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三月六日 3

 俺は、掃除が終わってすぐ大学病院に足を運んだ。バイトは昼はない…茜さんが仕込みに入るからだ。俺がいると埃が一つくらい飛ぶ。だから俺は街に出てブラブラと時間を潰してる。家に帰る事はしない。

 できれば…家には帰りたくないのだ俺は。


 前に茜さんは「うちに下宿しない?」と言ってきた事がある。魅力的な話だったが、俺は断った。茜さんに、たとえ間接的にとはいえ、これ以上俺の苦労を背負ってほしくはなかったし、母さんの約束があった。


 何にせよ、俺は親父が死ぬまで、生活できるふうには助けてやらないといけない。飲んで、寝る。そんな生活を続けているからには長くは持たないだろう。俺が応じなかったのは、その時までの我慢だと…そう思えば耐えられる苦痛だったからだ。


 …で、俺が病院を訪れる理由は、もちろん今朝の女の子に会うためだった。この町には大きな病院は一つしかないため、自動的に彼女の体がそこに運ばれる事は簡単に予想がついたのだ。


「えぇと、何号室だったかな…」


 老人達のたむろするロビーで、きょろきょろする。

 さっき看護婦から聞いたばかりだろう、と自分で自分の頭を小突く。しかし度々訪れていたならまだしも、入院沙汰になった知り合いはいないし、自身も入院の経験はない。だから俺は病院などに来る事が少なかった。しかも大病院ともなれば、どこもかしこも同じような部屋が並ぶばかり。途中のスーパーで買ったお菓子の詰め合わせを片手に、五分ほどずっと六階の案内板とにらめっこしていた。


「あれ、警察の人…か?」


 ふと左右を見回した六階の廊下に、ある部屋の前で中年の男たちの人だかりがあった。見るからに、怪しい。


 人だかりといってもわずか二人。だが、どちら男もただの見舞い客という風には思えない理知的な雰囲気があった。立っているだけで、思わず警戒してしまいそうな。未遂だけれども、自殺をしようとした昨日の今日なせいか、罪悪感と危機感についしり込みしてしまう。…警察と確信したわけじゃなかったが、手帳に何かを書いている姿はどこか見覚えのあった。以前厄介になった事もある。飲み屋のバイト中にチンピラに絡まれて格闘した時の事だ。


「どうしたんですか?」


「ん、いやちょっとね。…ここの人の見舞いか何かで?」


 面倒くさそうに顔をあげる初老の男。ドアの方に目を向けると「久上紗枝(ひさうえ さえ)」と札があった。久上? どこかで、聞いた事があるような…。


「まぁ、そんなところです」


 俺の来訪に違和感を覚えたのか、隣の若い刑事は続けた。


「もしかして彼女らを発見したのは貴方?」


「そうです」


 つまり「ら」という事は、中年の女性もとい彼女の母親も含めてだろう。俺は頷く。


「…ふむ、では貴方の名前を聞かせてもらえませんか? 警察の者です」


 若い方が胸ポケットから出した手帳を見せながら言う。考えるように顎を撫でながら、初老の男は俺とその刑事のやり取りをじっと見つめていた。

 初老の方はやや白髪が始まっているらしく、薄っすら白っぽい髪の毛。顔はしわを持ちながらも、眼はジロリと鋭い。無精ヒゲを生やして…人がいいような薄っすらとした笑みを浮かべているが、どうにも信用ならない顔だ。焦げ茶のコートにすっぽりとその体を隠すが、中年太りは隠し切れていない。

 若い方は…三十代前半といった所か。若々しい色艶のいい肌の顔、そして初老の方とはまた別の…初老の方をじっと獲物を狙う熊にたとえるなら、彼の方はナイフのような鋭さを持った目をしてる。こちらは黒の革ジャンパーで、下はジーンズを履いていた。


