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リ=ヴァース・ファンタジア  作者: 白雨 蒼
二章『トラディメント・スコア』
15/34

Act14:《十二音律》

   

 どのような攻撃を受けようと、《来訪者ビジター》たちの身体は傷つくことはあっても、出血という演出は本来存在しない。

 どれだけ剣で切られようが、槍でつらぬかれようが、魔術で焼かれようとも――痛覚フィードバックによって痛みを感じることはあっても、傷も生じなければ出血も起らない。だから、被傷部位を見てもそこに怪我を負ったという実感が薄くなるのが〈ファンタズマゴリア〉における《来訪者》の身体的特徴の一つである。

 いや……あったというべきかもしれない。


「……なに……これ?」


 それはあまりにも間抜けな一言だっただろう。

 傷を負えば痛む。

 怪我をすれば血が流れる。

 それは別におかしいことでも、ましてや特別なことでもない。極々当たり前な人間の身体の特徴。心臓が動き、血液が体の隅々まで循環し、それによって生命活動を行っている生き物であるのならば――考えるまでもない当然のことだ。

 しかし、この〈ファンタズマゴリア〉という異世界に身を落として以来、彼らは《来訪者》として生きてきた。

 そして、《来訪者》とはMMORPG〈ファンタズマゴリア〉で《来訪者》たちの本来のあるべき姿――プレイヤーがEVDを通じて操っていたPC(プレイヤーキャラクター)そのものである。

 当然ながら、どれだけのダメージを受けようと出血することもなく、身体のどの部分も破損することはない。ダメージを負って生じる被害はただの一つ――HPの減少というそれだけだった。しかし――


 ――どろり……


 攻撃を浴びたのは右腕だった。

 黒衣に身を包んだ異様な刀使い。その男の放った目にも止まらぬ斬撃を躱し損ねて浴びた一刀。走った痛みに眉を顰め、表情を苦悶に歪めるのはこれまでに何度となく体験してきたことだ。

 しかしその次に起きた現象は、今が戦闘の只中であるということを忘れされるほどの衝撃があった。

 赤い、赤い液体が幾筋も走り、ぽたり……と一滴地面へと落ちて弾ける。流れる赤い液体が伝った腕。その先の掌と槍の柄が濡れて握りが緩くなる。

 流れる赤い液体――自分の血に染まる掌と槍を見て少女が呆然とするその横で、幾つもの悲鳴が連続した。

 ゆっくりと、視線が悲鳴の聞こえた方向に向けられ――同時にその意味を理解する。

 黒衣の一団と対峙していた聖騎士(パラディン)の少女の仲間たちが、皆身体の各所に手を添え、そこから溢れ出る流血を凝視し、当惑と混乱に駆られ、彼らは目の前に立つ敵の存在すら忘れて絶叫を上げていた。

 そして、それは次の瞬間断末魔へと形を変える。

 自分たちの身体に起きた異変――いや、本来なら当然である肉体の損傷。そこから生じる傷相応の激痛に苛まれて恐慌に陥った《来訪者》たち目掛け、黒衣の戦士たちが次々と剣を、槍を、斧を、振り下ろし、貫き、薙ぎ払い、粉砕する。

 鎧を砕き、衣を切り裂き、楯を貫く。

 肉を裂き、骨を砕き、命を奪う。

 最早そこに戦いはなかった。

 〈ファンタズマゴリア〉という世界であり得ない、傷を負い、血を流すという肉体的損害に見舞われ混乱した《来訪者》の一団は総崩れを起こし、敗走するその背を黒衣の一団は容赦なく掃討にかかる。

 悲鳴が次々と上がり、僅かの間隙を置いて幾つものポリゴン片が虚空へと舞った。次々と無為に命が散るその情景を、少女は腕の痛みも忘れて忘我のままに見つめていた。

 すると、


「――何をボサっとしている?」


 低い、冷淡な声が背後から。同時に腹部に鈍い痛みが走り、少女は苦悶に表情を歪め、視線を彼方の惨状から自分の下腹部へと移し――そして、絶句する。

 ギラリと、異様なまでに存在感を主張する銀色の細い何か。一瞬置いて、それが腹部を貫く刀であることを理解し、少女の口から声にならない悲鳴が小さく漏れた。

 ズキズキと痛みを主張する腹部から、徐々に血が溢れ出す。それを成す術なく見下ろしていた少女の耳朶に、「……ちっ」と舌打ちの音が聞こえ――転瞬、

「つまらねぇな……」

 苛立つような声と共に、刀が引き抜かれた。鋭い刃が肉を裂き、腹部から止めどなく血が溢れ出る。

 思わず左の手で腹を抑え、右手に握る槍を支えになんとか背後を振り返ると、そこには険呑な視線で自分を見下ろしている黒衣の刀使いが立っていた。

 その胡乱な態度とは裏腹に、微塵の隙も感じられない立ち姿に、少女は背筋を凍らせた。刀を手にし、その全身を包む金色の縁取りがされた黒衣が風に揺れ、長い黒髪の間から覗く真紅の眼光に全身の筋肉が硬直したかのように動きを奪う。

 幽鬼――否、剣鬼だ。

 少女は、目の前に立つその男を見てそう直感した。まるで戦場に立ち、戦場で戦うためだけに存在し、戦場で剣を振るう――ただそれだけのための存在。

 ――勝てない。

 本能がそう叫んでいた。そして、まさにその通りだと少女は納得した。

 同時に、男の口角がつり上がり――ニタリと三日月のような笑みを浮かべて、少女に向けて言った。

「好い表情(かお)をしている……そうだ、その表情だ」

 男の言葉の意味が分からず、少女は目を瞬かせる。一体、自分がどんな表情をしているというのだろうか。目の前の男が褒めたたえるような表情とは、一体なんだろう。こんな絶望的な状況の中で、とても他者から好感を抱かれる表情など――

