三月十一日 4
山本刑事らを乗せたパトカーが慌てたように去っていくのを見送った後、俺は久上さんを迎えに行きながら死体検案調書のコピーに目を通す。予想通りの内容に戦慄するも、これからやるべきこと、言うべき事を固める。
――それは、銃弾のような衝撃だった。全てがひも解かれていく感覚。そして、思いだすのは円ちゃん、久上さん、そして彼女の父親の言葉だった。それら全てに後押しされて、俺は異様なまでに生気に満ちて歩いている。同時に、今までの事件の死体の上に今自分が立っているのだという責任感も感じている。死の中に埋もれるようにしてわずか光る自分の命は、今まで、あれだけ死に近い色合いをしていたにもかかわらず映えて思えた。
久上さんを残してきた店にたどり着くと、彼女は不安げに俺を見上げて、
「…どうだったの?」
しかし俺は首を横に振る。深くは語る必要はない。そして、落ち着いて言った。
「久上さん、寄りたい所があるんだ」
夜の黒、ネオンを裂く鮮紅を放ちながらサイレンをかき鳴らし、パトカーの群れは渋滞を押しのけて中央病院へ向かった。先頭をいくのは、あろうことか署長に半ば謹慎を食らったも同然の山本刑事の車だった。しかし、誰一人として彼をあの若い署長に知らせるような真似をする者はいなかった。むしろ率先して指揮をとってくれる彼の存在を頼もしく感じてすらある。それに、もともと皆は山本の味方だったのである。ただ、彼らの思いやりと山本の気持ちがすれ違っただけで。
さっきまでの雨は通り雨だったようで車が走り出してからすぐに止んだ。しかし渋滞が多く、駅から本来なら二十分で着くはずの中央病院にその倍の四十分の時間をかけて到着する。車で向かう途中に電話をかけておいたので、夜八時、客用であり最も本院に近い正門は開け放たれていた。なだれ込むように六台、また途中で合流した県警のパトカー四台も一緒に入口前で停車し、薄く明かりのついた病院のロビーを窓越しに紅く染めあげる。
「吉田、岸、馬場は僕と一緒に、残りは裏から回れ」
短い肯定を軍隊のように返した警官達は足早に病院の裏へ消えていく。山本はそれを見届け、また自らの後ろで言葉を待つ三人を見回したあと、言った。
「いくぞ、お前ら…この面倒臭い事件、さっさと終わらせて寝るぞ」
三人は頷くのみだった。それを確認した山本は自動ドアの開閉音を響かせて、薄暗い院内に足を踏み入れた。
中では心配そうにこちらを窺っている看護婦、警備員の姿が合わせて十五名あった。向かってくる山本達に看護婦が一人、前に進み出て言う。
「あの…一体何の用で」
「すみません、今は時間が押しているもので。神崎俊平さんは今どこにいらっしゃいますか?」
丁寧な言葉なのにいらついた口調の言葉に看護婦達がざわつく。それをうっとうしいとばかりに山本は、
「知っている方がいるなら、名乗り出ていただきたい。いないならこちらで調べますが」
つまりは強制捜査ということである。逮捕状もない、捜査令状でさえまだコピーが手元に来ていない山本が言える言葉ではなかった。しかし、そう言わざるを得ないほど気が短くなっている山本にまともな事を言えというのが無理な話である。そして事実、山本の様子に、目に、令状を見せていないから入れる事は出来ないなどと言える者は看護婦らには一人もいなかった。
「あ、あの、神崎先生は朝から姿が見えなくて…一応来てはいたんですけど。お年寄りの定期検診も、この前行ったばかりで。それにもしそうだったとしてもこの時間にはもう終えて帰宅しているのかと…」
「ふむ、なるほど」
看護婦の言葉に頷いた山本は後ろに目配せすると、一人の警官が頷き、携帯電話を取り出しながら病院を出ていく。神崎の自宅に張らせている警官に、今標的がいるかどうかの連絡を取るためだ。ほんの十数秒で戻ってきた警官は微々と頭を横に振った。
