Side:Hyuncel
盛大なファンファーレと共に空に打ち上げられる無数の花火。昼間だというのに大空のすべてを覆い尽くすかのような鮮光が千変万化するのを、すべての《来訪者》が見上げていた。
勿論、リューグとヒュンケルとてその例外ではなかった。
「――こんな……ことって……」
そうリューグが漏らすのも、無理はない。何せほんの数時間前まで、第二大陸攻略は絶望的という示唆が飛んでいたのだ。だというのに、頭上高くに打ち上げられる無数の花火と盛大な音楽がその想定をこれでもかと否定する。
そしてそれを決定的とするのが、恐らくこの瞬間すべての《来訪者》に一斉送信されたシステムメッセージ。
彼らの目の前に自動的に立ち上げられたウィンドウに示されるメッセージが、何よりもその真実を如実に示す。
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From:???????
To:All Player
本日時刻11:28。第二大陸における楔の解放が確認されました。
つきましては同時刻を以て第二大陸と第三大陸間における移動制約が解除。
全プレイヤーは当時刻をもちまして第三大陸への移動が可能となりました。
今後とも〈ファンタズマゴリア〉をお楽しみください。全プレイヤーの奮闘をお祈りします。
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刹那、間違いなくユングフィ――否。
現〈ファンタズマゴリア〉に存在するすべての《来訪者》たちの時間が止まった。
驚愕。
焦燥。
困惑。
歓喜。
そして、様々な感情が渦を巻き、されどその皆が一斉に歓声を上げた。
まるで鬨の声のような咆哮がユングフィを奮わせる。
AINたちが何事かと目を剥き、《来訪者》たちを凝視していた。突然湧き立った《来訪者》の様子は、きっと彼らからすると気が触れたのではないかと思われたことだろうが……誰もそんなことは気にも留めない。
そんな場合ではないからだ。
ほんの少し前まで、自分たちの想像を絶する異常に戸惑い、あるいは抗うことを諦め諦念に塗れていた彼らにとって、これほどの朗報はない。
ある者は打ち震えてその場にうずくまり、ある者は目尻に涙を浮かべ、ある者は誰とも知らぬ隣人と喜びを共有するかのように抱き合っている。
この知らせは、間違いなく《来訪者》にとっての希望だった。
絶望と諦観。そういう闇の中に差し込んだ、一条の光だ。
どうすればいいのか分からず、しかし足掻いたところでどうにもならない――ならば大人しく受け入れようと、そう諦めを抱いていた彼らを救い上げる一歩。
誰が制覇したか。
誰が成し遂げたかはこの際どうでもいい。
ただただ、閉鎖的になりかけていた状況を打破するには十分な衝撃。
四つの大陸すべてを制覇すれば現実に帰れるのではないか?
そう思っている者は少なくなく、しかしこれまで一向に第二大陸の攻略が滞っていたが故に、徐々に攻略を諦めてきていた《来訪者》たち。
しかし、その停滞がようやく破られた――彼らにとって、これほど手放しに喜べることは他にない。
ヒュンケルですら、思わず笑みを零して棒立ちになる次第である。込み上げて来そうな笑い声を必死に堪えて、彼は何気なく隣に立つ親友に視線を向け――そして、その表情を一変させる。
眉を顰め、何か思いつめた様子のリューグの様子に、ヒュンケルは思わず訝しむ。
「どうした?」問いを投げると、リューグは表情を変えずにかぶりを振る。
そして困ったように眉尻を下げて言った。
「……説明に困ってる」
そうリューグが言うと、
「じゃあ、代わりに僕が答えようか?」
と、カイリが言った。
本当に登場は唐突だった。気づいた時にはもう、カイリは自分たちと並行するように並んで立って、揚句その敵はクレープを握ってにっこりと笑っているのだ。
驚くな、というほうが無理な相談だった。
神出鬼没だとは思っていた。だが、それにしても突然すぎて思考の対応が追い付かない。
殆んど条件反射で銃を抜き――その手を、リューグの手が抑える。思わず睨むような視線を親友に向けると、彼はゆっくりとかぶりを振り、
