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リ=ヴァース・ファンタジア  作者: 白雨 蒼
二章『トラディメント・スコア』
13/34

Act12:束の間の平穏

 鳥の鳴き声が響き、活気づく商いの声が止まない青空の下。

 商人が並び露店を開く大通りから一辻それた通りに面する場所に建てられた集合住宅(マンション)の一室。

 そよ風が開いた窓から流れ、頬を撫でる心地よさにふと微笑を零しながら、彼は一瞬だけ視線を窓の外へ向け――再び目前の作業に戻った。


 窓際の椅子に背を預け、灰髪の青年は手元のタッチパネルに指を走らせる。


 小さく漏れ聞こえるタッチ音は止まることなく、青年――リューグは軽快にキィを叩き、タッチパネル上に表示された無数のウィンドウに走るコードを瞬きも忘れた様子で凝視し続けていた。

 プログラムを形成するコードは、知識のない人間の目からすればただの英単語と数字、そして数式の乱立にしか映らないが、精通する人間にとって、そこに走るコードはどれをとっても無意味なものなどなく、一語一語が確かな意味を以てそこに記されている。

 刻まれた言葉の一つ一つが形を成し、世界を作る。

 ゲームの世界とはそういうものだ。

 ただポリゴンにテクスチャを張り付けただけのデータに過ぎないと人は言うかもしれない。

 だが、少なくとも日口理宇と言う一人のプログラマーにとってはそうではなかった。


 プログラムのコードは、文字通り言葉だ。


 大小問わず、この〈ファンタズマゴリア〉に存在するプログラムのすべて。プログラムを開き、そのプログラムを組み立てるコードの書式や文法、プログラム全体の組み立て方を読めば、その制作者の意図や想いが、そこには如実に、顕著に描かれている。

 純粋に〈ファンタズマゴリア〉を盛り上げようとする者。

 仕事としてきっちりとした、悪く言えばお約束(テンプレート)術式(プログラム)を作る者。

 自分の独りよがりをただふりまきたい、意地の悪い者。

 悪意に満ちた、他の利用者を困らせようとするクラッカー。

 それぞれ個々に、組み立てたプログラムには個性が浮かび上がる。何を願い、何を望んでそのプログラムを組み、そしてアップロードしたのか……その意図を探る一番の方法は、そのプログラムコードを見ることにあると、リューグは思っている。

 ただ……それは読めればの話である。

 つまるところ、


「駄目だ……解けない」


 項垂れると共に諦めの言葉を口にし、リューグは溜息を漏らした。


 リューグが見ていたのは、彼の目の前に置かれた彼の愛剣、《竜血に染まる法剣(アスカロン)》のプログラムコードだった。

 ただし、厳密に言えば見ていたわけではなく、見ようと試みて失敗を繰り返しているというのが正しい。

 《竜血に染まる法剣》に組み込まれている保護機能(プロテクト)によって、閲覧の「え」の時にも至っていないのである。


「なんだこのふざけたレベルのセキュリティは……防壁(ファイアウォール)が五重なのはまだ許せるけど、なんでセキュリティ解除の暗証鍵語(コードキー)が二万桁もあるんだよ! しかも一分おきに暗証番号が変わるとか――どうやって解除するんだ、これっ!?」


 リューグはやけくそ気味に憤慨し、椅子の背もたれへ全体重を預け、悔しげに歯ぎしりを立てた。


 ――〈ファンタズマゴリア〉に存在するプログラムは大きく分けて二種類存在する。

 オープン(タイプ)とクローズド(タイプ)の二つである。

 そして多くのプログラムは基本、組んだ本人以外はコードを閲覧することのできないクローズド(タイプ)が採用・導入されている。そのため他のユーザは〈ファンタズマゴリア〉上に公開されている様々なプログラムの構築コードを見ることはできない。

