Act1:聖人の屠竜
黒い地面まで届く外套を身に纏った、腰まで届く銀髪の青年は右手に握る銃《討狼の銀銃》と、左手に握る《竜牙の黒銃》の銃爪を絶え間なく交互に引き続けていた。
銃爪が引かれるたびに、銃口からマズルフラッシュがほとばしり、《討狼の銀銃》は《聖銀の弾丸》を。《竜牙の黒銃》は《鱗穿の魔弾》を吐き出し、青年の前に立ちはだかる巨大な体躯を次々と撃ち抜いていく。
青年――ヒュンケルの手に握られている《討狼の銀銃》と《竜牙の黒銃》は、どちらも〈ファンタズマゴリア〉に置いてレアリティがAAAランクに分類され、入手するには幾つもの難題をクリアしなければならないほどの代物であり、その性能は『銃』の中でも圧倒的に高く、銃を扱うプレイヤーにとっては下手をすれば伝説級武具よりも欲する人間だっているような武器だ。
《討狼の銀銃》は、装填する《弾丸》に関わらずあらゆるモンスターに対して与えるダメージを上昇させるスキル『魔獣殺し・改』の効果を宿すことができ、更に人狼系のモンスターに対してのダメージが自動的に二倍にまで跳ね上がるすぐれものだ。
そしてそこに用いられている弾丸が《聖銀の弾丸》ならなおのこと。死霊系・幻獣系モンスターすべてに対してのクリティカル発生率三十%上昇させる効果を持ち、更に物理攻撃が通用しない亡霊系モンスターに対して、魔術攻撃として適応されるこの弾丸は、一セット―― 一つのマガジンに十発――で十万ガルドもする高級品であり、購入可能にするには非常に面倒くさいクエストをクリアした上で数十もある必要素材を納品する必要があり、《弾丸》系では不屈の逸品である。
そしてもう一つの銃である《竜牙の黒銃》。Sランクと言っても過言ではないほどの性能を秘め、何より銃系武器の中で唯一スキル『竜殺し・改』を宿す《対竜武装》だ。
種族補正スキルである『○○殺し』系のスキルは様々に存在し、これはそれぞれに適応するモンスター種族を百匹倒せばPCの『パッシブスキル』として習得でき、それらをスキル欄に装備すればそれぞれに適応したモンスターに対してアドバンテージを得ることができる(たとえば子鬼などを百匹倒せば、子鬼系に対して与えるダメージを一・二倍にする『子鬼殺し』を習得できる)。
しかし、その中で習得が困難を通り越し、不可能とされているのが竜系モンスターに対して効果を発揮する『竜殺し』。
これもまた他の『○○殺し』系と同じく、竜を一定数倒せば習得できるスキルだが、〈ファンタズマゴリア〉において竜系モンスターは最低でもA級しか存在しない。
モンスターの強さは最低ランクのG級から始まり、F・E・D・C・B・A・AA・AAA・S・SS・L・M級と分類される。
MMORPGであった〈ファンタズマゴリア〉において、プレイヤーたちの共通認識としてA級以上の単身討伐は不可能という中、モンスターの中でも最強種である竜系は一際困難な相手であり、それを百体とは無理を通り越して不可能の領域にあった。
〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった時代、パッシブスキル『竜殺し』を習得できたプレイヤーは指で数える程度。そしてそのいずれもが〈ファンタズマゴリア〉内で至高存在である《十二音律》に数えられた者ばかりだった。
それだけ習得が不可能なスキルを代行するために実装されたのが『竜殺し』やその上位スキルである『竜殺し・改』などのスキルを宿す武器――通称《対竜武装》である。
ヒュンケルの手にする《竜牙の黒銃》は、その《対竜武装》の一つ。
宿すスキルは『竜殺し・改』。効果は竜系モンスターに対してのダメージを一・五倍にする。
そして撃ち出されている弾丸は《鱗穿の魔弾》は、十%の確率で相手の防御力を無視してダメージを与える効果を持つ、こちらも一セット七六〇〇〇ガルドもする高価な代物だ。
ヒュンケルはそれぞれ高性能の銃を手にして、高価な弾丸を惜しみなく乱射する。
今は出し惜しみしている場合ではない。一瞬でも気を抜けば、敵モンスターの攻撃が襲い来る。かするだけでも致命傷になりかねない威力を秘めた相手だ。
「――おっと」
振り下ろされた巨大な爪を飛び退くことで躱す。振り下ろされた爪は地面を切り裂き、その一撃の重さで地面に巨大なひび割れを生じさせる。
「まったく……一歩踏み込むだけで地震を起こすか……さすがはドラゴンと言ったところだな」
ヒュンケルはそう呟きながら二丁の銃を構え直し、銃爪を引いた。特に狙いは定めず、目の前の巨体に向けて撃つ――それだけで銃弾は確実に命中する。それほどまでに、敵モンスターの姿は巨大だった。
S級竜系モンスター――リビアサレム・ドラゴン。
全長はどれほどだろうか。ヒュンケルの目算では軽く十メートルは超えている。もしこのドラゴンが〈原型〉となった伝承通りならば、おそらく全長は約十五メートルくらいなのだろうと頭の片隅で考えながら、ヒュンケルは休む間もなく銃を撃つ。
すでに百発以上の弾丸を浴びせているが、リビアサレム・ドラゴンには大きな変化は見られない。ダメージは通っているのだろうが、竜系というのは総HPが圧倒的に高く、物理・魔術攻撃に対しての耐性も高い。
如何にヒュンケルの持つ二つの銃の性能が高くても、銃というのは弓より威力が高いが射程が短く、魔術に比べて連射性はあるが一撃の威力では負けるという遠距離武器・攻撃の中では中間的な武器だ。
正直なところ、致命傷を狙う得物としては不適切である。実際、リビアサレム・ドラゴンの頭上に視認できるHPバーの減りは微々たるものだ。
しかしヒュンケルは戦闘方法を変えようとはしなかった。あくまで彼は両手に握る二丁の銃を構えて、リビアサレム・ドラゴンと一定の距離を保ち、つかず離れずの位置でひたすらに銃爪を引き絞る。
撃ち出され続ける弾丸の雨がドラゴンの硬い竜鱗を乱打し、ドラゴンは煩わしげに喉を鳴らし、大きく身を反らして息を吸い込んだ。
その動作に、ヒュンケルは小さく舌打ちをしながら二丁の銃を意識のスイッチ一つで瞬時に開いたアイテム欄に送還し――新たに三冊の魔道書を召喚する。
(――間に合え)
半ば願うように三冊の魔道書を自分の周囲に浮遊展開し、そのページが高速でめくられていく。パッシブスキル『詠唱短縮』による発動までの時間短縮。術式が瞬時に構築されて行き、ヒュンケルの周囲に幾重もの光を放つ魔法陣が描かれる。
「――《スヴァジルファリ・デウン》」
口頭でヒュンケルが魔術を発動させるのと、ドラゴンがブレス攻撃をしてきたのはほぼ同時。
ヒュンケルを囲うように現出した五重の魔力障壁が、ドラゴンのブレスを紙一重のタイミングでせき止める。三冊の魔道書から生み出された中位防御魔術――バーストスキル、《スヴァジルファリ・デウン》は、北欧神話のアスガルドを囲う城壁を築いた者の名を冠した防御魔術で、物理・魔術・属性あらゆる攻撃を遮断する効果を持つ、ヒュンケルの誇る最高の防衛手段。大抵のモンスター戦闘に置いて比類なき守りの楯となる魔術。
ドラゴンのブレス攻撃が終わり、ヒュンケルは瞬時に《スヴァジルファリ・デウン》を解きながら走り出しつつ、自分の周囲に浮遊する三冊の魔道書を一瞥して舌打ちする。
見れば彼の周囲を漂う魔道書三冊のうち、二冊が黒ずんでいて使い物にならない状態と化していた。
(ブレス攻撃の一回でBランクの魔道書二冊の耐久率がゼロになるか……こりゃ大赤字かもしれないな)
使い物にならなくなった魔道書二冊をその場で廃棄しながら、ヒュンケルは再びウィンドウを開き、アイテム欄に魔道書を戻すと今度は右手で《竜牙の黒銃》を取り出し、更に左手には一振りの槍を握り締めた。
