Act2:《来訪者》
ヒュン、ヒュン――と、一定の間隔で剣が空を切り払い、風切音を残して幾つもの軌跡を描く。
朝の日がまだ昇って間もない時刻。大樹の乱立する森の中――木漏れ日の下でリューグは剣を振っていた。
それはまだリューグが理宇であった頃からの習慣。祖父に叩き込まれた剣術の基礎の動きを徹底して繰り返す。朝露の中で、リューグは金色の片手剣を右に振り、上から降り下ろしてを繰り返す。身体を縦横に動かし、剣が金の軌跡を生む。
速く、鋭い剣閃が風を唸らせてもいいだろうに、リューグの周りは酷く静かだった。
波一つ立たない水面のように。
同時に、嵐の中でも眩さを失わない稲光のように。
白銀のコートを翻しながらリューグの振るう剣の動作は、完成された静寂さと苛烈さを孕んでいた。
日々培った剣の技は、たとえどんな状況下におかれても身体が覚えている。あとはそれをこの世界のリューグの身体でひたすら反復練習させ、現実のそれと統合させる。現実と虚構の入り混じったこの〈ファンタズマゴリア〉で、リューグは日口理宇として習熟し続けた現実の技を、一年かけてようやく実現させるに至った。
無論、この世界で剣術の動きがどれほど意味を成すのかと問われれば、おそらく意味はないに等しいのだろう。
結局はMMORPG〈ファンタズマゴリア〉という異世界――剣を振り、それを相手に命中させさえすれば、あとはシステムが勝手に自分のステータス+装備武器の攻撃力と、相手のステータス+相手の物理防御力から演算・算出してダメージを割り出す。
今や異世界と化した〈ファンタズマゴリア〉において、システム――というもの自体がすでに曖昧な存在と化しているが、それは考えるだけ無駄というものだ。
剣を振って相手を切る――という一連の動作をする理宇にとって、ステータス値に圧倒的開きがあれば、たとえ相手を切ってもダメージにならないという概念は非常に不可解な現象にも感じられてならない。
「……本当に、リアルとゲームの境界線が曖昧だよなぁ」
呟くと共に、リューグは手にする片手長剣を引き寄せ、同時に地面を強く蹴った。
震脚――強烈な踏み込みによって地面が炸裂し、リューグの身体が矢の如く前方に飛び出す。
一歩の踏み込みで数メートルを飛び、空中を疾走しながら姿勢を正す。跳躍の勢いのまま、右足が地を着くのに合わせて剣を振り抜く。
「ふっ!」
呼気と共に渾身の刺突が放たれ、リューグの前に佇立した大樹を鋼鉄の刃が貫いた。見物がいたら、それこそ剣はなんの抵抗もなく――豆腐に突き刺したかのような流麗さで大樹を貫いたように見えただろう。
実際、リューグ自身も剣の握りを通して感じた抵抗はほんの僅かだった。元々の身体能力にステータス補正という恩恵を受けた膂力の前では、大樹も薄紙とほぼ大差のない障害物だ。
突き放った剣をそっと引くと、剣は大した抵抗もなく大樹から抜けた。リューグはそれを手にしたままニ、三度素振りした後に剣身を眺める。そうして刃毀れがないかを確認し、剣の状態を把握すると何事もなかったかのように一息つき、剣を左腰に吊ってある鞘に納めた。
その作業を終えると、リューグはその場で大きく背伸びをし、内に溜まったものを吐き出すように嘆息一つ。意識下でステータスウィンドウを開き、時間を確認。表示されたアナログの数字が、もうすぐ朝の六時に差しかかろうとしている。
今日の練習はここまで――そう胸中でぼやくと、リューグはコートの裾を翻してその場を後にする。
その後ろの腰には、先ほどまでリューグが振るっていた片手剣とはまた異なる、無骨に見えて何処か意匠の凝らされた鍔飾りを備えた片手長剣が吊るされている。
誰が見ても、その剣の貴重度が高いことは丸分かりだ。当然ながら、リューグもその剣の価値を知っている――というか、誰よりもその剣の希少性を理解している。
普通のプレイヤーなら、貴重度の高低差に関わらず、装備武器はたとえ装備していたとしても視覚物体化せず、戦闘時のみの具現化するのが常識中の常識。貴重度の高い武器は不用意に注目を集め、場合によっては《PK》――プレイヤー殺人の標的対象となることも少なくない。それはゲームであった頃から変わりない。
いや、むしろ――
――――……ガサッ
その音を聞いた瞬間、リューグは足を止めて音のした方に視線だけを向け、呆れたように肩を竦めて溜息一つ。
「いい加減、出てきたらどうだ? 城門近くから尾行てるのは知っている」
それはハッタリ(ブラフ)でもなんでもなく、事実だ。と言っても、別に気配を感じ取ったりしたわけではない。やろうと思えばやれないことはないだろうが、今回ばかりはその必要性すら皆無だった。
〈ファンタズマゴリア〉には《隠蔽》スキルというものが存在する。隠蔽とは簡潔に説明すると、プレイヤーの視界からカーソルを消し、モンスターからはターゲットされなくなるというスキル。
追跡やダンジョンの長時間探索の際に重宝される《隠蔽》スキルは、ほぼすべてのプレイヤーが保持していたスキルの一つである。
が、これとはまた逆に《索敵》スキルというものが存在する。索敵はその名の通り、隠れているプレイヤーやモンスターなどをミニマップに表示することができるようになるスキルだ。
リューグのようなソロにとって、《隠蔽》・《索敵》どちらも単身行動する際には不可欠なスキルであり、リューグは一人で行動する際は定期的に索敵を行うようにしている。仲間の援護も何もない状況では、周囲の状況把握が生死を分かつ。故にリューグはたとえ朝の何気ない練習の時間ですら索敵することを忘れない。
そのため、ユングフィを出てそう時間もたたないうちに、自分をつけているプレイヤーのカーソルにはとっくに気づいていた。が、相手をするのも正直面倒だったので、この瞬間まで放置していたのだったが、
「そのまま黙って見学するだけなら、手を出さないつもりでいたけど……得物抜かれてまで見逃してやるほど、僕は甘くはない……」
