップが行われ、追加された新天地が第二大陸である。
それにより多くのプレイヤーが新たな大陸――即ちに第二大陸大移動したのが、サービス開始から三年目だった。
ヒュンケルが言っているのは、この異世界〈ファンタズマゴリア〉に《来訪者》たちが現れてから一年半かけて、ようやくその第二大陸へと至る域に辿り着いたことを意味している。
「ペースとしては、悪くないと思う」
「それは同意しよう。正直、俺の予想よりだいぶ早いペースで攻略組は大陸踏破を果たした」
リューグの言葉に、ヒュンケルは同意を示すように首肯しながら新しい本を手に取り、それを開いて再び文字に目を移し、
「まあ、最上位のステータス持ちたちが傍観を決め込んでいなければ、もっと早い段階で第二大陸に辿り着いていただろうがな……」
「それは言ったら駄目だろ、当事者として」
そう自嘲するように呟いた言葉に、リューグは苦笑を返すしかなかった。
リューグにヒュンケル。この二人は現〈ファンタズマゴリア〉において、間違いなくトップに位置するステータスパラメータを保持している《来訪者》だ。それは約半年前の《竜血に染まる法剣》入手クエストをクリアしていることから、最早語るまでもなく証明できる事実の一つ。
だが、それはリューグたちだけではない。
リューグたちに並ぶ、あるいはそれ以上のステータス保持者は、現状の〈ファンタズマゴリア〉に極少数ではあるが存在する。攻略組をはるかに凌ぐほどにパラメータを鍛え上げている《来訪者》たちを、リューグたちは知っている。
そして――彼らの誰一人として、攻略組にその名を連ねていないことも。
本のページを捲りながら、ヒュンケルは思案顔でぽつりと言葉を漏らす。
「ただ、攻略していけばいいわけではない。ゲームを攻略するだけで現状を打破できるのならば、俺たちだって攻略の最前線に臨むだろう。だが――」
「もし攻略し続けた先に、何もなかったら……か」
彼の言葉を、リューグが継いだ。ヒュンケルはそれを無言で肯定する。
リューグたちのようなトップクラスのステータス保持者の多く攻略に参加しない理由。それは攻略をし続けたとしても、現状を打破する術がないのではないかという可能性を危惧しているからだ。
故に、彼らは積極的に攻略を急ぐことはしない。無論、攻略した結果、〈ファンタズマゴリア〉から現実に回帰することができるのならばそれに越したことはないが、攻略を性急し、その先に何もなかった場合、多くの《来訪者》たちを襲う絶望は文字通り想像を絶するだろう。
そしてそれが攻略もせず、このユングフィに留まり続けている《敗者》たちに知れ渡った場合に生じる事象など、考えるまでもない。
たとえ彼らがどれだけの暴動を起こそうと、所詮ユングフィに籠り切りでステータス値がほぼ初期値から変動していない彼らを制圧するのは、攻略組からすれば造作ないことだが、帰る手段が見つからずに途方に暮れた彼らが、その暴徒に加わらない可能性はゼロではない。
そうなれば、《敗者》の暴動などとは比類にならない事態に陥るだろう。最悪、高位の《来訪者》同士による殺し合いに陥る可能性も少なくない。むしろ、そうなる可能性のほうがはるかに高い。
愚かだと人は言うだろう。だが、極限状態の中で追い詰められた人間が、見知らぬ異世界で生活し、戦いに明け暮れ、それで理性を保ち自制するというのには限界がある。元々《来訪者》とは、剣も魔法も冒険も戦いも無縁な場所で生きていた、所詮ただのネットゲーマーでしかないのだ。むしろ現状が保たれていることすら奇跡に近い。
無論、現状維持が保たれ続けているのは、ひとえに伝説的〈ファンタズマゴリア〉プレイヤーの力によるものではある。
「……あれだけの攻略組や、そうでない中級組を一手に統括できる辺り、流石は《十二音律》筆頭だ」
「それはそうだろう。元々〈ファンタズマゴリア〉最大規模のギルド『十種神宝』のギルドマスター……最盛期はギルドの総員が数万に及んだ中で、完全に彼らを統括していた人格者だ。攻略組のたかだか二千人弱に、中級組の五千人程度、あの男にすれば造作ないことだろう」
ヒュンケルの言に、リューグは「それもそうだ」とでも言うように肩を竦めて微苦笑する。
ギルド『十種神宝』とは、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉において最大の規模を誇ったゲーム史上においても名を知らぬ者はいないほど有名な蒐集団体組織である。
その目的は、〈ファンタズマゴリア〉に存在する数万単位の武器の全蒐集という、言葉にすれば単純だが、その実途方もない労力と時間を要するような実現不可能な所業を目的として掲げ、成し遂げようと日々東奔西走し続けていた高レベルプレイヤー集団。
彼ら『十種神宝』は、レアリティの高い武具を入手するためならば多少の横暴ならば厭わず行い、時には力押し的手段すら辞さないその姿勢から、他の武器コレクターからは忌避されてすらいたほどの蒐集団体だ。
リューグやヒュンケルも、〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった頃に幾度か集団で襲われたことすらある。その行動は犯罪者ギルドすれすれの悪徳行為とすら思えたが、あの時はギルド員の勝手な暴走――というか、実際に『十種神宝』に紛れ込んでいたオレンジプレイヤーだったのだが、この話は割愛するべきだろう。
ともかく――そんな荒唐無稽なギルド方針にも拘らず、〈ファンタズマゴリア〉最強と目されるプレイヤーでありギルドマスターである草薙の下、〈ファンタズマゴリア〉でも知名度の高い高レベルプレイヤーが多数所属していたこともあり、その人気は他のギルドの通髄を許さぬほどだった。
ギルド最盛期のギルドメンバーの数は二万弱に昇り、それほどのギルドメンバーを一手で束ね上げ、当時の〈ファンタズマゴリア〉最難関と言われ続けていた攻城戦クエスト『ディヴァユガの門』攻略を成し遂げて無数の高レアリティ武器や素材アイテムを手に入れて見せた手腕は、未だに多くの《来訪者》たちの記憶に刻み込まれている。
