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第五話

* * *


 闇の中に、橙の灯がぼうと浮かび上がる。それは、夜の訪れを知らせる合図と同時に、このサーカス団を現から夢の世界へ導く導でもある。だが夜の訪れと同時に、賑やかになる筈の彼等の拠点は、ひっそりと静まり返ったままだった。

 あれから一眠りして、完全に調子を元に戻したジルは、舞台がある内には出来ない、細々とした準備を行っていた。

 団長を始め、大人組からはこういう時こそ休んでおけ、などとからかい気味に言われた。確かに普段のジルだったら、その言葉をありがたく頂戴して休んでおくだろう。だが今のジルには、ベッドの中で目を閉じた時間が長ければ長いほど、後悔に打ちのめされそうになっていたので、休むのは逆効果となっていた。それで、裏方の手伝いをする事となったのだ。 あれから、直接は聞いていないのだが、団長が警察に事情聴取を受けたと聞いていた。おそらく、昨日の事も大きく関わっているのだろうが、今日のジルの事が引き金になっているのは確かだと、ジルは考えている。

 その事に、どこまでも胸が落ち込んでいくような、そんな気持ちを抱えながらジルはそっとラウルを盗み見た。ラウルもジルと同じように、小さく俯いているのが見える。

 ラウルは団長の息子だ。優しすぎる彼は、きっと父親の事で胸を痛めているのだろう。

 自分よりも打たれ弱いラウルを落ち込ませてしまったのは――自分なのだ。

 一緒に休みを貰っていたラウルも、夕飯時にはいつもの調子を取り戻していた。今はジルと一緒に、仕事をこなしている。そうして今も、普段と同じ調子で微笑みながら、ジルが探していた髪飾りを差し出してくるのだ。

「これじゃない?」

「ああ、そうだ……助かる」

 穏やかな調子のまま、それを渡されたジルの心にまたひとつ、後悔の雫が落ちていた。

 せめて罵ってくれれば、今のようにやりきれない気持ちにはならなかっただろう。だがラウルは、そういった類の人物で無いことは、ジルが一番知っていた。長い事ラウルと共に過ごしてきた中で、数え切れない程ラウルと喧嘩をしたこともある。だがいつも、大抵先に折れるのはラウルの方なのだ。それか、ジルが一方的に怒っているだけで、ラウルがジルの怒りをにこにこしながら受け止めているだけなのだ。

 ジルはそっと掌の中の髪飾りを見下ろした。夜の灯をより一層集めるように、幾つものスパンコールを縫い付けられたそれは、今も彼の掌の中できらりと輝きを集めている。

 それがどうしようもなく、煌いていて。ジルは目のやり場に困ってしまう。

「……静かだね」

 ラウルは舞台へと続く花道から僅かに顔を覗かせながら、そうぽつりと呟いた。ジルもラウルに続いて、花道からひょいと顔を覗かせる。

 誰もいない客席は、夜の闇と相まって、おそろしく静けさを増した場として、二人の目に映った。

 今日はこの街に来てから三日目の公演日のはずだった。

 普段だったら、三日目の今日は盛り上がりの最高潮ともいえる日だろう。自分達も移動の疲れを取り、そして新しい場所での公演にも丁度慣れ始めた頃。そして街中へ、自分たちの来訪を余す事無く伝えられ、満員に埋まる客席。

 そして、大きな円形のテントの中は、ぐるぐると眩暈がしそうな程の熱気に包まれるのだ

 おそらくサーカス団が来訪していることは、この街中、余す事無く伝わっているだろう。だが今回は、それが裏目に出てしまっている。この街で本当に公演を再開する事ができるかどうかさえ、分からない。

 それに、おそらく、自分の昼間の行動も大きく関わっているのだろう。ジルは僅かに下唇を噛んでいた。

 自分が大人しくしていれば、もしかすれば、この街でサーカスを行う事が出来たかもしれないのだ。

 やはり、自分は子供なのだ。こうして油断していれば口から零れ落ちそうな程に鬱積した感情を抱えて。

 ――怒ってくれれば、良かったのに。

 ジルは夕飯時の、周りの対応を思い返していた。ジルが事件現場に行って倒れた事は分かっている筈だ。しかし、それを口に上げる人物はいなかった。皆いつもどおりに、少しからかいをもった口調でジルに接してくるのだ。

