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リ=ヴァース・ファンタジア  作者: 白雨 蒼
二章『トラディメント・スコア』
14/34

Act13:演奏の始まり

 黒。

 黒。

 黒。

 草木の茂る草原の一角に、その景色には酷く不釣り合いな色で統一された衣装に身を包んだ一団が横断していた。

 ある者は鎧。

 ある者は法衣。

 ある者は外套。

 更には装甲を纏った馬に跨る者さえもいる。

 手には剣を、槍を、斧を、杖を――所持する物は様々なれど、その誰もが武装しているのが分かる。

 共通するのはその衣装、武装に至るまで、そのすべての色が等しく黒に塗りつぶされているという――酷く不吉で、物々しい、胡乱な気配を漂わせたままに、彼らは歩調を合わせて闊歩していた。

 まるで自分たちの存在を主張するかのように、彼らは行進し続ける。

 行く当て所なく。

 目的すらあるのか不明。

 だが、目にする者すべてがその存在に警戒心を煽られることだろう。

 そしてもう一つ、彼らに特徴があるとすれば――


 ――白い十字。


 彼らの身に纏う衣装の背中。

 鎧のマントに。

 法衣や外套の背に。

 そこに施された、白い十字の意匠が、漆黒の装いの中で異様に存在感を露わにしていた。

 そしてそれと同じようにして、彼ら一団の中にちらほらと見える掲げた旗印。

 それもまた、彼ら一団の意匠と同じ漆黒の一枚布。その真ん中にはやはり、白一色で描かれた十字が存在している。

 さながら、死神が掲げる十字の如く。

 死を振りまく存在(かみ)が手向ける、唯一の慈悲のように。

 黒き装束の一団は、剣を掲げて歩を進める。

 彼らの名を知る者は誰もいない。


 なぜならば――この世界ファンタズマゴリアに住む誰もが、最早その名前を忘れているのだから。


 古の――歴史に埋没し、忘却に伏したはずのその一団が、今再び世を練り歩く。

 まる、で亡霊のように……。


      ◆      ◆      ◆


 質素か、豪華か、言葉に困るような室内の品々を眺め、ヒュンケルは僅かに眉を動かす。

 相も変わらずの黒衣を身に纏い、銀髪の賢人は長椅子に腰かけたまま、この部屋の主が現れるのを待っていた。

 今、ヒュンケルがいるのは彼の住む陰気な家ではなく、古都ユングフィの一角に建てられたギルドホーム。その最奥に位置する、ギルドマスターが執務室としている場所だ。


 ――ギルド『ガーディアン』。


 それが、このギルドホームを有するギルドの名である。約一週間前、古城シアルフィスの奥で共に戦った()魔法剣士(ルーンナイト)、ユーフィニアの所属するギルドであり、このユングフィに駐在するギルドの中では中規模の組織というのが通常の認識である。

 ほとんどの《来訪者(ビジター)》が、このギルドで攻略組に相当する者はギルドマスターと、サブマスターのユーフィニア暗いと思っているが、実はそうではない。

 このギルドに属する者千人余り。そのうち約百名は、攻略組にも劣らぬ実力を持つ者たちを存在しているという事実を知る者はほとんどいない。

 実力を徹底して隠蔽しているギルド。一部の上位プレイヤーたちの手により、いつこの古都が戦争に巻き込まれても対処できるように組織された、このユングフィの守りの要。それがギルド『ガーディアン』の正体である。

 そのギルドの最奥で、ヒュンケルは執務室の主を待っていた。

 来客用にあつらえているのだろう。丁寧な装飾の施されている長椅子に腰かけたヒュンケルは、待っている時間の暇つぶしにと、手元に表示された無数のウィンドウを走る文字を眺めていた。その間、彼は同時展開したウィンドウを並列に読み解くという高等技術を労し、リューグを始めとした幾つもの情報屋から買い叩いた情報(データ)に目を通す。

 大した収穫はなし。

 読み解いた情報を統合すれば、概ねそういう結果に帰結する。


(……まあ、当然と言えば当然か)


 それは元から予想していた結果ではある。

 そもそも今回ユングフィを襲った異常事態は、ヒュンケルたち《来訪者(ビジター)》にとっても予想だにしていなかった事態なのだ。

 《来訪者》にとって、この世界で起きる異常事態とは、言ってしまえばゲーム時代の《イベント》や《クエスト》である。即ち――『平常時では有り得ない事象でも、それらはゲーム時代に存在したイベントorクエストに基づくもの』なのである。