 ましてや〈ファンタズマゴリア〉の運営側が組み立てたプログラムともなれば、プログラムを守る防壁(ファイアウォール)は鉄壁と言っていい。

 運営開始当初、世界中に第一級のネット犯罪者として名を轟かせるハッカーやクラッカーが、悪戯半分興味半分でハッキングやクラッキングに挑んだが、結局その一つとして成功した試しがないことはネットでも有名な話だ。


 ――しかし、まさかその正体がこのような大がかりな数式鍵錠だとは予想もしていなかったリューグは、苦々しい思いで《竜血に染まる法剣》のセキュリティ画面を凝視する。

 日口理宇(リューグ)とて、それなりに腕に覚えのあるプログラマーだ。最初こそこの難関なセキュリティを解除しようと試みたが、過去の前例に違うことなく惨敗し、つい意固地になって挑むこと数時間を労した結果がこれである。

 完敗。

 その二文字が脳裏で何度も明滅していた。

(ああー……甘く見てた。本当に、甘く見てました……)

 自分の暗愚さを思い知りながら、リューグは溜息一つ漏らして前髪をくしゃりと掻き上げて窓の外へと視線を移した。

 陰鬱に沈むリューグの心境とは真逆な、清々しいまでの晴天が広がっている。


「あーあ。悩みなんてなんもないって感じの空だ……羨ましいね」


 そんな空を見上げて、リューグは再び、盛大にため息を漏らして天井を仰ぎ、愚痴を漏らし――僅かにその目を細めて黙考に浸る。


 ――古城シアルフィスにて、リューグたちが異形を操っていた元凶である魔術師ムオルフォス。ならびにそこに出現した悪竜ニドヘグを倒してから、すでに一週間が経過していた。

 あの異形を操っていたムオルフォスが死んだこともあり、戦い以降あの白い面を携えた黒身の人型による事件ははたと鳴りを顰めた。まるで最初からそんな騒動などなかったのではないかと錯覚するくらいに平穏が続いている。

 日々警戒に意識を向け、疲弊していた《来訪者》の多くも、問題が解決したという話が広まるにつれて次第に元通りの生活へ戻って行った。

 だが、同時に『ガーディアン』のメンバーが十人近く死んだ話を始め、シアルフィスにニドヘグが現れたという話も瞬く間に都市全体に広まったのも確かだった。

 だが、多くの者はその話を眉唾ものとして信じなかった。いや、正確に言えば、信じたくなかったのだろう。

 ようやく訳の分からないモンスターによる被害がなくなるという話が湧いたのに、それ以上不安と警戒を煽り促すような話は、ただの与太話と片をつけたほうが良い……そう考える者は、おそらく少なくない。

 リューグだって、自分が当事者でなければそのような話を信じはしなかっただろう。気には留め、記憶の片隅程度には覚えておいただろうが、結局はその程度で終わったはずだ。


 ――しかし、現実はリューグにとって優しくはなかった。

 すべてが終わる。そうでないにしても、黒幕へ通じる確かな人物。そう信じて追い詰めた黒幕。ヒュンケルと共に捕らえようとして挑み追い込んだ相手。全身を外套に包んだその人物の正体が、リューグを困惑させた。

 存在するはずのない人間。

 死んだはずの人間。

 最早過去の存在となりはてたはずの、亡き弟。


「――カイリ・フランベルジュ。いや―……日口海理――ね」


 自分でも思った以上に、自然とその名を口にした。

 半ば記憶の奥に埋没していながら、だがはっきりと覚えていた、一度として顔を合わせたことのない弟の名前。

 生前の父が、母が、何度も教えてくれたのだ。忘れてはいけない名前だ――そう言い聞かせて。

「……」

 最早、何度目とも知れないため息が漏れる。


 これは――考えた所でどうしようもないのだ。そう、リューグは割り切っている。


 名前こそ名乗り明かしたが、結局その名前が本当に彼の名前であるという決定的な証拠があったわけではない。彼の正体をこれ以上考えた所で思考が迷走するのは目に見えているため、リューグはカイリに関しては一旦保留と匙を投げた。


