Act11:邂逅
幼いながらに、理宇にとってその情景は不可思議なものだった。
誕生日の席。
父と、母と、自分。三人家族で祝ったあの日々の中でただ一つの疑問。
テーブルを囲う四つの席。誰も座ることのない四つ目の席に置かれた食器が、理宇にとっての疑問だった。
理宇は問うた。
「――どうして、四人分なの」
と。
父が答えた。
「――お前の弟の席だよ」
と。
存在しないはずの弟を祝う――それはとにもかくにも奇妙な風景だった。
それが、生まれてくるはずだった弟の死を悼んでいるのだということを理解したのはだいぶ後のこと。
今ではだいぶ薄れてしまった記憶。
でも、はっきり覚えていることもある。
父が何度も教えてくれた。
忘れないであげてくれ――その言葉の後に、何度も何度も言い聞かせてきた、その名前だけは、今でもはっきりと、理宇は覚えている。
生まれてくるはずだった――双子の弟の名前を……。
◆ ◆ ◆
「ふむ……まあ、概ね予想通りの結果だったね」
窓の縁壁に背を預けながら、手元に顕現させていたウィンドウを眺めてそう漏らす。
彼の手元に浮かぶウィンドウには、ネットワークを介して接続され、その接続先からリアルタイムに送られている映像が表示されていた。
映像の場所は――シアルフィスの広間。
映っているのは、巨大な黒鱗の竜――ニドヘグと戦う《来訪者》たちの姿だった。
激闘に次ぐ激闘の果て、彼らはあのニドヘグを討ち取ることに成功するとともに、青年はウィンドウを閉じて肩を竦め――僅かに、眉を顰める。
頤に指を当て、考えるように眼を伏せ――黙考へ。思考の海へと落ちる。
――最後の一撃、跳躍と共に放たれた渾身の刺突スキルが発生した際に生じた、剣士の持つ剣の変化。
(――あれはなんだ? 少なくとも、僕の知り得る情報には存在しないものだった……)
謎の機能が発動したのと同時、青年は咄嗟にその正体を解析しようとプログラムを走らせたが、こちらの解析プログラムはすべて謎のシステムによってブロックさ(はじか)れてしまった。
結果、監視していた自分にも一切正体が摑めないという結果に終わってしまう。
唯一分かっていることは、あの機能が発動した際の剣士の驚愕の表情から、あれはあの保持者である剣士ですら把握していない謎の機能であるという――ただそれだけ。
あの剣は伝説級武具《竜血に染まる法剣》。この世界――即ち〈ファンタズマゴリア〉の加護を受けた、竜を屠るが為の聖剣。
しかし、伝説級武具と呼ばれようと、それはシステムによってすべてを定められた、決して仕様を逸脱することのない道具の一つのはず。
だというのに、あの最後の一撃の際に起きた変化――あれは、青年の知りうる〈ファンタズマゴリア〉の法則には存在しない力だった。
(この世界の管理者は《彼女》だ。しかし、《彼女》は能力のことは知っていたのだろうか……それもと――知っていながら隠していた?)