「彼の仕事机の場所を教えていただけませんか。あと、ロッカーも。時間がありませんので…急いで。案内を頼めますか」
看護婦に案内を頼み、その彼女を先頭に山本達は院内を進んでいった。
山本が病院に到着した頃、バー「VAIN」のドアを一人の老婆が開ける。鈴の音が来訪者が来た事を店内に告げ、
「伊勢、あんた…さっさと出てきな」
黒のコートを脱ぎ、腕にかけながら、老体とは思えないほどの凄みのある重声で店主を呼ぶ。店内はお湯を沸かすヤカンの小さい噴出音しか音がなく。しばらくの静寂の後、奥からヒールの音とともに眠たげなオカマが姿を現した。
「あら、どなたかしら?」
ゆらりと幽霊のように現れた伊勢はニンマリとした顔と、いつもの赤ドレス姿。その肩幅といい、妖怪とでも相対しているかのような錯覚を疋田は感じた。…しかし、伊勢と違い、疋田が伊勢を見るのは十年ぶりではない。
「あんたの忌々しい鋭い勘は鈍ったのかしら? 十年間の内にすっかり落ちぶれてしまったようだけど」
「貴方、何が…言いたいのかしらん?」
伊勢は顎を落とし、下から見あげるように疋田を見る。不気味な笑みがさらにつりあがり、上からのライトでさらに不気味に見えた。
「今度の…この街の連続殺人事件、あんたも関与してるでしょう? 白状してもらうわ」
疋田は十年前に銃口を向けたスナイパーを前にして、落ち着いた口調で言う。自身が今すぐにでも殺されるかもしれないという危機感を明確に持ちながらの言葉にしては、自信と確信に満ちていた。
しかし、「貴方が犯人だ」などと言われて素直に認めるバカはいない。伊勢も同様――かに思えたが、
「そうよ? あれは私の売った、可愛い子猫ちゃん」
言葉にこめかみがぴくりと反応する。さすがの疋田も予想外だったらしい。
「余裕なのねぇ。そんなにまだあんたがいつまでも優位だと信じてるの? スナイパー」
「なぁんだ…そこまで知ってるんだ、貴方」
「当り前よ…十年前に捕まえ損ねてから、今まで私達はずっとあんたを調べてきたんだからねぇ」
いつ銃を抜かれてもおかしくない。瞬きの内に心臓を銃弾で貫かれてもおかしくない。事の次第を知らない第三者が見ても、この二人の間に漂う殺気は手に取るように分かるだろう。言葉による、お互いの明確な殺意。ただしそれは両者によって質が異なる。伊勢は生命的に、疋田は社会的に、お互いの殺意をぶつけ合っているのだった。
「――でも、今のアレについて私達は何も関与していないわ。むしろ、有能な手駒を壊されてこっちはマイナスだっていうのに…奥山は運がなかった。そんな程度の運じゃ、もともと長くはもたなかったかもね」
「奥山刑事、ね。ついでだから答えてもらうけど…彼の出生記録、あれは偽造ね?」
疋田は事件の被害者、容疑者の出生にまで詳しく調べ上げていた。そしてミスを見つけた…奥山刑事が生まれたとされる病院は、彼が生まれた日にはもう病院としての機能をはたしていなかった…ようするに廃院れていたのだった。
「おそらくあんた達は、孤児院から子供を引き取って…駒にしていたのね。幼い頃からの犯罪の英才教育。奥山刑事はそんな風に育てられた一人だった、という事。あんた達のバックは儲けてるみたいだから…それくらいの経済的下地は十分、情報操作も簡単だったと」
聞きながら伊勢は二つのグラスにウイスキーを注いでいた。その表情は毒じみていても柔らかく、まるでサラリーマンの仕事の愚痴を聞いているかのような余裕さである。
「そして――神崎姉弟を引き取ったのも、あんた達の組織ねぇ」
奥山刑事と同じく細工の跡があった。奥山刑事とは違うが、姉弟として同じ孤児院から引き取ったのだろう。家族のように一緒に育てられていたのなら、年下の俊平が『姉』と慕うのも無理はない。血も書類上でしかつながっていないのだし、だから久上円は一見近親相姦であるはずなのに、その類の生まれの大体が持つ、心臓病のような身体的障害を一切持っていなかった。