 過去、ユングフィや他の都市や街などを始め、〈ファンタズマゴリア〉の各地で不可解な事件が起きたことはあった。


 たとえば半年前――ユングフィの高級住宅街で首のない死体が発見された事件。


 たとえば、東の街道沿いにある農村で、家畜が次々と謎の死を遂げる事件。


 これらを始め、そういった不可解な事件と言うのは、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉に存在したイベント、あるいはクエストが元となっていたものばかりである。

 前者は都市内部限定で発生・発展していく《都市クエスト》の一つ、【首狩り悪魔(ヴィーセ・リーツァ)の闊歩】であり、後者は〈ファンタズマゴリア〉のサービス開始当初にのみ行われていた期間限定クエスト、【異界の生物たち】が元型だった。

 そういう具合で、過去に異常事態や緊急事態と呼べるような現象は何度も起きている。しかし、《来訪者》たちはそれらの事件をかつてのゲームプレイヤーとして追いかけ、模索し、奔走し、何度も死んでは蘇り、そして戦場に戻ってを繰り返して調べ上げるという無茶が通用した、ただのゲームであった頃のことを思い出し、その際に得た知識と経験を駆使して悉く乗り越えていた。

 それは一重に、ゲーム時代に培った膨大なプレイ時間から研鑽し続けられた経験と知識があったからこそ対処出来たのである。

 しかし――今回の異常事態は違った。


 本当の意味での異常(イレギュラー)

 

 此処に来て、多くの《来訪者》を襲った事態はまさしくそれである。

 自分たちの持っている記憶と知識には類することのない、認知外の事象が発生した。

それはリューグたちのような異常な強さを誇る異端者たちを廃して数えた場合の――多くの《来訪者》たちが有していた唯一無二の優位性(アドバンテージ)が消失したようなものだ。

 彼らのような通常の《来訪者(プレイヤー)》たちにとって、過去に積み重ねた知識と言う最大の武器が意味を成さなくなるのはあまりに痛手だろう。

 実際、今回あの魔術師――ムオルフォスの放った異形たちの仕業で失われた命はあまりに多い。

 そしてその異形に対して、どれだけの《来訪者》が即座に対処できたかといえば、ごく少数――というのが妥当なところ。


(今回の事態に関して言えば……ほとんどの《来訪者》は無知であり、無力だった)


 ヒュンケルは無情にそう評価を下す。そして同時に、

(そして、それは俺たちも同じだ)

 己すらそう断じた。

 誰一人として、この事態は想定していなかった。故に即座に対処することは叶わず、結果として百人を超える被害を出した。

 更に言えば、シアルフィスでのニドヘグとの戦い。あの時、助けられる可能性があった命を身捨てたのはヒュンケルの判断だ。

 つまりは、先の事件で出た死人のうちの幾つかは、ヒュンケル自身が殺したと言われても否定は出来ないだろう。

 いや、元より否定するつもりはない。

 そうなることは分かっていた。分かっていながらなお、ヒュンケルはそうすることを決めたのだから、侮蔑も嘲笑も甘んじて受ける覚悟は出来ている。

 人殺しの烙印を押されようと、それは自分で選んだ結果。むしろ喜んで受け入れるつもりですらいた。

 それで仲間や友を守れるのなら――生かせるのならば、


「……安い代償だ」


 呟きと共に、ヒュンケルは自嘲気味の笑みを口元に浮かべた。

 それと同時に、ガチャリ……という音と共に執務室に通じる扉が開く。ヒュンケルの視線が、自然とその方向へと向けられる。

 現れたのは――長く、そして癖のない金髪を揺らし、首元から吊らす金色の十字架が際立つ黒衣の軽装に身を包んだ美男子。

 一見すれば何処かの貴人のような気品すら感じられるその男は、部屋に入ってくると共に、ヒュンケルへ視線を向け、薄っすらと微笑んで低頭した。


「ふふ――ゲーム時代ぶりですね。ヒュンケルさん」


 今にも消え入りそうな茫漠とした気配と共に響いた、臨終間近の病床の人間のような声が響く。

 しかし、その声音とは裏腹に、男の存在感は異様なまでに顕著だった。はるか遠く離れた場所からでも、その存在が一目で確認できるような異質の存在感。

 気配は希薄でありながら、その存在感は異様なまでに濃厚なのである。相対するはずの言葉を両方同時にその身を以て体現する男の登場に、ヒュンケルは鬱陶しそうに眉を顰めた。