銀に黒の装飾が施された、本来なら両手で持つほどの大きさを持つ長大な槍。しかし、その槍は見た目に反して武器の分類は投擲槍とされている。
ヒュンケルは《竜牙の黒銃》を撃ちながらドラゴンを牽制し、隙を窺いつつ、槍を握る左手で溜め動作する。
同時に幾発かの銃弾が竜の顔を捉え、リビアサレム・ドラゴンはその攻撃を鬱陶しいとでも言うように、僅かに鎌首をもたげる。
転瞬――ヒュンケルが渾身の力を込めて槍を投擲した。
投げ放たれた黒銀の槍は大気を穿ち、轟々と唸りを伴い、そして眩いほどの雷光を纏ってリビアサレム・ドラゴンの体躯へ吸い寄せられるように的中する。
同時に響き渡る落雷の如き轟音――まさしく雷鳴そのものが穿ったようにリビアサレム・ドラゴンの身体から響き渡る。
次いで竜が悲鳴とも絶叫ともつかない声を上げた。
ヒュンケルの口元が、此処にきて「してやったり」と笑みを浮かべる。その左手には、つい先ほど投擲したはずの黒銀の槍が握られていた。
〈ファンタズマゴリア〉における投擲槍を始めとした投擲武器は、すべて等しく消耗品扱いとされている。だが、〈ファンタズマゴリア〉の中で、唯一その例外に存在する投擲槍が、僅かに一本だけ存在する。
正確にいえば二本――だが、そのうちの一本は詳細はおろか、それが本当に実在するのかすら定かではないといわれるほど不確か故にプレイヤーたちは一本と嘯いている。
――伝説級武具《貫く王の雷槍》。
武器分類は《投擲槍》。属性は雷。
ヒュンケルの持つ槍は、世にそう呼ばれている〈ファンタズマゴリア〉における最強種の武器の一つ。
最大の特性はウェポンアビリティ『無限回帰』。神話に伝わるグングニールの特性をそのまま体現したかのように、投擲した槍は持ち主の手へと回帰するという、決して失われることのない投擲槍。
その槍を握りながら、ヒュンケルは《貫く王の雷槍》の一撃を受けて悶え苦しんでいるドラゴンを見上げて叫んだ。
「今だ、リューグ!」
ヒュンケルの大音声と共に、鬱蒼と茂る山森の中から飛び出す影があった。
◆ ◆ ◆
灰色の髪に青い瞳、膝丈ほどあるフードの付いたコートに身を包む青年が、両手に握る二振りの剣を構えてドラゴン目掛けて突進する。
その手に握られているのは、ヒュンケルの持つ銃――《竜牙の黒銃》と同じ《対竜武装》であり、その代表格ともいえる片手剣《ドラゴンスレイヤー》。付与スキルは『竜殺し・改』
二本の《ドラゴンスレイヤー》を手にし、青年――リューグはAGLパラメータ補正の限界に挑むかのような速度で疾駆し、木々の間を抜けてリビアサレム・ドラゴンの懐へ瞬く間に突撃するや否や、その二振りの剣を容赦なく振り抜いた。
《ドラゴンスレイヤー》二本による通常攻撃が叩き込まれ、ヒュンケルの銃撃ではびくともしなかったドラゴンの体躯が僅かに揺れる。
(――よし!)
視界の片隅にわずかに表示された『Critical』という言葉に、リューグは胸中で小さく頷くと、そのまま攻撃の手を休めず連続で左右の剣を交互に振り抜く。
右の袈裟。左の切り上げ――その勢いを殺さず生かし、身体を一回転させて右を払い、更に左を逆袈裟に振り抜く。流れるような動きから放たれる剣撃の最中、リューグは意識上でスキル欄を開き、事前登録してあるスキルを選択。
二刀がそれぞれライトエフィクトに包まれ、リューグの身体はシステムアシストによって自動的に記録されている動きを再現する。
二刀流下位アーツ・スキル《双連撃》。
怒涛の四連続斬撃がドラゴンの体躯に叩きこまれ、ドラゴンが悲鳴を上げた。だが、リューグはその声を無視し、更にそこから連撃する。脳裏のスキル欄に描かれた技連樹式――《双連撃》から派生する幾つものアーツ・スキルの中から望む技の一つを選択。
リューグの全身が淡い光に包まれ、新たなシステムアシストがリューグの身体を瞬時に動かす。
二刀流中位アーツ・スキル《驟雨斬穿》。
刺突と斬撃による八つのライトエフィクトを纏った剣撃が、ドラゴンの体躯へと叩きこまれた。
〈ファンタズマゴリア〉には、武器熟練度で習得する攻撃スキル――アーツ・スキルと、魔術スキル――バースト・スキルの二つが攻撃手段として存在する。
そのうち武器攻撃によるアーツ・スキルは、更に大きく分けて『下位』『中位』『上位』『奥義』の四段階分類がされ、これらは下位のスキルから上位のスキルの順に最大で四回連携することができ、これが『連撃』と呼ばれるシステムである。
リューグはそれを行使し、二刀流アーツ・スキルの中でも圧倒的にHIT数の高い剣技を連続して叩き込む。
手数重視の技はその性質上威力が低く設定されているが、そこは二振りの《ドラゴンスレイヤー》が十二分に補ってくれる。
リューグは《驟雨斬穿》が終わるのと同時に更なる上位の技を選択――リューグの身体を包んでいた淡い光が輝きを増し、剣を包んでいたライトエフィクトがリューグの全体にまで及びながら剣技を発動させる。
二刀流上位アーツ・スキル《烈風裂牙》。
刹那、剣舞と共に剣圧から生じた風が巻き起こりドラゴンの体躯に幾つもの傷を負わせた。
二刀流上位アーツ・スキル《烈風裂牙》――怒涛の十二連撃。二刀流上位の中でも屈指のヒット数を誇る風の属性を宿す剣技。振り抜かれる左右の剣から生じる凄まじい剣風がそのまま斬撃となり、標的対象を多方面から一斉に切り裂く包囲技だ。
しかし今回は標的が大きすぎるが故、斬撃はすべてドラゴンの身体を多重で切り刻む結果となった。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
裂帛の気迫と共に、リューグがドラゴンの懐により深く飛び込む。剣風の嵐がドラゴンを刻む間隙を縫い、リューグは力強く地を蹴って跳躍――否、飛翔して技連樹式の四段目――即ち奥義の覧からただ一つを選択する。
リューグを包むライトエフィクトが眩いほどの輝きを放ち、システムアシストが怒涛の勢いで剣をリューグに剣を振るわせた。
錐揉みを描くように身体を回転させ、その勢いに乗せて二刀の剣が螺旋を描く衝撃波を放った。
――二刀流奥義アーツ・スキル《画竜点睛》。
二刀流アーツ・スキルにおいて幻と云われているアーツ・スキルが炸裂する。
螺旋を描く、疾風怒濤の大回転斬り。幾重もの剣閃が描く斬撃は文字通り嵐の如く唸りを轟かせ、巨大なドラゴンの体躯を宙へと打ち上げる。
《画竜点睛》。二刀流アーツ・スキル――否、すべてのアーツ・スキルに置いて他の通髄を許さない最大のヒット数を誇る二刀流剣技の奥義。
〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった時代、公式サイトが公開していたアーツ・スキル一覧の中で、誰もがその習得を夢見て挑み、だが結局誰一人として習得することのなかった幻のアーツ・スキルの一つ。
その習得内容はいたって単純だが、それゆえに不可能に等しい『単身での二刀流装備による竜系モンスターの一〇〇匹の討伐』である。
スキル『竜殺し』ですら習得は困難を極めると言われている最中、この習得方法はそれに輪をかけて無茶を通り越し絶対不可能と言えた。
正しく『云うに易し、成すは難し』だ。
しかし、リューグはそれをやってのけた。まだ〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった時代では不可能だった《画竜点睛》の習得を、現実から〈ファンタズマゴリア〉という異世界に迷い込んだ後に、幾つもの死線を超えて、己が技と身につけた。
それはすべて――この時のため。
