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リ=ヴァース・ファンタジア  作者: 白雨 蒼
一章『カーニ=ヴァル・ベル』
11/34

Act10:黒き竜

   

 ――――ぱちんっ


 その音を耳にしたのは錯覚だろうか。リューグは目の前の黒い人型を両断しながら虚空を見上げる。

 当然ながら、そこには何もなく、誰もいない。しかし何故だろう。その音だけは嫌に耳の奥に残り、無意識にその音の出所を探ろうと視線を彷徨わせる。

「おいこらリューグ! ぼけっとするな!」

 叱責の声と共に、リューグの背後で光が爆発する。振り返れば、異形が四肢以外を残して爆散し、今まさに消滅しようとしている有様が飛び込んできた。

「助かったよ、ウォルター」

「礼はいいから、さっさと斬りまくれ! 後衛職に前で働かせないで! いやマジで!」

 必死の様子で叫ぶ彼の様子に苦笑を洩らしながら、リューグは改めて周囲に視線を巡らせた。

 そして見つける。

 幾重もの人型の壁の向こう。あの棺の置かれていた場所で錫杖を翳し、異形を操る魔術師――ムオルフォス。

 リューグは剣を振り翳し、人型たちを斬断しながら疾駆する。

 己の主へと接近するリューグに、異形たちが一斉に反応した。その歩みを阻まんとその進路に立ちはだかり、その両腕を剣へ変え、両足を槍へ変え、白面の顎が開く。

 目に写る範囲だけでも数は十以上。全方位ならばおそらく三十は下らないだろうその攻撃をすべて凌ぐことは不可能。

 そう判断を下すと共に、リューグは脚力の限りで床を蹴り、宙へと舞う。異形たちの視線が、そしてムオルフォスがその動きを追う。

「愚かな! 的になる気ですか?」

 嘲笑しながら、ムオルフォスが錫杖を翳した。その動きに導かれるように、異形たちが一斉にリューグを見上げ、その白面の顎を開き、粒子が口膣内へと集束していく。

 しかし、ムオルフォスに対して、リューグは臆するどころか不敵な笑みを浮かべて見せた。

 訝しむように、フードの奥でムオルフォスの表情が僅かに歪む――と同時に、雷光が天へと迸った。

 ヒュンケルの投げた《貫く王の雷槍(グングニール)》。光矢の如く疾空し、リューグ目掛けて飛翔する。迫りくる稲妻の槍を見据え、リューグは迷うことなく手を伸ばし――それを摑んだ。

 ムオルフォスが絶句する最中、異形たちがその口膣から熱閃を放つももう遅い。すでにその場所にリューグの姿はなく、無数の閃光は虚しく空を穿つのみ。彼は摑んだ《貫く王の雷槍》に導かれるまま、彼方へと飛翔し続けていた。

「ぬぅ……! 王の槍か!?」

 悔しげに言を吐き捨てるムオルフォスに向けて、ヒュンケルは嘲るように口角を吊り上げながら声を上げた。

「余所見している暇はないぞ、年寄り(ロートル)

 くつくつと笑いながら、彼はその手に自身の身長よりも高く、そして肉厚な大剣を悠々と振り回して周囲の異形を蹂躙していた。あらゆる武具を自在に使いこなし、同時に複数の武具を操ることのできる規格外(イレギュラー)なクラス、トリックスターの力を遺憾なく発揮するその姿に驚愕するムオルフォスの頭上で、爆発音とともに衝撃が広間に駆け抜け、魔術師は思わず上へと視線を向ける。

 遥か頭上で、幾つもの瓦礫をまき散らしながら土煙が上がっていた。ヒュンケルの投げ放った《貫く王の雷槍》が衝突したのだろう。

 自分に振りかかる小さな瓦礫を手で払いながら、ムオルフォスが眉を顰めた。そして誰かを探すように周囲に視線を巡らせ、そこに剣士の姿がないことに気づき――再び視線を頭上へと向ければ――


 未だ消えきらぬ粉塵を突き破るようにして、リューグがムオルフォス目掛けて姿を現した。


 想像しながら、しかしてあり得ぬだろうと思っていた剣士の登場に目を剥くムオルフォス目掛け、リューグは金色の剣を手に魔術師へと飛来し、

「――破っ!」

 裂帛の気合と共に剣を振り下ろす。空中からの飛来――落下による加速も踏まえた渾身の斬撃は、しかして寸前にムオルフォスが作り出した障壁によって阻まれる。

「ちぃ……!」 

 リューグは舌打ち、着地と共に地を蹴った。剣撃を凌いだ魔術師目掛け、追撃の刃を振るう。

 ムオルフォスが抗う。錫杖で足元の床を叩くと、同時に彼を守るように障壁が顕現し、その剣を再び凌いで見せた。

 しかし、リューグは止まらない。

 上段からの切り下ろし。続けて身を左に捻り、剣を手元に引きよせ即座に左切り上げへ繋げ、返す刀で袈裟に払う。更に下方からの突き上げ――弾かれた剣を両手で握り、大上段からの叩き落とし――

 怒涛の、そして僅かの間隙すら生じぬ連撃がムオルフォスを襲った。展開されていた障壁にとめどなく衝撃が走り、凄まじい衝撃と激突の音にしり込みする。

 ――ピシリッ……

 罅割れの音に、片や不敵に笑み、片や驚きに目を剥く。

 リューグの剣を幾度も阻んでいた障壁。それに罅割れが生じたのだ。

 ムオルフォスは慌てて障壁を修復しようとするが、それよりも早くリューグが動いた。地を蹴ると同時に脇構えを取ると、彼の握る金色の剣が翡翠の輝きを纏って振り抜かれる。

 片手剣中位アーツ・スキル、《シュトルム・フィーア》。

 翠緑の風を纏った四連続の斬撃がムオルフォスの障壁を襲った。斬撃の一つ一つが叩き込まれるたびに、障壁に生じた罅割れは大きくなってゆき、四撃――最後の一撃が叩き込まれると、ついにムオルフォスを守る障壁が粉砕される。

「……ぬぅ……ぐうっ!?」

 想像を上回る剣圧に耐えきれず、ムオルフォスはその場でたたらを踏んで尻もちをついた。

 対してリューグはその場で見を翻し、振り抜いた剣をそのまま下段に構え、ムオルフォス目掛けて振り向く。回転による遠心力も合わさり、威力の増した斬撃が魔術師を襲う。

 対してムオルフォスが錫杖を翳し、その斬撃を受け止めにかかる。しかし、剣士としてまごうことなく一流に位置するリューグの剣を止めるには遠く及ばない。

 剣閃が鮮やかに弧を描く。

 金色の軌跡を描き振り抜かれた剣は、ムオルフォスの手にしていた錫杖を両断した。

「なっ……!?」

 瞬間、ムオルフォスの顔が驚愕に――否、絶望のような色に染まる。


 ――キンッ


 僅かに、だが確かなその音に、皆の動きが止まった。リューグが視線を巡らせれば、人型たちの動きが一斉に静止しており、皆が突然の出来事に困惑したように辺りを見渡している。

 その中で――

 ムオルフォスだけが、膝をつき、全身を震わせて恐怖に怯えていた。

「ああ……ああ……ああぁぁ!?」

 ムオルフォスの口から、呻きだけがただ漏れ響く。異様なまでの恐慌に、思わずリューグも、彼方で銃を構えていたヒュンケルすらいぶかしむ。

 同瞬――両断された錫杖から大量の瘴気が溢れ出した。嵐のように湧き上がる暗色のオーラが立ち上り、

「あれは……」

「魔法陣――なのか?」

 リューグとヒュンケルがそれぞれに言葉を漏らす。

 錫杖より湧き出した奔流が、頭上に巨大な――広間を覆い尽くすほど巨大な魔法陣を描きだす。描かれる幾何学模様。記される無数のルーン文字を始めとした幾つもの魔術言語の羅列が綴られる。

 そして描かれた魔法陣が明滅した。

 魔術の起動。それを促す発光に全員が身構える中、変化が訪れたのはリューグたちではなく――人型の異形たちだった。

 魔法陣の中央。そこにぱっくりと開いた漆黒の穴が生じた瞬間、広間全体に突風が吹き荒ぶと同時に、広間に跋扈していた異形たちがその穴に吸い寄せられるようにして宙を舞った。

 対処する間もなく、一体、また一体と異形たちの四肢が床を離れ、魔法陣の中央の穴へと呑み込まれていく様に、一同棒立ちとなってその様子を見守ることしか出来ずにいた。

 どのように対応すればいいのか手をこまねいているうちに、ついに最後の人型が魔法陣に吸い込まれてしまう。

 刹那、魔法陣の輝きが増した。

 目が眩むほどの明滅に、忘我したように座りこむムオルフォスを除いた全員が目を背ける。

 魔術の起動――誰もがそう予測しただろう。しかし、その予想に反して、魔術らしい現象は何一つとして起きることはなかった。

 やがて光が集束していくのを感じ、リューグは視線を再び魔法陣へと向けようとして、


「――なんということだ……」

 

 微かに、しかし確かに聞こえたムオルフォスの声を聞き、その意味を尋ねようとした。

 が、結果としてそれは無意味に終わる。

 ムオルフォスの呟き。その答えは、すぐに現れたからだ。

 衝撃が広間に走る。巨大な何かが落下したような衝撃と振動に、リューグはムオルフォスに向けようとしていた視線を別所に――つまりは、音の聞こえてきた広間の中央へと向け、そして言葉を失う。


 そこには巨大な影が佇立していた。


 正確に言えば、影ではなく――全身が漆黒に染め上げられた塊が鎮座していたのだ。

 一見して十メートル近くその巨大な物体に、皆が警戒しながらただ様子を窺っている中で――その黒い塊がゆるりと微動する。

 長い体躯を丸めていたそれが、身体の凝りをほぐすように身震いし、まずその鎌首をもたげた。

 次いで太い四肢を伸ばし、その先に備わった鋭利な爪で石畳の床をしっかりと踏みしめる。

 尾が天を衝くように持ち上げられ、そのまま思い切り地面へと振り下ろされた。

――途端、衝撃が床を走り、広間全体を震撼させる。

 誰もがギョッと目を剥いた。

 巨大な黒い塊がその姿を露わとする。

 トカゲのような爬虫類に似た体躯。

 剣のような鋭利な爪。

 天井の採光窓から注がれる明かりを受けて、毒々しい輝きを放つ黒い竜鱗。

鋭い深紅の眼に、鋸のような牙を持った口から吐き出される毒の炎。

それを見た瞬間、リューグは自分の記憶の中にあるモンスターのデータから、ある一体の竜へ辿り着き、半ば無意識にその名を口にした。


「まさか……ニドヘグ、なのか」


 静寂に満たされた広間の中で、異様なまでにその声は響き渡り――リューグの口から漏れ聞こえたその名に、皆が戦慄する。


 ――ニドヘグ。

 ニーズホッグなどとも呼ばれる、北欧神話に登場する毒沼に住まう竜。

 世界樹ユグドラシルの根元、そこに広がる毒蛇に覆われた泉――フヴェルゲルミルに住まい、ユグドラシルの根を噛み続けし、嘲笑う殺戮者の異名と持つ悪竜の名を冠する竜系モンスターでも上位に位置するS級モンスター。

 だたし――竜系モンスターに共通する強靭な肉体と膨大なHPを始め、圧倒的な攻撃力と、それを遺憾なく発揮する凶暴性。更には一定時間毎に最大HPの三割ずつ減少していくステータス異常《猛毒》や、動きを封じながらダメージを与え続ける《麻痺毒》などを引き起こす数々の攻撃スキルを併せ持ち、並みのプレイヤーが集団(レイド)戦闘を挑んでもほとんど勝つことのできないその強さから、プレイヤーたちからはSS級とすら揶揄されるドラゴン――それがニドヘグである。

 皆が、この空間の王者の様に君臨する竜を見上げ呆然と立ち尽くす。

 何が起きているのかは分からない。だが皆一様に、この広間を呑みこむような異変におぞましさを――何より恐怖と恐慌を実感していた。


 その中で――


 ムオルフォスが、声にならない悲鳴を上げながら走り出した。

 具現した竜のほとんど目の前にいたムオルフォスは、すべてをかなぐり捨てたという様子で必死に走る。

 目の前に現れた圧倒的な死の権化たるニドヘグから逃れんとするが、しかしその遁走が仇となった。

 ムオルフォスが走り出したのとほぼ同時に、ニドヘグもまた動く。

 走るムオルフォスの背に向けて、ニドヘグが飛ぶ。強靭な竜の筋力がその巨躯をいとも容易く持ち上げ、ムオルフォスへと飛びかかった。

 止める間もなく、ニドヘグの爪がムオルフォスの身体を貫く。

 断末魔すらなく、僅かな痙攣を残して魔術師の四肢が力なく落ちた。

 ほとんど瞬きの間に起きたその惨劇に、全員がどう反応していいのか分からぬままに立ち尽くす中――ニドヘグは僅か一撃を以て絶命したムオルフォスを見下ろし、次の瞬間、まるで興味がなくなったという風にその爪を一振りし、魔術師の亡骸を遠くへと投げ捨てた。

