Side2:Kusanagi Side3:Syaldonia
剛刀が振り下ろされると、その刃は分厚い漆黒の鎧ごと敵を両断した。
それは刀という武器を使った際の流麗な一閃ではない。最早暴風の如き容赦のない無慈悲な、力に任せた荒々しい一撃であり斬撃だった。
草薙の振るう刀に技はない。
ただただ強力な力を宿す刀を、己の戦闘本能に従ったまま力任せに振り抜いているに過ぎない。
しかし、それでいいと草薙は思う。
敵を見つけ、敵に近づき、敵を斬る。
ただそれだけでケリがつく。
現実であろうがゲームの中であろうが、草薙自身の持つ絶対通則はどうあろうと揺るがない。
敵と対峙したのなら、どちらかの命が尽きるまで戦い続けるしかない。
そうして出来上がるのが屍の山。四散し霧散するポリゴン片の嵐が、彼の勝利を飾る花となる。
「ふむ……」
感慨も何もないまま、草薙は小さく嘆息した。
これで四十二。
それが、彼の手で散った命の数だ。そこにモンスターもAINもない。向かってくるなら容赦はしない。モンスターだろうが、AINだろうが、《来訪者》であろうが、だ。
「草薙」
新たな敵を求めて視線を巡らせていた草薙の背に声が掛かる。その声に敵意はないことを察し、草薙は振り返って声の主を見――諦観の吐息を漏らした。
「――羽々斬」
「貴方の敵ではなくて申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にしているが、そこに謝辞の意識は微塵もなく、また悪びれた様子もなく、和装の女は手にした刀を鞘に納めて彼に歩み寄る。
そんな彼女に、草薙は視線だけで一瞥し、嘆息した。
「構わぬ。雑魚を散らしているに過ぎんからな」
事実である。
遭遇する敵こそいれど、その力は草薙にしてみればどれも同じ。いちいち相手にするのも煩わしい程度の相手に過ぎない。
「刀の錆にするのも馬鹿馬鹿しいな」
「貴方が高次元すぎるだけだと思いますが?」
羽々斬のその言葉には答えなかった。だが、それは否定をするのが面倒だったに過ぎない。
彼女の言葉通り、草薙という《来訪者》はMMORPG〈ファンタズマゴリア〉においても、異世界化した現状においても、その戦闘能力のすさまじさは常軌を逸し、他の追随を決して許さぬ存在である。
超越者の集いである《十二音律》においてもそれは変わらない。草薙という存在は彼の異常者の集会においてもある種《異端》であるのは間違いないのだ。
この世界に存在する《来訪者》の中で絶対の強者の代名詞と言っても過言ではないだろう。
そして、草薙自身がそれを自負している。
自分には誰も及ばない。脅かすものは存在しない。
故に、このユングフィにいる多くの《来訪者》が恐慌する中でも、彼は何の感情の揺さぶりもなかった。
あったのだとすれば、それはただの悲観である。
これほどの騒動であっても、草薙の心を高揚させるものは何もないのだ。
「心ここに非ず、ですか」
「この程度の相手しかいないのであれば、私がいちいち注視する必要はあるまい」
言葉を返しながら、草薙は無造作に刀を薙いだ。ただそれだけで、襲いかかってきた狼の姿をしたモンスターが両断される。短な断末魔を残して虚空で停滞した狼の身体が、けたたましい破砕音と共にポリゴンの欠片となって四散する。
そうして散り行くポリゴンを一瞥し、草薙は断ずる。
「話にならんな」
「そのようで」
羽々斬が肯定の意を示しながら、自分の手元にウィンドウを表示した。そして手早く指をキィに走らせると、彼女は何事もなかったかのようにそのウィンドウを閉じ――言った。
「此処から西に百メートルほど向かったところに、モンスターの集団を確認。また、南西のほうに複数のAINが《来訪者》を襲撃しているようですね」
「ほう……」
