第十五話
ゆらゆらと、体が上下に揺さぶれる感覚があった。それは決して不快なものでは無く、どこか優しさを覚えるものだ。
そして、体の前面が暖かい。何だろう、と思って目を開けると、周りはまだ僅かな月光の光が差すだけの暗闇だった。
「う、ん……?」
「起きたか」
小さく呻いて身体をもぞもぞと動かすと、近くからシャルルの声が聞こえてくる。それを確認し、そうしてジルは、自分がどうやら背中におぶわれているらしい事を知った。
「ここは……?」
「教会の外だ」
確かに、先程よりも埃臭くない。そうしてようやく体の感覚が戻り、目が暗闇に慣れてくる。シャルルにおぶわれたまま、首を横に動かすと、そこには石で出来た、瓦礫の山があった。
「教会は爆破されたみたいだ」
「じゃあ、あの人が持ってたのは……」
「多分、爆弾のスイッチだろうな」
辺りは先程よりも、幾分か賑やかだった。あちこちに、ランプを手にして走り回っている人の姿が見える。彼等が着ている服には、見覚えがあった。警察の服だ。
「あの人達は……?」
「分からん。正直、お前等をあそこから引っ張り出すので精一杯だった」
そう言ったシャルルの声は、どこか掠れていた。そこで初めて、ジルは彼の服が埃だらけな事に気がつく。目を凝らして見ると、その服が幾つか裂けていて、じわりと黒い染みが広がっているようだった。
確かに自分の身体もあちこちが痛いが、それでも大きな怪我などはなさそうだった。おそらくシャルルが庇ってくれたのだろう。その事を改めて思い返し、じんわりと目尻に何かが滲みそうになるのを堪える。
「全く――たまたま団長に言われて調べてたから良かったものの、俺達が知らなかったらどうなってた事か……」
「……どうして団長に言われて調べていたんだ?」
他にも言うべきことは沢山あるのは分かっていたが、ジルの口から出たことはそれだった。シャルルは小さく息を吐く。
「うん? まあな、新聞社がある事無い事書きやがるから、それを揉み消せって頼まれたんだよ。全く、団長も面倒な事を頼みやがる」
その言葉に、ジルの心の中に、安堵の感情が広がっていった。そうだったのか。だから二人は、あのような会話をしていたのか。
ジルの心中を知ってか知らずか、呆れ交じりの声音が、シャルルの口から零れていく。
「お前たちがまさかここまでするとは思わなかったからな。お前達も、サーカスでは一人前とは言っても、俺達にとってはいつまでも弟なんだよ。全く。余計な心配掛けさせるなよ」
その言葉はぶっきらぼうなものだったが、それでも確かなものがあった。ジルの心にじんわりと、温かいものとしてそれが広がっていく。
だから、素直にその言葉が言えたのかもしれない。
「――俺、いつもお世話になってるから、ここの為に何かしたくて」
「ああ」
「だから、この事件の事を調べて、俺達とは何の関わりも無いって事を証明したくて」
「そうか」
「――だから――」
「ああ、分かったよ。でもな、――お前がそんな事考える事ぁ無いんだ。俺達は、お前に何かして欲しくて、お前を拾った訳じゃ無いんだからな」
その言葉が思った以上に優しくて、思わずジルの眦から涙が零れ落ちそうになっていた。それを隠すために、ジルはシャルルの肩口に顔を押し付ける。
「――ごめんなさい」
くぐもった声音は、ひっそりと暗闇に溶けていった。
* * *
きらりと、常の倍以上に火を灯されたテントの中。幾つもの歓声が、テントを満たすほどに鳴り響く。
そして、ステージの中央に立つ男の陽気な声が、次の演目を告げていた。
「さてお次は、我等がサーカス団の期待のホープ達による、空中ブランコです!」
その声に後押しされるようにして、ジルはテントに備え付けてある高台へと昇り、客の前に姿を現す。
円形から、幾つもの声が響き渡る。ぐるりと客席を見回して、再び客席が満員になった事に、ジルは小さく笑みを浮かべていた。
ジルは幾つもの歓声を受けながら、そっとブランコの棒を掴む。ひゅう、と小さな音を立てて、彼は空中へとその身を投げ出していた。くるりと視界が反転する。
浮遊感を味わいながら、反対側からやってくるラウルと、目線を合わせる。僅かに彼は口の端を上げて、彼が伸ばしてくるその手へ、自らの両手を伸ばすのだった。
そして、ラウルの、鉄棒によって出来たタコが、がっしりとジルの手を掴む。その瞬間、ジルは鉄棒に引っ掛けていた足をふいと外していた。ラウルに掴まれた腕を起点に、体が空中に放り出されていくのが分かる。
そして、客席から聞こえてくる、幾つもの声。それをぼんやりと耳にしながら、ジルは宙を舞う。
再び地面に足をつける、その僅かな瞬間の中、自然とジルの口元は上がっていた。
「いよ、お疲れさん」
歓声に二人で手を振って応えながら舞台裏へ戻ると、テントの隅でナイフを身に付けていたシャルルが、に、と僅かに笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「うん、おかげさまで」
ラウルがにこりと応える。
「身体はもう大丈夫そうだな」
「ああ。シャルル兄も、大丈夫なのか?」
「これでも丈夫に出来ているんでね」
ジルの問いに、シャルルは僅かに肩を竦めて応えた。
――あれから、ルイが連絡し、その場にやってきた警察によって、教会から子供達の首が見つかったらしい。それは幾何学模様が描かれた床の上に、術を掛けるように置かれていて、改めてアントナンが娘を蘇らせるとの目的で、殺人を行っていた事が判明した。
アントナンは、爆破された教会から重傷の状態で見つかったものの、エイルマーは依然として見つからず、瓦礫の中を捜索しているとの事だった。
あの爆発から逃れる事は確かに難しいとはジルも思っていたが、だがそれでも、何となく、エイルマーはもうそこにはいないのではないか、と感じていた。それは予感めいたものだったので、ジルの頭の隅にひっそりとおいたまま、誰にも言う事は無かった。
そうして、すっかり事件との嫌疑を晴らすことの出来たジル達は、予定よりも少し早く、サーカスをこうして再開する事が出来たのだ。
ジルは、てきぱきと片付けを進めながら、シャルルの手にあるナイフをじっと見つめていた。視線に気がついたらしいシャルルが顔を上げて、僅かに首を傾げる。
「どうした?」
「うん。なあ、今度さ――ナイフ投げを教えてくれよ」
ジルの言葉はシャルルにとって予想外のものだったのだろう。目を大きく開いて、そうしてゆっくりと、彼は笑った。
「俺の教え方はきついぞ」
「――もう知ってる」
「……そうだったな」
シャルルの言葉に、ジルはそう言ってくすりと笑う。シャルルも確かに、と小さく頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
「あ、出番?」
「ああ――行ってくるわ」
ラウルが手渡した最後の一本を腰に差すと、シャルルはゆっくりと立ち上がった。そうしていつもの泰然とした雰囲気のまま、花道へと歩いていく。
「――いってらっしゃい」
ジルは、舞台へと消えていく彼の背中をじっと見つめていた。
幾つもの歓声を受けて立つ彼の背中は――広い。
(了)
ここまでのお付き合い、ありがとうございました。
書いてから数年、改めて見ると拙いところなども結構あったりで、ヒィ!などと叫びたくなったりです。でもミステリーを書きたいと思った原点の作品かも、などと思ったり。
改めまして、ありがとうございました!