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三月十一日 5

「山本刑事! 駐車場の、神崎俊平の黒いセダンの中に、本人と思われる死体を発見しました。現場へお願いします!」


 看護婦に案内されて神崎の机、ロッカーを調べ終えた帰りに若い警官が敬礼して言う。


「いやいい。仏さん、もしかして額に銃痕があったか?」


 それは…と、警官は急に狼狽する。その様子に山本は髪を片手でかきむしり、


「まだ十八そこらのくせにお前以上に冴えてる奴がいるぞ、もう少し気を張れ!」


 荒々しい言い方で追いやると、山本はまた歩きながら黙り、思考に意識を集中させる。


 ロッカーを調べて戻ってくるまでの間、いやもっと前の、机の中にカバンが置きっぱなしになっているところで山本はその違和感に気づいていた。


 カバンがそのまま、昼から目撃されていない…周りがそれを不審に思うくらいわかるだろう。キャッシュカード入りの財布がそカバンが入ったままだった状態からみても、たとえ数刻でも席を離れるなら携帯するだろう財布を置いたままにしているのはおかしい。なら、そのわずかな間だけ席を立ち、そして戻ってこれなくなったと考えるのが普通だ。


 そして殺されているという予想が立った時点で、犯人は二人である、という考えがやっと浮かんだ。今までは一人と思っていた…全て単発による規則的な殺人、同じ弾を使っているという事で、複数犯に思えなかったからである。


「だから冬見君は気づいたのか…!」


 山本は茜が殺された理由への疑問が仮解答された事で納得の言葉を口ずさむ。茜が殺された時刻はすでに神崎は死んでいた。だから神崎は茜を殺せないわけで、また彼女の遺体の額に銃痕のあった事から、神崎は額ではない部位を撃たれた被害者への加害者であるという事も推測できる。


 そこまで考えて、山本はゼンマイの切れたブリキ人形の如く鈍く足が止まる。だが、ひらめきにも似た真犯人への直通の思考は、研ぎ澄まされてかつ冷たく、完了すると同時に早足、駆け足へと移行する。ただし目には時間と距離への焦りを浮かべていた。


 ――決め手は、今は亡き男の夢の話であった。山本は携帯を取り出し、部下へ電話する。


「街の屋上を探せ。高いマンションだ。犯人はおそらく少女。久上紗枝に違いない」


「ちょっと待ってください、どういう事ですか。彼女は確か入院してて」


「心配なら数人に確認させるだけでいいだろう。俺達は急いで捜索に行くぞ。結果は見えてはいるがね」


 電話を終えた山本はそのまま正面出口の自分のセダンへ、サイレンを響かせ猛スピードで病院を飛び出していった。それを追うように、数台のパトカーが街へと消えていく。








「―――わかってたんだ? ちぇっ。何が、いけなかったのかな」


 久上さんはくすりと頬を歪めると、悪びれもなく、腰から一丁の銃を引き抜いた。それを空いた手で愛らしそうに撫でながら、その輪郭を見つめながら問ってくる。


「すごく…自惚れた理由なんだ。両思いだって、今でも信じてる。だからだよ。俺は…君に親父の事や茜さんらの事を話したね。久上さんが俺の事を好きでいてくれたなら、その茜さんらの事をどう思うか。親父の事は、一緒に憎んでくれるだろうし、茜さんの事は、嫉妬…してくれただろうなって」


 本当に、自惚れた事だ。それは妄想に近い賭け。でも「こうであればいい」という願いはそのまま…茜さんらへの死へとつながった。そこをたどって得た、答えだった。


「もう、いいよ。当たってるし、第一調べられたらわかっちゃうもんね。なんだぁ…全部わかっちゃったの。うれしいのか、悲しいのか…わかんないな」


「理由は…円ちゃんらの事だな? 本当の母親を殺した恨みか」


 六人も死に追いやった恨みに同情はできないが、理由くらいは納得していたい。そう思って聞いた。


「別にお母さんなんてどうでもいいよ。顔も覚えていない人のためにそんな事しない。冬見君がお父さんを殺せなかったように、そういう人は殺すにも値しない。いてもいなくても関係ないの」