ただこのリビアサレム・ドラゴンを討伐するがためだけに、リューグは死に物狂いで竜とういう竜を単身でひたすら討伐し続け――その果てに《画竜点睛》を習得したのだ。
その理由はただ一つ。《画竜点睛》の特性である、『竜特効』。竜系モンスターに対して絶対的攻撃力を発揮する特殊効果。
奥義アーツ・スキルの中には稀に、一定種族の敵に対して一方的な優位性を持つスキルが存在し、《画竜点睛》がその一つ。
リューグはリビアサレム・ドラゴンを倒すためだけにひたすら竜を狩ることに徹し、百の竜を単身で討ち、『竜殺し』のパッシブスキルと《画竜点睛》のアーツ・スキルを身につけ、《対竜兵装》である《ドラゴンスレイヤー》を金銭の限りを用いて購入し――そして現実にいた頃から、そしてゲームであった時代から冒険を共にしてきたヒュンケルを伴って挑んだのだ。
それだけの前準備を行い、万全を期しての挑戦だ――何せゲーム時代とは違って、HPがゼロになっても古都ユングフィの教会で復活――ということにはならないのだから……
今まで耳にした情報で、死んだPCが復活したという話は、一度も――ない。
パーティを組んだメンバーの一人がHPをゼロにした後、そのパーティがすぐにゲームであった頃に復活場所であった教会に赴いたが、そのメンバーが復活することは終ぞなかったらしい。
結局酒場やギルドの集会場で広まっていた眉唾ものの噂話でしかなく、それが真実かは杳として知れないが、その可能性がゼロとは誰一人として言えない。
無論、HPをゼロにすれば現実に戻れるのではないかという憶測もないわけではなかったが、誰も試そうとする者はいなかった。当然だ。五感を始めとした全ての感覚は、現実のものと何一つ変わらないような状況下だ。下手をすれば本当に死ぬ可能性がある異常、そんな命がけの度胸試しをする馬鹿はいない。
何より、戦闘でHPがゼロになっても復活しないという噂が広まっているのだ。そんなハイリスクローリターンな実験を行うのは自殺と同じだった。
だからこそ誰もが忌避する。HPがゼロになることを。
そこから直結する、死という恐怖を。
故に、今この〈ファンタズマゴリア〉に取り込まれているプレイヤーたちのほとんどは戦闘することを避け、モンスターの出現しない、〈結界〉に覆われた都市などに引きこもる始末である。
そして、それだけのリスクを考慮してなおフィールドに出てモンスターと戦い、パラメータを成長させて強くなろうとする者も少なくはなく――そしてリューグとヒュンケルもその輪の数に含まれる。
死という最大のリスクを背負ってでも〈結界〉の外に赴き、モンスターと戦う。
死なないために。
戦って勝つために。
勝って生き残るために。
リューグはそのために、このリビアサレム・ドラゴンに挑んでいる。
かつての――それこそゲームであった頃の〈ファンタズマゴリア〉に追いつくことが、その第一歩だと思った。
――だから、この竜を討たねばならない。
パッシブスキル『竜殺し』に《対竜兵装》である《ドラゴンスレイヤー》、そして竜系に対して威力を上げる《画竜点睛》の組み合わせによる多重竜特攻――対種族効果により相乗された特大攻撃を受けたリビアサレム・ドラゴンの身体が大きく傾ぎ、その巨体が放物線を描いて地面に落下する。
飛翔しながら回転切りを打ち出す《画竜点睛》のシステムアシストで空中に舞い上がったリューグが、上空から重力の手に引かれて自由落下しながらリビアサレム・ドラゴンを見下ろす。
ヒュンケルが延々と銃撃でHPを削ってはいたが、それは微々たるものだ。寸前の《貫く王の雷槍》によるクリティカル攻撃でもどれだけのHPを減らすことができただろう。
一割か、二割か。それだけ削れていたら僥倖と言えるだろう。
なにせ二人でこのS級ドラゴンに挑んでいるのだ。しかもフィールドやダンジョンに時間経過で復活するようなランダムエンカウントのモンスターではなく、しかも一回限定クエストによるクエスト限定モンスターだ。並のS級ドラゴンなどよりも遥かに強靭強大凶悪な性質を持つこの竜が、如何に《貫く王の雷槍》の直撃と《ドラゴンスレイヤー》二本を用いた大多数連撃を叩き込まれたとしても倒れると思うのは思い上がりもいいところ。
――さあ、どう動く?
胸中で呟きながら、リューグは左右の《ドラゴンスレイヤー》を握り直す。同時に、
ぎろり……
倒れていた竜の眼がリューグを捉えた。眼光のそれだけで、リューグの背筋に冷たい物が走る。
竜の爪。
体制を立て直したリビアサレム・ドラゴンの腕が大きく振り払われる。中空で無防備なリューグ目掛け、空気を薙ぎ払い、掠っただけで人の身など紙きれの如く容易に切り裂くであろう三爪がリューグを襲う。
「ちぃ……!」
向かい来る竜の爪を見据え、リューグは両手に握る二刀を大きく振りかぶり、
「破っ!」
裂帛の気迫と共に、今まさにリューグ自身を切り裂こうとした爪へ剣を叩きつける。竜の巨躯から繰り出される必殺の爪と、リューグの渾身の二刀が競り合い、わずかの間に拮抗――転瞬、リューグの身体が弾き飛ばされて地面に叩き落とされ、数回バウンドして勢いが止まる。
最初の落下で背中を強打し、息が詰まる。肺の中の酸素が全部吐き出され、一瞬だが確かに呼吸が止まったのを感じながら、リューグは自分の身体に鞭打って強引に呼吸を整え立ち上がる。
竜の爪撃自体は、二刀を叩き込むことで強引にパリィに成功はしたためダメージはない。だが高所から叩き落とされたことによる《落下ダメージ》でHPが一割ほど減少した。ただの叩き落としでHPの一割も持って行かれることに改めて相手の凶悪さを再認識しつつ、リューグは未だ爪を振り抜いた姿勢のままでいるリビアサレム・ドラゴンに向けて二刀を構え、アーツ・スキルを選択。振り抜かれた二刀による斬撃の軌跡が、そのまま刃と化してリビアサレム・ドラゴンへと飛来する。
二刀流中位遠距離アーツ・スキル《双破飛刃》。
左右順に飛び、それぞれ異なる軌道を描きながら放たれた斬撃。一つがリビアサレム・ドラゴンの右足に、もう一つがその背に生えた巨大な翼の片方に叩きこまれ、ダメージを叩き込む。
先の連撃に比べれば微々たるダメージ量だが、リューグたちにとって攻撃を叩きこめる隙があるのならば、一瞬たりとも攻撃の手を休めるわけにはいかない。
リューグの《双破飛刃》がリビアサレム・ドラゴンに命中するのに合わせ、ヒュンケルもまた周囲に転嫁している魔道書を行使し、幾つもの魔術を連続発動させて強襲する。
火炎の嵐が躍り、幾つもの雷光が竜の身体を貫く。その間隙を縫うようにしてリューグもリビアサレム・ドラゴンの懐に飛び込んで、《ドラゴンスレイヤー》を連続して叩き込む。
ヒュンケルの広範囲魔術による絨毯爆撃と、リューグの二刀による隙の生じぬ連撃がリビアサレム・ドラゴンを容赦なく襲う――だが、リビアサレム・ドラゴンはそんな攻撃などものともせずに全身を奮い立たせて咆哮を上げる。
空気すらも振動させる巨大な竜の雄叫びが二人の身体を強打する。ダメージ判定など存在しないはずの、ただの雄叫び。だというのに、二人にはまるでその咆哮が物理的な圧力を以て襲いかかってくるような錯覚すら覚え、二人揃ってその表情を驚愕の色に染めて身体の動きを縛る。
その人間を圧倒する竜の威厳――そこから生じる威圧感が咆哮によって顕著となり、リビアサレム・ドラゴンの纏う気迫に気圧された。
ゲームであった時でもこの竜の強さに感嘆したが、これほどまでに気圧されることはなかっただろう。〈ファンタズマゴリア〉という異世界に取り込まれて、自分自身の目で見て、五感で体感して、対峙して――本当の意味で、この竜の強さを身を以て思い知る。
(彼のゲオルギウスも、こんな感覚に苛まれていたのかな?)
