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リ=ヴァース・ファンタジア  作者: 白雨 蒼
プロローグ 『リ=ヴァース』
1/34

Act0:オープニング

 ただ――その情景を呆然と見ていた。

 真っ赤に燃え上がる鉄の塊。

 その中に取り残された、二人の大人。

 車が衝突した際の衝撃で割れた窓から放り出された少年は、全身を血だらけにしながらもそれでも生きていた。

 生きていたから、その情景を見ていることしかできなかった――望んだわけでもなく。



 それは単なる好奇心に過ぎなかった。

 ただ、どうしてその輪を動かすだけで思う方向に動くのか。ただそれが気になってしまっただけだった。


 ――子供の好奇心とは、とても恐ろしい。


 それは悲劇だ。

 それは事故だ。

 そういう言葉で片付けることも出来たし、事実書類上ではそういうことで処理された。


 だが――少年の中ではそういうわけにはいかなかった。そんな簡単に割り切れるものではなかった。

 十にも満たない子供ではあったが、その子は聡明だった。

 それゆえに、自分の仕出かしたことの重大さを思い知ったのだ。

 炎上する車。その中で気を失い、生きたまま身を焼かれている二人の――両親の姿。それを少年の脳は深く記憶していた。

 記憶の奥底、精神の深淵に深く根付く。

 忘れることなど出来はしない。忘れてはならない。

 親殺し――それがその幼子の心の奥底に刻み込まれた業。

 それが己の罪なのだと、少年は幼くしてそう、自らに言い聞かせ続けた。


◆     ◆      ◆


 ――もうひとつの世界で、もうひとつの人生を。


 そんなコピーの下にこのゲームは公開されていたなぁ、などと僅かな現実逃避が出来ただけでも自分を褒めたいと、その時リウは漠然と考えた。

 無論、褒められたことではないが……。

 呆然。

 忘我。

 その瞬間、リウが――日口理宇が陥った状態を表す言葉は、まさにその二つに極まっていた。

 他にあるとすれば、混乱か、困惑か。

 目の前で起きた状況を把握する術を失い、ただ眼前に広がる情景を眺め立ち尽くすばかり。

 何が起きたのか。あるいは何が起きているのか。両目を瞬たかせてしばし呆然としたままの理宇の耳に聞こえる幾つもの声。あるいは悲鳴。

「うわっ!?」

「なんだこれ!?」

「ちょっと、どうなってるの?」

「此処何処だよ!?」

「俺に聞くんじゃねーよ! こっちが聞きたいくらいだ!」

「一体何がどうなってんのさ!」

「うぅ……うわーん!」

 総合して、それらの声はすべて困惑と戸惑いが色濃く占めており、あるいは現状の理解が出来ず、理解不能な状況に恐慌状態に陥って泣きだす者もいる。

そしてそうでない者たち――明らかに困惑している者たちを遠巻きに見ている人々――の声はみな、困惑の声を上げる者たちに対する不審感に満ちたものばかりだった。

 悲鳴、困惑、焦燥様々な声を上げている者は一見しただけでざっと数百。

 どの声の主も似たり寄ったりの服装はしているが、その姿形は様々だった。

(……耳が……尖ってる? 他には……猫耳? それに尻尾? やたらと身体が小さい――小人病……じゃ、ないよな……まさか、ドワーフ?)

「――って、ドワーフ? じゃあ、あの耳が尖ってるのは……エルフか、ハーフエルフなのか?」

 理宇は考え至った答えに自分で驚きの声を上げて、改めて目の前で右往左往する人々を観察すれば――今しがた自分が口にした通り、どうにもそこにいるのは普通の人間の姿形とは微妙に異なる容姿をしている者も少なくなかった。