 気配はないのに、確かに目の前にしっかりと存在している。その何とも言えないちぐはぐさには、ヒュンケルでなくとも眉を顰めるだろう。

 ……そう。

 思えばゲーム時代からこの男はそうだった。

 気配があるのに姿が見えない――と言うのならばまだ分かるが、この男は全くその逆を体現する。

 気配はない。しかし姿だけはそこに存在している――それがこの男を定義する言葉だ。

 まるでNPCを相手にしているような錯覚すら覚える。姿はあっても中身(プレイヤー)がない――NPCというのは、どれだけ精巧に似せようと、自立型のAIを機能させようと、何処か人間身に欠けている部分が感じ取れるものだ。

 NPC――〈ファンタズマゴリア〉におけるAINたちを、伽藍洞な人形――そんな風に呼称した者がいた。魂を持たぬ、人を真似た人間もどき……と。

 そしてこの男は、そのNPCの如き空虚さを醸しているのである。

 そこに存在しているはずなのに、その気配を微塵も晒さぬその姿を前にすると、ヒュンケルですら時折空恐ろしさを感じるのだ。

 幽霊がゲームをプレイしていれば、きっとこんな風になり得るのだろう。

 そんな有り得ない幻想すら胸中に生じるほどに、目の前の貴人は何処までも空虚な気配を纏って薄く、薄く微笑んでいる。


 ――虚ろなる者(ゲシュペンスト)


 そんな揶揄すら持つこの男こそが、知る人ぞ知るこのギルド、『ガーディアン』のギルドマスター、エスターヴァ・カルナスであり――


「それで、此度はどのような御用向きでこちらに来られたのでしょうか?」


 ――《十二音律》が第六番。〈審神者(テュール)〉の二つ名を持つ神官(クレリック)は、小さく首を傾げながらヒュンケルの向かい席に腰かけたのだった。



      ◆      ◆      ◆


 リューグは目を瞬かせ、呆気に表情で目の前の情景を凝視していた。

 果たして、目の前で起きている現象は本当に現実なのだろうか? そう自分の正気を僅かでも疑ってしまうのは、きっと彼でなくとも同じことだろう。

 その証拠に、彼の座る席以外の他の席に腰かける客たちは、総じて自分たちの座る席のテーブルへと視線を集中させており、皆は一様にその有様を「信じられない……」という様子で固唾を飲んで凝視している様子からして、リューグは自分の感性が間違っていないことを再確認し――そうしてもう一度自分の目の前、テーブルの上へと視線を向けた。


 見間違い――ではないらしい。


 積み上げられている料理の量は、ざっと二十人前を優に超えた量だったはずなのだが、それがどういうわけか、あっという間に――あっという間に姿を消していくのはどういうことだろうか。

 いや、答えは言うまでもなく料理を食べているからなのだが、問題はその料理を食べているのが一人だということである。

 そしてより具体的に言うのならば、その一人により物の数分で積み重なっていた料理の三分の二がすでに消失しているということが問題なのである。


「……うっっそぉー……」


 自然と、口からそんな声が零れた。

 瞬間、ぴたりと向かい側の席に座る人物の動きが僅かに止まり、視線が料理からリューグへと移った。

 そしてその視線の主は、料理を口に頬張ったまま小首を傾げる。まるで「何が?」と問いかけるような視線を向けられ、リューグは無言で「何でもない」と言う風に首を横に振って見せた。