「ちょっと中に入ってくれないかな。君にも話を聞きたいんだけど…名前は?」


「…冬見隆史です」


 平静を装って落ち着いて答える。そこで、初めて初老が口を開いた。


「そうですか。では冬見君…しかしどこに行かれてたんです? ダメじゃないですか…例え他人の不幸でも助けたら最後まで責任を持たないと…」


「ようは話が聞きたかったんですね?」


 話を割る俺の言葉に、初老の刑事は一瞬目を見開く。そしてニッと笑った。


「わかってますか。なら話は早いですね。僕も面倒なのは苦手な方でね…こっちの方は好きならしいけど」


 そう言って若い刑事を肘で小突く。


「…あのですね、いつも山本さんが面倒な事するから私が何とかしてるんじゃないですか。私が貴方のお世話係になってるの、わかって言ってます?」


「まぁ奥山君そう言わずにぃ……ふっふっふ、ささ、冬見君。中へ」


 言いながら俺の後ろに回りこみ、山本と呼ばれていたその刑事は背中を叩いて入室を促す。何となく逃げ場をなくしたようになって、俺は少しため息をして部屋に入った。


「―――あ」


 広めの、個人病室。


 廊下のわずかに冷たさを持った空気とは異なって、ぬるい液体の中のような感じだ。


 カーテン、ベッド、部屋の壁、電灯から何も生けられていない花瓶まで、全てが白。窓の外にある空の蒼と、ベッドで半身を起こしている人物の黒髪だけが、目に入った。太陽がわずかに窓から入り…逆光のせいで顔ははっきり見えなかったが、そのシルエットは見覚えがあった。


「貴方が…私を?」


 しっとりと丁寧に発音された、優しい声。思わず足が止まる。呼吸も止まったような気がする。たとえ尋ねる言葉であっても、もう一回聞いてみたいと思うほどの。


「あ、の…?」


 なかなか反応を返さない俺を不思議に思ったのか、長い黒髪をそっと後ろに撫でやりながら、その子は首をかしげた。


「あ、どうも」


 今朝俺が助けた女の子だった。朝見た時とは比べ物にならないくらいに、綺麗に見える。今は紅葉色のブラウスを着ていて、セーラー服はベッドのそばに畳まれて置いてある。


 助けた時も、俺は結構慌てていてぱっと見でしか彼女の顔は見ていなかった。それに第一気絶して無表情、もしくは苦悶の表情を浮かべる顔だった。そんなのに比べると、今の微笑の可愛さが余計に映えて信じられない。


「…一応、ね。確かに俺が見つけた。特に悪い所、なかったんだろ?」


「ちょっと右足の骨にひびが入ったみたいで。それ以外は特にありません」


 布団をめくり、両足の膝の辺りまで覆っているギブスを見せる。だが、俺が心配そうにしているのを察したのか、にこりと覗き込んできた。俺は思わず俯いてしまう。この顔は、直視、できない。柔らかく、しとやか。今までの知り合いにはない女性らしさがあった。


「まぁまぁ、感動の対面はそれくらいにして、ちょっと座ってください。そうそう久上さん、さっきの話、もう一回話してくれませんか?」


 山本刑事は無精ヒゲを撫でながら言う。それと同時に、奥山刑事がベッドのそばにあった丸椅子を話しやすいようにセッティングする。俺達が座ると、久上と呼ばれた女の子はそこで初めて表情を曇らせ、言い始めた。