 本当に――怒ってくれれば、良かったのに。

「もう、そんなに動いて大丈夫なの?」

 ぎゅっと拳を握りしめたその時、ジルの後ろから穏やかな声を掛けられた。思考に耽っていたジルははっと顔を上げて振り返る。

 そこには、未だ普段着のルイが佇んでいた。彼は衣装を手にしたまま、ゆっくりと二人のもとへ歩いてくる。

「うん――平気」

 ルイはジルに問うておきながら、自分でひとつ頷いてそう結論づけると、足音立てる事無く、皆が身だしなみを整える長机の前まで歩いていく。そうしてすとんと、丸椅子のひとつを引き摺ってきて座ると、手近にあった鏡を引き寄せていた。そうして、男性にしては長い髪をひっつめていく。

「ルイ兄」

「――うん?」

「手伝う」

 ジルは彼がすうとその髪を梳かしている姿に、自然とそう声を掛けていた。ルイはブラシを動かす手を止め、ジルの方を振り返る。

 そうして、にこりと笑みをひとつ彼に見せた。

「本当に? それは助かるなあ」

 そのいつもと変わることのない笑みに、何故かジルは泣きそうになっていた。眦が熱くなるのを必死で堪えながら、苦笑を浮かべた。

「ルイ兄はそういうところは男の人だからな」

「そうなんだよねえ。ずっとやってれば慣れるかなと思ってるんだけど、全然駄目みたい」

 ジルはルイから、黒い年季の入ったブラシを受け取ると、艶のある彼の髪を梳き始めた。ルイは一見すると儚げな容姿だ。だが性格はれっきとした男性で、細かい仕事が苦手であるらしい。確かに今ジルが握っているブラシは、彼専用のもので年季が入っているが、それに比例して、ルイの髪を結う技術が向上している所をジルはついぞ目にした事が無い。

「そんなに苦手だったら、髪の毛切れば良いのに」

「うーん、確かにそうなんだけどね。髪の毛が自由に動いちゃうのがねえ……」

「ああ……」

 ルイの言葉に、ジルは納得の言葉を返した。確かに猛獣使いという仕事は、危険と隣り合わせのサーカスの演目でも、一番と言って良いほど危険なものだ。猛獣達の機嫌をいつも見ていなければならないし、客に危険が及ばないよう、注意しなければならない。一応演目中は、客の警護の為に、身体つきがしっかりしている大人がぐるりと客席の回りを囲んでいる。それでも、ルイはひとりで戦っているのだ。

 その場にいる全ての者達の命を護るために。そして、共に戦ってくれている猛獣達の命を護るために。

 ルイは大人なのだ。全ての責任を負い、それでもしゃんと立つ事のできる、大人なのだ。

 何故かその時、普段は感じる筈の無い大きな溝をジルは感じていた。それを知ってか知らずか、ルイは鏡ごしに柔らかな笑顔を見せてくる。

「でも、確かにこの髪の毛、演目以外では邪魔になっちゃうんだよね。うーん。どうすればいいのやら」

「……別にどうすることもないさ」

 ジルはそう返しながら、ごちゃごちゃと、様々な小物に塗れているテーブルの上から、普段ルイが使っている髪留めを探し当てる。深い紺のそれを探し当てると、それを腕に嵌めて、ルイの髪にもう一度手を掛けた。ゆるりとそれを高い位置でまとめて、紺の髪留めで素早く止めていく。まるで女性のような、するりとした肌触りのその髪に触れながら、ジルは黙々とその作業をこなしていた。

「はい、できた。これでサーカス団の男前の完成だぜ」

「ありがとう」

 ジルは最後にぽん、と肩を叩いてルイにそれを知らせる。ルイは再び微笑むと、ジルにひとつ礼を述べて、それから、鏡をそっとテーブルの上に伏せた。ジルは、ルイが舞台への準備を進めるのかと思っていたのだが、ルイが未だ椅子の上に座ったままの事に気がつき、心の中で首を捻った。