『黄金伝説』に謳われる数多の竜を屠った聖人の心境はこんなものなのだろうか、そんなことを頭の片隅で考えてしまい、リューグはわずかに微笑む。
是非とも肖りたい。胸を借りたい。そんな気分だった。
そして、そんな僅かの無駄な思考がリューグの判断を僅かに鈍らせ、それが隙となり現実的脅威と化して具現する。
「避けろ!」
ヒュンケルの声に、リューグは即座に反応して視戦を動かし――自分の失態に舌打ちする。
――竜尾。
いつの間にか体を反転させて、リューグの身体の十倍近い太さの尻尾を天高く持ち上げて、それを横に薙ぎ払っていた。ゴウッ! という風の唸る音が聞こえた刹那、リューグはほとんど反射で身体を動かして大地を強く蹴った。
わずかな差で、リューグの跳躍の方がリビアサレム・ドラゴンの薙ぎ払いより早く、リューグの身体は空中へと舞い上がる。足元を竜の尾が通り抜けていくのを見ながら、リューグはふと視線を上に上げ――咄嗟に剣を眼前で交差させた。
「があっ!?」
衝撃が剣を通してリューグを貫く。いつの間にかリビアサレム・ドラゴンの顔が目の前にあり、竜の頭部はそのままリューグを打ち上げるように首を振り上げたのだ。
とっさに防御したが、それでもすべてのダメージを防ぎ切ることは出来ず、防御を貫通してきた衝撃に息を詰まらせながら手首を捻り、《ドラゴンスレイヤー》の刃を竜の鼻面に立てて腕を引く。
ザシュッ、という小気味良い切断音と共に、リビアサレム・ドラゴンの鼻から血が吹き出す。
――――グルル……
竜が、嘶く。
背筋に冷たい物が伝い、全身の産毛が総毛立つのを感じ、リューグは霧払った姿勢のまま息を呑んだ。
――急げ。
そう本能が警鐘を鳴らすのを感じ、リューグはまだ虚空から剣を振り抜くことで勢いをつけて地へと舞い降りる。
足が地につくのと同時に、竜の巨躯が起き上がり射殺すような眼光がリューグを貫いた。リビアサレム・ドラゴンがその長い首を大きく反らす――しかしその眼光は僅かもリューグから外れることはなくかった。度重なる連続攻撃により蓄積された敵愾心が、リビアサレム・ドラゴンの標的認識をリューグへと完全固定している。
その巨体から溢れ出す――現実味を帯びた殺気に身震いしながら地を蹴って後ろに飛ぶ。
「馬鹿野郎!」
ヒュンケルのその言葉が聞こえたのと同瞬、竜の顎が大きく開かれた。その口膣内から覗く紅蓮に目を剥きながら、自身の失態に舌打つ。
すべての竜系モンスターに共通するブレス攻撃の予備動作。
だが、そのことに気づいてもすでに手遅れだった。バックステップの着地から横に飛ぶよりも早く、リビアサレム・ドラゴンのブレス攻撃のほうが早い。
リューグの足が再び地につくのと、リビアサレム・ドラゴンのブレス攻撃が放たれたのは同時だった。
(――ヤバい!)
思考が即座に回避から防御へと移行し、それよりもさらに早く、本能が肉体を動かしリューグが防御動作に走る。
このブレスだけでどれだけのHPが削られるか。あるいは咄嗟の防御でどれだけダメージを軽減できるか――頭の片隅でそんなことを考え、
「――この超度級馬鹿が!」
その声が思考に――そしてリューグとリビアサレム・ドラゴンの間に割り込んだ。
「ヒュンケル!」
リューグは慌てて飛び込んできた相棒の名を呼ぶ。しかし彼はそれに応えることなく両手を翳し、周囲に展開した魔道書に指令を叩き込むと同時に防御魔術を展開した。
対火属性防御上級魔術《ジャールキィ・パノプリア》。
ヒュンケルを中心に展開された、炎を完全に断つ半球状の光が二人を包みこみ、次の瞬間、二人の周囲もろとも焼き払うドラゴンのブレスが辺りの木々や地面すらも一切の関係なく焼滅させる。
周囲が焼き尽くされる情景を垣間見て、改めて此処がゲームなのか現実なのかの判断に困惑しかけるリューグの思考を、ヒュンケルの叱責が容赦なく遮断した。
「ボサっとしてるんじゃねーこの馬鹿! 死ぬ気かボケナス! いや、いっそ死ぬか!? このままこの竜の炎の中に入って美味しく料理されるのがお好みか?」
怒涛の勢いでまくしたてるヒュンケルの暴言の嵐に、リューグはいたたまれないというように視線を反らして溜め息交じりに謝罪する。
「済まない。どう対処するか考えてて、反応が遅れたんだ」
「その反応が遅れただけで、お前の命は風前の灯火というか、蝋燭もまとめて瞬時に滅されるところだったのを理解しているのか?」
まったくだ。
自分の行動の失敗を理解しているが故、リューグはヒュンケルにただただ頭を下げた。
「本当に済まない。ありがとう、助かった。だからこれ以上の説教は勘弁して」
「今回のクエストで使った弾丸の費用はすべてお前持ちで手を打とう」
返ってきたヒュンケルの無慈悲な言葉に、リューグは目に見えて狼狽し、その蒼い瞳を見開いて悲痛な面持ちになる。
「ちょっ!? 僕、このクエストのために有り金全部《ドラゴンスレイヤー》の買い込むのにつぎ込んだの、知ってるだろう?」
「命より高いものなんてあるのか?」
その言葉に、リューグは息を呑んだ。表情がこわばり、文字通り言葉もなく俯くのを見て、ヒュンケルは自らの言葉選びの間違いに気づく。
しかし口にした言葉を撤回することも出来ず、僅かに逡巡した後、視線をリューグからリビアサレム・ドラゴンへと向け、
「ブレスの時間は五秒。それが終わったら同時に防御を解く。いつでも反撃できるようにしておけ」
結局何も言葉に出来ず、ただただ事務的なことだけを口にした。
わずかに、リューグは矢次に告げられた言葉で呆気にとられたが、すぐに我に返って一度頷くと、即座に思考を切り替えて両手の《ドラゴンスレイヤー》を強く握りしめる。
左手の剣を地面に突き立て、リューグはアイテムウィンドウから《MPポーション》を取り出して、緑色の瓶を手にとってそれを口にする。中の液体を飲み込み、脳裏に描かれる三分の一まで減っていたMPゲージが右端まで回復していくのを確認しながら立ち上がる。
「いつでも行けるよ。そっちは援護よろしく」
「奴のHPもさっきので四割方減らしている。そろそろ決めるとしよう」