 ユングフィに住む多くの《来訪者》たちを恐怖と混乱に陥れた魔術師の末路は、あまりにもあっけない終わり方だった。

 結局あの異形たちをムオルフォスに与えた存在が何ものであるかを聞きだせぬままだったが、今となってはそんなことはどうでもいい。

 状況が不利なのは変わっていない。否、むしろより一層困難になったといっても過言ではない。


 いや、断言出来る――状況は、最悪なのだ……と。


「な、なぁ……これって戦闘領域(エンカウントエリア)からの離脱って出来ないのか?」

 ニドヘグを見上げながら、ウォルターが恐る恐るといった様子でそう誰にともなく尋ねると、それに答えたのは、二刀を構え、すり足のまま後退するフューリアだった。

「さっき試してみたけど、無理だったよ。ボスフラグが建ってる」

「うわ、何それ最悪……」

 フューリアの返答に、ウォルターががっくりとうなだれながら呻きを漏らす。

モンスターとの戦闘は、基本的にモンスターを中心とした一定範囲が円状のフィールドに包まれ、その範囲内にいる間はシステムにより常時戦闘態勢(バトルモード)となる。逆に言えば、その円状の戦闘領域から離脱さえできれば戦闘態勢は解除されるのだが、あらゆるRPGにおいてお約束であるように、〈ファンタズマゴリア〉もまた、ボスフラグを持つモンスターとの戦闘は離脱することが出来ないよう制限が施されているのだ。

 つまり、この広間から脱出するには、どう足掻いても目の前のニドヘグを倒すか、こちらが全滅するまで終わることはないということである。

「あら。隠れる場所があるだけマシと思った方がいいわよ?」

「確かに。それには同意せざるを得ないな。おまけに戦闘エリアはこの広間全域。不幸中の幸いと思え」

 鎌を持ち上げながらユウが苦笑すると、ヒュンケルは肩を竦めながら同意した。

「お前らみたいにポジティブでいられるかっつーの!」

 ウォルターのやけくそ気味の怒号が飛ぶ。しかしヒュンケルはそれを無視し、リューグの傍に歩み寄りながら小さく問うた。

「どうだ。やれそうか?」

「やってやれないことはない――ってところかな。でも正直、リビアサレム・ドラゴンのほうがマシ」

 ニドヘグから視線を逸らさぬままにそう答えを返す。実際、かつてゲーム時代のリューグに追いつくため《竜血に染まる法剣アスカロン》を入手する時に戦ったリビアサレム・ドラゴンも、リューグの記憶の中でも随一の強さを誇っていたが、目の前に佇立する黒竜からは、あの時以上の圧力感(プレッシャー)を肌で感じ取り、思わず身震いしそうになるのを必死に抑えているくらいだ。

 どちらが強いかなど、口にするまでもなかった。

「人生で二度も、神話に名を連ねる竜と戦う日が来るとはね」

「感謝するか? この状況をくれた、神ならぬ誰かに」

 からかうようにヒュンケルが言う。

リューグは苦笑で返した。

「――冗談。っと……さあて、そろそろ時間みたいだ」

 視線だけでリューグが促す。ヒュンケルはそれに従ってニドヘグを見上げた。

 ムオルフォスを殺めて、暫し黙したまま虚空に視線を向けて鎮座していた竜が、じろり……とその真紅の眼を動かし――そしてその視線をリューグとヒュンケルへ向けた。

 向けられた視線に思わず息を呑む。そんな自分を襲う悪寒を誤魔化すように、ヒュンケルは道化のように微苦笑する。

「あっちも準備は終わったみたいだな……出来ればずっと大人しくしていた貰いたいものだ」

「叶わない願望を口にするだけ無駄ってやつだよ――皆、構えろ! 来るぞ!」

 号令を飛ばし、リューグもまたその手に握る金色の剣を下段に構える。他の面々も各々通りの構えを取りニドヘグへ身構える中、黒竜は唐突に前足を大きく持ち上げた。

 誰もが怪訝な顔でその様子を見ていたが、ニドヘグがその足を全力で振り下ろすのを見た瞬間、ヒュンケルが「しまった!」という風に目を見開き、同時に叫ぶ。


「全員跳べ!」


 その声に、皆が意味を理解しきれず眉を顰め、意味を探ろうとするように視線をヒュンケルに向ける中、リューグはその意味を遅れて理解しヒュンケルに続き跳躍した。

 瞬間、ニドヘグの太い前足が床を強打する。するとニドヘグの踏み抜いた床を中心に、全方位に向けて幾重もの衝撃が走った。まるで蜘蛛の巣のように細かく伝播した亀裂から眩い輝きが吹き出し――転瞬、その床が一斉に隆起する。

 衝撃が駆け抜けた。

 リューグとヒュンケルを除いたメンバーが、地を這う震えに身を貫かれ絶叫する。

 竜が嘶く。

 同時に轟く銃声。

 ヒュンケルの放った銃撃がニドヘグの背を撃つが、微々たるダメージにも至らず、ヒュンケルが舌打ちする中で、衝撃破が消え去った床に着地したリューグがいち早く駆け出した。

 竜の腹下。その下を駆け抜け様に一閃叩き込むが、鋼よりも遥かに硬い鱗によって弾き飛ばされ、リューグは振り向き様に跳躍――剣撃を一閃。が、これもまた竜鱗に阻まれほとんどダメージに至らない。

「こいつ硬すぎだろう……」

「これはちょっと想定外過ぎる展開だな、うん」

 顰め面を浮かべるヒュンケルの傍らに降り立ちながら、リューグは「あはは」と小さく笑いながら言った。

 しかし、現実問題としては笑って済ませられる状況ではない。眼前に君臨する竜は、おそらくこれまでであったどのモンスターよりも強固な防御力を誇っている。並大抵の武具ではダメージらしいダメージを負わせることも敵わない。

 さてどうしたものかと顔を合わせる二人。

 すると、


「なら――これならどうかしら?」


 その嘲笑が耳朶を叩いた刹那、鎌閃が竜身を走る。

 ダメージから回復したユウが、神速の踏み込みと共にその手に握る大鎌をすれ違いざまにニドヘグへと薙ぎ払った。

 斬撃が竜鱗を断ち、その皮下広がる肉へと刃が食い込み――そして切り裂く。

 ニドヘグが慄き、ユウの鎌から逃れるように後退した。

 その情景に驚くのは、当然のことながら顔を合わせて知恵を絞ろうとしていたリューグとヒュンケルである。

 ニドヘグへの意趣返しを済ませ、優雅な動作で爪先から地に降り立つ白亜の死神の姿に思わず身惚れそうになりながら、ヒュンケルは何とか絞り出すといった様子で少女に問う。

「お前……どうやって? スキルを使ったわけでもあるまいし……」

「あら、知りたいの? なら今夜一晩付き合ってくれると確約してくれるなら答えて上げるわよ?」

 にぃぃ……と妖しく、口元に艶やかな笑みを浮かべて、これまた妖しい提案をするユウ。その笑みを前に背筋に空寒い何かを感じ身震いするヒュンケルの横で、リューグは逆に得心が言った様子でひとり頷いて見せる。

「なるほど……古代級武具(エンシェントウェポン)か」

「……正解」

 リューグの口から漏れ聞こえた単語に、ユウは本当につまらなそうに口をへの字に曲げながら肯定した。

「ああ……なるほどな」

 二人の応答に、ようやくヒュンケルも納得したように嘆息する。


 古代級武具というのは、上位レアリティ設定の施されたドロップアイテムの総称である。

分類的に言えば、通常武具の上位に、伝説級武具や神話級武具(ミソロジーウェポン)の下位に位置する稀少装備品だ。

 もっと簡潔に説明するなら――上位級(ハイランク)モンスターが保持していた武具となる。

 モンスターの級がB以上に認定されているモンスターは、それぞれ固有の装備を保持しており、それが超低確率でドロップする。

 古代級武具とは、その低確率ドロップによって入手できる装備を指す〈ファンタズマゴリア〉特有の用語である。

 ユウの持つ大鎌――《グリムリッパー》。

 これは不死系(アンデッドタイプ)モンスターの中でもA級(ランク)に位置する死神の姿をしたモンスター、《グリムリッパー》が手にしていた鎌であり、モンスターの名をそのまま冠した大鎌だ。ATKとMGAを始め、様々なステータスパラメータ補正を施す装備品であり、クラス呪葬鎌使(デスサイズ)ならば一度は手に入れたいと思う羨望の逸品。

 通常の武具よりも遥かに高い性能と攻撃性を兼ね揃えた大鎌グリムリッパーならば、ニドヘグの体躯を切り裂いたのも納得がいき、二人は僅かに安堵の吐息を漏らす。

 ――だが。

 その生じた安堵に横やりを入れるのもまた、その安堵をくれた本人とはどんな皮肉か。

「でも残念。私は攻撃特化(ダメージディーラー)じゃなくて、臨機応変(オールラウンダー)タイプだから、大きなダメージは期待しないで。知っての通り、貴方たちほど命知らずでもないから」

 痛い所を突かれ、二人は揃って苦笑した。

「やっぱ僕が出張るしかないかなぁ……」

「抜くのか?」

「抜かざるを得ないだろう?」

 友人の揶揄する言葉に、リューグはしたり顔で返し――後腰に帯びたままの剣の柄頭を叩く。


 ――しかし。


 結果として、リューグはその剣を抜くタイミングを逸してしまうこととなった。

 この広間に姿を現した、新たな闖入者の登場によって――


      ◆     ◆      ◆


「総員陣を組め! いかなる状況にも対応できるように注意を払え! いいな!」

『了解!』

 凛と広間に響き渡った女性の声に応じる集団の呼応。

 広間になだれ込んできた三十人近くの一団が、ドラゴンを正面に半円を描くように展開していく。統率の取れた、鮮やかなまでの陣組は十二分に訓練の行き届いたものだ。その様子を見ていたため、結果として一瞬だがユウはニドヘグから注意が逸れてしまう。

 その生じた一瞬の隙を見逃さず、巨身の黒竜が大きく身体を仰け反らせた。

『――避けろ!』

 声を上げたのはリューグとヒュンケルの二人。

 突如として上がった警鐘に、ほとんど反射で従いユウはその場から大きく飛び退いた。

 瞬間、寸前まで自分たちの並んで立っていた場所が火炎に呑み込まれる。それも通常の赤い炎ではない。炎色反応としてはほとんどお目にかかることもないであろう、夜闇色に染まる猛火を見下ろし、ユウは乾いた喉を潤すように唾を嚥下させた。

 ユウにとって、ドラゴンとの遭遇・戦闘は〈ファンタズマゴリア〉が異世界と化してから初めてのことだ。画面越しになら幾度も見たその雄々しき姿も、肉眼でお目にかかるのはこれが初見。

 ゲーム時代ならまだしも、凶悪にして強力と謳われるドラゴンに対し、仮初のものとはいえ自分の身で挑むのは命知らずのやることだと思ったからだ。

 ……まあ、不死系モンスターであり、A級である《グリムリッパー》に挑んだのも大概と言えば大概だが、現実の世界においても『人間の及ぶことのできない存在』の象徴とされる竜に挑むよりは遥かにマシだと自らを棚上げし、改めて眼下のニドヘグへと視線を向け――そして背筋が凍りつくような恐怖が走り抜けるのを、ユウは確かに感じていた。

 表面上では冷静と余裕を装っているが、その内心では「無理だ」と断定してしまいそうになる。


 ――こんな存在()に勝てるわけがない。


 そんな感情に支配されそうになるのを必死に抑え込み――その上で取り繕う。

 自分は()れる――そう己に語りかけ、そう信じる。

 それが西ノ森幽花(ユウ・ウルボロス)の生きてきた十八年の人生で見出した生き方であり、処世術だ。

 

 それだけで生きてきた――そのおかげで生きてこれた。


 普通の人よりも遥かに短い、限られた人生(じかん)しかないユウにとって、挫けぬように、負けぬように、凛と立ち胸を張って生きるために身につけた自律の技は、このような場面でも発揮出来ることを、ユウは誇らしく思う。

 自らを律し、ユウは軽快な身のこなしで地へと降り立つ。

そしてその現れた一団の姿を横目に眺め、ユウは眉を顰め――胸中で苦言を漏らした。


(どうして……こんなところにいるのかしらね)


 現れた一団――『ガーディアン』を一瞥し、次いでリューグとヒュンケルに視線を向ければ、案の定二人は当惑にした様子で苦渋している。

 当然と言えば当然だろう。ユウですら、その理由は見当がついた。

 確かにあの陣形――鶴翼(かくよく)の陣などと呼ばれる陣形は、大型の単体モンスターに対して有効な陣であり、大抵の戦況に対応することのできる人ではあるが――如何せん、今回は相手が悪すぎた。

 これがもし、他の大型モンスターならばどうにかなったのかもしれない。しかし、今回はそうではない。相手は竜系モンスター、それもボスフラグを持つ毒竜ニドヘグである。

 そして対峙しているのはギルドとして、そして《来訪者》としての規模が中堅に位置する『ガーディアン』である。

 彼らが攻略組であるのならば、ユウたちがここまで危惧することはなかっただろう。しかし『ガーディアン』に所属するギルドメンバーで攻略組に並べるのはギルドマスターと、後は今この場所に現れた三十名を指揮するサブマスターであるユーフィニアくらいだ。

 とてもでないが、ニドヘグの攻撃力を凌ぎ切る性能(ステータス)を持っているわけがない。

 目前に現れた三十の人の群れ。それを前にして、ニドヘグは標的をユウたちから彼らへと変えて見下ろした。

 鋭い眼光が、陣の最前に立つ重装兵(タンク)の壁を貫き、小さな悲鳴を漏らして一歩引いてしまう。

 すると――その様子を見ていたニドヘグが、まるで勝ち誇ったかのように僅かに鼻息を漏らしたように見えた。

 様子を見ていたユウも、当然隙を窺っていたリューグたちすら、その様子に言葉を失う。当然だ。ただプレイヤーと遭遇すれば、力の限り、暴利の限りを尽くして殲滅することだけをシステムによって定められているモンスターが、まるで知性を感じさせるような行動を垣間見せたのだ。

 またも、垣間見えた仕様外(イレギュラー)に驚愕する中で、それに気づくことのなかったのだろう――陣の後尾で剣を手にしていたユーフィニアが、それを好機と取られたのだろう。大音声を以て号令をかける。


「前衛はそのまま突撃! 弓兵は援護! 魔術部隊、一斉掃射! 生じた隙を狙って総員、打って出るぞ!」


 ユーフィニアの鼓舞に、『ガーディアン』の総員が鬨の声を上げて突撃した。


 ――駄目だ!