極限まで感情の押し殺された平坦な声で、リューグは冷徹にそう断じた。決して脅しではない。偽りない殺気を乗せ、リューグは後ろ腰に帯びた剣の柄に手を添え、その相貌をすっと細める。
ミニマップに表示されているカーソルが動く。草木を掻きわける音と共に隠蔽ボーナスの高い黒や迷彩柄の外套に全身を包んだ集団が姿を現す。
手にはそれぞれ片手剣、曲刀、手斧を持った前衛の三人と、その背後に魔道書を抱えた二人と、杖を手にした者が一人現れる。前者が魔術攻撃特化の魔術師、後者が回復を担う僧侶だろう。
一対六。数の上では圧倒的な不利な状況であるにも拘らず、リューグは姿を見せた六人を一瞥して、呆れた様子で溜息を洩らした。そして肩を竦め、剣の柄に添えていた手を放してやれやれと言った様子で両手を広げる。
「まったく……喧嘩売るなら相手との実力差くらい把握してきてほしいものだね」
一見しただけで、リューグは自身と相手の間にある力量差を把握した。〈ファンタズマゴリア〉にはあらゆるRPGに存在するキャラクターの強さを象徴化する数値――レベルというものが存在しない。
この〈ファンタズマゴリア〉というMMORPGでステータスを上昇させるには、そのステータスが関連する行動をひたすら繰り返して熟練度を上げていくしかない。
HP・STR・VIT・AGL――以上四つのステータス値はすべて肉体活動――即ち戦闘や徒歩による移動によって経験値が得て成長する。
そしてMPとINTとRSTは、魔術などを代表とした精神集中系統の行動をすれば大きく成長する。
完全な熟練度制――とまではいかないが、〈ファンタズマゴリア〉ではそうして上げていったステータス数値の高さの合計値でその強さが決まる――というのが定説とされている。
だが、それはPCの強さの基準を表すもので、プレイヤーの技量などでその強さは随分と強弱の差が生じる。
――無論、それはこの〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった頃の話だ。
今はコントローラーを操作してPCを動かすのではなく、プレイヤーが自らの意思で身体を動かしている。純粋なプレイヤーの身体技能がそのままPCの戦闘動作に直結する。コントローラーを用いた操作の上手さなど、現状の〈ファンタズマゴリア〉では微塵も意味を成さない。
必要なのはどれだけプレイヤーがPCを戦闘で上手く操作できるかではない。どれだけ自分が戦闘で上手く立ち回れるか――その一点に尽きる。それは現実でどれだけ実戦経験を培っているか、という問題にもなるが、それは些細な問題だ。
何故なら、現状の〈ファンタズマゴリア〉で実戦経験を持たない人間は、そもそも古都ユングフィの外に赴くことはない。
多かれ少なかれ、プレイヤーたちは皆自身のPCの姿になってから幾度か都市の外に赴き、その手で武器を手に取り、最低クラスのモンスターと相対じているはずなのだ。
――そしてそれが最初の関門。
ゲームであった頃ならば何の臆することもなく、攻撃ボタンを押せばPCが勝手に動いて標的指定したモンスターを攻撃し、三~四回攻撃を命中させれば難なく倒せたはずの、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉初プレイ時の練習台。
G級獣人系モンスターのコボルト。
G級子鬼系モンスターのゴブリン。
そしてG級不定形系モンスターのスライム。
そのゲーム時代最弱と分類された三種のモンスターと相見えて、この世界へPCとして迷い込んだプレイヤーたちが陥る結果は二つ。
――奮闘か。
――恐怖か。
二択に一つの結果が、プレイヤーにもたらされる。
初戦でエンカウトしたのがスライムだった者は幸運だっただろう。だが、コボルトやゴブリンと言った、肉の身体を持ち、臓器を内に宿したモンスターが相手だった者は災難この上ない結果だったに違いない。
現実社会において、人が一般的に手にすることがある刃物など、調理の際の包丁か、工作の際のカッターや鋸が関の山だ。
無骨な直剣など手にしたことすら始めてであろう人間が、それを手にしてモンスターと対峙し、慣れない中でがむしゃらに剣を振り回し――そしてコボルトやゴブリンの肉体を切り裂いた瞬間の感触に、我を忘れぬはずがないのだ。
剣の刃を、そして柄を通して伝わる肉を切り、骨を断つ感触。そして切り口から噴き出す血潮と、零れ落ちる臓物を見て、平然としていられる人間は少ない。
たとえ今いる世界が〈ファンタズマゴリア〉というゲームの中なのだとしても、倒したモンスターが絶命の数秒後に微細なポリゴンの塵となり、ライトエフィクトをまき散らして消え去ったとしても、命を屠ったという現実が目の前で起きた瞬間、多くのプレイヤーは愕然としてその場に膝をつき、意の内蔵物をその場で嘔吐した。
そうした現象を目の当たりにして、一年前のあの日、古都ユングフィに召喚された数万単位のプレイヤーたちの半分以上――多く見積もっても七割以上のプレイヤーたちが、都市の空き家や廃屋などに引き籠ったのだとしても、誰も彼らを責め苛むことはできないだろう。
あれだけの現象を目の当たりにし、体感して、更にはHPがゼロになると死ぬという可能性が浮上してもなお、それでもフィールドに出ることを諦めなかったプレイヤーたちのほうは、その後もモンスターと戦い、冒険者ギルドなどから回ってくる依頼を受託したり、あるいは未踏のダンジョンに挑んでゆく。
攻略組――そう呼ばれるようになった彼らは、日々のほとんどを〈ファンタジマゴリア〉の探求に明け暮れていた。
その繰り返しのその先に、元の現実世界へ変える手段があると頑なに信じて……。
だが、そんな状況の中でも外道に堕ちる者は存在した。
突如陥った現状に絶望し、諦め、ユングフィに引きこもる者。
