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第ニ話

 冷たい夜気に、朗々と、淀みなく、その言葉は紡がれていく。その言葉は、石造りの壁に跳ね返って、大きくその場に反響していた。

「主は我らに約束されました。我らに罪を。そして贖罪を。さすれば主はその願いを聞き届けると」

 その場は、完全なる闇に包まれていた。高い位置に、細く長く開けられた窓から僅かに入ってくる月の光が、その場の輪郭をぼうと形作っている。

 そして、朗々と紡がれていく言葉と共に、一定の間隔で響き渡る音があった。それはひどく鈍いような、そして時折水音のようなものが混じる、音だった。

 ぐしゃり、ぐしゃ。

「主は我らを咎人と断罪されました。我らの罪は大きく、それは幾重にも――」

 ぐしゃ、ぐしゃり。ぐ しゃ。

 それはまるで、歪んだ協奏曲のような響きを奏でている。ぼうと浮かび上がる輪郭は、確かにその場に誰かがいる事は判別させるが、そこで誰が、何をしているのかまでは判別出来ない。


 * * *


 サーカス二日目が明けたその次の日、食事用のテントを賑やかに出て行く二つの影があった。基本的に団員達は全員食事を同じ場所で摂るので、シャルルとルイもその場にいる。

「……なんだ、あいつ等。昨日も遅かったはずなのに、随分早いじゃないか」

 シャルルはプレートに、手際よく焼けたソーセージを載せながらそう呟いた。隣で茹でたジャガイモをプレートに載せていたルイが、首を捻って入り口へと振り向く。

「……本当だ。街へでも出かけるのかな?」

「それにしても随分と早く無いか? 特にジルの方は、朝は苦手だったじゃないか」

「そうだねえ……」

 何かの気まぐれかな、とルイは首を傾げながら、ソーセージをシャルルの倍プレートに載せていく。隣でパンを載せていたシャルルはそれを見て、うえ、とあからさまに顔を歪めた。

「朝からその食欲かよ……ただでさこっちは嫌なもん見て食欲が無いっていうのに」

 げんなりとした様子のシャルルに、ルイはきょとんと首を傾げていた。

「そう? これでもいつもよりも少ないけど……」

「そんな事しってらあ……だがな、見てるこっちの食欲が落ちるんだよ」

 無理矢理ルイのプレートから目を離したシャルルは、何とか最後のスープを入れ、席を探す。そうして空いている中ほどの方の席へと足を運び、よいしょ、と声を上げて座り込んだ。スープに口を付けていると、当然のように向かい側にルイが座り込む。シャルルは顔を上げてうっかりシャルルのプレートを見てしまった為、スープを口に運んでいたスプーンを取り落としそうになっていた。

「うえ……なあルイ、朝は、朝だけは違うところに座ってくんない?」

「え? どうして?」

 ルイはシャルルのお願いの理由が心底理解できないらしく、きょとんと首を傾げていた。シャルルはひとつため息をつくと、何でも無いと首を横に振る。この一見優男に見えるルイの前には、山と積まれたソーセージとパンがあるのだが、何とか目に入らないようにするように心がける。

 目に入らないようにすれば、ルイはシャルルの親友なのだ。そうなのだ。

「そうだ、ねえ聞いた、シャルル」

「あ? サーカス延期の理由か? 聞いたも何も、俺はばっちりこの目で見たんだよ。うっぷ」

「いや、それもそうなんだけど」

 パンをひょいと口に入れたシャルルが、何かを思い出したかのように話し出した。ルイの言葉に、シャルルは顔を上げないようにして、首を傾げた。

 昨晩、舞台近くのテントに、首無し死体が転がっていたのは記憶に新しい。ルイは確かにその場にいなかったが、その後、団長が皆を集めて、しばらく舞台は延期すると告げたので、ルイも知っている筈だった。シャルルはてっきり、ルイがそれを指しているのかと思ったのだが、どうやらそうでは無いようだ。