それだけの手腕を見せたプレイヤー草薙は、現在高レベルプレイヤーの筆頭として唯一最前線で戦っている伝説級武具保持者であり、〈ファンタズマゴリア〉最強の刀使いと謳われ、同時に最も強い《来訪者》として攻略組のカリスマと化している存在。
人を束ねることにおいて、おそらく現〈ファンタズマゴリア〉に存在するプレイヤーの中で、彼の右に出る者は、今後も現れることは決してないだろうというのが、リューグとヒュンケルの評価だった。
だが、彼一人が終始戦い続けることはできない。どれだけ彼が〈ファンタズマゴリア〉における最高位のプレイヤーであろうと、伝説級武具保持者であろうと、限界はあり、彼に通髄する攻略組も、ただひたすら攻略に徹することはできない。
攻略するには当然、個々の《来訪者》たちそれぞれにそれ相応の力量が要求される。
ステータスの数値は勿論のことだが、それ以上に要求されるのが個人の戦闘技術――瞬間的なスキル選択の判断能力や通常攻撃の精密度。動体視力に反射神経。様々な実戦に必要とされる技巧の強化は、究極的に日々の反復練習や実戦経験に基づいて鍛えられるため、一朝一夕では強化できない。
そんなことをしている暇があるのならば次のダンジョンなどの攻略を行えという声も上がるが、鍛え上げなければその攻略すらままならないのが現状なのである。
そういうわけで、攻略組は攻略を終えるたびに一定の期間は自己鍛錬などに勤しみ、攻略組を指揮する草薙が大丈夫と判断したら攻略に挑む――後はその繰り返しだった。
しかし、その方法も第二大陸に攻略の手が伸びた辺りから負荷が見え始めてきたという噂が舞っている。
実際、ヒュンケルが草薙からもらった情報によれば、攻略組のメンバーにも限界が来してきたという。
その話を聞いた時、リューグは「それは無理もない話だ」と感じたくらいだ。
幾ら《来訪者》と呼ばれていようと、元々の彼らは現代社会に生きる一般人なのだ。何か武術に精通しているわけでもない、一介のゲームプレイヤーに過ぎない。
そんな彼らにたかだか一年と少しの間に、ゲームや漫画の中にのみ存在するような圧倒的な戦闘技術を持つ戦士になれという要求のほうが、俄然無理に決まっている。
MMORPG〈ファンタズマゴリア〉のPCがどれだけ『超人』と言えるような凄まじい戦闘技術を持っていても、それを操るプレイヤーたちは、言ってしまえば平和ボケした凡人に過ぎない。むしろ現状すら称賛に値するだろう。
――ともかく。
此処二月あまり、攻略組は第二大陸の攻略に手間取り、その成果は微々たるものというのが現状だった。
「――つまり……俺たちみたいなのは、他の方法を模索したままその片鱗すら見つけられず、結果――考察はすれど集団が見つからず停滞気味。そして攻略組は、俺たちのような突出しすぎた戦力が足りないから、一年半かけてようやく第二大陸の攻略開始だが、遅延気味――まさにどん詰まりとはこのことか」
状況を鑑みながら、ヒュンケルは天井を仰ぎ見そうぼやいた。リューグは苦笑を返す。
「まあ、言ってしまえばそう言う状況だね」
「何か手はないのか……」
「あれば、とっくに試すさ」
「違いない」と、リューグの言葉にヒュンケルは同意を示し、二人揃って肩を竦めた時だった。
玄関のほうから凄まじい音が響き、続いて慌てた様子のドタドタという駆け足気味の足音が廊下から聞こえ、二人は顔を見合わせた。
「何の音だ?」
「さあ?」
答えながら、リューグはひょいと廊下を覗きこみ――そして何処か納得したようにうんうんと首を上下させる。
そしてヒュンケルを振り返り、微苦笑と共に口を開く。
――大きなからかいと、若干の僻みと皮肉を込めて。
「――通い妻のご登場」
「……」
返答は無言だったが、ヒュンケルの表情は言葉よりも如実に彼の心境を表していた。よっぽど新たにこの家を訪れた客に会いたくないのか、それがただのポーズに過ぎないのかはさておいて、
「通い妻――ね。貴方にしてはマシな呼び方だと思う」
家の中をさまよった挙句にこの部屋の入口へやってきたその来客――長い銀髪を靡かせる少女は、その長い銀髪の間から覗く薄い銀色のの双眸でリューグを見上げ、彼の言葉にそう嘆息しながら無表情に切り返す。
その少女――表情こそはほとんど感情を表さないが、端整な顔立ちをしており、全体的に小柄な体躯を白を基調とし、紫の縁取りをされた衣装に身を包んでいる。
騎士の典礼衣装を彷彿させる、ドレスとも鎧とも表現し辛い奇妙な衣装だ。
《ゴシックナイト・ドレス》。
膝下まで伸びる幾層ものフリルで覆われ、胸元や腕を騎士鎧で補強した奇抜なその衣装は、リューグの纏う白銀のコート《アークナイト・コート》に並ぶAランクの軽鎧であり、女性専用防具の中でも随一の性能を誇る《プレイヤーメイド》の防具だ。
そして左手を包む凶悪な鉄爪を携えた、金色の光を纏う禍々しい手甲が、リューグを威嚇するように「カチャリ……」と鳴る。
見上げる視線に何処か敵意を込めてでもいるのだろうか――少女はリューグを無表情ながらに睨み据える。それだけで相手をい殺せそうな、気の弱い者ならばその場で震えあがりそうな威圧感。
少々幼さを感じないこともないが、それを踏まえた上で見てもまごうことなく美少女と呼ぶに相応しい容姿をしているのに、その無表情がすべてを台無しにしているような気が、リューグはしてならなかった。
ついでに言えば、なぜこのような美少女が半年近く、このカビ臭く薄暗い部屋に引きこもりっきりの親友の下にほとんど毎日通い詰めているのか不思議でならないが、同じようにほとんど毎日この家を訪れているリューグは、どういうことかこの少女に敵意にも似た感情を抱かれているのだけは分かった。
言葉なく向けられてくる視線のだけの威圧感に毎日晒され、何処かうんざりとした感慨すら胸中に生じている。
だが、リューグはそんな感情などおくびにも出さず、そして少女の視線に対して僅かな恐怖も抱くこともなく、涼しげに壁に背を預けて腕を組むと、からかうように笑った。
「脱『通い』して、後の一文字だけで呼べる日を、からかいと野次馬根性を織り交ぜながら期待しているよ? ユウ」
実際、それはリューグの本音であった。
