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第十一話

「とりあえず、シャルル兄とルイ兄が何してるかを把握しないとな」

「うん」

 ジルは頭を回して、とりあえずやらなければいけない事を必死に思い返した。何より一番不味いのは、メモを見ている時に、シャルル達と鉢合わせしてしまう事だ。それだけは避けなければならない。

 となると、初めにやる事はひとつだ。ジルは先程より随分重くなった腰を何とかして動かすと、テントから外に出て、練習場へと向かう。他の団員達に声を掛けられても、それを適当にかわしつつ、皆が普段練習場に行く時に使わないルートを通って、こっそりと練習場を覗き込んだ。

 そこには、先程とほとんど同じメンバーが、調整をしていた。このサーカス団は、家族ぐるみの、そう大きなものでも無いので、ほとんど毎回同じメンバーが舞台で演目を披露する。

 その為、練習場にいるのは、ほとんどが見知ったメンバーのみだ。

 ぐるりと練習場へ満遍なく目を通すと、ほどなくして目的の人物達は見つかった。シャルルは練習場の片隅を陣取って、的に向けてナイフを投げている。彼はこのサーカス団のナイフ投げだ。

 たん、と音がして、美しい弧を描いて、ナイフが的に刺さっていた。それを確認する間も無く、彼は次々にナイフを投げていく。

 傍らで見る限り、それはいつも通りに捉えられたが、ジルの目には、妙に黒々としたものを纏っているようにも感じられるのは気のせいだろうか。

「……なんか、やっぱり」

 ぽつりとジルが呟くと、隣でラウルもジルの言葉を引き継いでいく。

「怒ってるよね、あれは」

「どう見ても、ナイフに黒々とした怨念が籠もっているようにしか見えないぜ」

「……気をつけないとだね……」

 流石にそれを見て、ラウルも先程の勢いが削がれたようだ。だがそれも、彼の覚悟を断ち切るまでにはいかなかったようだ。

 未だ勢いを残すその瞳の輝きに、ジルはこっそりとため息をつくのみだ。

「それで、ルイ兄は、と……」

 シャルルと同室なのは、彼と公私で一番仲の良いルイだ。ルイとも鉢合わせになると、シャルルの次に不味い事になる。

 そう思いながら練習場を見渡すと、やや右端の方でルイはひとり、身体の具合を見ているようだった。

 彼だけ、舞台で身に付ける衣服と同じものを着ているので、ルイだと分かるとそれが目だってしょうがない。それも仕方が無いだろう。調教師であるルイにとって、匂いの違う服を着て動物と接する訳にはいかないらしい、という話を聞いた事があるからだ。

「ルイ兄は……これはまだ時間かかりそうだね」

「そうだな。これから多分、奴らと調整の時間があるだろうし」

 ラウルの言葉に、ジルはひっそりと同意する。そして、二人は示し合わせたように、抜き足差し足で練習場から姿を消していく。そうしてテントの、人が歩かないようなところを再びこそこそと歩いて戻り、シャルル達のテントの前で足を止めた。

「よし、行きますか」

 ラウルは自分を奮い立たせるようにひとつ頷くと、ぺらりとそのテントの布を捲った。ばさりと音を立てて捲れたその布が、まるで二人の命運を分けるような、そんな感触をジルは覚えていた。

 だが大げさに捉えてしまうのも仕方が無いだろう。何故ならば、先程、最終宣告だ、と釘を刺されたその場にもう一度乗り込むのだから。

 ラウルに続いて、回りに見つからないようにこっそりとテントの中に足を踏み入れた。先程練習場で見たので当たり前だが、テントの中には誰もいなかった。シャルルが恐らく直前まで使っていたであろう、灰皿に、煙草が残っているのと、そしてまだ僅かに温かさの残っているコップがあるだけだ。