「はい…あの、いつものように、登校するためにお母さんに駅まで車で送ってもらっていたんですけど…………そこで銃声がして」


「確か卒業式だったんですよね今日は」


「はい」


 久上さんはこくりと頷く。そうか、この子は「今日」だったんだ。


「それで、どうしたんだ?」


 先を続けるよう、俺は促す。


「…突然銃声がして、ほぼ同時くらいにお母さんの体がビクっと震えて、うなだれたと思ったら車のスピードが上がって…私、怖くなって気を失ってしまったらしくて」


「刑事さん、つまり、運転中に撃たれて、そのまま前かがみになってしまい体重が前へ…それがアクセルを強く踏む結果になってしまった、って事ですか?」


「加速したんですか? 車が?」


「はい。踏切に突っ込んでくる時なんか、だいぶ早かったですね。」


 ふむ…と手帳に何かを書き込む二人の刑事。山本刑事の額に、さらにしわが寄る。


「銃痕がありました」


 唐突に、若い方…奥山刑事がそう言った。


「殺人…って事ですか?」


「そう、なります。しかも無差別な臭いが強いんですね。今日はあの踏切から駅に向かっていたそうですが、話によると久上さんは、普段はあの道の反対側の通りを使っていたんです。冬見君が来る前に教えてもらったんですけど、今日だけは彼女が朝食を買うためにコンビニに立ち寄ったので、あの通りを使ったのだと。つまり、久上さんらを特定して狙うためにあの場所近くに待ち伏せする事は、あまりにも無計画で非効率過ぎるんです」


 淡々と話す。山本刑事は言葉に時折頷いて、


「それでですねぇ…その撃ち抜かれ方が、右のこめかみ…やや後頭部寄りから(あご)の左下を貫通するような弾道なんですよ。一応、久上さんが、って可能性があるもんですからね、ちょっと久上さんの所持していた荷物、そして乗っていたワゴン車を調べさせてもらいました。で、何にもなし、です。硝煙反応も調べてみますがどうにも期待薄、って事なんですよ」


 聞いた後、俺は「続けて?」と久上さんに促す。


「そして起きたらここにいて、お母さんがいないからどうしたの、って…」


 久上は顔を伏せた。そうなのか…俺は視線をそらし刑事と向き合った。


「それで、俺に聞きたい事って何ですか?」


 これ以上彼女にしゃべらせるのは酷だと思ったので、なるべく間に言葉を挟めないように素早く訊く。


「はい。冬見君は現場に一番最初にいた人物です。駆け寄った時、現場に何かありませんでしたかァ? 拳銃か何かが」


 一瞬、全身の何もかもが固まった。


「いえ、何も。それに彼女をワゴン車から引っ張り出すので精一杯だったんです」


 動揺を隠そうと、心を押さえつけて平静を保つ。いざ拳銃と名前を挙げられるとどきりとする。


「ていうか、ワゴン車は三十、四十メートル先くらいから加速し始めたんですよ? 打たれた後に加速したんですから、踏切近くに凶器が落ちているわけないじゃないですか」


「いえねぇ、ふっふっふ、確認ですよ確認。そう目くじら立てないで。ねぇ? ねぇ」


 山本刑事は手帳に所々印をつけながら、


「さてと…はい、ありがとうございました。質問は、今はこのくらいにしときましょう。あ、後、なるべく事件の事は忘れないように。また後で聞き直しちゃうかもしれませんから。あははは」


 二人は立ち上がると「失礼しました」と頭を下げて出て行った。やや軋みを含みながら閉まるドアの音に、言葉を失う。俺は俯いて、何を話すべきかを探した。

 たった数時間前に親を失った奴に言える言葉なんてねぇだろ…。


「あ、っ! あのその……………お名前は?」


 久上さんも沈黙が嫌という、俺と同じ心境だったらしい。遠慮がちに、俺の顔を覗き込むように言う。


「俺は冬見隆史っていうんだ。その、何だ、よ、よろしく」


「私は、久上紗枝といいます。ちゃんとお礼を言ってませんでしたね。…私を助けてくださって、ありがとうございました。私が今こうして生きて話していられるのも貴方のおかげです。本当にありがとうございました」


 深々とお辞儀する。あまりに生真面目にするものだから、恥ずかしくて目を逸らした。


「大げさだって。俺はただ通りかかっただけだよ。ぶっちゃけた話、たんにバイトに行く途中だったんだ」


「じゃあ、もしかして遅れたとかは?」


「はは、その辺うちは寛容なんでね。経済封鎖じゃなくて体罰だから」


「体罰?」


 首をかしげる久上さん。そしてもう一度言葉を反芻した後、「え」と間が抜けた顔をした。あぁ、間違った想像してるなこりゃ。言い方も悪かったか?