 

 脳裏でそう警鐘が響く。しかし、何もかもが遅すぎた。

 『ガーディアン』の前衛、鎧騎士たちが楯を構え、突撃槍(ランス)戦斧(バトルアックス)を手に突撃したのと同時――ニドヘグが動いた。

 爛々と鈍く輝く牙並ぶ顎を開き一呼吸すると、ニドヘグはそこに溜め込んだ力を解放するように咆哮する。


 ――《竜の咆哮(ドラゴンハウル)》。


 そう理解した時には、すでにユウの全身を衝撃波が貫いていた。

 全神経を針が穿ったような激痛が身体を駆け抜け、更に空気の壁が正面から押し寄せてきたような圧力を受けて足が床を離れ――その身体は空中に投げ出されて広間の壁へと叩きつけられていた。


「――かはっ……!?」


 全身を強打し、あまりの衝撃に肺から強制的に空気が吐き出され、息が詰まる。

 そして、壁に背を預けたまま、無理矢理肺に酸素を取り込み――ユウは視線を巡らせて辺りを確認すれば、パーティを組んでいた面々もユウと同じようにニドヘグの咆哮による衝撃で壁際にまで吹き飛ばされているのが見えた。

 すでに体制を整えているのは、予想はしていたがリューグとヒュンケルの二人。おそらくさっきの溜めの動作だけで竜系モンスター特有の攻撃、《ドラゴンハウル》を予期して防御を取ったのだろう。

 それでも顔を痛みか、あるいは悔しさに顔を歪めているのは、彼らですら対応に動いたのが本当に紙一重のタイミングだったのだろう。

(あの二人ですら手をこまねくんだから……それだけ厄介ってことね。この、黒いデカトカゲの相手は)

 心中だけでも強がりを口にしておかなければ、今にも諦めてしまいそうになる。

 視線がニドヘグへと移った。

 広間の中央に君臨する黒鱗の竜は、まさにこの広間の王者の如くそこに佇立し、まるで嘲笑するかのようにその牙を剥き出しにしていた。

 その様子を見て思わず失笑が漏れる中、鎌を支えに立ち上がったユウの耳朶を、


「放せ! 放せヒュンケル!」

「駄目だ、間に合わない!」


 二人の口論が叩き、思わず警戒することも忘れて視線を二人へと戻した。

 見れば、剣を手にニドヘグへと飛びかかろうとするリューグの腕を、ヒュンケルが摑み抑え込んでいる姿が飛び込んだ。


 ――……一体、何を?


 漠然と、声なく問う。

 答えは、言葉よりも明確な黒い炎熱が示した。

 視線が(うつ)ろう。

 あまりに自然と。まるでそうするのが当然という風に、リューグたちから移った視線が垣間見たのは、ニドヘグの吐き出す膨大な量の黒い炎。


 そしてその炎に呑まれる――十人以上の、人の群れ!


 超高熱のドラゴンのブレスを受けているのは、間違いなく先ほどニドヘグに向かって特攻しようと試みていた『ガーディアン』の重装兵たちだ。

 ニドヘグの黒炎を浴びた彼らのHPバーは、瞬く間に危険領域(イエロー)を超え、瀕死領域(レッド)へ至る。

 そして、誰か回復を――そう叫ぼうとした時にはもう、彼らのHPはついに瀕死を超え致死に――即ちその数値カウントがゼロとなった。

 断末魔は、なかった。

 おそらく、ニドヘグのブレスを浴びた瞬間、彼らはその全身を蝕む炎の熱によってフィードバックを起こし、意識を飛ばしたのかもしれない。あるいはその前に受けた咆哮の衝撃で気絶していたのかもしれない。無論、今となってはその真偽を問うことは叶わない。

 分かっているのは、今目の前で、確かに命が潰えたということだ。

 それを証明するかのように、彼らの身体が徐々に淡い輝きを帯び――転瞬、無数のポリゴン片と化して爆散し、中空に光の粒子をまき散らせて霧散していく。

 あとに残ったのは、彼らが身に纏っていた装備品一式と、ニドヘグの吐き出し、彼らを絶命に至らしめた黒い業火が燃え広がるのみ。

 言葉は、なかった。

 目の前で起きた惨劇に対し、どのような感慨を抱けばいいのか、そしてどんな言葉を口にしていいのか分からず、ユウはその場で呆然とし立ち尽くす。


「物陰に隠れろ! 急げ!」


 そう叫んだのは、ユウとは正反対の壁際に飛ばされていたフューリアだった。彼女の見向く方向には、先のブレスから逃れ、仲間の死に様を目の当たりにし、呆然と残った装備品を見つめる『ガーディアン』の面々。

 おそらく、誰かが死ぬ様など一度も直面したことのなかったのだろう。想像もしなかった事態に我を忘れて立ちつくし、あるいは跪いたままの『ガーディアン』たちの中で、唯一毅然と構えていたユーフィニアだけが、仲間を叱咤しながらニドヘグの視界から逃れるように柱の陰に身を隠しているのが見えた。

 その様子をまるで他人事のように眺めていたユウの腕を、唐突に誰かが摑む。はっと我に返って振り返れば、そこにはこれまでにないほど冷淡とし、あたかも能面のように無表情を張り付けてたヒュンケルがいた。


ほうけるな。俺たちもだ」

「え、ええ……そうね」


 淡々と言うヒュンケルに、ユウはそれだけ返して頷き、彼の後を追う。ニドヘグの視線から身を隠して、竜の背後になる太い柱の陰に移動すると、そこにはリューグを始め、現在もユウとパーティ登録をしている面々が揃っていた。

 誰一人として欠けてないことに安堵の吐息を漏らす。

「こっちは全員生きていて御の字だけどさ……やべーだろ、この状況。全然生きた心地しないぞ」

 ユウの様子に苦笑しながら、ウォルターがいち早くそう愚痴を漏らすと、ノーナがそれに同意を示した。

「状況は最悪。あの竜、強すぎる……」

 むぅ……と眉を寄せて頬を膨らませるノーナ。フューリアが苦笑を洩らす。

「そうだね。出来ることなら今すぐ此処から逃げ出したいけど――あいつ……ニドヘグを倒さなければ此処から脱出は出来ない。でも倒すのは想像以上に難しいかもしれないからな。ましてや『ガーディアン』の奴らが頭痛の種ってのが問題よ」

「言っても仕方のないことよ。来てしまったものはどうしようもない。なるようにしかならないわ」

 ユウは嘆息と共にそう断言する。

この〈ファンタズマゴリア〉において、助けられる状況ならば極力手を貸すのは暗黙の了解だ。しかし、それは助力して自分が生き延びられることを前提としての話である。

 今回のような全力を出して戦っても自分の生死が危ぶまれるようなモンスターが相手も場合、自分が生き延びることを優先し、身捨てることもやむなしというのが定石だった。


「まあ、そういうのも含めて、S級のドラゴンと戦った経験のある人たちの意見を聞かせて貰えるかしら――」


 そう、振り返りながら何気なくユウは二人に話を振った。当然ながら、いつものような飄々とした態度で、しかしその実まっとうな意見が返ってくると、ユウを含めた全員が期待していた。

だが、


「ヒュンケル……あれはなんのつもりだ?」


 険悪な空気を纏い、リューグがヒュンケルを見上げていた。今にも食ってかかりそうな雰囲気に、全員が思わず言葉もなく呆気に取られる中で、ヒュンケルは酷く冷ややかな視線をリューグに下ろし、問う。

「あれ――とはなんことを指している?」

「ふざけた返答(こたえ)はいらない――何故、さっき助けに入るのを邪魔したんだ! あのタイミングなら、まだ間に合ったかもしれないのに!」

 リューグが怒りの声を上げた。ヒュンケルはそれを冷笑と共に否定する。


「『まだ』『間に合ったかもしれない』……そんな不確かな、可能性のレベルでは話にならんな。つまり、お前が飛び出した所で助けられない可能性もあったのだろう? ならば俺は、それを容認することはできんよ」


 断言するヒュンケルの様子に、リューグは柳眉を釣り上げた。

「それでも可能性があっただろう! なのにお前はその可能性を否定して、彼らを見殺しにしろって言うのか!?」

「ああ」

 間隙の間もない返答。

 迷いも逡巡もく、彼はリューグの言葉を肯定した。

 リューグが絶句する。いや、リューグだけではない。ヒュンケルを除いた皆が、ヒュンケルの迷いない断言に言葉を失くした。

 それでも、


「何を言ってる、ヒューゴ。お前は……何を言っているのか分かっているのか!?」


 リューグが吠える。その表情は普段の彼からはとても想像できない悲痛と悲壮に彩られ、その眼も何処となく沈んでいた。

 そんな彼に対し、ヒュンケルはこれまで以上に冷淡に、表情を消して告げる。


「――堪えろ。そう言っているんだよ……たとえ目の前で死にゆこうとする命があったとしても、だ」


「助けられる命がある。救える命がある――なのに君は、身捨てろと言うのか!」

「そうだ。助けられる可能性があろうとも、それでお前の命が危険にさらされるというのなら――俺は承服しかねない」

「ふざけるな!」

 感情のままに、リューグが怒鳴る。

 あらん限りの怒りを乗せ、感情が指し示すままにリューグは叫んだ。

「僕に――また僕に、身捨てろって言うのか! 死にゆく命を! 諦めて、身捨てろって言うのか!」

 怒りの形相で、リューグはヒュンケルを睨みつけた。これまでにない、激情と殺意の籠った眼光がヒュンケルを射抜く。

 しかし、彼は動じない。

 その視線は、あくまでリューグを見据え、波一つ立たない水面のようにリューグを捉えていた。

 そして、彼は皆が見守る中で――重い口を開く。

 告げる。


「――そうだ。お前の気持ちを酌んでなお、俺は、彼らを助けるべきではないとお前に言おう」


「ヒューゴ!」

 リューグが吾妻向吾(ヒュンケル)の名を叫ぶ。いつものような「現実(リアル)の名を呼ぶな」。そんなお約束のような言葉すら返すことなく、ヒュンケルは僅かに眉を顰めて断言する。

「お前の命に比べれば、奴らの命など塵芥(ちりあくた)に等しい。故に、お前の死亡率がゼロでもない限り、俺はお前をあの場には行かせない」

「命の価値に大も小も存在しない!」

「倫理的には同意しよう。だが、俺個人の意見としては否定しよう。奴らとお前。その命が等価だとは、俺には思えん」

 いつになく、ヒュンケルはリューグの言葉を真っ向から断ずる。リューグはそんなヒュンケルに、最早憎悪に近い視線を向けていた。

 周りにいる者たちは、総じて言葉をなくしていた。

 自分たちの目の前でリューグと口論するヒュンケルが、本当に自分たちの知る――あのリューグとヒュンケルなのか……そう疑いたくなるような姿に、皆が言葉を発することも忘れて凝視する。

 その中で、ユウはふと違和感にも似た何かを感じ、リューグを見据えるヒュンケルを見上げた。

 毅然とリューグを見据えるその眼光。その中に微かに垣間見える――怯えの色。

(なにを……恐れているの?)

 普段から超然とし、決して他者に弱みを見せようとしない孤高の賢者。その彼が今、何かに対して恐れ、怯えている姿に、ユウは愕然となりながら、その答えを必死に探ろうと黙考に挑む。

しかし、その答えを知るには至らなかった。

 理由は唯一つ――


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ――悲鳴が再び木霊した。

 全員が一斉に視線を声の聞こえた方向に向ける。

 見れば――そこにはこの広間に暴利の王の如く君臨するニドヘグと、それを前に対峙する重装備を身に 残った『ガーディアン』の槍使いが、無数のポリゴンとなって四散していく姿が見えた。

 そして更にその奥の方には、消えゆく仲間の姿に涙し、その仲間を死に追いやった竜を前に腰を抜かしている弓使いアーチャーの姿が見えた。

 床に座り込み、壁に背を預けたままただ身を震わせてニドヘグを見上げる弓使い。恐怖が全身を縛り、逃げだすことも出来ぬまま、ただ自らにゆっくりと迫り来る竜を見上げている。

 彼を助けに行こうとしているのか、ユーフィニアが魔法剣を片手に飛び出そうとしているのを、彼女の仲間が総出で抑えていた。「放せ!」と怒号するユーフィニアを「無理です!」「貴女まで危険です!」と諌めているのが見えた。

 思わず、ユウすら奥歯を強くかみしめた。

 そうして皆が足踏みする最中――弓士に向かって、ニドヘグは断頭台のギロチンを彷彿させるような爪を大きく持ち上げた。


 ――殺られる!


