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第十四話

 ジルとラウルの前に姿を現したのは、昼間、教会を案内してくれていた、アントナンだった。彼は昼間の持つ雰囲気のまま、ゆるりと笑みを浮かべている。

 そこに現れた人物に、心のどこかで二人の関与を疑っていたジルは、ひとつ小さく息を吐いた。だが問題が解決した訳ではないので、すぐさま背筋を緊張が覆っていく。

「君たちか、私の後を追っていたというのは」

 その穏やかな顔から発せられた言葉は、それとは反対に、どこまでも冷たいものだった。その声音に、背筋にぞくりと怯え奔っていくのが分かる。それと同時に、頭のどこかで、ひとつの事柄が確信となって、ジルの頭に落ちてきていた。

「あなたなんですね……この街での連続殺人事件を起こしたのは」

「……そうだよ。良く分かったね」

 アントナンは、ふたりに静かな笑みを見せる。その笑みには、やはりどこか暗いものが含まれていた。

「まあ、俺達も少なからず迷惑を被ったんで、調べさせて貰ってたのさ。……それに」

 ジルは、顎をくい、としゃくって、アントナンの右手を示した。

「その手にそんなものを持ってるようじゃ、一発で犯人ですって言ってるようなものだろう」

「はは……それもそうだねえ」

 アントナンは自らの右手を見下ろした。そこには、月光を浴びて白く反射する、斧が握られている。

 彼は一歩じり、と歩を進めた。その度に、この部屋の床に降り積もっている塵が舞い、月光を浴びてきらりとその煌きを見せていた。

 じり、とにじり寄ってくる彼の姿に、ジルの背筋に再び緊張が奔った。

「君たちには申し訳ないが、事件の事を知って貰った以上、生かしておく訳にもいかないのでね」

 ――死んで頂こう。アントナンはそれだけ告げると、右手に持っていた斧を大きく振りかぶった。

「ッ……!」

 ジルは斧が頭上に振りかぶられた瞬間、両手の力をふっと抜いた。それを察知してか、予め後ろで準備していたラウルの手が動き、す、と抜けていく。元々常人以上の柔らかさを持っている二人からすれば、このような縄などは大したことでは無いのだ。

 ジルは後ろ手のまま、横に転がった。視界がぐるぐると回る中、静寂の空間に、斧が空を切って振り下ろされる音が響き渡る。それは目的を見失い、床の石へとぶつかって、甲高い音を立てた。

「何……!」

 自らの予想が外れたアントナンは、驚きに目を瞬いていた。そうしながらも、再び二人を追いかけるべく、斧を手元に手繰り寄せる。

「ジル、こっちだ!」

 一足先に出口を探り当てたらしいラウルが、大きな声を上げてジルを呼んだ。

「先に出ろ!」

「そうはさせない!」

 ジルはラウルに、先に脱出するように促す。アントナンはその言葉を聞いて、そうはさせまい、とラウルを振り返った。迷いながらも、出口に向かおうとするラウルに、斧を振り上げて、足止めしようと画策しているようだ。

 それを視線に入れて、ジルは咄嗟に左右を見回した。だが、月光しかないこの部屋には、何があるのか、はっきりとは見分けがつかない。焦りが占める中、右手にざらりとした感触があるのに気がつく。それは今まで、二人を拘束していた荒縄だった。ジルはぎり、と唇を噛んで、その縄を手に取った。

「ちっくしょおぉ!」

 これでも少しでも足止めになれば、と祈るような気持ちで、ジルはその縄を投げる。それはひゅんと、鋭く空間を横切って、そしてアントナンの丁度斧を振り上げかけた右手に命中した。

 あまり大きな衝撃にはならなかっただろうが、それでもジルの祈りは届いたらしい。アントナンはラウルへと振りかぶっていたその右手の動きをぴたりと止めていた。

「ジル……!」

「早くいけ!」

 ラウルの戸惑うような声に、半ば怒鳴るようにしてジルは言い返した。暗闇の中でもぞもぞと動く影が、扉の向こうへと消えていくのが、暗い視界でも確認できた。

「くそ……余計な事をしてくれたな……」

 ゆらり、と振り返ったアントナンが、その眼を異様なまでに輝かせて、ゆっくりとこちらへ足を進めてくる。ジルは彼の動きをじ、と見つめながら、ごくり、と喉の辺りに溜まっていた唾液を飲みこんでいた。

