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三月十日 3

 病室で一夜を明かす計画を久上さんに再度確認した後病院を出た俺は、計画の準備のために街へ向かった。やるべき事はまだ残っている。俺を尾行してるという新人刑事を巻く事だ。もしかしたら彼らが犯人という可能性もあり得るし、彼らが尾行していたがために俺の計画が犯人にバレてしまうという事態を防ぐためだ。疋田さんが俺を連れまわした風にジグザグ、信号をぎりぎりで渡ったりすればいいだけだから、さほど問題ないだろう。

 

 簡単な武器も用意すべきだろうか。鉄パイプくらいでいいかな。刃物なんかはもってのほかだ。間違って殺してしまえば後味が悪過ぎるぜ…。


「ハッ…なんて気休めだよ、それ」


 町の雑踏に混じりながら一人ごちる。一瞬頭がくらっとした。最近の疲労が全身を蝕んでくる。が、倒れるほどじゃない。倒れるのは事件が終わった後でいい。時間が惜しい。山本刑事らの話では犯人は幽ではないらしいが…それは彼らが彼女の存在を知らないからだろう。はっきり言って、人の手でどうこうできる相手なのかもわからないのに。


 ――後、二発。後、二発。


「えっ…!?」


 耳鳴りに似ているような「声」が聞こえた気がした。もう一度澄ましてみる。


 ――後、二発。後、二発。


「…おいっ、その声は…幽?」


 辺りを見回してみるがそれらしい影はない。遠くはない…なら近いはずだというのに、季節外れの姿をした少女の姿はどこにもない。ただ周りには俺の不審な行動に怪訝な目を向けてくる通行人だけしかいない。なのに、


 ―――二発二発二発二発二発二発二発二発二発二発二発二発!


 そのごみ箱の影か、薬屋の看板の後ろか、それとも俺の後ろか。隠れやがって…。しかし、探しても探してもいない。出てこない。…いるような気がしない。


「は、はははは、…ちくしょう、とうとう狂ったか、俺…」


 幻聴が聞こえるなんて。睡眠不足もここまでくるとすさまじい。幻聴なんて始めて聞いたぞ。しかもこんな人ごみの中でもはっきりと聞こえるくらいの声は。


 ――オ前ハ、死ネ。


 しゃっくりをするように息が止まる。…いや、できない(・・・・)。


「はっ、ぁ、く、…うぁ…!」


 ――死ネ、死ネ。


 どうして、何で、どうやって! 息が…! 吸っても吸っても息を吸っているような感じがしなくて。く、るしい…幻聴が止まない、止まない、止まない! 上半身が鉛に変わったように重くなって、足じゃとても支えられなくなって道に崩れ落ちる。


「ぁうあ―――っぁ! ゲホっゲホっ…!」


 満足な受身も取れずアスファルトに倒れこむ。咳き込む。辺りからは俺が倒れた事による、見ていた人の叫び声…。心臓を握り締められるような激痛に、意識が朦朧としてきた。


――死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ詫ビロ詫ビロ詫ビロ詫ビロ詫ビロ!


「ちくしょお…がぁ! こんな、所で、死んで、たまるかよ……!」


 苦し紛れのかすれた声を出しながら堪える。怨念の羅列に頭が破壊されそうになる。それは声。自我すら奪いかねない。俺は、残った意識を振り絞って立ち上がった。勝手に歩き出していく。視界はモザイクやら湯気のようなものやらで埋め尽くされていて、何も見えない。あ…ああぁ、溶ケル、鼻から脳みそが全部流れていきそうだ―――。


「何をしているんだ! 冬見君っ!」


 言葉に体が金縛りにあったように止まる。誰…と視点の定まらない目で何も見えない周りを見回し…数秒後、背中のジャンパーを思い切り引っ張られた。


「あっ…ぁあ」


「どうしたんだ! 大丈夫か…!」


 肩を叩かれる。後ろ向きに地面に倒れ込むと思われた俺の体は、その誰かによって抱き支えられていた。目を開けているのに、突然近眼になったみたいに誰だか判別できない。でも声に、聞き覚えがある。