どんな経緯があったのかは知らないが、その経緯を経てこの少女がヒュンケルに好意を抱いたのならばこれはまたとない機会だとすら思っている。
ヒュンケルの友好関係は極端に少ない。
もうこれでもかというくらいに少ないことを、リューグは知っていた。それもそのはず。リューグとヒュンケルはリアルでも交流ある親友なのである。
そもそもMMORPG〈ファンタズマゴリア〉をリューグのプレイヤーである日口理宇が参加するきっかけとなったのは、βテストプレイヤーの公募にヒュンケルのプレイヤーである吾妻向吾が、理宇の分まで勝手に応募し、二人揃って当選したことを知らせる向吾の電話を受けて初めて知らされたことが原因だった。
あの日その一報を貰った数十分後には理宇は向吾の家に殴り込み、その場で大喧嘩となったのも今では懐かしい記憶と割愛し――兎も角リューグにとって、ヒュンケルの他者との交友の無さは仕方がないと感じながらもどうしたものかと危惧していた。
そもそもに、リアルのヒュンケル――即ち吾妻向吾は、先天性白皮症――俗にアルビノと呼ばれる病気に似た病を患っており、外出することは愚か、紫外線を完全遮断する施設完備の整った自室から出ることもままならない生活を強いられている。
それ故必然的の外部との交流はほとんどなく、幼少期に障害により一般の学校に通えないような子供に最低限の学習を施す施設で出会った者たちを除けば、ヒュンケルの知人友人はネットの海で出会った者たちばかりであり、そのネット交流のあった人間のほとんどは、この〈ファンタズマゴリア〉に取り込まれるという現象の被害にあっておらず――また、PCの全データ初期化という《来訪者》たちが誰一人として得をしない処理を施されたことにより、過去それなりに存在したフレンドリストも初期化され、リューグと合流後はほとんど二人で活動していたこともあり、現状のヒュンケルの交友関係はほぼないに等しかった。
そしてリューグの知る限り、ヒュンケルは自身の知己以外に対してはその存在を認識していないかのような無関心となる。
かつてヒュンケル――吾妻向吾の部屋に訪れた新人の医師がどれだけ話しかけようと一切耳を貸さずに約半日無視し続け、新人医師が逃げ出した惨状を目の当たりにしたリューグ=日口理宇は唖然とし、子供ながらにその意思を哀れに感じたことを今でも忘れない。
つまるところ――彼が顔を合わせて言葉を交わす《来訪者》は最早ごくわずかとなり、それ以外の者は一般人であろうが《来訪者》がほぼ無視を決め込むという人として悪質極まりない性質の人間へと成り下がっていた。
ここまでくれば、もはや脱帽――処置なしとリューグが思っていた。
そんな男を――他者との交流が極端に少なく、その原因となった病をこれ見よがしに免罪符にし、他人との交流を極端に拒むこの男を意識する女性が現れた。
一体何の経緯があったのかは知らないが――ヒュンケル=我妻向吾が、異性に意識されているという状況をリューグが見逃すはずもなく――ヒュンケルの下を訪れるこの少女を焚き付けることにしたのだ。
リューグの言葉に、少女――ユウは僅かに嘆息し、ヒュンケルを見つめながら僅かに肩を上下させる。
「本当に……そうなる日が来たらどれだけいいことか」
「大丈夫。今は頑なに拒んでるけど、それを籠絡すればユウの勝利だ」
「それは本当かしら?」
いぶかしむユウに向けて、リューグは至極真面目な表情で大仰に頷く。
「断言してもいい。ヒュンケルはそう言うところに関しては愚直なくらい真面目だ。手を出したのなら、相応の覚悟を持った証拠」
語尾に音符くらい付きそうな弾んだ声でリューグは断言する。その言葉に、ユウは口元に手を当て、何やら思案するように眉を顰める。
「つまり――暫くはこのまま甲斐甲斐しく通い詰めて身の回りの世話をして……」
「ヒュンケルの様子を窺うのがベストだ。多分そのうち少しずつだけで様子が変わる」
「――おい」
再びヒュンケルが割って入るが、やはり二人は無視して話を続ける。
「具体的に言うと、どんな感じに変わるのかしら?」
「知っての通り、あいつは読書と書作業している時は周囲に全くと言っていいくらい興味を示さない。ガン無視と言っていいくらいに周囲を無視する――はっきり言って下種の所業だ」
「そうね。私がどれだけ部屋の掃除や整理をしても、食事を作って持ってきても生返事するだけで目も繰れないわね。彼が作業の手を止めるのなんて、貴方が来たときくらいだもの。嫉妬で気が狂いそうになるのを我慢するのも大変――というのは置いておいて、正直……最低と、たまに思うわ」
間に入った、ぞっ……とするくらい底冷えする声音で囁かれた一言にリューグは乾いた笑い声を上げるだけで、あえて何も言わないことにした。誰だって命は惜しい。
なお、随分と酷い言われようだが、二人の話に関してヒュンケルは何一つとして否定することができないため「うぐ……」と小さく唸り、ただ押し黙るだけに留まるのをいいことに、二人は顔を寄せてひそひそと話し続ける。
ひそひそ、と言う割には随分と声音が大きいのは、当然ながらわざとだ。
「それで、それがどんな風に変わるの?」
「これは推測にすぎないけど――まず目で追うようになる。本当に些細な変化だが、これが重要。ヒュンケルが一つに集中すると他がおろそかになるヒュンケルが、だ」
「確かに、それは大きな変化だわ。そして――それが意味するものは?」
「ヒュンケルは基本、興味がない相手には干渉しないし愛想もない。そのヒュンケルが目で追うということは――」
「私に興味が抱いた――と?」
「いや、もしかしたら一段階超えて……好意を抱いた――かもしれない」
「――うおぃ!」
ヒュンケルが声を荒げる。が、やはり二人は無視し――
「そうなったら――」
「あとは既成じじ――」
――リューグが言葉を言い終えるよりも早く、ズガンッ! という銃声が室内に轟き、同瞬複数の鈍い金属音が木霊する。
いつまでもダラダラと無駄話を続ける二人の様子についにブチ切れたヒュンケルが、愛銃《竜牙の黒銃》を抜き発砲――その射線上にいたリューグは金色の片手剣を、ユウは複雑な意匠の凝らされた大鎌を瞬時に抜き放ち、自分たち目掛けて発砲された弾丸を受け流ししたのだ。