 そして、改めて視線をテーブルの上へと向けて――嘆息一つ。

 テーブルの上の料理は、置かれた先から少女の手に移り、箸につままれ、匙に掬われ、フォークに刺され、そして少女の口へと運ばれて行く。

 一体この小柄な体躯の何処にそれだけの量が収まるのか。リューグは心底不思議で仕方がなかった。

 しかし、並ぶ料理の数々に目を輝かせて嬉しそうに食べるノーナの姿を見ていたら、そんな考えはするだけ無駄と、リューグは自嘲するように小さく笑いを漏らす。


「リューグは食べないの?」


 ノーナが問う。

 リューグは誤魔化すような笑いと共にかぶりを振り、

「いや……お構いなく」

 やんわりとそう告げて、手元のカップにだけ手を伸ばし、口をつけながら僅かに手を翳してウィンドウを開く。

 そして幾つかの画面を小さく展開し目を通す。少し前にヒュンケルから送られてきた情報のコピー。

 彼の集めた幾つかの情報を簡略化されたデータを一瞥するが、どれもこれも似たような情報ばかりで、これといってめぼしいものはなかった。

 どれもこれも人から人へと口伝てで広がった噂話の域を脱さないものばかりで、リューグたちの求めているものには遠く及ばない。

 カップの中身を一口啜って、諦観の溜息を洩らし――


 ――カタッ……


 ふと、背後で聞こえた椅子の音が耳朶を叩き、リューグはカップを置こうとした手を止めて、視線だけを背後に向けると、失笑を一つ零す。


「これはこれは……珍しい所でお会いしますね? 〈計測者(エラトステネス)〉」


 からかうように、リューグは後ろの席に座った人物の二つ名を呼んだ。

 エラトステネスというのは、紀元前のエジプトに存在したギリシャ人学者であり、素数判定法『エラトステネスの(ふるい)』と呼ばれる、指定された整数以下の全ての素数を発見するための単純なアルゴリズムを開発した人物の名である。

 そしてリューグと同じ、《十二音律》に名を連ねるある人物の二つ名でもある。


「貴様の方こそ息災そうで何よりだ、〈聖人(ゲオルギウス)〉よ」


 帰ってきた言葉とは裏腹に、その語気は酷く冷淡としたものだった。しかしリューグは、相手のその態度にむしろ安心した様子で微笑し、振り返る。

 濃緑色色をした長い髪――のような鬣が目に留まる。続いて理知的な顔に眼鏡をかけた学者風の、狼に似た獣人の、研ぎ澄まされたような、それでいて何処か険呑な雰囲気の含んだ視線でリューグを見据えていた。

 対して、リューグは彼の視線の険呑さなど気にも留めず、微笑しながら小さく頭を下げる。

「お久しぶりですね、テオフラスさん」


 ――テオフラス・ホーエンハイム。


 それがこの獣人型PC錬金術師(アルケミスト)の名前である。

 錬金術師は魔術師(ウォーロック)からクラスチェンジできる上位クラスであり、賢者(ウィザード)には劣るが高いINT成長補正率を誇り、素材アイテムから様々な消費アイテムや高ランクの素材アイテムを製作できる固有スキル《錬金》を習得できる唯一のクラス。

 まだ〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった頃。リューグは彼の名前とクラスを耳にした時、まるで錬金術師のクラスになるためだけにその名をつけたのではないかとすら思えた。

 テオフラス――転じてテオフラトゥス。彼の名前は伝説的な錬金術師が一人、即ちパラケルススの本名に由来しているのだろうとリューグは推測している。

 そして、彼はその名に恥じぬだけの意識と技術を持っていた――と言っても、それは錬金術師としてのスキル《錬金》のことではない。


 現実世界における技術の一つ、プログラムである。


 錬金術の神髄は無から有を生み出すことだ。

 有限を無限へ。

 卑金属を黄金へ。

 人間を霊的存在へと昇華させる――そういった存在の超越を目的として行われ続けた技術だ。

電脳の世界に文字の配列によって疑似的物質を生み出す行為は、一種の錬金術と仮定する者すらいる。

 テオフラスのプレイヤーは天才的なプログラマーだ。現実(リアル)においても、その手の業界で彼の名前を知らぬ者はいないと目されるほどの技術と構築能力を持ち、製作したプログラムをアップ出来る〈ファンタズマゴリア〉で、彼の製作した魔術の術式(プログラム)やアイテムデータは数知れぬほど存在し、サービス開始から七年を通じて彼の作った魔術やアイテムを使ったことのない者はいないとすら言われている。

 この〈ファンタズマゴリア〉に存在する、真の意味での錬金術師。

 MMORPG〈ファンタズマゴリア〉という世界の発展に貢献した人物。

 それが彼、テオフラス・ホーエンハイムである。

 その彼に対し、リューグは溜め息交じりに肩を竦めて見せる。

「注意を自分に向けた一瞬のうちに、相手(ぼく)のプログラムソフトにハッキングを仕掛けるのはどうかと思いますよ? 一瞬性質の悪いクラッカーかと思いました」

 リューグの言葉に、テオフラスは感心するように嗤った。

「ふん。どうやら腕のほうは鈍っていないようだな。剣ばかり振り回して、プログラミング(こっち)のほうは疎かになっているのではと危惧していたが……いらぬ杞憂だったようだ」

「まだクラッカーのほうがマシに思えてきた……」

 おそらく嬉しそうに笑っているのだろうが、端整な顔立ちなのにその鋭すぎる目付きのせいか、完全に悪人の笑みに見えてしまい、リューグはうんざりした様子で手元のウィンドウを一瞥する。