「…ぁ、山本、刑事…?」


「そうだ…しかし、なんて真似をしていたんだ…! もう少しでトラックにひかれるところだったぞ! …意識はあるのか? しゃべれるか?」


 トラック? どういう事だ? 俺は別に、何も…ぁ、息が、できる。


「ぐっ、…つぅ」


 思い切り肺を膨らませて、吐く。吸って、吐く。…徐々に落ち着いてきて、同じように視界もはっきりしてきた。…目の前には肝を潰されたような山本刑事の顔がある。


「何が…何があったんだ!」


「ぁ、いえ…わかりません。きっと―――――立ちくらみか何かだと」


「病院に行った方がいいか?」


「大丈夫です。…もう、大丈夫です」


 上半身を起こしてもらいながら、ありがとうございます、と何度も頭を下げた。気づけば、野次馬の目が痛い。しかし俺が気にしているのを察したらしく、すぐに散っていった。


「…疲れているんだろう。どこかで休んでおいた方がいい…」


 俺が立ち上がると、山本刑事は一歩下がった。俺が一緒にいる事を拒否しているのに気づいたのか、山本刑事はさらに足を下げていく。俺は目でさらにそれを追いやった。


 …超能力? それとも呪いか…? こんな風にあからさまに仕掛けてくるなんて、しかも白昼堂々と。拳銃を使わずに、轢き殺す気だったのか。…幽め…!


 朦朧としていた意識をようやくコントロールできるくらいになった頃、また歩き出す。山本刑事について来ないように何度も後方に念を押す。何度も俺に睨まれた事で、山本刑事は立ち止まったまま、俺を見送るのみだった。


 それから俺は信号をぎりぎりで渡り、あっという間に刑事たちを離していく。渡り切り、後ろを睨んだ。急いで渡ってくる影はない。そうやって信号によって俺と刑事らを遮断した事を確認すると、すぐさま走り出し、横道に入り込んで、ビルの影に隠れた。


 荒くなった息を整える。さっきの咳き込みのせいで喉が痛い。体の重さが明らかに増えている…ような気がする。薄汚れたコンクリートの壁に背中を預けて、口と食道が一本の槍で疲れたように思い切り上を見上げた。少しでも新鮮な空気を…目先には、青い空が。


 何だったんだ、さっきのは。やっと落ち着いてきた頭で考えてみる。超能力や呪いだぁ? …バカバカしい。単なる疲労のせいだろう。最近まともに飯も食えてないし寝れねぇし、いつ殺されるかというストレスがたまっているから…体が壊れたっておかしくない。


 でも、じゃあ、あの幻聴は何だったんだ。女…幽の声。しかし彼女の乱暴な声は始めて聞いたぞ。とてもあんな言葉を口にする女の子には思えない、のに。


「…本性、出してきたってのか」


 本当にそうなら俺には最初から勝ち目はない。俺は助からない…のかもしれないけれど、


「でも、銃殺じゃないぞ。幽なら必ず銃で殺しに来るはずだ…」


 ―――ヤバい!?


「うわっあああっ!!」


 一瞬の判断だった。見あげる上空に黒い四角形…くるくると揺れ、風を切りながら、どんどん大きくなってくるソレ。俺は重い体に鞭打って全身のバネを使って飛び避ける。一秒の間もなく、鼓膜を割らんばかりの轟音が響いた。


「ま、マジかよ…こんな、事って」


 目を見開いて今起こった出来事の結果を理解しようとした。しかし、信じられない。俺のさっきまでいた場所には、このビルの屋上に建てられてあった宣伝用看板の角がアスファルトに落下したために、少し欠けている。それでも看板の角はその衝撃に耐えられなかったらしくアルミ缶のように波打って…地面に接触したらしい角がむごたらしく潰れていた。老朽化してる…そう確認した瞬間、腰が抜けた。


 ――あり得ない。


 この事件に巻き込まれて、何度そう思っただろうか。最高のタイミングで自殺を止められる。俺の捨てた銃が拾われ、その次の日の殺人に使われた。しかも最初の事件を目撃したし、それから俺の会う人、会う人が皆死んでいく…という非現実的な現実。…今度は急に引き付けを起こしてトラックに轢かれそうになって、五分もしないうちに看板に命を狙われるなんて。偶然にしてはあり得なさ過ぎるぞ。偶然の許容範囲を超えてる。


「…何で。…何で俺が狙われなくちゃならないだよ…!」


 理不尽な現実の仕打ちに、思わず涙が溢れ出てきた。ここまであからさまに俺を苦しめたいという意思が見えてくれば、もう、泣かずにはいられなかった。


 生きたい、生きたいさ。でも、次から次から、俺を殺しに来るんだから…!