 そこで、少女は遅れながらに理解する。

 目の前に立つ男が、常人の価値観など持ち合わせているはずがないということを。

 そして今、この絶望的な状況下で自分が浮かべる表情が――絶望に染まっていないはずなどないということを。

「くく……」と、男が低く嗤った。それは傲慢にして高圧。冷淡であり、冷酷であり、そして残虐な――何処までも悪意に満ちた、悪鬼のような嘲りの笑みだ。

 ふつふつと怒りが湧く。

 このような存在(おとこ)に、何故此処まで軽んじられねばならないのかという男に対しての怒り。

 そしてこんな奴に此処まで嘲られるほどに、無力で無様な姿を晒す自分に対しての怒り。

 絶望が憤怒へと染まり、激昂を生じさせた瞬間、少女は腕の、そして下腹部の痛みも忘れて立ち上がり、腹の底から声を張り上げ、あらん限りの力を込めて手にする槍を突き出す。

 渾身の刺突。アーツ・スキルでもなければ、武器特有のスキルでもなく、クラス専用の特殊な攻撃でもない。本当にただの通常攻撃である突きだ。

 しかし間違いなく、今日の戦いの中で――もしかすればこれまでの闘いの中でも最高の一撃だとすら思える必殺の一撃。

「ほう……」

 男の表情が、嘲笑から感心へと変わる。

 目の前で抜け殻のように腑抜けていた少女の唐突な変化を、まるで称賛するかのように男は微笑んだ。

 嘲笑ではない不敵な笑みが、槍を振るう少女の目に焼きつく。

 時間にすればほんの刹那。おそらくは瞬きの半分。いや、更にその半分にも満たない一瞬の間に――


 少女の槍を握る腕が、槍ごと中を舞った。


「――!?」

 腕を斬断された瞬間、痛みによる悲鳴よりも先に驚愕が少女を襲った。

 男が動いた――そう意識した時には、すでに少女の腕は男の放ったのであろう斬撃によって切り落とされていた。であろう――と思ったのは、少女自身本当に男が刀を振るったのか目視することが出来なかったからに過ぎない。

 そう。男の動きは恐ろしいほどに早かった。

 体捌きは極めて流麗に。静から動へと転じる一瞬の動きの無駄のなさは目が剥くほどだった。だが、それ以上に少女が驚愕したのはその速度。剣術に――いや、武術において存在するあらゆる予備動作のすべてが、この男の動きには存在していなかった。

 極限まで極めに極めた剣術の頂き。それを見せられたような錯覚すら覚える。だから、覚えたのは痛みよりも驚愕だった。そう言うよりも、痛みすら忘れるほど――というのが正しかったのかもしれない。

 少女が眼前の男を――剣鬼を瞠目する。視線の先で、その剣鬼が嗤った。

 その瞳に、笑みに宿っていたのは紛れもない恍惚。それは果たして何に対しての感慨なのかなど、少女には理解し得なかった。

 同時に、男の刀が一閃される。

 そしてその情景を最後に、少女の視界は暗転した。


      ◆      ◆      ◆


 いつも通りに日の光が届かない暗室のような家の中へノックもなしに入って奥に進み、家主の姿を見つけると同時、リューグは半眼になって相手を見下ろしながら溜息を漏らした。

「椅子で寝ないでベッドで寝ろ――っていうのはもう諦めたけど……椅子で寝るのすら止めるのには、流石に物申すぞ。ヒューゴ」

 と、本を始め、新聞や何かの資料の紙束が一面に広がる床に大の字になりながら、顔に分厚い本を開いたまま乗せて眠るヒュンケルを見下ろし、言った。

「だから……現実(リアル)の名前で呼ぶな、馬鹿者が……」

「それはお前が呼ばれないようにすればいいだけだ」

 手近の本を拾って纏めて傍のテーブルの上に積み上げつつ、手に取った本のタイトルを徐に眺めて、

「で、今度は歴史の探求でも始めたのか?」

「んあ?」

 リューグの言葉に、ヒュンケルは横たえていた身体を僅かに持ち上げて渋面を浮かべる。そんな彼に向けて、リューグは手に持った本をひらひらと振って見せた。

 分厚い革張りの本に記されているタイトルは単純に『Historia』と書かれている。リューグの記憶が正しければ、ラテン語で歴史を意味する単語だ。

「……なんでラテン語なんだろうな」

「そんなもの俺が知るか」

 誰にともなく呟いた言葉だったのだが、ヒュンケルはガシガシと髪を掻きながら応じた。わずかの間歴史書をじっと見つめていたリューグだが、まあ考えても仕方がないかと匙を投げ、歴史書をそのまま積み上げた本の上に適当に置くと、未だ床の上に座り込んだままの友人を見やる。

「さて。起きた所で悪いが――」

「お前が勝手に起こしたんだろう……つか、寝かせろ」

「却下」

 友人の戯言を一刀両断し、リューグは呆れたようにかぶりを振った。

「というかお前、もしかしなくても完全に忘れてるのか? それともワザとなのか?」

「何がだ?」

 どうやら完全に忘却しているらしい。いや、単に寝起きで頭が働いていないという可能性もあるのだが、最早現状においてそれはどっちでも構わない。リューグ自身としても、実際今日の用事は忘れてしまいたいのだが、現状ではそうも言っていられない。

 仕方がないと脱力し、リューグは渋々とその名を口にする。


「――《十二音律》議会。今日だぞ」


 その名を口にした瞬間、ヒュンケルはまるでこの世の終わりの見たかのような、言語ではとても表現し難い奇妙な表情を浮かべた。しかし、リューグがそれを笑い飛ばすことはなかった。

 立場が逆ならば、きっとリューグ自身もヒュンケルと同じような心境で、同じような表情(かお)をしたに違いないことが容易に想像できてしまったからである。

 両者見合うこと数秒。しかし二人にはそれが数分にも数時間にも感じられるような沈黙だった。そして、それを先に破ったのは、

「――……行かない」

 要訳口にしたその一言と共に、ヒュンケルは再び床に大の字で寝転がった。あまりのらしくない様に、対峙していたリューグのほうがギョッと目を剥き絶句する。

 そんなリューグに向けて、ヒュンケルは更にもう一度、カッと目を見開いて拳を天上につき上げながら、大音声で宣言を下す。


「絶対に、行かねぇ!」


 そう吠えたヒュンケルに向けて、

「何を男らしく格好悪いことをほざいてるんだ」

 という一言と共に、手近にあった本の山を崩し、ヒュンケル目掛けて崩落させた。リューグの身長ほどあった巨大な本の山が雪崩を起こし、床に寝転がっていたヒュンケルを容赦なく襲う。