 ――《WARNING》。


 ウィンドウに表示された赤字のそれは、テオフラスの仕掛けてきた不正侵入(ハッキング)に対して生じたものだ。

 リューグ個人のPCデータには、リューグ自身の手により本来のプロテクトに加え、三重の防壁(ファイアウォール)と一四八桁のパスワードがあり、更にその後にはドイツ語による暗証コードでロックが掛けてある。

 基礎プロテクトはともかくとして、リューグ自身が強化を施した防壁すらいとも容易く突破し、更にパスワードの半分まで解析していたことには正直驚かざるを得なかった。

 その間、時間にすればほんの数秒。後少し防護プログラムを走らせるのが遅かったら、リューグのPC情報は彼によって丸裸にされるところだった。

「こんな悪戯をするためだけに此処に来たんですか?」

「まあ、大体の用事は今ので済んだ」

 ウィンドウを閉じて眉を顰めながら訪ねたリューグの問いに、テオフラスは真顔でそう返答する。

「大体の?」

「ああ。些細な件もあるがな」

「その些細な件はなんですか? っていうか、貴女がこの場所にいるって時点で結構大事なんですけど」

 何せ《十二音律》のうち、洋楽七音律に名を連ねるうちの五人がこのユングフィにいるのだ。

普段から単独行動の多い《十二音律》の面々は、現在四方八方に散り思うままに行動している。あらゆる面に置いて突出した能力を持つが故に、単身(ソロ)でも何一つ問題にならない彼らが、同じ場所に留まることは少なく、また一ヶ所に集結することなど稀に等しい。

 それこそ、《十二音律》全員が招集される集い――『《十二音律》議会』でも行われなければ……

 そこまで考えて、リューグはようやく気がついた。

 本来ならばこのユングフィに近寄ることのないはずの人物であるテオフラスがこの地――シアルフィスに訪れた理由(ワケ)

 それこそが、まさに――


「近々、招集がかかるという話だ。それも、この地でな」


 彼の言葉に、リューグは目が零れるほどに見開いて、僅かな間言葉を失ったようにテオフラスを見据えた。

 彼は何を言うでもなく、ただ無言でリューグを見返す。否定の言葉はなく、ただ黙したままの彼の様子に、リューグは僅かに目を細め、口元を結ぶ。

 そして、僅かな苛立ちと共にリューグは言葉を吐いた。

「何が些細だ。こっちのほうが、よっぽど重要じゃないか……」

 対して、テオフラスは肩を竦める。

「私にとっては、お前のプログラミング技術のほうがよほど大きな問題なのでな」

「やっぱり性質悪いわ、この人……」

 いけしゃあしゃあと言ってのけるテオフラスの様子に、リューグは溜め息交じりにがっくりと項垂れた。

 そんなリューグに向けて、テオフラスはしてやったりと言う様子で微笑して席を立ち、

「では、次は議会であろう」

 去り際にそう一言残してその場を立ち去っていく。

 その背中を釈然としない様子で見送るリューグは、彼の姿が見えなくなったのと同時に脱力した様子で椅子に座り直すと、通りかかった給仕を呼び止め、

注文(オーダー)いいですか」

「はい。何にしましょうか?」

 そう笑顔で問う女性給仕(ウェイトレス)に向かって、リューグはメニューを手に取り左上を指差し、

「此処から――」

 そしてそのまま指をスライドさせ、右下に持って行くと、

「――此処まで。全部お願いします」

 そう、真面目な表情で告げたのである。

 無論、注文を受けた女性給仕が目を見開いて、表情を凍りつかせたのは言うまでもなかった。

 そして――


「――同じの、もう一つ」


 そう言った少女の言葉に、女性給仕が頬を引き攣らせたまま、その手から伝票を零れ落としたのも、ある種仕方のないことだった。


      ◆      ◆      ◆


「さしあたって……先日、古城シアルフィスの戦闘による欠員……お悔やみ申し上げておこう。それと……すまない、とも」

 朗らかに笑うエスターヴァを前にして、ヒュンケルは先ずそう言葉を口にしこうべを下げた。

 あれだけ堂々と他人の命を見限るようなことを宣言はしていたが、ヒュンケル自身人の死を望んでいるわけではない。叶うことならば人死には極力なくすることに努めるべきだというのは、ヒュンケルだけではなく万人に共通する観念である。