ほんの数秒の内にそれほどの情報を収集した彼女の技量に。草薙は感嘆の吐息を漏らす。
(さて……どちらに向かうべきか)
単純に言えばどちらでもいいというのが率直な感想だ。唯一の疑問は、どちらに向かって楽しめるか、である。
いや、どちらに向かっても同じことな気もする。所詮自分を楽しませる存在など、この都市に現れるとは思えない。
「――ならば、近い場所から向かうとするか」
「了解しました。では、先導します」
「――頼む」と言いかけて、草薙は前を行こうとした羽々斬の手を取り、引き寄せた。何事かと驚愕に目を剥く羽々斬だが、次の瞬間彼女の立っていた場所に巨大な斬撃が駆け抜けた。
寸前まで自分がいた場所の地面――本来破壊不能オブジェクトである石畳を斬砕した斬撃にあらゆる意味で目を瞬かせる羽々斬を余所に、草薙は彼女を無言で後ろに下がらせながら前へ出た。
「何者だ」
尋ねながら、草薙の口角が吊り上る。
愉悦が、心に踊った。
そして随分と心地よい殺気を感じ、視線はその気配を追って主を見定める。
ゆらり……
それは、まるで幽鬼の如くそこに立っていた。あるいは、剣鬼……か。
漆黒を纏ったその剣士は、悠然と街道に佇んでいる。その手には目を奪われるほど禍々しさを宿した刀が握られている。
思わず、自身の刀――伝説級武具《布津御魂剣》を握る手に力が籠った。
――強い。
そう、本能的に察した。
目の前に立つこの男は、自分の知る存在する強者たちに並ぶほどに強い。
先ほどまでの悲観はいつの間にか掻き消えている。
油断は掻き消えた。
腰を落とし、そっと刀の柄を両手で握り正眼に構える。
それは返答だった。
先ほどの男の刀撃。あれは挑戦状だったのだと草薙は感じていた。
そして、それが正解なのだと理解する。
草薙の構えを、ある種の返答と感じ取ったのだろう。対峙する男の口元に三日月が描かれる。草薙とはまた種を異とする、しかした間違いない愉悦と――享楽の笑み。
察する。
この男は自分と同種なのだと。
戦いそのものを生き様とし、強者との戦いのみで自らの教示を示すことができる――そういう種類の人間。
男がゆっくりと刀を持ち上げ、それを肩に担ぐように構えを取った。
同時に男の全身から発せられるおびただしい殺気。濁流の如く身体を打ち抜く気圧を心地良いと思う。
「羽々斬、下がっていろ」
「承知しました」
草薙の言葉に、羽々斬は迷いなく応じて距離を置くように退いた。彼女自身も感じたのだろう――自分の及ぶ領域ではない、と。
羽々斬が離れたのを気配だけで感じ取り、草薙は男を見据えた。
長い黒髪の間から覗く真紅の双眸が獲物を狙う獣のそれに思え、やはりその気配すら心地よいと思う。
自然と、草薙の口が開かれた。
「――草薙・タケハヤだ」
そう言って草薙は男に向けて嗤い掛ける。
「名を名乗れ、若造。戦場の習わしだ」
その言葉に、幽鬼は愉快気に声を上げて名乗った。
「ディミオス。ディミオス・アルアだ――会えて嬉しいぞ、同類」
「私もだ」
自分もまた、幽鬼――ディミオスと同じ笑みを浮かべているのを実感しながらそう返した。
言葉が交わされたのはそこまでだった。
というよりも、此処からはもう言葉は不要だった。
最早言葉で交わせる領分は終わっている。
後は――刀で語ればいい。
草薙とディミオスが同時に地を蹴った。両者の距離が瞬く間につまり、お互いが間合いに相手を捉えると同時に――刀が閃く。
衝撃が弾け飛ぶ。
超神速の斬撃と斬撃の衝突し、その間に生じた空気が斬撃の威力で弾け四散する。拮抗した衝撃が周囲に走った。
二人の口元の愉悦が大きくなる。鍔競り合う姿勢になったのはほとんど一瞬。次の瞬間には二人の刀が霞んだ。
一撃の交錯では終わらない。一合二合三合……立て続けに刀刃が激突した。