「ずいぶんとアットホームな犯罪組織なのねぇ」
「私は知らないけど、私達は一般家庭の下地で犯罪者を育ててるらしいわ。一般人に溶け込めて賢い犯罪者ほど有能な輩はいないから…」
つまりそんな伊勢も販売、殺し専門の末端でしかないのだろう。今でこそこの地域一帯を縄張りとするほどの売人になっているのだけど、もとは彼も奥山のような経緯をたどってきているのかもしれない。
「小さい頃から悪意について緩和的に教育していれば、犯罪に手を染めやすくなる。犯罪に対して疑問を持ちにくくなる…そんな環境に常にいれば悪だくみも自然と覚える。神崎俊平、久上由利も下地はそんなものだった…なら、途中で母役が倒れようと、後は勝手に組織の思い通りに育ってくれる。たくましく育てば、後は利用するだけでいい」
疋田は冷酷な事実を無表情で述べる。少しのためらいも見せないのは、それだけの覚悟をしてここに来たのか、それともその内容など彼女の見てきた世界では取るに足らないほど瑣末な事なのか。
おそらくそれがこの街の全貌なのだろう。犯罪者予備軍として育てられた、「駒」が集められ、それぞれが連携して密輸を隠していたのだ。十年前に捕まえた伊勢の取引相手も若い男性だった…その時の調べでは「取引の足として使われて六年の一般人」だった。たぶん彼も過去を調べると出生の偽造などが見つかるだろう。絶対に口をわらなかったのも…無意識のなせる家族の連携だったのかもしれない。
ヤカンの沸騰音のみが響く沈黙の数刻、という睨み合いの後、伊勢は舌打ちをして、
「お婆ちゃん…ウイスキーいる?」
「いただくわ。タダよね?」
「ええタダよ。…なんだか、貴方に興味湧いてきちゃった」
こらえるような声とともに、毒づいた笑みが空気を犯し汚していく。そして少しずつ、ピエロの目が悪意と殺意で満ちて愉悦に頬が引き伸ばされていく。疋田は瞳をすがめ、一人の犯罪者を見つめた。
重いスチール製のドアを開けた。雲の間からの月明かりと、雨水が鏡のようにそれを反射するコンクリートの地面。地上とかけ離れたそこには一つとして生命を感じさせる物はなかった。
――また、ここへ来たのか。
久上さんを乗せた車椅子を屋上の中央へ押していく。車椅子に乗っているとしても…久上さんはなぜかとても軽く感じた。エレベーターで一階下まで上がってきて、そこから階段を上ってここまで。中々の重労働にもかかわらず、腕は疲労を訴えるどころかうずうずと毛を逆立たせていた。予感し迷う手のひらは、緊張してじっとりと汗を滲み出している。
風が…強い。吹きすさぶ冷たさ。なのに脳裏には、その風の中ですらも微動だにしない少女を幻想している。少女の無表情な瞳には、確かに自分が映っている…。
でも。あぁ、やっと終止符を打つ時が来たんだ。
――いや、打ちに来たんだ。自分から。全てを狂わせたこの場所に、帰ってきたんだ。
「冬見君…さっきからずっと黙って、一体どうしたんですか?」
「感慨…深くてさ。銃を投げ捨てた日から今日までを思い返してみたんだ。どれだけ色々な事があって、人と出会って、死を見てきたか。たぶんこれまでの一生と秤にかけても、同じかそれ以上だと思う」
あの時と同じ冷たさ。しかし幻想さにかけては全く比べ物にならない。にわか雨は過ぎ去った今、空には輪を描く月の光があって、屋上一面の水面が風に揺れている。水中の月がまやかしのように光り、ただただ風音が全身を吹きぬけて空へ消えていっている。下界は宝石をこぼしたように輝き、車椅子の銀はそれに対抗するように鋭く光る。
俺は久上さんの車椅子から手を離す。そのままぴちゃぴちゃと音を立たせながら彼女の眼前四メートルに、身を乗り出せば真っ逆さまの壁際で止まり、そして久上さんを見た。
「俺は君の事が好きでいいんだよな。そして君は俺の事が好きで、それでいいんだよな」
「…うん」
それで、何で、茜さんを前にして泣けなかったか、やっとわかった。