 舞台よりも半分ほど暗い中で、ぼうやりとルイの輪郭が浮かび上がっている。そこにあるのは、紛うことなき、サーカス団の花形の姿だ。暗い中においても、その姿は何故かジルには眩しく感じられていた。

「そういえば、今日はひどい目にあったんだって?」

 ぼうやりとルイを見つめていると、不意にルイが唇を開いたので、ジルはぽかりと口を開いていた。

「あ、ああ……ひどい目って言っても、自業自得だけどな」

 直接ジルに、今日の昼間の件を聞いてくる人物はいなかったのだ、声が僅かにだが震えてしまう。ルイはその事に気がついているのだろうか。テーブルの上から、腕元を止める飾りを手にすると、ジルを見ないまま、ふ、と笑っていた。

「今朝、俺達もちょっと気になって調べてたんだけどね」

「そうなのか?」

「シャルルからは聞いてない?」

「……何も」

 驚きの感情が伝わったのだろう、ルイは僅かに片眉を上げて聞いてきた。ジルが俯きがちに首を振ると、そうか、と小さい呟きが彼の唇から零れる。

「シャルルが詳しく言わないのなら、僕からも詳しくは話せないけど……、でも、シャルルも今回の件はかなり用心しているんだ。俺も色々調べてみるから、無茶はしないでね」

「……うん」

 ルイのその言葉に、頷く以外に何が出来たのだろう。

「それじゃ、ちょっと準備してくる」

 彼はそう言うと、立ち上がって、二人がいるテントから姿を消していた。ジルは黙したままそれを見送る。

「……ジル」

「ん?」

 後ろからラウルに呼ばれて、ジルは静かに振り返っていた。そんな彼に、ラウルはそっと、衣装を手渡す。

「落としたよ」

「え? あ、ああ……悪い」

 そういえば、ルイの髪を結ってからは、ジルは衣装の整理をしようとしていたのだった。ルイに昼間の事を話しかけられたので、気が動転していた。ジルはラウルから衣装を受け取り、小さくため息をつく。

「どうしたの? まだ調子悪い、とか?」

「いいや……」

 ラウルが心配そうにジルの顔を覗きこんできて、ジルは横に頭を振った。衣装をぎゅ、と握り締めたまま、僅かに項垂れる。

「ジル?」

「何だか……情けなくなっちまって」

 苦笑混じりにそう呟いた。ラウルはその言葉に、ジルの気持ちを理解したのか、口を噤む。

「昼もそうだけど、今こうしてると、皆がやっぱり大人なんだなって思い知る。皆、ちゃんとしてんだなって」

「……うん」

「何だかさ、何にも出来ねえ俺は、情けねえよ」

 ジルはそれだけ告げると、くるりと向きを変えた。そうして、床に転がっている箱を塞がっていない手で引き寄せると、その中に衣装を丁寧にしまっていく。

 耳が、どこからか上がった歓声を捉えていた。団員達が、どこかで騒いでいるのだろう。何だかそれが、自分の行動をより浮き彫りにさせているようで、余計自分を情けなくさせていく。

「ジルだけじゃないよ」

 その歓声に混じって、ラウルがぽつりと呟いた。その声に顔だけ後ろに向けると、そこでは昼間のように、彼が俯いているのが見える。

「……ラウル?」

「ジルだけじゃないよ。……僕だって、あの場にいたんだ。もっとちゃんと立ち回る事が出来てればって、僕も情けないんだ」

「……ラウル」

 僅かに彼の肩は震えていた。ラウルは涙こそ流していなかったが、一歩手前の表情をジルに浮かべる。

「僕も全然子供だなって、ここに帰ってきてから思ってた。ちょっとした好奇心で手を出して、でもそれじゃ、全然駄目だったんだなって」

 そうしてラウルは、舞台への花道を振り返る。そこから漏れ聞こえてきる歓声と、舞台からの光。

 それがラウルを照らしているのを眺めながら、ジルは拳を握り締めていた。

 サーカス団の為になれば、とちょっとした好奇心で街に出た。それが、この有様だ。サーカス団どころか、ラウルさえ助ける事がままならない自分。

 だから、今度こそは。

 ジルは衣装を手にしたまま、そっと目を伏せた。




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