己の身の上を理解しながら、それでも尚奮起し現状を打破しようと奔走する者。
そして、そのどちらにも属さぬ者もいる。
それが、今リューグの前に現れた面々だ。
――PK。
多々存在するMMORPGにおいて、必ず存在し、忌み嫌われる者たち。モンスターではなく、プレイヤーを攻撃し、死に至らしめてその所持アイテムやガルドを奪う行為を行う。
他者を標的とし、淘汰し、蹂躙し、略奪し、そして――殺人する存在。それを愉悦として、享楽として行使する者たち。
PK。
PKという行為そのものはMMORPG〈ファンタズマゴリア〉の運営側にて容認されている。ゲーム時代から、この手の手合は数多く存在していた。高レベルのプレイヤーの単身による低レベルプレイヤーを相手とした一般的なPKを始め、徒党を組んでのTPKなどその手法は様々によって繰り広げられていた。
しかし、それはゲーム時代の話であり、〈ファンタズマゴリア〉という異世界に、自身のPCとして存在を移転して以降も、この手の行為を平然とやる人間が存在する。
その結果が伴う意味を理解して、その上でなおその行為を甘んじて行う不逞の輩。現代社会では許されない《合法的殺人》――それに伴う略奪。法という秩序に縛られた社会から逸脱したこの〈ファンタズマゴリア〉でならそれは可能となる。
未知の世界。不可解な現象によって送り込まれた見知らぬ大地。
非現実的現象の果てに辿り着いたこのゲームの中の世界でならば、その行為を咎める法律などない。何をやっても現実の自分は法によって咎められない。罰せられない。そんな思想に駆られた者たちが至った結論は一つ。
――ならば奪おう。ならば、殺そう。
ゲームであった頃からPK行為を行っていた者たちは、その狂気じみた思想に溺れ、現実における犯罪行為をさも当然のように行いだしたのだから、他のプレイヤーたちは対応に迫られた。
結局のところ、それぞれがその場で自己判断の下に対処する――という、当たり障りのない無難な回答が投げられたのだが、まったく難が無いわけがなく、今こうしてリューグの目の前に彼らは立っている。
六人のPKを目前に、リューグは酷く冷めた視線で彼らを睥睨した。誰も彼もが目深に外套のフードを被り、口元を布などで隠している――なんとも典型的な物取りの姿。顔を隠すのは後ろめたいことがあるから、とよく言うが、なるほどその通りとリューグは内心納得した。
(――僕を逃しても後々顔が割れて報復されないため……そんなところか)
だとしたら、それは何と甘い考えなのだろうか。そうリューグは思う。
リューグの脳裏に描かれたミニマップのカーソル。そこに表示されている彼ら六人のカーソルカラーは赤。
通常のプレイヤーの色は青で、NPCは青。モンスターは黒で表記される。
プレイヤーのカーソルが赤く染まる理由は一つ――PK行為をすでに行っている証――即ち殺人行為に手を染めたプレイヤー、PKを表す色だ。
一人殺したのか十人殺したのかは分からない。だが徒党を組んで随分と周到な対人装備で来ているところを見ると、PK行為が随分と手慣れているように見える。
――つまりは、そういう連中だということだ。
リューグは微かにせせら笑う六人を睥睨しながら、左腰に吊ってある剣の柄に右手を掛けて鞘走らせる。
ジャリン――という音と共に、金色の剣身を持った片手長剣が抜剣され、空を切った。木漏れ日に照らされた金色の剣身が僅かに眩い光の軌跡を描く。
リューグはそれを体を開きながら片手正眼に構え、酷く冷淡な声音を装って告げる。
「自分より弱い者を殺して悦に浸るお前ら如きに、僕の首が取れるものならやってみせろ」
軽い挑発。だがそれだけで十分だとリューグは確信している。
PKにしかり、他者を踏みつけ、蔑み、嘲笑う者の大体は自尊心が高く、自分が格下と認識した相手になめられるのを極端に嫌う。
「――テメェ!」
「舐めやがって!」
案の定、リューグの言葉を聞いたPKたちは憤慨した様子で地を蹴った。前衛の三人がリューグ目掛けて肉薄し、後方の三人が一斉に詠唱を開始する。
対するリューグは、向かい来る三人を無視し、その間隙を縫うようにしてすり抜けて疾駆する。彼らの目には、リューグがまるで消えたかのように見えていただろうが、これはなんてことのないすり足による足運びと体捌きによる最小限の動きを理解していればそれほど難しいことではない。
単純に、リューグとPKたちの間に生じる実力の差が如実に顕在化しているだけに過ぎない。
リューグの瞬動に驚愕し目を剥く三人の前衛を抜けて、リューグは後方で詠唱状態にあった三人の術者に迫った。脳裏に表示したスキルウィンドウからスキルを選択。リューグの剣が黄色のライトエフィクトに包まれ――リューグはそれを隊列の最奥で粟を食ったように慌てふためく僧侶目掛けて上段から振り下ろす。
片手剣下位アーツ・スキル《スタンエッジ》。
状態異常の一つ麻痺を引き起こす、片手剣アーツ・スキルの状態異常効果を宿した剣技の一つ。
状態異常効果を宿すアーツ・スキルを行使した際の状態異常発生率は、発動側のDEXとLUCに対し、相手側のVITとRST、そしてLUCの数値が関係してくるが、この戦いにおいて、その数値にはあまりにも開きがあった。
リューグもそれを確信した上で、対人戦闘にも関わらず《スタンエッジ》を行使する。黄色の輝きを纏った斬撃がPKを切り払う。
的中。
リューグの剣撃を受けた僧侶の身体が傾ぎ、その場で膝をついて蹲る。《スタンエッジ》による麻痺効果が顕現化し、僧侶の動きが止まった。
リューグは剣を切り払った勢いのまま、膝をつく僧侶のすぐ傍で詠唱していた魔術師目掛け上段から斬り下ろす。
躊躇いも葛藤もない一刀両断。顔を隠していたフードや布も諸共に両断――僧侶の纏っていた外套の前面が中央から綺麗に真二つへと分かたれ、パサリという乾いた音を立てて地面に落ち――その外套を纏っていた魔術師もまた、詠唱することも忘れて零れるほどに目を見開き、忘我した様子で地面に座り込む。
