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未知なるニオイとの遭遇

 カランカラン……。


「いらっしゃいませー!」


 入り口を開けると威勢の良い店員の声が聞こえてきた。


 初めて入ったラーメン屋。席へと案内される間に店内を見回してみたが、カウンターもテーブル席もほぼ満席に近い形で埋まっている。おそらく日頃から繁盛している店なのだろう。


「ご来店ありがとうございます。ご注文お決まりになりましたら、そちらのボタンでお知らせください!」


「あ、はい。どうも」


 水とおしぼりを持ってきた店員は愛想がよくて、なかなかイイ感じだった。大学生だろうか。あれだけ接客に慣れているということはバイト歴が相当長い子に違いない。


 まぁそれはさておき。


 俺はメニューを開いた。名物だという三郎系ラーメンを筆頭に醤油、塩、味噌ラーメン各種。サイドメニューも充実しており、唐揚げやチャーハン。サラダやデザートまで揃えている。


 どうしても男性が中心に頼むであろう、デフォルトが麺大盛でニンニクたっぷりな三郎系だけでなく、ファミリー、子ども連れの来店も見込めるメニューのラインナップだった。


 各方面に配慮しているメニュー構成。繁盛しているのも理解できるというものだ。




 テーブルに置かれた呼び鈴を押す。しばらくしてやって来たさっきの店員に注文を伝えた。


 俺が頼んだのは、ここの定番メニューであるという三郎系ラーメンだった。元々三郎系ラーメンが好きだったというのもあるが、初めて入った店では一番オススメだと書いてあるメニューを食べるのが自分の信条である。




「……お待たせしました」


 落ち着きのある店員の声が聞こえた。


 (来た、来た……!)


 仕事帰りに寄ったせいか。待っている間、お腹が鳴って仕方がなかったところだ。あぁしまったなぁ。どうせなら、大盛にすればよかった。


『無料で麺を大盛にできます!』


 そう書いてある壁の張り紙に気付いたのは、残念ながら注文した後であった……。後悔先に立たずとはこのことだ。


 テーブルに置いたスマホから視線を上げると。丁度、目の前にどんぶりが置かれるところだった。


 (あぁ……! これこれぇぇ!!)


 まず目に入るのは。どさっと積み上がったキャベツ&もやし。昨今野菜が高騰しているのにも関わらず、相当な量を乗せてくれている。優良店にも程がある。これこそ企業努力。そのありがたみに感謝。これは残さずいただかなくては罰が当たるというものだ。


 その下にあるのは、野菜の隙間からちらりと見える極太麵。噛み応えのあるコシを予感させるワシワシとした分厚さ。最高の茹で具合だ。早く噛みたい。小麦の味を噛みしめたいっ!


 そして極めつけは野菜の更に上。野菜の山の天辺に冠雪のように降り積もった刻みニンニクとチャーシューの角切りと背油の塊! 嗚呼、これこそ三郎系が三郎系たる所以(ゆえん)(の一つ)。ニンニクなくして三郎系ラーメンは名乗れないのだ。ニンニクを何欠け使ったかわかったもんじゃない贅沢な盛り具合に思わず合掌してしまいそうになる。


 (これが……これが見たかったんじゃワシは!)


 思わず一人称がおかしくなってしまうほど、俺の体は三郎系ラーメンを欲していた。




 ビジュアルは文句なしの合格。となれば、次に期待してしまうのは匂いである。匂いを嗅げば料理の良し悪しがほぼわかるというものだ。


 さぁ、この店の三郎ラーメンはどんな匂いなのか。


「ふぅぅぅぅ……!」


 俺は口から息を吐ききった。完全に。限界まで。吐ききることで、次に鼻から吸い込む空気の量が倍増し、より深く匂いを感じることができるのだ。


 ……まぁ、なんとなく想像はつくけども。


 まずはニンニクの香ばしい匂い。そして醤油ダレや油といった調味料系の芳醇な匂い。いや、想像がついてもいいのだ。俺はその、三郎系ド定番のラーメンを食べに来たんだからっ!


「すぅぅぅぅ……!!」


 そして俺は息を吸った。




 吸ってしまった。




 もちろん最初に鼻腔へと飛び込んでくるのは、三郎系の顔であるニンニクの匂い。


 ……ではなかった。


「あ”っ……?! お”っ……?!?!」


 何とも言えない匂い。


 ……いや、(にお)いがしたのである。




「げほっ、げほっ……! おほぉ”っ……!」


 つい咳き込んでしまった。それほどまでに鼻の中へ飛び込んできた臭いは強烈だった。


 (違うっ。明らかにニンニクの匂いじゃないっ?!)


 おかしい。俺の大好きなニンニクの臭いは……どこに行ってしまった? まさかさっき見たアレはニンニクじゃなかったのか?


 ラーメンをもう一度確認するも……。確かにその天辺にはニンニクの刻みが乗せられていた。


(どうしてニンニクの香りが一切せずに、こんな、くさい……刺激臭みたいな臭いがするんだ……?!) 


 当然、ニンニク臭より弱い醤油ダレの匂いなんて一ミリも嗅ぎ取れはしなかった。


(もしかして、隠し味の類だろうか?)


