Act20:交響想歌幻想譚
「――と、いうわけだ」
「なにが、というわけなんだ? テオフラス・ホーエンハイムよ」
目の前に我が物顔で佇立し腕を組む狼男に向けて、ヒュンケルは目を通している本から視線を逸らすことなく言葉を返した。
「そもそもに、貴様らはさも当然のように人の家に上がり込むな」
「来客の拒否設定はしていないだろう?」
フン、と狼男が鼻を鳴らした。あまりの阿呆らしさに、ヒュンケルは頭痛を覚えざるを得ない。
〈ファンタズマゴリア〉のシステム上、自宅と設定した家屋では人の出入りを制限する認識システムが存在する。これによって、訪問者の情報を個別で設定し、その人物以外の出入りを禁じることもできるし、そもそも持ち主である自分以外の出入りをシステムによってブロックすることが可能だ。
ただ、ヒュンケルはその設定を利用したことはない。設定自体が割と面倒であるのが一つ。
もう一つは、リューグを始め、〈ファンタズマゴリア〉の情報屋を副業としている〈賢人〉の意見を求めに来る人間は、実のところ少なくないのである。そのため、この家では基本ヒュンケルが在宅している場合に限り、訪問者は殆んど条件なしに出入りすることができる仕様にある。
しかし、だからと言って断りの一言もなく無断でどしどしと家の奥までやって来た挙句、挨拶もなく用件だけを一方的に向けてきた手合いは、これが初めてだったが。
かといって、相手はあのテオフラス・ホーエンハイムである。
〈ファンタズマゴリア〉随一の錬金術師にして、この世界でも名の知れたプログラマーだ。常識と言う者が通じるとは、実のところヒュンケルも思ってはいない。
よって、このような手合いにいちいち憤慨の意を示したところで意に介するわけがないことは、長年の経験で熟知している。
だが、たとえどれだけその行為が無駄であっても、そのことを言及しない――という選択肢は、彼にはない。
やはり、胸中に溜まった色々な感情を吐き出すようにため息を一つだけ突き、ヒュンケルは言った。
「確かに……来客の識別設定はしてはいないが、だからと言って家主の許可なく入ってくる客は客じゃない。それくらいの常識も捨ててしまったのか?」
「そんなことはどうでもいい」
「どうでもいいわけがあるか」
身勝手なテオフラスの科白に、ヒュンケルは半眼で言葉を返す。しかし、やはりこの狼男には何を言っても通じないらしく、長髪の狼人は肩を竦めた。
「私は貴様の意見を聞きに来たのであって、貴様の文句を聞きに来たわけではないのだ」
「こっちにその気はない。よって今すぐ出て行け」
「断る」
テオフラスは容赦なく断じ、そのまま呆れたような視線でヒュンケルを見た。
「貴様の言いたいことはどうでもいい。さっさと私の疑問に答えてもらえないか?」
「……せめて『何に』ついてなのかくらい、説明したらどうだ?」
「まさか……私が貴様のもとを訪れた理由が、本当に分からないというのか?」
ヒュンケルの言葉に、テオフラスは心底不思議そうに首を傾げた。
らちが明かなかった。いや、というよりもまず会話が成立していないような気がする。
天才と言う人種は、すべてを自分基準に置き換える節があるとは思っていたが、テオフラスは恐らくその典型であろう。自分にできることは、他人にもできる。そして自分に理解できることは、他人も理解できると信じて疑わない類のものだ。
凡人からすれば、噴飯ものの認識である。
しかし――
「――いいや。言ってみただけだ」
幸か不幸か、ヒュンケルとてまったくもって凡人と言うわけではない。いやむしろ、
「あの戦い以降起き続けている変異についてだろう?」
此度のことに関して言えば、分からないほうがどうかしているだろう。
「分かっているならば何故、貴様は回りくどい言葉を使う?」
「凡人の代弁、というやつだな」
「理解に苦しむ」
心からそう言っているのだろう。テオフラスは嘆息した。