「こんなところで銃なんて抜いたら、せっかく盛り上がってる皆の気分を害することになる」
それは、あまりよろしくない――そう言いたそうに微苦笑するリューグの様子に、ヒュンケルは渋々と銃を納めた。
安堵の吐息を零したリューグは、改めて並び立つ双子の弟を見据える。
「久々の再開だな」
「あはは。会えて嬉しいよ、兄さん」
「僕の心境は微妙だよ、カイリ」
「あらら、それは残念だ」
特に残念ぶることもなく、カイリは笑みをたたえたままクレープに噛り付いた。
「とりあえず、第二大陸の攻略おめでとう、と言っておこうか?」
「お前からそんな言葉を貰っても、嬉しくないよ。それに、攻略したのは僕じゃあない」
「おおかた、草薙辺りだろう。言葉なら、そいつにくれてやれ」
睨みつけながらヒュンケルがそう言った。が、次の瞬間、カイリはにっこりと笑いながら彼の言葉を否定する。
「残念だけど、彼じゃないよ」
「……何?」
ヒュンケルの渋面が険しいものになる。が、カイリは気にも留めずに、よりはっきりと告げた。
「楔に辿り着いたのは、草薙・タケハヤではない――そう言ったのさ」
「じゃあ……誰が?」
ぽかんとした様子でそう尋ねるリューグに、カイリはもう一度クレープを頬張りながらあっけらかんと答えた。
「――グレン・ザイだよ」
想像としていなかった名前に、リューグとヒュンケルは目が零れ落ちるくらいに見開いて、
「な……ん」
「だ……と?」
かろうじて、それだけいうことができた。
そんな二人に向けて、カイリは「嘘じゃないさ」と返す。
「グレン・ザイ。プレイヤーネームは緋和泉蓮。彼が第二大陸の覇者だよ。正直、まさか単身で楔に辿り着くとは思わなかったけどね」
失笑を漏らすカイリの様子に、どう反応していいか分からず顔を合わせる二人。
グレン・ザイ。
その名はヒュンケルも知っている。一言でいえば、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉随一の異常者。草薙に並ぶ――あるいはその上を行く実力を持った、唯一の剣士の名である。
「あの男は……またか」
「そもそもいたんだね……この状況下で、二年も名前が聞こえないからいないとばかり思ってた」
呆れた様子で空を仰ぐヒュンケルと、乾いた笑いを漏らすリューグ。
そんな何処か途方に暮れた様子の二人を見て、カイリは短く笑い声を上げた後、話を切り替えるように提言する。
「そんなことよりさ、こんなところで立ち話もなんだから、何処かでお茶でもしないかい?」
まるで緊張感のないその科白に、ヒュンケルは最早自分が何をすればいいのか正常な判断が取れなくなっているような気がした。
「茶飲み話をしたい風に見えるのか、貴様は?」
「思慮深い人間という評価を貰ってる割には、随分と短気だね。ヒュンケル・ヴォーパール。いいや、我妻向悟くん」
「黙れ。頭にズドンとぶち込まれたいか?」
再び手を太ももの銃鞘に伸ばす。その様子を見て、カイリは「それは勘弁」とおどけた様子で肩を竦めて見せた。
「そうカッカしないでくれ。僕は別に、二人と争いたくて姿を見せたわけじゃないんだからさ」
「そっちにはなくても、こちらには充分理由がある。貴様をふん縛って話を聞きたい奴は、俺たちだけではない」
今のところ、リューグの希望もあってカイリの存在は伏せてある。しかし、だからと言ってこの先もずっと隠し通せるものではない。いずれカイリの存在は確実に露見するだろう。そうなったとき、この男の持つ情報を得ようと躍起になる人間は、きっとヒュンケルが予想しているよりもはるかに多いだろう。
リューグとカイリの会話をはたから聞いていても分かる。この男は、現状最も『この世界の真実』に近い存在だ。ともなれば、持っている情報は是が非でも手に入れたい――たとえそこに倫理を無視した行いがあっても、だ。
無論、それは最終手段だとヒュンケルは思っているが、それはリューグという存在がいたからこその歯止めである。
もしヒュンケルがリューグと友人でなければ。
そもそも日口理宇と知り合っていない状況でこの男と対峙していたら、同じことを言える自信はない。
