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挿入話④ 十年前の敵

「明ちゃん、もういいんじゃないの?」


 深々と粉雪が舞い落ちる。数時間前までは雨だったらしく、コンクリートの地面は濡れ、月の光を淡く反射していた。落ちては消えるその弱々しい綿毛は、これまた弱い風に身を揺さぶられて、風の行くままに身を(ゆだ)ね、消えていく。


 辺りは冬の港。錆び付き、表面のペンキも剥げているコンテナのそばの、人影。


「僕はハズレだと思うんだがね」


 深夜十一時。拳銃密輸の情報を信じ、その港でもう四時間も待ち伏せしていたものだから、いい加減に痺れを切らしたように低く老成した口調で話しかける。


「気が早いぞ…ホシが現れるまでだ。耐えろ」


 男は苦笑混じりに答え、その様子に山本は肩をすくめた。四十代半ばといった所だろうか。しかし山本と違って顔立ちや背格好が男前なために、二人が同じ年である事など、教えられるまで気づかないだろう。


「ったく、本当に大丈夫なんだろうねぇ、疋田の婆さん」


「あぁらひどい言い草ねぇ、山本刑事。何なら帰ってもいいのよ?」


 暖かそうなジャンパーを羽織っている銀縁眼鏡の女性は、男に向かって挑発するような目で言った。少し髪の毛には白髪が混じってきてはいるが、まだまだ黒髪の方が多い。ほぅと白い息を空へ立ち上らせながら、


「私の情報に間違い…? 嘘だと思うなら、一人で船に突っ込んでいけばいいじゃないのさ」


 コンテナの陰から三人が見つめていた物は冷たい海に揺られている大型船だった。貿易用の船だろうか…しかしその船への人の出入りは全くなく、船も明かり一つついていない。


「それだと四時間近くも待ち伏せ続けた事がパーになる。しかし…船からは誰も出てこないしなぁ…」


 いい加減にただ立っているのにも飽きてきたらしく、その場でせわしなく足踏みを始める山本。呆れて残りの二人は顔を見合わせてため息をした。


「しっかしあんた達も変なペアだよねぇ。片方は短気で諦めも手も早い男で、もう片方は気長で男前だけれども、無愛想で要領が悪くて…どこの売れない漫才コンビなのさ」


「婆さん、無駄な話をする暇があったら頭を働かせて、現状の打開を考えてくれ。こっちだってそんなに暇なわけじゃない…」


 男達が見やる船は人の気配がない。三人の直感は共通して、今のこの場所には自分達以外の人間はいない、と一致していた。船までの道のりにある、寂しいコンクリートの広場。三人が隠れている場所からは見晴らしがよく、たとえ小さなネズミでも見逃さないだろう。しかし広場までは三、四十メートルの距離があり、顔を判別するには双眼鏡が必要だった。疋田を除く二人はどちらも首から双眼鏡…男の方はオペラグラスをさげていた。ただし三人とも右耳にイヤホンを装着している。ワイヤレスのイヤホンの周波数は、広場の中心近くの地面に埋め込まれたマイクと同値だった。


「そういえば明ちゃん、さっきの電話誰からだった? 君にしては神妙な顔だったからさ」


「何でもない」


 男はその話をしたくないらしく首を小さく横に振る。そのまま何かを思案する風に夜を睨み、そっと空を見上げた。今夜は曇りだが月明かりが雲の隙間から洩れている。ぼんやりとした船の形の朧月は何も答えない。


「…嫌な予感がするんだ」


「何の? …君がそんな事を言うと本当に悪い事が起こりそうで怖いね」


「冗談を言ってるんじゃない。最近、夢を見るからなんだが」


 聞いた山本と疋田は「ほう」と物珍しそうな目で男に注目した。


「どんな夢なんだい? あんたみたいなカタブツがメルヘンな話をしてくれるとは」


「来年の忘年会でネタにするけど。それでもいいなら聞いてやってもいいけどねぇ」


「…たく、本当なんだぞ?」


 男は仕方なさそうに二人を見る。山本の方はいい時間潰しが見つかったとほんのり期待しているようで、疋田は疋田で興味があるようだ。今更はぐらかしても遅そうな雰囲気だった。


「これはな、一週間前くらい前の話なるんだが…」


 幼い頃に聞いた昔話を思い出すように、断片的ながらも話していく。本当に話し始めるとは思っていなかった山本は呆気にとられたように口を少し開けて。疋田は時折頷きながら、目を細めて聞き入っていた。