 文句も悲鳴も上げる間もなく本の山に埋まったヒュンケルを脇目に見下ろし、リューグはまるで何事もなかったかのように言葉を投げた。

「さっさと行くよ。さもないと――」

「さもないと……何だ?」

 訝しげに首を傾げるヒュンケルに向けて、リューグは清々しいほどの微笑を浮かべ、行った。

「ユウに君のことをあることないこと含めて色々とバラす」

「やめんか!?」

 言った途端、ヒュンケルはこの世の終わりを垣間見たかのような表情で肩を慄かせ、立ち上がって叫んだ。そして、逆にリューグはそんな友の反応を見て、此処にいない少女に同情しながら溜息をつく。

「何もそこまで嫌がらなくても、いいんじゃないか?」

「いいわけがあるか」

 ヒュンケルは憤慨ながら立ち上がる。

「あの女に現実(リアル)割れでもしてみろ。戻った時、どんな目にあるか想像するだけでも恐ろしいだろう」

「まあ独占欲強そうなのは確かだよね」

 何処となく青ざめた様子のヒュンケルの言葉を適当に流しながら、リューグは踵を返し歩き出し、

「じゃあ、立ち上がったついでに行くとしようか」

 笑顔で親友へそう言った。


      ◆      ◆      ◆


 ――《十二音律》議会。

 その名の通り、《十二音律》に名を連ねる十二人のプレイヤーたちが一堂に会し、何らかの協議を行うために設けられる集会である。

 議会の場所は常に同じ。各都市に存在するギルド会館の地下に存在する転送陣。そこを通じることで辿り着くことのできる、極限られたプレイヤーのみが入出することの許されているその場所は、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉でも異質中の異質とされる領域(エリア)――その名も水晶宮(クリアスフィア)である。

 一見すれば何もない、地平線の彼方まで延々と何もない純白の水面が広がる一種の虚空。しかしその空間の中空には幾つもの水晶の柱が浮遊しており、一種の幻想的空間として確立しているこの領域は、元々はゲームの規約に対して違反行為を行ったプレイヤーのPCをGM権限で呼び出し警告をする場所として設けられたシステム側の管理サーバーであり、この水晶宮はその管理者側のサーバーをコピーして作られたものだった。

 作られた理由は不明。そもそもプレイヤーに公開するものとして作られたわけではないこの空間の誕生には、三年前にBBSで《十二音律》の名が列挙されたことから始まった。

 ただの一般プレイヤーたちによる論議でしかなかったはずの《十二音律》。しかし、この話題がBBSに掲載されて半年後、〈ファンタズマゴリア〉の運営側が公式サイトに一つの文面を上げたことで一変する。


 ――即ち、《十二音律》の公式認定である。


 運営側が何を思ったのかは一切不明。目的も思惑も何一つ分からぬまま、それは唐突に行われ、同時に告知されたのである。

 多くのプレイヤーは当然ながら、それ以上に驚愕したのはその《十二音律》に名を連ねた一同であるのは間違いなかった。

 公式公開された《十二音律》のメンバーリストに記されていた名前は、BBSに列挙されたメンバーの中でも特に名の知れた――MMORPG〈ファンタズマゴリア〉をある程度プレイしている者ならば、誰もが一度は耳にしたことのある、超が付く高位のプレイヤーたちばかりである。

 そう。今この場に集っている十二人。多くの〈ファンタズマゴリア〉ユーザーの中から選ばれた十二の至高存在たち。

 純白の空間――水晶宮。その空間の水面に走る波紋の、その中央。浮遊する十二の水晶柱の上に、彼らは悠然と佇んでいた。


 第一番〈荒人神(スサノオ)〉――草薙(クサナギ)・タケハヤ。クラス、剣聖(ソードマスター)

 第二番〈計測者(エラストテネス)〉――テオフラス・ホーエンハイム。クラス、錬金術師(アルケミスト)

 第三番〈賢人(ワイズマン)〉――ヒュンケル・ヴォーパール。クラス、トリックスター。

 第四番〈預言者(ヒミコ)〉――神無(カンナ)・ミカナギ。クラス、精霊使い(コントラクター)

 第五番〈防人(クニヌシ)〉――八雲(ヤクモ)・シラカバ。クラス、聖騎士(パラディン)

 第六番〈審神者(テュール)〉――エスターヴァ・カルナス。クラス、神官(クレリック)

 第七番〈戦乙女(ヴァルキリー)〉――シャルドニア・スフィアリィ。クラス、射手(スナイパー)

 第八番〈忍頭(ジライヤ)〉――佐助(サスケ)・サルトビ。クラス、暗殺者(アサシン)

 第九番〈聖人(ゲオルギウス)〉――リューグ・フランベルジュ。クラス、剣聖。

 第十番〈商人(ヘルメス)〉――ロノロ・アクノム。クラス、産業者(クリエイター)

 第十一番〈鍛主(カナチ)〉――安綱(ヤスツナ)・オオハラ。クラス、鍛冶師(ブラックスミス)

 第十二番〈死神(グリムリッパー)〉――ユウ・ウルボロス。クラス、呪葬鎌使(デスサイズ)


 時計回りに配置された大小それぞれ無秩序な水晶柱の上に立つその面々を、もしも一般のプレイヤー――現《来訪者》たちが拝もうものなら絶句したことだろう。

 それほどまでに、この場に居並ぶメンバーは〈ファンタズマゴリア〉で有名だったのだ。


「――さて、草薙……早々ですまないが、此度の召集の理由、この老いぼれに教えて貰えるか?」


 最初に口を開いたのは安綱・オオハラである。外見年齢はおよそ六十前後。顔に大きな十字の傷を走らせた老獪な鍛冶師である。彼は堀の深い皺の出来た顔を渋面にし、髪と同じ白に染まった顎髭を撫でながら、この場を設けた男を隻眼で一瞥する。