瞬時に無力化された二人の仲間を見たもう一人の魔術師は咄嗟に詠唱を制止してその場からバックステップで飛び退き、リューグとの距離を開こうとした――が、魔術師が飛び退いた分だけ、リューグもまた魔術師へ向かって踏み込む。
彼我の距離は変わらず、結果魔術師はリューグの間合いの内に囚われたままで、布越しに隠れた状態でも把握できる程度には顔を顰めているのを見つつ、リューグは再びスキルウィンドウから〈スタンエッジ〉を選択。
――斬撃一閃。
黄色のライトエフィクトが剣から迸り下段脇構えの状態からの右切り上げの剣閃が炸裂する。
刃が敵を捉える間際、リューグはひょいと手首を捻って剣を操り、剣の腹の部分で魔術師の顎をかち上げた。
鈍い音と共に、魔術師の身体が宙空に打ち上げられる。
「――って、あれ?」
剣を通じて感じ取った手ごたえに、リューグは思わずそんな間抜けな声を上げた。
渾身とは程遠い力で打ち上げたつもりだったが、予想以上に魔術師の身体が軽かったために、魔術師の身体は大きな放物線を描き、やがて重力の手に引かれて地面に落下し、生い茂る草木の向こうに消え去った。
思わず今が戦闘中であることも忘れ、リューグは魔術師が茂みの向こうに消えて行った方向を見たまま硬直し、
「……えーと……わざとじゃないからなー」
思わずそんなことをのたまう始末である。
そんな緊張感の欠いたリューグの背へ怒号が吐きつけられる。
「敵の心配するたー余裕じゃねーか!」
剣を手にしたPKが、そう叫びながら無防備なリューグの背中に切りかかったのだ。
◆ ◆ ◆
刹那、リューグが舞う。剣が振り下ろされた瞬間、彼はほとんど反射で動き、PKの剣閃を左に反転させながら躱す。そして回避の動作の勢いを利用して、考えるよりも先に右足を振り上げた。
剣士のブーツの爪先が、まるで吸い込まれたようにPKのこめかみを打ち抜く。STR補正のかかった蹴打は、それだけで致命傷になりうる。
実際、リューグとPKの剣士との間に存在した力量差は倍近く存在し、蹴りの一撃だけでPKのHPの四分の三が削れていたが、それは当然ながらパーティを組んでいないリューグには見えない。
が、見えていた残りのPKたちからすれば、仲間のHPの減り具合を見て呆然とするしかなかった。
いや、正直にいえば疾うに彼らにはリューグと戦う気概が折れていた。
リューグの蹴りで吹っ飛んでいく剣士を見ながら、槍使いと斧使いの戦士PKは愕然とその有様を眺めていることしか出来ず、同時に自分たちの愚かさを十二分に噛み締めてもいた。
先手を打って飛びかかったつもりが気づけば標的は視界から消えており、振り向いて見れば後衛の仲間――それも回復の要である僧侶がすでに無力化されている。
そのことを脳が理解して、ようやく対処に走ろうとしたその時には、すでに次の一手で二人いた魔術師の片方の闘争心をたった一刀で粉砕しているではないか。
多くのプレイヤーたちは、ゲームであった頃もPC化した今も、PKというのは恐怖の対象であるというのが彼らPKの共通認識であり、矜持でもあった。
さらに今は、HPがゼロになれば文字通り死んでしまうという先入観がある。
そしてPKとは多くのプレイヤーにとってモンスターよりも身近な死の象徴だ。
誰だって、死ぬのは怖い。それは人間ならば誰もが持っている極当たり前の恐怖心だ。
そしてこの〈ファンタズマゴリア〉において、それをプレイヤーたちに最も思い知らせることができるのは、自分たちPKだというのが、彼らの考えである。
PK(自分たち)に囲まれれば、誰もが竦み上がり、怖れ慄き、泣いて叫びながらみっともない命乞いをする。
その姿を見るのが、PK行為の最大の娯楽。
特にレベルの高く、強い装備を持って普段から偉そうにしている連中の喚く姿を見るのが酷く嗜虐心をそそられ、その瞬間は麻薬をキメたような劇的な悦楽を得られる――故にPK行為は止められない。
あのHPをゼロにして命を奪う瞬間がたまらなくて、彼らはPK行為を繰り返すのだ。
そんなことを繰り返し続けて半年余り。ある日、彼ら六人はとある噂を耳にして、ユングフィの外通門を見張っていた。
噂というのは酷く単純で陳腐なもので、『毎日朝早く、ある剣士が都市の外で一人稽古をしている』というものだ。
その剣士というのが相当名の知れたプレイヤーらしく、彼らはその剣士を標的にすることを決めた。
たとえ高レベルのプレイヤーであっても、一対六ともなれば敵うはずがないという考えに陥るだろう――そう思ったからこそ、多少の力量差という不安材料にも目を粒っての今回のPK。
わざわざ象徴化してまで装備している質素だが美麗さを漂わせる剣――誰が見ても相当の値打物だと分かるほどの持ち物に目がくらんだのが失敗だった。
最初は抵抗するだろうが、六人総出でかかればそのうち一方的な攻撃ができる――そう言ったのは僧侶――オリオンだったなーと、槍使いは何処か他人事のように思い出した。
その彼はというと、最初にリューグの片手剣アーツ・スキル《スタンエッジ》によって麻痺させられ、今も動けぬままでいるが……
多少の力量差――なんてものではない。圧倒的な力量差だった。しかも素人目に見ても分かる、流麗立ち回り。
自分たちのような、ただ適当に武器を振り回したり、システムアシストに頼っての我武者羅な戦い方とは違う――れっきとした武術の動作。
洗練された剣士の動きというのはああいうものなのだろう。きっとステータスの数値も自分たちとは比べ物にならないくらい高い。自分たちのような下級――良くて中級程度の力量しかないPK如き、きっと百人束になっても勝てないだろう――そんなことを頭の片隅で考えていた。