「ほら、例の噂」

「噂?」

 シャルルは目の前のソーセージに目を落としながら、聞き返した。間違えても、この食事を無事に終えるまでは、この顔を上げてはならないと念じている。

「そう。ほら、昨日の舞台、いつもよりもお客さん少なかったでしょ?」

「ああ、確かにな」

 そう言われて、シャルルは昨夜の舞台を思い出していた。確かに毎回、街を訪れたばかりの頃は、少なくとも三日目くらいまでは毎回満員の筈だった。だが今回は、二日目にして客席にかなりの空きがあった。シャルルはナイフ投げという、サーカス団の中でもかなりの危険を伴うショーを行うため、集中していたからほとんど覚えてはいない。だがそれでもうっすらと、空きが激しい座席は頭にあった。

「どうやら俺達って、『不幸を呼ぶサーカス団』って呼ばれてるからみたいよ?」

 ルイの思いがけない言葉に、シャルルはソーセージを運ぼうとしていた手を止めて、顔を上げていた。だがそこで自らの失敗に気がついてしまう。

「う……」

 たちまち、ルイの前に置かれている、これでもかと主張してくる、ソーセージとパンの山が目に入り、シャルルは口元を押さえていた。

「どうしたの?」

「いや……」

 何でもない、と首を振って、シャルルはソーセージを刺したフォークを皿の上に置く。もうこれ以上、食事を続ける勇気は起きない。

「で? 不幸を呼ぶサーカス団とは一体どういう事なんだ?」

「それがねえ、詳しくは分からないんだよねえ……俺達もまだ来たばかりだし」

 ルイの言葉に、シャルルは首元へと手をやった。そうして、もう片方の手でフォークを掴み、ルイの方へとそれを押しやる。

「ん? どうしたの?」

「……やる」

「え? 良いの?」

 ルイは驚いた表情を浮かべながらそれを受け取った。そうして、心配げに表情を歪める。

「でも……ちゃんと食べないと駄目だよ? ただでさえ、シャルルは食が細いんだから」

「誰のせいだと思ってんだよ……」

 心底心配げな声音でそう告げてくるルイに、シャルルは小さくため息を吐いていた。そうしながらも、思考は先程の言葉へと飛んでいく。

「……不幸を呼ぶサーカス団、ねえ……まあ、昨日の事が広まっちゃあ、しょうがないよな。でも、昨日の事件の前からそう呼ばれてたのか」

「うん、そうらしいよ」

 ルイはソーセージを器用にパンに挟み込んでいる。

「……ちょっと調べてみるか……あ」

 ぽつりと呟いたシャルルの脳裏に、ふと朝、威勢良くテントを飛び出していった二人組の姿が浮かび上がった。

「そうだね……把握しておくに限るかもね」

「……やな予感がするなあ……」

 にこやかに食事を続けるルイの向かい側で、シャルルはひとつため息を吐くのだった。



 街は夜とは一転して、明るい賑やかさの中にあった。それは健康的なもので、夜に見られる特有の気だるさのようなものは、一切そこには存在しない。

 ジルはこの、昼独特の健全な賑やかさも好きだった。ジルはサーカス団に身を置いている時から、自分は夜の中を生きる人間だという事を理解してはいる。だからこそ、昼の喧騒というものに惹かれているのかもしれない。街の市場の中を早足で歩きながら、ジルはそんな事をぼんやりと思っていた。右手には、足りなくなった生活物資が入った袋を提げて歩いている。

 昨日の晩、舞台近くのテントで死体が見つかった為、今日の舞台は延期になったのだ。その空いた時間を使って、日用品の買出しがてら、町の調査へと二人は乗り出している所であった。

「あ、見て見て、すごく良い匂い!」

 隣を歩いている。ラウルが鼻をひくつかせながら、斜め前にある出店を指差す。彼もいつもよりも興奮した面持ちでいる事から、おそらくジルと同じ、昼のこの時間が好きなのだろう。

「へえ、何だろうな?」

 確かに鼻をすんすんと動かすと、独特の芳ばしい匂いが鼻腔を一杯に満たしていた。その出店の前には、ジル達と同じくらいの子供達が集まっているから、おそらく彼等が行っても、その場から浮くという事は無いだろう。