「お前にはきっと一生理解できんだろうよ」と皮肉を口にしながら、ヒュンケルは此処でようやく手にしていた本を閉じ、視線をテオフラスに向けた。
「正直なところ、俺自身困惑を禁じ得ないな。性質の悪い冗談だとしても……流石にこれは笑えんよ」
「それは私とて同じだ。だが、だからといって思考停止に安住するわけにもいかない」
「そう心得られられる人間はあまりに少ないが……な」
自嘲するかのように、ヒュンケルはにぃ……と口角を吊り上げた。
「何が原因かは全く不明。正直情報を漁ってはいるが、錯綜しすぎててコレといった目ぼしいものは一つも見当たらない。おそらく誰一人として、現状に至っている原因を特定してはいないだろう」
「だからこそ、皆困惑してるんだがな」と付け加え、指を交差させて考えるように眉を顰める。
「もしこれが、何者かの作為的なものだとすれば――問題は、目的だ」
「我々の混乱――だとすればそれは正解だが……」
腑には落ちない。
テオフラスの考えていることは、ヒュンケルにも理解できた。
目的が混乱だとすれば、正直そんなことはする必要などないだろう。AINたちの一部である《漆黒の十字架》が巻き起こした戦争や、同時に溢れた異形の化け物。それだけで、《来訪者》たちが混乱するには十分に効果を発揮している。
仕様外の《戦争》に、存在しないはずのモンスター。そして安全圏であるはずの《都市》内部での戦闘行為。
これだけあれば、大半の《来訪者》の混乱は必須だ。
よって、その可能性は極めて低い――というのが、ヒュンケルの、ひいてはリューグの見解だった。
そして此処に至ってテオフラスまで同じ答えに辿り着いている。最早疑う余地はほとんどない。
だが、そうなると問題となるのは混乱以外の目的があるのだとすれば、果たしてソレはなにか?
「とてもじゃないが、俺には想像もつかないぞ?」
「貴様、それでも〈賢人〉か? 称号が泣くぞ」
狼の鋭い眼光に射抜かれるが、そんなもの気にするようなヒュンケルではない。銀髪の魔術師は黒衣を揺らして毒ずく。
「知るかよくそったれ。こういうのは専門外だ。こういうのは専門家のほうがくわしいだろう? 俺としては、今のところリューグの意見待ちだ」
「ならば、そのフランベルジュは何処にいる?」
「五日くらい前から雲隠れしている。行き先は知らんが、そろそろ帰って――」
言い終わるよりも先に、部屋の入口の扉が開き、そこからひょいと顔を出したのは他でもないリューグだった。
「やあヒュンケル、五日ぶり。珍しいお客さんもいるようで」
「何処に雲隠れしていたんだ、お前は?」
銀髪をガシガシと掻き上げながらヒュンケルが問うと、リューグは部屋の中に入りながら肩を竦め、曖昧に笑った。
「ちょいと遠出してた。場所はコルセイト」
「そのような辺境に何をしに行った?」
テオフラスが振り返って問う。対し、リューグは「特に何も」と返しながら手元にウィンドウを開き、数度指を操作した。そうしてその手のうちに薄切りの肉と野菜の挟まったサンドイッチを取り出して、それを頬張り、
「強いて言うなら、考え事するついでの暇つぶし」
「このような状況下でなにをやっているんだ、貴様は」
まるで侮蔑するように言葉を吐くテオフラスだが、リューグは意に介した様子もなくサンドイッチを食べながら、
「別に、此処で顔を突き合わせていようと、誰も来ない辺境で考えごとしていようと、同じことだろう?」
と、さも平然と嘯き苦笑した。そのまま口に入れたサンドイッチを胃に納めると、リューグは満足げに吐息を漏らしてから言った。
「一応確認はしたけど、やっぱり現状の〈ファンタズマゴリア〉は、僕らが知っているMMORPG〈ファンタズマゴリア〉の世界を忠実に再現していたものから、随分と現実のものに近づいているみたいだね」
「さらっと核心突くな……お前」
「出し惜しんでも意味ないだろう?」
呆れるヒュンケルに、リューグはおどけるように片目を瞑って見せる。と同時に、彼は何気ない動作で腰に吊るしていた剣を抜いた。