 ただ、人の生死がかかった状況で、優先するべき命がヒュンケルの中では明確に定まっているのだ。

 故に、あの時の選択に後悔はない。しかし、失われた命を悼む気持ちがないわけではない。

「気に掛けて頂き、ありがとうございます。ただ、あまり強く責任は感じないように。でなければ、いずれ貴方自身が辛くなりますので」

「よく言われる」

 エスターヴァの言に、ヒュンケルは顔を上げながら苦笑で応じ、そこでふとあることが気にかかり、

「それと、ユーフィニアのほうは? あの後、随分と落ち込んでいたようだが?」

「おや……」

 何気なく問うたヒュンケルの言葉に、エスターヴァは奇妙なものを見るような視線で彼を見据え、暫し両手を組んで考えるような仕草を取ったのち、恐る恐ると口を開く。


「珍しいですね。貴方が他人の心配をするなど……明日にでも槍が降りかねないと思うのは、可笑しいでしょうか?」


 カチン、と来た。

「……喧嘩販売なら幾らでも買ってやる。代金は鉛玉でいいか?」

 ドスの利いた声音と共に、外套の下で無造作に抜いた拳銃の撃鉄(ハンマー)がガチャリと音を鳴らした。坐った視線が、如実に彼の言わんとすることを現しており、エスターヴァは薄らと笑いを浮かべて首を横に振る。

「相変わらず、冷めているようで沸点が低い方ですね」

「余計な御世話だ」

 ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向くヒュンケルの様子に、エスターヴァは仕方がないといった風に肩を竦め、

「彼女なら大丈夫ですよ。少し前までふさぎ込んでいましたが、今は表面上だけでも元気にしています」

「ならいい。空元気でも、ないよりはマシだろう」

 興味は失せた。そう言う風にヒュンケルは目を伏せる。

 ヒュンケルの様子に安堵したのか、エスターヴァは柔和な笑みで彼を見据え――そして数秒の間を置いてから、口を開いた。


「――しかし、態々その言葉を告げるためだけに此処に来たわけではないでしょう? 我らが〈賢人〉よ」


 寸前までの笑顔は何処へやら。柔和な笑みは一変し、エスターヴァは感情の消え失せた静かな面持ちをヒュンケルへ向ける。

「まあ、その通りだ」

 その問いに対し、ヒュンケルは当然と言わんばかりに肩を上下させ、本題へと入る。


「今回の一件――『ガーディアン』は……いや、お前は何処まで把握している?」


 ヒュンケルの問いに、エスターヴァは表情を変えずに言葉を返す。

「何処まで――というのは難しいですね。私の知り得ることと、貴方の知り得ることには多分に違いがあり、それを照らし合わせなければ、何を知り、何を知らないかすら分からないのですから」

 まるで事前に用意していたかのように。

 この質問が来ることを事前に想定していたかのような鮮やかな返答に、ヒュンケルの口角は楽しげに吊り上がった。

「――結構」

 エスターヴァの返答に満足した様子で、ヒュンケルはそう言って手を合わせ、口元を隠すように持ち上げる。

 そして、彼に似つかわしくない――満面の笑顔を浮かべて言った。


「相変わらず、お綺麗な聖人君子の面をした狸ぶりだな。誓約の神(テュール)よりも欺瞞の神(ロキ)ってほうがよほどお似合いだぞ?」


「それならば、ただ書物を読み漁るだけの頭でっかちな貴方が、智恵ある者(ワイズマン)だというほうがよほど解せませんよ。その出で立ちや不可思議なクラスを慮れば、愚かな道化者(オギュースト)のほうがしっくりくると、私は思いますが?」


 こちらも負けず劣らずと言った様子でにっこりと笑んで見せた。無論、両者の目は当然の如く笑っておらず、漏れる笑い声は悪魔の怨嗟の如く室内を闊歩する。

 互いの牽制が続くこと数秒。先に折れたのはエスターヴァだった。

「まあ、ここで角をつつき合っていたところで状況は一歩も進みません」

「それもそうだな……」

 同意するように、ヒュンケルは頬杖を突きながら溜息を漏らす。

「まあ、実際のところ、何も摑めていない――というのが、正直なところか?」

「否定はしません。むしろその通りなのですからね。今回の件も、これまでのことも……すべて、含めて」

 エスターヴァは含み笑いをしながらそう答えた。

「プレイヤーがゲームの世界に意識を取り込まれる――などと、実体験をするあの日まで都市伝説程度にしか思っていませんでしたよ。そして、思っていたほど胸が躍るようなこともない」