「まあ……なるようにしかならないだろ」


 投げやり気味にそう言葉を放つと、リューグは疲れた目をほぐすように眉間を指で抑えて、ずっと椅子に座って同じ姿勢を取っていたために凝り固まった四肢をうーんと伸ばして軽くストレッチする。

 身を預けていた椅子の手近にあるテーブルの上に置いた《竜血に染まる法剣》の周囲に無数と展開しているウィンドウを腕の一振り(スクロール)で閉じ、もう一度剣を手に取って二、三素振りをして鞘に納めた。

 一週間近く籠り気味で思考錯誤した結果は、結局『分からないことが増えただけ』という事実を裏付けるだけで終わってしまったことになる。

 逆に言えば、それだけでも確信に至れたという収穫があると言えばあるが……ヒュンケルに言わせれば、そんなものは収穫がないのと一緒と一蹴されるのがオチだろうと苦笑と共に肩を竦めた。

 すると、


 ――こんこん


 控えめなノックの音が、室内に響いた。

 リューグは鞘に納めたままの《竜血に染まる法剣》をテーブルの上に戻し、ベッド脇に立てかけておいた剣を手に取りながら、


「はい。どちらさま?」


 尋ねる。

 一拍置いて、


「ん。ノーナ」


 来客が扉の向こうでそう名乗った。

 知己の――いや、仲間の名前。そして会って間もないというのに、やたら聞き慣れた気がする声を耳にし――リューグは微笑を洩らし、半ば無意識に張り詰めていた気を緩め、警戒を解く。

「鍵は開いてるから、入っていいよ」

「うん。分かった」

 リューグの声に、少女は律儀に扉の向こうで返答した後、控え目に玄関の扉を開けた。

 両サイドで括った床まで届く黒髪を揺らし、少女はひょこりと顔を見せると、ノーナは物珍しげに室内に視線を右往左往させる。

 その仕草に苦笑しながら、リューグは再び椅子に身を預けながら尋ねた。


「それにしても、よく此処が分かったね? ヒュンケルにでも聞いた?」


 記憶違いでなければ、リューグの現居住場所はヒュンケル以外知らないはず。故に、彼に聞いたのかと勘繰ったのだが、以外にもノーナは「ううん」と即座に横に首を振り、目前の空間を一撫でする。ウィンドウが虚空に具現し、ノーナはそれを指差して言った。


「フレンドリストを見たの」


その言葉に、リューグは「なるほど」と納得する。

「そう言えば交換したね。メンバーアドレス」

「うん」と少女が頷く。

 メンバーアドレスは、〈ファンタズマゴリア〉内で知り合った相手とゲーム内外で連絡を取る際に必要となる連絡先(アドレス)のことだ。異世界と化した現在でも変わらず機能している者の一つ。

そのメンバーアドレスを交換し、フレンドリストに登録されている友人たち(メンバー)の所在は、〈ファンタズマゴリア〉にログインしているメンバーに限り、リストを調べれば大体分かるようになっている。

 更に言えば、リューグはフレンドリスト登録の際に交換する情報に自分の家(ホーム)の位置も登録していた。後はその位置データを道案内(ナビゲーション)システムに打ち込めば、システムが勝手にそこに案内してくれるようになっている。

 彼女はその道案内システムを利用してこの場所にたどり着いたのだろうというのは分かったのだが、リューグには一つ、腑に落ちないことがあった。


「――しかし、なんでまたわざわざ訪ねてきたんだい?」


 アイテム欄をスクロールさせながら、リューグは振り返ってノーナに訪ねると、少女は質問の意図が分からないという風に小首を傾げて見せる。

 小動物のような仕草に苦笑しながら、リューグは続けた。

「いや、用があるならメールすれば良かったんじゃないかなーって」

「ああ……」

 その言葉に、ノーナは納得した様子で目を瞬かせる。

 リューグの言った通り、この世界でならばわざわざ相手のいる場所に赴かずとも、メールの一つ送るだけで大体のことは足りるのだ。

 しかし、少女は首を横に振ってそれを否定する。

「メールじゃ駄目」

「そうなのかい?」

 今度はリューグが首を傾げる番だった。わざわざ自分の所に訪ねてまでしなければいけないほどの用事とは一体何なのか。見当もつかぬリューグは、その答えを求めるようにノーナに視線で問うた。