 自嘲じみた言葉が悲しかった。あの久上さんにそんな言い方ができるなんて思いもしなかった。…でも目の前にいる女の子はまぎれもなく久上さんで、ですます口調の彼女よりも親しみが持てるのもただただ事実でしかない。彼女の言葉に無意味な重みを感じながらも、俺にはもう問い詰める事しかできなかった。


「あの女をまだお母さんだと思っていた頃の話ね。子供ながらも、ああ、この人がお母さんなんだなって信じてた。後妻だろうがなんだろうがどうでもよかったの。そばにいてくれる大人の女の人は他にいなかったから。…でも気づいちゃったのよね、本当にわずかなきっかけで。かける言葉、食事の盛り付けの丁寧さ、微妙な気遣いのなさとかね。円と比べて邪険に扱われる事もあった。私ね、本当は音楽の道に進みたかったんだよ? こんな火薬臭い銃じゃなくてフルートを、こんなに高くて気持ちいい所で吹いてみたかった。だけど、円との差別を感じてからはあの女に反発していたせいか、音楽全てが嫌いに思えた。…いや、嫌いになんかなってなかった。とれなかったの。あの女が持ってるものは全て私には似合わないと思ったのよ。そして円は今や日本が誇るフルートの新星になって、私は何もないただの学生になってた」


 それを聞いて無性に、口から言葉がこぼれる。


「何で、殺したりなんかしたんだ。我慢すればいいだけだろ、高校も卒業するんだから、その気になれば家だって飛び出せたはずだ」


 言うが、その理由は聞かずとも分かっている。俺と、一緒だったんだ。お互いに、守るべきものがあった。だけど、その口から聞いておきたかった。


「お父さんよ。私がいなくなれば、お父さんは一人になる。あの女が本当のお母さんを殺したと感づいてからずっと警戒してた。…だから、円に高いフルートを買ってあげたりしてあげていた時はいつも、歯がゆくてたまらなかったわ。本当なら私が持つはずだったから…なんて理由じゃなくて、もっと意地汚い…うちの財産に好き勝手に手を出す事自体が許せなかった。…他にも、お父さんには生命保険がかかってる。いつあの女に殺されてもおかしくない。だから怖くて、もう殺してしまった方が楽だ、と思ったの。円は、よく考えれば円には罪はないものね。でもね、気づいちゃったの。――あぁ、こいつはあの女の血を引く娘なんだな…って。だから殺したの。この子も大人になって、あの女のような血を引いてるから誰かを傷つけるかもしれない。もう二度と、私みたいな目にはあわせない。私の家のように、寄生させないために」


 俺と久上さんは、似ている。それを分かつのは些細な違いだけだ。自分を消してしまうか、周りを消してしまうか、ただそれだけの違い。


「君は俺を、利用した。狂喜乱舞した事だろうよ、偶然に銃を捨てた奴が現れて、勝手に悪い悪いと下手に出る。君は…隠れミノに使えると思ったんだろう。犯人に仕立てあげるんじゃなくて、一緒にいる事で行動の不自由さをアピール、刑事達に俺を通じて、彼女は無理だ、という意識を植え付ければよかったんだ。

 ――だけど、なんで俺の銃を使った? 何で全て神崎先生に任せなかったんだ。…どうして、そこまでして自分で殺したかったんだ。俺の銃を拾った時、それは君の何を変えたんだ?」


 服をはためかせるほどに風が強くなってきている。バタバタと俺の言葉をかき消しながら、ただでさえ冷たい俺と久上さんの間をさらに冷やしていった。久上さんは亡霊のように立ちあがりながら、水を滴らせるスカートもそのままに銃を胸で抱いた。


 何だか、よくわからなかった。六人、いや七人を死に追いやった子とはとても思えないくらい、その姿は神々しくて。月をも味方につけた彼女の水滴る肢体は、俺が見ていいのかすら疑念するほどに綺麗だった。


 だから、余計に悔しかった。今でも思い出せるあんなにも守りたかった子の面影。そんな彼女だからこそ、人なんて、殺してほしくなかった。ずっと死とは遠い場所にいて、笑っていてくれるだけで人を幸せにしてくれる…そう言う人だと、信じていた。