一瞬思ったことを、しかし青年はかぶりを振ってその考えを否定した。
まずあり得なかった。
《彼女》がもし知っていたのならば、あのような機能は、たとえ基礎プログラムの時点で実装されていたのだとしても、最悪消去するか、そうでないにしても決して起動しないように機能停止するなり、起動と同時に分かるよう監視機能を掛けているはず。
それがなかったということは、あの《竜血に染まる法剣》に備わっていた昨日は、《彼女》ですら認知していなかったということになる。
不可解。
不可思議。
原則を無視した現象を引き起こす謎の力。
この〈ファンタズマゴリア〉の理の外に位置する未知の力に、青年は思わず笑みを零す。
――面白い。
そう、素直に感慨を抱いた。
この世界の理。即ち世界を構成する基礎プログラムに精通する自分すら――そして《彼女》すらおそらく既知としていないであろう存在――不確定因子。
まだまだ未知に溢れたこの世界の末端に、断片に触れる度に、青年の心は高揚に躍った。
「やっぱり貴方は素晴らしい――素晴らしいよ」
誰にともなく、少年はそう言葉を漏らし――徐に床に降り立って歩き出す。
かつん
かつん
かつん
ブーツが石畳の床を叩く音が木霊する。
双肩に十字の刻印の刻まれた黒衣に身を包む青年は、手に持っていた外套を纏い、付属の頭巾を目深に被りながら――くすり……と微笑。
漏れる笑い声が楽し気に弾んだ。
歩く青年の周囲に、無数のウィンドウが表示される。画面に映る幾つもの画像データと、その周りで高速でスクロールするコードを眺め、首肯。
「想定外の事態は幾つかあったが……データは取れているから問題はないか」
満足げにそう呟くと、青年は吐息一つ漏らして腕を一薙ぎ。瞬間、すべてのウィンドウが一斉に閉じて消失する。
「さて……それでは戻るとしますか」
そう億劫そうに愚痴を一つ。新たにウィンドウを開こうと手を翳し、
「――出来ればその行き先に、ご招待願いたいね。その戻り先に」
声が、背後から。
同時に撃鉄を起こす音。
更に正面には、先ほどまで観察していた剣士が一人。手には件の聖剣を。
銀と金に彩られた剣身に朱の刃――《竜血に染まる法剣》が光を帯びて煌めきを放つ。
現れた二人。彼らに挟まれた形になる。
すると、外套を纏ったまま青年は肩を竦めた。
「あの広間から此処まで随分と距離があるのに――物の数分で挟撃とは恐れ入るよ」
「結構に疲れたよ。あれだけの激戦の後に、全力疾走は流石にしんどいや」
苦笑と共にそう言いながら、剣士は――リューグ・フランベルシュは無行の位から片手正眼の構えを取り――言った。
「だから、それに見合う程度の報酬が欲しいかな」
にこりと微笑。しかしその口元とは裏腹に、眼光は鋭く、こちらの挙動に細微すら知覚するような視線に、思わず背筋に冷たい物が走る。
ましてや後ろには〈賢人〉ヒュンケル・ヴォーパールの銃口がほぼゼロ距離。どれほど腕の立つ《来訪者》であろうと、この囲いを抜けるのは非常に難儀するだろう。
――そう、《来訪者》であるのなら。
失笑。
同時に青年を中心に、全方位に向けて衝撃が走る。
「なっ!?」
背後のヒュンケルの驚愕の声が聞こえた。銃口が僅かに後頭部から上に逸れる。
僅かな隙。
だが、決定的な隙。
瞬間――外套に隠れた青年の両腕が閃く。
双剣。
左右に握られた刃渡り六〇センチほどの剣を体を捻りながら振り抜いた。
斬撃が二つ。
片方――左は背後のヒュンケルへ。
彼は咄嗟に持ち上げた右腕を翻し、下方から迫る剣を銃尻で受け止める。
片方――右はリューグへ。
爆ぜた衝撃に対して、逡巡ない踏み込みから繰り出された上段からの一刀を、青年は右の剣で阻む。
両者揃って、素晴らしいスピードだった。
想像よりも遥かに上を行く判断能力に状況分析力。そしてこちらの攻撃に即座に対応した瞬発力と、咄嗟の状況で瞬時に踏み込んできた思い切りの良さ。
とても平穏というぬるま湯に満ちた現代日本で、ぬくぬくと育った人間の出来る技巧ではない。
思わず、口元に感嘆と称賛の意味を込めた笑みが浮かべる。
「楽しそうだね」
「ああ――凄くね!」
リューグの問いに、青年はそう啖呵を切り――双剣を振り抜いた。
銃を打ち上げ、剣撃を跳ね返す。弾かれた二人が驚愕に目を見開き、歯噛みする。それに相反するように、青年の口角はつり上がっていく。
しかし、二人の動きは早かった。