 誰もがそう確信し、息を呑む。

 そしてニドヘグがその持ち上げた爪を、弓士に振り下ろそうとした――その瞬間、



「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!」



 悲痛な絶叫と共に、剣士が一人黒竜へと肉薄する。

 それはヒュンケルの拘束を振り払い、音速の壁すら貫くほどの速度で迫る――リューグだった。


      ◆     ◆      ◆


 視界の彼方で(ニドヘグ)がその爪を振り下ろそうと身構えた姿を見た瞬間、リューグはあらん限りの力でヒュンケルの腕を振り払った。

 元々PCのパラメータで言えば、後衛職よりであるヒュンケルよりもリューグのほうが圧倒的に筋力数値は高いのだ。その気になればいくらでも振り払うことは出来たが、今のリューグにとって、自分(PC)のステータス値など度外視だった。

 たとえヒュンケルのほうの筋力値が高かったとしても、リューグは彼の腕を振り解いたに違いない。

 どれだけゲームの世界を忠実に再現しようと、そこに宿る意思はまごうことなき本物。リューグはリューグであると同時に、日口理宇であるのだ。

 故に、たとえ外見がPCモデリングのものであろうと、行動するのは日口理宇の意思がまま。

(――ゲームの世界だろうがなんだろうが、知ったことか!)

 胸中で咆哮しながら、爆発のような踏みこみと共に駆け出し、リューグは剣を抜いた。普段から使う金色の剣ではない。手を伸ばすのは自分の背腰。そこに吊るす、もう一振りの片手長剣。

 ヒュンケルの腕を振り払うと同時に、リューグはあらん限りの脚力で床を蹴り、ニドヘグへと迫る。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!」


 感情がまま叫び、リューグは抜剣した。

 鮮やかな朱に染まる刃が姿を現し、澄み切った音を響かせ抜き放たれる。空恐ろしいほどの気配を纏う、流麗な片手長剣(ロングソード)。リューグが手にする唯一の伝説級武具(レジェンタリーウェポン)。彼の黄金伝説に名を記されし聖人、聖ジョージ(ゲオルギウス)が竜を討伐するに用いた、竜殺しの剣。

 ――《竜血に染まる法剣(アスカロン)》。

 見る者が思わず息を呑み、畏怖するその剣を片手に、リューグは考えよりも先に動く身体の意に従った。肉薄したニドヘグ目掛け、渾身の力を以て剣を振り下ろし、分厚く強靭な鱗に覆われたその身体に刃を走らせる。

 新たな絶叫が城に響く。

 弓士のものではない。響いたのは、(ニドヘグ)の悲鳴。

 背後から突然の奇襲を受けたニドヘグは、自身の身体に走った刃の痛みに大気をも震わせるような悲鳴を上げていた。

 思わず様子を窺っていた者たちが慄き身を竦ませる中、リューグは苦悶の悲鳴を上げる竜の横を駆け抜けて、壁際で未だ呆然とする弓士の手を取って横へと飛び退く。

 そしてニドヘグの通常攻撃範囲から脱すると、引き連れた弓士の青年に向けて叫んだ。

「隠れてろ!」

「す、すまない……!」

 涙目のまま辛うじてそれだけ返し、青年はニドヘグから距離を取るため走り出した。

 それを見送ると、リューグは再びニドヘグを見上げた。痛みを堪えるように嘶きを漏らし、自らに刃を向けたリューグをその眼で見下ろしている。

 見る者すべてを震え上がらせる眼光。しかしてリューグも劣らぬ敵意を以て竜を睨み返す。

 両者が瞬いた――と同時に両者が動く。

 ニドヘグが首を振るい、咆哮と共にその顎を開く――吐き出されたのは暗黒色の熱炎。竜系のモンスター特有のブレス攻撃。

 しかし、それが放たれるのと同時にリューグも動いていた。前へ一歩踏み出すと、そのまま地を強く蹴って竜の頭上目掛けて大きく跳躍する。

 人間など一瞬で炭化させるような竜のブレスを逃れ、リューグは眼下にニドヘグの背を捉えると身を捻って体制を整える。その背へと降り立ちながら剣を振り上げ、スキルを選択――発動させる。

 片手剣下位アーツ・スキル、《プラーテア》。

 黄色いライトエフィクトに覆われた剣を振り上げ、大きな身振りで上段から叩き落とすように剣を振る。

 背中に渾身の斬撃を叩き込まれたニドヘグが、炎を吐きだしていた口から悲鳴を上げると、ブレスを中断して背中に取りついたリューグを振り落とそうと身を震わせるが、それよりも早く、リューグは竜の背を蹴り再び宙へと飛び上がり――新たなスキルを選択する。選択したのは片手剣中位アーツ・スキル《エリアルスタンフ》。大型モンスターの体制を崩し、あるいは上空の敵を地面へ叩き落とすための対空剣技が竜の背中へと叩き落とされる。

 竜を屠る剣を以ての一撃が、ニドヘグの背に叩きつけられ炸裂した。衝撃が竜の背中を駆け抜け全身へと伝播する。

 無数の斬撃がニドヘグの身体を襲うと、竜は怒りの咆哮を轟かせて宙空を睨んだ。同時にニドヘグの頭上に描かれる、眩く――そしておぞましい黒色の光を発する術陣が顕現する。

 それを見て、柱の陰から様子を窺っていたヒュンケルが驚きの声を上げた。


「ニドヘグが……魔術を使うだと?」


 魔術の術式の展開。竜系モンスターにあらざるその所業に、様子を見守っていた誰もが驚愕に目を剥く中で、リューグは描かれた魔術陣を見上げると小さく舌打ちを漏らすと、迷いなく竜の背中から飛び降りてニドヘグから退く。

 同時に、ニドヘグの描きだした魔術の陣が一層激しく発光した。同時に放たれるは、毒々しい光を纏った無数の雷光。闇属性の上位バースト・アーツ、《ディアボルス・ラアド》である。

 稲妻が炸裂し、床を、壁を、柱を穿ち爆発した。喰らえばひとたまりもない稲妻の嵐が広間を容赦なく蹂躙した。皆が咄嗟に身を伏せ、頭を低くし、あるいは魔術による障壁を以て黒雷を凌ぐ。

 その広範囲にランダムで着弾する二十九の雷撃の中で、リューグは己の持てる技量のすべてを以てその嵐の間隙を縫うようにし、ニドヘグへ迫る。

 すぐ傍に雷撃が被弾する。衝撃がリューグの全身を襲うが、微かなHPの減少など気にも留めず、リューグは裂帛の気迫と共に駆け抜け、手に握る《竜血に染まる法剣》を水平に構え、自らを一本の矢のようにしてニドヘグへと突進する。

 片手剣中位アーツ・スキル、《スフォルダント》。リューグの得意とする突進系スキルによる渾身の刺突が、鮮やかな水色のライトエフィクトを引き連れ炸裂した。

 ニドヘグが絶叫と共に身を震わせ、その場で大きく全身をのたうち回る。

 同時に、その頭上に浮かぶ緑色のゲージバーが僅かに減少するのを見て、ヒュンケルを始め、『ガーディアン』の面々すらもが顔色を変えて凝視する。

 リューグの放った一撃が、これまでで初めてダメージらしいダメージを竜へと齎し、そのHPが目に見える程度に減少したのだ。わずか一ミリにも満たない減少。しかしこれまでの微々たるものに比べればはるかに大きな一撃がニドヘグへと通った瞬間、


「ヒュンケル!」


 剣を構え直すリューグが叫んだ。

 彼がその名を呼ぶや否や、それに応えるようにして柱の陰から黒衣の青年が飛び出す。

床の上を滑るように疾走しながら右手に握る銃を持ち上げ、銃爪を引いた。マズルフラッシュと共に弾丸が発射。一直線に竜の身体へ叩き込まれ――

「穿て!」

 その声に応えるように、竜の身体に叩き込まれた弾丸が光を発し、その推進力を増して竜の身体へと食い込んでいく。拳銃中位アーツ・スキル《アーマーピアシング》。強固な装甲すら貫通する魔術を帯びた弾丸が、竜鱗を穿ち――ニドヘグは再び耳障りな悲鳴を上げて、その剣のような牙を剥き出しにして獲物を探すように視線を彷徨わせると、その顔面目掛け、リューグは容赦なく追撃の斬撃を叩き込む。

 同時にヒュンケルが視線だけで振り返り、無数の魔道書を展開しながら柱の後ろに隠れる皆へと叫んだ。

「畳みかけろ! あのトカゲに反撃の隙を与えるな!」

 その号令にいち早く反応したのは、小柄な拳聖(バトルマスター)の少女――ノーナ。

 彼女はヒュンケルの言葉が終わるよりも早く柱の陰から飛び出すと、空中で器用に竜の口前で回避と反撃を繰り広げるリューグを援護するべく疾走し、瞬く間に距離を詰めにかかる。

 新たな敵の出現を察知したニドヘグがその長く太い尾を振り回し、少女の接近を阻もうとするが、少女の動体視力と反応速度は竜の挙動をはるかに上回っていた。

 ニドヘグの尾の薙ぎ払いを屈んで躱し、続いた叩き落としを右前方に飛び込んで凌ぐと、彼女は砲弾の如く跳躍して巨大な竜の身体へと拳撃を放つ。


 ――拳打の衝撃がニドヘグの身体を貫く。


 現実ならきっと象すら撃沈させるやも知れない一撃を受け、竜の身体が若干床から浮き上がったのは、見る者の目の錯覚ではない。


「――上等よ」


 その不敵な称賛の言葉と共に姿を現したのは白衣の死神――ユウ。溜め動作(チャージ)を終え、禍々しい紫苑のライトエフィクトを纏った鎌を少女は大上段に持ち上げて、そのままニドヘグへと刃を落とす。

 大鎌上位アーツ・スキル、《連鎖の終焉(レミング・エンデ)》。

 振り下ろされた三日月刃がニドヘグの身体へと食い込むと、突き刺さった切っ先からそのまま紫苑の光が迸り、竜の身体を駆け抜けて次々と切り刻んでいく。

 それはユウが鎌を抜き、飛び退(すさ)って間合いを開いても変わることなく、ひたすら延々にニドヘグの身体に斬撃を浴びせ続けた。

 すると、斬撃の群衆に身を蝕まれるニドヘグが吠える。全身が鳴動し、そこから波のような衝撃が周囲へと迸った。床に亀裂が走り、衝撃の威力を物語り、更にはニドヘグの身を切り刻み続けていた斬撃破が、鳴動の衝撃で相殺される。

 追撃を試みようにも、鳴動が放つ衝撃波によって迂闊に近寄ることも出来ず傍観せざるを得ない最中、無数の閃光と氷槍の雨がニドヘグを襲った。

 ウォルターの放つ光属性の中位バースト・スキル、《シャインズレイ》と、ヒュンケルの放つ水属性の中位バースト・スキル《シュネーレーゲン》の連撃。総数三十九にも及ぶ光と氷の雨の猛襲を、しかしてニドヘグは睥睨と共に展開した全身を覆う魔術障壁でそれを凌ぐ。

「だーもー! 今ので無傷(ノーダメージ)とか反則くせーって!」

 ウォルターが悔しげに吠える。無言ながら、ヒュンケルも忌々しげにニドヘグを睨んだ。

 対してニドヘグは不敵に刻核を吊り上げ、障壁を解くと共に新たな魔法陣を虚空に描いた。

 術陣が明滅し、魔術の発動を促す。妨害は間に合わない。皆が一斉にニドヘグから退去する最中――それを阻むようにニドヘグの足元が隆起した。

ニドヘグを中心に全体を呑みこむ無数の岩槍がその身体を貫かんと一斉に付き上がる。

 ――魔法剣上位複合スキル、《グランドレイブ》。

 遥か彼方、『ガーディアン』の仲間たちを守っていたユーフィニアが、その手にした剣を地に突き立て放った渾身の技がニドヘグを襲う。物理攻撃(アーツ・スキル)魔術攻撃(バースト・スキル)――その両方の性質を持つ攻撃。意表もついたこともあって、ニドヘグはなす術もなくその乱舞を浴びることとなった。

 刹那、自周で六冊の魔道書が舞いページが高速で捲れ上がっていくのを睥睨し、ヒュンケルは声高らに叫ぶ。

「ウォルター!」

「合点!」

 呼応するようにウォルターも声を上げながら十字杖を翳した。彼の眼前に、足元に、頭上に、左右に、背後に、すべて異なる幾何学と言語で記された魔法陣が描かれる。

 魔術師系のクラスの上位が行使する、魔術の詠唱を短縮する《高速詠唱(ハイブーストキャスト)》によって描かれた大がかりな魔法陣が明滅し、ウォルターが十字杖の石突で床を強打すると同時にそれは発動する。