 端正な顔立ちをした、耳の異様に尖った青年が膝をついている。

 普通なら顔の横に存在する丸みのある耳の代わりに、頭の上に獣特有の三角耳に長い尻尾を生やした痩身の女性が悲痛な面持ちでわめいている。

 全体的に厳つく小柄な体躯をした髭面な男が喚き散らす。

 そのどれもが、一度は見たことがある姿だった。

 その姿は、ファンタジーに一度は魅了された者なら誰だってその種族の名を知っている位に有名な存在。

 だが、実際の世界には存在するはずのない人々。

 しかし――理宇はその姿を知っているし、見たこともあった。

(そうだ……何度も、何度も見てきた。数えきれないほど、姿を見ていた)

 時間がある限り、理宇はその世界にのめり込んでいた。

 広がる世界に思いを馳せていた。

 

 ――ディスプレイの向こうに広がる、広大な異界の風景。


 そう。そのことに気づいてみれば、今立っているこの場所にも見覚えがある。あり過ぎる。


 ――古都ユングフィ。


 石畳みの広い道路。ヨーロッパの中世と十九世紀初頭の入り混じったような街並み。古いが壮大な威風たる城の見える、噴水広場。そこに広がる様々な露天。行き交う人々。

「……そんな……ことって――」

 絶句する。

 こんなことがあり得るのか――と。

 たちくらみを覚えて、青年はよろりと体勢を崩して近くにあった家屋の壁に背を預け――ふと振り返って窓ガラスを見て、

「……そんな、まさか」

 そこに映った姿を見て再び言葉を失った。

 自分の目を通してみたはずの自身の虚像。

だが、それは自分ではなかった。

 面影はある。確かに目元とか、顔立ちとか、確かに自分のそれに近い――だが、そこにいるのは自分ではなかった。

 ガラスに映るその姿は、自分のものではない。だが、知らない姿でもなかった。


「――……リュー……グ?」


 呟いたその名。

 それは理宇があるゲームをプレイする際にメイキングしたキャラクターの名前だった。



 ――MMORPG〈ファンタズマゴリア〉


 そう名付けられた。異世界を舞台にファンタジーを題材としたマッシブリーマルチプレイヤーオンライン・ロールプレイングゲーム。EVD(アイ・ヴィジョン・ディスプレイ)と呼ばれる、ヘッドホンにサングラスを備えた形をした専用ディスプレイを通してPCの視点から世界を垣間見、異世界を疑似体験することのできる新感覚のゲーム性に、多くのユーザーは熱狂し続けている。

 七年前にサービスの始まったこのゲームは、当時その業界に突如姿を現し、瞬く間にコンピュータ企業屈指の企業となり、その会社から発表された『ジ・アース』と呼ばれるOSに標準搭載され、『ジ・アース』の発売と同時にサービスの開始されたことで、ネットワークゲームファンだけに留まらぬ様々な方面から注目を浴び、現在では一〇〇〇万人以上のユーザーを抱える世界でも最大規模を誇るネットワークゲームへと発展した。

 毎日更新される数々の新規クエスト。

 月に一度は拡張されるマップ。

 更にはプレイヤー側からのプログラム公開による新規魔術やアイテムのアップデートなど、その止むことのないイベントの多さや自由度の高さ、そしてゲームとしての難易度とある種のシビアさなど、様々な要素からユーザーは〈ファンタズマゴリア〉に魅了され続けていたのだ。



 リューグとは、そのゲーム上で理宇が操作していたPCの名前。言わば理宇の〈ファンタズマゴリア〉内における分身。

 薄灰色の髪に青い瞳。革のジャケット。布のシャツ。布のズボン。今、理宇はそのPCであるリューグそのものとなっていた。しかもどうみても初期装備の服装だった。

 後腰に差している片手剣《ショートソード》も同様だ。

 何処からどう見ても、そこに立っていたのは理宇が〈ファンタズマゴリア〉に初めてログインした際にステータスグラフィックで見たPCの姿そのものだった。

「こんなことって……」

 理宇は改めて確認するように自分の手で顔に触れたのを皮切りに、身体の各所に触れて確かめるが、手を通して、あるいは肌を通して伝わってくる感触は間違いなく自分のものだ。