「《ドラゴンスレイヤー》四本がすでにご臨終されてるしね」
所持金のすべてを投資して購入した六本の《ドラゴンスレイヤー》も、気づけばすでに最後の二本となっている。リビアサレム・ドラゴン討伐のためとはいえ、手痛い出費なのは確かだった。
「今後の利益を考えれば安い買い物だと思って諦めろ。こいつさえ倒せば、もう高い金払って《対竜兵装》を買う必要はなくなるのだからな」
「分かってるよ。それだけにこのクエスト、失敗は出来ないんだからさ」
「まあ、失敗はそのまま俺たちの死に直結する。此処で死ぬ予定はないから、確実に仕留めろ」
「合点」
ヒュンケルの鼓舞に、リューグは短く答えて首肯する。同時に竜の吐き出したブレスが止み、周囲を呑みこんでいた猛火が消え去った。
同時にヒュンケルの《ジャールキィ・パノプリア》が消え去る。ヒュンケルは消し炭になった魔道書三冊を廃棄して新たな魔道書を二冊虚空に展開し、右手に《竜牙の黒銃》を握りながら叫ぶ。
「行ってこい!」
その怒号を合図に、リューグは地面を強く蹴って疾駆する。
疾駆しながら左右の剣を構え、スキルウィンドウから二刀流アーツ・スキルを選択。
二刀流中位アーツ・スキル《猪突猛進》。
突進系に分類される、二刀流アーツ・スキルの中では珍しい単発技だが、敵の防御貫通性能が高く設定されており、防御の高い相手であっても切り崩すことのできる『重さ』の乗った剣撃が、リビアサレム・ドラゴンの無防備な身体に叩きこまれ、ズンッ――という鈍重な音を響かせ、攻撃硬直後の竜の身体が再びリューグの剣で傾ぐ。
此処だ。
直感が身体を動かし、思考が即座に技連樹式に描かれるアーツ・スキルを選択――〈連撃〉へと繋ぐ。
僅かに体を開き、左右の剣それぞれを、半呼吸分間隔を開けて振り抜く。右、左、再び右、再度左。
開いていた間隔は徐々に短くなり、やがてそれは零になり――元々の日口理宇の身体能力にSTRパラメータ・AGLパラメータ・DEXパラメータの補正が合わさり、その剣速はシステムアシストをも凌駕する速度で振るわれ続ける。
霞むほどの速度で振り抜かれる刃が、幾重もの軌跡を生む。
銀色の斬刃が躍り、舞い、無数に繰り出されたはずの斬撃はシステムアシストの放つ光を呑み込み極彩色の輝きと化し、巨大な斬撃――否、一つの刃そのものと化してリビアサレム・ドラゴンへと叩きこまれる。
二刀流上位アーツ・スキル《千刃一閃》。
リューグの持つ二刀流アーツ・スキル単発技の中で最強の技がリビアサレム・ドラゴンを襲う。
撃ち出された巨大な斬撃場は三日月を描き、アーツ・スキルに設定された視覚表現が空間すらも斬断するかのように衝撃が走る。そのただなかに放り込まれた竜は、文字通り絶叫をその口から吐き出した。
それと同時に、リューグは左の剣を背に回し、右の剣の切っ先を自身左足元に引き寄せる。
「ヒュンケル!」
構えを取りながら、リューグは友の名を叫んだ。それだけですべてが伝わる――そう確信を持って。
同瞬、リューグの頭上を一条の稲光が飛び越えていく。
ヒュンケルの投げ放った《貫く王の雷槍》の渾身の一撃が、再び吸い込まれるようリビアサレム・ドラゴンの額を穿つ。その様はまさに雷の如く――槍が竜の身体を捉えたのと同時に空気すら震わせる雷鳴が響き渡り、空気を貫き、音の壁を貫き、そして竜の鱗すらも貫く衝撃はリビアサレム・ドラゴンをその一撃の下に昏倒状態させる。
「流石!」
ここぞのタイミングでリビアサレム・ドラゴンを気絶状態に持ち込んだヒュンケルの運の良さに心から称賛の言葉を叫んで、リューグは地面を蹴って倒れ行く竜へと肉薄する。
同時にリューグの手にする左右の《ドラゴンスレイヤー》を魔法陣が包み込み、剣身が金色の輝きを纏う。
上位戦闘補助魔術《ソード・オブ・ヴァーミリオン》。
二振りの《ドラゴンスレイヤー》を包むヒュンケルの魔術を見て、リューグはにやりと口角を吊り上げる。
(……まあ、これでこの二本も粗大ゴミ確定か)
そう内心で項垂れて、二本の剣に訪れる結末を儚んだ。
ヒュンケルの施した《ソード・オブ・ヴァーミリオン》は、武器に力を付与させる補助魔術だ。その効果は『次の攻撃の際、武器によって与えられるダメージが五倍になる』という武器戦闘をする際にはとてもありがたい効果を施してくれるのだが、デメリットとして《ソード・オブ・ヴァーミリオン》を施した武器は次の攻撃の終了と同時に耐久度がゼロに――つまり武器が廃品化するというとんでもないマイナス面を持つ。
そのため武器攻撃力強化系魔術の中では最強の威力を持ちながら、そのデメリット故に全くと言っていいくらい使用・習得されない補助魔術の最高峰とも呼ばれているこの魔術を、ヒュンケルはさも当然のようにリューグの《ドラゴンスレイヤー》に施した。
(確かに次で仕留めるならこれくらいしないといけないだろう。けれど! けれど……うぅ……)
耐久度がまだまだ残っていた《ドラゴンスレイヤー》を、次の一手で失うのは正直心苦しいというのがリューグの本音。
だからこそ、この一撃で決める。
それがこの剣たちに出来る最大の敬意。
リューグはリビアサレム・ドラゴンの足元に滑り込むように駆け込みながら、技連樹式で繋がった奥義アーツ・スキルを選択する。
システムアシストの眩い輝きがリューグを包み、リューグは身体を大きく回転させながら剣を振り抜く。
回転から発生した剣圧は衝撃の刃を生み出し、それは無数の斬撃となって巨大な一つの嵐と化してリビアサレム・ドラゴンを襲う。
二刀流奥義アーツ・スキル《画竜点睛》。
再び放たれた二刀流の奥義。竜を屠る剣閃の嵐は一切の容赦なく昏倒状態となった竜を呑み込む。
スキル効果や《対竜兵装》――そして《ソード・オブ・ヴァーミリオン》によって更なる強化を施された必殺の剣――いや、《画竜点睛》に込められたリューグとヒュンケルの『滅殺』の意志に応えるかのように、斬撃の嵐はリビアサレム・ドラゴンのHPバーを見る見るうちに減少させていく。
――いける!