「ルイ兄もいたんだね」

 ラウルはコップが二つある事を見てか、ぽつりと呟いた。確かにテーブルには二つ、対面する形で椅子が残されていて、そして、その椅子に見合うようにコップが置かれている。

 二人もこの事件の事を何かしらの形で話し合っていたのだろうか。

 そうしてテーブルの上に視線を送ると、そこに思いもしないものが置かれている事に気がついた。

「あれ……これ、さっきのメモじゃねえか?」

 テーブルに近付き、そのメモを手に取る。それはやはり、先程見たのと同じ新聞の切り抜きが幾つも貼られているメモだった。

「本当だ。二人もこれについて何かを話していたのかな」

「そうかもしれないな。シャルル兄も、ルイ兄も、自分たちも調査してる、と言っていたしな」

 近付いてきたラウルが、ジルの肩越しにそれを覗き込む。ジルはぺらりとメモを捲りながら、それを確認していく。

「お、さすがあの二人だな。ちゃんと地図に色々書き込んでもいるぞ」

「ホント?」

 何枚か捲った先には、どこからか手に入れたのか、この街の地図が切り抜かれて貼ってあった。そしてその上から、ペンでいくらかチェックを入れてある。

「じゃあ、写していくね」

 ラウルはそのメモを手に取り、地図を睨みながら、自分のメモに書かれている地図に記していった。

 ジルはそれを横から見ていたのだが、慎重にそれを移していく彼の顔が、時間が経つに連れて段々と強張っていくのが手に取るように分かる。

 何が起きたのだろうと、首を傾げた。

「――ラウル、どうした?」

「――これ、は……?」

 ジルの問いかけに、ぴくりと顔を動かしたラウルは、ジルへと視線を動かして、そうして僅かに唇を動かした。

 その時、テントの外でがさり、と音がして、ふたりは同時に飛びあがる。

「ッ……!」

 そうして、外へと身体中の感覚を尖らせる。ぼそぼそと声がテントの外から響いてきた。そうして、そこから響いてくる声に、二重に飛び上がりそうになった。

 その声はシャルルとルイの声だったのだ。


「まずいッ……!」

 二人は瞬時にテント中に視線を巡らせる。そうして、ジルは僅かに見つけた隙間に、未だ視線を彷徨わせたままのラウルを引っ張り込んでいた。

 ジルが見つけたのは、ベッドの下だった。こういうときに、まだまだ自分は成長途中で良かったと思う。

 何とか二人分の体を収める事が出来た。後は時間を見計らって、テントの隙間から外に出るだけだ。この部屋のベッドは、たまたまテントの隅に置かれている。上手くいけば、二人に見つからずに出ることが出来るだろう。

 ばさり、と音がして、テントの中に二人分の足音が響いた。足元しか見えないが、このブーツの色からして、やはりシャルルとルイのようだ。

「あー、疲れた」

「随分練習していたみたいだしね。シャルルにしては、珍しいんじゃない?」

 落ち着いたルイの声に、些か苛立ったようなシャルルの言葉が上から被さってくる。

「ああ、ストレス解消もかけてたんだけどな。全然ストレス解消にならなかったぜ」

 その言葉と同時に、煙草に火をつける音がする。

「まあ、仕方ないか、シャルルがイライラしているのはいつもの事だしね」

「ふん、一言多いんだよ」

 二人の会話はそこで一旦途切れ、ごそごそと衣擦れの音が響いていた。おそらく練習が終わったので、二人とも着替えをしているのだろう。その証拠に、彼等の頭上にあるベッドがばさりと軋む音を立てた。

「それにしても……どうするの、これ」

「どうするって言ってもなあ……」

 どうやらルイが、テーブルの上に置かれたメモの事に言及したようだ。二人の声音が、僅かに揺らぐ。

「まさか、あの子達が事件の現場にいくとは思わなかったしね」

「はー……ほんと、面倒な事になっちまったぜ」

「あれは仕方無いと思うよ。新聞にもああいう風に書かれているしね」

「まったく……団長も俺達に事件のもみ消しをさせるたあ、悪いお人だ」

「そりゃあ、団長自ら動く訳にはいかないからね」

 そうして、シャルルが煙草を吐く音が聞こえた。床下にいる二人にも、仄かに苦い香りが漂ってくる。

 その香りはいつもなら、ジルの心を梳かしてくれるものだったが、今のジルには全くの効果が無かった。

 それ以上に、今、二人が放った言葉が衝撃的だったのだ。

 事件のもみ消しをさせる、という一言が、ジルの頭をぐるぐると回っていく。そんなジルの感情などおかまいなしに、頭上で二人の会話は進んでいく。

「いつもならもっと上手くできるんだがな」

「ああ……確かにねえ。今回は二人に見つかっちゃったからね」

「どこであいつらの耳に入ったんだか」

「まあまあ、二人もいつまでも子供って訳じゃないから」

 視界の先に、椅子へと腰を下ろしたのか、足が一定の場所をいったりきたりしている。

「それでもよ、まだこいつらには汚い世界を見せる訳にはいかないだろう。それに……ジルには特に、な」

「そうだね」

 二人の会話は続いていたが、ジルの耳にはそれ以上の言葉が入り込む事は無かった。頭の中がぐるぐると熱い何かでぐちゃぐちゃにかき回されているような感覚に襲われる。

 今の会話は、まさか。

 自分達は、サーカス団と、この街に起きた事件に関わりなどある筈が無いと信じてきていたのだ。そして、だからこそ、自分を暗闇から救い出してくれたこのサーカス団にひとつでも恩返しになれば、とこうして様々な覚悟を決めていたはずなのだ。