 上位バースト・スキル、《クロスピア・サンクチュアリ》。

 魔術の発動と同時に現出した新たな魔法陣がニドヘグの足元に描かれる。

ユーフィニアの放った《グランドレイブ》に重なるように描かれた魔法陣。そこから現出するは、神々しい輝きを放った無数の十字架。

 高速で魔法陣より射出された無数の十字架は槍のようにニドヘグの身体を穿ち、その巨大な身体をその場に拘束する。

 先の岩槍の強襲に次いだ新たな十字による襲撃に、ニドヘグが痛みに苦悶の咆哮を上げた。

 しかし、その咆哮すら――続いた爆撃によって呑み込まれてしまう。

 火属性の上位バースト・スキル、《フォー・ヴィズリーフ》。

 ――滅びの爆炎。そう名付けられた魔術が、ニドヘグを中心に全てを呑みこむかのように閃熱の彼方へと誘う。

 これほどの高レベルスキルによる多重攻撃。誰もが必殺の思いを込めて放った渾身の技と魔術の連携。

 これならば――僅かなれど期待をしないというのは無理な要求だ。


 しかし、その淡い希望は次の瞬間に打ち砕かれる。


 最初に轟いたのは咆哮だった。

 《竜の咆哮》ではない。ただの咆哮(なきごえ)

 なんの攻撃力もない、魔術的な効果もおよばさない――ただそれだけの遠吠えの一度だけで、ニドヘグは自分を蝕むすべてを掻き消した。

 その様に、誰もが絶句する。

 誰もが想像すらしなかった。その身を蝕む攻撃に対して何かしら対処はしてくるとは思っていたが、ただの声一つでそのすべてを打ち消すなど、一体どうすれば想像できただろうか。

 その最中に、ニドヘグは動く。

 自身を襲う魔術を消し去ると同時にニドヘグは大きく右前足を持ち上げながら小さく嘶く。

 同時に持ち上げた右足の下に、一つの魔法陣が描かれると、ニドヘグはそれを足の下に敷いたままに振り下ろし、床を強打する。


 瞬間、床のすべてが爆発した。


 文字通りの爆破。ニドヘグが床を魔法陣ごと踏みつけると同時に、広間全体の床が一片の隙もなく爆発したのだ。

 部屋全体が爆風と炎に呑まれる。回避も防御も間に合わず、その場に居合わせた全員が爆炎に呑まれてダメージを負った。

 ニドヘグが吼える。あたかも「してやったり」と言わんばかりの声が爆発音をも塗りつぶして木霊する。

 炎が消え去った時には、全員のHPが半分は減少してイエローへと達していた。『ガーディアン』のメンバーに至っては、半数のHPバーが赤く染まっている。即座に回復しなければ、次にもう一度同じ攻撃を放たれたら死は免れない。

 僅か一撃で攻守の立場は逆転した。

 一撃の威力の差もさることながら、それ以上にこのニドヘグは常軌を逸している。

 ただ攻撃力が高いだけではない。

 ただアルゴリズムを超えた行動を取るからではない。

 システムを逸脱した仕様外の能力を持つのもあるが、誰もが気づいたある事実は、それをより一層顕著なものとする。

 最初にそれに気づいたのは、ウォルターだった。

 彼はよろめきながら立ち上がり、ふと己の得物に目を向け、暫し訝しげにそれを眺め――やがて眼を剥き、傍から見ても分かるくらい狼狽する。

 慌てた様子で自身の手にする十字杖に手を翳し、ポップアップウィンドウを展開して何かを確認していた。


「こんなのって……嘘だろ……」


 その声がリューグの耳朶に届いたのはほとんど偶然だった。呟いたのは『ガーディアン』の一人。片手槍に楯を手にした青年は、自分の持つ槍と楯を見て驚愕していた。

 答えはユウがくれた。

 彼女もまた、自身の左手に備えている手甲のポップを眺めながら、乾いた笑い声と共に呟く。


「耐久値が……削られているわ。あり得ないほどに……ね」


 その言葉に、リューグは一瞬の驚愕ののち、自身の纏う《アークナイト・コート》のポップ画面を開き――言葉を失った。

 そこに表示される一ヶ所。防具の耐久度を指し示す数値が、最大数値の半分近くがごっそりと削られていたのだ。

(そんな……)

思わずヒュンケルを見た。どうやら彼も同じだったようで、ヒュンケルは自分の装備を確認し、真紅の双眸が零れ落ちるほど見開き、リューグを見向き頭を振る。

「試してみる……!」

 そんなヒュンケルに向け、舌打ち一つ零してそう一言告げると、リューグはニドヘグ目掛け一目散に駆けだした。

 振るうのは《竜血に染まる法剣》ではない。腰の納めていた金色の剣。それを左手で抜剣し、リューグはニドヘグへと迫る。

 向かってくるリューグに気づいたニドヘグは、まるで彼を小馬鹿にするかのように鼻息を漏らすと、その長く太い尾を徐に持ち上げ――リューグ目掛けて振り下ろした。

 しかし、リューグはそれを待ち構える。

 迫り来る尾撃を見上げると、左に握る剣を構え――そして、一閃。

 がきぃぃんという衝撃が腕を伝播する。振り下ろされた尾を、振り上げた剣閃で受け止め――転瞬に手首を捻り、その一撃を横へと流す。

 リューグ自身にダメージはない。完璧に受け流(パリィ)し、尾が床を叩くと同時に飛び退き距離を取る。

 後退しながら、リューグは剣のポップを開いた。そこに表示されている数字は、リューグがこの広間に飛び込む前と比べて三分の一も減少している。

 駆け寄るヒュンケルに、リューグは無言で首を振って見せる。銀髪の貴人が舌打ちを漏らした。

「ウォルターの言を借りるわけではないが……とんだ反則技だな」

 自分の髪を乱暴に掻き上げながら愚痴るヒュンケル。

 反して、リューグの態度は一辺倒のまま。

「……どうでもいいさ。そんなことは」

「リューグ……」

 ヒュンケルが嘆息した。名を呼ぶ声音には必要以上に呆れと諦観が籠っている。

「……いい加減にしろ。ブチ切れるなら誰もいない所で、こんな状況じゃない時にしてくれ。今は冷静になれ」

「――なれるわけないだろう。そうしているうちにまた誰かが死んだらどうする?」

「ああ、そうだな。このままだとお前のおかげで死人が増えるだけさ」

 瞬間、リューグの右手が閃く。同時にヒュンケルの左手も――また。

 振り抜いた《竜血に染まる法剣》を、ヒュンケルの《魔眼を穿つ砲銃(タスラム)》の銃身が鬩ぎ止める。

 爛々と輝く蒼穹の瞳が孕む、殺意と憎念を正面から受け止めて言う。

「お前の内に宿る後悔と自責――それを理解しているなどとおこがましいことは言わない。だが、今だけは抑えてくれないか。そうでなければ、救える命も救えないぞ?」

「救ってみせる、この剣で!」

「闇雲に振るって倒せる相手じゃないだろうが!」

 聞く耳を持たないリューグに、苛立ったようにヒュンケルが叫んだ。そしてリューグが反論するよりも早く、ヒュンケルは矢次に言葉を吐く。


「目の前で人死が出て躍起になってんのはお前だけじゃないんだよ! だというのにお前は全部が全部自分の責任みたいに喚きやがる! 

 ――ふざけるな!

 もう一度言う。ふざけんじゃねーぞ、こののぼせ上がった糞餓鬼が!

 お前の出来ることなんて、お前一人の出来ることなんて高が知れてるんだよ! それとも《竜血に染まる法剣》を手に入れて天狗にでもなったか!

 だったら今すぐその考えを捨てろ! 捨てて、頭冷やせ! 冷静になれ! そしてもう一度考えろ! お前が今すべきことは何かを、もう一度血の昇った頭で考え直してみろ、この馬鹿野郎が!」

 まるで言葉の雨の如く放たれ、リューグは思わず言葉を呑みこんで目を瞬かせた。

 そんなリューグに向けて、思わず大音声で怒鳴り散らしてしまい息を乱したヒュンケルが、数度の深呼吸ののち、今度は諭すような柔らかい言気で問う。


「――お前の今すべきことは、なんだ? リューグ」


 頭から水をかぶせられたように、不意に全身を駆け廻っていた何かが静まり返ったような錯覚に陥り――リューグは黙考した。

 そして――

 そして、脳裏によぎるのはずっと昔、あの日の出来事。

 投げだされた時の衝撃と、そのすぐ後に目に飛び込んだ火炎の塊。

 その中に残された者。二度と目を覚ますことのない眠りへと落ちた二人の姿。

 あんな思いは二度としたくない。身内であれ、そうでない他人であれ、この目に映る場所で、手の届く所で誰かが死ぬ姿など、見たくはない。

 ただその一心。

 その思いだけで強くなりたいと願った。

 祖父の教える武芸も死に物狂いで身につけた。

 この〈ファンタズマゴリア〉に来てからもそう……。

 強くなろうと望んだのは、強くあれば、それだけ誰かを守れると、いつか帰れるその時まで、死にゆく命を守れるのだと、固く信じたからだ。

 しかし、結果はどうだ。

 今の自分がしていることは何だ。日口理宇(リューグ)は自問する。


「なあ。お前はどうして、そうまで命に執着する?」


 その言葉に、リューグは息を呑んだ。

 返すべき言葉を探り、しかし何一つとして言葉にすることは叶わず沈黙する。

 そんなリューグに向けて、ヒュンケルは諭すように言葉を紡いだ。

「――忘れるな。どれだけのことをしようと、お前がどれだけの命を救おうと、決して時間は戻らない。過去には逆巻かない。それはお前が一生背負っていく業だ。逃れることはできやしない」

 真摯に、そして言い聞かせるように紡がれた言の葉に、リューグは泣きそうに顔を歪めた。

「お前は悔いている。償おうとしている。俺はそれを知っている。

 ――だから、頼れ。

 自分だけでどうにかしようなんておこがましい考えはよせ。

 止めろとは言わない。

 お前の気が済むまでやればいい。守り続ければいい。救い続ければいいさ。

 ただ、そのために出来ることはすべて利用しろ。少なくとも、俺はお前に力を貸せる。仲間として。相棒として。

 そして、友として――な」

「ヒューゴ……」

 名を呼んだ。すると、(とも)は一文字に結んだ口の口角を僅かに吊り上げ――にっと微笑してこう言った。

「もう一度訊くぞ? 今、お前のするべきことはなんだ?」

 試すような、確かめるようなその問いに、リューグは微苦笑と共に答えを返す。彼が、自分の返すと信じる言葉と共に。


「奴を倒して、皆で帰る。そのための知恵を絞ってくれないか? 我が友――〈賢人(ワイズマン)〉ヒュンケル・ヴォーパール」


 すると、ヒュンケルは「上出来だ」とでも言う風に肩を竦めて首肯を返す。


「ならば、応えてやるとしよう。と言っても――」


 そこで一度言葉を区切ると、ヒュンケルはわざとらしい溜息一つ吐いて言った。

「しばらくは時間稼ぎして貰うんだがな。お前一人で」

「なら止めなければよかったじゃないか」

 思わず半眼で睨むと、ヒュンケルはそれを鼻で笑って一蹴する。

「冷静に事挑まないと足元掬われるだろう? 俺なりの激だと思え」

「わざとらしい……」

 いけしゃあしゃあと言ってのけるヒュンケルを疑わしげな視線で見据えるが、それも一瞬のこと。

 次の瞬間には、ヒュンケルを始め、皆の見慣れた微笑を浮かべて、


「ありがとう。ヒューゴ」


 そう、礼を口にした。

 ヒュンケルが呆れたように肩を上下させる。

「だから――現実(リアル)の名前で呼ぶな、馬鹿者」

 そうお約束の応答をした後、ヒュンケルは顎で彼方を指し、リューグの視線を促しながら言った。

「それよりもとっとと助けてやれ。俺とてこれ以上、他人(ひと)の今わの際など見たくはないからな」

 促されるままに振り向けば、そこにはニドヘグとユーフィニアの対峙する姿が見えた。負傷した『ガーディアン』の仲間を守るように立ちはだかるユーフィニアを、まるで嘲笑うように左右の前足を振り回すニドヘグの姿を見て、

「もっと早く言え!」

 怒鳴りながら、リューグは地を蹴り駆け出した。

 右手に《竜血に染まる法剣》を、左手に金色の愛剣を握る。

 そして、

「――行かせるか!」

 気迫と共に、リューグは溜めた力を解き放つように剣を翳し、そこに収束した仄暗い光をニドヘグ目掛けて打ち出した。

 ――片手剣上位アーツ・スキル《デュアルガ・ユング》。

 放たれた光が分裂し、無数の光弾となってニドヘグと捉えると、『ガーディアン』の面々の楯となり立ちはだかっていたユーフィニアから、視線をリューグへと変えた。

《デュアルガ・ユング》は、斬撃と共に放った精神破で相手を引き寄せる技であり、標的の敵愾心(ヘイト)を高める技でもある。

 ニドヘグが、再びリューグと対峙した。

 おびただしいまでの殺気を全身から放ち、眼下に佇立する二刀の剣士を見下ろし、その乱立する牙を鳴らし――そして唸りを上げる。

 毒炎が口の端から漏れ滾るのを見上げ、リューグはゆっくりと歩幅を広げ、右手の《竜血に染まる法剣》を正眼に、左に握る金色の剣を無行に構えを取り、その相貌を細め、竜を見上げた。