 その視線は一対だけではない。数にして二十二の瞳――即ち、視線を向けられた草薙以外の全員が、無言で彼を視線の先に捉えていた。

 誰もが沈黙を保ったまま、赤毛の男を凝視する。決して言葉にはしないが、誰もが同じ答えを求めていた。

 それこそが、先ほどの安綱の問いであった。

 皆が、この場に召集された理由を無言で問うた。たとえ、その問いに大した意味などないのだとしても――である。

 当然のことながら、この場に集った面々は皆、草薙の《十二音律》召集の意味を大小異なれど把握していた。いや、自ずと理解しているのだ。

 この異世界。あるいは擬世界とも呼ぶべき〈ファンタズマゴリア〉に彼らプレイヤーが《来訪者》として迷い込んでから一年半余り。その一年半の間、何の変化も訪れず、帰る方法を得るということがまるで雲を摑むような状況だったというのに、この近日に至って、突如として巻き起こった幾つもの異常事態。

 今回の召集の理由はそこにあるのだと推測するのは、あまりに自然のことであり、当然のことだった。

「――簡潔に述べよう」

 草薙が口を開ける。


「皆に集まってもらった理由は至極簡単なことだ――昨今の〈ファンタズマゴリア〉を、皆はどう思い、感じているか……それを聞きたくて、この場に集って貰った」


 皆の推測はその言葉によって総意へと変わる。

「思うこと……のう」

 最初に口を開いたのは、地面に届くほど長い黒髪を持つ、神秘的な雰囲気を纏った和装の女性。〈預言者〉の二つ名を持つ精霊使い、神無・ミカナギである。

 切れ長の目で一同を見回し、〈預言者〉はくつくつと声を漏らしながら笑っていた。

「今更、何が起ころうとこの世界は不思議ではあるまいに。我らユーザーたちが、一同に自分の使用していたPCに意識を落とす――などという非現実的現象が、今もこうして身を以て体験しているのだ。これ以上に驚くべきことなど、他にあるというのか?」

 もっともである。

 彼女の言葉に、十一人が僅かに肩を竦めて苦笑した。

 しかし、それも一瞬のこと、

「あると言えばある――だろうな」

 ヒュンケルが口火を切った。皆が一斉に黒衣の魔術師へと視線を向ける。一同の視線を受けた〈賢人〉は眉一つ微動とせずに右手を持ち上げると、手元に幾つかのウィンドウを開いて手短に操作する。

 一瞬後、十二人の頭上に大きなウィンドウが出現した。そして、その出現したウィンドウに表示された映像を見た刹那、それを直接的に相対峙したリューグやユウを除いた面々が目を剥く。


 大きなモニタ。そこに表示された映像に映し出されるのは、ユングフィに建造物よりもはるかに巨大な異形。


 白面を携えた、件の黒身の化け物である。

「ほう……」

 皆が大なり小なり驚愕を画し得ない中、流された映像を見上げて草薙が不敵な笑みを浮かべると、彼は視線を映像からヒュンケルへ移す。

「〈賢人〉よ……あれは、何だ?」

「さあな。俺よりもそっちに聞け」

 草薙の疑問に、ヒュンケルはリューグを顎で指した。途端に、草薙がリューグを一瞥する。視線を向けられたリューグは、酷く居心地悪そうに顔を顰め、誤魔化すように肩を上下させながら自らウィンドウを開き、タッチパネルを操作しながら口を開いた。


「簡潔に答えるならば――バグモンスターってところかな」


 バグ――即ち不具合の生じたデータのことである。大小問わず、プログラムを組み立てて起動させた場合かなりの確率で生じるプログラムにおける異常。それの――異常(バグ)の生じた化け物(モンスター)。それがリューグの断定したあの異形の正体である。

素体(ベース)はただの子鬼(ゴブリン)系か巨鬼(オーガ)系モンスターだけど、そのモンスターを組み立てるプログラムのコードが滅茶苦茶に書き換えられ結果、ああいう形状(すがた)になったんだと――今のところ考えてるよ」

「何か特徴は?」

 テオフラスが問いを投げた。リューグは即座に言葉を返す。

「全体的にパラメータが出鱈目に跳ね上がっているのが第一の特徴。

 時間が経過するごとにプログラムが高速で書き換えられていて、それに呼応してパラメータが上昇していくのが第二の特徴。

 統率性もなにもない出鱈目なコードの組み合わせの結果、テクスチャが真っ黒に染まって、時折ノイズが走るようになってしまっているのが第三の特徴。

 そして最後。これが一番突出した特徴として、複数のモンスターの固有スキルを保持していて、それを自在に扱えるというのが第四の特徴。

 どれもこれも、通常の〈ファンタズマゴリア〉の仕様では有り得ない変異だ」

 淡々と事務的に言葉を連ねたリューグへ、テオフラスは眼鏡を押し上げながら尋ねる。

「バグの解析は仕切れていないのか?」

「――これが手詰まり」

 リューグは悔しげに眉を顰めた。

「最低でも魔法使い(ウィザード)級の手による犯行。ただしこの上なくハイレベルなほうの」

「データのコピーを寄こせ。私の方でも解析してみよう」

「是非ともお願いするよ」

 不遜な物言いにも美苦笑で応じると、リューグはタッチパネルを叩いてデータをテオフラスに向けて送信した。

「あの二人が何の会話をしているのか、我にはちぃとも分からんのだが?」

「安心しなさい。私にも分からないわ」

 神無がリューグとテオフラスの間を飛び交った幾つもの単語の意味が理解出来ずに首を傾げると、水晶柱の上に座り込んでいたユウが嘆息と共にそう言葉を投げかけた。

「あれはおそらく、あの二人じゃないと理解できない言語だから」


「いや、ほとんど専門用語なんて飛んでなかったと思いますぜ。お嬢さん方」


 投げやり気味のユウの言葉に続いたのは、金髪碧眼の青年である。ゆったりとした衣装に幾つもの布を巻きつけた奇妙な服装をした青年――〈商人〉の二つ名を持つロノロ・アクノムは、五指の上で器用に硬貨を移動させて手遊びし、反対の手で色眼鏡(サングラス)の位置を直しながら言う。

「会話は確かにプログラム関係だけっしたけど、そんな難しい単語は出てなかったと思うぜ?」

「……分からない人間には分からないモノ。それくらい察しろ、チャラ男」

 唐突に、あらぬ方向から投じられた罵倒に、ロノロが僅かに眉を顰めた。

「って……チャラ!? 俺のことかよい?」

 ロノロが目を剥きながら声の主を振り返る。彼の座る水晶柱から斜め右頭上に位置する水晶柱に佇む、白いワンピースとは不釣り合いな漆黒の腕甲と脚甲で四肢を包んだ銀髪の少女――〈戦乙女〉シャルドニア・スフィアリィは、澄まし顔のまま彼を見向きもせずに首を縦に振って肯定した。

現実(リアル)ならその辺りを歩き回っているチンピラと同じ。自覚したほうがいい」

「ちょいちょいシャルドニアちゃんさー。それって酷くね? ――って、あ」

 取り繕うように言葉を口にしたロノロだったが、不意に何かに気づいたように眼を見開き、そのままじっと何かを凝視するように眼を細め――やがてデレっと表情を崩しながら、


「――白」


 と呟いた。


 ――ビュン!