PKは、確かにPKが不可能な安全地帯であるユングフィに常日頃から引きこもっている、ほとんど初期ステータスのままのプレイヤーからしてみれば絶対的恐怖の対象だろう。
彼らも、そんな自分たちよりも遥かに弱い奴らばかりをPKしていた。だからこそ忘れていた。
PKを恐れないプレイヤーはいくらでもいるということを。
目の前の剣士は、まさにそんなプレイヤーの一人だった。PKをキルするPKKとは違うだろうが、明らかに自分たちのような手合いには慣れているのが分かる。
しかも手加減されていた。
そう理解できるのは至極簡単――誰一人とて死んでいないからだ。
あれだけ圧倒的な力を持っているようなプレイヤーだ。その気になれば自分たちなど上位か、あるいは奥義アーツ・スキルを以てすれば瞬時に六人のHPをゼロに出来るだろう。
が、彼はあえてそれをせず、致命傷となる一撃を避けて各個撃破に努めている。
それだけの余裕が、この剣士にはあるのだ。
舐められている、なんてものではない。手玉に取られているとでもいえばいいのだろう。彼にとって自分たちPKなど歯牙にかけないような存在なのだ。
それを痛感させられる。
無慈悲で冷ややかな気配。圧倒的な存在感を見せつける剣士に、残った二人のPKはただただ茫然と彼を見ていた。
言葉なく、その悠然と佇む彼の立ち姿が物語っていた。彼は自分たちをキルこそしないが、その剣気が言葉の代わりとでも言うように威圧する。
――お前たちなど、その気になればいつでも殺せる……そう言われた気がしたのだ。
ごくり……無意識につばを嚥下する。ほんの一分にも満たない時間の間に成された鎮圧劇に、二人は自分たちがどのような扱いを受けるのかを慮る。
先の四人のようになるのか、あるいは見せしめに自分たちだけキルされるのか――そう考えた矢先、剣士が振り返って二人を見た。
何処か呆れたような、それでいてキョトンとした様子で自分たちを見る剣士の様子に、一体何を考えているのかその胸中を知るすべのない二人は思わず身を竦ませて硬直する。
「あー……そこの二人」
そんな彼らに、剣士は――リューグはあっけらかんとした様子で朗らかに笑いながら言った。
「この四人をひっ連れて、今すぐ退散するならこれ以上手を出さない――って、言ったらどうする?」
二人はリューグの言葉を聞き、それを理解するのに数秒の時間を要した。
そしてその言葉の意味を理解した瞬間、彼らはPKの矜持も捨てて、
「「是非、退かせて下さい」」
声を揃えて、彼の提案を承諾した。
もう、そこにあったのは一般プレイヤーを恐怖に貶めるPK(殺人者)の姿ではなく、あるのはただ絶対的上位者に対して胡麻擦りをするような、せせこましい小悪党の頭を下げる姿だった。
◆ ◆ ◆
仲間を抱え、全速力で立ち去っていくPKたちの背中を見送りながら、リューグは嘆息しながら剣を鞘に納めた。
そしてPKたちが走り去って行った方向とは真逆――朝を迎えても鬱蒼と茂る木々の葉に遮られて光のまばらな森のほうに視線を向けて、若干呆れたように柳眉を下げて声をかける。
「のぞき見はあまりいい趣味とは言えないと、僕は思うのだけど?」
「……何だ。気づいていたのか?」
「ああ」
帰ってきた問いに、リューグは短く答える。
「可笑しいな。私の《隠蔽》スキルレベルは相当高い。幾ら君の《索敵》スキルが高くても、見つけるのは結構至難だと思うのだが?」
「君の場合は気配で分かったよ。君とはもう何度も顔を合わせている。《隠蔽》スキルに頼り過ぎて、気配を隠すのを忘れているのはどうかと思うな?」
「ぬ……それは迂闊だったな」
木々の間から自責するような声が返ってくる。と同時に、草木を掻きわけて、その声の主は腰まで届く金色の髪を靡かせて堂々たる歩みで姿を現した。
姿を現したのは、癖のないまっすぐな金髪に翡翠色の瞳を持った麗人。純白の騎士服の上に、金属の胸当てに手甲などで武装したその女性。
ユーフィニア・メーベ。
ゲームであった頃の〈ファンタズマゴリア〉で、古都ユングフィを中心に活動するギルド――『ガーディアン』のサブマスターを務める魔法剣士。
何処か優雅さすら感じさせる足運びでリューグの前に姿を現した彼女は、生真面目そうな表情を僅かに崩して微笑する。
「助けに入ろうか悩んだのだが、そうしているうちに事が済んでいたのでな。どうしようかと思っていたところだ」
「それは申し訳ないことをしたね。貴女の出番が来る前に舞台を終わらせてしまったみたいだ」
彼女の言に、リューグはほとほとあきれた様子で肩を竦めて微苦笑する。が、リューグは僅かにその穏やかそうな相貌を細めて、
「……それで、ユングフィの防衛隊長であるユーフィニア・メーベ殿はなぜこのような場所に?」
「皮肉か……性格の悪い奴め」
「なんのことだか?」
ユーフィニアの苦言を、リューグは微笑で受け流し、しらを切る。ユーフィニアが皮肉と指摘したのは、リューグが口にした『ユングフィの防衛隊長』という言葉。
それはユーフィニアの所属しているギルド『ガーディアン』に対して一般プレイヤーの多くが用いる皮肉の籠った別称だ。
一定の思想などを持ったプレイヤーたちが集まって構成される集団組織――ギルド。ユーフィニアの所属するギルド『ガーディアン』は、〈ファンタズマゴリア〉のサービスが開始されて間もない頃に結成され、新規参入プレイヤーのサポートを主目的として活動する、〈ファンタズマゴリア〉でも屈指の古参ギルドだ。
全てのプレイヤーたちのステータスを始めとしたあらゆるデータが初期化された後にも――即ち〈ファンタズマゴリア〉が異世界となった後も再び発足され、ユングフィ内部でくすぶる多くのプレイヤーたちを支援団体に近い活動を取りながら、同時にユングフィ周辺の哨戒をし、PK行為抑制を行っている――ユングフィを拠点とした一種の自警団ギルド。それが『ガーディアン』。一部のプレイヤーたちは皮肉を込めて、ユングフィの防衛隊などと揶揄している。