すらり……と金色の剣身が姿を現す。相も変わらず、異様な存在感を放つ《黄金獅子の長剣》。リューグは抜いた愛剣の刃を徐に左の掌に当て――そして徐に剣を引いた。
ざしゅ……と、彼の掌から鮮血が迸った。
「なっ!?」
「リューグ!?」
予想外のリューグの行動に、テオフラスとヒュンケルがぎょっと目を剥き声を上げた。対して、リューグは慌てた様子もなく、ましてや気が触れた様子でもなく、ただそれを証明するかのように左手を二人に突きつけて見せる。
「見ての通り、怪我を負えば痛むし、血も流れる――それが、今の〈ファンタズマゴリア〉の現状だ」
にこりと、リューグが笑む。そんな彼の様子に、ヒュンケルは憤慨の声を上げた。
「……そんなことはもう把握している! わざわざそんなことをする必要は――」
「じゃあ、僕のHPはどうなってる?」
「――……なに?」
言われて、ヒュンケルは何気なくリューグを見た。リューグとフレンド登録をしているヒュンケルには、たとえパーティを組んでいなくてもHPとMPの二つのバーが意識すれば視認することができる。
そのシステムを利用して、ヒュンケルはリューグのHPバーを見て――そして普段は不機嫌に細められている双眸を見開いた。
「……減って、いない?」
ヒュンケルの視線の先に表示されているリューグのHPバーは、一ミリたりとも減少してはいなかったのだ。
「そ。簡単な怪我程度では、HPは減らないらしいよ」
「……そんな莫迦な。そのようなことは、本来……有り得ないぞ」
あっけらかんと言い放つリューグの言葉に、テオフラスは驚愕しながら首を傾いだ。
そうだ、テオフラスの言う通りだ。
ヒュンケルも同意するように首を縦に振る。
〈ファンタズマゴリア〉の仕様を想定すれば、血を流すというのは、イコール『ダメージを受ける』ということだ。
なのに、それがない。それ自体が新たな異常だ。
「もう脳が限界なんだが」お手上げとでもいう風にヒュンケルは両手を持ち上げた。すると、リューグは苦笑しながら言った。
「これくらいで値を上げてたら、この後が大変だと思うけどね」
「まだ何かあるのか?」
リューグの言に何かを感じ取ったのだろう。テオフラスが僅かに眉を顰めながら問うと、リューグは言葉の代わりに手元にウィンドウを立ち上げ、数度何かを操作した。
すると、ヒュンケルの脳裏に、ぽーんというコール音が響く。
メールの着信。様子を見るからに、テオフラスにも同様のことが起きているらしい。
面倒臭く感じながら、ヒュンケルは手元にウィンドウを開き、無造作に指で操作してメールボックスを開く。
差出人は案の定、リューグだった。
文面はなく、代わりに添付ファイルがあった。ヒュンケルは迷わずそのファイルをダウンロードしてファイルを開く。
添付されていたのはテキストファイルだった。
なんだこれ? と言う風に眉を顰めるヒュンケルとテオフラス。そんな二人に向けて、リューグはさらりと驚愕の科白を口にする。
「それが、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉の原点になった物語のコピーだよ」
『――は?』
瞬間、〈ファンタズマゴリア〉の〈賢人〉と〈計測者〉が、揃って間抜けな声を上げた。
何処か哀愁すら感じられる笑みを浮かべるリューグを暫く注視し、続けて〈賢人〉と〈計測者〉は互いの顔を見合い、揃って首を傾げた。
そして、互いの内に確かに生じたその疑問を、代表してヒュンケルが口にする。
「……一体、どういうことなんだよ?」
無論、今問うべき言葉はそれ以外何一つとして思いつかなかった。
◆ ◆ ◆
――『交響想歌幻想譚』。
それは一九九〇年代にヨーロッパ方面で創作され、発表された個人誌――同人のファンタジー小説だった。
時の狭間と呼ばれる異空間で老いることなく孤独に生きる少女――永遠と、その少女に出会うために幻の都ファンタズマゴリアを目指す少年――伊爽の冒険を描いた物語。