 刹那、風切音がロノロの頬を撫でた。一瞬前までだらしのない顔をしてたロノロの表情が凍りつく。瞬きをすることも忘れて恐る恐る振り返ると、そこには一本の矢が地面に深々と突き立っていた。

 ぞっ……と、彼の背中を冷たい物が伝う。そして、そのタイミングを見計らっていたかのように、シャルドニアは絶対零度の声音でロノロへと言った。

「次は――当てる」

「――――っっ!?」

 ロノロが絶句し、降参と言わんばかりに両手を上げ、同時に彼女に視線を向けるまいと首を上げるそのポーズは、まるで断頭台にかけられ、今まさに刃が降ってくるのを兢々と待ちうける死刑囚のように見えた。

 そしてそんな彼に向けて、


「相変わらず恥さらしと言う言葉が服を着て歩いてるみたいね」

「まったく。人としての最低限の品位も持っておらんのか?」

「馬鹿は死んでも治らないとは言うが、お前のためにあるような言葉だな」


 ユウや神無はもとより、ヒュンケルからすら放たれた誹謗中傷の嵐に、ロノロは「うぐ……」と言葉に詰まったが、

「ちょ、ちょっとスカートの中を覗いちまったくらいでなんでそんなに――」

 なんとかその場に踏みとどまって毅然とした態度で四人に反論しようとしたのだが、そのすべてを言い切るよりも早く、


「「「「――黙れ」」」」


 という無慈悲な言葉と共に四人から噴出しているのであろう、本来ならば見えるはずも感じるはずもない殺気がビシビシと全身を強打する。そしてそれを如実に示すかのように、シャルドニアの手にする弓につがえられた矢の鏃が、ユウの構えた大鎌が、神無の召喚した精霊の魔力が、ヒュンケルの抜いた銃の銃口が一斉にロノロを捉えており――それを見た彼は、

「――はい」

 ただただそう答えて沈黙するしかなかった。その背中が酷く哀愁を漂わせているのは、きっと我関せずと傍観に徹していた他の面々の錯覚ではないだろう。

 しかしそれも一瞬のこと。彼らは小さく肩を竦めると、まるで何事もなかったように話を元に戻した。

「――逆に疑問なのですが、草薙」

 エスターヴァが草薙を見上げ問う。

「我々を招集した貴方自身は、何か言うべきことはないのですか? いえ……むしろそのために我々を集めたのでは?」

「……流石の慧眼と言ったところか」

 エスターヴァの問いに、草薙は満足げに首肯しながら一同を見回し開口する。

「些細なことだがな……先日、第二大陸(ツヴァイ)にてアーヴァンガルデ・オーガと遭遇(エンカウント)を果たしたのだ」

「何だと……!?」

 驚愕の声を上げたのはヒュンケルだった。彼だけではない。リューグやユウ、シャルドニアなど、モンスターとの戦闘を専門とする面々は信じられないという表情を浮かべている。そうでない者も同じく、皆草薙の報に困惑気味に互いを見合った。


 ――これはどういうことなのか?


 皆の表情はそう疑念を放っている。

 それだけ、本来第三大陸(ドライ)の奥地にのみ生息する巨鬼系A級モンスターであるアーヴァンガルデ・オーガが、第二大陸に出現することはあってはならないことなのである。

 どんなゲームでも、敵キャラやモンスターと言うのはストーリーが進むごとに強力になっていくものだ。特に現在のLVによって戦闘能力が大きく変化するRPGでは、冒頭部分でラストダンジョンに出てくるようなモンスターが登場した場合、完全にゲームのバランスが崩壊し、俗に言う詰み状態の状況に陥るのは必須。

 アーヴァンガルデ・オーガの登場がどのような原因があったのかは分からないが、現状の最前線組――即ち攻略組ではとても対応しきれるような敵ではないはずだ。

 ただし、


「まあ、私の前ではあのような輩であろうと弱卒同然だがな」


 この化け物とイコールで表せる男は別格だが……それは例外中の例外だ。

 現状第二大陸の攻略すら手を拱いている攻略組では、とても第三大陸奥地に住まう強力モンスターと同等に戦うなど、俄然無理な話である。

「なるほど……だからお主は我々を呼び集めたのか。自分が遭遇した異変が、果たして自分だけであったのかを、確かめるために」

 安綱が眉間に皺をよせ、険しい表情のままに草薙を見上げた。彼は老獪の言葉を肯定するように首を縦に振る。

「そうだ。だから改めて問おう――」

 彼はそこで言葉を区切り、この場に集った全員を一瞥したのち――先ほどよりもより強い意志を込めて訪ねた。


「――昨今の〈ファンタズマゴリア〉を、皆はどう思い、感じているか……それを聞きたくて、この場に集って貰った」


 静かな、だが確かに耳朶に浸透する低い声音に、全員が息を顰め――全身に緊張を走らせる。草薙(かれ)の発した言葉に込められた、言葉以上に強い意志に呑まれまいと自律自制に集中する。

 彼から放たれる強い気配に、リューグは「流石」と苦笑いする。まがりなりにもこの《十二音律》の長と呼ばれるだけのことはある圧倒的な存在感と、他者を無意識的に屈服させるほどの気迫には感嘆の意すら覚えた。