リューグはそのことを踏まえた上で、彼女のことを『防衛隊長』と皮肉ったのだ。
が、そこに他意はなく、単なる言葉遊びとも言える。ユーフィニアもそれを理解しているらしく、言葉こそは不満を装っているが、その表情は怒りとはほど遠いものだった。
彼女は口角を上げて微笑んだまま、しかして残念そうに言った。
「無事だったのはいいが……たまにはピンチに陥ってみたりしないのか? そうすれば私も君に恩を売れるというのに」
「一応聞きますが、恩を売ってどうする気ですか?」
「ギルドへの勧誘だな」
リューグの問いに、ユーフィニアはにっこりと笑って答えた。対して、リューグは呆れた様子で肩を竦める。
「まだ、諦めてなかったのか?」
「当たり前だろう」
ユーフィニアは即応する。
「君ほどの高レベルのプレイヤーは何処のギルドだって喉から手が出るほど欲しがるさ。ギルドだけじゃあない。この〈ファンタズマゴリア〉にある様々な国や都市の護りを担う責任者なら、君やヒュンケルのような、他の通髄を許さぬ実力者はどんな手段を労してでも得ようと考える者は少なくないはずだ」
やたら雄弁に熱弁するユーフィニアに対し、リューグは酷く冷めた態度で呆れたようにかぶりを振って見せた。
「随分と、僕やヒュンケルのことを高評価して頂いているようですが、それは言い過ぎだと思います」
「馬鹿なことを言うな!」
即座にこちらの弁は否定された。しかも鬼気迫る表情で――だ。
ぎょっと目を剥くリューグに対し、ユーフィニアは有無を言わせぬという様子で、まくしたてるように言葉を連ねる。
「君たちは私たちの評価を過大と言うがな。ならば逆に問いたい! まだ〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった当時も諸々が騒ぎ立てていたがな! 生き返りもやり直しもないような現状――今や現実とほとんど違いのない異世界と言っても過言ではない、死んだらそれで終わりのこの〈ファンタズマゴリア〉で、何をどうすればあの超難関クエストである『聖人の屠竜』をたった二人だけで攻略出来るのか説明して見せろ!」
それは無理です。
強いて言うなら、死に物狂いだっただけ。
リューグは胸中の身で返答しながら視線を逸らす。実際、あのクエストの最中はリューグもヒュンケルも本当に無我夢中でリビナサレム・ドラゴンと対峙していた。
一年近く前から入念という言葉が十はつくくらいの準備を重ね続け、ゲーム時代では不可能と言われたアーツ・スキル〈画竜点睛〉を習得し、可能な限り性能の高い《対竜兵装》を用意して、ヒュンケルに至っては伝説級武具まで入手した上で――それでもギリギリの勝利だったのだ。
(正直、よく生き残れたものだ)
それは紛れもない、リューグの本心。あれだけの強敵を、たった二人で挑むというのは無謀を通り越して無茶の極みであり、倒せたのは実際に奇跡に近かっただろう。
「まあ、運が良かったとしか言いようがない」
「――運、の一言で済ますな」
今にも掴みかかって来そうなほどの形相でリューグを睨みつけるユーフィニアに、リューグは言葉なく曖昧な笑みを返すに留めた。
「実際、あれは運が良かったのです。僕もヒュンケルも、そう感じていますから」
「まったく……多くのプレイヤーが聞いたら泣くことだろう。一時期は君らが現状を打破してくれるのではと実しやかに囁かれたというのに」
一時期――それはリューグとヒュンケルの二人が、一回限定クエスト【聖人の屠竜】を攻略し、《竜血に染まる法剣》を入手してすぐの頃、ユングフィの内部で暗澹と暮らしていたプレイヤーたちに訪れた大きな変化だった。
この〈ファンタズマゴリア〉に取り込まれて一年近く――大きな変化もなく、惰性で続く生活ばかりの引きこもりプレイヤー――通称《敗者》たちの耳に届いた噂。ゲーム時代、彼の至高存在集団《十二音律》に名を連ねていた二人のプレイヤーが、超難関クエストを制覇して伝説級武具を手にしたというのは電撃が走るような衝撃だったのだ。
――《十二音律》というのは、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉におけて生ける伝説的存在だ。
かつてBBSに『〈ファンタズマゴリア〉内で最強って誰?』という書き込みに対して上がった十二人の至高存在の名前を纏めてそう名付けた総称であり、いつの間にか〈ファンタズマゴリア〉プレイヤーたちの間で常用されるようになった。
ちなみに名の由来は音階であり、名の挙がった十二人のうち五人が漢字名、七人がカタカナ名であることから、漢字名のキャラを日本音楽の五音音階に、カタカナ銘のキャラを西洋音楽の七音音階にたとえ、合わせて《十二音律》なのだという。
おそらくゲームである〈ファンタズマゴリア〉が和名だと〈交響想歌〉だというのに掛けているのだろうという憶測が飛び交ったが、その真意は定かではない。
その《十二音律》に名を連ねていた敗者が、伝説級武具を手に入れ行動している――それは多くの《敗者》にとって光明に感じられたことだろう。
だが、その噂の後にこの〈ファンタズマゴリア〉に『プレイヤーが取り込まれ、ログアウトすることが出来ない』という状況に変化が訪れたことは、一度たりとなかった。
僅かにでも希望が差し込んだと思った《敗者》にとって、より強い絶望を与える結果にしかならず、彼らは事あるごとに《十二音律》や、積極的に活動している攻略組に対して罵詈雑言を叩きつけるようになってしまったのだ。
そんな噂が飛び交い、その後の《敗者》たちの粗野な行動の発端になった元凶と言える本人は、
「確かに、僕らは元の世界に――現実に戻りたいと考えていますし、その方法を模索して、日々奔走をしています。ですが、だからと言って他人任せな連中の期待に応えてやるほど、僕らはお人好しじゃあない……」