作中内でのファンタズマゴリアとは、多くの逸話謂れを持ち、曰く彼の地は黄金の都であり、古の時代に都ごと姿を消した幻の王国の名前である。
曰く、彼の地神々の住まう城。
曰く、彼の地死者のみが住まう大地。
曰く、彼の地実りの絶えぬ祝福の国。
曰く、彼の地全ての願いの集い叶う場所……などと、幾多の真偽の知れぬ語りがされている誰も知らぬ幻の場所。
それまで多くの冒険者たちがその地を追い求めたが、結局誰一人たどり着くことができず、今尚その実態が謎に包まれている地だと云われている。
「――で、その物語が何故、この世界の原点になったと言えるのだ?」
簡潔に説明を終えたリューグに向けて、テオフラスは開口一番にそう言った。彼の言葉に、リューグは思わずずっこけそうになるのを必死に抑えて言葉を返す。
「……公式サイトの公式設定を読んでないのかい、君は」
「そんなものに目を通す価値があるのか?」
ゲーマーとして文句を言いたくなる科白だが、この男は〈ファンタズマゴリア〉の独自的なシステムに惹かれてやって来たプログラマーだ。ゲーム自体にはさほど興味はないのだろう。
それでいて〈ファンタズマゴリア〉の至高存在として名を連ねているのはいささか解せないが……
「〈ファンタズマゴリア〉の公式設定に、この話の登場人物の名前が幾つも登場しているんだ。伊爽や永遠、その他幾つもの登場人物や地名にも、この作中に登場していた用語は幾つもある」
「……《漆黒の十字架》か」
ヒュンケルがはっとした様子で言った。リューグは首肯を返す。
「そう。彼らも然りだ。MMORPG〈ファンタズマゴリア〉は、この『交響想歌幻想譚』の数百年後を舞台にしたもの――と、一部のコアなファンでは言われていたんだ」
「そんな情報は見たことがないぞ」
「原作となった『交響想歌幻想譚』自体の絶対数が少ないからね。現存している原本は、千冊あるかないかってところだよ」
「そんな希少な本の複製データを、どうしてお前が持っているんだよ?」
「元は父の所有物だったんだ」
問われて当然といえるであろうヒュンケルの問いに、リューグはおざなりに答えた。
「死んだ父の蔵書の中に、『交響想歌幻想譚』があったんだよ。昔何度も父に聞かされていたから、覚えてたし。発表当初から共通点が幾つもあって、公式設定を見て確信した。だからなんとなく、データ化した話をインストールしてたんだ」
苦笑しながら、リューグは物質顕現化したテキストデータを暫く掌の上で弄んでいたが、渋面を刻する二人の様子に、何処か満足げに口角を吊り上げて見せた。
「そしてどういうわけか、このテキストデータだけは初期化現象から免れている。これが偶然だとは……」
「流石に言い難い、か」
「そう」
肯定するリューグ。これがもし偶然だというのなら、随分と皮肉が聞いているとは言えなくもないが……。
そんなことを胸の内で思っていると、不意にテオフラスが口を開いた。
「ふむ……MMORPG〈ファンタズマゴリア〉の基盤となった創作話か。興味がないとは言わんが……この話が現状を打破する切っ掛けとはなり得るのか? フランベルジュ」
「それは……どうだろうね?」
「話にならんな」
そう断ずると、テオフラスは溜め息を一つ零して身を翻すと、リューグの横をすり抜けてその場を後にする。
「帰るのかい?」
リューグが尋ねると、長身の狼人は一度その歩みを止め、視線だけ振り返って、
「これ以上ここにいても大した情報は得られないと判断した。なにか分かったら知らせろ。こちらも可能ならばそうする」
そう一方的な言葉だけを残し、テオフラスは今度こそその場を後にした。足音が遠ざかり、やがて玄関の扉が閉まる音が聞こえたところで、
「身勝手な男だ」
と、ヒュンケルがため息交じりに言った。
「それでも、こっちに情報を流してくれるって言ってくれただけ、御の字だと思うよ。彼にしては」
苦笑を返すリューグ。だが、ヒュンケルはそれには返事を返さず、代わりにリューグを暫く見据えたあと……剣呑な声音で問う。