 この場に集った十二人は皆々癖の強い者ばかりなのだ。一癖二癖どころではない。十癖も二十癖もあるような輩ばかりの――手がかかるという意味では確実に猛者の集団だ。

 世界規模で名の知れているプレイヤーと言えば聞こえはいいが、その実此処に集っている面々は個性が強すぎて協調性の欠いた問題児と言っても過言ではない。

 至高存在(ハイレベル・プレイヤー)――異常者たちの頂点に君臨するこの男は、まごうことなくその長と呼ばれるだけの資質を持っていた。

 再び、問いは投げられる。

「――それで、お前たちは、この〈ファンタズマゴリア〉で、今までにない異常に遭遇はしたか?」

「ない――なんてことの方が、最近は少なかったかな」

 答えたのはリューグである。彼はそのまま新たなウィンドウを開くと、タッチパネルを操作して虚空の大型モニタ用のウィンドウへ映像を映した。

「古城シアルフィス内部の無差別なモンスターの湧出(ポップ)は序の口。最奥部でのAINによる《来訪者》を使った謎の儀式もあった」

 リューグの言葉と共に幾つかのウィンドウがポップする。現れたのは先日のシアルフィス内部のスクリーンショットに、あのときリューグたちが遭遇した魔術師、ムオルフォスの画像。

 そして、

「現状〈ファンタズマゴリア〉には存在しない大規模の儀式型術式(プログラム)。そしてそこから現れた――」

 一際、大きな画像が表示され、そこに表示された漆黒の魔物に、一同の視線は集中した。


 ――ニドヘグ。


「本来なら第一大陸のダンジョンなんかでは決して現れるはずのないS級モンスターを召喚する魔法陣。さらにこのニドヘグ自身が既存のAI機能を超越した知性を示唆するような行動が多数見受けられた」

 周囲が静寂に包まれる中で、リューグは淡々と、極力感情を省いた事務的な言動で説明する。

「現在の〈ファンタズマゴリア〉では新規の術式(プログラム)をアップすることは不可能にも拘らず、これらの事件で使用された術式の多くは、僕たちがこの〈ファンタズマゴリア〉に意識を取り込まれる前には存在しなかったものだ」

「つまり――昨今発生している異常事態の原因は、その術式をアップデートしている何者かにある……とでも言いたいのか?」

「断定的に言えば、ね」

 テオフラスの補足に、リューグは苦笑いと共に肩を竦めた。

「草薙のほうのイレギュラーエンカウントに関しては何とも言えばいけどね。少なくとも、シアルフィスのほうはその可能性を考慮するべきだ。もう死んでしまったが、あの事件を引き起こした魔術師のAINは、『与えられた』と言っていた」

「裏に手を引く者がいるというわけじゃな?」

「まあ、そういうことだ」

 神無の言葉に、ヒュンケルは首肯で応じた。

「それが誰かは分からないのか? フランベルジュ」

「残念ながら」

 リューグはいけしゃあしゃあとそう言い切った。実際はリューグの双子の弟を名乗るカイリの存在のことがあるのだが、このことに関しては暫く黙秘することを疾うに決めていた。唯一(カイリ)の存在を知っているヒュンケルには、すでに黙っていることを伝えてあるため問題はない。

 実際、ヒュンケルはリューグの言葉に対してなんの疑問を投げることはなかった。むしろリューグを見て面白がるように口角を吊り上げている。対して、リューグはただただ苦笑で返すに留まる。

 そんな二人の様子に気づくことなく、草薙は虚空のウィンドウを凝視したままに、

「他に、何か異変に遭遇した者はいるか?」

 その問いへの返答は沈黙が返ってきた。誰もが、自然と互いの顔を見合せる。あるいは思い当たる節がないかを自問自答する。

 やがて、

「本当に些細なことだぜ? それでも、いいか?」

 挙手と共に口を開いたのはロノロである。彼は恐る恐ると言った様子で周りの視線を――特にシャルドニアやユウなどの鋭い視線を警戒しながらゆっくりと言葉を吐きだした。

「最近なー、ウチの商会に妙な商品が流れ込んでくるんだ。見た目は通常の、それもほとんどAINの経営するような店で売ってるHP回復薬(ポーション)。だけど――こいつの中身が普通じゃないんだよっと」

 そう言って、ロノロは自分の手元にウィンドウを開き幾つかの操作をする。すると彼の手元に光の粒子が集束し、そこに一つの薬入りの瓶が具現した。

「――こいつさ。見た目はただのポーション。だけど説明欄にはなんの一文も書かれていないし、効果も一切表示されていないっていう代物」

「試したか? 小僧」

「まさか」

 安綱の問いに、ロノロは否定を返す。

「こんな怪しい代物、そう易々と使うわけがないだろ? これでも商売人なんだ。怪しいものは不用意には手を出さないし、流通も買い付けはしているが、販売は今のところ完全に止めてある。有料で回収してるって形だよ」

「それは殊勝な判断ですね」

「お褒めの言葉ありがとーよ」

 エスターヴァの言に苦笑しながら、ロノロは手元のウィンドウを操作し、「リューグとテオフラス」と名を呼んだ。二人は何事かと目を瞬かせたが、すぐにその意味を理解し、二人揃って自身のステータスウィンドウを開くと、そのままアイテム欄とメンバーアドレスのウィンドウを操作する。

 すると即座にトレード画面が表示され、『ロノロからアイテムのトレードが行われました』というシステムメッセージの後に、【Yes/No】の選択ウィンドウが表示される。リューグたちはすぐに【Yes】を選択すると、瞬時にアイテム欄へ新たなアイテムが追加されたというメッセージが表示された。

「それ、ちょいと調べて見てくんない?」

「言われなくても」

「やらせてもらおう」

 ロノロの茶化すような言葉に、リューグとテオフラスはにやりと笑みを零しながら了解した。

 すぐに作業に取り掛かった二人をよそに、水晶柱の上で渋面を浮かべていたヒュンケルがふと視線を動かして、先ほどから沈黙を保ち続ける二人を見て、


「そこのムッツリ騎士と似非忍者は何かないのか?」


 そう、相手を小馬鹿にする口調で尋ねると、両者が揃って鋭い視線を〈賢人〉へと放った。

「誰がムッツリだ! 誰が!」

 そして、全身を頑強な鎧に身を包んだ緑髪(りょくはつ)の少年――八雲・シラカバは、顔を真っ赤にして抗議の声を荒げる。

 しかしヒュンケルは彼の怒声など何処吹く風と言った様子で受け流し、嘲るように鼻を鳴らし、八雲を見下ろす。

「お前以外の誰がいる? 先ほどからずっとそこの女たちの足を凝視してるのが、此処からなら丸見えだぞ」

「なあっ――!?」

 ヒュンケルの発言に、八雲は目を丸くし、口を限界まで開いた状態で絶句する。同時に女性陣が――特に裾の短いシャルドニアは物凄い速さでスカートの裾を両手で抑えながら、八雲を睨み据えた。