 チャンスは、おそらく一度きり。ジル達が閉じ込められたこの部屋はあまり広くない。距離を取って逃げることは不可能なのだ。

 つまり、アントナンが見せた隙、その一瞬を狙うしか、道は無い。

「もう少しなんだ、もう少しで……!」

 アントナンはそう言うと同時に、再び斧を大きく持ち上げて、そうして振り下ろそうとした。

 ジルはその振り下ろされる一瞬の隙を見て、アントナンの体の横をすり抜ける。僅かに斧とジルの体が近付いて、耳元をごうと風が唸った。髪が引き攣れるような感触を受ける。おそらく何本か髪の毛が切れたかもしれない。

 だが、今はそんな事にかまっている暇は無いのだ。ジルはそのまま走り抜け、扉から外へと飛び出た。目の前は、石の階段があり、そして下の階へと繋がっている。

「こいつ……! 待てッ!」

 後ろから、烈火のような勢いを孕んだ怒号が響いた。ジルはそれを聞いて、僅かに足を蹴る石の床に躊躇する。だが、ひとつ息を呑み込んで、意を決すると、足を大きく踏み出した。

 そのまま、空中ブランコの演目をこなす様に、空中へと躍り出る。未だ視界の半数以上を暗闇に覆われたまま、それでも上手く身体を制御させながら、下の階を目指す。

 頼りない浮遊感に襲われたのは数秒だった。それは急に終わり、足が石の固い床を捉える。それと同時に、激しい衝撃が体中を奔り回った。

「くっ……!」

 やはり、階段を飛ぶ事は難しい事だったか。出来るだけ衝撃を殺しながら、ジルは歯を食いしばってそれに耐えた。

 足は普段から鍛えているせいか、どうやら骨まで折れる事は無かったようだ。だがそれでもじいんとした痺れが奔り、急に走り出す事は難しそうだ。これなら階段を駆け下りた方が良かったかもしれない、と小さな後悔を抱えつつ、よろよろと立ち上がって早足で歩き出した。暗い闇が支配し、僅かに、柱に取り付けられた燭台の炎を目安に進む。

 その後ろから、アントナンが息を弾ませながら駆け下りてくるのが分かる。彼は息を切らせながら、何かを呟いているようだった。

「くそ……もう少しなんだ、もう少しで、エリーにまた会えるのに……!」

 その言葉が切れ切れにジルの耳に届いてきて、ジルは思わず歩みを止めていた。そうして首だけを後ろにやり、足を止めるに至った単語を呟く。

「……エリー?」

 それは小さな呟きだったが、この静寂の空間ではアントナンにも聞こえるものだったらしい。アントナンは動きを僅かに止め、そうしてひとつだけ息を吐いた。

「私の娘だ。去年死んだ、な」

「どうして死んだ娘が、殺しに関わってくるんだよ」

「……エリーが死んだ頃と同じ時期にこの教会は出来てね、たまたま葬儀をここで行ったんだ。その時に、エイルマーさんに出会ってね……この宗教の秘儀を聞いたんだよ」

「……秘儀?」

 アントナンの言葉に聞き返しながら、ジルはふと、ラウルが張り込みの時に描いていた、幾何学模様を思い出していた。そしてそれと同時に、教会のステンドグラスに浮かび上がる幾何学模様も。

「君も聞いただろう? この宗教の話を。聖なる力に掛かれば、どんな願い事も叶える事が出来ると」

「……まさか」

 ジルの背中に、今までの恐怖とはまた違う種類の寒気が這い登ってくるのが分かる。それは予感めいたものだった。

「そう。願いに見合う供物を捧げれば、どんな願い事も叶える事が出来る。その秘儀を聞いてね、私はこの宗教の信者になる事に決めたんだ」

 アントナンはそう言うと、どこか寂しげな笑みを見せて、静かに階段を下りてきていた。今まで逃げようと思っていたのに、どうしてか、ジルの足は動かない。

 どうしてだろう。この宗教の、とんでもない秘密を知ってしまったからだろうか。それとも、彼のどこか寂しげな笑みを見てしまったからだろうか。

「君はおかしな考えだと思うかもしれない。でもね、私にはそれだけ――娘が全てなんだよ」

「――同じだけの子供を幾人も殺しても、か」

 ジルの静かな問いかけに、アントナンは一瞬だけ目を瞬くと、ああ、とひとつ頷く。そうして、右手にある斧を静かに振り上げた。

「そうだよ。エリーともう一度会う事が出来るならば、私は何をしても構わない」

「――ふふっ」

 アントナンの言葉に、ジルは僅かに笑みを漏らしていた。その場にふさわしくないその笑みに、アントナンの額に皺が増える。

「何がおかしい?」

「いや、おかしくて笑った訳じぇねえよ。ただ、羨ましくて」

「――羨ましい?」

 訝しげに聞き返すアントナンに、ジルは、どこか穏やかな笑みを見せた。

「あんたみたいな人が皆の父さんだったら、俺達はある意味では幸せなんだろうなあ、と思っただけさ。俺は親がいないもんでな。――そこまで愛される親が欲しかったよ」

 アントナンの目が驚きに見開かれる。そして、上空に上げられた斧が僅かに震えて止まり。

 再び動き出そうとしたその瞬間、ジルの横を何かが鋭い勢いを持って、通り過ぎていった。それはアントナンの振り上げた斧にその勢いのままぶつかり、彼の腕から斧を振り落としていく。