「夢物語だから、人は面白そうと感じるのだ。しかし蓋を開いて見れば――あの在り様だ。現実では味わえないような体験もあるが、モンスターなんてものがいるおかげで、現実よりよほど物騒だ」

 嘲笑と共にヒュンケルは組んでいた腕を解くと、脱力したようにだらりと下がり、彼の全身を包む外套がわずかに揺れた。大きな動作ではない。本当に些細な、何気ないその動き。

 しかし、次の瞬間、漆黒の銃口がエスターヴァを捉えていた。


「――こんな風にな」


 《竜牙の黒銃(ドラゴン・トゥース)》を手にしたまま、わずかに口角を吊り上げてヒュンケルが言う。エスターヴァは呆れたように肩を竦めた。

「おふざけは余所でやっていただけますか?」

「違いない」

 指で器用に銃を回転させながら、悪戯の成功した子供のような笑みを口元に浮かべ、したり顔でヒュンケルは首肯する。

 非常に老練したような、あるいはくたびれたような雰囲気を醸しているかと思えば、まるでそれとは真逆の子供のような行動を多摩に取るこの男の考えが分からず、エスターヴァはほとほと困ったというようにかぶりを振った。

「情報を開示したくとも、我々『ガーディアン』が摑めていることなど砂上の砂と同じ程度のことです。強いて言うならば――」

「言うならば?」

 ヒュンケルが鸚鵡返しに首を傾ぐと、エスターヴァは僅かに目を細め、言う。


「貴方と――そして〈聖人〉が何かを探っている、ということくらいですかね」


「うげっ」とヒュンケルが顔を顰める。

「痛いところを突いてくるなぁ」

 げんなり顔でヒュンケルが天井を仰いだ。

「教えてくれる気はないのですか?」

「教えられることがないのだよ。強いて言うなら――」

「言うならば?」

 エスターヴァが鸚鵡返しに首を傾ぐと、ヒュンケルは苦笑と共に、口を開いた。


「俺もリューグも、分からないことが増えた――と、言うことくらいだ」


 金髪の青年は少しの間目を瞬かせると、やがてがっかりした様子で盛大な溜息を吐きながら肩を落とした。

「役に立ちませんね……貴方たちは」

「うっせ」

 苦虫を噛み潰したようにヒュンケルが毒づく。

「子供ですか、貴方は」

「二十歳なんて、世間からすればまだ子供(ガキ)だろう」

 呆れ顔のエスターヴァに向け、ヒュンケルは眉を顰めながらそう言い放った。

「そんなことよりも――」

 その先を口にしようとし、ヒュンケルの動きが止まった。その様子を見たエスターヴァは、一瞬ラグでも発生したのだろうかと首を傾げる。しかし、すぐにその意味を悟った。

「これは――」

 脳裏に響いた、ポーン――という無機質な電子音。

 メール着信。

 送信者の名前は――草薙。

 ヒュンケルの動きが静止した理由は、間違いなくこれだったのだと、エスターヴァは理解し、こちらを向いていたヒュンケルの視線と交錯する。

 お互い、無言に首肯。

 同時に目の前に開いたメールウィンドウの一番新しいメールをタッチする。

 メールが開く。

 宛先は《十二音律》総員。

 件名は――『《十二音律》議会』。


      ◆      ◆      ◆


 ポップしたメール内容を読み終えると、ユウは至極つまらなそうに眉を顰め、溜息をついた。

「一難去ってまた一難――とは、こういうことを言うのかしらね」

 そのゴシックロリータのような衣装を身にまとった姿で湯呑を手にしている姿にはいかんともしがたいものを感じる者は多いだろうが、当の本人はそんなことは僅かも気にしていない様子で湯呑を傾ける。