銃弾を造作なく凌いだ二人に向け、ヒュンケルは握る銃の撃鉄を上げ、引き金に指を掛けながら、冷淡に問うた。
「――何の話をしている?」
「強いて言うならば、お前をどのようにすれば攻略できるか――だと思う」
怒気を剥き出しにしているヒュンケルを相手に、しかして慣れ親しんだリューグは朗らかに笑ってそうのたまった。
「ヒューゴに訪れた遅い春のためならば、僕は身を粉にし、多少強引な手を使ってでも成就させて見せる!」
ぐっ! と胸元で握り拳を作りながらそうのたまうリューグに、ヒュンケルは真剣に怒りを覚えたらしく、弾奏を入れ替え、怒気を孕ませたまま冷やかに告げる。
「世に――それをいらぬ世話というんだ。この馬鹿たれが」
ちゃき……と銃口を、不満気に口を曲げるリューグに狙い定めながら、ヒュンケルはもう一つ質問を投げかける。
「――本音は?」
リューグはにっこりとわざとらしい笑顔で即答した。
「断然――面白いからだ」
室内に再び銃声が木霊したのは、言うまでもなかった。
眉間目掛けて発砲された銃弾を、リューグは剣を振るい、紙一重でパリィする。
「おまっ……今の弾道起動だと、僕の額に風穴が開くところだったぞ!」
「当然だろう。狙ったんだからな」
リューグの青ざめながらの絶叫に、ヒュンケルはしたり顔でさらりと即答した。
「お前、無二の親友を殺す気か」
「無二とか言うな。まるで俺が寂しい人間のようじゃないか」
「実際寂しいだろう。体質のせいもあるけど、普段外に出ることもなく、ネットの通信で講義を受けているから実質人との交流なんて家族を除けば僕だけだ」
「リアルの事情をネトゲの中で暴露するんじゃない!」
椅子の膝掛けを思い切り殴りながらヒュンケルは苦い顔をしながら叫ぶ。
ヒュンケルにとって、現実の吾妻向吾の患う病と、それに伴う他者との交流の少なさは、多少なれどコンプレックスとなっているのである。
無論、リューグはそれを知っている。知っているが、あえて彼はヒュンケルの弱い部分を指摘してからかっている。
ヒュンケルもそれは分かっているので、本気で怒っているわけではなく、ただのポーズだ。が、やはり自分の事情を知らない人間の前で話されたのが気に食わなかったのか、あるいは事情を知らぬ人間の前でわざとその話をしたリューグに呆れているのか、彼は大きく肩を竦めて溜息を洩らす。
そんなヒュンケルの様子を見て、リューグはちらりとユウに視線を送る。
すると彼女はまるで全てを心得たといわんばかりに視線で応え、ヒュンケルに告げた。
「大丈夫。私が添い遂げればそれで問題なし」
「――大ありだ!」
ぐっと胸元で握り拳を作りながら励ますように嫁入り宣言するユウに、ヒュンケルは怒ればいいのか呆れていいのか分からず、複雑そうな表情をしながらユウの申し出を却下する。
暫しの沈黙ののち、ユウは施政をそのままに視線だけをリューグへと向けて、僅かに首を傾げた。
「――ああ言ってるけど?」
「照れ隠しでしょ」
にこりと笑って迷いなく答えたリューグ。
「つまり――本音は?」
「凄く嬉しいんじゃないかな?」
「人の心境を捏造するんじゃない!」
弾奏を新しい物に入れ替えながらヒュンケルが叫ぶ。目尻を吊り上げ、鬼のような形相でこっちを睨むヒュンケルの様子を見て、ユウはその半眼の双眸でリューグを見上げる。
「一体何が足りないのかしら?」
「好感度じゃない?」
「どうすれば上がるのかしら?」
「取りあえず――餌付けしとけばいいと思うな」
至って真面目に問うユウに、リューグは面白半分に返答を繰り返していると、
「――――人生最後の言葉はそれでいいんだな」
絶対零度の殺気と共に発せられた呪詛の如き声音に、リューグはぴたりとその挙動を制止して、ゆっくりと笑顔を張りつけたままの顔をヒュンケルに向け――即刻にサイドステップ。
次の瞬間、先ほどまでリューグが背を預けていた壁に幾つもの銃弾が叩き込まれ、複数の銃創が出来上がる。
廊下へと退きながら、リューグは幽鬼の如くゆらりと立ち上がりながら両手にそれぞれの愛銃を握り締めたヒュンケルを見て、剣を片手正眼に構えながら酷くゆっくりとした動作で歩み寄ってくるヒュンケルに危機感を覚える。
(……調子に乗り過ぎたかな)
先ほどまでのリューグの言動は、客観的に見れば誰がどう見ても悪ノリをした域だったのだが、それに今更気づいても後の祭り。
後悔は先に来ないもの。
改めてそれを実感しながら、リューグは摺り足気味に後退。
「それじゃー……そろそろ俺はおいとまするよ……――ユウ、是非とも頑張って」
「――言いたいことはそれだけかぁぁぁぁぁ!」
最後の余計な一言が契機となったのだろう。ヒュンケルは怒号と共に銃爪を引く。
それに合わせて、左右の銃口から連続して銃弾が射出され、
「お邪魔しましたああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!」
銃弾の雨が飛び交う廊下を全速力で走り抜け、ほとんど玄関の扉を壊す勢いで蹴り開けながら、リューグはそう去り際のあいさつを残し、友の乱射する銃撃の攻撃範囲から死に物狂いで脱兎した。
「任された」
走り出す間際、そんな無感動な少女の声が聞こえたような気がしたが、それを確かめる術など必死に逃げ出したリューグには存在しないのだった。
◆ ◆ ◆
「――と、いうわけなんですよ。酷いと思いませんか、サクヤ姐さん?」
「私からすれば、どっちもどっちだよ。リューグ」
カウンターの椅子に座って背もたれの上で腕を組むリューグの言葉に、黒髪の少女――サクヤは、呆れた様子で溜息を洩らした。長い黒髪を後ろで一つに束ねた和装の鍛冶師は、金床の上に乗せられた、高温の炎を浴び続けて赤光を放つ鋳塊を鎚で叩き、視線を逸らさずに言う。
「お主は大概あの男をからかい過ぎだ。そりゃ怒るなと言うほうが無理だろう?」
「まあ、分かっててやったのは認めますけど……あのヒュンケルの傍に女性の影が見え隠れしたら、正直茶化すなというほうが無理だと思うんですが?」