 そして、一呼吸ののち――咆哮する。


「来い、ニドヘグ――我が剣舞を以てして、我が二つ名〈聖人(ゲオルギウス)〉が故と知れ!」


 啖呵と共に、地を蹴った。

 そして挑む――目の前に君臨するニドヘグへと。

 彼の竜殺しの聖人――ゲオルギウスの名を持つ剣士は、さながら竜殺しの英雄(ジークフリート)のように、今悪竜(ニドヘグ)へとその二刀の剣を手に挑みかかった。



      ◆      ◆      ◆


 武具と防具の耐久値。それは《来訪者》にとってHPに次ぐもう一つの生命線でもある。道具は使えば擦り減る。削れる。欠ける。摩耗する。そして脆くなる――それは現実でも変わらない万物の摂理だ。

それはゲームの世界でも変わらない。いや、ゲームの世界だからこそ、より一層顕著となっているとも受け取れるだろう。

 故に、《来訪者》たちは採取、討伐、探索――あらゆる理由で都市を離れる際、武具防具の耐久値を最大値にまで回復することを常に意識している。

 もし冒険中――特に戦闘中に武具や防具の耐久値がゼロに至れば、その瞬間に武具防具は自壊する運命にある。そうなれば、保持者の攻撃手段、防御手段は格段に低下し、命の危機は一段と増すだろう。

 攻撃と防御。この二つの行動によって、武具や防具はその耐久値を一ずつ減少させていく。逆に言えば、どれだけ強力な攻撃を受けようと、耐久値の減少する数値は一でしかない。

一回の被弾つき一の減少――それが鉄則であり、システムによって定められた絶対不変の理だ。

 故に、この場にいる全員が驚愕し、警戒せざるを得ない。

 リューグが証明した事実。

 たった一撃。

 わずかにそれだけを受けただけで、武具防具の耐久値が大幅に削られてしまうという事実に、皆が戦意を喪失し欠けているのが見え――ヒュンケルは舌打ちし、胸中で自問する。

 この状況を覆す方法はあるか。

 ただでさえ強力な戦闘能力を持つ竜系モンスター。しかもその上位個体であるボスモンスターたるニドヘグが、〈ファンタズマゴリア〉の本来の仕様(システム)にはあり得ない能力(チカラ)を――武具防具の破壊という強力無比たる力を宿している状況を打破する術を編み出すには、あまりにも手段が少なすぎた。

 ただ、唯一救いと言えるものがあるとすれば、


(俺たちの伝説級武具……か)


 伝説級武具は、他の武具と違って別個体が存在しない。即ちゲーム上に一つずつしか存在し得ない装備であり、その仕様上――耐久値が無限と設定されている。故に、ニドヘグの耐久値減少攻撃――言うならば武具破壊(ウェポンブレイク)防具破壊(アーマーブレイク)を無視することのできる唯一の得物だ。


 だが、それだけでは足りない。


 この状況を打破する材料としては不十分だ。

 ゲーム時代だったらそれだけでも良かっただろうが、今PCの身体を動かしているのはプレイヤーの五感であり、体力であり、精神力である。

 どれだけ強力無比な武具を持っていようと、それを振り回し立ち回るのは人間の意識だ。コントローラーから送られてくる信号を受信して、コンピュータが勝手に動かしてくれるわけではない。

 戦闘が長引けば、体力は消費し、精神は摩耗し、意識はあやふやになってくる。休息もなく不眠不休で数日戦い続けられるなど、それこそ漫画やゲームの中の登場人物だけに許された特権だ。

 確かに、日口理宇(リューグ)は常人に比べれば遥かに高い身体能力と、それに見合った体力を持つだろう。彼が祖父より教え乞うた古武術とやらの成果だ。

 しかしそれも結局は人間の範疇を超えることはない。限界は必ず訪れる。

 そうなる前に、ニドヘグを倒し切る術を見出さねばならない。

 分析する。この場にいる全員の戦力。その技量、装備、スキルの習熟度。

 リューグ、ヒュンケル、ユウ、ノーナ、ウォルター、フューリア、それとユーフィニアも合わせた上で客観的に計算し、予測する。

 そこから導き出す多段攻撃による威力は、上々と言ったところだ。

 しかし、まだ決め手に欠けていた。クリティカルが連続して出ることを祈るというのはあまりに博打すぎる。それも分の悪い賭け。

 ヒュンケル自身は運に任せるのは嫌いではないが、賭けるならせめて勝てる博打のほうがいい。

 

 ――何かないか。

 

 必死に思考を錯誤して視線を彷徨わせる。もっと他に、状況を有利に働かせられる、何か利用できるものはないのか。そう考えた時だ。

 不意に視界に飛び込んだ光に目が眩み、思わず数度瞬きする。

(……なんだ?)

 目に飛び込んできた光は、頭上からだった。採光用の天窓でもあるのか? そう思って視線を頭上へと移す。

 すると視界の先に飛び込んできたのは、色鮮やかに描かれた色絵細工の硝子(ステンドグラス)だった。

 頭上高く――この広間の天井に見えるステンドグラスを見て、

(そう言えば……昔)

 ヒュンケルはふとあることを思い出す。

 まだ〈ファンタズマゴリア〉がゲームであった頃。リューグと共にこの地を訪れた際に彼は言っていた。この場所は王家の主催する催しを行うために作られた多目的ホールで、かつて王族貴族が集まってパーティを開いたりするために利用した――そう言っていたのを思い出す。

 何故そんなことを知っていたのか――というのは、現状では瑣末ごとでしかない。重要なのは、あのステンドグラスのある位置。あの場所にある。

 仰ぎ見た天井。それを眺め――不意に思いつく。

 天啓というのはこういうことを言うのだろうかと苦笑しながら、しかしヒュンケルは即座に懐疑する。

 自分の中に今生じたその策は、現実世界とこの異世界(ファンタズマゴリア)が同じ物理法則によって縛られていなければ確立しない方法だ。

 しかし、異世界と言っても――結局はゲームの世界を基盤としている世界だ。果たしてその法則はどこまで通用するのか。そもそもゲームプログラマーは、ゲームを作る際そんなことを一々考えるのだろうか。ヒュンケルには皆目見当もつかない。

 せめて、この世界の基となった〈ファンタズマゴリア〉のシステムに、世界を構成する基礎プログラムに精通している人間がいれば――否、そこまで知り尽くしている必要はない。

 ただヒュンケルの望むその物理法則が存在するという、その可能性を示唆してくれる何かを知る者がいれば、この策を決行するに至るのに……

 しかし、そんな人間がこの世界に、ましてやこの場所にいるはずなど――


 ――……いた。


 ヒュンケルは忘我より舞い戻った。

 長い白銀の髪から覗くその真紅の双眸を見開き、瞬かせ、呆然とし――そして、ついに失笑する。


 そう。


 いるのだ。


 この場所に、今まさに、このふざけた異世界の基盤となっているMMORPG〈ファンタズマゴリア〉のシステムに、そのプログラムに精通する人間が、今この場所に、確かに一人存在していた。

 毎日新規でアップされる数百ものプログラムをすべて記憶し、把握していた人間。

〈ファンタズマゴリア〉のシステムにアクセスし、研究し、解読に挑んだ、常人からすれば気違いとも取れる行動を取った奴が、今此処に存在する。

 だから、ヒュンケルは問うた。

 今この場にいる、その唯一の気違いな奴に。


「リューグ! この世界に――〈ファンタズマゴリア〉のゲームのシステム概念に、重力は存在するか!?」


 ヒュンケルのその問いに、ニドヘグと攻防を繰り返すリューグが思わず彼を振り返って目を瞬かせた。周りの人間も、いきなり何を言い出すのかといぶかしむように彼を見るのだが、当の本人はそんな視線など気にも留めず、ただ真剣な面持ちでリューグの返答を待つ。

 その表情に何かを感じ取ったのか――あるいは、ヒュンケルのその問いがこの状況を打破する何かのためになると考えたのか、リューグは竜に剣撃をたたき込みながら大音声で答えを返す。


「あるよ! 〈ファンタズマゴリア〉には高所落下ダメージがあるだろう? あれで高い位置から落ちれば落ちるほどダメージが増えるのは、〈ファンタズマゴリア〉の基礎プログラムが落下対象の重さと、そこから割り出される重力加速度をシステムで演算しているからだ! だから重力による落下加速の概念は存在するけど――それが何になる!?」


 リューグが問うた。が、ヒュンケルはそれに応えることなく思案する。この〈ファンタズマゴリア〉に重力という概念が存在し、それによる重力の負荷を得ることが可能だというのなら、


(――鍵となるのは)


 ヒュンケルは視線を巡らせ、そして見つける。未だにリューグとニドヘグの激闘を見て隙を窺い、あわよくば追撃に向かおうと構えているその少女に駆け寄る。

「ノーナ。一つ聞きたい」

「何?」

 視線は返さず、言葉だけで少女が応じた。ヒュンケルはその様子に珍しく苦笑を洩らしながら、ある一つのことを問うた。すると少女はどうしてそんな質問をするのか分からないという風に首を傾いだが、やがてはっきりと首を縦に振ったのを見て、ヒュンケルの口角がついに吊り上がる。


「なら、お前に頼みがある。あのデカブツを討ち取るために必要なことだ。頼めるか?」


 ヒュンケルの起死回生を促す言葉に、ノーナは答えを返さぬまま彼を見据える。まるで値踏みするかのような、己の胸中を探るようなその視線を、ヒュンケルは真っ向から受けて立った。

 今できる最善。それを熟考した果ての策だ。他に何か手があるのかもしれない。しかし、それを探し出す猶予はおそらく存在しない。

 リューグはどうにかなるだろう。ユウや目の前の少女はまだいい。おそらく自分がパーティを汲んでいる面々はその時間を耐え抜けるだろう。しかし、『ガーディアン』の面々、ユーフィニアはともかく、それ以外のメンバーがそれまで生き残っていられる可能性は少ない。

 そして、その彼らの命が潰えることで、リューグがまた過去の記憶(トラウマ)をフラッシュバックさせて怒りに駆られることだけは防がねばならないのだ。

 今でこそあの程度で済んでいるが、昔であった当初など、子供が戯れで「死ね」と口にしただけで過敏に反応し、逆にその言葉を口にした側が「死にそう」なるまでボッコボコにしたあり様は、今でも記憶の奥底にありありと刻まれているほど鮮烈な印象だったのだ。

 今はそこまでは至らないが、それでも激情に駆られるのはすでに目の当たりにしている。正直もう一度諌められる自身はない。

 ゆえに、今できる最善はこの一つだった。

 さあ、答えは如何に?

 ノーナは黙したままのヒュンケルを、沈黙のままに睥睨し――やがて、


「――教えて。僕は、何をすればいいのかを」


 そう答えを返した。

 ヒュンケルは思わず笑みを浮かべるが、すぐに己を叱責するようにかぶりを振った。

 笑みを浮かべるのは今ではない。

 すべてを終えた時、今生きている全員が生き延びている時でいい。


      ◆      ◆      ◆


「リューグ! 悪いがお前はもう暫くニドヘグデカいトカゲと踊って時間を稼いでいろ!」

「言われなくてもそうするよ!」

 唐突に聞こえてきた親友の声に、リューグはやけ気味に返しながら右の《竜血に染まる法剣》でニドヘグの爪撃を弾き飛ばし、左手の剣で突きを放つ。

 一進一退、必死の攻防を繰り返し、それでも未だ一撃とて浴びていないリューグだが、決して油断はしない。油断はそのまま死へ繋がる。そんな失敗(ヘマ)だけは絶対にしたくないし、する気もない。

 ニドヘグが大きくその鎌首をもたげた。


 ――息吹(ブレス)合図(モーション)


 リューグは即座に地を蹴って滑るように疾走した。ニドヘグを中心に弧を描くように駆ける。

 そのリューグを追うように、ニドヘグは大きな動作で毒の火炎を吐き出した。床を焼く炎がリューグを追随するように弧を描くが、追いすがる炎よりもなお早くリューグは駆け抜け、竜の後方へと走り抜けた。

 そして跳躍。

 同時にその動きを予期していたかのようにニドヘグの尾が薙ぎ払われる。

 唸りを上げて薙ぎ払われる、リューグよりも二回りは太い尻尾が迫ってくると、リューグは身を捻って体制を変え、襲いかかる尾に向けて足を伸ばし――その尾が靴底に届くと同時に勢いに乗って大きく跳躍した。