「体罰って言っても、その、打撃系じゃないから」


「そう、ですか。ふ~ん…」


 慌てて納得したような素振りを見せる。なるほど、この子はこんな反応をするんだ。


「…っとそうだ、これこれ。刑事さんたちがいるからすっかり渡すタイミングを逃しちゃったよ。お菓子の詰め合わせ。お見舞いのね」


 どうもさっきから右手がだるいな…と思っていたら、ずっと袋を指から提げたままだった。人差し指と中指の先が白くなっている。


「わ、おいしそう…ありがとうございます! 助けてもらっちゃっただけじゃなくて、こんな物までいただいてしまって」


「いやいいよ。全部こっちが好きでやってるだけだから。まぁ…助けたっていうのもなぁ…普通さ、ああいう場面に出くわしたらお互い様だよ。もしも俺があの時に何もせずにどこかに行くような真似をしてたら、俺は絶対後悔した。だからさ、俺は後悔したくないためにやった…っていうわけだから、その事に関してお礼を言われる事はないって」


「いえ。どういう理由があったにしても、結果論では完全に冬見君に助けてもらってるんです。…感謝、せずには、いられ…ません」


 言葉を濁すように声が小さくなっていく。徐々に、嗚咽らしきものまで洩らし始めた。

 涙が、ぽたぽたと白いシーツに沈んでいく。手で押さえても、間から零れて。


「ごめん、なさい。あはっ…急に、どうしちゃったんだろ」


「ごめん」


「…何、で、謝るんですか。冬見君は、何もしてないですよ」


「…何となくだけど」


 数時間前に家族を失ったばかり。それも母親を。…何となく、だけど、悲しみはわかる気がする。俺も母親を失った時、かなり悲しんだ身だし。


 ―――突然、今まで在ったものが無くなる。


 大切なものほど、最初はそれらをなくした感覚が薄い。


 けど、だんだん、気づいてくるんだ。今まで自分が、どれだけそのものに依存していたか。彼女の場合、そして俺の場合…母親が、どれだけ自分の心の中にいたか。


 泣けば泣くだけ、その滲んだ視界に浮かんでくる思い出。

 嗚咽を漏らす度に、心の中のわだかまりは膨らむ。硬さが、増してくる。


 卒業、か。つまりは十八歳。…十八年間共にしてきた家族を失ったんだ。いろいろな思い出があったろう。誕生日、クリスマスに祝ってくれたりとか。母の日にドンとあげるのは恥ずかしいから、そっと一輪カーネーションを手渡す。そんな物だけど、本当にうれしそうに受け取ってくれる母。…彼女を見てると、そんな自分の思い出が脳裏をよぎる。あんまり、思い出したくないけど。


 悩みも相談したりしただろう。それこそ学校や友達、進路、そして恋…。この子はとても素直な子みたいだから、きっと母親とも仲がよかったんだろうな。


 どれもが、大切な思い出。失っちゃいけない大切な、その人と生きていた証だ。

 枷が、心安らぐ時もある。


「―――じゃあ、俺、もう帰るよ」


 これ以上俺がここにいる理由はない。むしろ事件の事を思い出させてしまうから逆効果だ。もとより俺みたいな奴じゃ、この子を慰める事はできない。命を、粗末にしようとした奴だから。