 …男の夢というのは、夢と言うよりは少々現実じみていた。しかしどこか非現実的なのは夢だからなのか。…その話の舞台は三人が住むこの町であり、ある青年が屋上から自殺をしようとしていた所から始まる。青年は自殺をしようとこめかみに銃を構えるが、謎の少女によってそれを止められる。青年の服装から考えてみると、季節は冬か春のどちらかで寒い時期らしい。


「何だそりゃ…で、その男の子は何で銃を捨てたんだい?」


「わからん。だが、死ぬのが怖くなった…とは思えなかった。ひどく悟りきったような顔をしていたからな。銃を屋上から捨てる時に」


 まず、男の話に出てくる高層マンションというのがこの街にはない。作り話にしては若干手が込んでいるような気がした。何より、男が真面目な顔でこのような話をする事が山本から見ればおかしかった。こいつがこんなバカな話を…? と、頭の隅で思っていたくらいだった。


「で、次の日また夢を見た。青年が同じマンションで撃たれて死んでいた。現場にはへたり込んだ女の子と…山本、お前が来たぞ」


「…僕が撃ったっていうの? 明ちゃんあのね、寝ている間だけだとしても、人を悪人扱いするのはどうかと思うんだけど」


「そんな事は知らん。心配している風だったが…という事は撃たれた直後という事か?」


 首をひねって悩みだす男。二人にいかにして正確に伝えようか考えているようだった。


「可哀想な奴…君が仕事に対して誠実なのは分かるけど、夢にまでそんな血生臭いシーンを想像しなくてもいいだろうに。力の抜き方がなってないんだ、君は」


「余計なお世話だ」


 カツン、と物音。コンクリートに何かが当たる音。横一文字に口を結び、三人は息を呑んだ。ようやく、ようやくなのかと神経を集中させた。こんな時間にこんな場所を訪れる奴は…。


「ビンゴだな」




 特殊な意図がある以外に、いるだろうか――――?




「さて、もう一人は…?」


 山本が少し頭を出して、コンクリートの広場の中心で佇む人物を見つめた。人一人入りそうな大きなトランクを足元に置いて、コートに手を入れている。月光で顔は陰っていて分かりにくいが…その分聴覚に集中する。いつどこからもう一人が現れてもいいように身構える。


「あぁら、早かったのね」


「いやいや…こんな銃、貴方くらいしか買い手はいないですから」


 つま先でトランクをつつくコートの男は、媚を売るような表情が張り付いていた。男が見やる先には現れた女言葉の人物…しかしその声は男のモノだった。


「うふふ、それは頼りにされてるって思っていいのかしら? でもね、それは見当違いよ。いつだって買い手がいないと売人は成り立たないから…お客あっての商売よ」


 野太い声が夜の港に響く。背筋が寒くなる言葉遣い…だがそんな口調も聞き逃してはならなかった。三人はいつでも突入できる体勢だった…しかしまだ、あのトランクの中身がアレだとは確信がなかった。


「百丁で二十万…お買い得だものね。私なら一丁を五、六万でさばけるわ。まぁ…賞味期限が来てしまえば一万程度だろうけど。この辺の街には他の拳銃の持込を禁じておくから、すぐに売れると思うわ。つくづくボロい商売よねぇー」


「そんな真似ができるのも…貴方だけですよ。伊勢さん」


「本名で呼ぶのは止めてくれないかしら? ママって呼んでよ」


 聞いたか? と山本は疋田に耳打ちした。


「…えぇ、録音機も持ってくればよかったわぁ…ここまであからさまに話してくれるとは」


 山本は相棒の感想を聞こうと顔を向けるも、男の方は頷く事も億劫なのか、目を閉じて声に耳を澄ませた。吐息一つ逃すまい…その実直な性格を存分に表現している表情は少ししかめっ面なので山本も話しかけにくい。三人の意識は広場に釘付けになった、が、


 ――耳からの驚愕が、三人を襲った。




「…試し撃ちしてみてもいい? そこの三人で(・・・・・・)」




 山本はすぐさま疋田と顔を見合わせた。疋田の横で、男はかっと目を見開いた。

 距離にして四十メートルは軽く離れている。月による影によって三人の体は十分に隠れていた。物音も話し声も最小限の最小限、よってバレる要素がなくバレるはずがない…そんな考えを、冷徹に切り裂く言葉。


 ――だが、その女口調の男の目は、真っ直ぐにこちらに向けられている。悪意に満ちた冷笑が三人に突き刺さった。素の目では顔も判別できないほどの距離なのに、その全身から溢れるプレッシャーはこの港を包んだような気がするほどだった。