 目の前の景色が一変する。最早目で捉えきれぬほどの速度で飛ぶ身体を無理やり回転させ、リューグはニドヘグから遠く離れた壁へと着地する。

 当然、すぐに重力に引きずられて地面へと引き寄せられる。だが、リューグはそれよりも早く壁を足場に再び跳躍。目指すは再びニドヘグの背。

 鍛え抜かれた脚力は、ステータスの補正を得てリューグの身体をニドヘグへと飛ばす。一度の跳躍で、一瞬にして開いた距離をゼロに詰める。


 まずは一撃。


 右手の《竜血に染まる法剣》が唸りを上げた。朱色に染まる刃が黒い竜鱗をバターのように斬断する。対竜スキルの最上位『真・竜殺し』の効果は遺憾なく発揮されていた。

 伝説級武具の中でも三本の剣にしか付与されていない、絶対的な竜系モンスターに対しての優位性(アドバンテージ)を最大限に生かす。

 切り裂かれた痛みに暴れるニドヘグの上で、しかしリューグはしがみつくようにしてその背に留まり剣を振るう。

 右、左、右、左――血煙が噴き出す中で、左右の剣を交互に、そして自分の持てる最大の速度で叩きこむ。

 そして再び右――振り下ろそうとした刹那、突如ニドヘグが大きく跳躍した。予想外の行動に、リューグの体制が崩れ、

「くぅ……!?」

次の瞬間、足を滑らせて竜の背から振り落とされた。咄嗟に剣を振るい、落下する最中その横っ腹に《竜血に染まる法剣》の一撃を見舞う。

 微かな手応えと共に、リューグは器用に身体を半回転させて足から地面に着地し、頭上へと視線を走らせる。

 見上げれば、ニドヘグが自分を見下ろしていた。重力の手に引かれて落ちてくる最中、ニドヘグはその鋭い爪の宿る前足を大きく振り被っているのが見えた。

 その動きをみた瞬間、背筋にぞっと冷たいものを感じ、リューグは本能的に真横へと飛び込むように転がる。

 ガリャッ! っという耳障りな、岩の削れるような音が背後に轟く。

 数度転がった後、飛び上がるようにして身を起し音の正体を探る――までもなかった。

 寸前までリューグの立っていた場所が、ニドヘグの爪によって深く、大きくえぐり取られていた。

 いや、いっそ爪の一撃によって掘り起こされたといってもいいだろう。目測にして数十センチ近く抉られている床を見て、もしあの一撃を受けた場合のことを考えて、リューグは思わず息を呑んだ。

 対し、ニドヘグの眼が愉快気に細まる。


(こいつ……!)


 リューグは胸中で毒づいた。

 このニドヘグは、ただのモンスターではないと思ってはいた。武具破壊なんていう既存のシステムにはあり得ない能力(チカラ)を保持している時点でそれは感づいていたが、このニドヘグを形成した素材があの人型の異形たちであるのならば、一つの推論が導き出せるのはある種の必然。

 そして、それが間違っていないことを思い知る。

(学習するモンスター……か)

 MMORPG〈ファンタズマゴリア〉のシステムを逸脱した行動(アクション)能力(スキル)。おまけにこちらの動きを読み取り最適化し、挙句嘲笑ってみせる知性まで兼ね揃えているとなれば、厄介なことこの上ない。

 倒せるのか? そんな疑問すら抱いてしまいたくなるのを必死に振り払い、リューグはニドヘグを見上げる。

 まるでこちらが打ってくるのを待っているかのように、ニドヘグはじっとリューグの挙動を観察していた。

 流石に、舌を巻かざるを得ない。

 僅かな行動の機微からニドヘグの攻撃を始めとした次の行動を先読みしていたリューグのように、このニドヘグもまた、リューグの動作の細部から読み取ろうとしているかのようで、思わず背筋が凍りついてしまう。

 これでは迂闊に手を出すことも叶わない。

 ――さて、どう動く。

 警戒しながら黙考する。

 手がないわけではない。先程までこのニドヘグへと放っていた技は、ひたすらに相手の動きを翻弄し、死角から強襲する通常攻撃の連続だった。

 それ以前は片手剣によるアーツ・スキル。しかし、もしこのニドヘグが異形たちから過去の戦闘データすら発掘(サルベージ)していたら、それも通じるか分からない。

 となれば、できることは一つ。


(――二刀流アーツ・スキル……)


 リューグの持つ対抗手段は、最終的にそこに行きつく。

 だが、それを以てしてもこのニドヘグを倒し切ることはできないだろう。脳裏の奥底、まるで第三者(かんさつしゃ)のような視点で自己分析する思考が憎たらしい。

 ニドヘグのHPはまだ七割も存在していた。攻略組に匹敵、あるいはそれを凌駕するような面子による猛攻を受けてなおその程度のダメージしか負わないニドヘグだ。どれだけ《竜血に染まる法剣》がニドヘグに対して絶対的な攻撃力を誇ろうと、それだけで太刀打ち出来るのならばこれほど苦労することもない。

 ヒュンケルに諭されたとおり、確かに相手は激情だけで勝てる相手ではなかった。かつてこの手に握る聖剣を得るがために戦ったリビアサレム・ドラゴンなど比ではない絶対的な強者。

 ――嘲笑う殺戮者。

 その名が脳裏に過る。

 目の前の竜は、その異名に恥じぬ絶対的な強者だ。

 だが、それでも退くことはできない。

 退くことも、諦めることもリューグには許されない。ましてや敗すことなど愚の骨頂。

 自分の成すことは唯に一つ。

 ただ戦うことだ。

 戦って、ヒュンケルの言っていた時間を稼ぐ。それが何分なのか、何十分なのか、あるいは何時間なのかは知らないし、知る必要もないと思った。

 結局やることは変わらない。だから、するべきことをしよう――

 カチリ……と、脳裏でスイッチの音がした。

 ――研ぎ澄ます。

 何を? という問いはいらない。

 されたところで、嘲笑う。

 小さく呼吸。息を吸い、そして吐き出す。


 ヒュウ――という、呼気の音が一つ。


 瞬間、爆発にも似た音がリューグの足下で響いた。強烈な踏み込み。それによって生じた空気の弾ける音が辺りに木霊した時、すでにリューグはニドヘグへ肉薄していた。

 嘶きが耳朶を叩く。おそらくは驚愕の意だろう。しかし、そんなニドヘグに構うことなくリューグは強く床を踏み締め、右の剣を横一文字に左薙ぎ払い。

 血潮が噴き出す。朱の刃が竜の鱗を砕き、肉を裂いた。そこに向けて、今度は同じ速度、同じ軌道を以て左の剣を滑らせる。

 滑らかに、まるで抵抗なく金色の刃がより深く肉を断った。ざくり……という小気味よい音と手ごたえを残し、左の剣を振り抜き――そして横に飛ぶ。

 文字通りの飛翔。重力の手を振り払い、それが身体を捉えるよりも早く大気を駆け抜け、ザザッっと小さな瓦礫を弾き飛ばし、地を滑るように着地した時には、もう随分とニドヘグとは距離が開いていた。

 数秒にも満たないうちに起きた一連の動きに、回りで様子を見守っていた皆は勿論、切り裂かれたニドヘグすらその速さを捉え切れず、ただ一方的に切り裂かれた身体の痛みに呻きを漏らすだけに終わる。

 その慄く様に、リューグは皮肉めいた笑みを浮かべた。

 その笑みを向けられたニドヘグが我鳴る。猛々しい咆哮を轟かせ、ニドヘグはその強靭な四肢で大きく跳躍し、一足跳びでリューグへと迫った。

 リューグも駆け出す。左右に握る剣を構え、猛然と迫る竜の爪牙に果敢に飛び込んでいく。

 罪人の首を落とすギロチン――ニドヘグの爪が大振りに薙ぎ払われる。右に左。連立する四本の爪が次々と連舞する中、リューグは僅かな間隙を縫うようにしてその連撃をすり抜けた。

 両者の距離がゼロに至ると、リューグはその場で一度見を屈め――屈伸運動の延長で真上へと跳躍する。

 飛びあがると同時、目の前にニドヘグの牙が姿を現した。リューグが飛び上がると同時に、ニドヘグはその長い首を体に引き寄せ、飛びあがってきたリューグ目掛けてその首を砲弾のように放ったのだ。

 真に迫るニドヘグの牙を、リューグは空中で身を捻り、左右に剣を薙ぎ払って迎え撃つ。

 牙と剣が相対し、金属音にも似た音が鳴り響く。

 刃と牙が競り合い火花を散らした。

 ニドヘグが、剣ごとリューグを噛み砕かんと力を込める。

 その瞬間、リューグは《竜血に染まる法剣》から手を放して上へと跳んだ。ガチリとニドヘグの牙が《竜血に染まる法剣》を挟み込む。如何に強靭な竜の牙といえ、伝説級武具を砕くことは叶わない。

しかし、対峙する者が得物を手放したことを好機と見たのか、ニドヘグはまだ宙を漂い落下するリューグ目掛けて飛びかかろうとする。


 だが、それよりも早く虚空に一閃の雷鳴が轟いた。


 雷属性の上位バースト・スキル、《ジオ・インフェルノ》。ニドヘグのはるか頭上に描かれた魔法陣から放たれた無数の雷迅は、ニドヘグのすぐ真上に描かれた二つ目の魔法陣を通過して一つに束なり、一条の光の帯と化してニドヘグを襲う。

 ただし、それはニドヘグ本体にではなく、ニドヘグの口に銜えられた《竜血に染まる法剣》を通して。

 リューグの手を離れた剣は、そのまま避雷針の代わりとなって魔術の雷を受け止め、その剣身を通してニドヘグの口内へ――そして体内へと電導した。

 ニドヘグの全身にスパークが走る。体内を通じて全身を駆け巡った雷撃。体外を竜鱗で守られる竜も、体内までそういうわけにはいない。剣を通して注がれた雷になす術なく襲われたニドヘグが、絶叫を上げてその巨躯を床に崩れる。

 同時に口から《竜血に染まる法剣》が零れた。落ちてくる愛剣を、リューグは悠々と腕を持ち上げてそれを手に取り――背後を振り返って微笑んだ。


「――準備は出来たのか?」


「ああ。完了した」


 答えたのはヒュンケル。

 彼は自周を舞う魔道書を手の一振りで閉じると、それをアイテム欄に収納し――代わりに別の得物を手にしながら不敵に笑んだ。

「盛大に、幕引きといこう」

「そう簡単に行くかねぇ?」

 対して、リューグは肩を竦めてニドヘグを見た。見れば、ニドヘグはその全身から何やらどす黒い瘴気を吐き出しながら立ち上がろうとしている。

 ニドヘグはHPの六割を切ると全身から瘴気を吹き出し、すべてのステータスを一・五倍にするスキル《深淵の虚毒》を持っていて、それが今まさに発動したのだ。

 これで、今まで以上にやり辛くなったのは事実。

 しかしヒュンケルの表情は変わらなかった。彼は日的な笑みを浮かべたまま、不遜に言ってのける。

「問題ない。後はただ、徹底的に攻めるだけだ」

「それは簡単(シンプル)でなにより」

 苦笑を返し、リューグは二刀を構え、怒れる竜へと殺到した。


      ◆      ◆      ◆


「……高い」

 広がる景色を見下ろし、ノーナはそう言葉を漏らした。何処までも続く地平線と、眼下に広がる美しい街並みに、思わず見入ってしまう。


 そんな少女が立っているのは、古城シアルフィスの広間――その頂だった。


 あの広間の一角には、外に通じる窓がある。ノーナはその窓から外に出て、外壁を昇ってここまでやってきたのだ。

 MMORPG〈ファンタズマゴリア〉の戦闘領域(バトルエリア)というのは、遭遇(エンカウント)時の対象モンスターを中心とした一定範囲と定められている。ただし、それは横の幅の場合であり、縦に関しての範囲はその限りではない。

 戦闘領域はいわば円柱なのである。横には制限があるが、縦には制限が存在しない。モンスターの一部が飛行能力を持っていることもあり、上下に関しての制限が存在しないのである。

 そして、それはプレイヤー側も例外ではない。

 ヒュンケルはそれを利用して策を練り、ノーナを此処に向かわせたのである。小柄な少女に壁を使ったロッククライミングをさせる辺り配慮が足りないとも言えるが、ノーナがこの場所に来なければ意味がないのだから、仕方がないと言えば仕方がない。