「うむ……」
リューグの言葉に、ユーフィニアは押し黙る。ユーフィニアは、リューグが遠まわしに「文句があるなら自分で動け」と言っているのが理解出来たのだ。そして、その言葉が正論である故に、返す言葉が見つからない。
美麗な面持ちを、申し訳なさそうに眉を顰めているユーフィニアに向けて、リューグは苦笑した。
「君がいちいち気にすることじゃないだろう。君が気にしたところで、彼らの考えが変わるわけでもない」
「うむ。だが、私たちは彼らの安全を守る必要がある。それが私たちのような力のある者の勤めだろう?」
真顔で告げられたユーフィニアの言葉に、リューグは僅かに目を見開いた。そして失笑する。
「力ある者の……ね」
リューグの呟きに、ユーフィニアは大仰に頷いて見せた。そして誇るように胸を張って見せる。
「そうだ。私にしろ、お前にしろ、私たちは彼ら《敗者》に比べて力を持っている。だから彼らの矢面に立って戦い護り、元の世界に戻る術を手にしなければならない。違うか?」
「……」
彼女の言に、リューグは何を言うでもなくただ曖昧な笑みを浮かべるだけだった。しかし、彼女はそんなリューグの様子に気づいていないのか、何処か喜々した様子でリューグに詰め寄った。
「だから、お前はその力を存分に振るうべきなんだ。大衆のために。迷い、現状に嘆くしかない多くのプレイヤーのために。だから、そのためにお前はギルドに属するべき――」
「――そこまで」
頬を上気させるほど熱の入り出したユーフィニアの言葉に、リューグは片手を突きだして一服をかけた。
「誘ってくれるのは嬉しいけどね。僕はギルドに属する気は毛頭ないから。これは、以前から言っていることだろう?」
「だ、だけど――」
「それに」
ユーフィニアが何かを言おうとしたが、リューグはそれを遮るように強く言い放つと、彼女は「うぐ……」と小さな呻きを漏らして言葉を呑み込んだ。
「僕は君のような『大衆のために』なんていう崇高な志は持ち合わせていない。それに、他の誰かに合わせて動かなければならないギルドは、自由勝手に動く僕には肌が合わないだろうしね」
リューグはそう言って微苦笑する。その笑みは何処か自嘲するような雰囲気を纏っていて、その表情を見たユーフィニアは、仕方がないという様子で溜息と共に脱力した。
「……まったく。そう言われたら、必死に勧誘している私は馬鹿ではないか」
「案外、外れてもいないと思うけどね……」
「……それは挑戦と受け取っていいのだろうな」
ボソリと呟いたつもりだったのだが、それを聞き逃すようなユーフィニアではなかったらしい。彼女は先ほどまでとは打って変わった鋭い視線をリューグへ向け、腰に帯びている細剣へと手を伸ばしていた。鬼気宿るユーフィニアの様子に、リューグは頬を引き攣らせ後退る。
(ああ……やっぱりこうなるのか)
過去、幾度となく言葉選びに失敗し、彼女の怒りの琴線に触れては勝負を挑まれているという自分の失態を嘆きながら、リューグは今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られ、そのタイミングを見計らう。
そんなリューグに対し、ユーフィニアは細剣を抜剣しながら言う。
「丁度いい機会だ。リビアサレム・ドラゴンを倒したほどの腕前……一度拝見してみたいと思っていたんだ」
「へ、へー……そうなんだ。でも、僕としてはできれば遠慮したい」
そう答えながら、リューグはじりじりと間合いを詰めてくるユーフィニアから距離を取るが、取った分だけユーフィニアは迫り――そして細剣を突きつけた。
小気味よい風切り音と共に、細剣が閃いた。
「抜け、リューグ・フランベルジュ! その剣の腕前、此処で私に見せてみろ!」
「そんなのは断るに決まってるだろう!」
閃く細剣の連舞を悉く躱しながら、リューグは叫ぶ。
間隙を縫うように身を翻し、ユーフィニアの剣撃の隙を見て間合いから逃れるや否や、リューグは回れ右して一目散に走り出した。
「待て! 逃げるな! 男らしく剣を抜け!」
「訳が分からんよ!」
剣を振り回しながら追いかけてくるユーフィニアに対し、リューグはそう講義の声を上げて振り向くこともせずに、全速力で古都ユングフィに向かって走り続けた。
◆ ◆ ◆
――古都ユングフィ。
約百年前までこの大陸で随一と言われるほどの栄華を極めたと云われる巨大な城――シアルフォスを中心に四方へ広がる広大な城下町を持つこの都は、他国から訪れる外国人の観光名所として、そして多くの冒険者の拠点として今もなお繁栄を失わない長い歳月の積み重なりから滲み出る、趣が溢れた憩いの地であり、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉における、プレイヤーたちの冒険の始まりを祝福した出発地点――だった場所。
今では文字通りの生活を送る土地。
飯を喰らい、寝床を確保して夜には眠る場所。
ゲーム時代には考えられなかった様々な人間としての生活を繰り返し、装備を整えて各地に赴き、元の世界へと変える手段を探るための拠点と今はなっている。
この都市には現在だけで数万に及ぶプレイヤーたちが逗留している。その八割近くが《敗者》であり、多くは都市を覆う防壁近くの廃屋や長屋に住みこんでいる。彼らの姿を見ることは、攻略組にしろ、それに及ばないが日々自己鍛錬に切磋琢磨するプレイヤーにしろ、そんな《敗者》の姿を見ることは滅多にない。
この〈ファンタズマゴリア〉にある日突然、何の前触れもなく放りこまれたプレイヤーにとって、この地は異界。自分たちがこれまで暮らしていた生活圏とは全く異なる――見知らぬ地だ。
これまでの当たり前が一切通用しないような場所。文化も風習も違い、文明の利器もないような場所――剣と魔術が当たり前の世界にいきなり放り込まれ、文明社会に生きていた人間が即座にその状況に対応し、順応できる訳もない。