剣を振り抜きながら、リューグは心の中でそう強く祈る。
やがてシステムアシストによる《画竜点睛》の動きが止み、リューグの身体が虚空に投げ出されたまま静止する。
両手に握る《ドラゴンスレイヤー》が、音もなく無数のポリゴンが僅かな残滓を残して四散するように消えていくのを感じながら、リューグはその視線を一切剣には向けず、眼前で今もなお〈画竜点睛〉の斬刃に刻まれHPを減らしていくリビアサレム・ドラゴンのHPバーに向けられていた。
斬撃がヒットする音が連鎖的に鳴り響き、そのたびにリビアサレム・ドラゴンのHPが減少していく。単純計算で約八~十倍にまで跳ね上がったダメージ量はそれだけの威力を願って放ったリューグにしても圧倒的な威力を誇り、膨大なHPを持つリビアサレム・ドラゴンのHPを徐々に食い散らして行き、六割近く残っていたはずのHPはほとんど焼失し、HPバーの色が緑から黄色へ、黄色からついに赤へと移る。
空中に投げ出されていたリューグの身体が、再び重力の手に引かれて地面へと降りていく。その間も視線はHPバーを仰ぎ見たままだったが、願うようなリューグの表情が一気に渋面へと変わる。
悔しげに舌打ちをしながら、リューグはその視線をリビアサレム・ドラゴンのHPバーから地面へと一転させる。
あと一歩というところで、《画竜点睛》の斬撃が終わりを告げたのだ。最大ヒット数二十四ヒットを誇る斬撃の嵐は、無数のスキル効果や付与魔術の効果により致命傷を与えるほどの威力を発揮したが、わずかだが必殺には届かなかった。
残ったのは目測でわずか数ミリ程度のHP。数値にすれば数万程度のHPがリビアサレム・ドラゴンを生かした。
そしてダメージ判定の終わった竜系モンスターは、ダメージ硬直を無視してすぐに体勢を立て直して反撃に出てくる特性を持つ。当然リビアサレム・ドラゴンもその例に漏れない。
そしてその体勢を立て直したリビアサレム・ドラゴンに蓄積されたリューグへの敵愾心に基づき、眼窩で今もなお着地に至っていないリューグへと向けられるのは、ある種当然の結果だった。
竜の顎が大きく開かれる。一瞬ブレス攻撃かと思ったが、その予想は外れだった。ブレス特有の溜め動作もなく、大きく開かれた口内に並ぶ巨大な刃のような牙による噛み付き攻撃。それに気づいたリューグの表情は一瞬で蒼白に染まる。
今のリューグにとって、この世界はゲームであってゲームではない。もう一つの現実だ。当然五感は本物と言っていい――それはこの世界に来て嫌というほど痛感している事実。当然ながら痛覚だって本物。
流石に噛み付き攻撃の一回でリューグのHPをゼロになる可能性はクリティカルヒットでもしない限り不可能だろう。だが、たとえHPがゼロにならなかろうが、あれだけ図太く鋭利な牙が乱立する口で噛み付かれれば、一体どれだけの痛みが伴うのか――想像するのも愚かしい。
――あんなもの、絶対に食らいたくない!
それがリューグの本音だった。
だが、無防備な空中では回避することは不可能。パリィするにも今は武器がない。格闘スキルはあるが、素手でどうにかできるような攻撃だとは思えなかった。
そんなことを考えている間に、竜の牙は目前に迫っていた。リューグは全身に食い込み想像を絶する痛みが来るのを覚悟し――ならば決して視線だけは逸らすまいと悔しげに竜を見上げる。
「リューグ!」
ヒュンケルの声が耳朶を叩いた。同時にリューグは左手を横に伸ばして、徐に虚空を掴む――と同時に、リューグの身体が再び空中へと引っ張り上げられ、寸前までリューグがいた虚空を、竜の牙が空しく喰らう。
「ナイスヘルプ!」
思わず称賛の叫びを上げながら、リューグは摑んだそれを見てにやりと笑った。
リューグが摑んだのは、ヒュンケルが全身全霊を持って投擲した《貫く王の雷槍》だった。音速をも貫くほどの速度で投擲されたヒュンケルの《貫く王の雷槍》。先程名を呼ばれたのは、これを摑めということだったのだろう。
しかし言葉通り《貫く王の雷槍》の投擲はそれだけで稲妻と同等の速度――即ち光速にすら届くと比喩される槍を摑むことが出来たのは僥倖と言わざるを得ないだろう。
当然ながら槍の投擲速度が尋常ではない分、リューグが摑んだ程度では失速すらしない〈貫く王の雷槍〉はリューグの身体をそのまま宙空へと持ち上げ、リビアサレム・ドラゴンの牙から脱出する手段へと早変わりしたのだが、もし摑み損ねていたら絶賛竜の牙に貫かれているのかと想像するとぞっとしない話だった。
が、今はそんな与太話を想像している暇もない。
リューグは《貫く王の雷槍》に引っ張り上げられながらアイテムウィンドウを開き、そこから即座に変わりの剣を取り出して具現させる。
取り出された剣は無数の微細なポリゴンを従えて具現。リューグの手に、装飾の省かれた無骨な直剣が収まる。
片手剣Bランク《武剣・ハイランダー》。ひたすら戦闘用に作られた、敵を屠るためだけの無慈悲な刃。
リューグの今持つ剣の中で高い耐久度とクリティカル率を十%上昇させる効果を持つ剣が右手に納めると同時に《貫く王の雷槍》から手を放し、竜の頭上にまで上がった身体が虚空に投げ出され、再び自由落下に入る。
即座に竜の視線が中のリューグを追う。リューグとリビアサレム・ドラゴンの視線が交錯し、リューグが剣を構え、リビアサレム・ドラゴンがその背に生える二つの翼を大きく広げる。飛び上がる気か、あるいは羽ばたきによる衝撃波攻撃か。
どちらにしろ、空中では大した対応はできないし、それはリューグの仕事ではなく――
「空に逃げるか、あるいは風を起こすかは知らんが――――させんよ」
◆ ◆ ◆
宣告。それと同時にヒュンケルは両手に握る《討狼の銀銃》と《竜牙の黒銃》を構え、無造作に、無感動に銃爪を引く。
一切の容赦もなく、微塵の遠慮もせずに、両銃に装填された全弾を一斉掃射。
無数の銃弾が竜の翼を撃ち抜き、広げられた翼に無数の穴が開く。リビアサレム・ドラゴンが翼を穿たれた痛みに嘶き、蓄積された敵意がリビアサレム・ドラゴンの視線をリューグからヒュンケルへと移行させる。
自分に向けられる威圧的殺意と、今にも襲いかからんとする竜の敵意を向けられながら、ヒュンケルは僅かに口角を上げ、リビアサレム・ドラゴンを嘲笑うように両手の銃を送還し、アイテムウィンドウから新たなアイテムを召喚――具現させる。
翳す左手に具現したのは、手のひらに収まる大きさをした、紫の光を発する刻印が施された黒球。右手には漆黒の闇に染められたような、リボルバーの形をした大口径の銃。
「お前は運がいいな、蜥蜴」
黒銃を水平に構えながら、ヒュンケルはうっすらと笑いながら左手の黒球を掲げながら、静かに「解放」と呟く。
「なんせ、一度に二つもの伝説級武具を相手にできる事態など、そうそうないぞ。だから――ありがたく受け取るがいい!」
黒球が纏う淡い紫光が力を増し、妖しげな輝きを放ちその形が液状に崩れていく。液状と化した黒球は虚空をたゆたい、ヒュンケルの黒銃を包みこむように幾重もの円陣を描いていく。形を成した円陣に描かれる幾何学模様――それは強大な魔術術式が明滅する。
――伝説級武具《魔眼穿つ砲銃》。
ヒュンケルの持つ、もう一つの伝説級武具。巨大なる魔神の魔眼を貫いた、光の神が用いた弾。その名を冠するのが《魔眼穿つ砲銃》。武器分類は銃と銃弾の二つ。黒い銃と黒球、二つ一組の伝説級武具だ。
消耗品扱いである銃弾の中で、唯一所持数が減少することがない弾丸は、使用数制限がない代わりに膨大な量のMPを対価に使用することができる。一発につき最大MPの三割を以て討ち放たれる魔弾を、ヒュンケルは撃ち放つための銃を構えて標的を見定める。
《貫く王の雷槍》とは違い、《魔眼穿つ砲銃》には追尾性能がないため、こればかりはヒュンケルの腕前を以て敵を狙う必要がある。残りMPは最大の四割弱。MPポーションを使用するには術技後硬直時間がかかり過ぎる。硬直が解けるよりも早く、リビアサレム・ドラゴンは被ダメージ硬直から解放され、硬直で動けぬヒュンケルを容赦なく蹂躙するだろう。
そうなれば宙空にいるリューグは生き延びたとしても、ヒュンケルの必死は免れないだろう。それだけはあってはならない。
だが、ヒュンケルの手に握られている銃は、この〈ファンタズマゴリア〉に取り込まれた日から扱い続けてきた得物。すでにシステムアシストによる狙撃補正に頼る必要もなく、ただの目測だけで《距離》を把握し、五感で《風や重力》の影響を計測し、その上で標的に弾丸を叩きこめる自身が、ヒュンケルにはあった。
(……何より外すわけにはいかない。生き延びるためには、次の手で決めなくては――)
リビアサレム・ドラゴンのHPは最早残り僅か。要はどちらが先に攻撃に転ずれるか。ただそれだけの違いで生死が分かれる。
それと同時に、このクエストはクエスト受託者であるリューグがリビアサレム・ドラゴンを倒さなければいけない。
だから自分がとどめを刺すわけにはいかない。
たとえ止めを刺せる状況であったとしても。止めを刺さねばこちらが死ぬ状況であったとしても――だ。
そして何よりも、ヒュンケルはもう一度見てみたいのだ。
かつてこの〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった頃、リューグとヒュンケルの二人が挑み価値をもぎ取ったあの時の快感と、リューグがあの剣を手に入れる――その姿を。
(自分の目で、あの光景を生で拝めるのならば――)
そのためだけに、このクエスト挑戦に協力することを快諾した。親友でなければ、こんなS級モンスター討伐クエストに二人で挑むなどという馬鹿げたことに手を貸すことはない。
(――故に!)