「やるぞ、山本」


「あいよ、でも使うの久しぶりだしなぁ。…また始末書かぁ」


「落ち着いて明雄。この距離だと短銃では狙いも定められないでしょうし、距離が距離だけに失速して威力も」


 衰えるはず、とつなげるつもりだった口を、つぐまされる。疋田の手前三メートルの地面が、突如甲高い音を立てて小さく砕けたのだ。イヤホンからは悦に浸った笑い声が聞こえる。外れた事は分かっているはずなのに、この喜びようは異常だった。冷や汗すら、凍結する。


「じゃじゃ馬さんね…でも次は外さないから♪」


 リボルバーが回転する音。撃鉄が引かれ、第二撃目が用意されたのだ。明雄と呼ばれていた男は、


「山本…応援を呼べ。俺達ではどうにもならんぞ…!」


「実を言うともう呼んであるんだけどね」

 疋田はため息混じりに言った。


「取引がある事は分かってたの。でも、誰が来るかは知る事はできなかった…声と話し方を聴いた瞬間分かったわ。名前も出たしね。あいつの名前は伊勢光彦。銃殺専門の殺し屋…スナイパーよ。でもねぇ最近行方をくらましてたから死んだと思ったのに…それに、伊勢ほどの大物がこんな町に現れるなんて。住んでいるのかしら」


「…おいおい、婆さんアンタ…」


「それ以上の話は後からにしろ。来るぞ」


 第二撃。伊勢の拳銃から発射された弾丸は山本の右手の拳銃を弾く。手が折れるような衝撃に、山本は苦痛に顔をゆがめる。


「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」


 イヤホンから、気が狂ったかと思われる奇声が聞こえた。伊勢のそばにいる男の声がないのを察するに、おそらくはその男も抱いているのだろう。三人が抱いているのと同じ…。


「っ、行け! 二人とも、離れれば何とかなるかも知れん!」


「バカ言うな、あの距離から拳銃を弾いたんだぞ! 数十メートル離れただけでどうにかなるもんか!」


「―――なるさ」


 落ち着いた口調。男の先を読んだ山本の脳裏を掠める、言葉。山本は男の顔を見つめた…口に出して言わなくてもわかる。それだけの付き合いが、この二人にはあった。


「だから(・・・)、行け」


 男の右手が爆音を上げた。左耳から遠くで地面の砕ける音がする。右耳からはじかに…さっき疋田が血の気を抜かれた音そのままだった。伊勢のそばにいる男がどさりと倒れた。撃たれたのではなく地面をえぐる弾丸に驚き、腰を抜かしてしまったのだろう。


「へぇ、やるじゃない」


 伊勢はリボルバー…オートマチックでないだけに男の方が有利だった。しかしそれを補って余りある技術は並みの刑事ではどうしようもできない壁であった。


 無情に、耳に響き渡る第三撃の用意。


「ちぃ…!」


 男の銃…そのフォルム全身から火薬の匂いと煙を噴出させながら弾丸を連発した。イヤホンの向こうでは銃撃の嵐…一発か二発がそばの男の足を捉えた。伊勢に対しては一発も当たっていないが、足元を何発か掠めたはずなのに、彼はわずかな後退すらしない。


「じゃあ次はこっちの番ね?」


 言葉尻につなげるように、爆音とともに放たれた弾丸は男の肩を撃ち抜いた。


「く…! ぅっく、つ…! つぅ…何て、奴だ…!」


 男の拳銃は力なく指から滑り落ちる。男は反対の腕で肩を庇うが、血は肩の前後の両穴から湧き出るように流れていく。なす術もなく、三人は遠くの広場に立っている伊勢の姿を睨む事しかできなかった。万策尽きた…あの銃撃からは逃れるのは不可能だ、殺されてしまうのかと、思った――――その時、


「点灯っ!」


 どこからかの号令に、広場がほぼ全方位からライトに照らされる。強烈な光に、眩しそうに腕で顔を隠していた。


「この声は、吉永か?」


「かかれ!」


 おぉぉ…! と雄たけびとともに盾を武装した警官が電光石火のごとく広場になだれ込んでいく。イヤホンからは雄たけびと、残念そうな伊勢の舌打ちが聞こえた。…海に何かが落ちる音が、後に続いた。


「海に逃げたのか…?」


「無理だろう…あの警官の数から逃げ切れるはずが」


 助けが来た事に安堵して、呟く二人。疋田だけは不安そうに俯いていた。


 すぐさま、海にトランクと一緒に逃げた伊勢の捜索が開始された。

 しかし、姿はその日の夜中探しても見つからなかった。



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