 この子なら対等に付き合える、と、思った。


「当たり前じゃない。この拳銃は、私が復讐を行うために神様が授けてくれた銃なんだから、関係ない人に使うのはもったいないと思ったの。殺したい殺したい…って心で強く念じながら帰宅してたら、私の足元に望むものが落ちてきたの。私は運命を感じたわ。やるなら今だ、と後押ししてくれたんだから…だから私はこの連続殺人を実行したの」


 ふっきれたように声高らかに、屋上がまるでどこかの有名な劇場のようにさえ思えるほど、彼女は犯罪者の役を演じていた。恐れの全くない、淀みないセリフ流しに声が詰まる。


 ――だけど、それでも許せない事がある。


 それ以外の事なんて、正直知った事じゃない。


「…私は貴方がどんな人か知りたくて電話したの。あの人、すごく感じ悪い人ね。私が嫌いなのかしら…話してたら何かと私に突っかかってくるんだから。彼方の事を聞くたびにあの人、イライラしてた。――同じ女だからわかるわ、焼きもちだったのね」


 冬見君も私がもらったんだから、誰の物にもさせない。手なんてつけさせたくない…そう言うと、彼女はゆっくりと銃身を片手に持ち変える。


 あぁ…だから茜さんはキスなんていう行動に出たのか。…嫉妬から出た告白だったのか。紗枝って言う女の子に自分の好きだった人を取られるわけにはいかなかった、だからか。


 全部、嫉妬だ。ただし彼女が手を下した四人のうち三人が嫉妬の対象で、俺の親父は…何気なく話した俺のグチから、殺そうと思ったのだろう。ろくでもない「親」を持った者同士として、同情でもしたのだろうか。


 銃口が、俺の胸に向けられる。


「―――でも、もう終わりよ。惜しかったなぁ…もう少しで、やっと円達の呪縛から解き放たれて、一人の女の子として恋愛ができると思ったのに」


 撃鉄が、引かれる。最後の弾丸が放たれる準備ができた。―――俺の分の、弾丸だった。


「まだ、終わったわけじゃない。裁判とかでどうなる結果になるかはわからないけど、まだ久上さんは十代だろ。おまえ一人の了見でどうこうしていいものじゃないんだよ、命ってのは。…下ろせよ」


 いざ殺されるとなると、口調も上ずってくる。俺は死にたくない。六日の俺とは、違う。


「気休めは言わないで。私は、この拳銃を拾った運命を受け入れる。運命を信じてる。私をこの長い長い長い―――屈辱の人生から救うために…あなたと共に舞い降りてきたチャンスだったの。それを今更軽んじるする事なんてできないわ。…それに自分の事は棚に上げて。冬見君も自殺しようとしたじゃない。それもあなた一人の了見でしていいの?」


 その通りなんだ。俺がやろうとした事、久上さんがやってしまった事は対象が違うだけでなんら変わらない事なんだ。だから、その俺に彼女にどうこう言える資格なんかない。言えるけれど、それは軽い言葉になってしまうだろう。


 それでも、俺は、彼女を―――。


「―――俺は久上さんの事が好きになって、誰よりも好きになって、迫ってくる死から…命をかけて守ってやると誓って、そしてこういう結末になるという罰、か。ホント、親父さんの言うとおりだよな。本当の罰は、後になって、気づくな」


 ゆっくりと、久上さんに体の正面を向けたまま後退する。一歩一歩に罪の重みを感じた。背中に屋上の端が当たると、緊張している体をほぐすように、寄りかかる。


「こうやって、銃を向けられた時に、やっと気づいたぞ。あぁ、俺は、罰を受けていたんだな、って。自分とみんな、久上さんたちを追い込んでしまった…あの銃を捨てた事が、死が怖くなって逃げた事が、こんなに重くて悔しくて情けない…取り返しのつかない罪だったんだなって」


 口から次々と、回想する思考から練り込まれた本心が零れていく。


「自殺は逃げだ。でも自殺から逃げる事も逃げだ。殺されにいくのも逃げだ。死に背を向ける事そのモノが逃げなんだ。…俺達は生きている限りいつも死とは隣り合わせ。凶器や死因になりえるモノが身の回りに溢れてる。それらは時に俺たちを殺し、命を終末に送るものではあるけれども、決してゴールにはなりえない。自身が望む死と望まない死は違う。望む死に関わった物は『生きた証』にはならない。落とし穴ばかりの人生の道のりを、あまたの死の誘惑を乗り越えて…その後にある、突然のプレゼントのような自身へのご褒美…それこそが本当の安息の死なんだ。それ以外は皆、たくさんの言い訳で取り繕われた見せかけの死でしかない。だから死ねなかったんだ。俺の自殺は、覚悟が弱かった以前に、見せかけでしかなかったんだなって」