「はいはい、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」

 ジルが、幾重にもたかっている子供達の間をすいすいと抜けながら、出店の様子を伺う。出店では、灰色のエプロンをしめた若い男が、にこにこしながら子供達を集めているようだった。

「さ、今日は新しい種類のポップコーンの紹介だよ! 今日は東洋の国ジパングから取り寄せた、『しょうゆ』という調味料を使ったポップコーンだよ」

 エプロンの男はそう宣伝をしながら、何やら不思議な形をした箱から、未だ湯気の立つポップコーンを取り出す。それをざらざらとカップに入れて、子供達に売っていく。

「へえ、すごいね。ポップコーンから変わった匂いがする」

 ジルの隣に来ていたラウルが、子供達が手に取るポップコーンを覗き込みながら歓声を上げていた。ジルも興味津々ではあったので、若い男からポップコーンをひとつ受け取ることにした。

「さ、今日のおやつにどうぞ食べてね! そして早い内にお家にお帰り!」

 若い男はにこやかにそう言うと、ジルへひとつカップを渡した。こんもりと盛り上げられたそのポップコーンからは、強く芳ばしい匂いが漂ってきたが、それよりもジルには気になる事が出来ていた。

 彼の口調からして、どうやら事件の事を知っているようだった。ジルはさりげなく見えるように、男に尋ねてみる。

「それって、昨日起きた事件の事か?」

 カップ渡しながら、若い男はそうそう、とひとつ相槌を打った。

「そう、子供が連続で殺される事件だよ。丁度サーカス団が来る頃からかな、毎日ひとり、ふたりと君達のような子供が殺されてるんだよね。君も気をつけな」

 若い男はそれだけ告げると、他の少年少女に、ポップコーンをざらざらと入れたカップを渡していく。

 ジルはポップコーンと一緒にその人だかりから抜け出すと、ラウルが出てくるのを待った。ジルと同じように、その手にポップコーンを抱えたラウルが上機嫌で出てくる。

「すごい、おいしそう!」

 ラウルの耳にはおそらく、ジルが先程聞いた話題は入らなかったのだろう。その目は新しい味付けのポップコーンに夢中だ。

「ああ……」

 ジルもとりあえず頷いて、そのポップコーンを摘みあげた。先程と同じ、芳ばしい色と匂いのポップコーン。だが今のジルには、どうしてだか先程と同じようには見る事が出来ない。

「……どうしたの?」

 上機嫌でポップコーンを口の中に入れていたラウルがそう聞いてきた。どうやらジルの変化に気がついたらしい。ラウルとジルは、お互いに組んで空中ブランコをこなす仲だ。例えどんな時だって、お互いの些細な変化には気が付くものなのだ。

「うん、ちょっとな……」

 ジルはラウルの顔を見て、珍しく次の言葉を躊躇っていた。そんなジルに、ラウルはきょとんと首を傾げる。

「何か変な話でも聞いたの?」

「うん、まあそうなんだけど……とりあえず、お前がそれ食べてから話そうかと思って……」

 ラウルにそう問われて、ジルはしどろもどろにそう言葉を繋いだ。そして、ジルの躊躇いはラウルに通じたらしく、ラウルはきょとんと首を傾げて、それからふわりと微笑んでいた。

「気にしないでよ。今日はその為に来た訳じゃ無いんだから」

「あ、ああ……」

 ラウルの表情と言葉に押され、ジルは小さくひとつ頷く。そして、店主から聞いた話題をぽつりぽつりと説明していく。

 二人はその間も歩みを止める事は無く、賑やかな通りを進み続けた。その道には相変わらず幾つもの出店が並び、お祭り騒ぎの様相を示したままだ。

 その騒ぎに、二人の会話は綺麗にかき消されていたが、それでもラウルには話の内容がしっかりと伝わっていた。ラウルはポップコーンを食べる手を休める事は無かったが、その表情は少しずつ曇っていった。




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