「……まあ、否定はしないな」
リューグの言葉に、黒髪の少女は何処か納得したという風に頷いた。そして、
「では――逆に訊きたいな」
「何をです?」
にやりと笑うサクヤに、リューグはいぶかしむように眉を顰めながら訊き返すと、彼女はにんまりと笑い、楽しそうな声音で問うた。
「あの男に女の影が現れたのも驚きだが……お前さんのほうはどうなんだ? ん?」
「うげ……」
「物凄く苦虫をかみつぶしたような顔をするな、お前さんは……」
質問にうめき声で答えたリューグの表情を見て、サクヤは呆れた様子で口をへの字に曲げた。実際、リューグの表情は酷く渋面であり、わざとらしくため息をついてがっくりと肩を落として見せる。
「いやぁ……僕はなんというか、あれですよ。女性と縁がないというか、ヒュンケルほどじゃあないにしろ、交友関係はわりと狭いというか……」
「どの口で言うか。まったく……」
リューグの何処かはっきりしない――言ってしまえば煮え切らない態度に、サクヤは心底呆れ果ててしまう。
そして次の瞬間にはにんまりとした笑みを口元に浮かべ、からかうようにサクヤは言う。
「ならば――お前が別々の場所で別の女とあっている噂が私の耳に届いているのはどういうことか、説明して貰えるか?」
その言葉に、リューグの表情が絵に描いたように青ざめる。挙句、
「……な、何のことだか、僕にはよく分かりませんねー」
視線を反らし、錆付いた人形のようなゆっくりとした挙動でそっぽを向くリューグに、サクヤは鎚を振るいながら言葉を続けた。
「『ガーディアン』のユーフィニア」
「うぐ……」
「女版のヒュンケルと名高い賢者、ルーテ」
「おう……」
「猫人族の射手、リーシャ」
「うわーお……」
「スキアエルフの隠刀士、フューリア」
「あー……」
「そして私、鍛冶師のサクヤ」
「あはははは……」
次々とサクヤの口から列挙される名前を前に、リューグは笑うしかなかった。
こうして挙げられていく名前を聞いてみると――なるほど納得、と言いたくなるくらい、自分の交友関係に女性の影は事欠かない。
サクヤはいったん言葉を区切ると、鎚を振るう手を止め、乾いた笑いを発するリューグを見上げる。
「――で、本命は誰だい?」
花咲くような笑顔でそんなことを聞かれても、リューグとしては答えに困り、何と言えばいいのか考えを巡らせていると、サクヤは何を勘違いしたのか、得心がいったという風に頷いて、
「ああ……それとも全員同時攻略で、ハーレムエンドを目指しているのか?」
「何処のギャルゲーの主人公ですか、僕は?」
サクヤの見出した答えに、リューグは呆れて半眼になりながらサクヤを見返し、かぶりを振る。
「別に、誰かを攻略するとか、本命うんぬん以前に、誰一人としてそんなに仲がいいとは一概に言えない気がしますけど?」
「ほう……たとえば?」
再び鎚を振るいながら、サクヤはそう切り返す。リューグは頤に手を添えて、しばし黙考に耽り――おもむろに口を開く。
「たとえばユーフィニア。彼女は昔からギルドへの参加を促されますけど、そのギルドへの勧誘を除けば、彼女と会うことなんてほとんどないに等しいですよ」
「お前さんは、本当にただのギルド勧誘だと思っているのか?」
「それ以外に何があると?」
リューグは迷わず返答する。実際、ギルドへ勧誘する以外の意図が、これまで彼女と交わした言葉の中に隠れているとは思えない。ユーフィニアは純粋にギルドの戦力強化を考えてリューグを誘っているはずだ。むしろあの言葉に裏があるとすれば、一体どのような意図があるのか、逆にサクヤに質問したいくらいだった。
が、リューグがそれを問うよりも早く、サクヤは「何でもない……」と言ってため息をついた。
「そうだな……お前はそういう男だよ」
「よく分かりませんが、それで貴女が納得したなら追求しませんよ」
「そういてくれ……まあいい。次は?」
いつの間にか、サクヤは作業の手を止めて身体ごとリューグを向いて話を聞く態勢に入っている。
気のせいか、視線に険のあるような気がしないでもないのだが、リューグはあえてそれに気づかないように意識する。
「えーと……ルーテ、でしたっけ? 彼女とはこっちの世界に来て間もない頃に出会って――それで都市の図書館にほとんど籠りっきりで、食事もろくに取ろうとしないから、たまに様子を見に行っているだけですよ?」
ユングフィには、現実世界で言うところの帝国図書館――即ち国立国会図書館級の蔵書量を誇る巨大図書館が存在し、リューグがこの〈ファンタズマゴリア〉の世界にやって来て間もない頃に出会った少女――現在では魔術師の上級クラスである賢者となったルーテは、一日のほとんどどころか、二十四時間フルでこの図書館に引きこもり、そこに貯蔵されている書籍の山に埋もれながら読書の日々を送るという、なまじ女性版のヒュンケルのような行動を取っているのである。
その間睡眠は眠くなったら時に眠り、食事をするくらいなら本を読むと断言し、そしてその言葉通り、彼女は一切の食事をとらない生活を送っているのだ。
その徹底ぶりに、ついぞ見かねたリューグは二日に一回のペースで様子を見に行くように心がけている。勿論、食糧持参で。
「……お前さんが会いに行くから籠ってるだけの気もするがねぇ」
「何か言いました?」
「いいや、何も」
言葉とは裏腹に、サクヤは本気で呆れたように目を細めてリューグを見据え、やがてため息を漏らして見せるも、リューグには彼女の意図が伝わる訳もなく、彼はサクヤの溜息の意味を微塵も理解できず首を傾げた。
「ならば、リーシャはどうなのだ?」
「え、彼女とはクエストで何度かパーティを組んだだけの間柄ですよ? まあ、たまに呼び出されてステータス上げに付き合わされますけど」
「やっぱりか……」
最早呆れを通り越し、何処かぐったりした様子でそう言葉を漏らして項垂れた昨夜の様子を見て、リューグは何を納得しているのか。そして何故そこまでぐったりとしているのか、いよいよ理解が追いつかず、彼自身も眉を顰めて眉間に指をあてた。