 他の女性陣も含め、絶対零度の視線を一身に受けた八雲は慌てて我に返って釈明の言葉を口にする。

「ち、違います! 俺は断じて、その……女性の足とかスカートの中とかを覗くような失礼なことは断じてしてません!」

「オイオイ、それって女性の身体なんて見る価値もないってことかー? 何? 女性の足とかは見るに堪えないほど汚いってこと? なんてシツレーなんだ、青少年」

 横槍を入れたのはロノロだった。彼は色眼鏡をずらしながら、にやにやと厭らしい笑みを浮かべながら八雲に茶々を入れる。

 八雲もそんな発言は無視すればいいものを、根が真面目なのか慌ててかぶりを振って見せた。

「そ、そんなことは言ってないでしょう! シャルドニアさんも、ユウさんも、神無さんも凄く綺麗ですよ!――って、ちがーう!」

「違うのか?」

 キィを叩きながら、テオフラスが無表情に問うた。すると、やはり八雲は反応した。

「あ、いや違わないです! ホント、凄く綺麗ですよ――って、そうじゃないでしょ!? 今そう言う話をする場面でしたか!? 違いますよね? ねぇ!」

「じゃあ訊くが――お前、足じゃなければ何処が好みなんだ?」

 周りの悪のり状態に乗っかって、ヒュンケルはが半分笑った状態でこれでもかと八雲に問いを投げかけた。完全に羞恥と混乱で顔を真っ赤にした八雲は、その質問の意味を半分も理解出来ていないまま、半狂乱気味に即答する。


「何処とかそう言うのではなく、俺は女性同士が絡み合っている姿を見るのが好きなんだ!……って、あ――」


 ようやく自分の口にしたことの意味を理解したのか、八雲は頬を引き攣らせて言葉を失ったまま周囲を見回した。

 女性陣は最早言葉をなくして侮蔑軽蔑の視線で八雲を見ている。草薙は興味深げに頷き、安綱は呆れ顔で溜息を漏らしていた。佐助は無言で首を横に振る。ロノロは今にも大爆笑してしまいそうになるのを必死に堪えているのだろうか、全身を震わせて声が漏れないように口を手で押さえている。ヒュンケルも似たような状態で肩を震わせており、テオフラスは憐憫と嘲笑の入り混じったような小さい笑みを零していた。

 そしてリューグは、テオフラスと同じように手元のキィを叩きながら、


「随分メニアックな趣味をしているね、八雲君」


 皆を代表するように、爽やかな笑みと共にそう言った。


「ち……ちがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!」


 瞬間、八雲は顔面蒼白になって絶叫を上げるも、すべては手遅れだった。女性陣の侮蔑の視線と、男性陣からの同情と憐憫の視線を一身に受けた八雲は、最早声にならない悲鳴を上げて頭を抱える。

 その様子を苦笑で見上げたリューグは、視線を目前のウィンドウに移してそこに羅列される無数のコードを睥睨し――そして何かを納得したように肩を竦める。

「ただのバクじゃない。一貫性の法則がある……これは一体……」

 口元に手を当てて思案するリューグに、テオフラスがキィを叩きながら問うた。

「フランベルジュ……薬学知識はあるか?」

「一般知識程度。それらは僕よりあっちの人の方が詳しいよ」

 曖昧に言葉を返しながら、リューグは顎でヒュンケルを指した。テオフラスは視線をリューグからヒュンケルへと移し、しばし二人を交互に見直したのち、

「……確かに、それなら納得だな。なら――メチレンジオキシメタンフェタミン、という名に聞き覚えは?」

「MDMA?」

「正解だ」

 MDMA――正式名称メチレンジオキシメタンフェタミン。合成麻薬の一種で、エクスタシーなどの別名を持つ薬だ。脳内のセロトニン等を過剰に放出させることにより、人間の精神に多幸感、他者との共有感などの変化を齎すとされる。

 当然ながら、現実(リアル)において違法薬物に指定されている代物である。

「それがどうかしたのかい?」

「二八六七行目」

 返答らしい返答もせず、テオフラスはただそれだけを言った。リューグは彼の言いたいことの意味が分からなかったが、仕方なしに彼に指定した部分にウィンドウをスクロールさせる。

 そこに書かれているのは何の変哲もない数字記号の羅列柄がある。その中で、もし目を引くコードがあるとすれば、それは――


 ――……C11H15NO2……――


(これか……)

 直感で判断したリューグは、その羅列を一瞥しながら視線を画面から逸らすことなくテオフラスに問う。

「見たけど……これ、なんかの化学式?」

「MDMAの化学式だ」

「……なるほどね」

 リューグは漸くテオフラスの言わんとすることを理解した。

「つまりこれ……麻薬(クスリ)ってわけ?」

「そういうことだ」

「悪趣味な……」

 二人が渋面を浮かべる。

「これもまた、異変の一つか……」

「そういうことになるな」

 言葉を引き継いだのは、草薙だった。彼は水晶柱に玉座の如く坐ったままテオフラスとリューグを見下ろす。

「最早、ゲームの領分を越えてきている……《来訪者》による策略か。あるいはそれ以上の何かか――特定する必要があるな」

「ちょっ、大将それ本気? いや正気?」

 草薙の言に、ロノロは色眼鏡を頭に持ち上げて裸眼を晒しながら問うた。言葉にはしないが、正直なところ他の面々もほとほと同じ意見である。


「――無論だ」


 しかし、草薙は周囲の視線と感情など完全に度外視し、自らの意見を他へと突きつける。

「〈忍頭〉……情報収集を頼めるか?」

「無論」

 此処に至って、初めて佐助が言葉を発した。自分の身長より長い襟巻(マフラー)に獣皮の腰巻をし、全身を漆黒の忍び装束に包んだその青年は、覆面越しに響いた低い声音で草薙の言葉に応じると共に、恭しく低頭して草薙の言葉に応じる。忍びと言う役割をしっかりと演じ(ロールし)ている佐助は、この《十二音律》の長である草薙にひどく忠実な男だった。