きっと心で泣いていた。今だって、心の中では号泣しているのがわかる。だけどそれが体に伝わらない。体では表現できない気持ちは、表に出てくる事はないんだ。
だけどそれ以上に、やらなければならない事があるとわかっていた。泣く事悲しむ事には意味がない。悲しい時こそ泣かないで、やらなければならない今を見つめるべきだ――今はいないけど、そう教えてくれた人がいる。
そして俺が屋上を選んだのは、ここで俺が死ななかったからだ。
「――――――――――――なら、君が犯人だ」
風音にまぎれそうになるのを、確信が情と不安に揺らぎそうになるのを、しっかりと発音して彼女へ届ける。ここには俺と久上さんしかいない。幽の姿もない今、その言葉が指すのは、久上さん以外にありえなかった。
「わ、たし?」
「そうだ。この六日間の連続殺人事件の演出者は、君だ。守ろうとしていた人がまさか犯人だなんてな。全然…気づこうとしなかったぜ。大事な物はもう久上さんだけで、命の危険にさらされていて、守ってやれるのは自分だけだ、と盲目的に信じてたよ。―――これからも信じていたかったけど、…………わかっちまったから」
思えば、少し考えればわかる事だった。ただしそれに気づくためのヒントを持っていたのは俺だけだろう。俺と久上さんしか、わからない―――気づけない流れだったから。
「否定、しないんだな」
「―――別に。ただ冬見君が不思議な事を話してるだけだから。私には関係ないよ」
「ならさ、なんでそんなに悲しそうなんだ?」
俺の言葉に久上さんは無表情で返してくる。何も言わない。言えないだけかもしれないけれど、俺には、彼女は俺の言葉を待ってるように思えてならなかった。
彼女は無表情だった。悲しい感情を思わせる表情など、今の彼女の体の、どのパーツにだって表れていない。だけど、それでも俺は悲しい顔をしているように思えた。失望にも似たわずかな嘆息が聞こえた気がして…そしてそれは俺にしかわからない、唯一であってほしいと願うほどに小さな、俺と久上さんだけのつながりだと、信じたかった。
「好きだから気づいたんだ。好きだと教えてくれたから気づいたんだ。たぶん…久上さんの事をここまで好きじゃなかったなら、気づけなかった。だけど君は確かに俺の銃を拾い、それを使って人を殺した」
「まだるっこしい告白のつもりなら、港でやった感じが良かったかな。今の冬見君のやり方じゃ、私好きになれそうにないよ。それに殺す理由は? ただ話すだけなら別に遠慮はいらないしさ」
冷たいしらばっくれ方だった。だけど俺は続ける。
「あぁ、それでもいい。そっちの方が、ありがたいかもしれない」
一言一言紡ぐ度に、形のない後悔が胸に溜まっていくのが分かる。言わなければよかったのに。もう茜さんがいなくなった今、素人の考えでの結論が間違っていたとして、それで彼女を傷つけてしまって最後には完全に一人になってしまうとしたら、俺がここで机上の空論を離す必要性は全くない。むしろ、自分で自分の首を絞めるようなものなのに。
「まず最初の事件。久上さんの母親が撃たれ、乗った車が線路を越えてフェンスに突っ込んでいった出来事だ。弾は運転席側の窓からこめかみ…車のダッシュボードを貫いている。山本刑事らは身長の高い人間で、無差別的な事件の始まり…そう言っていた。狙うにも、自身の姿が見られないように物影が必要だと思った俺は、現場を見に行った時にゴミ置き場のくぼんだ空間が適している事に気づいた。実際そうだと思った。…だけど、それは明らかにおかしい。なぜなら事件当日、俺の家の区域も含め、ゴミ収集車が回っている」
あの一角の匂いの量から推測するに、結構な量のゴミがあったんだろうから、そんな所で果たして、潜み、通る可能性の低い車を待つだろうか。無論、ノーだ。