火花が散り、金属音が連続する。割って入ることは到底適うまい。それどころかあの二人の間に割って入ろうものなら、瞬く間に二人の刀撃の余波でズタズタに切り刻まれるだろう。
観戦に徹する羽々斬がそう感じている最中、二人の刀舞は更に勢いを増していく。
まるで暴風雨の如き刀撃は勢いを留めない。
誰にも阻むことの敵わぬ斬撃の嵐が、ユングフィの街道で荒れ狂った。
◆ ◆ ◆
一矢放つ。
弓の弦を引き絞り、放たれた矢は吸い込まれるようにして影が具現したような異形を貫いた。
矢を受けた異形は、まるで風船が弾けるように消失する。ポリゴンが爆散するはずのモンスターが、そうでない消失をする。どうやらただのモンスターではないらしい。
シャルドニアは手にしている巨大な漆黒の機械仕掛けの大弓に新しい矢を番え、遥か遠方にいるモンスターを見つけると、それを標的と見定めて弦を引く。
キリキリキリ……と、張られた弦が弾く力に比例して音を上げた。
矢と標的。
それは点と点。
即ち始点と終点。
それを結ぶように視線で一本の線を引くように、シャルドニアの意識はただ矢を摑む指先と、標的のみに集中する。
――必中必殺。
ただそれだけを意識して矢を引き絞り――そして放った。
ビュン!
凄まじい風切り音を引き連れて放たれた矢は、まるで意志を持っているかのような軌跡を描いて標的へと飛んだ。
距離にして六〇〇メートル余り。そして〈ファンタズマゴリア〉のシステムアシストで得られる射撃の自動修正距離の最大は二〇〇メートルと言われている。およそ三倍もある距離を隔てながら、シャルドニアの放った矢は寸分違わず標的へ食らいついた。
白銀の鏃が異形を穿つ。再び僅かの間をおいて、異形の身体は破裂するようにその形を霧散させる。
「ふぅ……」
吐息を零した。
すでに三十分以上同じ行動を繰り返して溜まった疲労を、その一息に込めて吐き出すような長い長い吐息を経て、シャルドニアは再び視線を全方位へと巡らせた。
クラス〈射手〉の固有スキル《鷹の目》を発動させる。瞬間、シャルドニアの視点が人間の視点から一転し、上空から自分を見下ろすような特殊な視点へと変化する。
視界の遥か彼方に自分が青く明滅する。そこを中心に全方位数キロ単位がまるでレーダーのように広がり、その視界の中に無数の赤い点と緑の点が光った。
緑は《来訪者》を現す点であり、赤はこちら側を敵と識別しているモンスターやAINの存在を意味する光だ。
その中で自分の点から最も近い点を探し出したシャルドニアは、一度目を閉じて発動していた《鷹の目》を終了させ、再び目を開いた時には元の自分の視界へと戻っていた。
そして最も近い標的を定める。
弓に矢を番えて、振り返り様に射掛けた。
標的のいない空間へ目掛け矢が飛び、刹那、漆黒の鎧に身を包んだ騎士が姿を現し、シャルドニアの放った矢がその騎士の面の間を見事に射抜いた。
矢を射られた騎士が小さな苦悶の声を上げて落下するのを見送り、嘆息一つ。
しかし休憩を許さぬように、新しい黒騎士たちが現れる。数は三人。シャルドニアは鬱陶しげに肩を落とした。
「……まったく、よくもまあ上ってくる気になるわね」
そうぼやいたシャルドニアは新たな矢を番え、脳裏のスキルウィンドウを開いてスキルの一つを選択する。
番えた矢が青白いライトエフィクトに包まれるのを確認しながら、弓を水平に構えて射出する。
弓術中位アーツ・スキル、《狩閃・水穿ノ三矢》。
撃ち出された矢が、まるで水面に沈むように姿を消した。否、放たれた矢は屋根の下を駆け抜けているのである。
そして屋根に上ってきた騎士たちが腰の剣や斧に手を伸ばした刹那、地面――騎士たちの足元から蒼矢が三つ射出されて騎士たちの身体を穿った。
穿たれた騎士。悲鳴が三つ上がる。