 しかし、少女はリューグの疑問に答えることなく、代わりにその視線をリューグの傍ら――テーブルの上に置いてるものに向けられていた。

 自然、リューグの視線も同じ場所へ行きつく。


 《竜血に染まる法剣》。


 鞘に納められたまま置かれている、この〈ファンタズマゴリア〉における至宝の一つを見据え、ノーナは首を傾げた。

「調べもの?」

「調べもの、じゃなくて、調べ事、かな」

 やんわりと微笑しながらリューグは答え、鞘に収まったままの剣を手に取った。

「ニドヘグとの戦い――あの最後に起きたアレ……ノーナは?」

 問いに、少女は頷いて返す。

「見てたよ。金ピカの光が、剣の中から溢れてたの」

 少女の言葉が、あの力がリューグの錯覚でないことを肯定する。

 まあ、当然と言えば当然だろう。あの瞬間、ノーナは誰よりもリューグの傍らにいた。

 二人の放った奥義アーツ・スキルの壮絶な威力によって、爆発的に膨れ上がったライトエフィクトの嵐の中に呑み込まれていたとはいえ、この少女はほとんどゼロ距離にいたのだから、見えていたのは確かだろう。

 剣身から溢れ出した、金色の奔流。リューグの知らなかった、《竜血に染まる法剣》に秘められた謎の既存外の能力(イレギュラー・スキル)

 あの力を垣間見たのが自分だけならば、極限状態に見た単なる幻覚と考えることもできただろうが、やはりそういうわけにはいかない。

 リューグはノーナの言葉を肯定するように頷いて見せる。


「それが何なのか……調べてたんだよ。さっきまで――ね」


 最後は自嘲するように肩を竦めて、リューグは鞘ごと摑んでいた《竜血に染まる法剣》の柄を握り、一気に抜剣――しゃりぃぃんという小気味よい音と共に、朱の刃を宿した白銀の剣が姿を現した。

 そのまま、リューグは抜身の刀身を見定めるように凝視する。

 怪しく、同時に神々しく、そして空恐ろしくすら感じるほどの優麗な剣に、様子を見ていたノーナが感嘆の吐息を洩らすのが聞こえ、リューグは小さく苦笑した。

「結局、何も分からずじまいなんだけど」

「分からないの?」

「うん。何もね……」

 わずかに、言葉に悔しさを滲ませながらリューグは答えた。すると、少女がリューグに歩み寄りながら、再び問いを投げかける。


「名前も?」


 その問いに、リューグはノーナを見て目を瞬かせた。そしてぽかんと目を剥いたまま、リューグはそっと手にする《竜血に染まる法剣》を見据え――やがてそっと首を横に振る。

「いや……」

 答えながら、リューグは目を閉じ黙考する。

 確かにあの瞬間、リューグはその名を確かに聞いていた。

 

『ユーザーアクセスを受信。

 遺伝子情報、声紋――照合クリア。システム、ロック解除。

 《竜血に染まる法剣》第一プロテクト解放――《レゲンダ・アウレア》起動』


 あの時聞こえたシステムアナウンスが、確かにその名を口にしていたのを思い出す。


「――黄金伝説(レゲンダ・アウレア)……ね」


 小さく呟いたその名前の意味を、リューグは確かに知っていた。


 レゲンダ・アルレア――日本では黄金伝説と呼ばれている、大司教ヤコブス・デ・ウォラギネが記した、キリスト教に連なる聖人たちの偉業や伝説を記した伝集の名である。

 その書物の名を冠した謎のスキルが、どうして《竜血に染まる法剣》に組み込まれているのかは知らないが……もし関連があるとすれば、やはり《竜血に染まる法剣》のモデルとなった聖剣、アスカロンの保持者である聖ジョージこと、ゲオルギウス以外はないだろう。