「あ、あの!」


 彼女の返答を聞かずに、さっと立ち上がる。涙が止まらなくておたおたしている久上さんに踵を返してドアノブに手をかけた。


「えっ」


 手にかけた瞬間、ノブがぐるりと回った。


「わわ、っと」


 トントン、とバックステップしてドアから離れる。


「―――お姉ちゃん!」


 バァン、と壊れちゃうんじゃないかと思うくらいに勢いよく開く。飛び込んできた人物は、俺の事なんか知らずにベッドへ駆け寄ると、久上さんを両手で強く抱いた。


「事故の事聞いたよ。お母さんが……ううん、お姉ちゃんだけでも、生きててくれてよかった」


 女子制服の後姿…久上さんの制服と同じデザインだった。久上さんより小柄で、お姉ちゃんと呼んだ所をみると、つまりは妹だろう。久上さんと同じ綺麗な黒髪でショートボブ。小柄だが久上さんよりも活動的な感じがした。


「…お姉ちゃん? この人は?」


 今頃俺に気づいたのか、俺を訝しげに見つめながら言う。


「冬見隆史君っていうの。私を助けてくれた人」


「…それ本当っ? すみません」


「いや、別にいいよ。もう帰るから…」


「何か急ぎの用事でもあるんですか?」


「…う。別に、ないと言えばないけど…」


 久上さんの妹は姉を抱擁から解放すると、俺の方へ来て袖を掴んだ。グイ、と引っ張る。


「ちょ、っちょっと」


「…円! 冬見君に迷惑でしょ!?」


「いーのいーの。どうせお姉ちゃんが泣いてたから、居たたまれなくなって退散しようとしてたんだろうし」


 そのまま引っ張って、また同じ丸椅子に座らせられる。…強引な奴だ。大人しくておしとやかな姉とは違って、お茶目で少し強引なしっかり者のようだ。


「はい、私が久上紗枝の妹の(まどか)です。よろしく」


「…どうも」


 顔は久上さん寄り、性格は茜さん寄りな感じだ。茜さんが入ってるあたり微妙だ。何となく引いてしまう。完全に諦めて座っている俺を見て、久上さんはクスンと最後の一泣きをして泣き止んだ。


「では隆史お兄ちゃん…私の事、知らない?」


 自分を指差しながら、にこっと笑う。っていうか隆史お兄ちゃんなのか。


「へ?」


 思わず間抜けな声が出てしまう。いや知らないって。…表の札に違和感は感じたけど。久上って名前、確かどこかで、う~ん…。


「…ほら円、結構吹奏楽の世界ってマイナーだから」


「ちぇっ、私の名声は出身地にすら浸透してないわけですか。はーいはいそうですかっ」


「吹奏楽…?」


 なるほど、全然触れ合う事のないジャンルだ。茜さんや疋田さん達の話じゃ、大体話題になるのはせいぜい演歌ぐらいだものな。かなり遠い。


「私はですね…フルートの名手なのです」


「だから自分で名手っていうの止めとこうよ円…」


 フルート…? フルートフルート、うぅん……あ。


「あ…確か二週間前くらいの新聞にあった。何かの音楽コンクールで最優秀賞取ったんだよね? お父さんがプロで」


 同じ県内の話だったから、たまたま覚えていた。


「『何かの音楽コンクール』じゃなくて、ちゃんとした全国選抜なんだけど…まぁいいや。普通ない事なんだけどね。だから新聞にも載せてもらったというのに…何で気づかないのかなぁ…隆史お兄ちゃん」


「写真なかったし」


「名前で気づいてよね。せめて久上って名字に怪しんで、聞いてみたりしてよ」


 そんな事を言われてもなぁ…。新聞に載ってた事を思い出す事ができただけでも奇跡なのに。マイナーには違いない。


 俺の心中に気にせず、円ちゃんはきょろきょろと手持ち無沙汰に病室を見回す。…ベッド横の台に置いていた俺の見舞い品に目をつけた。

 