 しばらく風景を見て楽しんでいたノーナだが、はたと我に返ってかぶりを振った。

 踵を返し、この広い屋根の中央へと向かう。

 そして目的の物を――場所を見つけると、少女はそこから中を覗き込んだ。

 見下ろした広間では、二本の剣を手にした剣士が果敢にニドヘグと攻防を繰り広げているのが見える。

「凄い……」

 思わず、そう漏らした。

 遠目でも分かる。生きるか死ぬか――その命の駆け引きの中で、その剣士は一瞬の逡巡もなく行動し、剣を振るい、竜の攻撃を凌いでいる。

 一手でも読み間違えれば即座に死が襲う戦い。しかし一歩も引かない勇敢な姿。その鮮烈さがノーナの視線を奪う。

 ああありたい。

 彼のようになりたい。

 そう、強く思うのは何故だろうか。

 自問するが、答えはない。

 ただ――今この瞬間、自分がすべきことだけは分かっている。


「何時でも……来い」


 待つのは好機。

 その訪れる一瞬がために――ノーナは今この場所にいる。


      ◆      ◆      ◆


 二刀流下位アーツ・スキル、《双牙穿(ダブル・チャージ)》。

 ニドヘグが四肢を振り回し、尾をあてどなく叩き落とす中を掻い潜り距離を詰めると同時、リューグは左右の剣をニドヘグへと叩きつけた。

 二刀の剣身を包むライトエフィクトがニドヘグの身体を捉え爆発する。衝撃が竜鱗を貫くと、ニドヘグは口から炎を吐きながら暴れ狂った。

 周囲の被害など完全に度外視した大暴れ。最早広間諸共リューグたちを殲滅しようとでもしているような動きに舌打ちしながら、柱の陰からユウが飛び出し、大鎌を一閃させる。


 ――大鎌奥義アーツ・スキル、《葬送の無垢刃(ディオス・デ・ラ・ムエンテ)》。


 ユウの保持する大鎌アーツ・スキルの中でも最強の威力を誇る死神の刃がニドヘグへと繰り出される。漆黒のライトエフィクトに包まれた《グリムリッパー》の刃が拡大する。

 禍々しい刀身を形成し(まとっ)た死神の鎌は、その刃に触れるすべてを塵芥(じんかい)へ還すが如く大気を切り裂き、空間すら切り裂くように竜の身体を容赦なく切り裂いた。

 瞬間、想像を絶する激痛がニドヘグを襲い、竜は絶叫を上げると共にその動きを一瞬止めた。

 代わりに、ニドヘグを囲う面々が一斉に動く。

 二刀流中位アーツ・スキル、《一振斧乱(アッシュ・ストライク)》。

 魔法剣奥義複合スキル、《シューヴェレン・エクエス》。

 追随する二つの剣撃が躍る。リューグの放った二刀の大振りがニドヘグの体躯を揺るがし、それに続いたユーフィニアの光を纏った無数の剣閃がニドヘグの四肢を切り刻んだ。

 抗う間もなく自分を襲う幾重もの攻撃にニドヘグが唸る。

 そこに続くのは、何処からともなく姿を現した、光に包まれた五人の槍兵。純白の翼を背に、神々しい輝きを纏った槍を手に構えた天使たち。


 ――光属性の中位サモン・スキル《アークエンジェル》。


「ぶっ飛ばせええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 ウォルターの大音声に導かれるように、天使の姿をした光が一斉にその手にした槍を投げ放った。全MPを代価にし、すべてのバースト・スキルの仕様を一定時間使用不可能にすることで一度使用することを許される召喚術(サモン・スペル)。ウォルターなりの背水の陣による一撃が、ニドヘグを捉えそのHPをついに大きく削る。

 体制を立て直す隙もない高レベルスキルのオンパレード。如何にニドヘグといえど、これに怯むことなく反撃することは不可能だった。

 光の槍がニドヘグを貫くと同時、リューグが《連撃チェイン》を繋ぎ、新たな斬撃を叩き込む。

 二刀流上位アーツ・スキル《千刃一閃(ソノールス・イルシオン)》。神速で繰り出される斬撃の軌跡が集束し、光の一刀へとなり変ってニドヘグに叩き込まれる。

 斬撃は丁度振り上げられたニドヘグの尾を捉え――その尾を根元から断ち切った。

 部位破壊。

 予想を上回る結果に、一同が沸き立つ中、

「油断するな、馬鹿者共が」

 憮然とした野次が飛んだが、かく言う黒衣の魔術師(ヒュンケル)の口元も、彼らと似て喜々したように吊り上がっていた。

 その手に握られる大きな黒銃。その銃口の先に、砲身の如く連なり描かれた幾つもの魔法陣が怪しく明滅する。


「派手に行くぞ――《魔眼を穿つ砲銃(タスラム)》!」


 引き金が引かれると、銃は担い手の声に応えるように巨大な閃光をその魔法陣から射出した。

 伝説の魔神の単眼を貫き絶命させた光の帯が、狙い違わずニドヘグの身体を捉え爆発する。

「打ち上げろ、リューグ!」

「了解!」

 激に応え、リューグは身体を捻り、錐揉み回転しながら跳躍した。左右の剣が、それぞれ眩い蒼穹のライトエフィクトに彩られる。

 リューグの持てる、二刀流アーツ・スキル最高の技。竜を屠るが為の、斬撃の嵐が解き放たれる。



 ――二刀流奥義アーツ・スキル《画竜点睛(ドラグ・アーセファー)》。



 振り抜かれた剣閃。解放された無数の斬撃が成す嵐――それがニドヘグを襲った。抵抗らしい抵抗もすることが出来ず、螺旋を描く強烈な剣圧によってニドヘグの身体が宙空へと持ち上がる。

 同時に――パリィィン……という何かの割れる音。

 音は上から。

 はっと視線を持ち上げた。

 螺旋の如く、剣を振り抜きながら見上げた頭上――ニドヘグを超えたその彼方に――


 ――灼熱の如き輝きを纏いながら飛び降りてくる、一人の少女の姿がはっきりと映った。



      ◆      ◆      ◆


 ――今だ!

 ステンドグラスの向こう、広間の中央で戦う仲間たちの姿を見ていたノーナ。

そしてリューグの剣撃によってニドヘグが宙へと舞い上がったその刹那――ノーナの本能がそう彼女に告げる。

 ノーナは迷わずその声に従った。

 同時に目の前のガラスを拳打の一撃で粉砕すると、そのまま窓の縁を足掛かりに、跳躍するかのように下へと飛び降りた。

 飛び下りると同時。ノーナは脳裏に描いたスキル欄から一つのスキルを選択し、溜め動作(チャージ)

 少女の全身が赤い光を帯びる。

 ノーナはそのまま広間の中に飛び込むと、身を屈めて半回転。頭から飛び込んだ少女の姿勢は、綺麗に足から地面に降り立つような姿勢になる。

 同瞬、スキルの溜めが完了し、脳内に小さな音が鳴ると、ノーナは迷いなくそのスキルを発動させた。

 格闘奥義アーツ・スキル、《メテオ・ストライカー》。

 宇宙より飛来する隕石さながらに、少女の全身が灼熱のオーラを纏う。

 標的は眼下。

 リューグの《画竜点睛》で舞い上がるニドヘグだ。

 これがヒュンケルの考した決め手。

 高所からの落下による重力加速を加えての、一度中に間合い上がってから落下するように蹴足を放つダイブアタック、《メテオ・ストライカー》の発動である。全クラスの中でも一、二を誇る拳聖の攻撃力と、格闘スキルの中でも随一の威力を持つ《メテオ・ストライカー》。それの高所落下による威力の底上げ。

 屋根上からニドヘグへの距離は優に三〇メートル近くある。ただでさえスキルの発動と共に加速する《メテオ・ストライカー》は、標的か足場に届くまで勢いを止めない。

 これならば、確かに通常のスキル発動よりも遥かに高い威力を望めた。

 ノーナの視界で、ニドヘグが瞬く間に迫る。

 すると、ニドヘグの目が唐突にノーナを捉えた。その真紅の眼光が少女を射抜く。

 ――拙い! そう警鐘が鳴り響くが、止まることはできない。ただでさえ回避行動を取ることのできない空中。しかも着地するまで止まらないスキルの発動中。

 ニドヘグの身体を切り刻む《画竜点睛》の嵐が止むと同時に、ニドヘグはその首を擡げてノーナ目掛け大きく息を吸った。

 息吹(ブレス)合図(モーション)。しかし、ノーナには回避する術がない。

(――ッッ!?)

 声に出さず、しかし胸中で小さく悲鳴を漏らす。

 ブレスが襲ってくる。

 そう思った――次の瞬間だった。


「――させないよ」


 声と共に、銀の一閃がニドヘグへ――その眼へと叩きこまれた。ニドヘグが予想外の攻撃と、眼球を抉られた痛みに絶叫を上げる。

 声の正体は、フューリアだった。

 何処からともなく姿を現した彼女は、今まさにノーナ目掛けブレスを吐き出そうとしていたニドヘグの動きを止めるために、短刀を竜の目へと突き立てたのである。

 そしてすれ違いざま、

「さあ、行け!」

 フューリアが激する。

 それに応えるように、ノーナはニドヘグ目掛けて、


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 雄叫びと共に突撃した。



      ◆      ◆      ◆


 ノーナの放った《メテオ・ストライカー》がニドヘグの身体を捉えると同時に、隕石が落下したような衝撃が広間に突き抜けてきた。振るえる空気がその衝撃の凄まじさを物語る。

 《画竜点睛》を放ち終えた姿勢のままその一撃を目の当たりにし、リューグは目を瞬かせ――しかし次の瞬間、その眉間に皺が寄った。


 ――足りない。


 そう、直感が告げていた。

 それはかつてリビアサレム・ドラゴンと戦ったあの時の《画竜点睛》のように、後一歩及ばぬ一撃だと、リューグの中の何かが告げる。

 もう一度《画竜点睛》を放つか――だが、その考えは即座に自分で否定した。

 左の剣がすでに限界なのだ。おそらく《画竜点睛》の発動の衝撃にすら耐えられないほど、罅割れた剣がそれを物語る。

 ――ならば、

「ヒューゴ!」

 脳裏に表示したスキル欄からスキルを選択すると同時に、リューグは友の名を呼んだ。それだけでこちらの意図が伝わると信じ叫びながら、リューグは左の剣を手放し、その柄に左足を預ける。

 銃声。

 足元に衝撃。


 (――流石だよ!)


 胸中で共に賛辞を送りながら、リューグは左足で跳躍した。

 空中に足場を作るために、リューグは剣を手放しそれを利用した。だが、すでに重力によって落下し始めていた状態では、それだけでは足場にならない。

 だから、リューグはヒュンケルに求めた。


 剣を踏み落とすのと同時に、その反対側から生じる銃の衝撃を利用し、下から剣を押し上げて貰うことで、リューグは投げ捨てた剣を足場に変えたのだ。


 空中でリューグはもう一度飛翔する。右手に握る《竜血に染まる法剣》が真紅のライトエフィクトを纏う。

 選択したのは片手剣奥義アーツ・スキル、《メルフォース・ストライク》。

 《メルフォース・ドライブ》をある程度使用すると習得する、全MPを消費して放つ技。基本性能は《メルフォース・ドライブ》と同じだが、こちらは突進系の突きの形を取るのだ。

 ノーナの《メテオ・ストライカー》と合わせて、上下からの突進技による挟撃。

 これならば――そう思って技を放つ。

 その時……変化が起きた。


『ユーザーアクセスを受信。

 遺伝子情報、声紋――照合クリア。システム、ロック解除。

 《竜血に染まる法剣》第一プロテクト解放――《レゲンダ・アウレア》起動』


 突如として、システムアナウンスが流れた。

 剣を突き出した姿勢のまま困惑するリューグを余所に、それは突如として変化を起こす。

 変化を起こしたのは剣――即ち《竜血に染まる法剣》。深紅のライトエフィクトを纏っていた剣が明滅し――次の瞬間、剣身が中央から割れて形を変える。

 中から噴き出すように溢れ出た金色の輝きが、そのまま螺旋を描いて剣を包み、その切っ先にまで至った刹那――ニドヘグの身体を容赦なく貫いたのだ。

 最早何にどう驚けばいいのか分からないままに、光の剣はリューグを持ち上げ、そのままニドヘグの身体を貫通する。

 同時に、ニドヘグのHPバーが透明に変わり、数値が――ゼロへと至った。


 ――絶命の、証明。


 瞬間、リューグとノーナのスキルエフィクトが消滅した。

「わっ!?」

「ノーナ!?」

 唐突な幕切れに、すぐ横でノーナが素っ頓狂な声をあげて体勢を崩したのを見て、リューグはその身体に手を伸ばして支えた。

 そして視線は眼下のニドヘグへ。

 二人が見下ろす先で、ニドヘグの身体が広間の床へと落下する。凄まじい落下音と共に、衝撃が波のように伝播した。

 そして、一瞬の静寂ののち、


 目も眩むような眩さを全身から放ち――ニドヘグのその身体が爆散し、無数のポリゴンの欠片へと姿を変えた。


 そうして舞上がり、消え去っていくポリゴンの欠片。

 それを誰もが呆然と見上げていた。

 が、やがてウォルターがぼそりと漏らす。


「――……勝った……のか? 俺たち……」


 その言葉に、誰がともなく顔を合わせて互いを見合い、沈黙。

 リューグもまた、腰に手を回しているノーナを見下ろす。

 ノーナも、同じようにリューグを見上げた。

 互いに無言。

 誰もが言葉なく棒立ちになり。

 一瞬の間を置いて。


 二十数名の歓声が、広間全体に爆発した。


 嘲笑う殺戮者――その名の如く、十人以上の《来訪者》の命を屠った北欧の悪竜、フヴェルゲルミルの主ニドヘグが、正に潰えた瞬間だった。





お久しぶりです白雨です。何とか3月中に挙げられて人安心しています(毎回同じこと言ってる気がするのは気のせいです

 予想以上に話を引っ張ってしまって長くなってしまったことに白雨が一番驚きです。ほとんど「なろう」の字数制限ぎりぎりとか何がしたいのか。まあそれはよしとして……

 次は一章のエピローグとなるので話は短めです。つまりうpるのも早くなるはずです。そう信じますww

 では次話、『Act11:邂逅』にてお会いしましょう。

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