 彼もまた、黄金伝説に名を連ねた英雄の一人だ。

 そして皮肉にも、《竜血に染まる法剣》を持つリューグの二つ名でもある。

 ここまで整っていると、最早偶然よりも作為しか感じられず、リューグは半眼で眉を顰めて愚痴を零す。

「……まったく。随分と洒落た名前だね……」

「ん?」

 本当にか細い――口の中だけで小さく呟いた言葉が聞こえたのか、ノーナが首を傾げるのを見て、リューグは我に返る。

 ほんの一瞬の記憶の回帰。それだけで周囲のことも忘れてしまった自分に戸惑いを覚えながら、リューグは誤魔化すように笑って見せた。

「ごめん。何でもないよ」

「そう?」

「そうそう」

 笑顔と共に何度も首を縦に振り、リューグはふと思い出したように少女を見る。

「そう言えば――結局、僕を訪ねてきた理由は何だったの?」

 改めて尋ねる。

 すると、少女は僅かの間両目を瞬かせて、「うーん?」と声を漏らしながら首を傾げること、約数秒。

 少女は再びリューグを見上げて、少しばかり両目を細め、険のある視線で彼を睨みつけ、言った。

「約束がまだ」

「え?」

 突然のことに、思わず訊き返したのが悪かった。

 見る見るうちにノーナの表情が不機嫌なものになり、リューグが身の危険を感じた時にはすでに、その拳が鋭く彼の腹部を穿っていた。突然のことに対応が遅れ、リューグは少女の拳を無抵抗のままに受けてしまい、


「ぐはっ!?」


 小さく悲鳴を漏らし、その場にうずくまった。

 小柄な少女と侮ってしまいがちだが、ノーナは間違いなく高位の拳聖(バトルマスター)なのである。その拳による一撃は、現実の大型動物だって一撃で沈めることもできるほどの威力を誇っている。

 たとえダメージの発生しない《安全圏》であろうとも、その威力だけは確実にリューグへと通じるのだ。

 痛みに悶絶するリューグをよそに、少女はむぅ……と頬を膨らませながら腕を組み、仁王立ちのままに言う。

「この前、手を貸す代わりに食べ放題って言った」

「……あー。はい」

 不満顔で告げられたその言葉に、リューグは若干遅れて反応を示しながら、その約束のことを思い出す。

 件のエンカウント事件で、この少女には手伝って貰う代わりに、何でも好きな物を奢るという約束をしたのだ。


(色々あり過ぎて、かんっっっぜんに忘れてた……)


 胸中でそうぼやき、頬をぽりぽりと指で掻いて、同時に少女の来訪の意味をようやく理解するに至る。

 つまりは、待ちくたびれた少女が催促しに来たというわけだ。

(何もこのタイミングで来なくとも……って、僕が悪いんだから、文句は言えないよねー)

 嘆息一つと共に、リューグは立ち上がりながら頭の中を整理する。

 考えなければいけないことは幾らでもあった。

 あの謎のモンスターによる事件は終息にこそ向かっているが、その実――何一つとして問題が解明していないというのが現実である。

 結局、あのモンスターについて何かしら情報を握っていたはずの魔術師、ムオルフォスは、あの術式(プログラム)によって顕現したニドヘグによって死に、何一つ残さず散ってしまった。

 そして裏で糸を引いていた存在と繋がっているであろう人物――カイリは逃してしまい、得られた情報はゼロに等しい。

 リューグの持っている《竜血に染まる法剣》の、MMORPG〈ファンタズマゴリア〉の頃には存在しなかった謎の機能も、堅過ぎるプロテクトの為に解析は不可能――ドン詰まりとはこのことである。