「あ、お姉ちゃん。これは何なの?」


 円ちゃんはビリビリと遠慮なくビニールから包みを取り出す。茜さん曰く「お菓子の詰め合わせは別名、売れ残り一斉処理商品」だけあって、チョコレートを筆頭にキャンディーやらスナックやら…とりあえず手当たり次第に入っている。しかも知らないメーカーのお菓子が多いだけに、もらったほうもそれを見ているほうもひやひやものだ。しかもちょっと高い。もう少し手加減すればよかった、失敗したかな…そう思い始めた矢先、


「太っちゃうかも…」


久上さんは円ちゃんが開封した中身を見て、悩ましげに熱っぽいため息を吐く。


「何も一気に食べろってわけじゃないって」


「でもですね、目の前にお菓子があるとその、つい伸びちゃいません? 手が」


 止まらなくなるんですよね、と苦笑する。わかるような気がする。特に遊ぶものがなく、病室に一人でいるというのは結構つまらないものだ。大騒ぎ(彼女はするのだろうか)してもいけないし、右足骨折程度ならすぐ退院できるだろうから大きな物も持ち込むのは後々面倒になる。後もう少しの我慢だとわかっていても、やっぱりごろごろしているには限界がある。


「何か本みたいなのがよかった?」


「う~ん、私小さい文字見てると眠くなっちゃうから…あ、そうか。眠くなるんだったら、それ案外いいかもしれないですね。退屈を紛らわすには寝るのが一番かも」


「明日持って来ようか?」


「いえ、いいです。円に頼みます」


 そう言いながら、チョコレートの包みを台の上に丸める。隆史は彼女の口元を見てみる。舐めているようだ。…もう食べ始めてる。


「私も、もらっていい?」


 いいながら円ちゃんがお菓子に手を伸ばす。それを制する久上さんの手。


「ダメ」


「…一個くらい」


「ダメ」


 うなる妹の、手の届かない所に包みを移動させる。円ちゃんが手を伸ばしても、事ごとくディフェンスする。


「はは…」


 妙な一面を見て、思わずほくそ笑んでしまう。久上さんは円ちゃんに一個もお菓子を譲らない。スタイルいいのに…食いしん坊なのかな? きっと久上さんは、食べても太らないってやつだろう。とにかく、仲のいい姉妹の風景だ。


「だぁめったら! これは私がもらった物なの!」


 迫り来る妹を押しやりながら言う。

 なんというか…ケチだな。


「もぉ…隆史お兄ちゃん、明日は私の分も買ってきてよ!」


「えぇ!? ちょっとなぁ…それは」


 言葉を濁していると、


「優柔不断なんだから…隆史お兄ちゃん彼女いないでしょ!? でしょ!?」


 そんな事まで言い出す。何て無理矢理な奴だ。それ以上に何て失礼な奴だ。


「貴方、私のお見舞いに来てるんでしょ!? 五体満足なのに、他人にお見舞い品をせびらないの!」


「じゃあお姉ちゃんの頂戴よ! それで全てが解決するんだからね!? 和平交渉するなら今のうちなんだから!」


 う~ん、そろそろ止めた方がいいのだろうか。いい加減にしないとこの病室の左右の部屋の人に迷惑がかかる。間に入っていこうかと思ってもなかなかタイミングが掴めない。姉妹の口ゲンカって初めて見るしな。


「そろそろ、失礼するよ。バイトあるし」


 嘘だ。まだ早い。


「そう? なら仕方ないなぁ」


「ごめんなさい冬見君…円はちゃんと叱っておくから」


 あ後苦笑混じりに頷く。どうせならもうちょっと久上さん寄りのおしとやかな子にしてほしい。強引な性格は、茜さん本人だけで十分だ。

 二人に見送られながら、俺はドアを閉めた。出た後すぐに、俺はドアを背もたれにするように寄りかかる。

 十数秒間そのままで待つ。病室で感じた違和感を、確かめるために。


「……………うっ、ひぐっ、…」


 ―――急に、二人分の嗚咽が聞こえ始める。


「やっぱり、か」


 俺は逃げるように病室を後にした。

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