あの場所にリビアサレム・ドラゴンを拘束する。リューグが頭上にいるあの場所から、彼の竜を一歩たりとも微動だとさせない。そして、それは並の銃でも魔術でも叶わない。かと言って、防御貫通と高クリティカル率を誇る《貫く王の雷槍》では倒してしまいかねない。
結果、ヒュンケルが導き出した答えを可能とするのが《魔眼穿つ砲銃》。高圧縮のエネルギー弾を打ち出す《魔眼穿つ砲銃》は、撃ち出した銃弾による《直撃ダメージ》の他に、地形着弾による《余波ダメージ》というものが存在する。
本来イベントなどで城や防衛地に設置されている大砲などに多く設定されているもので、大砲が撃ち出した砲弾が地面に着地した際に生じる爆発によって発生するダメージ判定だが、《魔眼穿つ砲銃》の撃ち出す高圧縮エネルギー弾も、標的以外に命中した際に生じる爆発で、それと同じ判定が生じるように設定されている。
これにより、《魔眼穿つ砲銃》はエネルギー弾を標的に直接ぶつける単体攻撃と、標的付近の地形に着弾させることでその周囲にダメージを拡散させる範囲攻撃を行うことができる。
(狙うは足元、竜の正面四メートル――!)
狙いを定め、ヒュンケルは銃爪を引いた。同瞬、ヒュンケルの手にする黒銃を覆う巨大な円陣の輝きが最高に達する。暗色の輝きが膨張し、次いで一気に集束。そのすべてが黒銃の銃口に集い、黒球と同サイズの光球と化し、一瞬の静寂を置いて――それは轟音と共に解放された。
紫の光は一条の閃光と化し、撃ち放たれた次の瞬間には、その光の先はリビアサレム・ドラゴンの足元に着弾し巨大な爆発を起こしてその内蔵エネルギーを爆散させる。
闇色の極光が炸裂し、エネルギーは衝撃波と化してすぐ目の前にいた竜を直撃した。目の前で起きた爆発と、それによって生じた衝撃波の影響を受け、竜の身体は再び傾ぐ。
《魔眼穿つ砲銃》の《余波ダメージ》を受け、リビアサレム・ドラゴンのHPバーがわずかに減少する。被ダメージ硬直が僅かに発生。竜の身体はその場で停滞し、それを確認したヒュンケルは術技後硬直時間に晒されながらリビアサレム・ドラゴンの頭頂にまっすぐ降りてくるリューグに向けて叫ぶ。
「今度こそ決めろ!」
◆ ◆ ◆
ヒュンケルの声が耳朶を叩く。彼の叫んだ言葉の真意を、リューグはしっかりと理解しながら手にする剣に力を込めた。
おそらく、これがリューグとヒュンケルの二人が生存したまま勝利することの出来るであろう、正真正銘のラストチャンス。この機を逃せば、良くてリューグかヒュンケル、どちらかが死亡、最悪二人揃ってご臨終という事態も想像に難くない。
それほどまでに竜系モンスターは、ひいてはリビアサレム・ドラゴンは強い。戦闘を開始して優に数十分が経過している中、ほとんど無傷で済んでいるのは奇跡と言っていいだろう。
奇しくも此処がゲーム時代の〈画面の向こうの世界〉のような、死んでも経験値ペナルティと所持品と所持金の損失という代償を払えば復活する――という概念が失せた今の状況が、ゲーム時代のリューグやヒュンケルよりも、今の〈もう一つの現実世界〉の日口理宇と吾妻向吾のほうが一回りも二回りも強くなったという結果が成せる、死にたくないという意志と、その意志を成し遂げるためにひたすら修練を積み続けたという努力が生み出した奇跡故のことだった。
しかし、その結果が生み出した恩恵ももう打ち止めだろう。ヒュンケルは《魔眼穿つ砲銃》を使ったことによる術後硬直状態にある。《魔眼穿つ砲銃》の使用による術技後硬直時間は優に十秒弱。それだけの時間敵の目の前で無防備な状態でいたら集中攻撃の良い的だ。
そしてリューグもまた、多技の連発による大量のMP消費に、対竜系モンスター戦闘の圧倒的な優位性を保証する《対竜兵装》を失っているし、すでに回復ポーションは指で数える程度。これ以上の戦闘継続はほぼ不可能な状態だ。
だからこそ、この一撃で終わらせなければいけない。このクエストは限定クエストであり、この機を逃したら二度と受託することが出来ないかもしれないし、他の誰かによってクリアされるかもしれない。それだけは何としても避けなければいけなかった。
今の日口理宇が、かつてのリューグに並ぶには、このクエストクリアが必須なのだから。
目前に迫るリビアサレム・ドラゴンの頭部。そこに目掛けて導かれるように落下するリューグは、手に握る《武剣・ハイランダー》を構えて、決して外すまいと意識を集中し――タイミングを見計らって、着地と共にアーツ・スキルを選択。
片手剣奥義アーツ・スキル《メルフォース・ドライブ》。
全MPを消費して攻撃する片手剣の奥義が一つ。消費するMPが多ければ多いほど、その威力を始め、必中率の最低数値やクリティカル率を上昇させる単発剣技が、リビアサレム・ドラゴンに向けて放たれる。
リューグの残ったMPすべてを注ぎ込んだ《メルフォース・ドライブ》が発動し、剣身全体が赤い光を立ち昇らせ、猛々しい闘気を纏った剣が大上段から渾身の力で振り下ろす。
「うおおおおおおおおおおぁぁ!」
咆哮と共に、赤光に包まれた剣が竜の頭頂を強打した刹那――目が眩むほどの輝きと衝撃が炸裂し、剣を包んでいた光が斬りつけた頭から天に立ち上るように解放される。
それと同時にリビアサレム・ドラゴンが全身を大きく振り回して悶え苦しみ出し、思わず耳を塞いでしまいたくなるような絶叫を上げた。
「うわっ!?」
あまりの揺れに、リューグは体勢を崩してリビアサレム・ドラゴンの上から空中に投げ出される。視界が反転し、天地が逆さまになる中――リューグはそれを見て竜の悶絶の意味を理解する。
HPバーが――そこに記されていた数値がゼロになっている。その意味をしっかりと脳が理解するのに数秒の時間を要し――理解しきった刹那、リューグは着地の態勢を取るのも忘れてぐっと剣の握っていない左手で握り拳を作った。
それとほぼ同時に、絶叫したリビアサレム・ドラゴンの動きが急静止し、一瞬のタイムラグの後爆散――大量のポリゴンとなり、微細なライトエフィクトを周囲にまき散らしてその姿を徐々に霧散させていく。
その様子に、リューグはいよいよ感極まって歓喜の叫びを上げようと大きく息を吸い込み、
「おい!? 着地――」
というヒュンケルの声が聞こえたのとほとんど同時、リューグは頭から地面に垂直落下を決め、
「うぎゃ!?」
情けない悲鳴をその口から漏らしてしまい――S級竜系モンスターを討伐した勇者の威厳は形を成すよりも前に瓦解した。