 詰まる所、今のリューグに出来ることは何もないというのが現状だった。

 いや。

 一つだけできることはある。


「――ノーナ」


 殴られて未だに痛みの残る腹部をさすりながら、リューグは少女の名を呼んだ。ノーナは今もなお不満気に眉間に皺を寄せて、リューグを見据えている。

 対し、リューグは肩を竦めながら言った。

「それじゃあ、約束の報酬は今からでいいのかな?」

「うん!」

 そう尋ねた次の瞬間、ノーナはぱっと眼を輝かせて大きく頷いて見せた。何とも現金な反応である。

 ノーナは頷くや否や颯爽と玄関へと駆けていく。

 まるで子供のようなその様子を微笑ましく思い、失笑しながらリューグは《竜血に染まる法剣》を再び鞘に納め、それをアイテム欄に収納する。

 そしてノーナを追って玄関に向かいながら、ふとその足を止めて振り返り、窓の外へと視線を向けた。

 外の景色は、なんの変わり映えもしない青空と街並みが広がっている。

 随分と、見慣れてしまった光景だ。

 もう何年も、ずっとこの景色を見ていたような、そんな錯覚にすら陥るほどに、その景色が徐々に当たり前になって来ている。

 まだ一年。されど一年。

 時間は確かに進んでいく。

 現実と言う世界から放り出され、ゲームの中と言う異世界に放逐されてから、それだけの時間が経過したことを思い出す。

 帰りたい――そう思う気持ちに嘘はない。

 望郷の念は、偽りでも誤魔化しでもない。

 しかし、日口理宇として失った一年弱の代わりに存在する、この世界でリューグ・フランベルジュとして生きた一年弱もまた、偽りでは――ない。

 ふと、思ってしまった。

 今もこの都市の何処かでくすぶる《敗者》たち。彼らが恐れているものは何も、帰れないことだけではなく、死ぬ可能性があることだけではなく――


 ――こういった、現実(リアル)の自分が希薄になっていくことも、含まれているのか……と。


(……役割を演じる(ロールプレイング)……ね)

 MMORPGのプレイヤーは、多かれ少なかれ自身のPCに成り切ってしまう傾向がある。外見がほとんど変わらないリューグではあるが、自分が百パーセント日口理宇として活動していると断言することはできなかった。

 現実の日本ではない国で、地球ではない世界で、普段着とは異なる、ファンタジーの衣装に身を包んでいるのだ。微弱であれど、何処か成り切っ(ロールし)ている部分はあるだろう。

 

 ――その最たる者は、おそらくPKたち。


 ゲームの世界だから。ゲームのキャラだから。本当の自分ではないから。

 だから殺したって問題ない。そう解釈した者たち。

 果たして、この世界で殺しの悦に浸ってしまった彼らが現実へ帰還した時、彼らは一度快感を覚えてしまったその行為を、本当に止めることが出来るのか。

 麻薬(クスリ)と同じ。一度手を出したその行為を快楽と認識した時――揚々と脱却することは難しいと、リューグは思う。

 そして、それ以上考えることが無意味であることも、同時に理解していた。

 結局、それを続行するのも止めるのも本人次第なのだ。

 現実の日口理宇にとって、彼らが現実に帰還した後どのような道を辿ることになっても、それは日口理宇(リューグ)の知ったことではない。


 ――無論、目の前でそのような事態が起きた場合は除いてだが。


 リューグが――理宇が拒否するのは自分の目の前――即ち、手の届く所で誰かが無為に死ぬことだ。

 昔目の前で起き、そしてそれをただ見ていることしかできなかった自分のふがいなさに対しての憤慨と後悔が理宇をそうさせるに過ぎない。

 自分の預かり知らない場所で、自分の知らない誰かが死んだところで、理宇は何の感慨も抱かない。誰もが赤の他人の死がニュースで報じられようと気にも留めないように。

 ただ、助けられる命があるのならば助ける。

 それだけだ。

 そして何より、


「リューグ……?」


 玄関からひょっこりと顔を覗かせたノーナに名を呼ばれ、リューグは我に返ると、

「ごめん、今行くよ」

 考えに耽っていたことを笑顔で誤魔化しながら、急いで少女の下へと向かう。


 ――これ以上待たせたら、誰かの命よりもまず、自分の命のほうが危うくなりかねない。


(と思ったなんてことは、口が裂けても言えないよね)