リーシャとは、猫人族の姿をした水色の髪が特徴的な弓使いである。短弓・長弓・弩などを得手とするクラス、狩人からクラスチェンジする二つのクラスの内、より弓を使うことに特化した射手となった後は、この古都ユングフィでも並ぶ者がないと呼ばれる最上位の弓使いとしてその名を轟かせている。
彼女とは単に〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった頃、軍団戦クエストなどで顔を合わせていたという程度に過ぎないのだが、この世界に訪れて再開後、たまにダイレクトメールなどで呼び出されてはクエストに同伴するようになった。
が、結局はそれだけの関係だと思うのだが、何故自分の交友関係の主だった面子に列挙されたのか、リューグは不思議で仕方がない。
「はぁ……それじゃあ、フューリアは?」
「姐さん、なんかやさぐれてますよ?」
「うん、お前のせいだから」
「分けわかりませんよ」
リューグはかぶりを振った。しかしサクヤはそんな言葉になど耳を貸さず、金床を鎚で殴りつけ、甲高い金属音を響かせて恫喝する。
「いいから答えろ! フューリアはどうだ!?」
「怒らないでくださいよ……フューリアですか。彼女は――ユウの、友達ですよ」
「あの〈死神〉の?」
「はい。あの〈死神〉です」
サクヤの問いに、リューグは首肯で返した。ちなみに〈死神〉というのは、ユウの持っている二つ名である。
――〈死神〉ユウ。
彼女は《十二音律》に名を連ねる一人だ。それもこの〈ファンタズマゴリア〉に存在するクラスの一つ、呪術師からクラスチェンジすることのできる二つのうちの、最も扱いにくいことで有名であり、千人に一人いればマシとまで言われるくらい嫌煙されがちな、使用難易度最難と名高い呪葬鎌使。
呪葬鎌使はその名の通り、物理攻撃力の高い大鎌と、魔力攻撃力が高い《呪術》を武器に前衛後衛両方を兼任することのできるクラスなのだが、武器の性質、魔術の性質共に癖が強く、使いこなすことが非常に困難と言われており、第一クラスで呪術師を選択した者のほとんどは、クラスチェンジの際は後衛職において最強と目される精霊使いを選択するのが通例とされている。
興味本位で呪葬鎌使になる者もたまにいるが、その大体が呪葬鎌使の使用難易度に悪戦苦闘し、その挙句にPCデータをリセットするくらいの不人気クラスだ。
しかし、使いこなし、且つ立ち振る舞いを間違わなければ、それこそ全クラス中最強と言っても過言ではない能力を持つ――いうなれば究極的な玄人向けのクラスが、呪葬鎌使だった。
元々専用武器である大鎌は、大剣と両手斧の両方の性質を兼ね揃えたような高い攻撃力と広い攻撃範囲を持った武器であり、大鎌アーツ・スキルの多くは攻撃力が高く、範囲も広く設定され、そのスキルの多くにHP吸収効果を宿している。
そして呪術師と呪葬鎌使のみが扱うことのできる魔術――《呪術》は、敵にダメージを与えるだけではなく、様々な状態異常を引き起こす性能を秘めたものが数多く存在する。
これら二つの性能をフルに活用し、アーツ・スキルの挙動や《呪術》の詠唱時間などどを計算に入れ、上手く戦場を動き回れる判断力さえ兼ね揃えていれば、S級モンスターを相手に単身で挑んだとしても引けを取らない性能を発揮することができるのだ。
無論、それだけの性能を遺憾なく発揮できるプレイヤーなど存在しないに等しいと云われており、半ば常識化していた。
しかし、ユウはその常識を容易にぶち壊して見せた数少ない呪葬鎌使だった。
とある集団クエストに参加したユウは、周囲の蔑みや嘲笑を撥ね退けるように、そして嘲った彼らの目の前でBからA級のモンスターを相手に快勝して見せたのだ。
そしてその時の鮮烈にして過激な様と、その手に握る鎌で上級モンスターを容赦なく切り伏せていった姿から、彼女は〈死神〉の二つ名で多くのプレイヤーたちに畏怖され、ついには《十二音律》に名を連ねるほどの高レベルプレイヤーとなったのである。
リューグも、ユウの戦う様を拝見したのは僅かに二度しかなかった。
一度目はゲーム時代。
二度目は、この〈ファンタズマゴリア〉に顕現してから。
その二度の間に見せた彼女の戦う様子は苛烈であり、同時に流麗でもあった。見ている側がいっそ爽快感すら覚える鮮烈な姿だった。
なによりゲーム時代、そしてこの異世界と化してからも、彼女の戦い方に迷いはなかった。多くのゲームプレイヤーがそうであるように、ゲームプレイ中は画面越しに映る状況を観察しながら次の行動を選択する。
通常攻撃にするか。
特技を使うか。
魔術を使うか。
あるいはアイテムか。
それとも防御か。
幾種も存在する選択肢の中から一つを選ぶのに、リアルタイム制のゲームなら一時停止ボタンを押して考えたり、ターン制のゲームなら何度も行動選択をやり直して、最善と思える選択をする。
しかしリアルタイム戦闘のMMORPGにそんなシステムなどある訳もなく、一度の選択を間違えると即死亡――というのも珍しくはない。
だからプレイヤーの多くはほんの一瞬の間に様々な葛藤を胸に抱えながら、その状況下で最善と思える一つを選択するのだが――ユウの戦い方にはそれが一切垣間見えない、というのがリューグの見解だった。
攻撃も防御も回避も、アーツ・スキルもバースト・スキルも、それらの発動の際の一連の動作には、コンマ単位の逡巡も存在していない。
それは〈ファンタズマゴリア〉が異世界と化してからも変わらなかった。ヒュンケルのヘルプに向かって再開した彼の呪葬鎌使は、ゲーム時代と何の変わりもなく一片の迷いも見せることなく、数十のモンスターに囲まれた最中でも舞っていたのだ。
《呪術》の闇を周囲で踊らせ、演舞の如く鎌を振り回す姿は、ゲーム時代の〈死神〉と謳われた《十二音律》の姿だった。
フューリアとは、そんなユウがこの異世界と化した〈ファンタズマゴリア〉に迷い込んですぐに知り合った盗賊で、現在は上位クラス、隠刀士の少女だ。
種族はスキアエルフ。俗にダークエルフと呼ばれる、青白い肌を持った、通常のエルフやハーフエルフに比べてはるかに高い戦闘能力を持ったエルフ種で、地面まで届きそうな青みがかった銀髪が特徴。
最初に出会った頃は酷く敵意を剥き出しにされていたが、最近では随分と丸くなってきたような印象を受けているのだが、