剣を、銃を弾かれた刹那、両者はすぐに次の動きへ移る。
ヒュンケルの左手が閃く。手には新たな銃。振り上げ――そして停止。銃口が再び青年を捉え、銃爪が引かれた。
合わせて、剣閃。
青年が左手の指を器用に動かして剣を動かすと、手の平で剣が躍った。振り抜かれていた剣身が円を描いて銃弾の軌道に割り込み、金属音と共に火花が散る。
ヒュンケルが舌打つ。
その音を耳にしながら、青年は外套を翻して跳躍する。
跳び上がると同時に、寸前まで青年が立っていた空間を朱の斜線が駆け昇った。
青年の剣に弾かれると同時――反動を利用し身体を一回転させたリューグが、その勢いのまま剣を右仕方ら切り上げたのである。
二人の視線が頭上に走る。
青年は空中に飛び上がると同時に身体を半回転させ、足から天井に着地すると、そのまま三角蹴りの要領で横に跳び、更に壁を介して二人から距離を取り――ようやく地に落ちたった。
二人が身構える。
対して、青年は双剣の切先を下ろして苦笑し、
「降参だよ……流石にこれ以上は分が悪い」
そう言って剣を左右の鞘に納めた。
正直なところ、ここまで一撃も浴びていないのは奇跡に等しい。
正に紙一重の攻防。次同じ状況に陥って、今のような対処が出来る自信は、青年にはなかった。
だが、二人は警戒を解くことはなかった。当然と言えば当然だろう。彼らからすれば、自分はどう見ても得体の知れない謎の人物なのだ。
ついでに言えば、彼らがここ一週間余り奔走していた異形の発生に関わっている相手。青年とて、彼らと立場が同じならば、絶対に警戒を解くことはしないだろう。
僅かな静寂を挟んで、銃を構えたままヒュンケルが言った。
「負けを認めるというのなら、その鬱陶しい外套は脱ぐべきだろう?」
「それは、僕が裸族だったら大変なことになると思うけど?」
茶化すように外套を揺らす。
顰め面になるヒュンケルの隣で、リューグが「あはは……」と苦笑した。ヒュンケルは嘆息一つ漏らし、
「名乗れよ、何者でもない誰か。それともゾディアックとでも呼んでやろうか?」
「名を名乗ることなく七人もの死傷者を出したアメリカ犯罪史に名を残すシリアルキラーの通称か……それも悪くない」
迷いなくその名の意味を答えた青年に、ヒュンケルは淡々と返す。
「お前みたいな、正体も明かさない愉快犯にはお似合いだろう?」
「確かに」
肩を竦めた。そして一拍置き、
「けど――残念ながら、僕には名乗るべき名がある」
そう告げ――視線をヒュンケルからリューグへと移した。自然、彼が訝しむように僅かに目を細めた。
その反応に、青年は微笑む。
「僕の名前は――」
外套に手を掛け、青年は告げる。
己が、名を。
「――カイリ。カイリ・フランベルシュ」
バサッ……という音と共に、青年――カイリが外套を脱ぎ棄てた。
瞬間、二人の表情が驚愕に染まる。
その髪の色も、髪型も、顔立ちも――瞳の色以外、まったく同じその容貌に、リューグとヒュンケルは言葉を失い愕然となるのを見て、カイリは楽しげに微笑を浮かべ、そして言った。
「またの名前は――日口海理。初めまして、理宇兄さん」
黒衣に身を包んだカイリの姿は、リューグと何一つ変わらない、鏡に映ったかのような顔が、そこにはあった。
◆ ◆ ◆
カイリ・フランベルジュ。そして――日口海里と名乗ったその青年を見て、リューグは愕然となった。
――有り得ない!
リューグはその名前を知っていた。知らないはずがなかった。
そして、その名前を持つ人間が今目の前にいる事実は、絶対にあってはならないのだということも。
日口海理。
その名前をリューグは――日口理宇は覚えている。
その名前は、彼にとって双子の弟の名前だった。
一卵性双生児。
理宇はその片割れとして、長子として現実の世界で生まれた。
当然、本来であれば弟の側も生まれるはずだった。
だが、結果として理宇の弟――海理が生まれてくることはなかったのだ。
いや――正確に言えば、確かに弟である海理は生まれていた。
しかし、産声を上げることはなかった。
死産だった――と、聞いている。
一体何が原因なのか未だに不明のままだが、確かに分かっていることは、日口理宇の弟――日口海理は、生まれた瞬間に死んでしまったということだ。
故に、その名前を持つ人間が、この〈ファンタズマゴリア〉にいることなど有り得ないのである。
だというのに――
「どうして……その名前を……」
――知っている?