 三郎系ラーメンと一口に言っても、その店その店独自の進化を遂げている場合がある。麺の厚さを変えて見たり、醤油にこだわってみたり、麺よりもチャーシューに全精力を注いでみたり……。そんな自由度があるというのも三郎系ラーメンの魅力の一つである。


 この店もそんな工夫の一つとしてオリジナルの香りを足しているのかもしれない。


 そんな風に考えついた俺だったが、すぐにその可能性を否定した。


(だって。これはっ。この臭いは料理に添えていい匂いじゃあない)


 一応スパイスのような系統の匂いではある。しかし信じられないことに、ニンニクよりも遥かに強く、心なしか目に沁みてくるような臭いなんだから。


 俺の頭の中では様々な可能性が浮上しては消えていく。そしてたどり着いたのは。


『これはこのラーメンの臭いではない』という結論だった。


 そりゃそうだ。料理を台無しにするようなスパイスを使う理由はない。三郎系のニンニク・醤油・油という完成されたトリニティな匂いを乱す必要などないのだから。




 さて、そうなると考えられるのはラーメン以外の可能性だ。


 テーブルを左から右へと見回してみる。しかし、置かれているのはメニューや爪楊枝。店員の呼び出しボタンぐらいだった。何も臭いの元になりそうなものは存在しない。


 もし、ここで台拭きの一つでもあったのなら、それを疑えたのに。


 テーブルにこぼれたラーメンの汁やジュース類を拭いた台拭きは時間が経てば雑菌が繁殖する。それならば、食欲を害する臭いの発生源になってしまったとしても不思議ではない。


 だが、残念なことにそんなものなど見当たらなかったのだ。


 ちなみにこの間。ラーメンのどんぶりがテーブルに置かれてからわずか一秒程度である。食べ物のことになれば脳細胞をフル活用してしまうのが人間というものだ。


 残るは二つの可能性。


 すなわち、この場にある料理とテーブル以外の存在。つまり、自分か店員の可能性である。


 自分はと言えば。……残念ながら、汗をかけば汗の臭いがする。そんな三十代前半の男である。ただ、こんな臭いが自分から漂ってきたことは、おそらく、ない。


「おそらく」というのは、自分で自分の臭いを客観視……というか客観嗅ぎするのは難しいからである。人から言われて初めて気付く自分の臭いというやつも確かにあるのだから。俺ももうすぐ、親戚の子におじさん臭いって言われるようになってしまうのかなぁ……トホホ。


 さて。残っている可能性は。もう一つしかない。


 それは、このラーメンを運んできた店員の体臭である可能性だ。


 声の違いから、最初に俺を客席に案内して、その後水を持ってきてくれたあの明るい店員とは違う店員だなぁとは思っていた。


 ラーメンが来るまでの間、下を向いてテーブルに置いたスマホをイジっていた自分は。


 そう言えばまだ、一度も。


 そう。


 一度もこの店員の顔を見ていない。


 おそるおそる。俺は顔を上げた。


 ラーメンのどんぶりに添えられた指は細く。そこから伸びた腕もスラっと細いものだった。日焼けなど縁がないかのような白さ。明らかなインドア派。言い方は悪いが病的なほどに白かった。


 肘から肩に視線を移す。肌が見えるのは一旦ここまでだった。二の腕の途中からは黒い布が。すなわち、この店の制服であるTシャツが現れるからだ。


 肩口をなぞっていくと再び肌が。鎖骨が現れる。クッキリと浮き出た鎖骨は、この人物が結構な瘦せ型であることを証明していた。ここから上に視線を移動させればすぐに顔が見られたのだが、ここで自分は視線を上ではなく下にやった。


 どうして視線を下にやってしまったのだろうか。はたして鎖骨の下には。男性には存在しない、確かに丸みを帯びた胸が広がっていた。


 ……あぁ、やはりこの店員は女性だったのだ。


 もちろん、声を聞いて女性だということを分かってはいた。だが、男のサガというか。どうしても見てしまうものは見てしまうのだ。


 そして……絶望した。


 物凄く。非常に自分勝手な願望ではあるのだが、この臭いが体臭だとしたら。女性から発しているものであってほしくなかった。まだ、男性なら納得……はできないが、あぁ、と腑に落ちる部分があるというものだ。本当に失礼で勝手な意見だけど。


 胸から再び鎖骨へ。そして、ついに顔が見えた。というか、バッチリ目が合ってしまった。


 ジッとこちらを見つめているのは切れ長で、しかし眠そうに細められた目だった。腕の細さからわかってはいたが、予想していていた通り痩せ型でシュッとした顔のシルエット。耳にはピアスが幾つもぶら下がっていた。髪の色は黒だったが、その内側には派手めな赤色のメッシュが入っていた。


 髪の後ろ半分をポニーテールのように縛って纏めているようで、メッシュとピアスがよく見えたのだ。


 バンギャ、という言葉が頭に浮かんだ。自分の日常生活ではあまり見かけることのないその派手な出で立ちに、俺は若干面食らっていた。


 目が合っていたのは一瞬のことで。


「……ごゆっくり」


 黒いマスクの下から紡がれた、飲食店にしてはやや雑な接客文句と共に、彼女は去っていった。


 彼女がテーブルから離れて数秒ほど経つと。


 あれほど鳴りを潜めていた三郎系ラーメンの匂いが。ニンニクと醤油の香ばしい匂いが初めて俺の鼻の中へと入ってきた。

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