(たまに切りかかられるけど……)
不意にその時のことを思い出し、リューグはうんざりした様子で肩を落とし項垂れる。
(僕が一体何をしたって言うんだか……)
胸中で嘆きつつ、リューグはしばし無言のままであったサクヤを見た。見れば彼女は完全に作業の手を止め、頭を抱えて溜息をついているところだった。
その原因は自分なのだろうか。だとすれば心外なのだが、それはあえて口にはしない。良く分からないが、それは言ってはいけないような気がしたのだ。
「なんか、聞くだけ阿呆らしくなってきたぞ……私は」
「なら聞かなきゃよかったじゃないですか?」
「うっさいわい!」
歯を剥き出しにし今すぐにでも噛み付いてきそうな語気に、リューグは思わずたじろく。
「な……何を怒ってるんですか? 姐さん」
「その理由理解しないお前に怒っている!」
叫びながら、サクヤは手に持っていた鎚をリューグ目掛けて投げつけた。
「物凄い理不尽ですね、それ!」
言葉を切り返しながら、リューグは投げつけられた鎚を慌てて受け止めつつ、
「そもそも僕の交友関係なんて大したもんじゃないですし。必要がなければ会いもしませんよ」
カウンターをひょいと飛び越えて店の中に入り、サクヤに歩み寄って鎚を手渡しながら何気なくそう言ったのだが、
「……ほーう」
それが不味かったらしい。わずかに低くなった声音と、鋭利な刃物のように座った視線がリューグを貫き、彼は鎚を手渡した姿勢のまま硬直する。
頬を冷や汗が伝うのを感じながら、リューグは愛想笑いを浮かべながら一応尋ねる。
「えーと……どうかしました? 姐さん」
「いやなに……今のお前の発言に、少し気になるところがあってなあ?」
にこりと笑うサクヤの表情に、リューグは全身の毛孔が泡立つような錯覚を覚える。そのまま摺り足気味に一歩後退したのだが、リューグのコートの端をサクヤの手がぐっと握り締めて、それ以上退くことを許さなかった。
そしてその体制のまま、サクヤはリューグを見上げて尋ねる。
「お前は言ったな。『必要がなければ会わない』と……」
「は、はい……言いました」
サクヤの問いに、リューグは嫌な予感がしてごくり……と、無意識に唾を嚥下する。
理由は分からないが、どうやら怒っているらしい。それも、そこ知れぬほどの怒気が、彼女の全身から溢れているように見えるのは、きっとリューグの気のせいではない。
そんなリューグの心境など露とも知らぬ――あるいは理解していても容赦しないだけなのか――サクヤは、
「つまり――お前は用がなければ私にも会いに来ないのだな?」
もしこの場に誰かがいたのならば、サクヤの言いたいことをなんとかしてリューグに伝えただろうが、幸か不幸か、今店内にはリューグとサクヤ以外の人間は誰もおらず、そして――
「え……まあ、そうなりますね?」
リューグは最悪の返答をこの場で投下する。
刹那、サクヤが怒号した。
「――っの……大馬鹿ものがぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!」
「ええ!?」
サクヤの最大級の怒りの声を耳にし、次の瞬間振り上げられた鎚が、容赦なく振り下ろされる様に、リューグは声にならない悲鳴を上げた。
とっさに振り下ろされる鎚目掛けて両手を左右から叩きこみ、白刃取りの要領でその一撃をなんとか受け止めるも、
「ぬぐぐぐぐぐ!」
その体勢から、サクヤは更に力を込めてリューグへと迫る。
「ちょっ! 姐さんストップ! ストップ!」
クラス剣聖とクラス鍛冶師では、職業補正による筋力パラメータが圧倒的に後者の方が有利なのだ。
男性だからとか女性だからとか、この世界ではあまり通用しない。物を言うのはどれだけPCのステータスパラメータを鍛えているかだ。
サクヤはこれでも攻略組の最前線で戦えるくらいの力量を持っている。そしてそれはリューグも同じだが、サクヤは日々鍛冶師として武具の鍛錬をしているのだ。ただ剣を振るうだけのリューグと、重い鎚を振るって鉄を叩き、武具を鍛えているサクヤでは、筋力値の成長度合いは雲泥の差がある。
力だけなら、リューグよりサクヤのほうが圧倒的に高いのだ。
その力の差に、抑えているリューグに向けて徐々に鎚が迫ってゆく。
「ちょ、どうして僕殴られるんですかー!?」
「黙らんか! この女の敵がー!」
「分けわかりませんって!」
結局、この二人の攻防戦は、他の客が店を訪れるまで続いたのだった。
◆ ◆ ◆
時刻はすでに黄昏時。
昼と夜の狭間――夕日が照らすユングフィの街路を通り抜け、リューグはある場所を目指して螺旋階段を昇る。
「まったく……今日は酷い目にあったな」
階段を一段一段律儀に踏んで昇りながら、リューグはそんなことをぼやいた。半分以上自業自得と言っても過言ではないのだが、自覚のない本人はコートのポケットに手を突っこんで螺旋を歩く。
やがて最上階に辿り着くと、リューグは目の前にある重い鉄製の扉を開けて外に出た。
――ビュウ……という強い風が、頬を撫でた。
そこは、古都ユングフィにある巨大な時計塔の上――設置されている大鐘の間。
そこに、リューグは立っていた。
同時に――ごーん……という鈍い音が頭上から高く響く。
夕刻の終わり。夜を知らせる鐘の音が響き渡る。見下ろせば多くの住民がうごめいていた。
ある者は帰路へつき、ある者はその日の労働を労うために食事処や酒場へ繰り出す。
子供はまだ遊びたがるようにはしゃぎ、父母はそれを諌めて家へと連れてゆく――それは現実世界にいたころとなんら変わらない、夕方の風景。
リューグは視線を眼窩から正面へ――沈みゆく夕日へと向け、僅かに目を細める。
時期にあの夕日も完全に沈み、代わりに頭上には月と星のちりばめた夜闇が佇むだろうと、一人感慨深げに微笑する。
この世界に来てから、ほとんど毎日この場所から見ていた。
人の営みも、沈む夕日も。
それは現実のそれと相違ない風景だった。
違うのは自分。
日口理宇ではなく、リューグ・フランベルジュだという事実だけ。
後ろの壁に背を預け、そのまま凭れかかるようにずるずると身体を落として足場に座り込む。