 間違いなく、今自分の意識は此処にあり、触覚を始めとした五感を持ってこの場所に立っている。それだけは確かだった――いや、それだけが確かなことだった。

 目に光景。耳に届く喧騒。肌を打つ風の感覚。鼻腔を穿つ様々な香り……どれも確かに自分の五感が感じ取っている。

「嘘だろ……こんなの――でも、そうだとしたら」

 もしかしたら――そう僅かに頭の片隅で生じた疑問を頼りに、理宇は徐にその事柄に対して意識を集中してみた。


「――出た……」


 それを「見たい」と意識を集中させた瞬間、ヴゥン……という僅かな音と共に、それは理宇の目の前に現れた。


 ――ステータスウィンドウ。


 ミリ単位の薄い硝子板のような物が理宇の眼前へ突如姿を現し、そこには理宇の――リューグ自身のステータスの詳細が記されていた。

 名前に年齢、種族名称にクラス。

 基礎ステータス数値であるHP・MP・STR・INT・DEX・VIT・RST・AGL・LUC。

 戦闘ステータス数値であるATK・MGA・HIT・DEF・MGD・AVG。

 装備品。装備品の付属スキル。習得及び現装備スキルと武具熟練度。そして所持品に所持金。

 何処までも――そう、何処までもほんの数分前まで理宇がプレイしていたはずのゲームそのものだ。

 しかもご丁寧なことに、すべてのステータスが初期化されている。

 ステータスの上値も、習得スキルも、苦労して入手した伝説級武具(レジェンタリーウェポン)も、素材をふんだんにつぎ込んだプラス補正防具も、億単位で所持していたガルドも様々なアイテムもすべてなくなり、まさしく初ログインした時そのままの状態。

 もしこれがゲームの中でのことならば、七年分の苦労がまさに水泡に帰すと呼ぶに相応しいステータス画面だった。

 しかしそんなことに悲しむ(いとま)すらない。これはもしかすれば、今理宇という人間が始めてこの世界に顕現(ログイン)したことを意味するのかもしれない。

 そんな――本来ならば絶対にありえないと断言できる推測にすら至ってしまうほどの事態。それが今、理宇が――リューグが直面している現実(リアル)だった。


 信じられない。

 信じたくない。


 頭の中で、幾度となくその言葉が繰り返された。

 だが、それがもし本当なのだとしたら――

 分かっていることは……いや、分かってしまったことは一つ。


 今この場にいる自分の姿は――


 今、自分がいるこの場所は――


「――僕は今……リューグで……此処は――〈ファンタズマゴリア〉だっていうのか……」


 それはある種、現実を認識するための呪文のようなものだった。今自分が陥っている状況を言葉にすることで、自らを律するための囁き。

 そう呟くことで、そして周囲が未だ混乱に包まれているという事実が、理宇に――リューグに冷静さを取り戻させる。

 周りが驚き過ぎると、自身はそのタイミングを逃して逆に冷静になれるとはよく言ったものだと、リューグは自嘲気味の苦笑を僅かに浮かべ、

(いかなる事態でも冷静であれ……ね。じーさんも無茶を言う)

 祖父の言葉を思い出し、リューグは苦笑を洩らして佇まいを直す。

「でも……本当にその通りだ」

 そう呟いた後に僅かな深呼吸。今にも陥った状況に対して恐慌に陥りそうな精神を辛うじて保つ。

 だが、どうすればいいというのか。そんな考えが脳裏を幾度も行き来する。

 リューグを――そしておそらくリューグと同じ状況に陥っているのであろう他のプレイヤーの姿に、今自分はいったい何をすればいいのか。そしてそのためにどう動けばいいのかを考える。

 リューグはもう一度自分のステータスウィンドウを見た。そこに表記されている数字とスキル習得欄、そして武具熟練度を再確認し、軽く舌打ちする。

「全部が全部初期値そのものか……これじゃ動くにも広範囲は動けない」

 いや、そんなものは本当に関係あるのかすら怪しい。

 ステータスウィンドウが見れるからと言って、この世界が本当に〈ファンタズマゴリア〉だとは限らないし、このステータスの数値が一体何処までこのPCの肉体に影響を及ぼし、リューグと化した理宇の感覚は、何処まで対応するのか。