「久上さんは、後ろの窓から手だけ出して、ビニールで手を包んでいたかもしれないけれど…母親のこめかみ目がけて引き金を引いた。そうだとすれば、なぜあの場所で殺されたか、殺されなければならなかったかが説明できる。おそらく拳銃はそうして車が止まった後で協力者に渡しておくつもりじゃなかったのか? ただし車は運悪く加速、しかもそこには俺という目撃者がいた」
「…協力者っていうのは?」
「神崎先生だ。というか最初は彼一人だと思っていた」
あの時久上さんのバックを渡そうとして、強引に俺の手から取り上げた人が、もしかしたら神崎先生だったのかもしれない。多方面に顔がきく人だったらしいし、自らも救急救命士の資格を持っていたんだから居合わせても邪険に扱われる事はないだろう。むしろ医者として協力をも求めたのかも。そして、久上さんはバックの中に拳銃を隠していた。最初から処分できそうになかったならそうすると伝えていたんだ。
喉が渇く。辺りは水気でいっぱいなのに、喉に当たる外気は水分を吸い取らんばかりに砂のようにさらさらしている。
「次…だけどその前に重要な事がある。誰が誰を殺したかだ。死体検案調書を見て、四人と二人。久上さんが四人で、残り二人はおそらく神崎先生だろう。理由は撃たれた部位だ。同じ弾での射殺なのには変わりはないけど、頭部と、胸部の違いがあった。顔を狙うのはその対象に恨みを持っている場合が多いと山本刑事らは言っていたよ。ただ殺せればいいというだけの場合は場所にこだわらない。神崎先生はまさにそうだったんだな。ただし弾は一発のみという制限付きだったけどな。なぜ制限付きかって言うと…俺の捨てた銃が六発しかなかったからだ。俺が捨てたという事を聞いた君は使えると思ったろう。しかも罪の意識まで感じてる奴だ。君はうまくまるめ込めると思った」
久上さんはつまらないものを見ているかのように目を細めている。
「それで?」
「顔を狙ったことからも推測すると、君はその四人に恨みを持っていた事になる。だけど茜さんを知らなかった君が最初から彼女を狙うのは考えづらい。茜さんを殺そうと決めたのはおそらく後になってからだな。とにかく…久上さん自身が殺した人物には恨みがあって、車椅子って言うそのなりでも自分の手で殺そうとしたのは、よほど恨みがあって、自分の手で殺さなくちゃ気が済まなかったんだと思う。また、奥山刑事は胸に銃痕があったから、神崎先生が殺したんだ。きっと、例の密輸をしてる組織を通じて何かあったんだろう。もしくは奥山刑事の名声を耳にはさんだ事があって、危険だと思ったのかもしれない。まぁ…奥山刑事が裏に通じている事を知っていて、その事をネタに呼び出したのかもね」
「それで?」
まだ…まだ、久上さんはこれ以上の茶番を続けようというつもりなのか。それとも俺からそれを告げられるのを待っているのか。――いや、よく考えればそれを言ってしまえば彼女の負けは確定する。でも俺は、できれば彼女の口からそれを聞きたい。
「…次は円ちゃんの殺人だ。これには意図が二つあった。一つは彼女を殺して三番目の被害者にする事。もう一つはあえて家の近くで殺す事によって久上家が狙われているという印象を強くする事だった。自分の隠れミノを増やすためだったんだ。
次の俺の親父も久上さんが、OLは神崎先生が、そして茜さんはやっぱり君だ。昼食をとった喫茶店、今思えばリンドウに結構近かったよな。バックにかさ張らないように薄い服、サングラスでもかけて意識しないように出ていけば…俺にも気付かれないだろう。その証拠に、死亡推定時刻は聞きそびれたけど、まだ仕込みの途中だという事から、茜さんが殺された時が昼だとわかった。神崎先生にしてもらえばよかったものを、殺したい奴は全部自分で殺さないと気が済まなかったのかな? …でも久上さんはそれを成功させるために考えた。一見無鉄砲そうに見えて用意周到な君は、場所くらい、病院の電話帳と夜中神崎先生にでも開けてもらっていた出口から抜け出して調べたんだろ」