――そして目を閉じ、リューグは自分の中にある記憶を掘り起こす。
自分の名前を始めに、そして家族の名前を次いで。
通っていた学校の名前。世話になった教師の名前。仲の良かったクラスメイトの名前。
好きだったこと。嫌いだったこと。
得意なことに、不得意なこと。
進学した大学での専攻した学科。受けていた講義。
簡単なことを思い出して行き、徐々に難しいことを掘り起こしていく。
それは、一種の儀式だった。
リューグがリューグとなる前――理宇である日々のことを。
それを忘れないように。自分に刻み付けるための儀式だった。
人間の記憶は徐々に劣化していく。それは毎日の出来事によって増えていく新しい記憶を残すため、古い記憶は睡眠の際に行われる記憶の整理によって徐々に廃棄されていくという話を、リューグは何処かで聞いた覚えがあった。
同時に、そう簡単に人間は以前のことを完璧に忘れることはないというのも、また然りだ。
それでも、時たまに訪れる不安が、リューグにこの儀式を行わせる。
これと言って、執着するほど大切だった記憶は多くない。
だが、忘れていい記憶というわけでもない。
記憶とはその人間の過去の象徴。いうなれば、生きてきた証のようなもの。自分の中にある過去の記憶は、個人を構成する大切な要素。それなくして自分を語ることは人にはできない。
たとえそれが――思い出したくない壮絶なものであったとしても、だ。
閉じていた目を、リューグはうっすらと開く。
時間にすればわずか数分程度だっただろうが、まだ春先であるこの時期では、日が沈む時間も早い。
気づけば夕日は大分傾き、空は薄らとだが夜を帯びていた。
「目を開けたら、そこには見慣れた蛍光灯の明かり――ってのは、ないか……」
「――皆、そうだったらいいと思っているよ。私も含めてね」
声は、すぐ側からだった。
リューグは振り向きながら視線を僅かに上へと向ける。そこには長く伸びた、青みがかった銀髪が風に揺れていた。
リューグと同じように壁に背を預けて腕を組む少女を見て、リューグははずかに目を見開いた後、くす……っと小さく笑って言った。
「流石にこの季節にその格好は寒くないかい? フューリア」
「言うにことかいて、そう言うことを聞くな!?」
リューグの問いに、フューリアは顔を真っ赤にして肩を怒らせながら叫ぶ。
だが、リューグの問いも当然と言えば当然だろう。まだ春先。夜は冷えるこの季節だというのに、少女の恰好はほとんど肌を隠す機能がなく、上着は袖のない膝丈まであるコートだが、その下に着ているシャツは、胸元から下は臍も隠さぬほど裾がなかった。そして下も太ももが丸出しのショートパンツという、酷く寒々しいもの。寒そうなうえに、正直目のやり場に若干困る。
「防具としての性能は高いんだ。仕方ないだろう」
そう言われると、リューグとしては何とも言えなかった。実際、彼女の纏っている服は隠刀士専用のAランク防具だ。回避性能が著しく上昇する効果を宿していることから重宝されている。
「まあ、君がそれでいいのなら、それでいいけどね」
「なら聞くな」
鼻を鳴らしてそっぽを向いたスキアエルフの少女の仕草に、リューグはくつくつと声を発して笑う。
すると、
「……こっから突き落としてやろうか?」
「お願いだから止めてください」
酷く冷淡な視線で見下ろしてくるフューリアに、リューグは素直に頭を下げた。彼女なら絶対にやる――そんな気がした。
フューリアは大きく肩を落として頭をふり、そして何でもないという様子で冷ややかにリューグを見下ろしながら、淡々と問う。
「それで、お前のところの引きこもりは何か成果を見せたのか?」
「これが全然――っていうか、人の友人を引きこもり呼ばわりか?」
答えながらジト目で返すと、彼女はさも当然という様子で頷いて見せる。
「私の友人の想い人だな。ムカつくが……」
「酷い言われようだな、我が友は……ははっ」
そう言いながら、自分でもヒュンケルのことを引きこもりと呼んでいる以上強く否定はできず、リューグは声に出して笑う。
「そういう君の方は、なんか成果はあったかい?」
「……あったら此処に来たりしないさ」
むすっとした表情で答えるフューリアの様子に、リューグは「だろうね」と頷いて肩を竦める。
「何処も八方塞がりか……どうすれば帰れるんだか」
「それを探っているんだろう。私たちは」
「その通りだね」
にべもない返答に、リューグは虚空を見据えながら肯定した。
「結局、僕たちにはそれしかない。現実へ帰る――それ以外の主だった目的がない以上、それを探し続けるしかないのかぁ……」
「随分やる気がないな。まさか、帰りたくないのか?」
「それこそ――まさか、だよ」
そう言ってリューグは頭を振った。
「帰りたいに決まってる。やりたいこと、やらなきゃいけないことが、幾つもあるし……ね」
リューグはそう言って、口を閉ざす。
フューリアはリューグのその言葉に「そうか……」と一言だけ答え、同じように言葉をつぐんだ。
二人の間に沈黙が座す。
気づけば夕日は完全に沈み、空は夜色に染まり、星の光が空に瞬いていた。
夜の風が二人の頬を撫で、その髪を揺らす。
二人は夜の闇に彩られる街並みを、ただ何も言葉を口にすることなく見下ろす。
眼下に広がる営みの数だけも灯された明かりが広がる風景が、そこには広がっていた。
――《来訪者》の誰もが、現実へ帰ることを夢見ている。
攻略組は、その先に帰る手段があると信じて日々奮闘する。
そうでない者たちも、自分たちの考えを以て各々が動く。
二年に近い歳月の中、彼らは〈ファンタズマゴリア〉を奔走する。
されどその行く末は見えぬまま、彼らはこの異界を彷徨い続けていた。
11月中と言いながらすでに12月になってしまいました。でも出来上がりました。Act3です。これにてプロローグ『リ=ヴァース』が終了――のはずです。次回から第一章が開始されます。出来るだけ早めに掻き上げるよう努力しますので、どうぞよしなにお願いします。では。ノシ
*2012/3/19 大陸の名義を変更しました。
ユーノリア→第一大陸
ズィスィボラス→第二大陸