そんな最中、渋面を浮かべていたリューグがため息交じりに言った。
「それで……結局お前は何をしに来たんだ? カイリ」
「だから、茶飲み話でもしないかい? ってお誘いに来た」
迷いなく言い切るカイリに、リューグは呆れ気味に溜め息を吐いていた。正直、リューグがカイリの緊張感のなさに脱力しているのが分かったのは、ヒュンケルも同じ気持ちだったからである。
そんな二人の様子に、カイリは小さく首を傾げて不思議そうに問うた。
「もしかして、乗り気じゃないかい?」
「むしろどうして乗り気になると貴様は思ったのだ?」
「それは勿論、きっと二人が興味を持つ話だからさ。そう、たとえば――」
其処で一端言葉を区切ると、カイリはくつくつと笑いながらさらっと言い放つ。
「――この世界の真実について。兄さんが気付いたことを踏まえた上で、ね」
思わず息を呑む。
一瞬冗談か何かかと思ったが、薄らと笑みを浮かべたままこちらを窺うように覗き見るカイリの様子から、どうやらそうではないらしい。いや、そんなことよりも――
「世界の……真実?」
聞き逃しきれない言葉が聞こえたような気がして、ヒュンケルは思わずその言葉を反芻した。
すると、カイリは笑みを深めてリューグを見る。
「親友にすら、話していないんだね? この幻想創界についてのことを」
「逆に聞くが、お前は全部知っているとでもいうのか?」
「逆転幻想計画――についてなら、まあ概ね知っているよ」
にこり――カイリが微笑んだ。
それと相反するように、リューグの表情は険しいものに変貌する。
ヒュンケルには、この二人が一体何の話をしているのか分からなかった。辛うじて理解できたのは、二人の間だけで通じる何かが存在するということだけ。
(プロジェクト・リ=ヴァース? なんだそれは)
まるで聞いたことのない言葉。計画という名は気になるが、問題は――どうしてその言葉が両者に通じるものなのか、だ。
リューグ――日口理宇。
カイリ――日口海理。
この二人に共通するもの。もし本当にカイリが、リューグの弟だという前提で話を進めるのだとすれば、それは一つだ。
――日口理王。
日口理宇と日口海理――その二人の父親。天才と呼ばれた世紀を揺るがしたプログラマー。
不意に、少し前にリューグが言っていた言葉を思い出す。
『――MMORPG〈ファンタズマゴリア〉の基礎プログラムの構築。それに父さんが関わっている可能性がある』
可能性と、リューグは言った。つまりそれはまだ、推測の域を脱していないからこその予防線だ。
だが、どういうわけだろう。ヒュンケルの中ではすでに、それは可能性なんていう曖昧なものではなく――確信のように思えてきた。
カイリ・フランベルジュ――日口海理は、まさにその証明のような存在なのではないか。
どうするべきか思い悩むヒュンケルの横で、不意にリューグが笑い声を漏らす。見れば、リューグは眉を顰めながらもはっきりと口の端を吊り上げて、不敵な笑みを浮かべながらカイリを見ていた。そして――
「いいよ。行こうじゃないか」
そう、はっきりと口にした。
「いいのか?」そう視線だけで問うと、リューグは大きく首を縦に振って見せる。
「いい加減、少しは情報が欲しいのは事実だしね。いつまでも憶測だけを飛び交わせて、具体的な話が出来ないのは、ヒュンケルもいやだろう?」
まあ、確かにその通りだ。
いい加減、今の状況を打破するための決定打になりえる『何か』は欲しい。
「だから、これは渡りに船だ。僕の『想像』とカイリの言う『真実』が同じかどうかを確かめる――そのくらいの答え合わせくらいさせてくれるんだろう?」
リューグが挑むようにカイリを見た。
カイリは何処となく楽しそうに、そして僅かに困ったような笑みを浮かべつつ、しかしはっきりと首を縦に振った。
「じゃあ、行こう。何処が良いんだい? 候補がなければ、この先に行ってみたい店があるんだけど?」
「……好きにしろ」
理解の追いつかない状況。そんな中で、ヒュンケルは辛うじてそれだけは言うことができた。
本当に、それだけしか言うことがなかったからだ。