「〈計測者〉ならびに〈聖人〉よ。お前たちはそのまま不可解なフィールドやアイテムを探し、プログラムの異常を解析しろ。何か共通点がないかを、事細かに」

「承諾しておこう」

「探すことから大変そうだ」

 テオフラスは不遜に応じ、リューグは苦笑しながら肩を竦めた。

「他の者は各自に任せる」

「投げやりじゃのう……」

 神無が腕組みをし、釈然としない様子で眉を顰める。

「仕方がないでしょう。私たちに出来ることなんて、そこの三人に比べたら微々たるものなんだから」

 ユウは長い銀髪を掻き上げ、微笑しながら神無を嗜めた。

「ワシは鍛冶師だ。出来ることなどそれこそ客に話を聞くくらいじゃろうて」

「私も、ギルドを使って情報を集めることくらいしか出来ませんね」

「私も知り合いをあたるくらいしか出来ないぞ」

 安綱は深くため息をつき、エスターヴァはうっすらと笑って彼の台詞に乗る。シャルドニアに至っては、すでにこの場から去りたいと言わんばかりの空気を全身から放っていた。

「まあ、俺は俺で商売仲間とかに話を聞いてみるぜー。怪しいアイテムはそっちの二人に回すっつー方向でおーけい?」

 ロノロは手に取った色眼鏡を器用に指先で回しながら楽しげに言い放った。リューグは肩を上下させ、テオフラスは眼鏡の弦を持ち上げるという形でその言葉を肯定する。

「んじゃー俺は――」

「女同士の睦言を観察する作業に戻るわけか?」

「ちがーう! 全然違うから!」

 ヒュンケルの茶々に、八雲は再び顔を真っ赤に染めて絶叫した。だが、皆はそんな彼の悲痛な訴えを軽やかに聞き流して視線を草薙へと集束させた。

 一同の視線を受け、草薙は承知したとでも言う風に首を縦に振ると、

「では、今回は此処までだ。近いうちに再び召集することとなるだろう」

 草薙は座り込んでいた水晶柱の上に立ち上がり――腰に差している刀の柄頭へ左手を添えて、そして低く――凄然な声音で言い放った。


「――皆、気をつけろ。今の〈ファンタズマゴリア〉は、我々の知る〈ファンタズマゴリア〉と思うな。もう一度言おう。皆、気をつけろ――では、解散だ」


 訴えるようなその言葉を最後に、《十二音律》議会は終了を告げたのである。


      ◆      ◆      ◆


 帰路。リューグとヒュンケルは肩を並べながら渋面を浮かべていた。

「草薙……随分と警戒していたね」

「ああ。奴にしては異様なくらい警戒を促していた……まるで何かが起きると感じ取っているみたいに……な」

「彼は彼なりに、〈ファンタズマゴリア〉の現状を危惧しているってことかねぇ?」

 リューグの言葉を、ヒュンケルは顰め面のまま首肯を返す。

「奴の言うとおり、気をつけておくにこしたことはない。あの小僧のこともあるわけだからな」

「カイリか……」

 名を呟きながら、リューグは脳裏に自分と同じ顔をした黒衣の青年のことを思い出す。彼の残した様々な疑問は、未だ何一つとして解明出来てはいない。

「あの後、接触は?」

「ない」

 即答で返す。実際、シアルフィスの遭遇以降、一度としてカイリ・フランベルジュの姿を垣間見たことがない。まるであの日だけ自分だけが見た幻のように。あるいは白昼夢のような、リューグ自身の創造が生み出した人物なのかとすら疑うが、隣に並ぶヒュンケルも同じ存在(モノ)を見ている以上、カイリが幻であった可能性は低いだろう。

 勿論、自分たちに幻を見せるような魔術を行使されたか、あるいは脳に直接影響を及ぼす何らかの手段を用いられたという可能性は否定できないが、そんな可能性の話を列挙していては切りがない。

 そこまで考え、リューグは溜息を漏らしてかぶりを振った。

 今は可能性の話などをしている場合ではないのだ。

「見つからない相手のことを考えても仕方がない。今は目の前の問題を解決しよう」

 そう言って、リューグはアイテム欄から先ほどロノロから受け取った件の薬瓶を手に取り、それをヒュンケルに投げ渡した。

「探れるかい?」

「保証はできないが、コネというコネを当たってみよう」

「出来るだけ急ぎでよろしく」

「簡単に言ってくれる……」

 真剣な面持ちで放たれたリューグの言葉に、ヒュンケルはようやく口元を綻ばせながらそう返すと、二人はそのまま各々のするべきことの為に別れた。


 ――しかし、結局それはほとんど無駄足になってしまうこととなる。


 翌日の朝早く。

 遅くまでデータの解析を行って眠ったばかりのリューグの下へ、一通のメールが届けられた。

 ポーン……というお決まりの着信音で目を覚まし、寝起きでまだ意識もはっきりとしないまま、彼は何気なく受信メールを開き――そこに書かれている内容を読んだ刹那、着替えもそこそこの状態のまま慌ててヒュンケルの下へ走った。


 送られてきたメール内容は、それだけ衝撃的なものだったからである。

 リューグの下へ送られてきたメールは、《十二音律》への一斉送信メールだった。

 そしてそのメールに記されていたもの。それは――


 ――《十二音律》の一人。

 ギルド『ガーディアン』のマスターであるエスターヴァ・カルナスが死亡(ロスト)したという旨が記されていた。



 結局再び一月ほどの間を空いてしまいました。白雨です。これにて《十二音律》に名を連ねる面々が一堂に会しました。キャラがかぶらないように努力してますが、はてさてどうなることやら。

 次はできるだけ早めに――6月中にはもう一話くらい完成させたいです。

 それでは次話、『Act15:漆黒の十字架』にてお会いしましょう。ノシ

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