ようやく絞りだせた言葉は、最後まで紡ぐことが出来なかった。
その名前を知っている者は、両親亡き今、親族では最早自分だけ。唯一その名を教えたのは吾妻向吾だけだ。
祖父ですら知らされていないその名前を、何故目の前に立つ黒衣の双剣士は知っているのか。
リューグの問いとも言えない問いに、しかして青年――カイリはあっけらかんと答える。
「そんなの、僕が本人だからに決まっているだろう?」
くすり……と、微笑と共に一応。
対して、
「死人がゲームの世界の中でご健在――なんてファンタジー、誰が信じるんだ?」
眼光鋭くヒュンケルが言い放つ。
対して、カイリはというと、
「ゲームの世界……ね」
反応は失笑だった。こちらを小馬鹿にするような視線を向け、彼は微笑する。
「僕が何者であるか……それこそ兄さんの知る日口海理と同一の人間であるか。それは今の君たちにとってさしたる問題とは思えないけど?」
暗に「問うべきことは別にあるはずでは?」そう言っているように聞こえた。実際その通りであり、二人がこの場に――カイリの下へ来た理由は別にある。
「君たちはあの魔術師に通じている誰かを――まあ、僕を探していたのではないかい?」
その言葉に対し、ヒュンケルは「確かに」と同意を示すように首肯し、
「分かっているのなら早い。さっさと答えてくれるか? こっちも忙しい身なんでな。それに、人も待たせている……だから余計な手間は――」
カチリ……と撃鉄の音。
「――省きたい」
にぃ……と口角を上げた。まるで悪役の行動である。実際、この男なら好んで悪役になるだろうが。
「脅したって無意味だ。僕には、その問いに応える権限がない」
「お前の意思一つだろう?」
「違うね。うん、ぜんぜん違う」
カイリはかぶりを振った。
「所詮僕は操り人形に過ぎない。使い走りに過ぎない。観測者に過ぎない。玩具を貰った子供がどんな遊びに興じるのかを見ているように言われただけの、ただの子守が精々の――それだけの存在だよ。今はね」
最後は取ってつけたような一言を添えて、カイリはにっこりと笑う。
「訳が分からん奴め」そうぼやくと共に、ヒュンケルは煩わしげに左手で頭を掻いた。
「ならば何故、あの魔術師にあんな得体の知れない力を与えた? お前は一体、なにをしようとしていたんだ?」
問いに対し、カイリは間髪入れずに答えた。
「言ったはずだよ。僕は、術を与えただけだと。可能性は示唆したが、それを実行に移したのは彼の意志だ。僕に非はない」
無垢な笑みでそう断じたカイリの言に、ヒュンケルが舌打ちする。
「結局、答える気はなしということか」
「まあ、有り体に言えば――そういうことになるよ」
しかし――
「そうじゃないだろう……あれは――実験、だったんじゃないか?」
沈黙を保っていたリューグの言葉に、カイリの表情が僅かに変化した。
対して、リューグは目を伏せ黙考ののち、あやふやな情報を自身でまとめるようにぽつりぽつりと口にした。
「あの人型のモンスターと、大容量の魔法陣……そして最後に召喚した、ニドヘグでありながら、ニドヘグとは一介を成す行動を見せていた竜……どれも膨大な容量を持ったプログラムだ。あんな代物、組み上げただけじゃあ問題点が多すぎて、容易にアップロードできない。コードだって無駄が多い。間違いなく何処かで読み込むが失敗して凍結する――」
気づいた。
気づいてしまった。
考えを変えれば容易に辿り着いた。
発想の転換。
ただのゲームプレイヤーとしてではなく、別の視点で考えを当てはめれば納得が出来たるのだ。
もし自分があれほど大容量のプログラムを組み立てた時、まず何をするか。それを考えれば、一つの過程に辿り着く。
大がかりな物を作り上げた時、人は何を確認する。作家が長編小説を書き上げた時、書き手は何をする。画家が、料理人が、菓子職人が、建築家が、ゲーム制作者が――それらすべてを含んだ創造者が、作品を作り上げてすることは――何だ。