 胸中で苦笑しながら、リューグは玄関を閉めて閉鍵(ロック)を掛け、先を歩く少女の隣に並んで歩き出した。


      ◆      ◆      ◆


 武術は時に、二つの言葉で分類される。


 即ち――柔か剛か。


 そして剣術の表現は、大きく分類して二つある。


 つまりは――苛烈か、流麗か。


 そしてそれらの言葉で区分する場合、赤毛の男の戦い方は間違いなく剛の技であり、その剣撃は比類なく苛烈を極めるものだ。

 尺寸は三尺強。

 刀としては間違いなく長刀に分類されるその武具を、男は悠々と振り回して敵を屠っていた。

 見た目は二十代半ば。しかしその実年齢は不明である。

 元々〈ファンタズマゴリア〉はMMORPGだ。PCの外見容姿(モデリング)とプレイヤーの年齢が不一致であることはさほど珍しくもない。

 しかし、男の見た目の若さの割には、酷く老成した気配を感じる限り――誰が見ても十代や二十代の若者とはとても思えないだろう。

 荒々しく、まるで暴力の権化の如く振るわれる刀が異形を断つ。

 男の前に立ちはだかっていたのは、四本の腕にそれぞれ異なった武器を持った巨躯の化け物――巨鬼(オーガ)系A級モンスター、アーヴァンガルデ・オーガ。

 本来ならば第二大陸(ツヴァイ)になど決して現れるはずのないモンスターだ。アーヴァンガルデ・オーガの本来の出現地方は、第二大陸から海を渡って辿り着ける第三大陸(ドライ)の最奥部であり、そこに存在するモンスターの中でも突出した攻撃性能を誇り、単身(ソロ)では決して出会いたくないモンスター――凶悪種に数えられている。

 それくらい恐れられ、一人で戦う相手としては困難とされているにも関わらず、この男はそのモンスターから終始かすり傷一つ負わされることなく地に沈めた。

 両断されたオーガが一瞬の硬直の後、けたたましいサウンドエフィクトを伴って爆散するのを、何の感慨も宿らない――無感動な目で見下ろしながら、その男は一度だけ刀を血振るいし、


