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第九話

「よお、ルイ。首尾はどうだ?」

「あまり良くないね」

 二人はその角に立ったまま、ぼそぼそと会話を続けているようだった。シャルルがポケットから煙草を取り出すと、それにおもむろに火をつける。

「そうか。俺もだ。……それにしても、面倒な事を頼まれたぜ」

 シャルルはそう言うと、灰色の煙を大きく吐き出していた。シャルルの言葉に、ルイは仕方が無いよ、と小さくため息をこぼしている。

「それにしても、団長も無茶な事を頼みやがるぜ」

「本当だよ。――」

 そのルイの言葉は、耳元で強く吹いた風に煽られて、ジルの耳まで届かなかった。団長が二人に何かを頼んでいるらしい、という事は分かったが、それ以上は分からない。

 もう少し踏み出さないと、二人の会話聞き取る事が出来ないか。ジルは内心でそう思いながら、一歩を踏み出そうとして、そしてそのまま固まっていた。隣のラウルも、一歩を踏み出そうとしたまま、足を固めている。

 じわり、と額から滲み出る脂汗。それはサーカス中にも滅多に出さないものだ。だが今は、冷やりとしたそれが、衣服の中をじわりと浮かび上がらせている。

 ジル達の行動を固まらせた、元凶たるその所以は。

「買い物か?」

 いつも通りの調子の言葉が、彼等の前に立つ人物から零れ落ちていた。それは確かに普段の調子だったが、その声の温度は、氷と言ってもいいぐらいの冷たさを誇っている。ルイと別れたらしいシャルルの視線が、真っ直ぐにこちらを向いていたのだった。

「シャルル兄」

 しばらくたっぷり沈黙してから、ようやっとの事で、ジルがぽつりと呟いた。ジルのその声音に、無表情だった彼の眉がぴくりと持ち上がる。

「とりあえず、ちょっと一緒に行こうか」

 地を這うようなその声音に、二人が否と言える訳も無かった。二人は黙って視線を交わし合い、二人の前でくるりと背を向けて歩き出したシャルルの後を追う。

 右手に抱えた袋は、幾分か冷たくなっているような気がしていた。

 


 * * *


 シャルルは、その足で真っ直ぐにサーカス団のテントへと戻っていく。ジル達はその身体に冷気のようなものを纏わせているシャルルをわき目も振らずに追いかけていった。彼は二人が通ってきた道とは少し違う道を通っていく。だが勿論二人が、その景色を悠々と眺めていられる訳も無い。

 彼等に出来る事はただひとつ、ただでさえ氷点下の怒りを纏っている彼をこれ以上怒らせないこと、それのみだ。

 そうしてシャルルは二人を連れてテントへと戻ると、シャルルが生活の拠点としているテントへと歩いていった。予測はしていたが、その事に二人はこっそりと目を見合わせる。

 彼が自分のテントに二人を連れてきたという事、それは二人に説教をするつもりだという事が、今までの経験からして明快だからだ。

 だが、ここで逃げる訳にもいかない。二人はそもそも、怒られる事を覚悟の上で調査をしていたのだ。それに、ここで逃げたら、きっと彼は地の果てまで追ってくる事は間違いないからだ。

 シャルルはテントの入り口をめくると、二人へ振り返った。

「さ、とりあえず入れ」

「……」

 彼はいつもの調子のまま、二人をテントへと招きいれる。これが本当にただの日常だったならば、二人は喜んで中へと入るだろう。そうして中で、様々な事柄をシャルルから教えてもらうのだ。それは普段ならば、とても楽しくて、そして勉強になる時間だ。

 だが今は、とてもではないがそういう気分になれる訳も無い。だから二人は、黙りこくったままテントの中へと入り込む。

 先に入っていたシャルルは、二人に椅子を進めた。ジルは小さく礼を告げて、使い古されて、味のある色に変色したその丸椅子に座り込んだ。そうしながら、テーブルの上に抱えていたパンが入った袋を入れる。

「安心しろ。ルイならしばらく戻らない」

 シャルルはそこで初めて小さく笑った。だがその笑みもどこかぎこちないものがある。彼は自分も椅子に腰掛けると、懐から煙草を取り出した。そうしてマッチをすり、煙草の先に火を付ける。

 黙ったまま、始めの一口を大きく吸い込んだ。

「さて……と、どこから聞けば良いのやらねえ」

 シャルルは口から煙草を放すと、二人へと静かに視線を移した。シャルルの鋭く、そして全てを見透かす視線に、ジルは身体が震えそうになる。

「それじゃあ、まずは一般的なところから聞くことにしようか」

 シャルルはそう言って、言葉を切った。そうして、ジルが思っていたよりも落ち着いた声で聞いてくる。

「どうして今日は街に出かけたんだ?」

「――そ、れは……」

「観光とかふざけたことは言うなよ? 昨日の今日でそんな事、お前らだったらする訳無い事ぐらい分かってるからな」

 落ち着いたくらいの物言いに、ジルは言葉に詰まってしまう。隣に座っているラウルもそれは同じようで、二人は不器用に言葉を切ったまま、黙りこくっていた。

 何をしていたのか、黙り込む事で意見を押し通す訳ではないのだ。ただ、自分がここに至るまでの行動をどう説明すれば良いのか、それが分からないのだ。

 二人は黙りこくったままなので、そのテントの中には、シャルルが煙草を吐く音だけが響いている。ジルは顔を上げたまま、シャルルの煙草の先から吐き出される煙をじいと見つめていた。