「――あの術式は、何かより大きな術式生み出すための手順……違うか?」
問いが、投げられた。
「……ふむ」
リューグの言葉に、カイリは目を瞬かせ、腕を組んで、暫し沈黙。
「どうして、兄さんはそう思う?」
「観測者……なんだろう。お前は」
即応する。
剣を手にしたまま、弟を名乗るカイリを見据えてリューグは述べる。
「ムオルフォスはモニターだ。そしてお前はデバッカーだ。この事件は――テストだった。そう考えれば、僕としては納得がいく。プログラマーの一人である、僕ならば」
作家が推敲するように。
画家が手直しするように。
料理人や菓子職人が味見をするように。
建築家が耐震試験をするように。
ゲーム制作者が何度もバグを漁るように。
プログラマーも同じだ。造り出したプログラムに問題点がないのか、何度だって組み上げたコードを見直し、その上仮想サーバーにプログラムを走らせ試験する。
不備はないか。ラグはないか。
ただ作り上げて、はい完成――ではない。何度も見直し、やり直し、微調整を繰り返して完成へこぎつける。
何かを作り出すというのは、そういうことだ。
半ば確信した表情でカイリを見据えるリューグ。その様子に、黒衣の双剣士はぽつりと、一言。
「……やっぱり、父さんの子なんだね……」
本当に、聞こえるか聞こえないかの小さな、まるで一人言のように漏れたその呟きに、リューグの双眸が僅かに見開かれる。
しかしそんな兄の様子など気にも留めず、カイリはほがらかに微笑んだ。
「まあ……気づいた所でどうしようもないよ。すでに――賽は投げられたのだから」
――ぱちんっ
カイリが指を鳴らした刹那、彼とリューグたちを隔てるように一つの魔法陣が描かれ――発光。
赤の起動発光と共に魔法陣が砕け散ると、二人目掛けて爆炎が襲いかかった。
あまりに突然の展開に、咄嗟の反応が遅れたリューグとヒュンケルは、抵抗する術なく爆発の衝撃と炎の熱に見舞われ吹き飛ばされる。
受け身も取れず、背中から地面に叩きつけられ苦悶する二人を見下ろしながら、カイリは静かに腕を翻してウィンドウを開くと、数度モニターを指で叩いてプログラムを起動させる。
ブゥン……という短い消失音を残してウィンドウが閉じられると共に、彼の背後に人一人を呑みこめる大きさの魔法陣が現出する。
描かれた魔法陣は即座に組み込まれている術式が起動し、明滅した。
激痛の走る身体を持ち上げて見たその魔法陣の紋様は、転移魔法陣のもの。だが、やはりリューグも知らない未知の――仕様外の術式で作られた代物。
「知りたければ探ればいい。ただし――ただの《来訪者》でしかない君たちが辿り着けるかは、僕の預かり知るところではないけどね」
言外に「どうせ不可能だから、無駄なことはしないほうがいい」と、そう言われたような気がした。
(――くそっ!?)
行かせるものか。
その意思だけで、リューグは未だ痛みに蝕まれた身体を鼓舞し、立ち上ると共にカイリへ向かって跳んだ。
右手に握る《竜血に染まる法剣》を両手で握り、大きく振り上げ――転移方陣をくぐろうとしたカイリ目掛け振り下ろす。
型も無視した、無駄の多い、ただ力任せに振り下ろされる大振りの一撃。
それでいい。それだけでいい。
今出来る限りの一撃はこれだけなのならば、ただこの一撃を放つのみ。
振り下ろされた剣の切先がカイリを捉え――ようとし、中空で受け止められた。
「――無駄さ。未だにこの世界をゲームの――コードが組み立てたプログラムの世界なんて思っている君たちの攻撃じゃあ、僕には傷一つ、一ポイントのダメージを負わせることも出来やしない」
剣が届く直前、カイリが視線だけでその切先を見据えた瞬間、まるで不可視の壁に阻まれたように受け止められる。
「ほら。届かない」
余裕綽々。そう言わんばかりの微笑と共に言うカイリに対し、
「――どうかな?」
リューグは不敵に笑んで――その名を呼ぶ。
「アクセス――《レゲンダ・アウレア》!」