「……で、他に何がある?」
「さっすが親友」
「茶化すな。奴には聞かれたくない内容なんだろう?」
「彼にはまだ、僕の現実の素性を知られたくないし」
リューグのその物言いに、ヒュンケルは何かに気づいたように微かに眉を動かす。
「……お前の父親の話か」
「まーね」
そう言って、肩を竦めて見せる。
テオフラス・ホーエンハイムは、現実でも名の知れたプログラマーである。それも若い名が随分と高い知名度を誇り、彼にプログラムの構築を頼む企業も少なくはない。
それほどの技量を持つ人物ともなれば、リューグの――日口の名を聞かれただけでいらぬ誤解を受けかねない。
故に、出来る限りテオフラスには情報を秘匿したいのが、リューグの本音だ。正直な話、『交響想歌幻想譚』のことだって言いたくなかったくらいだ。そこから日口理宇の父親の情報に辿り着かれる可能性は、決してゼロではないのだ。
――天才プログラマー、日口理王。
プログラムの天才。現代のプログラムを始めとした様々な情報技術の十年は先を行くと言われ、その手の業界においてあらゆる名声を欲しいがままにした、プログラミング界――否、コンピュータ技術、情報工学ならび情報技術界の異端児。
現在普及しているあらゆるコンピュータープログラムの八割以上が、彼の構築したものと言われている。
また、大脳医学の権威でもあり、晩年ではオカルトの分野にも手を伸ばしていたと言われているが、今から十年以上昔に車の運転事故で夫婦共々死去し、当時業界に話題を呼んだほどである。
「俺がお前と出会った頃にはもう、亡くなっていたな」
「君と出会う少し前に……ね。あの頃は皆口を揃えて言っていたよ。『惜しい人を亡くした』って」
事実、彼の天才的頭脳はIT業界の発展に大きく貢献していた。今後も日口理王の時代の先を行く慧眼を頼りにしていた者は少なくないだろう。
あらゆる分野において、彼の死は大きな損失だったそうだ。無論、それはのちに日口理宇が口伝に、あるいはネット上の情報で知ったことだが……
「で、その親父さんがどうして今話題に上がるんだ? 親の七光り」
くつくつと皮肉気な笑みを浮かべるヒュンケルに、しかしリューグは冗談は返さずはっきりと答えた。
「――MMORPG〈ファンタズマゴリア〉の基礎プログラムの構築。それに父さんが関わっている可能性がある」
驚愕と絶句。
その二つがヒュンケルを呑み込んだのが、リューグには分かった。
彼にしてはまず有り得ないほど目を見開き、更には大口を変えて椅子から半分立ち上がるような姿勢を取ったことなど、知り合ってこの方リューグは見たことがない。
つまり、今リューグが口にしたことは、彼にとってそれだけの衝撃があったということである。その様子が見れただけでも、この情報を公開した価値があったな、と半ば場違いな感想を抱くリューグに、ヒュンケルは未だ驚愕冷めやらぬといった様子で肩を震わせながら、
「……本当、なのか?」
と、何処か間抜けな問いを投げてきた。
対して、リューグは身を強張らせることもせず、極々普通と言った様子で言った。
「可能性としては半々だね。今のところ、その可能性を示唆するのは『交響想歌幻想譚』くらいだし、それだって証拠としては不十分」
「……良くて《来訪者》全員。悪けりゃ世界中を敵に回しかねんな。お前は」
同い年とは思えない重苦しい溜め息を漏らすヒュンケルの様子に、リューグは微苦笑する。
「まあ、最悪の場合そうなる可能性もあるね」
何せ数万人というプレイヤーがゲームの世界に取り込まれ、そのうちの数割が死亡しているのだ。もしその原因の一端が〈ファンタズマゴリア〉のプログラムにあり、そこに理王が関わっていた場合、日口理宇が矢面に立たされる可能性は決して低くないだろう。
「考えたくないね……」
「歯切れが悪いな」
「ゼロじゃないどころか、可能性を上げる要素しか見当たらないからさ」
自嘲気味に漏らすリューグの脳裏に浮かぶのは、あの死んだはずの弟を名乗る少年――カイリ・フランベルジュ。