「言いたくない、って表情じゃあなさそうだな」

 シャルルはまたひとつ、口から煙を吐いた。そうして、小さくため息をつく。

「まあ、お前らが考えてる事も何となく分かるさ。自分達のせいで、余計にサーカス団に迷惑が掛かっているから、何とかしなくちゃとでも思ったんだろ?」

 シャルルはそう言って、奥の、小物や灰皿が置かれている小さなテーブルに手を伸ばすと、そこから数枚の紙を取り出してきた。それを些か乱暴に、二人と、シャルルの間を分かつテーブルの上に放り投げる。

 彼の表情は先程と何一つ変わることが無かったが、その分、彼の乱雑な行動が怒りを表しているようだった。僅かに身体に震えが奔る。

「――これは……?」

 ジルは彼が放り投げてきたそれに、恐る恐る手を伸ばした。手元に引き寄せると、それはどうやら、新聞を切り抜いたものをまとめて紙に貼ったものらしかった。ところどころに、書き込みが入れられている。そのほとんどはシャルルのものだったが、幾つかには違う筆跡もあった。それは馬鹿みたいに丁寧な文字で、おそらく性格的なものから考えるに、ルイのものだろう。

「俺達が今日までに調べてきたものだ。まあ、どうやらお前達も色々と調べているみたいだったから、知ってるかもしれないけどな」

 彼の言葉と同時に、ふわりと漂う煙草の苦い香り。それは、彼が寄越してきた紙にも染み付いているようで、引き寄せた所からも濃くそれが漂ってきた。

「いいか、この事件は、俺が今まで見てきた中でもかなり猟奇的だ。俺達との事が色々と噂をされていることからも分かると思うが、確実に個人の犯行じゃねえ」

 シャルルの言葉を耳に入れながら、ジルはその紙面に綴られた言葉を辿っていく。そこには、昼間二人が目にしたものとほとんど同じ事柄が記されている。

「それに――この事件は、色々調べている限り、何もかもが不透明だが、それでも既に決まっている事はある」

 シャルルはそう言って、顔を上げた。

「――それは、事件の被害者が、全員十六歳だという事だ。お前らと同じ、な」

 シャルルはそう言って、二人を代わる代わる見つめる。そして、最後の宣告を下すのだ。

「――もう事件に関わるな。お前達には荷が重過ぎる」

 そして彼は、ひとつ煙を吐いた。ゆるりとした毒の煙が、その部屋を満たしていく。



「あー……」

 ジルは意味を成さない言葉を上げながら、ばったりと自分のベッドに倒れこんだ。ふかふかの布の感覚を肌一杯で感じる。その感覚は、ジルにとって何よりの癒しだが、今それは、全くの逆効果だった。

 この部屋のベッドは二段ベッドだ。ラウルも少し疲れたらしい。ジルの頭上で、先程彼がしたような同じ事をラウルもしたらしく、みしり、とベッドの木枠が音を上げる。

 二人とも、そのまましばらく黙り込んでいた。部屋の中には、二人が時折起こすような衣擦れの音が響く。

 今日も、忙しない一日だった。昨日も色々な意味で忙しかったが、今日もまた別の意味で忙しかったような気がする。

 普段なら、この時間には、夜の公演に向けて練習している時間だったが、生憎今日も公演は中止だ。それを翻す事は不可能である。だからこうして自室でだらりと過ごす事が出来るのだ。

 普段ならば諸手を上げて喜ぶこの状況。だが今日はそのような感情が身体のどこにも見受けられない。

「――……はあ」

 ジルが小さくため息をつくと、上のベッドがみしりと音がして、ひょい、とラウルの顔が現れた。

「ん?」

 ジルが首を傾げると、続いてラウルの身体が現れる。それは束の間空中をひょい、と飛び、音も無く床に降り立った。

「ね、そっちに行っても良い?」

「あ? 勿論良いけど」

 ラウルがそう言うので、ジルはひとつ頷いて、彼の為に体を動かしてやる。そうしてベッドの半分空いた所に、ラウルの身体がもそもそと入り込んできた。

「よっこいしょ、っと」

 ラウルはベッドに飛び込んで、大きく伸びをする。そうして彼はしばらくリラックスしたように身体を伸ばしていた。

「――見つかっちゃったねえ」

「そうだな――」

 掛け布に口元をくるんだまま、ラウルがもごもごとそう呟く。その言葉に、ジルは小さくため息を吐いた。

 そして、そのまま二人の沈黙が続いた。静かなテントに、外からの声が微かに届く。それはジル達の仲間が練習している、その気配だ。

 そういえば、昨日、今日と身体を動かしていない。その事に思い至って、ジルは身体をベッドから持ち上げる。

「ん――どっかに行くの?」

「ああ――体がなまらないように、柔軟ぐらいはやっとこうと思って」

 ジルの言葉に、ラウルも考えるように首を巡らせて、そしてひとつ頷いた。

「そうだね。僕も行こうかな」

 ラウルもひょい、と大きく身体を動かして、そして一息に立ち上がる。ジルはそれを横目に、テントから外へと歩き出た。

 幸いな事に、今日着ている服は、練習の時にも使うものだったので、着替える必要は無い。二人はそのまま幾つかのテントの間をすり抜けて、演目に使うテントの近くへと歩いていく。

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