 これはゲームだ。ゲームのはずだ。しかし――

「これが……ゲーム?」

 それは自分自身に向けた問いだった。

 手を握る際に生じる圧力も、肌を包む衣服の感触も、靴底から通じて伝わる地面を踏み締めている感覚も――


 ――それをゲームと言って割り切るには、あまりにも生々しく。


 現実のリューグの――即ち日口理宇が現実で生きていた時と何一つ変わりはしない本物の感覚が、今いる世界をゲームだと断言することはできないという考えが頭の片隅に生まれる。

 五感が伝える感覚は現実(リアル)そのもので、自分の感覚が麻痺しそうになるのを、リューグは改めて感じていた。

 頼れるものは何もない。

 すがるべき存在は何処にもいない。

 あるのは、己の身一つだということ。頼れる者はまさに自分だけだ。

 リューグは必死に自分の記憶を掘り起こし、初めてのログインを思い出す。まず何をすればいいのか。この世界に訪れた自分たち(プレイヤー)が第一に取るべき行動は何だったか。

 記憶の中にある攻略法と、BBSに記された数多の書き込みを必死の思いで掘り起こしながら、リューグは此処に至って始めてその口元に僅かな笑みを浮かべた。何処となくやけっぱちになったような雰囲気を醸した、本当に力のない微かな笑み。

「……ホント、ワケ分かんないし」

 そう自虐的に呟きを零しながら、リューグは歩き出した。向かうべき場所は定まった。

 何がどうなっているのかとか、自分はどうなってしまったのかとかそう言うのはもう、全部後回しでいい。

 今すべきことは、思考停止に安住しないことだ。何もしないで時間をただ無碍に浪費するのだけはするべきではない。

 だから、今リューグがするべきことは一つしかなかった。此処が〈ファンタズマゴリア〉であり、理宇がリューグとして初めてログインしたという状況ならば――


「まずはチュートリアル、かなぁ?」


 あらゆるゲームにおいてのお約束。特にMMOでは必要不可欠なゲームのプレイ方法を懇切丁寧(?)に教えてくれる初心者指導プログラム。

 そんなものが今のこの状況で本当に存在するのかは定かでないが、とりあえずは行ってみるに限るだろう。なかった場合は、またその時に考えればいい。

 今も状況を把握し切れていない数多のプレイヤーであろう人々を後目に、リューグは一人中央広場に集った集団を遠目に眺める人波に紛れながら歩き出す。

 そしてふと、頭上の空を仰ぎ見た。

 広がるは雲ひとつない晴天。何処までも続いている果てしなき蒼穹。

 曇りない澄み渡った空を見上げ、理宇は――リューグは今一度深いため息を漏らして髪を掻き上げながら八つ当たるように言葉を吐き出す。


「――もーワケ分かんない」


 口から出てきたその言葉に応える者は、誰一人として存在することなく、リューグは一人トボトボと雑踏の中を歩き続けた。


◆      ◆      ◆


 雑踏に紛れていった灰色髪の少年――それを眺めている者が、一人いた。

 同じような灰色の髪に、似たような髪型。造形すらも似通った容姿を持つ、黒衣に身体の要所を守るように備わった軽鎧を身に纏ったその少年は、口元にうっすらと笑みを浮かべ、目元を柔らかに細めて――その背に向けて言葉を送った。

 たとえ雑踏を歩む彼に聞こえることはなかろうと――いや、だからこそ、少年はその背に向けて言葉を投げかけた。


「――Welcome To〈Phantas Magoria〉」


 その口から囁かれた到来の祝福を告げる言葉は風に乗って、されど誰の耳にも届くことなく風に乗って消え去り――


 ――その言葉が告げ終えられるのと同時に、黒衣の少年の姿はまるで始めから何処にも存在しなかったかのように、いつの間にか姿を消していた……。





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