全て間違いであってほしいと思いながら言葉を続けて、その度にその時の思い出を回想した。茜さんが死んだ時の時間でさえも…俺はトイレから戻ってくる彼女を待って、次はどんな面白い話ができるだろうかと迷っていた。ほんの数時間前はそんな儚い幸せで満ちていたというのに。何でこんな事になってしまったんだろうかとなぜか問答する。答は常にこうだ――――自分がそれを一番望まないから、罰にならないから、だった。
「自首してほしい。俺は、久上さん…君と家族の間に何があったかは知らない。何で君が親父や茜さんを殺したかなんていちいち聞かないよ。自首してくれ。もう、これ以上俺の知ってる久上さんを…壊さないでくれ」
「知らないわ。何を言ってるの? そんなの、ただの冬見君の推測で、全く根拠のないものばかりじゃない。白状も自首も何も、私は何も悪い事はしていないんだから」
心の底からの落胆も、胸から気持ちを吐き出せずに俯くだけで。どうしても、だめなのか。届かないのか、何も。俺がこんなに思っていても。俺が、甘いのか。
「――――わかった。いいんだな? 俺も…これ以上自分を抑えられそうにない…!」
俺は早い大股で久上さんの車椅子に詰め寄り、片方の車輪に手をかける。しっかりと車輪の間に指をからみ込ませ、絶対に緩めないように強く握った。
「――君は、足を骨折してなんか、ない!」
え? と一瞬声を上げた久上さん。構わず俺は思い切り右手を引き上げて、車椅子を強い勢いで傾ける。地面に投げ出される彼女の体は、広がる水たまりで側面が濡れた。
車椅子をまた傾きを戻したあと、蹴飛ばして端へ転がす。久上さんを見ると、右手で起き上がろうとしながらその車輪の行方を睨み、そして俺を睨んだ。
「何っ、するのよ…!」
「…神崎先生と決めていたんだろう。狭い地域での連続殺人事件、その中で容疑者からうまく外れるには、周りから不自由な体だと思われる事が必要だった。君は神崎先生の協力のもと、検査を誤魔化して入り込んだんだ。夜の病院はそれだけで内外への行き来を許さない、監獄みたいなものだからな」
一歩一歩近づいていきながら言う。上から咎めるように見下ろし、へたな情をもう思い起こさないように。対する久上さんは月明かりにまた綺麗に見えた。たとえそれが地面に這いつくばる犯罪者の姿であっても、一瞬だけは親父の血(追求心)をも忘れられた。
「六発で六人、確かに殺されたよ。でも、六人中、君が殺したのは四人。神崎先生は二人。これで全部打ち終わった…そういうわけじゃない。おそらく、君がこの殺人に参加したのは急な事だったんじゃないかと思う。最初は神崎先生だけだったんじゃないか? 二人の殺害計画…親父、茜さん、そして奥山刑事、OLを除いた、二人だけを殺す計画だったんじゃないか? それを何かの関係で知っていた君も二人に恨みがあったために、黙っている立場だったんだろうけど。――だけど君は六日前の晩、銃を拾った。…何かの決心がそこであったんじゃないかと俺は思う。だから君は参加することにした。それに、当初君が参加しなかった理由が、銃が神崎先生の分以外なかったから仕方なく、だったとしたら?」
見あげる空は、薄金の月。雲の間から粉のような光を振りまいている。俺は軽く息を吸って吐き、何があっても動じないように、何も考えないように頭をクリアにさせて言った。
「君は君の銃、神崎先生は彼の銃のみしか使っていないとする。用済みな神崎先生は…たぶん俺達が出てくる時に君は殺したんだろう。だから」
見つめる先の瞳には小さな月がある。そんな月でも、もう見られるのは最後になるかもしれないから。…いや、久上さんの月を見られるのはこの先もうないだろうから。
「君の持ってる銃の中にはまだ弾が残ってる。――――六発目の弾丸が、ね」
自分の言葉こそまるで銃弾のよう。最後の絆の糸を打ち抜くように、言い放った。