 その姿を横目に、複雑そうな表情をしたフューリアが首を傾げた。

「いきなりなんだ? 藪から棒に」

「別に。また一悶着起きそうな予感がしたのよ」

「ならまず人の店で四方山話をすることを止めんか」

 澄まし顔で受け流すユウに向け、サクヤが怒りと呆れの入り混じった表情(かお)でそう苦言する。

 対して、ユウは、

「あら、居たの?」

「居るに決まっているだろう! 私はこの店の店主だ!」

「ふーん。そうだったの。お店……ね」

 サクヤの怒号を受け、ユウは含み笑いと共に店内を――武具工房『桜樹』の中をゆっくりとした動作で見回した。


「それにしては随分と閑散としているようね」


くすっ……と恍惚さすら感じさせるような艶やかな笑みを漏らすユウの様子に、サクヤは「ぐぅ……!」と歯を剥き出しに白衣の少女を凝視する。

 そんな店主の姿に、ユウは嘲るように言葉を続けた。

「こんな閑古鳥の鳴きそうな場所、私たちが来ていることにでも感謝したら?」

「死んでもお断りだな。お主のような客になど、感謝してやる理由がないわ」

 という言葉の応酬は最早何度目のことか。この店に来てすでに一時間近く経過している。その間にこの二人がこうして互いを威嚇した回数は、すでに三十七回に及んでいた。

 店主と火花を散らす友人の姿に、フューリアは呆れ顔のまま目の前の湯のみを手に取り茶を啜る。

 片や怒気を剥き出しに、片や笑顔のまま闘志を燃やす両者の様子は、仲が悪いようで仲の良い――言ってしまえば喧嘩友達のようにも見えるのだが、いざ喧嘩が始まると、お互いに殺意と殺気を剥き出しにし、全力を以て相手を倒そうとする様子は、まるで仇敵を目の前にした復讐者のようにも見え、フューリアはこの二人の関係が未だに測りかねていた。

(まあ、そのうち気が済むだろう……)

 ほとんど投げやり同然に放置を決め込んだフューリア。その耳朶を、もはや聞き慣れてしまったベルの音が叩く。

 研か寸前の二人の動きが止まり、同時にフューリアも視線をベルの音の下方向――店の入口へと向ければ、そこにはこの店の常連の一人である青年――リューグが、あの黒髪の少女を引き連れてドアを潜るところだった。

 リューグは店の中に入ると同時に、店のど真ん中で顔を突き合わせているユウとサクヤを見ると――それだけですべてを察したように肩を竦めた。

「また喧嘩? 懲りないね、二人とも」

 まったくだ、と、フューリアも胸中で同意する。

「喧嘩ではない! この女が一方的に私に敵意を向けてくるのだ!」

「失礼ね。私はただ遊んでいただけよ」

「姐さんはからかわれてるだけですから。ユウのは性質が悪いね」

 嘆息と共にそう二人に言葉を投げて、リューグは店のカウンターへと歩み寄った。ノーナもてくてくとその後に続く。リューグはそのまま湯呑を二つ手に取り、急須からお茶を注ぐと、その片方をノーナへと渡しながら、視線をユウへと向けた。

「ユウ。君にもメールは来た?」

「残念ながら」

 問われたユウは、くるりと優雅に身を翻しながら微笑する。しかしその眼には、面倒臭いという感情がありありと浮かんでいるのが見え、リューグは肩を竦めながら茶を啜った。

「メールとは何だ?」

 未だに眉を顰めたままのサクヤが、険の残る声音で問う。リューグは即答した。


「召集のための連絡メールですよ。《十二音律》の」


 さもどうでもよさげに返って来た言葉なのだが、それを聞いて目を剥いたのは、ユウを除いた全員である。

「それはつまり――『《十二音律》議会』が行われる……ってことなのか?」

 恐る恐ると言った様子で、フューリアが絞り出したような声でそう問うた。問われた二人は、揃って首を縦に振り、その問いに肯定を返す。

「まだ何について議論するのかは知りませんが、近日の内に行われることは確定しました。それも、全員強制参加という形で――ね」

 送られてきたメールの内容をかいつまんで説明するリューグの表情にもまた、先ほどユウの見せた面倒臭いという感情によく似た億劫の気配が漂っているのが見え、フューリアはそれが冗談でも嘘でもない、紛れもない事実であることを否応なしに理解し、今度こそ絶句する。

 サクヤも先ほどまでの顰め面は鳴りを顰め、言葉をなくしたようにただ開閉を繰り返すばかりで、ノーナもまた、目を皿のように見開いて何度も瞬きを繰り返している。

 そんな彼女たちの様子に、ユウは心底羨ましそうな表情を浮かべ、同時に大きく吐息を漏らし、こう言った。

「どうせまた、面倒なことになるに決まってるわね。もうすでに、嫌な予感しかしないもの」

「確かにね」

 ユウの言葉を肯定するように、リューグが小さくそう漏らす。


 ――世の中、得てして嫌な予感というものほど的中するのだということを、この時彼らは忘れていた。



 はいお久しぶりです白雨です。短い割にはほとんど一月ぶりの更新ですが、なんとか書けました。

 ここからとりあえず《十二音律》がぞろぞろと姿を見せ始めます。キャラがかぶらないように頑張ろうというのが昨今の目標と悩みでありますww

 ではまた、次回お会いしましょう。




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