「……ホント、凶兆の星の下にでも生まれたかなー」
からからと笑ってみせるが、ヒュンケルの表情はすぐれない。一体この親友は何を考えているのだろうか。
日口理宇にとって現実でも唯一交流を持つ友人。βテスト時代から行動を共にし、気付けば〈賢人〉と呼ばれるまでになった、現〈ファンタズマゴリア〉随一の魔術師にして戦士。
もし――もし彼が敵に回ったなら、これほど厄介な相手はいないだろう。
自分の思考という思考。行動という行動。戦闘技術のパターンや癖のすべてを知られていると言っても過言ではない。
敵対したのならば、先ず勝ち目は薄いだろう。
そんなことをリューグが考えていると、不意にヒュンケルが大げさな吐息を吐いて小さく苦笑を漏らす。
「君が笑うと不気味だな」
「喧嘩でも売ってるのか? なに、少し考えただけだ。もし本当にそうなって、すべての《来訪者》がお前の敵に回った場合のことを、な」
「で、どうなった?」
興味と本気が半々といった程度の気持ちで問い返すと、ヒュンケルは見る人間が見ればゾッとするような笑みを浮かべながら、はっきりと言った。
「……まあ、俺とお前なら、どうにでもなるだろう」
「ふむ……なるほどね」
きっちりリューグ側につくこと前提か。だとしたら、これほど頼もしい味方は他にはいないだろう。
リューグは苦笑した。
「確かに、どうにでもなるだろうね。ならなかったら――」
「その時きっかり諦めるとしよう」
「だね」
二人揃えて肩を竦めるが、その実、リューグは胸中で彼に感謝した。
――君と親友で良かったよ。
決して言葉にはしないだろうが、そう思っているくらいはいいだろう。
だが、いつまでそんなことを思っているのはなんともくすぐったいものがあるので、リューグはその場の空気を換える意味も込めて、少し前から疑問に思っていた、その実どうでもいいことを尋ねる。
「そう言えば、今日は来てないんだね? 通い妻」
「いなくてありがたいくらいなんだが?」
憮然とした様子でヒュンケルが言葉を返すが、よくよくその表情を見ると、何処となく視線が泳いでいるようにリューグには見えた。
「最後に来たのは?」
「三日前だ」
「音沙汰は?」
「ない」
「会えなくて寂しい?」
「……それはない」
一瞬だが、確かに間があったのを、リューグは見逃さない。「はい、ダウト!」と叫び、ヒュンケルににやにやしながら詰め寄る。
「実のところどうなのさ? そろそろ覚悟を決める気になった?」
「何の覚悟だ、何の?」
「そこまで言わせたいか? 彼女とそういう仲になろうとは思わないの?」
「何故俺がユウとそういう関係にならねばならんのだ?」
「……僕は名指しをしてはいないんだけどね」
「揚げ足を取るな! 揚げ足を! そういうお前はどうなんだ!」
ヒュンケルが苦虫をかみつぶしたような表情で声を荒げながら尋ねてくるが、リューグは空知らぬ様子で首を傾げた。
「いや僕、そういう相手いないし」
「ほう。ここの所随分と一緒にいるじゃないか、ノーナと」
予想だにしなかった人物の名前が出てきたことに若干驚きを隠しきれないが、リューグはしっかりとそれを否定する。
「別にそういう意図はないよ?」
「向こうにないとは言えないだろう?」
すかさずヒュンケルが切り返す。無論、リューグとて負けるつもりはない。
「そういうのは邪推って言うんだよ。僕のことは良いから、自分のことだけ考えようよ」
あっさりと受け流して応酬する。
「いいや、俺のことなど些末事だ」
「僕のことのほうが余程些末事だね。君こそいい加減ユウを待たせるの止めたらどうだい? 実際悪い気はしてないくせに」
「そういうのは巨大な御世話だ! お前は自分に向けられる視線をもう少しだな――」
「ヒューゴのほうこそ、良いが間見て見ぬ振りするのは止めろって!」
「だから現実の名前を呼ぶんじゃねーよ!」
予想以上に話が白熱し、彼らが我に返るのはもうしばらく後のことだった。