「――つまらんな……」


 そんな一言と共に、男は刀を鞘に納めた。

 ぱちん、という乾いた音が、無音の荒野に僅かに響く――すると、それを待っていたかのように、男のすぐ近くにある岩影から一人、静かに姿を現した。

 肩辺りで切り揃えられた、青みがかった髪の和装の女性は、呆れた様子で男を見据える。


「一応、お疲れ様ですとだけは言っておきましょう。草薙クサナギ


 男――草薙が女性の唐突な登場に対し、さして驚いた様子も見せず、ほんの少しばかり視線だけを彼女へ向けた。

「――羽々斬ハバギリ。待たせたか?」

「いえ。それほどは」

 女性――羽々斬はかぶりを振った。そして視線は草薙から今も四散し消滅していくポリゴン片へと向けられる。

「随分とイリーガルなエンカウントをしていたようですね」

「ああ。第三大陸にしか存在しないモンスターと、こうも早く戦えたのは良かったが……いささか手応えがない」

「誰もそのようなことは聞いていませんよ」

「私は強い存在(モノ)と戦いたい」

「知っていますよ。死なない程度でお願いします」

「断る。戦いとは命と命の奪い合いだ。奪われる緊張感のない戦いなど、虚しく、つまらぬものだ」

「なら延々と虚しくつまらないことをしてください」

 草薙の言葉を断じながら、羽々斬は咎めるように彼を睨む。しかし、彼はそんな視線など気にも留めず、視線はあらぬ彼方へと向けていた。

 これ以上言っても時間と言葉と労力の無駄と判断したのか、羽々斬は溜息一つ吐いて思考を切り替えにかかようとした。

 のだが……それよりも早く、草薙が静かに口を開いた。

「――最近、どうにも不可解なことが多いな」

「はい。今回のオーガに然り。各地で、明らかに〈ファンタズマゴリア〉の仕様外の出来事が発生しているようです」

 草薙の問いに、羽々斬は即答した。

 先程、草薙の倒したアーヴァンガルデ・オーガもそうだが、この一月の間に《来訪者》たちが混乱するような異常(イリーガル)な現象が幾つも起きている。

 そして、その最たるものは――


「一週間ほど前まで、第一大陸アインの古都ユングフィでは、謎のモンスターによる《来訪者》の消失する事件すら起きていたそうです。事件自体は、すでに終息に向かっているそうですが――」


「……ほう」

 草薙が興味あり気に視線だけを返すと、青髪の女性は僅かに口角を吊り上げて見せた。その様子に、草薙はがぜん興味が湧き、すぐに問う。

「誰かが止めたか?」

「はい。草薙もよく知っている者たちです」

 意味深な言葉に、草薙は一瞬考えるように眉を顰め、


「……《十二音律》の者か?」


 自分のよく知る者たちなど、羽々斬を除けばそれくらいだった。

 その言葉を、羽々斬は肯定するように微笑する。

 草薙は顎に手を当てて撫でるような仕草をしながら、《十二音律》に属する者たちの名を脳裏に上げ、更にその中から古都ユングフィに居座っている者たちを連想した。

「〈賢人〉……〈死神〉……それと――〈聖人〉の誰か……か?」

「その全員が関与したそうです」

「三人揃ってか……それは稀有なことだな」

「はい。ゲーム時代では考えられなかったことです」

 ――超越存在(ハイレベル・プレイヤー)、《十二音律》。

そこに名を連ねている者は、総じて我が強く、ほとんどがソロで動くような面々ばかりだ。ましてや《十二音律》同士がパーティを汲むこと自体がまず有り得ないなのである。

 例外として、リューグとヒュンケルの二人がいるが、あの二人がパーティを汲んでいるのは現実(リアル)においても交友があるからであり、この二人以外は集団(レイド)クエストや戦争(ウォー)クエストに参加でもしていない限り、共同することなどゲーム時代では有り得ないことだった。

 草薙がくつくつと笑いを漏らす。

「知らぬ間に――随分と面白いことになっているようだな?」

「そう思われるのは、きっと貴方くらいですよ」

 呆れた様子で羽々斬が苦言するが、草薙がそれに耳を貸すことなどまずあり得ない。

 今度は何をする気なのやら――そんな心配をする羽々斬の気持ちなど露知らぬ男は、その口角を僅かに、だが確かに持ち上げて、


「――久方ぶりに、顔を見に行ってみるのもよいな」


 オーガと戦い終えた時とはまるで打って変わった、実に楽しそうな様子で言った。

 そして、

「……ほどほどにしてください」

 という羽々斬の諦め切った忠告など聞き入れるはずもなく。

 至高存在が第一番にして《十二音律》の(ちょう)、〈荒人神(スサノオ)〉草薙・タケハヤと、彼の補佐を務める羽々斬・ツクバの二人は一路、その歩みを第一大陸へと向け歩き出した。





 お久しぶりです。白雨です。

 今回もわりと短めです。いや、単に『黒き竜』の話が長過ぎただけなんですよね。次あれほど長くなったら分けようと決めてますww

 というのは置いておいて、これより二章スタートです。目標は六月までに終わらせることかな。

 では次話(タイトル未定)にてお会いしましょう。ノシ

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