《敗者》はそういう人間の総称だ。
ただ、戦えないのではない。
ただ、動けないのではない。
〈ファンタズマゴリア〉は何もモンスターと戦うだけのMMORPGではない。このゲームのコンセプトは、『もう一つの世界で、もう一つの人生を』。コピーそのものが、このゲームの主題だ。
戦闘以外にも、このゲームにはあらゆるファンタジー主体故に、中世ヨーロッパのような世界観を持っていることを除けば、現実に近い要素が組み込まれている。
素材を集めてそこから様々な物を作り上げる生産スキルは当たり前のこと、物資の流通や販売を賄う商業スキルを用いて、商会を立ち上げたりもできる。
他にも多種多様に存在する戦闘以外のスキルを用いれば、戦う以外にも様々な方法で〈ファンタズマゴリア〉は参加活動できるのだ。
レベルのない熟練度性を高めた〈ファンタズマゴリア〉なら、都市から一歩も出ることなくそう言った生産系スキルを習熟していけば、生活していくには事欠かない。
元々〈ファンタズマゴリア〉というゲームは、プログラムを組み立てて、〈ファンタズマゴリア〉にUPすることで新しい魔術開発が出来たり、リアルで創作した書籍物を公開することも、歌や演目などを披露することも、あらゆるMMOを凌駕した機能が存在していた。
もちろん、今でも一部のプレイヤーは精力的に活動して、事業を興したりすらする者もいる。
露店。
商会。
劇団。
出版社。
果てにはアイドル事務所まで。
まさになんでもござれの状態だ。
プレイヤーがPCとして〈ファンタズマゴリア〉に取り込まれてから一年と半年。最初こそ戸惑いはしたが、それでも自己のスキルを生かして活動している者は少なくない。
ギルドに属さず、単身で冒険者協会やNPC――町の人々から依頼を受けるなんでも屋だって存在する。
この異世界にやってきて、何もしないという選択肢を『良し』としない人々は、どんな形であれ元の世界に戻れるその日が来るまで、この〈ファンタズマゴリア〉という異世界で生きることを容認し、生きるための手段を模索して今も活動している。
だから――
――だから、それでも何もしないプレイヤーたちは、彼らは、本当の意味で《敗者》だった。
現状に恐れ、怯え、絶望し、なにをするでもなく、だが潰えることも出来ず、ただ惰性のままに生きているだけの無意味な日々を送るだけの自分を忌みながら、それでも何かをする気にもなれず、結局毎日を同じく過ごし、誰かが現状に終止符を打ってくれるに任せるだけの存在となった。まさに敗北者。
時折街に姿を現しては、近くにいる人間に罵詈雑言を吐き捨て、時には暴力まで振るって騒ぎを起こす。
精力的に活動しているプレイヤーたちを見つけると、彼らは口々に同じことを叫ぶ。
言葉の類はそれぞれ違っていても、その意味は大抵三つに要約で来る。
曰く――何故、こんな状況で呑気に商売しているのか。
曰く――攻略組なら休まずに、現状を打破するために歩き回れ。
曰く――お前たちがそうやって毎日活動しているのは、自分たちへの当てつけなのだろう。
そして最後には決まって「馬鹿にしやがって!」という捨て台詞を吐いて、何処へともなく消えていくのだ。
酷く傲慢で、自己中心的な発言を繰り返し、粗野な言動で周囲に迷惑をかける、ある意味PKよりも性質の悪い存在となりかかっている《敗者》たち。
しかし、この〈ファンタズマゴリア〉に元から存在している住人であるAI‐NPC(自己成長型人工知能搭載ノンプレイキャラクター)――通称AINたちにとって、彼ら《敗者》も、攻略組も、それ以外に精力的に活動しているプレイヤーも等しく同じ存在のように見られることも少なくない。
一年と半年前。突如この地に姿を現した数万を始め、各地に点在知る大都市に唐突に姿を現したプレイヤーたちは、この異世界でも一時期話題に上がるほどの大事件となっていた。
その事件は結局うやむやのまま集束していったが、その時飛び交った噂の中の一つが、プレイヤーすべてに浸透している。
――《来訪者》。
それはこの〈ファンタズマゴリア〉に伝わるある伝記に由来するという。
――この世界に異変が訪れる時、異界の地より力持つ者召喚されたり。
彼の者たち、その身に培う力を以て、救済の光とならん。
異界の地より訪れし者たち――その名《来訪者》と呼ぶ。
そう言う伝記が、この世界には存在するという。
よくある御伽噺だが、一部の聖職者などはその話を持ち上げて、プレイヤーたちのことを救世主と呼ぶ者がいるらしい。
無論、そんな話は事実無根。体の良い与太話だ。
だが、いつの頃からかその呼び名は当たり前となっていた。誰が言い始めたのかは知らないが、多くのプレイヤーたちがその名称を使い始め、気づけば総称するのが普通になっていた。
――《来訪者》。
その呼び方に間違いはないだろう。
望む望まないにしろ、自分たちはこの地に訪れた。
やって来てしまった。
それは来訪と呼んでも相違ない。その名が意味するこの世界での役割などは知ったことではないが、プレイヤーと自分たちを称するくらいならば、そちらの名を使った方がまだ聞こえがいいだろう。
その程度の考えに過ぎない。
そして、その程度でいい。
望まぬ来訪であれど、彼らは今こうしてこの地に存在している。
冒険者として。
そして、《来訪者》として、この異世界に生きている。
――元の世界に帰ることを渇望し、
――かつて生きていた現実を夢見て、
それでも今この瞬間、彼ら《来訪者》は〈ファンタズマゴリア〉の空の下に存在していた。
遅れながらも、何とか続きをうpできて一安心の白雨です。次の話「Act3:行く末は見えず」にてプロローグ『リ=ヴァース』を終わらせて第一章に移る予定です。11月中には『リ=ヴァース』を終わらせる予定でいますので、今後もよしなにお願いします。