 このまま泣いていたい。誰にも構われず、知られずに、ずっと。


 ―――でも、それでは彼女を守れないじゃないか。


 力が戻ってきた瞳でキッと、鋭い視線で前を睨む。袖で涙を拭き、立ち上がった。


「…来るなら来い。俺は、逃げも隠れもしない…!」


倒れた看板を踏みつけ、明るい人通りに歩を進めた。








 鉄パイプは工事現場から拝借した。しかし持ち歩くには不便だし不審なので、病院の門のすぐ裏に隠した。…入り口付近にパトカーはない。それはつまり、久上さんの身に危険が降りかかっていない証拠だ。安堵のため息をしながら病院から離れると左右を確認し刑事が追ってきていないかを確認する。…さすがに昼時だからなのか、今頃徒歩でのこのこやってくる患者は一人もいないようだ。人気のない所は危ない。そう思った俺は足早に駅前通りに向かった。


 轢かれそうになった所を山本刑事に助けられた。よく思い出してみると、あまりに焦ったらしく山本刑事はいつもの敬語を忘れていたような気がする。…いつもの形だけの敬語じゃなく、人の温かみすら感じられる俺に向けられた粗暴な声は、何となく彼らしいと思えた。意識を失いかけていた俺には何よりも頼りになった。…ちょっとだけ、彼の声が親父の声と重なったような気がする。本当の親父はそんな事を言った事はないが、きっと言ったなら、あの時山本刑事に支えられている時に感じたような、守られている感覚を覚えたに違いない。


 駅前通に入ったはいいが…思うに、同年代くらいの若者が多い。最近若者向けのファッション専門の大型店舗ができたばかりだし、デパートもあるここいらはデートには最適だ。彼らのなかなか着こなしに煩(うるさ)そうな服装から推測すると、おそらくはそういう目的があっての事だろう。しかし学校はどうしたんだ? …あ、そうか。今日は土曜日でも第土曜だった。…しかし呑気なもんだな。この街では連続殺人事件が起こっているんだぞ?


 そう見えても、やはり世間は敏感だった。ビルの側面に張り付いている大きなテレビ画面、大手電化製品店のほとんどのテレビ、ビル街に埋もれるように点在している飲食店のテレビもその話題で持ちきりだし、バス停のベンチでバスを待っている老人らの話し声も耳を澄まして聞いてみれば大体が「次は誰が殺されるか」だった。それぞれの仕事や生活を乱さない程度であるけれども、その話題に関するニュースなどにはできるだけ注視している雰囲気が窺えた。普段通りに見えてもピリピリとした警戒心が街を覆っている。…しかしそれは俺のとは少し違って、それは自身が狙われるはずないという自信から来ている。言わば見物する楽しみを目的とした他人事なスリル感だった。


 …そんな風だから、自分が大海原に浮かぶ一本のペットボトルのように思えてならない。俺と外は永遠に交わらない。ただ何一つ変わらない景色の中漂い続ける…その筒の中には自分を内側からパンパンに張らせるほどの爆弾を内包したままで。


 すれ違う人々は俺達の境遇を何一つ知らない。テレビで放送される表面的な事実に意見を取り交わすだけで、あくまで自身は平穏に生きている。

また、時が来れば…そのペットボトルが破裂してしまえば、粉々に砕け散って海の藻屑になる。でも、その破片さえも交われない。悔しさや報われない思いを抱きながらも、水面に浮かびながらも破片は小さ過ぎてその意思がわからない。…そんな切ない運命しか待っていないとしたら、果たして俺は生き延びる意味があるのだろうか。蟻のように蠢く大勢の人々に囲まれながらも俺は孤独なのに、俺が満たされる未来がこの先待っているとは思えなかった。


 自殺をしようとした頃が遠い過去のようだった。あの時は自殺は空しい事だと思って思いとどまったけど、今、改めてその自殺を考えている自分がいる。…二回も死ぬ目にあった事が原因だろうか。それとも死を何度も見過ぎてしまったからだろうか。もう、綺麗な死に方なんて望まないから、とにかくこの地獄から逃れたい。虚無から、解放されたいと思っている自分がいる。


 でも、まだ死ぬわけにはいかない。なぜなら…後ろ髪を引く人がいるからだ。


 全てはあの白い部屋にいる一人の女の子だ。今まで母性やら何やらで理由を取り繕って誤魔化してきたけれど、俺はここまで親切で動ける人間だっただろうか。

俺はそこまでお人よしじゃない。俺はそこまで聖人君子じゃない。


 今までは何かと我慢していたけど、心にはもっと正直だったはずだ。ただ、後ろめたいだけ。俺が前に進めずにいるのは、やっぱりあの罪の意識のせいだろう。体に、脳髄に、魂に絡みついて離れない。銃弾の呪いとともに、あの子の笑顔が意識に揺らぐ。


 生きたいと思った。でもその願いは叶わないのかもしれない。自殺を思いとどまって守った俺の命は、もはや俺では守れないのかもしれない。…でも、諦めたくなかった。できる事があると最後まで信じたい。だって、死なせたくない人がいるから…。


 だから、思うんだ。


 全部守りたいと思うのは、果たして贅沢な事なんだろうか――…と。



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