◆ ◆ ◆
「いたたたたた……」
「なんとも格好の付かない締めくくりだったな」
頭を抑えて未だ痛みの残る頭をさするリューグに、ヒュンケルは普段気難し気に歪めた渋面を僅かに綻ばせてそう茶化した。
「そう思うんなら、もっと早く言ってくれればよかったじゃないか」
むっと表情を顰めるリューグの言葉に、ヒュンケルは聞こえないというそぶりで頭を振った後、
「此処が異世界で、更にステータス補正という恩恵のある世界でよかったな。もし此処が現実の世界であったのなら、あの高さ、あの速度で頭から落下した場合、助かる見込みはそれこそゼロだっただろう」
「慰めになってない言葉をありがとう、親友――さて」
ヒュンケルの冷ややかな応酬におざなりな返答をしつつ、リューグは徐に立ち上がって、地面に横たわっているソレに歩み寄った。そして瞬時にアイテムウィンドウを開き、そこに納まっているイベントアイテムを顕現させて手に取った。
「あとは、こいつをこの頭に突きたてれば終了だ」
リューグの手に握られているのは、一振りの剣だった。穢れを知らない、一切の装飾が施されていない純白の剣身を持つ、刃長七〇センチ程度の剣。武器分類するのなら片手剣、と言ったところだろう。
それを握り、リューグは目の前に堂々と横たわったオブジェ――先ほどまで戦っていた、リビアサレム・ドラゴンの頭部を一瞥し、「よっと」という掛け声と共に軽く跳躍――その竜の頭の上に音もなく着地して、僅かに視線をヒュンケルへと向け、
「――やるぞ……」
「――ああ……」
わずかに一言、そう交わし合う。
リューグは竜の頭の上で静かに剣を逆手に持ち変える。
ヒュンケルは、ただ黙ってその様子を下から見守っていた。
二人を無音の静寂が包むこと、数秒。
「――――――…………はぁ……ああっ!」
わずかな呼吸の後、リューグは気迫と共に手にした剣をリビアサレム・ドラゴンの頭へと突き立てた。
ザクリッ……
音と共に、リューグの握る剣が根元まで深々と突き刺さり――次の瞬間、剣を突き立てた場所から大量の血飛沫が噴き出した。
常人ならばそのあまりの量に驚いて退くだろう――しかし二人は微動だにせず、リューグは剣を突き立てたままもろに血飛沫を全身に浴び、ヒュンケルは噴出の勢いを失って雨のように降り頻る血飛沫にその白髪を濡らして赤く染め上げる。
何処からか、獣の遠吠えのような声が聞こえた気がした……
噴水のように噴出し続けていた血飛沫が徐々に勢いを失っていく。それでも二人は微塵も動こうとせず、ただ突き立てた剣を、それを濡らす血飛沫を見据え続けていた。
そしてついに血が吹き終えたのだろう。流れる気配すら失せた血潮の代わりに、突き立てた純白の剣が淡い光を発し――リューグはそれを待っていたといわんばかりに突き立てた剣を勢いよく引き抜いた。
ぶしゅ……と、わずかに血が噴き出すが、そんなことなど気にならないのだろう。剣を引き抜いたリューグも、その様子を見守っていたヒュンケルも、その表情に確かな満足の色を讃えていた。
リューグの天へ向けて掲げられた右手に握られているのは、先ほど突き立てた純白の剣とは似ても似つかない、何処か禍々しく、同時に何処か神々しい気配を纏う、無骨な装飾の施された、白銀の剣身に血の色に染まったような刃を持つ一振りの剣があった。
それと同時に、リューグとヒュンケルの意識上のシステムウィンドウに『クエスト【聖人の屠竜】をクリア。プレイヤー:リューグが《竜血に染まる法剣》を入手』というシステムメッセージが表示され、二人は恐る恐ると言った様子でお互いの目を見――そして次の瞬間飛び上がらんと言うばかりの歓声を上げた。実際、リューグに至っては思い切り飛び上がっている。
「いぃぃぃいいよしゃぁぁああああああああああああ! 伝説級武具《竜血に染まる法剣》ゲットオオオオオオッ!」
「ふう……これで当初の目的は達成というわけだな!」
剣を手にしたままリューグは地面に降り立ち、空いている側の手でヒュンケルとハイタッチを交わす。
全身を竜の血に染め上げた男二人が揚々と騒ぐその様子は酷く凄惨なものに見えるが、今の二人には大した問題ではなかった。
今二人にとって重要なのはたった一つ。
《貫く王の雷槍》。
《魔眼穿つ砲銃》。
そして《竜血に染まる法剣》。
この三つの入手を、リューグとヒュンケルが成し遂げたという事実。
まだ〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった頃、二人がそれぞれ手にしていた伝説級武具をついに取り戻したという、かつての――ゲーム時代のリューグとヒュンケルに追いついたという、その現実のみが、今の二人にとって大切なことだった。
「よっしゃあ! 今日は食う! ヒューゴ、飯食いに行こう! クエスト報酬でガルドもたんまりだし、思いっきり贅沢と行こう!」
「馬鹿が。こういう時こそ、今後のことを考えてためておくものだろう。お前の浪費癖は前から並みならぬ者があると思っていた。丁度いい機会だ、リウ。お前にも金のありがたみというものを――」
「そういう話は帰ってからにしよう! 今は伝説級武具三種の入手達成を祝してドンチャン騒ぐことだけを考えるんだ!」
「人の話を聞かんか、この馬鹿リウ!」
「後で聞いてあげるっていてるだろう! さあ凱旋だ! 今日という日に乾杯しよう、親友!」
「だから人の話を――」
そんな掛け合いをひたすらに繰り返し続けながら、二人は壮絶な戦いを繰り広げたリビアサレム山脈から、意気揚々と下山して行くのだった。
リビアサレム山脈のドラゴンが、たった二人の冒険者の手によって討伐されたという話は古都ユングフィを瞬く間に駆け巡り、また、それを成し遂げたのがリューグとヒュンケルという名を持つ者たちだという事実に、〈ファンタズマゴリア〉に取り込まれたプレイヤーたち――《来訪者》の間を震撼させたのは、それから数日の後の話だった。
〈ファンタズマゴリア〉のプレイヤーたちが、自身のPCとなってこの世界に取り込まれてから優に一年が過ぎた今日日、誰もが元の世界に返れないという絶望の最中で、ささやかに待ち望んでいた状況の変化。
その原因たる〈聖人〉と〈賢人〉の暴挙は、一時期の話題となった。
誤字などがありましたらご一報ください。『Act2:《来訪者》』は大学の学祭用長編が書き終わり次第執筆。今月内を目途に製作します。