瞬間、カイリの表情が驚愕に染まると共に、《竜血に染まる法剣》が動いた。
剣身が真中から別たれ、幾つもの剣片へ分裂。中から迸る金色のオーラが剣から溢れ出し刃を覆い尽くす。
――破砕音。
リューグとカイリを隔てていた不可視の障壁が、ガラスの砕け散るような音を響かせ消滅した。
瞬間、リューグが剣を振り抜く。
金色の奔流と共に、軌跡が走った。
――静寂。
リューグが見上げ、
カイリが見下ろした。
ひと筋、カイリの頬に朱の線が走る。
それを見て、リューグはしてやったりとほくそ笑んだ。
「傷一つ――つかいないんだったか?」
「まったく……蛮勇……無謀……それとも勇敢なのか」
カイリは、言葉に困ったように眉を顰め、苦笑とも失笑ともつかない、色々な感情の入り混じった、そう――困ったような笑みを浮かべてそう言った。
背後の転移方陣の輝きが増す。
術式が起動した証――転移が発動する。
「今回はこれまで。ふふ……またいずれ。会う機会が……あるといいね?」
言葉と共に姿すら明滅し始めた。
次撃は――間に合わない。
そう直感すると、リューグは咄嗟に叫んだ。
「――カイリ!」
名前を――存在することすらなかった弟の名前を、声高らかに呼ぶ。
同時に、転移方陣が起動――発動し、カイリの全身が眩い閃光に包まれ消えゆく最中――
「――呼んで、くれるんだね……」
光の最中に垣間見えた、まるで泣きそうな微笑だったのは見間違えだったのか。
それを確かめる間もなく、カイリの姿は光と共に何処へと消えて行き、同時にその転移方陣も消失した。
黒衣の剣士が去った廊下には、剣を振り下ろしたまま床に膝をつくリューグと、その後ろでようやく立ち上がって刹那の出来事を見ていたヒュンケルだけが残される。
暫しの沈黙ののち、ヒュンケルは保っていた緊張を解きほぐすように溜息を漏らし、言った。
「なんだったんだ……結局」
その煩わしそうなぼやきに、リューグはカイリの消え去った虚空を眺めたままに答えを返す。
「さあ……ね。結局、何も分からないまま――いや」
吐息と共に言葉を途切り、一呼吸。そして天井を見上げながら、自嘲するように、そして誰にともなく問いかけるように、リューグは言った。
「――分からないことが増えた……ってことだけが、分かるかな」
「なんてことだ」
舌打ちが返ってくる。リューグは苦笑を洩らしながら後腰の鞘に《竜血に染まる法剣》を納めながら振り返った。
「考えるのは後にしよう。どうせ、今考えたってきっとまとまらない」
「それには同意する」
間髪入れず即答するヒュンケル。彼自身も、実際そう思っているのだろう。普段の思慮と知性に満ちた言動とは実にかけ離れた、その投げやりな仕草が彼の心情を物語っていた。
友人の姿に、リューグは肩を竦める。
「取りあえず、皆の所に戻ろう? きっと騒いでるかも」
「十中八九な。何も言わずに抜け出してきた、俺らにも非はあるが……」
ヒュンケルはげんなりとした表情でそう漏らした。
返答に困りとりあえず「あはは」と短く笑って誤魔化しつつ、リューグは歩き出す。まわれ右をして、ヒュンケルもそれに倣った。
「酷い目にあったな」
「結局、骨折り損のくたびれ儲け……って感じだしね」
「得たモノが少なすぎて嫌になる」
「まあ、得難いものではあったけどね」
「情報なんぞ、活かせなければゴミも一緒だ」
「言うなって」
「まあとりあえず、まずするべきことは一つだな」
「うん、一つだね」
二人は肩を竦め、溜め息を漏らし、そして声を揃える。
「「――帰って寝よう」」
二人の青年は、肩を並べてそうぼやいた。
どうも白雨です。
今回はだいぶ早めの更新ができました。まあ、その分話は短いんですがね。
まあ、それは置いておいて、これにて第一章は完結です。次回より第二章が開始します。
次話もたぶん短いです。ただし白雨の気分と筆の乗り次第で長くなるかもしれませんwww
では二章『イノセンス(仮代)』『Act12:束の間の平穏』でお会いしましょう。ノシ