そしてその悲鳴が上がり切るより先に、彼らは今まさに上ってきた道を戻っていった――というか、落下した。
「お疲れ様」
別に嘲る風でもなく、冷ややかな面持ちでそう告げるシャルドニアは新しい矢を番えることはせず、機械弓を担ぎながら迎えの屋根へと向かって跳躍した。
軽快な跳躍で、しかし十メートル弱ある間隔を飛び越えたシャルドニアは、手元にウィンドウを表示しながらアイテム欄と装備欄を並列にオープン。
装備欄のサブ装備――矢筒の中に納められる矢の数を確認する。一〇〇本を収納する矢筒に収納した矢の残数は残り四十八となっていた。
「だいぶ使ったわね」
(……まあ、戦争イベントじゃいつものことね)
そう胸中で呟くも、勿論現状がMMORPG〈ファンタズマゴリア〉における戦争クエストでないことは理解している。
ポリゴンの爆散を起こさないモンスターは、確かリューグとヒュンケルが遭遇したというAINが生み出したバグを宿したモンスターだというのは想像できる。
しかし、漆黒の騎士に関しては情報がない。このような存在はシャルドニアの知る〈ファンタズマゴリア〉には存在しないはずなのだが……まあ、考えても仕方がないことだろう。
「矢を射る練習のつもりだったのにね……」
元々シャルドニアが〈ファンタズマゴリア〉を始めた理由は大したものではない。
単純に弓の練習、というだけのことである。勿論ただボタン操作だけで弓を構え、矢を番え、放つだけの操作にそれほど意味があるとは思えないが、遥か遠方の的に向けて矢を当たるという訓練にはなるだろうと思って始めただけなのだ。
シャルドニアこと石動日向は古くから伝わる弓術の名家であり、日向はその家の長女として生まれた。
しかし、弓術の名家に生まれたからと言って、別に生まれた時から弓術を修めていたわけではない。というよりも、日向にとって弓術とは興味もなければ、親に縋って倣おうと思うようなものでもなかった。
むしろ古臭い、時代遅れの武道というものは好みではない。倦厭したほどではないが、実際やりたいと思うようなことではない。
それでも彼女が弓を手にすることとなった理由は、別に劇的な出会いがあったわけでもなく、単にそれが当たり前だったに過ぎなかった。
古臭いと思う。興味が湧くものでもない。
――だが、そんな自分の想いとは裏腹に、物心ついた頃にはとっくに弓を手にし、矢を番え、的に射ていた。
まるでそれが当たり前のように、その行為をひたすら反復していた。
それだけに過ぎない。
それで結局こんなゲームの中でも弓を選ぶ自分が滑稽だとも思うが、それが悪いとは思わない。
どれだけ遠くの的に当たられるかということを追求し続け――気づけば《十二音律》などという〈ファンタズマゴリア〉における超越存在に名を連ねてしまっていた。
まあ、悪い気はしないが、正直分不相応なのではないかという疑念はいつも抜けない。
挙句自分のPCに自分の意識が取り込まれるのは予想していなかったが、まあ、これはこれで修練にはなると思う。
現状に関しての認識も、石動日向にとってはその程度である。
「まあ、なるようにしかならないし」
今は現状を切り抜けるよう尽力を尽くせばいい。そう胸中で自分を納得させ、シャルドニアは億劫そうにウィンドウを閉じる。
弓を手に新たな矢を番えた。
標的は幾らでもいる。
再び《鷹の目》を発動させながら、シャルドニアは肩を竦めながら標的を射抜くべく矢を放った。
今回は草薙とシャルドニアさんのターンでした。
当然ながら《十二音律》全員に活躍してもらおうなどとは思ってません。そもそも戦闘とっかではない生産系の方々だっています。
あ、でも安綱さんは戦えそうですね。どうしようか考えてみます。
では次話Side4以降も頑張れたら今月中に投下してみます。
ではこれにて。ノシ