 死のうとするまでのわずかな時間に、たくさんのモノに呪いを投げかけた。今思えばどれだけ汚い心をしていたか、よくわかる。だけど、その程度の真っ黒な心を抱えたまま、親父や母さん、リンドウのお客、茜さんらとの思い出が全て死で塗りつぶせると思ったら大間違いだった。とても大切な時間だったと、こんなにも愛していたんだなと、わかる。


 だから余計に彼女のしでかした事が、…許せない!


「俺と君は、同罪かもしれない。だけど―――あのOLは殺す事はなかったんじゃないか? 彼女こそ全くの無関係、巻きこまれただけの不幸な人だ。他の人は君なりに理由があるから同罪の俺は何も言えない。だけどあのOLは違う。今まで俺達の人生とは全く関わる事なく生きてきた人だった。あの人にもたくさんの思い出があって、やりたい事があって、生きていたいと思う何かがあっただろう。君は、君のくだらない運命論で、それを踏みにじった。それだけは…絶対に許せない。もう君は、それだけで殺人鬼なんだ。それだけで…たとえ償いきれない罪だとしても、最後まで償わなければいけない理由になる」


「だから何? 届かないよ、今更そんな言葉。当り前な理屈なんて、とっくに踏みつぶしていってるわ。それに私が殺そうとした理由は…全部、冬見君なんだから。いい? 私をここまで狂わせたのは、全部冬見君が原因なの。冬見君が銃さえ捨てなければ、ここまで私が残虐になれる事なんてなかったわ。勘違いしないでね、私は感謝してるの。冬見君が、私にお母さんを殺させてくれた。本当に恩返ししたいとも思ったの。円にしても、馴れ馴れしく冬見君にまとわりつく、もとが人懐こい性分だからとわかっていても、邪魔に思えた。心のどこかで冬見君を取られるかとも思った。貴方のお父さんを殺したのは私なりの恩返しの一つ。あの居酒屋の女にしても、…冬見君を取られたくなかったから殺したに過ぎないのよね。―――ね? 全部、貴方のおかげで、貴方のためだったんだから。うれしい? ねぇ、うれしい?」


 銃口を向けたまま、両手でしっかりと構え直す。これから人を殺すのだというのにその手に震えが全くないのは、悲しい事にもはや殺し慣れてしまっているからなのか。


「そろそろ、ね。バカな警察も気づいてるでしょうし。――あ、心配しないでね? すぐに私も後を追うから。…向こうでまた会いましょう。私達はまた出会える運命だわ」


 わずか一センチとちょっとの銃口の暗闇に、屋上からの下の景色が全部おさまっているように感じた。死の濃厚な気配が、彼女の揺るがない瞳が物語らせる。


「いや、それは無理だ」


 苦し紛れの強がりに聞こえたのだろう、久上さんは自信の笑みを強めて、


「それ、何かのおまじない? そんな事言ったって、逃れられるわけないじゃない」


「まだ殺していない奴がいるぞ。前に話しただろ、幽だ。俺を殺せるとしたら、あいつしかいない。お前じゃ俺は殺せないよ」


「はっ、バカじゃないの。この場にいないような子がなんで」


「今ここにいるぞ、わからないのか?」


 そんなわけ、と言葉を失う久上さん。目は見開いたままなのに、わずかな動揺が渇いた笑みに見え隠れする。はったりである事が前提の、まだ自らの優位を信じている表情だ。


「へぇ…? じゃあどこ? 出てきなさいよ、幽ちゃん!?」


 全く俺とは目をそらさずに狂気の笑みで、勝利を宣言するかのように声高らかに言う。貴方の言葉ははったりだ、ここにいるわけがない、貴方を守るものはもう何もない、と夜に刻みつける。だが、彼女は知らない。




       「俺はここでは死ねない」






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