「ジルッ!」

 後ろから、ラウルの叫び声と、ぱたぱたとこちらに走ってくる足音が聞こえる。そして、斧が地面に落ちる音と、それに混じって、細長いナイフが、幾度か石の上を弾んでいく軽い音が響いた。

「――大丈夫か?」

「ああ――」

 走り寄ってきたラウルに、ジルは何が起きたのか理解する事が出来ないまま、とりあえず頷いておく。そんな彼に、ラウルは手を差し伸べながら、小さく微笑んだ。

「シャルル兄が来てくれてるんだ」

「シャルル兄が?」

「――全く、無茶しやがって」

 ジルが思わず聞き返すと同時に、ラウルの向こう側から、低い声が聞こえてきた。それはひどく懐かしいような響きをジルに覚えさせて、思わず涙腺が緩みそうになってしまうのを必死に堪える。

 そして静かな靴音の後、仄かにシャルルの姿が浮かび上がった。そして、更にその後ろから、見覚えのある青年の姿。

「どうやら、今回は失敗のようですね」

 シャルルの後ろからそう告げたエイルマーの声は、ジルが一度だけ聞いた昼間の声音と同じだった。それはだが、この状況にひどく不釣合いで、それが異様さを醸し出している。

「そんな――だって、エイルマーさんは言ったじゃありませんか――」

 アントナンはエイルマーの言葉に、目を大きく見開いた。そして口元を震わせている。そんな彼に、エイルマーは口元の微笑をひとつたりとも動かす事無く、再び口を開こうとした。

「その人は、ただの神父なんかじゃありませんよ」

 エイルマーが何か言い出したそれを遮って、後ろからルイの言葉が聞こえてきた。彼の姿は暗闇の中に隠れて見えないが、確かにそこにいるようである。

「神父どころでは無く、その人はエイルマーと言う人でさえありません」

「……ほう、良く調べ上げましたね、そんな事まで」

 ルイの言葉に、エイルマーは僅かに片眉を上げた。シャルルは両手にナイフを弄びながら、小さく息を吐く。

「あんたらが俺達の事を新聞社に面白おかしく吹き込んでくれたお陰でな、こちらは使わなくても良い労力を使うハメになったんだよ」

「それはそれは――すみませんでした」

 エイルマーはシャルルの鋭い視線をあっさりと受け止め、小さく頭を下げる。その横で、アントナンはその肩を僅かに震わせていた。

「そんな――エイルマーさんじゃ、無い……?」

「ええ。本当の名前は俺達も調べられなかったんですけどね。少なくともこの人は、今までに幾つも名前を変えて町を転々と移り渡っていた、そして似たような事件を今日のように、誘発させていた――そうですね?」

「さあ、どうでしょう」

 凛としたルイの告発にも、エイルマーは僅かに肩をそびやかすだけだ。

「本当かどうかはどうでも良い。あんた、どの事件も親と、子供の関係を利用してるんだな。そんな事をして生きて、何が面白いんだ?」

 どこか呆れたようなシャルルの言葉に、初めてエイルマーの肩が僅かに震えた。そうして、ジルが浮かべていた微笑をその時だけ引っ込める。

「大したことではありません。ただ――壊したかっただけなのですよ、子供を愛する親を」

 エイルマーはそれだけ告げると、彼が着用している袖の中から、何かを取り出した。

「――さて、今回はもう、潮時ですね」

「――!」

 ジルの立つ位置からは、彼が何を手にしているのか良く見えなかったが、どうやらシャルルの目からはそれが分かったらしい。彼は顔色を変えて、そしてナイフを振りかぶる。

 それと同時に、ジルの体中に衝撃が襲い掛かっていた。

「なッ!」

 轟音が鳴り響き、体がいとも簡単に吹き飛ぶのが分かる。そして、頭が石の壁にぶつかり、意識がゆらり、と薄れていく――。

 最後に見たのは、シャルルがジルへ、焦燥の表情を浮かべて手を差し出している光景だった。


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