 だが、それらの覚悟が、まるで一瞬にして、粉々になったような、そんな心持ちだった。

 このサーカス団は、本当に、この街の事件とは関わりが無かったのか? 確かに、事件は自分達が公演を始める数日前から起きていた。だが、事件が始まった日にちは、丁度自分達が街に到着し、テントを張るのと同じ日だ。

 自分が見てきたサーカス団は、それが本当のものだったのだろうか。

「……ジル」

 ぐるぐると思考の渦に捉われていると、横で潜んでいたラウルがこそりと言葉をかけてきた。

「……え?」

「二人とも、出て行ったよ」

「あ、ああ……」

 気がつけば、二人の足も、話し声も聞こえなくなっていた。いつの間にそんなに時間が過ぎていたのだろう。ジルはようやく、ラウルのいわんとする事に気がついて、ずるずると這いずるようにして、ベッドの下から這いずり出て行く。

 そうして重い腰を持ち上げ、二人が戻る前にテントからこそこそと出て行った。

 足取りは、昨日よりもより一層、重くなっているような、そんな感じがしていた。ジルはラウルに先導されつつ、ふらふらの頭を何とか動かして、自分のテントへと戻っていく。

 そうして何とか自分のテントに戻り、椅子に腰掛けた。テーブルの向こうでは、ラウルがいつの間にか持ってきたお湯に、茶葉をで浸して作った、紅茶をジルへと持ってきた。

「とりあえず、何はともあれ、これ飲んで」

「あ? ああ……」

 先程埃がたまっている場所にいたからだろうか、随分と喉が渇いていたので、ありがたくジルはそれを受け取る。ぼんやりとそれを啜りながら、ラウルはこういう時に、本当に気がきく奴だ、という考えを新たにしていた。

 何故ならば、今ラウルが持ってきた紅茶は、ジルのお気に入りのものだったからだ。

「ふふ……」

 その事に、自然と笑みが零れてしまう。突然生まれた笑みに、ラウルはきょとんと首を傾げてみせた。

「どうしたの、思い出し笑い?」

 気持ち悪いよ、と相変わらず間延びした調子で告げる彼に、小さく首を横に振る事で否定する。

「違うよ。お前の素晴らしさに笑みが込み上げてきただけだ」

「何それ、意味が分からないんですけど」

「分からなくていいさ」

 ジルはそう言って、再び紅茶を啜る。管に巻かれたラウルは相変わらず戸惑ったように首を傾げていた。

 口いっぱいに広がる紅茶の味が、ぐるぐるに狂わせた頭を少しずつ、いつもの調子に戻してくれているのを感じていた。部屋の中にも、その紅茶の独特の芳香が漂っている。

「……お前、どう思う?」

「さっきの事?」

 そうしてようやく、ジルはラウルに先程の話を持ちかける余裕が出来ていた。ラウルに問い返されて、ひとつ頷く。

「うーん……随分唐突過ぎて、良くは分からないけど……」

「けど?」

 ラウルはそこで、一息ついて紅茶を飲み下していた。その落ち着いた仕草に、自分との境遇の違いを思い知らされたようで、ジルはひとつため息を吐く。

 ジルがラウル以上に、シャルルとの会話に敏感に反応するのは、ひとえに自分がかつて、シャルル達が話していたような境遇にいたからだ。

 全ては食べていく為に、汚い事にも平気で手を染める。表ではへらりと笑いながら、裏では平気で人を陥れる。

 かつて、そういう世界にどっぷり首まで浸かって育ったから。だからあの話にも、敏感に反応してしまうのだろう。

 一度暗い淵に覆われていたジルは、ラウルの言葉によって現実に引き戻された。

「それでもさ、やっぱり最後までこの事件について調べようよ」

「……うん?」

 ラウルの真意が読みきれず、思わずジルは聞き返してしまう。そんなジルに、ラウルはふんわりと微笑みかけてきた。

「まずはさ、この事件の事をきっちり僕達は最後まで真実を捕まえなくちゃいけないと思うんだ。それで、誤解かどうかを見極めなくちゃ。もし新聞に書かれていたサーカス団との事が本当だったら、その時はその時で考えればいいし」

「……そうだな」

 ジルは彼の言葉を数秒間吟味して、ひとつ頷いた。

 そうだ。確かに自分はまだ、この事件に対して何一つ真実を掴んではいないのだ。例えどうなろうとも、せめて行く末だけは見届けなければならない。

 仄かに立ち上る湯気を眺めながら、ぼんやりと考えていた。


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